「ロケット」
5歳のとき、父に肩車されて丘の上でロケットを見た。おまえが大きくなる頃には、きっとお月さまへ旅行に行けるようになるさ。ちゃんとごはんを食べて、歯磨きして、よーく寝て、じょうぶな身体をつくるんだよ。はしゃぐ私にそう言って聞かせた父は、次のロケットが打ち上げられるより先にいなくなってしまった。私はその後も父の言いつけをよく守った。毎日残さず食べ、奥まで歯をみがき、三日月型の枕を抱いて寝た。
高校2年の夏には、この町から飛んだロケットの数が私の年齢を追い越した。その頃の私は、月よりも近くて遠い人の背中を追いかけるのに一生懸命で、あの丘まで打ち上げを見に行くどころではなかった。同じ年の冬、眠れない夜を知った。そんなときも私は変わらず三食きっちり食べていたし、虫歯は一本もなかった。
母は私のためにお金を積み立てていた。それはきっとロケットの燃料1秒分にもならないだろうけど、少なくとも一年、私が大学に通えるだけの額だった。私はこの町を出た。
母にもらった一年の間に、私はたくさん勉強して、次の一年分の燃料を奨学財団から出してもらえるようになった。その後少し油断して、危うく墜落しそうになったけれど、残りの二年もなんとか飛び続けることができた。卒業後の職場は、父と登ったあの丘よりもずっと高いビルにあったが、そこから月を眺めた記憶はない。知らない言葉と見たこともない桁の数字についていくのに必死だったからだ。大学の四年で得た自信のようなものは入社早々に砕かれた。食べることをサボるようになった。それより、少しでも眠りたかった。
父の言った通り、私が大きくなる頃には月への民間旅行が現実のものとなっていた。だけど、「じょうぶな身体」を持っているだけでは足りなかった。巨額のツアー料金を払えることはもちろん、数ヵ月にわたって地球を離れても支障がないだけの自由―言い換えればそれを担保する「資本」を持つ人だけが、ロケットに乗り込むことができた。私が働いているこのビルのオーナーもその一人だった。彼はしばしば、友人や政財界人を招いてパーティーを開いていた。私がモニターとにらめっこしているオフィスから10とか20とか上のフロアが会場で、それも噂で聞いただけだから、私にとっては月と同じぐらい遠い世界の話だった。
ある日、そのオーナーの秘書だという人からメールが届いた。なんのきっかけで、誰から聞いたのかは分からないが、私があの町の出身だと知ったらしい。投資先候補の情報収集なのか、ただの気まぐれなのか、とにかく話を聞きたいそうだ。
三度目の食事で、一緒に月に行かないかと誘われた。曇りのない目でまっすぐに人の顔を見て話す人だ。こういう人が、きっと色んなものを引き寄せて掴み取って、そして軽やかに月まで飛んでいくんだろうと思った。イエスともノーとも返事ができず、お手洗いに行かせてくださいと席を立った。洗面所で携帯電話を見ると、母からの不在着信と、ショートメールが来ていた。元気にしているの、ごはんはちゃんと食べてるの、と、いつもと変わらない心配事に続いて、身体が元気なうちに少し家を片付けようかと思って、でもあなたの部屋の物はさすがになんでも勝手に捨てるわけにもいかないから、ちょっと相談したかったのよ、と、写真が何枚か添えられていた。そのなかには、私がずっと一緒に寝ていた、三日月型の抱きまくらもあった。
お母さん、私、そっち帰ってもいいかな。当たり前よ、いつでも帰ってきなさい。
席に戻り、オーナーに丁寧に御礼を言い、それからお誘いを断った。
その夜、久しぶりに夢を見た。父と母と3人一緒に、ロケットを見に行く夢だ。父を助手席に、母を後部座席に乗せ、実家の軽自動車を私が運転してあの丘に向かう。時速50キロ。打ち上げまで、まだ時間はたっぷりある。