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オトナの自由を実感するとき

July 15, 2018 Yuhei Suzuki
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暑い日に立ち寄ったセブンでアイスコーヒーをラージサイズにしたり、スーパーに食材を買いに行ったついでにハーゲンダッツをカゴに入れたり、ランチにビールやワインをつけちゃったり、披露宴から二次会会場への移動に大した距離ではないけど疲れるからとタクシー捕まえちゃったり、そういう日常のちょっとしたプラスオン出費をするときに、僕は同行者に対して「オトナだから」と、言い訳なのかなんなのかよくわからない定型句を発することがあるのだけど、つまりそういう衣食住の余分な部分において選択権を持つことが出来るようになったのがオトナの楽しさである。我ながらスケールが小さい。

他の家の子とか、現代っ子たちは違うかもしれないけど、子どもの頃は、そういう「日常の些細な贅沢」というのは、なけなしの小遣いを貯めてようやく買えるものであったり(それでも総額所持金は少ないので一個の贅沢のインパクトは大きい)、親に頼んで買ってもらうものであったり(そこにはなんらかの"理由"が要る)、そもそも年齢不相応でオプションとのならないものであったりするから(お酒は飲めないし、タクシーに乗る場面がそもそもほとんどない)、決して日常でも些細なことでもない、ちょっとした非日常の冒険である。

子どもが贅沢を「選べない」のは、そもそも自分でお金を稼いでいなかったり、自己責任のもとお金の使途を判断しマネージする能力が育っていなかったり(ゆえに保護者が代行する)ということなのだと思うが、子どもかオトナかという線引きも、よく考えると極めて曖昧なものなので、もう少しケースバイケースで、子どものうちからでも自律選択可能な事柄については、子どもに任せちゃっていいのではなかろうか。

自分が「オトナ」になってからというもの、未成年でも自分の職能で立派にお金を稼いでいたり、自分でそれぞれの選択肢を吟味して進路を選んでいたり、そういうしっかりした次世代の子たちに出会ってきたが、そこまでのレベルでなくとも、親子でルールを決めて「家庭内通貨」を作ってしまうとか、子どもが自らの責任とアクションで「選択権」を得られる幅は、僕が子どもの頃よりもうちょっと広げてあげたいなと思ったりする(ムスメ、まだハイハイもしないけど)。

もう一個、オトナの権利として、一定働いたら「有給休暇」が付与されるじゃないですか。明日は有給使って休んじゃおっかな、温泉でも行こうかなみたいな。

子どもは、よっぽどの熱が出るとかしないと学校は毎日5-6時間朝から夕方までみっちり参加、みたいなのが前提になっているけど、子どもにだって「有給」があってもいいじゃないのと。1日2日休んでも家庭学習・自主学習でキャッチアップできます、あるいは小テスト・レポート提出で代替します、みたいな条件付きで休んでいいみたいなやつ。

っていう話をツマにしたら、最近は「げんきやすみ」って言って子どもを平日に遊びや旅行に連れていったり、どこかに出かけるわけではないけどちょっと休んで元気チャージするようにしている家族もいるよーって。なんだ、もうあるのか。いいじゃん「げんきやすみ」、響きがいい。子どもが大きくなったらそういうの積極的に導入していきたい。

In essay, diary Tags roadside-economics, diary

お風呂の水と戯れるムスメ

July 13, 2018 Yuhei Suzuki
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ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。

たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。

あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。

赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。

「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」

とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり

「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」

みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか

「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」

みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか

いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。

もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。

遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。

外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

仕組みと信頼の話

July 12, 2018 Yuhei Suzuki

「仕組み」とか「ルール」というのは、それ自体が目的だったり偉かったりするのではなくて、チームで同じ目標に向かって最大限に力を発揮するために、継続反復的な業務の効率を上げたり、その分生まれた余剰時間・エネルギーをよりクリエイティブな仕事に向けたりするところにその意義がある。

もちろん、仕事をしていると、状況は刻一刻と変わっていくし、やっていくなかで新しい論点が見つかったり、前提条件が変わったりすることも珍しくない。また、仕組みやルール自体が至上命題になって硬直化することも望ましくない。

とはいえ、一度チームで「決めた」ことに対しては、まず全員がその型でやり切る、ということは最低限の礼儀であり責任であり、信頼である、と思う。

それが永久不変のものではないにしても、その時運用している仕組みやルールは、今現在の見通しから、これは揃えて運用していくのが重要だよね、効率的だよねという判断のもとつくったものだから、一定の耐用性・妥当性はあって然るべきであるし、その意義を検証するためにも、しばらくの時間はきちんと決めた通りに、全員が運用しないと話にならない。

