障害を「経営」するーケア/労働/なりわいとしての重度訪問介護 鈴木悠平・慎允翼・伊藤亜紗(録画・文字起こし)

2024年6月10日に障害を『経営』するーケア/労働/なりわいとしての重度訪問介護という題で、鈴木悠平・慎允翼・伊藤亜紗3人のトークイベントを実施した。

以下、YouTubeのアーカイブ動画と、トーク文字起こし(素起こししたものを、話者が適宜加筆修正するなど、最低限の編集・校正を加えている)を掲載する。

アーカイブ動画


トーク文字起こし

鈴木悠平(すずきゆうへい 以下、悠平):こんばんは。では、時間になったので始めます。障害を「経営」するという題でイベントを立ててみました。まぁ、3人で話したいことを話すって感じなんですけど、ここに至るまで、ユニ君の自宅でなんやかんや喋ってて、その延長っていうか。

だから、トークイベント的に一応告知して、皆さん興味あればどうぞって感じでZoomを開いていますけど、あんまりオーディエンスに気遣いをしませんっていうか、重度訪問介護ってなんぞやみたいな基本的な話とかあんまりしないで、割といきなり本題に入りますが、ご了承ください。

皆さん、なんか思いついたこととかあれば、チャット欄は自由に使ってください。落書きみたいに好きに書き込んでもらって大丈夫です。拾ったり拾わなかったりですが。

一応マイクは、僕たち3人以外は基本ミュートでお願いします。話の流れや残り時間によって、喋りたいって人が出てきたらそういう時間を取るかもしれないし、取らないかもしれない。録画したものは基本無編集でそのままアーカイブするので、なんか喋りたいって人はそのつもりでお願いします。文字越しも後でアップしたいなと思いますが、やってくれる人いたら嬉しいです。お礼に僕たちの本差し上げます。

はい、じゃあそんな感じで、割と置いてけぼりにするかもしれませんが、ラジオ的に楽しんでもらえたらどうぞって感じでいきます。

3人で会ったのは去年の6月でしたね。

写真左:2023年6月、愼允翼自宅にて写真を撮る、愼允翼・鈴木悠平・伊藤亜紗の3名。写真右:愼と鈴木の執筆・介助風景を伊藤がスケッチしたもの

愼允翼(しんゆに 以下、允翼):うん。

悠平:僕と亜紗さんがもともとお友達で。ほんで、ユニくんと僕は 3人のさらに共通の友人である川口有美子さんという人がいるんですが、川口さんのご紹介で、僕はユニくんのところでヘルパーを初めて、もう今が4年目か。3年以上は経ったね。それで、亜紗さんがちょっと介助の現場を見学したいっていうことで、遊びに来てくれて。

右側の絵はですね、 大体僕、水曜日の10時15時でシフト入るんですけど、朝、夜勤の人と朝食の途中ぐらいで交代して、あとは昼交代する前の13時・14時台がだいたい昼食なんですが、その朝昼の食事と洗い物、トイレ以外は5時間のシフト中、だいたい3時間ぐらいは、なんかひたすらこんな感じの体勢で、ユニくんがソファーに横たわって喋って、彼はルソーの研究が大学院での本業なんで、僕はひたすらユニくんの言ったことを打ち込むという感じで、亜紗さんがその様子をスケッチしてくれたものです。あとはそのあと1回、2回、僕がいない別の日にまた亜紗さん来られて、ユニくんにインタビューしたみたいです。

亜紗さんの個人ウェブサイトと、「アサヒテラス」っていうウェブサイトでインタビューをもとにした文章を書かれています。

「愼允翼(シンユニ)さん」, asa ito
「一番身近な身体ー第四回 帝国主義者のまなざし」, 『あさひてらす』連載
今日のスライド、最後になんかその辺のリンクとかは貼ってるんで、よかったらそれ見てください。
で、これはついこの間、このイベントの打ち合わせした日に、また新作で亜紗さんが描いたやつですね。

伊藤がスケッチした、ヘルパー研修中の愼の様子

允翼:絵がちょっと怖いんだよね。妙にリアルでさ。うまいっちゃうまいし、なんて言うのかな、特徴を捉えてるともいえるけど。

悠平:なんか目力がある(笑)

允翼:いやめちゃ怖いでしょ。なんかこれ。

伊藤亜紗(いとうあさ 以下、亜紗):いや、これ執務中だからさ。そういう目だったわけよ、このとき。

允翼:そういう目がどんな目なのかっていうのは、なんかすごい問題だなそれ。

亜紗:いやでも、絵描くのが目的じゃなくて、私は観察したいんですけど。すごいやっぱりなんていうか、研究者の特権を乱用して人の体を観察するっていうのが、もう本当に好きなんですよね。私は。

悠平:身体オタクだ。

亜紗:こう、堂々と接するっていうね。 うん、ほんとに好きだから。すごい楽しいですよやっていて。

悠平:で、そんな身体オタクの亜紗さんなんですけど、この「帝国主義者のまなざし」っていう、この帝国ってのも今日のキーワードなんですが、 逆にそうやって亜紗さん、いろんな人に会って、観察して、話して、描いてしてきているんですが、 初対面の印象では、逆にユニ君に亜紗さんの体を全身スキャンされたっていう感覚がちょっと新鮮だったと。

初対面で全身スキャン
 シン・ユニさんの自宅におじゃましたのは、夏の初めのじめじめした日。介護のためにシフトに入っていた悠平さんに案内されて洗面所で手を洗い、マスクを新しいものと取り替えて、リビングにいるユニさんと対面しました。
 ユニさんは先天性疾患・脊髄性筋萎縮症(SMA)の当事者。24時間、入れ替わり立ち替わり約10人のヘルパーさんの介護を受けながら自立生活する大学院生です。認知能力や会話に問題はありませんが、筋力が低下しているため、体をほとんど動かすことができません。両腕も祈るような姿勢で常に肘が折り曲げられており、介護者がその位置をときどき調整しています。「自分の体でさわったことがない部位があるわけですよね」と訊いたら、「そうだね、お尻とかさわったことない。足もとどかない」と早口で返事が返ってきました。[i]
 日頃のインタビューで私が一番知りたいのは、その人とその人の体の関係です。生まれてから現在までのあいだに、その人は自分の体をどのようなものとして捉えるようになり、それに対してどのような距離感で接するようになったのか。しかしユニさんにはそもそも体との関係なんてあるのか? その設定自体、あまりに自分の体を前提にしたものだったのかも……そんな不安に苛まれながらの訪問でした。
 リビングに入ると、ユニさんは筋肉の少ない細い体をソファに横たえていました。水平のユニさんに、垂直に立ったまま近づいていく私。その出会いに、水平と垂直によって十字を作るようなぶつかり合いを感じたのは、私を見るユニさんの視線が、独特な動きをしたからでした。あくまで私が受けた主観的な印象ですが、ユニさんの目は、私ではなく私の体を、頭のてっぺんから足のつま先までさっとスキャンしたように感じたのです。
https://webzine.asahipress.com/posts/7745

允翼:それは語弊がある言い方というか、そんなまじまじとジロジロ見たのかっていうのは、盛られてる感じもします(苦笑)。

亜紗:いやいやもう、すごいジロジロ見てたよ。

悠平:っていうのもあり、あとは、そう、ちょっと今日、タイトルにね、「経営」っていう言葉入れてて、この重度訪問介護の利用者と介助者っていうのが、僕とユニくんの関係なんですが、要は制度があって、給与が発生する仕事なんですけど、なんかそれだけじゃないよねっていうのもあって、それが副題なんですが。

経営の話はね、この後ちょっと、ユニくんがちょっと用意してるから、喋ってもらうけど。僕だけじゃなくて、ヘルパーが10人ぐらいいて、さらに出入りもあるからね、新しい人とか、卒業とかで、 いわゆる僕ら介助者の身体含めて、こう、領土っていうか、帝国の、 自分の領土を拡張していくような感覚として、帝国主義という喩えが、ユニくんのインタビューで出てきたのも1つあります。人の出入りもそうだし、常に、なんていうのかな、いろんな自分の生活を成り立たせる資源をマネージする必要がある。

