「来てくれてありがとう。今日はよろしくね」
「こんにちは。どうぞよろしくお願いします」
「道が入り組んでて見つけにくかったでしょ、うちのビル。今、紅茶入れるからちょっと待ってて」
中目黒の駅から徒歩10分、オフィスビルの一室を使った小さな会社。今話している女性―ヒロさんに出迎えられ、部屋の中央に置かれた横長のテーブルに座っている。くっきりした目鼻立ち、後頭部で束ね上げられた薄茶色の髪、白のシャツブラウスに薄手のニット。凛とした女性って、こういうヒトのことを言うんだろう。
「お待たせ。さてと、なんの話から始めようかな」
「あの、先にこちら…」
「あ、うん、履歴書ね、ありがとう。それからこれは…へぇ、わざわざサンプル記事まで書いてきてくれたんだ。それでこないだ、うちのオンラインショップで商品注文してくれてたのね。どこで知ったの、うちみたいな小さな会社のこと」
「たまたまネットで流れてきてショップを見つけたんですけど、素敵なデザインだなと思って、ずっとチェックしてました」
この会社、業態で言えばウェブ制作会社と言って良いのだろうけど、受注でサイトを作る他にも色々と面白いことをやっている。アーティストに取材をして、自社サービスのウェブマガジン兼オンラインショップで取材記事と一緒に作品を販売したり、彼らと購入者をつなぐカフェを開いたり。東京に帰ってきてすぐ、求人が出ているのを見つけた。ウェブデザインなんて出来っこないんだけど、そういった、メディア・コミュニティ運営を中心に担うスタッフを雇いたいということだったから、出してみた。
ヒロさんは履歴書とサンプル原稿を交互に眺めながら頭を掻いている。待っている間、ミルクティーと一緒に出されたバウムクーヘンを一口頬張る。甘さ控えめさっぱり。木目がはっきりとした無垢の机の上なものだから、なんだか切り株の年輪に見えてきた。
「どうですか、僕の文章」
「うーん、そうだね…」
「なんでもおっしゃってください。足りないところとか、伝わらないところとか」
「君さ、書くの、好き?」
「そう、ですね、好きだと思います」
「思います、か。そっか」
急に聞かれて、少し答えに躓いた。
「君、書く力はあると思う。よく考えて整理できてる。二次情報だけでなく、ちゃんと自分で使ってみて、良いと思って書いてくれたんだろうなっていうのも、読んでみて分かるよ。だけど、なーんかこう、デスパレートな印象を受けるんだよねぇ」
言われて、ドキっとした。
「伝えよう伝えようって、頑張ってくれてるのは分かるんだけど、かえって距離を感じるんだよね。わざわざ遠くに離れて必死に叫んでるような。これだと、読み手は引いちゃうかもよ。君自身もなんか、しんどそう」
「そうですか…うん、そうですよね、やっぱり。すみません」
「いやいや、別に謝らなくていいんだよ。うーん、なんていうのかな…」
少し考えた様子で、僕の顔をじっと見つめ、それから一瞬ふわりと笑った。
「よし、君の書いた文章とかうちの業務内容の話は、今日はもう無しにするから一回忘れて。そんなの全部、入ってから感覚掴んでけばいいんだから。そういうのじゃなくてね、言葉の奥でくすぶってる、君のことがもっと知りたい」
「はぁ」
「君、他にも色々持ってる気がするんだ。うちも小さな会社だから、取材やライティングだけじゃなくて、もっと柔軟に色んなことに挑戦してくれる人と働きたい。君もさ、文章にこだわりたいだけなら出版社とかの選択肢あるわけでしょ。そうじゃなくて、うちみたいな変なウェブ屋を訪ねたのは、何かそれ以上のものを感じてくれたからだと私は期待してるんだけど」
「それは、確かにそうです」
「だったらさ、もっと気楽に色んなお話しようよ。紅茶、おかわり入れてくるから」
「はい、ありがとうございます」
「あ…バウムクーヘンも、もうひとつ食べる?」
「え、いいんですか?じゃあお言葉に甘えて」
「今、ようやくちょっと表情がほぐれたね。食いしん坊さん」
そう言ったヒロさんは、今度はニカッと笑ってキッチンへ歩いていった。僕はひとり顔を赤らめた。
「履歴書に書いてたけど、東北で働いてた時のこと教えてほしいな。どうして行くことになったの?」
「なりゆきですよ。友達に誘われて、大学卒業した後フラフラしてて時間があったからなんとなく行ってみて、片付けやら炊き出しやらしてたらいつの間にかそのまま居着いちゃって」
「そうなんだ。意外とフットワーク軽いところもあるんだね」
「ま、その場の勢いというか。滞在したのは海沿い小さな漁村で、あまり知られてないけど、ほんとにいいところなんですよ。人もあったかくて、のどかで、それから魚も美味しくて。でも、地元の人たち、船や工場がやられてほとんどなんにも出来ない状態だから、だんだん活気がなくなっていきました。それで、みんなで何か新しい仕事出来ないかなぁって、相談を始めたんです」
