タクシードライバーは乗せる客を選ぶことができないのだ。手が上がったら、誰でも乗せなければならない。
タクシーの後部座席に座って、ドライバーに道順を説明する。簡単な作業だと思われがちだが、全てのお客さんがスムーズに説明できるわけではない。いわゆる「あっち、こっち問題」は、タクシードライバーであれば誰もが経験したことのある接客トラブルだ。
タクシードライバーは差別されやすい職業かもしれない。勤務初日に僕はそう思った。
それでも、「この仕事は絶対になくならないだろう」と、実際に働いてみて確信した。
一時的な別居のために借りた小さなアパートの一室で、どうせ長く住むわけでもないだろうとたかを括って購入した小さな冷蔵庫は、いざ離婚することになって本格的な一人暮らしをすることになってみると、明らかに小さ過ぎた。
「俺だって、タクシードライバーになるなんて思ってなかったんだよ!!あんたもそうだろう」
行き場のない苛立ちを僕にぶつけるようにして、彼は言った。
思わぬ業界の「洗礼」を受けたのは、タクシードライバーとしての勤務初日の朝だった――
あの7月、太陽蟹座の頃、あの夏の読書会は本当に最高だった。
だだっぴろい畳の部屋だったと思う。窓から縁側へ抜ける風を腹で、差し込む光を瞼で受けながら、さっきまで泳いでいた海から持ち帰った波の揺れを、何度も何度も味わっていた。
タクシードライバーについてどう思う?と聞いたとき、20代後半の女性はこう答えた。
「道で昼寝をしている人」
自己保存のための食料確保と摂取以外は殆ど畳と同化して過ごすような日々がだらりだらりと伸びていってそのままとぐろを巻いて身体をくるんで繭をつくってもおかしくない既の所…
静岡県から川崎市に引っ越して間もない頃だったと思う。早起きして、散歩をしていた。国道15号線を川崎から、鶴見に向かって歩いていると、バス停がある歩道に衣服の塊が落ちていた。何だろう、衣料ゴミなのか、と思って近づくと、人間が横たわって熟睡していた。
「オシッコしたい!!」「このタクシー、止めて!!」
深夜時間帯になるとタクシードライバーの仕事は一変する。
タクシードライバーとしてデビューしたとき、僕は不安でいっぱいだった。
「川崎がゴーストタウンになっている」「鶴見もひどい。出張する会社員がいなくなって、ビジネスホテルは空室だらけだ」
広大な敷地の一角にあるコンクリートで固められた路面に、トヨタ・コンフォートを停めた。一緒に来た先輩のタクドラたちが、さっそく煙草に火を付けた。うまそうに煙を吸い込んでいる。「ちょっと1本いいですか」ともらい煙草。一服つける。
風俗街の入り口にある、スシローの前で男性が手を上げた。トヨタのコンフォートをゆっくり減速させ、ウィンカーを出して、左側に車体を寄せる。
「やさしいキスをありがとう」
彼女は目をつむったままそう言って、そのまますうすうと眠りに入った。僕は彼女の顔を―今日までただの一度も触れたことのなかった彼女の寝顔を見た。