「現状の仕組みでは、○○な点に対応できないのでは?」といったイシュー提起は誰もがすれば良いし、その結果より仕組みが洗練されていくと良い。ただ、イシュー提起がされた後には、再度検討して、ちゃんと意思決定をしてからフォーマットを変える必要があって、合意を取らないままに個人で勝手に運用を変えるみたいなのをごっちゃにするとみんなが困ったことになる(バラバラな入力をする、やると決めたことをやらない)。

本質的には、より良い方法で目的に向かって進むことができればそれでいいのだけど、方法そのものを疑う・柔軟に議論するみたいなものと、決めたことをちゃんとやり切る、みたいなものを、ふわっとぐにゃっとごっちゃにすると、よくない。とてもよくない。これは信頼の問題だから。

In diary Tags diary

その海は凪か嵐か

July 11, 2018 Yuhei Suzuki

なんにせよ、物事を「スイスイ進められない」時期というのはあるのだけれど、「なかなか進まない」ということの背景や実態はさまざまだ。

①一見停滞気味だけど、次の追い風に向けた凪の期間と捉えて、試行錯誤の手は止めず、やれることを愚直にやり続ける、という状況

②自分にコントロールできない外部要因としての雨・風・嵐が来ていて、とにかく振り落とされないように、沈まないようにと、自分たちの身を守ることに技術とエネルギーを尽くしながら、いつか来る晴れ間を信じて耐えている、という状況

③もう船底に穴は空いていて、無駄な抵抗と感じつつ、少しでも船やみんなの命を引き延ばすために、必死で水をかき出しながら、来るかどうかわからない救助船に一縷の望みをかけている、という状況

未来をどれだけ前向きに信じられる状況か、ということと、状況がどの程度アンコントローラブルかによって、ずいぶんとかかってくるストレス、精神的疲労度は違ってくる。

人間がしんどくなるのは、体力的なしんどさだけではなくて、セルフコントロール感が持てないことによる精神的なしんどさも多分にあるので、そういう場面でのお互いのケアやサポートをどれだけ出来るのかというのが、組織のレジリエンスとして重要なのだろうな。

もちろん上記は単なるメタファーだし、実態としての状況と自分たちの認識にギャップがあることだって少なくないので、詰んだと思ってもまだまだやれることが残っていたりもするんだけど。

もっと言うと、同じ困難な状況下でも高い精神性を保つことが出来るかは、(それまでの生育歴込みで)やはり個人の差というのは出てくるわけで、それはフランクルの『夜と霧』で教わったことでもあるなぁ。

そもそもそんな状況にしないために平時から手は尽くすのだけれど。

In diary Tags diary

「とりあえずの名付け」に逃げない

July 10, 2018 Yuhei Suzuki

既存の概念で自分たちの活動をしっくり説明し切れないなと思ったら、「とりあえずの名付け」に逃げないで、しっくりくる言葉や概念を見つけたり作ったりできるまで、そこに留まらないといけない。

時代や世代共通の価値観やムードというものがあって、なんとなく共通する、大きく向いている方向は同じ/似ているよねというような感覚を抱かれたり、そのような確認や語りかけをされることはあると思う。

そういうふわっとした「世代感覚」とか「界隈感」みたいなものもまた、それを先んじて予見し捉えていた人がいて、すでにその概念に名前が与えられていて、みんなもその言葉をとりあえず使用して、自分たちや自分たちの活動をdescribeする、ということがある。

だけど「すでにある」概念で自分たちの活動の本質を捉えられている感覚を持てないのであれば、惰性でその概念を使い続けるのは、かえってリスクがあるように思う。

ダイバーシティとかコミュニティってとりあえず言っちゃうのは容易いのだけど。ほんとにそれが目的や価値だと思ってやってる?という問いかけ。

新しい概念をつくるということに、サボらずちゃんと向き合った方が良い。

私たちが向き合っているのはどんな人で、その一人の人生が、私たちのサービスや、私たちとのかかわりを通して、どんな風に変わっていくのか、「物語」としてまず描いてみる。