「新しい仕事、かぁ。なんだかワクワクしてきた。詳しく聞かせて」
「浜辺にね、綺麗な貝殻が落ちてるんです、光の加減で虹色に光る。それを細かく砕いて万華鏡にするんです。地元の工業高校の男の子とか、水産加工会社のおっちゃんとかが、無事だった機械を引っ張りだしてきてくれて、公民館の一角に作業台を置いて、とりあえずなんか手を動かしてみるかってところから始まって、ちょっとずつ進展していったんですけど」
「うんうん、それで?」
「それからね、近くに岬があって、そこから見る夕焼けがすごく素敵なんですよ。水平線にゆっくり日が沈んでいって、暗くなったらそこの灯台が海を照らすんです。津波でお家や港の施設はほとんどやられてしまったけど、岬の灯台は昔からずっと変わらずそこに立っていて、地元のみんなに愛されてます。万華鏡の筒はその灯台をモチーフに」
「へぇー」
「万華鏡って、回すと色んな表情を見せるでしょ。僕たち人間に似てると思いません?みんな違った色や呼吸や体温で、一人ひとりが違う花を咲かせて…」
「うん、うん、そうだね」
「津波に流されて多くのものを失ってしまったけど、今も昔も変わらないあの灯台に見守られながら、もう一度、一人ひとりの色を、形を見つけていこう、そんな想いを込めて、みんなで万華鏡を作っていきました。これがそのプロジェクトのウェブサイトです。綺麗でしょ。デザイナーさんや写真家さんが何度も現地に通ってくださって作ってくれたんです」
「うん、すごくいいよ、これ。今まで知らなかったのがくやしいなぁ」
「今も続いてるんですよ。浜の仕事が出来なくなっちゃったお母さんたちが、ちゃんと収入を得て続けられる仕組みになって」
「それはすごいな。なんだ、面白いことやってきたんじゃない、君」
「や、僕自身は別に大したことしてないんですけど…でもほんと、楽しかったです。みんなで笑って泣いて。作ったものを初めて買ってもらえた時なんか大喜びで」
話しながら、潮の香りとみんなの笑顔が戻ってきた。ヒロさんも僕を見て、目を細めて笑っている。
「そっかそっか。ほんと、いい経験したね。それで…聞いてもいいかな、どうして東京に帰ってきたの?」
「それは…」
「あ、別にダメって言ってるわけじゃないよ。ただ、そんなに楽しそうな場所を離れてまで帰ってきたのはなんでかなって。何か別のものを求めてる?それだけ充実した日々を送ってた君が、今どうしてそんなに必死で言葉や文章と格闘してるのか、すごく気になる」
「何かを求めて…それはたぶん、失くし、もの」
「失くし物」
「さっき話したように間違いなく楽しい日々だったんですけど、でもやっぱり余裕の無い中で走り続けてたのも事実で」
「まぁ、状況が状況だし、その若さで飛び込んだんだもんね」
「東京が、ちょっと遠くなりました。それで、なかなかうまくコミュニケーションが取れないまま、大事な人たちとのすれ違いやこすれ合い、その結果のいくつかのさよならがありました」
「そっか…」
「言葉で伝えられなかったこと、届かなかったこと…なんでこうなっちゃったのかな、どうすれば良かったのかなって、思い出しては痛くなります。それがうまく処理出来てなくて、それで帰ってきちゃったのかも。結局、僕の方が、色々足りてなかったってだけなんでしょうけどね」
うまく説明できた気がしなくて、とりあえず笑った。バウムクーヘンをまた一口頬張って、今度はあまり噛まないうちにミルクティーを流し込む。
「足りなかった、か。そっか」
僕の言葉を繰り返したヒロさんは、何かを思い返すかのように宙を見つめた。
「来週、もう一度お話しよう。今度はオフィスじゃなくて、外で会えるかな。君を連れて行きたいところがある」
「わかりました」
「色々話してくれてありがとね。場所と時間、後でメールする」
オフィスはビルの5階なのに、ヒロさんはエレベーターで下まで一緒に降りてきてくれた。午後6時、見あげればまだ青白さの残る春の夕空。ずいぶん日が長くなった。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。じゃ、またね」
「あ、来週までに何かしておくべきことありますか。訪問するところのウェブサイトなどあれば事前に」
人差し指で口を止められる。その右手がそのまま僕の左頬にふれ、ポンポンと軽くたたき、
「次に私と会う時にはちょっとでもその顔やわらかくしておくこと」
呆れたように苦笑いしながら言う。
「準備なんか要らないから、その時、その場で感じてほしい。今の君は、あんまり考えすぎない方がいいと思うんだ」