 そんな自身のあり方を、ユニさんは冗談めかして「帝国主義者」と呼びます。他者の体を取り込んで、自分の領土の一部にしていく。領土拡大を狙って、目は次なる大陸=体を探しています。もちろん、これはあくまでユニさんのケースであって、同じように介護を受けながら生活をしている人がみなそうだ、というわけではありません。「自由が好きなくせに、すべてを自分の手中におさめないと、気が済まない」というユニさん。ちなみに時間に関しても、ユニさんの一日のスケジュールは、勉強する時間、食事の時間、寝る時間、と厳格に規律化されていると言います。
https://webzine.asahipress.com/posts/7745 

悠平:だから帝国とか企業っていう言葉が出てきて、でも大きかったら無敵かっていうとそうではなくて、大きくなるとメンテナンスすべきこと、目を向けるべきことは増えてきちゃう。さらにちょっと最近この4月、5月と、ユニくんは結構大変だったっていうか、ヘルパーさんの入れ替わりとか含めて、対応すべきことが色々重なって、なおかつ大学院の修論を仕上げようっていう年でもあり。

この重度訪問介護のヘルパーの出入り含めて、割とユニくんがちょっと疲れてて弱ってたんだけど、 僕がちょうどユニくん疲れてるときに、自分のシフト中の雑談で、「なんかあれだね、この間の亜紗さんのインタビューでの言葉を借りれば、ユニくんは今、『帝国再編期』にあるんだろうな」みたいなことを言ったんですよ。そしたら、ユニくんが「それだー!」って反応して(笑)っていうのが、今日のイベントの背景ですね。

允翼:後でまたお話しますが、やっぱり帝国は、皇帝自身の身体や宮廷の中だけで完結しなくて、外に身体を拡張し領土を増やさなければいけないってことです。

それからルソーの話にもちょっと触れますが、基本的に領土って増えれば増えるほど弱いんだよね。打たれ弱くなるんです。増えると強いと思い込むひとは多いかもしれないけど、領土を広げれば広げるほど、コントロールが利かない部分っていうのが出てくるので。周縁が強まると中心が弱くなり、修復しようと試みることでますます周縁頼みになる。

それで最近は僕のキャパをオーバーしたなって感じで疲れてたっていう話として理解してもらえばとりあえずいいのかな。

悠平:そんな感じの日々があり、その合間に3人でちょこちょこ喋りっていう延長線上での本日のトーク、という感じです。それをついでに配信して聞いてもらって、みなさんに面白がってもらえることもあるかもなという構えでいきます。

ほんで、あれですわ。これもね、一応、ユニにくんが送ってくれたこの3枚をスライドに流し込んだのと、 僕さっき直前に慌てて話のネタになりそうなエピソードを書き出してみましたが、とりあえずこの後ちょっとユニくんにマイク渡しますので、なんか亜紗さんに随時突っ込んでもらったり、この順番通りに行かなくてもいいかなと思ってますが。そんな感じで、ユニパートいきましょうか。

允翼:なんかラジオっぽい感じで行くと思ってたから、スライドもまんま使うとは思ってなかったんだけど、別にこのまま行きますが、今日は亜紗先生と悠平くんとただ喋るノリを他の人にも聞いてもらうっていう感じでいきます。

僕自身、今まさに経験していることをお話します。帝国=身体を拡張していくこと、つまり主に介助者の獲得を、自分の領土の範囲を広げることっていう観点で捉えた時に、やっぱり皇帝はとても弱い。もちろん自分を皇帝とした場合ですけど、皇帝がものすごいオーバーワークだったりして弱ると、繰り返しになりますが、世界で1番強いやつと思われている皇帝に限って1番弱いです。皇帝は1番労働させられて、1番奴隷であるっていう。で、自分もちょっとそういう部分があるなと思っています。その辺、障害持ってるってことを、ある種の労働として捉えてみたくなったのです。この機会にね、ちょっと整理したらいいのかなって思って書いてみたんですけど。

まず、肉体労働っていう視点。今回、イベントの告知文を悠平くんが作ってくれたときに、まずは労働だなあって。

重度訪問介護利用者は、ヘルパーに対して、抱っこ、体位変換と移乗、食事、歯磨き、着替え、トイレ、風呂、呼吸器と睡眠といった、自身の日常生活に関わる介助動作を、自らの身体を使って教えなければならない。この「研修」はヘルパーの入れ替わりに伴い、反復・継続的に発生する「肉体労働」である。

允翼:で、僕はその介助における労働の部分を、悠平くんの意図よりもちょっと強めに考えていたのです。つまり、一般にその重度訪問介護って、やっぱ 介護とかってケアって言葉でよく語られがちなんだけど、僕はやっぱちょっと疑問というか。そもそも、「労働」という言葉すらあんまりしっくりきていない。

労働っていうとさ、なんかこう、現代の人って労働してお金が得られて労働した分だけ得られるものもある的な、あるいは労働は望ましい的な気持ちがあるかもしれないけど、労働って嫌なもんですよ。「賦役」と言いたいし、仮に労働と呼ぶにしても、もう奴隷労働と言ってもいいと思っているんだけど。さっき言ったように、皇帝は奴隷なので。

なんかね、障害を持ってるってことをちゃんと労働とか不幸で苦しい賦役っていう風にはっきり言っちゃうこと自体が意外とないし、みんな避けている感じがする。ちょっと前の僕もそうだったけど、障害を持っていても大丈夫って話ばっかりしたがる。いやいや、大丈夫なんだけど大丈夫じゃない、辛いときがあるっていう話を今日はしたいなと思って。だから最初にね、労働っていうテーマで嫌な話もします。はい。で、こういう肉体労働っていう観点で、スライドにリストアップしてみました。ほんとはもっとありますけど。

新しくヘルパーさんの研修をする時に、最低限これできないとあかんでっていうものの順番で、並べてみてるんですけど、悠平くんもトイレまではできるよね。

悠平:そうね。日勤なので下の2つは基本やってないね。

允翼:下の2つは夜寝るときにやる労働なんで、 日勤帯はやらないね。でも上の6つはもう絶対日中やんなきゃいけないことです。

で、これを見ながら考えてみると、多分健常な人だと一人で意識せずに日常的にやってることです。これを他人の腕や道具を使って補わないといけない。しかも、他人の腕を使うときに厳しいのは、新しい領土を得るために反復して教えなきゃいけないわけですよね。つまり、健常な人で言えば、日常的に行う動作、たとえばものを食べるっていう動作を子供のときから成長するにつれて覚えてって意識せず一人でできて当たり前のようになるわけですが、僕は大人になっても繰り返しそこに押し戻されるわけです。これはシーシュポス並みの労働だなと考えたりするわけですね。以上、肉体労働の話でした。

で、この4月、5月、ちょっとキャパオーバーになったっていう話に戻します。ヘルパーさんの入れ替わりの時期もあったので、新しい人を入れないといけないということで、さっき言った肉体労働をやりながら、同時に精神的負荷が加わります。

安心して体調を崩せない、利用者とヘルパー間の慣れとズレ、出会いと別れなど、肉体に加えてさまざまな精神的負荷がかかる

允翼:たとえば、今日も若干寝不足なんですけど、体調を崩したくても崩せないという強迫的状況です。つまり、さっき言った肉体労働を新しい人とやっても、最初から全部できるわけじゃないから、僕も元気な状態でないと教えられない。僕が体調悪くなっちゃうと、1個1個の動作の重さが上がるんで、そう簡単に体調も崩せない。

安心して体調を崩せないことの特に辛いのは、常に自分の体を気遣わないといけないっていうストレスと言い換えることもできます。そんななかで、たとえば日常の家事で、いま冷蔵庫に何があるのかとか、一応頭に全部入れておかないといけないし、今日の晩飯どうするとか、そういうことも考えて、指示を出しながら、 自分で勉強したり、みたいなことをやったりするわけです。

そうすると、もうずっと、今日1日どう過ごすかとかいま何時なのかっていう思考に追われますね。ずっと時計見た生活になっちゃうっていうのも結構大変です。あとは、ちょうど話に出た、勉強と研究。僕は修士課程で論文書かなきゃいけないんで、家事の指示出しながら同時に勉強して過ごすんです。本読んでると、ちょっと一旦自分から離れて勉強に集中できるんですが、でも、ルソーが言ってることのなかで、「皇帝は最も奴隷なのだ」とか「自分の腕がなくて、人の腕を添えないと生活できないものは最も不幸だ」とか、ちょいちょいこう、 自分の身に返ってくる文章を見ると、距離をとってもいられないことがままあって。