それを、一番手触り感のある動詞や形容詞で表現してみる。

既存の概念と違う感覚を覚えたなら、そこが新しい概念を開いていく契機なのかもしれない。


カタログを並べられて、「そのどれでもない」と言えることをする。

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#23「ツマと、KPT: 6月の家族会議」2018/07/08

July 8, 2018 Yuhei Suzuki

KPT形式で一ヶ月を振り返る、スズキとヨシダの家族会議、6月分です。

…もう7月ですけど。暑いですね。

(以下は前回記事)

#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02 — 閒-あわい- 


5月の振り返り結果のKPTがこれで

6月はこちらでござる。

ツマ「6月のよかったこと、Keepしたいことはなんでしょう」

オット「うーん、相変わらず、自分たちでKeepできる話ではないんだけど、まぁよかったこととしては、いちかの離乳食が始まって、特に問題もなく順調ですね」

ツマ「なんの抵抗もなくすんなりもぐもぐ食べる、うちの子」

オット「何よりだ。あと僕は土日割とちゃんと休めるようになってきた感がある。ほぼ寝てるだが。」

ツマ「そうだね、特に6月の後半から」

オット「あとは、3人で外食行っても、ある程度いちかが自分で座って過ごせるようになったり、家でも一人遊びが出来る時間が長くなったり、そういう変化がありましたね」

ツマ「じゃあ次、Problemなんかありますか」

オット「相変わらず胃腸が弱い。ビオフェルミン飲んでるのに。もうこれは一回胃腸のあれやこれやをしかるべき診療科で診てもらった方が良いのではないか」

ツマ「ようやく気づいたかい。行ったほうがいいよそれ。7月のTryで」

オット「消化器内科的なアレを予約するがんばる。ゆりさんどうですか、なんかPありますか。大学院の研究とか」

ツマ「それはね、もう、全然ダメ、進まない」

オット「お、おう…」

ツマ「まぁそれはいいんだけど、他にも色々忘れないようにメモしておいたわけよ。こないだ、ライフプランニングのモニターやったでしょ」

オット「うん」

ツマ「でね、子ども何人産むとかそういう色々これから決めるべき論点があるわけだけど、ゆうへいとチャットしてて、『あ、これ全部わたしの意見通りそうだな』って思って、それがちょっと怖い」

オット「あー、なるほど…」

ツマ「なんかゆうへい、『まぁゆりさんがそういうならそれが良いんだろう』的になってるのかもしれないけど、こうもうちょっと自分の意見出してっていいんだぜ的な」

オット「うーむむ」

ツマ「あともう一個は、保育園のこととか、プロジェクト的に進めていくと動いてはいくんだけど、一家の出来事から離れていっちゃわないかという懸念はある」

オット「そだね。そちらは今月あまり動けなかったのだけど、そもそもが家庭の問題を、周囲とも相談したり助けを求めたりしながら、どうやってしっくりいく選択肢を作ったり選んだりしていけるのかというのがもともとの問題意識だったので。なので、こないだから話してたような、このKPTとは別の『幸せ家族会議』的な、もうちょっと家族運営を全体的にこれからどうしていきたいのかゆっくり話し合う場を設けたいのだ」

ツマ「じゃあそれは7月のTとして、やろう」

オット「やるぞー」

ツマ「あとねぇ…これは今のところ解決策が出てこないんだけど」

オット「なになに」

ツマ「やっぱり自分の時間がアンコントローラブルであるということ自体のストレスというか、モヤモヤは時たま感じる。別に日頃からイライラが溜まるような状態でもないし、その瞬間瞬間は平気なの。自分の作業してるときにいちかが目覚めて、作業が中断してってときに『あーもう!』とかなったりしないのよ。『あ、目覚めたの、そうかそうか、じゃあおっぱいあげましょう』的な、その瞬間は平気。でもこういうのって子ども生まれる前の自分にはなかった状況だから、ふとした時にそれを自覚して、モヤーみたいな」

オット「それは、そうだよねぇ。うーん、まぁちょっと、完全にゼロにはできないとしても、もうちょっと思い切って豪快に預かりサービス使っていくとか、札束で殴って解決できる余地があれば惜しみなくやっていけたらと思うけど」

ツマ「なんかね、その申し出はありがたいし、実家に預けるとか、シッター使うとか、やろうと思えばできるし、それでまとまった時間もある程度確保できるんだけど、量の問題じゃないっていうか。その、自分の自由を確保するために、自分の意思ひとつで決められないこと自体のストレスっていうのかな、追加のコストを払ったり、誰かと相談・調整しなければならないっていうこと自体が、産前はなかったわけじゃない?」

