今日は久しぶりに仕事でインタビューを。「仕事」で、というのは、話をただ聞くだけでなく、構成・執筆・編集・校正といった後工程を経てアウトプットすることを前提にしたインタビューという意味だ。
仕事でなくとも、誰かと一緒に時間を過ごして話を聴く、対話することはいつだって一回きりの生モノであり、それゆえにおもしろくもおそろしいものであるのだが、やはり「仕事」でインタビューをすることには別種の醍醐味がある。インタビュアー(わたし)とインタビュイー(あなた)の二者で話しながらも、その話(をもとにした物語)を第三者に公開すること、その場にいない、自分たちと繋がる「読者」の姿を想定し想像して聴く/話す/書くこと、しかもそれを一定の枠(企画の切り口、インタビューできる時間、原稿の納期、掲載媒体のレイアウトや字数制限など)のなかで行うこと、といった種々の制約があるからこそ語られる、語れるようになることがあるのだ(もちろんそれゆえに語られない、語れないことと表裏一体である)。
それまで、インタビュイー本人によって、あるいは別のインタビュアーによって既に書かれた、語られたものから読み取れること、覗えることを踏まえて、いま、わたしが、この人にあえて、改めて、何をどう聴くか、事前の依頼メールで趣旨や想定質問をどの程度どのように書くか(書かない、書きすぎない、削ぎ落とす判断も含めて)、といった「事前」のあれこれも含めて自分の仕事である。自分が相手のため、読者のために、想像・想定できることはしようと努めるのだが、それがうまくいくかどうか、相手にとって良かったかどうかはわからないが、どうあれ、相手の貴重な人生の時間を分けてもらうことなので。
などと言ってみるが、やれることをやったうえで、抑えられることは最低限抑えたうえで、結局のところ本番一回きりの出たとこ勝負(勝ち負けではないのだが)なわけで、当日お会いしてご挨拶と自己紹介をし、取材趣旨を改めてご説明し、次のご予定(≒インタビューのお尻の時間)を確認し、という導入の時間のちょっとした緊張感、交わされる言語・非言語情報を通してお互いに形成される第一印象、録音ボタンを押してからの第一投、第一声、そこから話が段々と生成し展開していくプロセス―順を追ったり遡ったり、接続したり切断したり、寄り道したり立ち止まったり、積み上げたり飛躍したり、といったプロセス、はやはり楽しい。
それは、考えると同時に味わうことであり、確かめると同時に驚くことでもある。
録音ボタンを切るか切らないか、あるいは切った後の雑談、こぼれ話もまた面白いのだが、もう少し話したいな、聴きたいなというところで(願わくば相手もそう感じてくれていると嬉しいが)インタビューを終えるぐらいが良いのだろうとも思う。
オンラインでもインタビューはできるのだが、その人の生活や仕事の場にお邪魔して、机や道具の配置とか角度とかを見せてもらいながら話すからこそ見えてくること(直接話さないにしてもそれらを視界に入れながら感じ取れること)がある。その日の天気とか、お互いのコンディションとか、現地に到着するまでの時間とかも作用する。生モノ、だ。
今日は雨だった。心地よい雨だったな。