で、このスライドに書いてある「雑談」っていうのは、この目の前にいる介助者はどんな人なんだろうっていうのを、知るための努力を繰り返さないといけないっていうことですね。ただ介助のことをやってもらうだけじゃなくて、 相手が何考えてるかわからないと安心して身を預けられないので、相手を知らないといけない。

相手と話してるうちに、自分はこういうこと考えてるってこともわかったりするわけですけど、これもずっとやってるとやっぱりちょっと疲れるんだよね。そういうことが、新しいヘルパーさんが入れ替わりとかするときには結構なるわけです。

では、落ち着いて体を預けられるヘルパーさんになったら万事解決かというとそうもいかない。なんかこの人ちゃんとわかってないんじゃないか、みたいなズレが後から生じることもあって、やっと研修期間を終えて独り立ちというところで急に辞められちゃったりとか、あるいは、僕自身が不信感を抱いたりだとかという危機はなくならないのです。この危機の構造について考えると、ほんとに厳しいところがある。慣れを求めるんだけど、慣れるとそれはそれでズレが見えてきて別の問題が発生する。

こういうのも結構1人暮らしが長いので、5、6年やってると大体先が見えてくるようになります。そのことに慣れられればいいんだけど、そうもいかないからさらに辛い。

というのも、ヘルパーさんであれ友達であれ、新しい人と出会うこと自体が僕には結構しんどく感じられてくるのです。常に新しい人と出会わないと自分の道を切り開けない、生きていけないっていう強迫観念に追われながら基本的に過ごすことになる。しかも、いい感じで慣れてきたところで裏切られる危機が目に見えているというね。

これがなかなか辛いかなという風に思っています。でもその中に幸福、たまになんかすごいよくできる人とか信頼できる人に出会えるっていう幸福があって、同時にその幸福がめちゃ儚い。幸福が人生の大勢を占めることがない。だから帝国で言うと、本当に信頼できる総督やら参謀やら将軍やら宮女やらみたいなものともっと出会わないといけなくて努力すると、また疲れちゃうっていう、地獄のループみたいなのがあると考えています。

悠平:うん。

允翼:この延長で、帝国経営の視点という、今回のテーマに戻って色々書いてみました。この帝国経営の視点は改めて、伝統的な介助論とは違うんだなっていう風に思っています。つまり、介助者が利用者の手足になるっていう考え方ですけど、どう考えても介助者は手足にはなれないですよね。そもそも別の身体なので。さらに言うと、別の精神でもあるわけですが、1つの帝国を作るのに、協働しないといけないっていう部分で、やっぱそれはその単純な労働者と雇用者の契約にも回収できなくて、1つの身体を作らないと正直役に立たないと思うので、その辺は現状優位な契約論でも回収できない問題なんじゃないかなっていう風に思っています。

「帝国経営」の視点で重度訪問介護を捉える。一つの身体をつくるという不可能な野心、マネージメントの最終決定を担う自律と徒労、信頼と愛情が最初にあらねばならぬこと、「生きることのなりわい」(ルソー)を実践すること

允翼:で、マネージメントの最終決定は僕が皇帝として担うってことになるんですけど、皇帝はずっとこう、心労が絶えないわけですよね。で、ルソーは皇帝のことを主に念頭に置いて、「他人の腕を継ぎ足す者は不幸である」とか言い出すわけです。これは僕としてはなかなか痛いとか突かれてて、いつもこの箇所はちょっと心が穏やかで読めないですけど、でも今回、ちょっと自分の辛いことを言ってみようということで、「そうだ」って不幸を認めてもいいのかもしれないとちょっと思ってて。つまり、他人の腕を継ぎ足す者は生きててもしょうがないとはルソーは言っていなくて、この不幸を受け入れてさらに生きられるようにするみたいな、そう考えようとしてるようにも読みたいなっていう風に思っていて。最近の僕が考えてることですね。

で、なんかやっぱり、介助者とか友達とか、信頼できる人に身を預けるってことで言うと、その1番苦しいのは、最初に信頼とか愛情ができないといけないという無茶な構造です。普通に考えて、信頼とか愛情って一番最後に来るもの、つまり関係をつくっていって、最終的に信頼とか愛情がくるっていうことになると思うので、順序がなんかこう、反転してとは言わないけど、循環しちゃうような構造があると思うんですよね。

実はこの構造って結構子供の時から身に染みてるなと思っていて。自分の父親が、僕が保育園卒業するときに、小学校入るにあたって手紙をくれたんですけど、その手紙になかなかこう険しいことが書いてあって、読み上げます。

「君に望むのは、少し難しい言い回しですが、介助者を伴った自律的な人間となることです。
そのための本格的な第一歩がこれから始まります。君は自分がやりたい(やりたくない)と思ったことを周りの人に言葉で伝えればなりません。
それにどれだけの勇気がいるか、どれだけの恥じらいが生まれるのか、正直なところ僕も想像を絶しています。
でも、君が成人するまでの間、みんなで君を支えているから。何者にも臆せずのびのびと言いなさい。ただし、 他人を見下してはいけないよ」

允翼:って手紙に書いてあって。この手紙、この前発掘して読んで、「子どもに言うことがまずそれか」って思ったわけです。それにしても「とても想像できない」って親が正直に白旗上げているのが面白いですよね。

しかも、ややこしいのが、僕がやりたいことを阻害する人たちに負けないんだけど、他人を見下してはいけないっていうことを繰り返しこう、僕は子どものときから言われちゃっているわけです。最初に信頼とか愛情を要求するって、順番ひっくり返っているし、子どもに最初にそれを言わなきゃいけなかった父はどういうこと考えてたのかなって、結構繰り返し、今でも問われちゃうな。僕自身、今でも同じ問いをぐるぐる回ってるんじゃないかなっていう風に思っています。

そんな感じで最後、生きることの「なりわい」っていうテーマに入ります。障害のある身体を経営するのは不幸だし、やっぱり苦しいことだけど、死んだりしないで生きようっていうこと、どうやってその実践ができるのかっていうのを考えたいのです。

1つヒントになるかなって思うのは、僕は子どものときから三国志が大好きで、帝国経営というのも、ヨーロッパ帝国というよりは古代中国とかのイメージなんですね。三国志の帝国経営って言うと、たとえば曹操みたいに、王朝の権力に依って、皇帝を盾にして、合理的な統治をするっていうのも重要だということで、大人になると大体みんな敵役だった曹操に好意を持ったりするんだけど、やっぱり僕は子どもの頃に憧れていた劉備になりたいと思う。劉備は本当に何にも持ってるものなしに、いきなりパって信頼できる義兄弟と乱世に現れて、そのなかで何度も死にそうになりながら、人と出会って、人と一緒に国を作って、最後滅ぶっていうキラキラしたイメージがあります。そういう、歴史であると同時に、作られた(盛られた)物語になってる部分っていうのを、どういう風に自分は生きられるのかなって思ってみたりすると、生きることが多少大変でも、うん、やっていけないことはないって思ったりする。だらだらと喋っちゃったんですけど。一旦返そうかな。

悠平:はい。ありがとう。じゃあ、ちょっと休憩しててください。じゃあ、僕、1枚だけですけど。ちゃちゃっとね。うん。

「生に隣る」仕事としての重度訪問介護

悠平:なんか、イベントの告知文と言いながら、なんか結構、なんか長い文章書いたんですけども。あれ、 後でよかったら読んどいてください。それなりに、いい感じに書けたと思います。なんていうのかな、ケアの側面と、単純な労働の側面とがあり、それに加えて、いわゆるお金が発生する「仕事」っていうだけじゃない、お互いの人生への影響っていうか、うん、なんか、いろんなものが含まれている日々だなと思ってて。

さっきユニくんが出したように、介助職としての基礎動作、「これは最低限」ってのはあるんですけど、ただ、やっぱりなんか、個々人の得意とか、あるいは、特異性に応じて、利用者側が介助者を采配するってのもあるしで、もちろんそれは、全部理想的にってわけじゃないんだけど、なんとなくこう、お互いの得意不得意とかを踏まえて、あるべきところにこう、落ち着いていく部分もあるようです。それが僕の場合はひたすらデスクワークで、パソコンに向かって彼の論文執筆を手伝うっていう。僕、なんか自覚ないけどタイピング鬼速いらしいんですが(笑)。