オット「あぁ、それは確かに、そうだよなぁ…うーん、どうしよねぇ」

ツマ「まぁでも、ひとつは自由時間を確保できる度合いを極力増やすアプローチ、もうひとつは認知行動療法的に、そういうことにストレスを感じる自分の考え方自体をほぐしていくアプローチか、大きくはその2つしかないわけで。まぁ一時的なものかもしれないし、来月ゆうへいが有給でプチ育休取るから、それで二人がある程度同じ経験をすることで楽になる部分もあるかもしれないし、まぁちょっと様子見かなぁ」

オット「そうだねぇ。まぁちょっと今月も来月も様子見ながら相談しながらだねぇ」

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#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02

June 2, 2018 Yuhei Suzuki

本当にちょっと最近多動みが増していて、その分いろんな物がポロポロ溢れるんですが、会社のスタッフにもツマにもほんと生活支援を受けてる感じです。一時期は妖怪人間よろしく「早く人間になりたい」とか言ってましたがだんだん開き直っているんじゃないかっていう。

さておき、KPT形式で一ヶ月を振り返る、恒例の家族会議note、5月分です。

(以下は前回記事)

#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13 — 閒-あわい- 


4月の振り返り結果のKPTがこれで

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今回、5月分がこちら↓

オット「5月は、いちかの託児デビューでしたね。ファミサポとキッズライン。ゆりさんの用事があって僕が在宅ワークできない日が2回あり」

ツマ「ファミサポさん、すごくありがたかったけど超ギャン泣きして、結局わたし早退して迎えに行くことになって、ファミサポさん宅の息子くんも戸惑ってて、ちょっといたたまれない気持ちになった苦笑」

オット「キッズラインのシッターさんのときも、受け渡しのときは人見知り発動してギャン泣きしてたけど、そのあとは割といい感じだったみたい」

ツマ「まぁ結局は人と人なので、大丈夫なこともあれば、4時間泣き続けることもあるのさ」

オット「せやな。まぁ今後も必要に応じて外部の力を借りていこう」

ツマ「さてさて、5月のよかったこと・Keepしたいことはあるかな」

オット「んーとね…読んでる人に心配されるぐらい、毎月『オット疲れてる』とか書いてたけど、5月はちょっとマシになってきた感」

ツマ「よかったじゃん」

オット「忙しいんだけど、チームが立ち上がってきてみんなしっかり者さんだから、苦手な仕事とかまるっとお願いできるようになった。書類とか進行管理とか書類とか進行管理とか…」

ツマ「感謝だねw」

オット「理解ある職場。編集長への合理的配慮」

ツマ「私も大量の名刺をゆーへーのeightに取り込むのやったよ」

オット「もうそれほんとありがとう。うず高く積み上がっていた名刺の山に絶望していたから。今日、そのことを編集部のスタッフに言ったら『最近ゆーへーさんの机から名刺の山なくなったと思ったらそういうことだったんですね』って言われたw理解ある家庭。生活支援受けてる感じ」

ツマ「でも5月は床で寝落ちする頻度増えたね。何回も声かけてるんだけど『うーん…』っつってそのままだよね。私も途中で諦めるw」

オット「先月より退化している…」

ツマ「そして布団をしまわなくなったね」

オット「ひぃ、すみません」

ツマ「あと、ダイエットカレンダーつくったのになかなか○がつかないね」

オット「今日こそやる…このnote書いたらやる…」

ツマ「Amazon Primeで好きなの観ていいってご褒美つけたのにね。強化子として弱いんじゃない?」

オット「睡魔に勝てない、全然勝てない。というかなんかこう、欲が薄いからトークンエコノミー向いてないんだと思う」

ツマ「私はなんかProblemあるかなぁ…大学院の先生に頼まれた本の原稿がほんとに全然進まない…w」

オット「原稿進まないのわかる」

ツマ「ていうか、何も進まないうちに一日が終わる、みたいなのが多すぎて。わたし日々ほんと何して過ごしてんだろw」

オット「何してると言われてもwうーん、なんかとりあえず夫婦で日報でも出し合う?w」

ツマ「日報wじゃあフォーマット決めてくれたらやる」

オット「まぁそもそもいちかを見てもらってるから、手が空くタイミングって一日で限られてると思うけど」

ツマ「まぁ家事とかお散歩は別にいいのよ。困ってないし」

オット「昼間、原稿進められるとしたらまとまってお昼寝してる間だよね。そのチャンス何回ぐらい来るの」

ツマ「一日に2,3回あるんだけど、寝たとしてもその間の時間全部フルに有効活用できるわけじゃないじゃん。いちかが寝たタイミングと、私の原稿やる気スイッチが両方揃うとは限らないじゃん」

