こないだ、私とツマがリビングと台所で夕食の片付けや明日の支度やらをしていたときに、ねえねとぼうやが和室で何やら二人で遊んでいて爆笑しているのが聞こえてきた。
「子ども二人だけで遊べるようになるの、思ったより早かったね」とツマ。
しばらくしてからねえねが台所までやってきて、さっき二人で何をしていたのかを私たちに教えてくれようと話しはじめたのだが、それを聞きつけたぼうやも駆けつけてきて、笑いながら指を立てて「しー!」と訴えた。あ、パパとママにはナイショだったんだねとねえねはそこで話すのをやめ、またきょうだい二人で和室に戻っていった。
「子どもたちだけの秘密があるのはいいことだ」
「そう、秘密があるっていうのはとても大事」
ムスメは今月で7歳、ムスコは来月で2歳になる。同じ月齢で比較するとねえねの方が言葉の発達は早かったのだが、ぼうやも最近だんだんと言葉が増えてきて(それでもまだ半分以上は何言ってるかよくわからない喃語で、それはそれで歌みたいで良い)、たとえば私がリビングで作業をしているときに彼が和室のおもちゃや絵本で遊んでいて、何か見せたい・伝えたいことがあるときは、「ぱっぱー、こっち」と肩をたたいたり引っ張ったりして連れていこうとするのが増えてきたのだが、まさかもう、ねえねと二人でナイショの「しー!」までできるようになったのかと驚いた。
楽しかったこと、悲しかったことをシェアできる相手がいることと、親密な相手や集団においても「わたしだけ(あるいはわたしたち二人だけ)のナイショ」を抱えられることは、同じだけ、いやもしかすると後者の方が大切かもしれない。