基本、彼が言ったことをそのまま打ち込んでいくんだけど、「1回読んでみて、分かりにくいところあったら教えて」とか「ここら辺どう?」みたいに意見を求められたり、 ちょっとディスカッションしたり、編集的な観点で提案したりすることもあったりもします。僕はユニくんと専門は違うしフランス語も分からないので、彼の研究助手とか同僚研究者のような人たちとはもちろんスキルも役割も違うのですが、彼が研究するルソーや、ルソーに連なる思想や議論を「ある程度」は理解・共有できるので、単純なテキスト打ち込みプラスアルファの貢献ができていると言えるかもしれません。

で、この辺は割と、人によって違うっていうか、それは別に他の仕事もそうなんですけどね。案外、「介助の仕事」と聞いたときによくイメージされる、体動かして色々ドタバタと…って感じではない時間も少なくないです。それは「重度訪問介護」という、常時介助を必要とする利用者への切れ目のないサポートを目的とする制度が可能にしています。 たとえば、訪問入浴とか、訪問看護とか、訪問リハとか、他の訪問サービスだと、1回30分とか1時間とか、契約した時間に来て、そこで定義されるケアを実施して終わったら帰っていく、みたいなのが多いんですけど、重度訪問介護は1回のシフトが比較的長い。僕は5時間ですけど、長い人は1回で9時間、10時間とか入るし、夜勤もあります。その長い時間ずっと動いているわけではなくて、休憩(待機)してていいよーって時間もあれば、利用者と一緒に、ドラマやアニメ見たり、雑談したりっていう時間もあるわけですね。で、それも含めて「見守り」っていうことで、重度訪問介護においては「仕事」として定義されてるんですよ。というのは、洗い物してる時間とか、排泄介助してる時間だけが仕事で、それ以外は給与発生しません、みたいなことが、原理的に不可能だからです。痰の吸引とか、呼吸器の不調が起きたときの対応とか、本人の命に関わるケアがいつ発生するかわかんないわけだから、 待機して、いつでも対応できるっていうことが必要なので。だから重度訪問介護は「見守り」という名の余白時間も含めて、本人の生活全体をサポートする仕事だという設計になっています。

もちろん他の仕事にもそういう「余白」の時間がないわけではありません。昼休み1時間みたいにカチッと定められた休憩時間以外でも、みんなこそっと、なんかタバコ休憩行ったりとか、会議しながらスマホいじったりとか、うまいことサボってるとは思うんですけど(笑)、重度訪問介護の場合は、本人の「日常生活」に、部分的にではあれ、比較的長時間、かつ継続的に一緒に過ごすというのが、他の仕事と違うところです。この仕掛け、環境の違いによって、こう、なんか共にいることの意味合いが変わってくるというか…その、何か具体的な介助動作を「していない」ときにも、お互いの存在が影響し合うっていうか、もちろんそれは、利用者からすると、身体障害ゆえに、 「たった1人の時間」っていうのをほとんど持てないっていうことでもあるんだけども…。

そういう仕事なので、もちろん介助者が備えるべき基本的な倫理感や、守秘義務のような具体的な決まりがあって、それはとても大事なんですけど、一方で、同時に、お互いのプライベートな部分が、自然とこう、どうしても「はみ出る」部分がある。たとえばね、ユニくんがLINEとかインスタとかSNS使うときに、彼が見えるところにスマホを持っていって、彼の指示に従ってタイムラインをスクロールしたり、メッセージを開いたり、チャットを返したりとか「介助」するとき、もちろん僕もガン見するわけじゃないんだけど、否が応でも目には入ってくるわけですよね。

允翼:一応、語弊がないように言っておきますと。ヘルパーに見せるやり取りにも選択があって、業務的なチャットは悠平くんに打たせ、女の子には時間はかかるけど(スクリーンキーボードで)自力で返信するとかしてますよ(笑)

悠平:あぁ、そうだね(笑)そういうフィルタリングはありつつも、とはいえやっぱり、お互いのプライベートな部分がある程度「はみ出て」しまう面はある仕事で、たとえばこう、今回の亜紗さんみたいにね、共通の友達がいて、遊びに来てもらって、で、なんかこういう企画してみたりとか、 プライベートな繋がりから新たに何かが生まれていくってこともあるわけです。

あとは、そうね、 これも偶然なんだけどさ。ユニくんがルソーを研究していて、その中でも『エミール』を重点的に読んでいて、ルソーが教育とか子育ての話をしているわけですよ。週に1回、2回のシフトだから断片的になんだけど、彼と一緒にいる時間に僕もそれを「読む」ことになる。で、家に帰ったら我が家には6歳の娘と1歳の息子がいるんですね。別に子どもと関わるときに、『エミール』に書かれていることを何か具体的に実践するわけでも、常々意識しているわけではないんですけど、ユニくんの家と自分の家を毎週行き来するなかで、こう、なんとなーく、ちょっとずーつ、ルソーの教育観みたいなものが部分的にインストールされていく感じがしていて。だからといってそれで行動が変わるってわけじゃないけど、なんか、 子どもたちと過ごす中で、ふと思い出したりとか、考えたりとか、することがあります。それはもはや「仕事」の外側の、自分の人生とか、なりわいに染み出てく部分です。

允翼:うん。

悠平:あともう一つ。なんかこの業界っていうか、重度の身体障害のある人たちの自立生活に関わっていると、僕らより上の世代の先輩方、やっぱりどんどん死んでっちゃうわけなんですよね。いやもちろん、人はいつ死ぬかわかんないんだけど、多分、他の仕事より人の訃報が入ってくることが多い。直接会ったことのある人ばかりじゃないんですよ。でも、やっぱりこの領域の「マイノリティ」性ゆえというか、他の障害よりも当事者の母数も活動の担い手も少ないから、この界隈の有名人的な人には、けっこうみんな、テキストや口伝で何かしら接しているんです。で、そういう、会ってなくても会ったことある気になる人、みたいな人の訃報が、Facebookとか、 自立生活系の団体や大学の研究所のメーリスとかメルマガとかで流れてくるんですよね。そういうふうにして、直接・間接に誰かの死を見送りながら、まだ生きている僕らは、変わらず毎週一緒に過ごして、飯食って、うんこしてって、生活を続けるわけです。ユニ君の排泄介助しながらさ、「誰々さん、この間死んじゃったね」みたいな話をするという。

允翼:いやいやいや、うんこしてる時に必ずとかではない(笑)。食べながらやってもいいんだけど、食べながらだと口がいっぱいなので、 喋りにくい。勉強してるときは、亜紗先生も書いてたけど、僕は文章を自分で言いながら、どこが痒いとか、お水飲みたいとか、 それも言葉でやるので、もう、口がいっぱいなんだよね。なので、必然的に、誰かの話をするのはうんこするときぐらいしかないっていう。

悠平:なんかね、ちょっとした雑談するのにちょうどいいセッションなんだよね(笑)

允翼:うんこのときぐらいしか口が空いてるときがないという。

悠平:うんこする時間を進んで雑談の場にしているわけではないですね(笑)。そういうのも含めて「日常」として、なんかあるよね、ってことを言いたかっただけです(笑)。

最後にもう一つ。ユニくんのところで介助を始めてからの日々を「生に隣る」っていう題でエッセイにしたんです。他の支援職、医師やカウンセラーなんかは、クライアントと「向き合う」じゃないですか、多少斜めのときもあるかもしれないけど、まぁ基本、向き合って、体どうですか。心どうですか、みたいに聴いていく。それに対して、重度訪問介護の利用者と介助者の場合はですね、もちろん人によって多少の違いはありますけど、 特に僕とユニくんの場合は、なんかそのね、さっきの亜紗さんのイラストにもあるけど、隣るんですよね。厳密に隣じゃないかもだけど、こう、「同じ方向を向いて」過ごすっていうか、なんかその違いが僕にとっては重要で。カウンセラーは、30分とか1時間とかのセッションで、クライアントの抱える体や心の痛みを対象として治しにいくというか、単純化するとそういうお仕事だと思うんだけど、 重度訪問介護の場合は、「暮らし」に隣るのが仕事で。僕もユニくんも、なんかちょっと、お互いプライベートで、弱ってるときとか、なんか元気ないなってときがあれば、それを察してどちらからともなく話を振ったり、自分から「ちょっと話聞いてよ」って相談したりすることもある。

允翼:一応これも言っておきますが、悠平くんが泣くのが8割で、俺は2だからね。

悠平:それはどうかな、ユニくんもけっこう泣くよ(笑)