オット「1時間2時間あっても実際に書く時間って一部だよね。わかる…w」

ツマ「寝かしつけたあとも、寝たかなーどうかなーって見守るロスタイムがあるのよ。その間はベッドで添い寝した状態でTwitterとかして時間つぶすわけ。で、完全に寝たあとにすぐに執筆が進むかというとそうじゃないし、で、ようやく乗ってきたなというときにまた『ふぇ〜』って目覚めたり、そんな日々よ」

オット「もうあれだ、毎日はさすがにお財布きついけど、週に1回ぐらいキッズライン使う?その間ゆりさんはカフェで原稿書くの。あと俺は、夜いま空いてる日程はブロックして早く帰れるようにする」

ツマ「それはありがたいけど、でもさぁキッズラインで3時間預けたって、さっきも言ったけど3時間進むとは限らないわけじゃん。1時間分も進捗するかどうかわからないみたいな時間に、シッター代をそんなに払って良いのだろうか…」

オット「いやもうあれよ、原稿書きってそんなもん。乗ってこないなーっていう1,2時間も含めて助走期間として必要なわけよ」

ツマ「そんなものかなぁ」

オット「そんなもんだ。…と、自分の筆が重いことの正当化をしてみる」

ツマ「今月はゆーへーも原稿溜まらないといいね」

オット「最近スタッフからのリマインドの頻度が上がって容赦ない感じでお尻叩かれているからちょっと早くなってきている…気がする」

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#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13

May 13, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメは生後4ヶ月を過ぎ、今のところ大きな病気もなくすくすくと育っている…というか標準よりぽっちゃr…いやおデブちゃんと言っても良い、すでに8kgを突破し、むちむちのちぎりパンナちゃんでございます。

3月に引き続き、KPT形式で4月を振り返る、家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07 — 閒-あわい- 


ツマ「4月の振り返りと言いつつ、もう5月ですね」

オット「そうですね…(白目」

なんかもう多忙でした。4月の記憶あまりない…

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ツマ「まぁ、振り返りますか、4月を…」

オット「まず、良かったこと、Keepしたいことから。まぁあれだね、僕はさておき、ゆりさんといちかは元気だね、良いこと」

ツマ「そうよ、私たちはいつでも元気」

オット「帰り遅くてワンオペDay多くなってすまん…感謝である、あとヤクルト」

ツマ「ヤクルトねw胃腸良くなった?」

オット「うーん、良くなった気も…?」

ツマ「気持ちが大事」

オット「あとはあれだ、帰りは遅いけど、家帰ってから変に悪あがきして夜中仕事しようとしなくなった、諦めて寝るようになった」

ツマ「それは大きな進歩だね。『いや、もうちょっと仕事する!』って言ったあと絶対寝落ちするもん。諦めが大事。あとは、いちかをあやす時の歌のレパートリーが増えたね。なんか変な歌ばっかりだけどw」

オット「センスのない即興ソングwうーん、じゃあProblemは?」

ツマ「特にないなぁ…あんまり問題だと思ってないけど、眉毛描くのをサボるようになったw」

オット「それはまぁ、任せる…」

ツマ「あと、来月の離乳食スタートを考えるとさすがにこの一人暮らし用冷蔵庫では小さい気がしてきているよ」

オット「それは重大な問題。来月のTで解決しよう。俺はあれだな、寝るの早くなったけど、布団敷く前にいちかのマットで寝落ちすることが相変わらず多い」

ツマ「それはもうドンマイとしか」

オット「あとはねぇ…いちかがデブいw」

ツマ「もう8kg超えてるからねぇ。スーパーに買い物に行く度に、その辺のおばちゃんから『まぁポチャポチャでかわいいわねぇ』って言われてぷにぷにの足を触れれているよ」

