楽しかったこと、悲しかったことをシェアできる相手がいることと、親密な相手や集団においても「わたしだけ(あるいはわたしたち二人だけ)のナイショ」を抱えられることは、同じだけ、いやもしかすると後者の方が大切かもしれない。
「冬季うつってあるじゃん、それの夏版みたいな状態だったんだな、俺は。夏季うつだ、夏季うつ」
と、リビングに寝転がりながらぼやいてみたら、
「それはね、ただのうつだよ」
とツマに返された。正しい。ツマの言うことはだいたいいつも正しい。
それは、考えると同時に味わうことであり、確かめると同時に驚くことでもある。
スポーツをする人がストレッチをするように、ピアノを弾く人が指ならしをするように、ものを書くことも身体運動なのだから当然、なんらかの準備体操をした方が良いだろう。
これまで書いてきたもののうち、よく書けたと自分で思えるもの、良い評価をいただいたもの、本の単位に綴じられたもの、これまで関わった企画・プロジェクトのうち、クレジットされている、あるいは自分の関与・貢献を述べて差し支えないもののなかから、特に作家/インターミディエイターとしての資質をよく発揮できたと思えるものを、リンクと共に掲載しています。
仕事のポートフォリオでもあり、これまで〜現在(2024年8月時点)の私のポートレート(自画像)に替わるテキストたちです。
固有の身体を持つ私たちが、異なり合いながら重なり合う、小さく新しく多様でありながら広く旧く普遍である、そんな物語を掬って紡ごうと思い、日々、書いています。
異なる世界の「あいだ」に立ち、対話と協働を促すこと、個人やチームのありたい姿や、事業が創り出そうとする価値を、言葉と物語を通して、共有可能なビジョンにしていくことが、ビジネスやプロジェクトにおいて、私が特に価値を発揮できる領域です。
2024年6月10日にZoomで収録した、鈴木悠平・慎允翼・伊藤亜紗のトーク録画と文字起こし。
終わりのない日常を、離れられない身体を、ままならない痛みを、障害を、どうにかこうにか「経営」していく、そのプロセスでは何が起こっているのか。
立岩先生は自分でもたくさん書く人だったが、歴史を遡って書くべきことを書き記していくには到底一人では間に合わないこともよく分かっていたからからこそ、後進の教育と、数多の資料のアーカイブ(それは仕事を引き継ぐ誰かが現れたときの結節点・参照点となる)に力を入れてきたのだろう。
「中年」のはじまりはいつかというと、人生において、増えるもの、得るものよりも、減るもの、失うものの存在感が上回ったときなのかもしれない。
僕がどれだけ役に立てているかはわからないが、起業家たちが、出会うべき人や課題と出会い、手を取り合えるようにと願って伴走している。言葉、対話、物語は、暗闇のなかで自分と相手の「輪郭」を浮かび上がらせる助けになる、かもしれないと思う。
書かなくても生きていけるのだが、しかし、書かないことで、書く習慣が途切れることで、自分が世界からなにかを感じ取り、世界と関わり、世界と語り合う、動機、アンテナ、関心、視点、発想、言葉、何もかもがじわじわと鈍っていく。
一言で言うと、僕はこの数ヶ月でバカになったのではないかという気がする。出涸らし、である。緩慢な退化。
朝起きて、夫に近所の小川珈琲にモーニングを食べに行かないかと提案する。スクランブルエッグの載ったプレートが美味しそうで、前々からずっと気になっていたのだ。
Hiroki Honda です。このブログを書くのは初めてになります。会社勤めのプログラマーをやっていましたが、病気で 5 年前に退職してからは、家で療養生活を送っています。
2月の半ばに腰を痛めて、それを言い訳にしていたら、ラディッシュやジャガイモの植え時を逃してしまい、このままだと夏野菜も植えそびれてしまいそうだ。
「書くとき・ところ・道具とわたし」に寄稿するのはこれで3度目だが、それは引越しによって自分の作業スペースが2回変化したからだ。今回寄稿するのも、昨年の11月に引越しをしたからで、そのことをここにまとめようと思う。
「やさしいキスをありがとう」
彼女は目をつむったままそう言って、そのまますうすうと眠りに入った。僕は彼女の顔を―今日までただの一度も触れたことのなかった彼女の寝顔を見た。
畑はわたしにとって、生活を、わたし自身を、地に足をつける方へと向かわせるよすがであり、営みなのだ。わたしは土とともに生きていく。病に食い殺されないためにも、今年も畑を営んで、暮らしていく。
先生は大きな画台と二枚の画用紙、鉛筆、カッターナイフを持って私を席に促す。まずは鉛筆を削るところから始めるんですよ、と先生は言う。カッターナイフを使って先生の手で削られていく鉛筆を見つめる。
日本の人は、「mixi」という単語を聞いて、即座に自分の黒歴史がフラッシュバックしてヒエッとなる人と、「なんですかそれ?」という人と、2種類に分けられる。