允翼:ぐぬぬ。皇帝は打たれ弱いからね。

悠平:ユニくんが泣いてるときはさっとハンカチで涙拭いたりする。僕が泣いてるときはね、 もちろん自分で拭きますけど(笑)。で、そういうときも別に、向き合って慰め合う感じではなく、ただ隣にいて、相手の顔じゃなくて部屋の壁とか天井とか、同じ方向をぼーっと見ながら過ごすみたいな感じです。

允翼:それは認めよう。

悠平:だからその、カウンセリングみたいにケアを主目的とした仕事ではなくて、日常生活に隣る仕事なんですね、重度訪問介護は、うん。でも結果として、それを別にお互い狙ってるわけじゃないんだけど、利用者と介助者の関係の近さとか一緒に過ごす時間の長さゆえに、結果的になんだけど、利用者だけでなく介助者もまた、介助され、ケアされ、救われてるっていうことは、多分にあります。ちょっといい話した?(笑)

そう、だから、なんていうのかな、今日のこの企画とかも、別に重度訪問介護の仕事じゃないわけですよ。3人の個人的な関係のなかで生まれた話なんだけど、でも、それは、重度訪問介護の仕掛けをうまく利用しつつ、ちょっとその外側でも遊ぶっていうか。

さっきユニくんが話していたけど、介助者である僕と違うのは、ユニくんはたくさんのヘルパーを採用しては育て、そして見送り、別れっていうのを繰り返しているわけ。でも、やめた人もそうだし、僕を含めていま働いている人もそうだだけど、シフト外のこういう時間も含めてさ、なりわいっていうか、介助者自身の生活にも、多分、彼と一緒に過ごす中で考えたことが染み出ていってるなとは思っています。

はい、こっからはフリートークで、亜紗さんお待たせしました。

允翼:ちゃんと投げてないだろうって気がするんだけど(笑)。俺もけっこう雑に喋っちゃったし。

亜紗:はい、お二人ともお話ありがとうございます。 なんだろう、めちゃくちゃ話が逆じゃないですか。

全く逆の話をしてて、もうYESとNOぐらい違う話をしてて。そう、当たり前だとは思うんですけど、ある意味では、なんかここの逆向きで、噛み合ってるとも言えるけど、すごいずれてるような感じも…ずれてるんじゃないんですけどね、なんか全く違う話を二人がしているような感じがして、それが面白かったっていうか、感想なんですよ。

どういうことかって言うと、単純に「介助者」である悠平さんは、なんか労働と生活の、そうは言っても切れ目があるわけですよね。で、切れ目があって、労働の中でのある種の財産みたいなものが、労働の果実みたいなものが、生活にこう使われていくっていう関係じゃないですか。それは経済的にもそうだし、ルソーを読んだこととかが生活の方に使われていくっていう関係ですよね。

でも、ユニくんの方は帝国主義なので、基本的に常に拡大していきたい。この前、実際にその新しい介助者の研修をやるのを見たときに、こんなにあの、「(帝国っていうのは)メタファーじゃなかったんだ」ってことを実感したんですよ。その前に一度インタビューをしたときには、ユニくんが皇帝だ皇帝だっていう話をしてて、 いや、ちょっと皇帝って言葉強すぎるなって思ってたんですけど。

で、私が原稿の中で「ちょっと皇帝って表現は強すぎるから、王様ぐらいに変えたら」って提案したら「いやいやここは皇帝にしてくれ」って直されて帰ってきた(笑)、ていうぐらい、なんかそのなんていうか、強めのメタファーとして、皇帝とか帝国主義っていうことを言っているのかと思ったら、実際に研修プラスその前後とかを見ると、いろんなその、細かいスケジュールとか、どこをどう持って抱っこするとか、ものすごい細かい、マイクロマネジメントみたいなレベルでユニくんが仕切ってたわけですよね。
で、その仕切りの量が半端なくて、本当に「経営」だなって思ったし、来週のヘルパーさんのスケジュールがどうなってるとか、そういう細かいとこも全部頭に入ってて、その調整をしてたと。で、なんか、そんなことまでやってるんだっていうのが、けっこう恥ずかしながら衝撃的で、これは大変だなって思いました。

だから、常に、なんていうか、想定外のことが起こりうるなっていうか、さっきの、その、帝国が大きくなればなるほど弱いって話 なんですけど、たとえば、Aさんていうヘルパーさんが急に来られなくなったときに、そのBさんのことを常に考えながらAさんに入ってもらうとか、そういうすごい具体的かつ事務的なレベルで、常に、予備というか、多分考えながらやらないと生活が回らなくて、で、しかも、その「外部」がないって言うんですかね、休日がなくて、もうずっとじゃないですか。生まれてから死ぬまでずっとその外部がない。その状態を生きてる。

ユニさんにとっては、なんていうか、その生活と労働の区別がないってことは意味が多分違うというか、つまり、生活も、常に労働の資源になっていくっていうんですかね。たとえば、なんか友達として会った人でも、この人は潜在的な介助者かもしれないって見るわけじゃない。

原稿の最初にあった私の体を「スキャンする」っていうことですけど、生活として、友達として会ってるはずなのに、なんかそれが介助の可能性として、なんか計算ずくで、なんていうか、生活を見てくことにやっぱりならざる得ないですよね。

で、そうなったときに、なんか外部がない、やっぱり全面労働化みたいな状況の話と、その悠平さんの、こう、境界がやっぱある前提で、むしろその労働の果実が生活の中に、生活を豊かにしていくっていう話は、すごい逆だなって思ってて。

允翼:俺も今日は、いかに自分が不幸で大変かっていうのをちょっと言ってみようと思って強調した話し方になっている部分はあります。いつもそんな「この人は労働資源になるかな」とか計算ばかりしているわけじゃないぞとは言っておきたいんですけど(笑)

亜紗:そう、だからすごくコントラスト際立たせて話していたし、もちろん二人が大事なものを共有しているのはわかった上で言っているんですけど、 今日のその、ユニさんの立場として、一番しんどい場所から話すっていうことだったと思うので、そういう意味で、なんかこう、この二人が「なりわい」みたいな言葉で出会えるのかっていうのが、ちょっとわかんないっていうか。

悠平:確かに。

允翼:あーなるほど。

悠平:このイベントタイトルは、ちょっとキャッチコピー的に3要素を並べて置いてみちゃったところもあります。それで今、亜紗さんにいい問いを投げ込んでもらったなと。それぞれ別々にスライド用意して話したのがコントラストになっていて。

で、それは確かにそうで…結局どこまで行ってもお互いの体は替われないので。

允翼:そうそう。

悠平:今日もね、偶然自分の息子がちょっと咳ひどくなって病院に連れてったんですけど、小さい子どもと一緒に暮らしていても思います。僕は発達と精神の障害がありまして、ユニ君にはよく「三級障害者」ってマウント取られますが(笑)。

允翼:言い方に語弊しかないんだけど(笑)今日はまじで、帝国主義とかさ、障害者に序列つけたりとか、俺大丈夫か…?(笑)

悠平:でね、何が言いたいかというと、やっぱり…いや心の病でも、人はね、死ぬことはある、あるんですよ、その、自殺とか。でもユニくんもそうだし、ちっちゃい子どももそうなんだけど、 肺炎とかさ、呼吸のちょっとしたエラーとかが、子どもや重度身体障害者にとっては命とりなわけです。僕もちょっと風邪引いたり心身症状出たりして咳き込むことはあるけど、自分の生命を脅かすほどのリスクではない、その違いはやっぱり大きい。僕は誰とも体は替われないし、その意味では、別々のなりわいを生きているんだけども、なんていうのかな、日常のいろんなとこで思い出すんだよね。別にそんないっつも「今、ユニくん大丈夫かな!?」って考え続けてるわけじゃないけど、生活のどこかに、 子どもたちもそうだし、ユニくんもそうだし、さっき話したような他の病気や障害で先に死んでいってしまった人たちもそうだし、これまで出会ってきた色々な疾患、障害、身体を生きる人たちの、僕とは違う体や呼吸というものが存在として大きいというか。

たとえば、新型コロナのときも盛んに、基礎疾患がある人はワクチン優先ですというアナウンスがされていて、同じ病気でも相対的にリスクが高い人低い人がいてっていうことを、みんな知識としては知ったと思うけど、それがなんか、僕にとっては、体は替われないけど、非常にリアルなわけですよ。本当に、ちょっとなんかあったらあっさり死んじゃうっていう、そういう体を生きてる人が、僕のとてもそばに、日常の一部分として、いるってことは、それは大きいですよね。なんか、わかんないよ、子どもやがて大きくなったりとか、ユニくんのヘルパーの仕事を終える日とかが来ても、多分、ここで染みついてる僕の感覚は、そうそう抜けないだろうとは思うな。なんだろう、うまく説明できてるかわからないけど。

