インターネットに突然mixi2が生えてきてびっくらこいた。夫婦slackでツマに伝えると即座に「絶対やらない!笑」という返事があり、私も「絶対やらない!」と書いたのだが、ほどなくしてFacebookのタイムラインにみなさんどこから調達したのか続々と招待リンクが投稿されていき、軽率にタップして気づいたらアカウントを作ってしまっていた。反省。嘘がつけないアスペなので忘年会から帰ってきたツマにちゃんとその旨白状して「あーあ」と返されました。
日本の人は、「mixi」という単語を聞いて、即座に自分の黒歴史がフラッシュバックしてヒエッとなる人と、「なんですかそれ?」という人と、2種類に分けられる(元祖mixi現役ユーザーさんごめんなさい。mixi2上で早くもmixi1と呼ばれだしていました)。もちろん私は前者だ。アカウントはもうないですよ、思い出しただけで死にたくなる。と書いたけど、結局場所を変えてずーっとインターネットで「日記」を書き続けているので今もだめです。それなりの長さの文章を日常的・習慣的に書く人というだけで人類の少数派であり、それをインターネットで書く、他者に公開する人はさらに少数派であり、もうその時点で正気の沙汰ではないし、物を書いたとて腹も膨れないし寒さもしのげないわけで、動物としてのヒトの生存・再生産にほとんど寄与しない余剰/無駄の活動でしかないのだが、みなさんが正気をやってくれているので私たちは狂気パートを担当しているのだと思って生暖かく、いや冷たい目で見ていてください。紀貫之パイセンが最古のネカマ日記文学『土佐日記』を世に出しているので大丈夫です。
さて、これも「日記」である。mixiの話をFacebookに書いている(正確にはローカルのメモアプリでカタカタやってからブログにアップして同じ内容をFacebookにもペッと貼っているだけなのだが、最近はあれですね、リンクつき投稿はタイムライン表示優先順位下げられるアルゴリズムだとかなんだとかでみんなコメント欄にリンク貼っていて私もなんとなくそれにならっているわけですが、面倒ですね、というか、わざわざアルゴリズムどうだの考えて「日記」の投稿方法をプラットフォームに合わせて微調整する作業も滑稽なことですわよね)。私は1987年生まれの37歳で、mixi浪人時代から大学学部時代の5年間使っていた。「招待制」なので同級生とか先輩から招待もらってそこからちょっとずつ「マイミク」が増えていくというもので、ほぼほぼローカルの生活圏・交友関係が反映されたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)であった。いうても浪人中は朝から晩まで予備校で勉強していたので、たぶん夜とか休みの日に家のパソコンでちょっと使うぐらいだったと思うが、大学で上京、一人暮らししてノートパソコンを買ってもらったので、そこからキーボードをカタカタ打って「日記」をよく書くようになった。mixiそのものの話をすると色々思い出して死にたくなるのでここらでやめておくが、僕はインターネット育ち、というかmixi育ちの物書き(売れていない儲かっていない)である。ノートパソコンとインターネットとmixiという当時ほぼ唯一の全国的なSNSが「日記」というフォーマットを提示していたからそこに書きはじめたというだけのことである。その後、Faceboook、Twitterが来て、途中から「日記」はmixiではなくBloggerやWordpressでつくった「自分のブログ」に書くようになり(mixiは大学4年のときにアカウントごと闇に葬った)、途中noteも使ったものの、それらのブログ系書き物(mixi日記以外!)は全部今の閒Webサイトをつくるときに引っ越して集約した。整理も分類も最近サボっているので閲覧も検索もしにくく、Squarespace便利だけど制約もあるのでやっぱりWordpressで作り直すかと思いつつそのままにしてある。まぁ誰が見て得をするものでもないのだが。
37年生きてきて未だに生きるのが不器用で、とはいえ昔よりは少し楽になったかなというのと、単純に加齢による体力の衰えもあって「日記」を書く頻度は下がっているものの、私が物を書くのは、第一に自分のため、自分の身体、思考、感情、生の輪郭を知る、確かめるためであり、誰かに見てもらう読んでもらうために書きはじめたわけではないのだが、上記の通り物を書く場所がたまたま世代と環境的にパソコンとSNSだったのでついでに他人に公開する(公開される)に過ぎなかった。ただそれは結局、そんな書き方を必要としている自分が、実にものわかりが悪い人間であるということでもあり、実際、自分とか関わってくれる人たちに対して、間違い・勘違いによる数多のご迷惑をおかけしてしまった、傷をもたらしてしまったということでもある。「日記」はそんな自分の反省と反芻の産物に過ぎない。
ただ、ちまちまと書いていて良かったなと思うこともあり、それはSNSが「日記帳」と「連絡帳」を兼ね備えているからこそなのだが、私のそうした垂れ流し投稿を、繋がっているみなさんそれぞれのタイミングで読んだり読まなかったりするなかでなんとなーく私の思考スタイルと活動領域の「印象」を持ってくれていて、自分や身近な人が病気になったり障害を負ったり、仕事や家庭や地域でままならないことがあったりしたときに、なんだかふと、私のことを思い出してくれて、連絡をくれることがあるのだ。私も自分が病人やって長いのと仕事柄諸方面の支援職・制度との繋がりはあるのとで、疾患・障害・分野ごとの詳細はさておき、生活・個人レベルのお悩みを「そうかそうかぁ」と聞きながら、自分が知っているリソースを紹介しつつ、「まぁなんとかなるよ、僕もこんなんで生きてるし、がはは。今度お茶でもしようよ」などと返したりしている。私が友人一人ひとりの悩みを全て解決できることは当然ないのだが、大変なときに相談先として「思い出す」一人になれたことが、その人の大変さをほんのひととき、ちょっとだけでも和らげる助けになれたなら、こんな正気の沙汰でもない「日記」書きがいただけるお釣りとしては十分すぎることこのうえないでしょう。