允翼:今の話、引き受けて話します。感染症なんかわかりやすい例だけど、俺にウイルスを持ち込まないためには、悠平くんも体調に気をつけてもらう必要があるんだよね。だから、俺が体を拡張しようとすると、俺自身が常に自分の健康に留意しなきゃいけなくなると同時に、悠平くんも自分の体に気を遣わなきゃいけなくなり、さらに悠平くんのお子さんとか、悠平くんの周りにいる人たちもウイルスをもらわないようになるべく配慮してもらって…という感じで、拡張していくんだよね。これは弱点と言えば弱点なんだよ。最初に一歩、関係を踏み出しちゃった瞬間に、そこからこう、ふわっと広がっちゃうんです。でもやっぱり、そうしないと僕は実際生きていけないので。悠平くんがそうやって気遣ってくれてるのは、僕は助かっている。

やっぱり信頼できるヘルパーさんと「ひとつになる感覚」っていうのがあるなと思うのは、たとえば、俺の食べ物やお酒の好みを知ってくれている人が、なんかスーパーで撮った写真を急にLINEで送ってきて「こんなん見つけたんだけどいる?今度差し入れするよ」みたいなこと言ってくれたりするのよね。こういうのは信頼するヘルパーさんとの間でしか起こらないし、やっぱり、このヘルパーさんとはちょっとうまくいかないだろうなっていう相手は、そういうちょっとした情報が来ないし僕も送んないんだよね。そういうこともあるから、弱点が広がれば広がるほど、さっきお父さんからの手紙のくだりで話した、人間関係における信頼とか愛情みたいなものも生まれるんだとも言える。でもそれって、不幸なところに自分から首を突っ込まないと幸福は手に入らないんだっていう話にもなってしまうんですよね。

亜紗:体が際限なく拡張してくっていう話、感染症とかも考えると、確かにそうだなって風に思ったんですけど、なんかちょっと思考実験的に別のオプションのことも聞いてみたくて。たとえば、皇帝と資源を共有している人、利害関係を共有している人がいたらどうだろうとか。単純に言うと、たとえば悠平さんとユニくんが結婚して、財布は一緒になった場合、それは象徴的な意味での財布ね。どっか出かけようってなったときの調整とか、それに必要なヘルパーさんのリソースとかも含めて、二人で利害関係が一致してくるじゃないですか。なんか、そうなったときに二人の関係はどう変わるのだろうと。

あとはなんでしょう。私この3年半ぐらい、盲導犬を亡くした全盲の友達と一緒にPodcast毎月1回か2回やってて、もう40何回やってるんですけど、盲導犬ってやっぱりすごい特殊な存在で。なんていうのかな、 ある種の人間的な、ストレートに言うと打算みたいなこととか、なんかさっきの信頼が先に来なきゃいけない感じとかね、そういうのも含めて、人に「裏切られるかもしれない」っていう可能性を、対人間の場合って常に考えなきゃいけないじゃないですか。それがもうなんかすごくしんどくなっちゃって、で、盲導犬を使い始めたら、そういうことないわけですよね。基本、裏切るってことはない。もちろん失敗とかはあるけれども。その盲導犬とずっと一緒にいるっていう、本当に一心同体みたいな感じで、身体的にももう一体化してたと思うんですよね。そういう「私と盲導犬の安定した世界」みたいなものを十何年ずっと生きてきて、その盲導犬が死んでしまうっていうことは、もうめちゃくちゃ大きいことなわけで、人間のその信頼の世界をまたやらなきゃいけないみたいな辛さがやっぱりすごいある。なんか、そういう話をね、この3年半ぐらいずっと聞いている。

さっきは二人が結婚するっていう想像だったけど、たとえば、なんか別の動物が介助してくれるとか、そんなのできる人いるのかわかんないけど、ロボットとかもあるかもしれないけど、人間的な信頼とか、お父さんの手紙に書いてあったようなことを前提としないような存在っていうのがいた場合はどうだろうかと。その2つを想像するとどうなるのか、ちょっと聞いてみたいなと思いました。

允翼:まず、結婚とかして利害関係ができたらどうかっていう話の方から答えましょうか。そもそも重度訪問介護ってバイトでもできる仕事なんだよね。たとえば、就職してなくて、他にまったく仕事がなくて、時間だけがあるっていう人が俺の介助に入りたいってなって、やってみたらそれなりにできるし、俺もじゃあこの子が良いわってことでたくさんシフトに入ってもらうとどうなるか。今までも実際にそういう状態になったことあるんだけど、僕はその人のお財布を握ってるわけね、でも逆に、僕は彼に命を握られているわけ。さっきの結婚とはちょっと違う例ではあるけれど、こういった介助者と被介助者の利害関係というのは、実はそんなに新しい問題ではないかなって思います。

ある利用者と介助者がいて、二人は性別が違うので異性介助に当たるんですけど、介助者として長く関わってから本当に恋愛関係になっちゃって、でもその後、身体介助のあり方で揉めてしまい、最終的に殺人事件になっちゃったっていう話があります。僕も、何かの記事でインタビューされてコメントしたことがあるんだけど、やっぱりそういうことって絶対起こりうるリスクだし、今までも起こってきたリスクなんです。家族介助ではダメだって障害持った人が運動して制度化してきたのも、やっぱり関係が密になりすぎると危ないからなんですよね。

新しい人と出会って領土を拡張していくのは、自分で不幸を生み出すようなものだってさっき僕は言ったけれど、一方で、やっぱり新しい人を入れていかないと危ないっていうのはあるんだよね、本当に。まずひとつこれが、利害の話への返答になります。これは別にそんなに難しい話ではないし、思考実験ではなく 実際に起こっている、何度も起こってきた問題だと思っています。

次に犬とかロボットの話。これはダナ・ハラウェイさんが言っている伴侶種の概念に繋がる、要するに、種が違っていてもコンパニオンを形成できる伴侶をどう考えるかっていう問題ですよね。これは僕にとって前人未到の問題で……俺の介助、少なくとも犬はできないかな、だって抱っこしなきゃいけないから。犬は4足歩行なんで、抱っこできないです。じゃあAIを搭載したロボットならどうか。完全に僕に最適化された介助ロボットが出てきたときに、僕は人間を選べるかっていうことでしょ。うん……ちょっと自信ないかもしれない、今の精神状況だったらというのもあるけど。一人暮らし始めたばっかりでまだ人生の大変さを知らなかった頃とか、あるいは勉強があんまりキツくなくて心に余裕があるときだったら、は、「いや、人間を選ぶんだ」って強がったと思うけど…うんと、今の状況を抱え続けることがあんまり長く続くようだったら、俺、誘惑に負けない自信がない(笑)。

誘惑に負けない自信がないって言いつつ、僕はあんまり「人間じゃないもの」に期待していないんだろうか。僕はやっぱり、すごい言語的というか、言葉と情緒でできた人間で、 言葉と情緒を共有できないと無理っていう脅迫観念がある。それが実は僕の弱さだと思う。…っていう回答で、とりあえず。

悠平:ロボットとか盲導犬とか、「非人間」の裏切らなさっていうのは、心理的なコンフリクトのリスクがないということ、もう一つは、ロボットがその最たるものですが、業務のクオリティにブレが生まれないことですね。人間の介助者だとね、なんか疲れとか不慣れとか、そういう要素によってブレが起こりやすい。

結婚とか利害関係の話は、今もユニくんの回答を聞きながら考えていたんですけど…介助が今のように「制度化」されていなかった時代は、介助は「家族」に閉じていたんですよね、元々。選ぶ余地なく家族が介助者になり、それによっていろんな問題が起こってきて、それではダメだという障害者運動があって、徐々に制度化されて、「労働市場」に開いていったというのが、歴史的な流れとしてあります。ただ制度化がなされた現代であっても、個人レベルでは同じタイムラインを辿るんですよね。先天性疾患であれ後天的な障害であれ、制度の利用申請をして支給が下りて、さらにそこからヘルパーや事業所を見つけて契約して、実際に介助に入ってもらうまでの「リードタイム」は、やっぱり家族とか親族が介助の担い手となっていて、そこから徐々に非家族が入っていくという流れになります。

さっき、亜紗さんから思考実験的に出されたのは、労働として入ってきた介助者と、職場結婚じゃないけど、家庭も共にするみたいな逆の流れが起こったとき、どういうことが起こるだろうということですよね。

たぶん、それはそれで何かしらの変化はあるんだろうけど。でも、さっきユニ君が例に出したような、他に仕事なくて時間があるっていう子がめっちゃ働いていて、ユニくんは財布を握り、彼は命を握りっていう状態は、結婚ではないんだけどかなり強い利害関係ですよね。一回その状態になると、彼が急に「辞める」っつったら、ユニくん困っちゃうんだよね。生きていけなくなる。

允翼:そうなんだよね。そうそうそう。辞めなかったとしても体調悪くなる可能性はやっぱあるし、欠勤時のフォローアップ体制も弱くなる。だから、いろんなリスクがあるわけ。

悠平:夫婦とか親子とか「家族」というユニットであっても、破綻・解散が起きるときは起きますからね。そりゃ「バイト明日やめます」ってほど簡単には起こりにくいんだろうけど。家族であれ、労働契約であれ、「なんかあったときに困る」っていうリスクが常にあるっていう意味では本質的には一緒だと思います。

「帝国経営」の話に戻ると、たとえば僕はいま週1で入っているんだけど、週1しかシフト入らない人ばっかりだと、それはそれでマネージが大変なんですよね。ユニくんも他の利用者さんもそうだろうけど、介助が本職っていうか常勤の人、夜勤とか含めて週3,4回長くシフト入っている人と、僕みたいな非常勤の人と、バリエーションをもってチームを組んでいると思う。実際はなかなか人が見つからなくいとかで、そうそう理想通りにはいかず、苦みなさん慮しながらだろうけれども、基本的な構えとしては、あまりに細切れシフトの人が多すぎても、それはそれで大変だし、さっきのような、財布と命握るぐらいの超長時間の人が1人2人しかいないとかだと、それはそれでリスクが大きいみたいから、全体でバランスをとっていく、リスクコントロールしていくということだと思います。家族介助で家族しかいないというのも、重度訪問介護で長時間の人が少数しかいないというのも、平時は安定感があったとしても「何かあったとき」のリスク、抱えてる爆弾みたいなのが、その分大きくなる。

允翼:あと、家族がいると行政が出す重度訪問介護の支給時間数が減るっていうのもあるね。

亜紗:なるほど。なんか、なんていうのかな、ちょっと違う例を出して質問すると、私いま会議の研究をしているんですけど、その会議の研究の中で、少し前に2人にも話したかな、重度の知的障害がある人の通所型福祉施設の会議に行ったんですね。で、その会議が、すごい独特で、何が独特かって言うと、絶対に結論を出さないっていう会議なんですよね。結論出たかなって思うと、誰かがそれをはぐらかすみたいな、いや、そうは言っても、多分、自分はその通りやんないっすねみたいな、なんか、何かが出来上がると、絶対壊すっていう、もう、その繰り返しなんですよね。で、なんでそうなるかっていうと、やっぱり重度の知的障害の方たちの介護をしていると、その、ユーザーさんが何を考えてるのかっていうのの「正解」を決めてしまうことが1番危険だっていう意識がある。

一応、なんか制度的にはそれぞれのユーザーさんの「担当者」に当たるスタッフがいるんだけど、その人だけがユーザーさんを見ているっていう状況をつくらないようにしてるんですよね。みんながその人を見てて、みんなが様々にこう解釈してるみたいな、そういう世界で、たとえば何かを叩くっていう動作が最近多いみたいなのがあったとして、どうして叩いているのかっていう理由を、その担当者が「外出したいからなんです」っていうだけで終わると、それが1番やばいから、いや実はそうじゃなくて、ただ音を楽しんでるんだよとか、いろんな解釈が可能な状態を保つために、会議が常にひっくり返されるっていう、もうなんかそういう文化になってるんですよ。それがすごく面白いし、示唆的だなと思ったんですけど、なんか、ユニさんの場合、そういう「謎」ってなんなのかなっていうのが結構わかんなくて。私、体の研究をずっとしていて、やっぱ体ってこう謎なんですよね、本人にとっても。なんでそうなっちゃうのかよくわかんないみたいなことが色々あって。で、謎だからこそずっと考えられる面白さがある。なんかその謎を介して他の人と繋がったりみたいな、けっこう本人の制御の外側でいろんなことを起こしてくれるみたいな、なんかそういうところがこう、 体の面白さだなっていうふうに思ってきたんですけど、ユニさんは私の理解に当てはまらないんですよね。

允翼:うんうん。

亜紗:全てが明晰に、少なくとも見えるから、こう、全てが分かっていて、それを命令として出して、お父さんの手紙にあったみたいに、自分のしたいことっていうのを言語化して、で、その通りに人を動かすっていう生き方、すごい単純化するとね、なんか、そういう風に見えて。もちろん、いろんな偶然の要素とかをすごい楽しむ人だってこともよく知ってるんですけど、でもなんかその、謎みたいな部分が……謎っていうのはちょっと違うのかな、なんか、ユニさんすらも理解できなくて、でもだからこそ、解釈の可能性が開けて、みんながそこに参入できるようなもの。謎だからこそ、共有資源みたいなコモンズ化するというか、その、帝国におけるコモンズとはみたいなこと、なんか、それがけっこう見えなくてちょっとごめんなさい、抽象的にしか聞けないけど……。

允翼:いや、もうすごい、なんだろう、ぐいぐい来たよ、今のやつ。その「謎」がないから、僕には逃げ場がないんだよね。

亜紗:うん。

允翼:謎がないから不幸なの。謎がないことで見出される答えは、ただ不幸だっていう。で、不幸である闇の中に飛び込んでいって、希望があったら生きられる、なかったら死ぬっていう、生きるか死ぬか、希望か不幸かの現実があるだけっていうのが、いま自分で認識している状況。

共有できる謎、コモンズがない、少なくとも自分で認識できていない。つまり、なんだろうな…こういう言い方は語弊があるから気をつけなきゃいけないんだけど、僕もその、知的障害ある人の会議は謎があっていいなと思うし、自分もそうだったらいいなと思うんだけど、それはやっぱり、彼、彼女が何を考えてるのかっていうのを表現できないから、周りが考えられる、考えようとする人が周りに集まるっていうことなんだよね。

亜紗:うん。

允翼:僕はたぶんその逆で、僕が帝国主義的になればなるほど、僕の周りに来る人も、明示的な言葉でしかやり取りできない人に限られてくるんだろうな。で、だんだん僕自身も辛くなってくる。自分で求めた結果なんだけど、不幸な形でしか返ってこないっていうね。

うん、これはもう、自分が置かれてる苦しみの正体を1つ、亜紗先生に言ってもらったなっていう気がする。俺が言語化をやめればいいんだよね(笑)。でも、それをやめるためには、「自分で生きる努力」をある意味で諦める必要がある。努力なしで生きられるって、多分相当すごいことで、そうなれたらいいなとも思うんだけどね。本当は曹操じゃなくて劉備になりたいんだけど、実際はどんどん曹操みたいになっちゃうっていう話と、なんか通じてる気がする。

悠平:うん。劉備はそんなに明晰に言葉をバシバシ駆使する人じゃなくて、なんかちょっと抜けてるというか、謎とか余白のある感じがたぶん人を惹きつけていて、曹操はそれと対照的に描かれている印象がある。

亜紗:でも悠平さん、割と他人の謎とかコモンズに飛び込むの、得意じゃないですか。

悠平:なんだろう…いや僕、ある意味で他人に興味ないんだろうな、なんか謎っていうか、自分で何かしら、ちょっと面白がれる問いとか気になるポイントがないと人生に飽きちゃうんだろうなと思って、多分、自分が面白がるために意識して探しにいってるところはあるかもしれない。

亜紗:うん、そういうところはあるかもね、うん。

悠平:さっき例に出た知的障害のある人、言い換えれば、自ら論理的な言葉―ロゴスを使って書いたり話したりしない、あるいはその度合いが極端に少ない人たちというのがいて、ユニくんは対照的に、言語で世界をつくっている人で、研究者としての仕事はもちろん言葉を遣うし、 自分の介助者を見つけて生活を成り立たせるためにも、自分の体やニーズについて言葉にして伝えていかなきゃいけないし、それは、なんだろう……ユニ君がこの体で生きていて、重度の身体障害はあるけど言語障害はないという体と結びついた生き方っていうかさ、なんかあんまこういうときにね、「身体性」とかマジックワードをあんま使っちゃダメなんですけど、「この体を生きている」ゆえに、選ぶと選ばざるとに関わらず、こうなってるっていうユニくんの生き方があって、それがやっぱり、相対的な謎の少なさ、自分の自覚としても周囲の印象としても、謎、コモンズの少なさっていうものに行き着くんだろうなと。それが、この体を生きるある種の「不幸」ってユニくんは話したけど。

允翼:いま修士論文やっててけっこう精神的に辛くなっちゃうのもさ、やっぱり謎を謎のまま楽しむんであれば修論にならないし、謎を解明して書かなきゃいけないからで、明晰にしろ明晰にしろってめちゃくちゃ言われるわけ(笑)いやもう、そういうのうんざりなんだよなっていう気持ちも本当はある。

亜紗:うん。

悠平:それ(修論)をしながらさ、介助者の採用・育成に関しても明晰に言語で指示とフィードバックをしてマネージする日々っていう、もう常に言語化し続けなければならないしんどさがあるんだよね。

允翼:うん、だから悪化しちゃうわけ。もう、それ(言語化)以外のものを、やっぱ作らなあかんなっていうのは、今の亜紗先生の話を聞いてマジで思った。

亜紗:うん、うん。

允翼:じゃないと死ぬなって。

亜紗:うん。

允翼:ただ、死ぬなと言いつつも、やっぱり帝国っていう喩えが効いてくると思う。つまり、中心で何も言わない皇帝って暗君じゃん?ぶっちゃけ愚君じゃん?暴君はダメなんだけど、愚君もダメなんです。 名君以外には帝国は維持できないんですよ。しかも、皇帝が名君だったとしても、 名参謀がいて、名将軍がいて、名総督がいてって、周りに良い人が揃って初めて栄えるわけじゃん。

それ以外に生きる方法がないのは、やっぱりしんどいなって思いもするけど、言語で指示を出すのは、帝国経営を安定させるために必要だからね。空中分解しないようにしつつ、「空中分解してもいいんだ」って、 どっかで思わないとダメなのかもしれないけど……

亜紗:そうね…まぁでもだからこそ、なんか、あれなんだよね、ユニさんの、こう、体をね、デッサンするのは、すごい醍醐味なんだよね、ある意味(笑)なんか、なんなんだろうね、謎ではないんだけど、ある種、本人の非言語的な表現が体にはある気がしてて。表現してるつもりはないかもしれないけれども、なんか、物理的に存在するだけで、いろんなものを表現しちゃうっていう。

允翼:うん。

亜紗:体が表現してるものっていうのがあると思ってて、それをこう、デッサンすることで、なんかちょっと味わえるっていうか、その体との対話ができる、感じですよね、それは。だから、すごい醍醐味がある。他の人のデッサンするよりもすごい面白い。実は本人の制御下にないものをこっそり見ちゃってる感っていうか、なんか、うん、背徳感みたいのがね、ある(笑)

允翼:皇帝の知らないところで、財務状況やばいなって気づいている財務官みたいな、そういうことね。いや、やっぱりね、もうそれはね、他者を信頼してこそなんだ。やっぱり僕は言語的にしかコミュニケーションができないので、他の人にやってもらうしかないかな。もうそこは亜紗先生に、僕は委ねようと。

悠平:なんかその、皇帝のすごい近くで一心同体みたいに支える古参の大臣がいる一方で、なんかちょっとたまに来て変なこと言うやつみたいな、帝国の中にも色々いるわけじゃん。

允翼:預言者とかね。

悠平:そうそう、たまにちょっと斜めの球投げ込んでくるやつみたいな。多分、そういう役回りの人も含めてなんかポートフォリオを組んでいくっていうことなんだろうな。言語である程度明晰に説明でき、描写でき、統制できるものはしちゃうと。ユニくんはそれができるし、そうしなきゃ生きていけない面もあるから、さっきの例の知的障害の人と比べると、相対的に謎が少なく思えるけど、でも、どれだけ帝国の領土が拡張しても、常に「フロンティア」はあるわけじゃない。毎日不確定なことばっかだと、やってらんないと思うけど、言語でコントローラブルなものはコントロールしつつ、今回の亜紗さんみたいな人にたまにちょっと新しい球を投げ込んでもらえるような、そういうネットワークを組むのが処世術なのかもな。

允翼:精神科医の北山修が人生には「楽屋」が必要だって言ってたと思うけど、いま俺、本当に楽屋必要だと思うし、皇帝だってさ、常に玉座に座っているわけじゃなくて、寝室に引っ込むわけじゃん。いつ刺客が来るかとかいつ毒盛られるかとか考えてた人もいると思うけど、でもどっかで休まないと皇帝も死んじゃうわけで。一方でさ、神話的に描かれる皇帝、常に玉座に座ってて常に全てを見てたみたいな、バケモンみたいな皇帝もいるわけじゃん。なんか僕は、そのどちらにも憧れちゃうところがある。それは不可能な企てだと知りつつも。

悠平:ちょうど10時だ。

允翼:うん、そうですね、

悠平:じゃあ、話はそんな感じで、おまけ資料だけ最後にみなさんにご案内です。よかったら買ってねっていう、僕とユニくんが対談した本があります。『介助とヒーロー』。亜紗さんはたくさん本を出してるんですが、介助の話が多いの『手の倫理』をご紹介です。あとはね、3人のWeb記事も色々貼っときます。Youtubeの概要欄とかに貼っときますが、 今日の話を面白いなーと思ってくれた人は副読本的によかったら読んでください。

亜紗:『介助とヒーロー』の中にもなんか、「プライベートとパブリックを分けるのは健常者の怠慢だ」みたいなこと書いてあるんです。すごいこと言うなって(笑)。

允翼:いやぁ、それ今より俺に余裕があったときだからそんなこと言ったんだけど、怠慢な時間、俺にもちょっと必要だよって今は言います(笑)

悠平:当時はキレキレでしたね。

允翼:そうですね。なかなかヒーローになるのは容易ではないねって話よね

悠平:そうだね、それもちょっと、変化だよね。

允翼:でも、やっぱりヒーロー好きなんだよね。つまりね、ヒーローはそこ(プライベートとパブリック)を分けないし、24時間休みなくヒーローであるっていうこと。現実の中でどこに希望を見い出すかっていうと、やっぱり劉備とか、神話の時代の皇帝とか、ヒーローとか、もう本当に「作り物」の世界だよね。その作り物に自分がなったらいいんだっていう風に思ってる節、やっぱりあるんだよね。

悠平:もうやめたいと思っていながら、それでもね。で、現実の終わりなき経営の話になりますが…絶賛介助者募集中です。特に、日勤が足りてません!

允翼:水曜日募集中だな

悠平:水曜とか金曜とか。うん、いま僕一時的に週2で入ってるんですけど、 週1に戻れると嬉しいな、みたいな。はい。都内在住でちょっと興味ある方いたら連絡ください。い僕のように週1の人もいれば、常勤だったり、複数の利用者さんのところに掛け持ちで介助入っていたり、色んな働き方の人がいますが、楽しいですよ、はい。

允翼:俺からはなんとも言えないというけど、帝国だよっていう(笑)。

悠平:そうだね(笑)

動画を見て興味を持ってくださった方向けのおまけ資料&宣伝

本:

鈴木悠平・愼允翼『介助とヒーロー』https://www.amazon.co.jp/dp/4991340411/

伊藤亜紗『手の倫理』 https://bookclub.kodansha.co.jp/produ...

3人のWeb記事いろいろ

亜紗さん→ゆうへいインタビュー https://asaito.com/research/2019/01/p...

亜紗さん→ゆにインタビュー https://asaito.com/research/2023/11/p...

『あさひてらす』亜紗さん連載、「一番身近な身体ー第四回 帝国主義者のまなざし」 https://webzine.asahipress.com/posts/...

鈴木悠平 「生に隣る」 https://awai.jp.net/blog/seinitonaru

愼允翼 「守護神と原風景」 https://awai.jp.net/blog/yunik20230929 https://awai.jp.net/blog/shinyunik-pr...

重度訪問介護のヘルパー募集しています。ご興味のある方は、お気軽にご連絡ください。 https://awai.jp.net/contact