オット「それはもう、客観的に見てデブってことだなw」

ツマ「まぁ、運動できるようになればシュッとするでしょう…先生も『今は別に大丈夫でしょう』って言ってたし」

オット「せやな…じゃあ最後、Try」

ツマ「先月はゆーへーがんばったね。本棚整理して、クリーニング出して」

オット「どっちもほぼ4月最終日だったけどな…」

ツマ「やりきったことが大事。えらい」

オット「とりあえず、さっきPで出てきた冷蔵庫の買い替えはマストね。あとは、壊れたっきり放置しているけど、新しいデジイチを買いたい。あといちか用の口座もつくろう、そろそろ…」

ツマ「じゃあその辺よろしくw5月はふたりとも用事あって託児利用する日があるし、それも新しいTryだね」

オット「相談したら助けてくれる人たくさん現れて、ありがた限りです。来月も…ていうか今月だけど、がんばりましょう」

ツマ「ほどほどに」

おまけ

オットの胃腸を気遣ったツマがヤクルトを買ってくれたおかげで、大量のヤクルト空き瓶ができまして、それを使ってツマがムスメの遊び相手をつくりました。で、オットが命名。

トミー(左)と

ジミー(右)と

安田(中央)です。

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今後ともヨロシク…

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いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」について

May 12, 2018 Yuhei Suzuki
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パイセン「ゆーへー、子育てどうなの。うんち拭いたりしてんの」
僕「いやそりゃ拭きますよ。あんまり遭遇頻度高くないっすけど」
パイセン「へー、そうなんだ、えらいね。俺は無理だ、うんち出てたら奥さんに『うんち出てるよー』って言うw」
僕「それ完全にTwitterでdisられるパターンのやつじゃないすかw」

…というやり取りを先日したことを思い出しながら、今朝はムスメ(4ヶ月)のうんちを拭いていた。

いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」については、結論としては「拭けよ」の一択だと思うので、別にそこを論じるつもりはないのだけど、そういう僕も、ムスメのうんちと遭遇して拭いたのが実に1ヶ月ぶりだったわけで、オムツをご開帳して久しぶりにあのネチョッとした、赤子特有のうんちと対面すると、やっぱりこう「うぇっ」ってなるというか、まだどうにも非日常感があるというか、気合を入れて向き合わなきゃならん感じがする。

っていう話をツマにしたら、

ツマ「回数重ねるとうんちとかいちいち見ないから。考えずにサササーッと拭いてポイよ。慣れてないと怖いもの見たさ的にまじまじと見つめちゃうから気持ち悪くなるんだよねー」
僕「そうそう、直視しちゃう。で、言う通り毎日やってたら慣れるんだろうけど、慣れるほどの頻度でうんちと遭遇しないと『うぇっ』ってなった記憶だけ残るw」

という会話になり、いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」は、単にそういう接触頻度の問題なのでは?と思った次第。

広告表現的に言うとインプ足りてないよ問題である。

うちのムスメの場合、バラツキがあるものの、日記を遡るとだいたい9-15時ぐらいの間にうんちが出ることが多く、なおかつちょっと便秘気味の子であり、僕も土日にも仕事が入ることがあったりして、普通にしてるとどうしても家にいる時間帯にうんちと接触する頻度はツマより低くなる。もちろん家にいる時にうんちと遭遇したら拭くんだけど、まだちょっとあのネチョっと感には慣れないw

夫…じゃなくても良いんだけどパートナーのうちどちらか片方が長時間働いていてあんまり家にいない場合は、うんち拭きが「非日常」なままで慣れる機会を持ちにくく、「出来ればうんちは拭きたくないなー」と内心思いながら日々を過ごし、ほんでもって珍しく留守番になった日に限ってうんちがぶりっと出るものだから、おろおろしちゃって妻が帰ってくるまでうんち拭かずにオムツそのまま→帰ってきた妻が「マジかよ」って頭を抱える→Twitterでdisられる、みたいな流れになってるとちゃうかなぁ、と。知らんけど。

とはいえ結論は冒頭言った通り「拭けよ」の一択であると思うので、頻度少ないならなおのこと、夜でも休日でも、貴重なうんち遭遇機会をパパ勢は無駄にせず拾っていくのが夫婦円満のコツなのではと思う。私もまだ両手で収まるぐらいしかうんち吹いてないけど。

(サムネのうんち君はツマが描いた)

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#20「ツマと、いちかと、いつか on 5日〜かしわ餅の葉っぱは食べない〜」2018/05/05

May 5, 2018 Yuhei Suzuki

夫婦の食卓日記「ツマと、」記念すべき第20回。

今日の来客は井上いつかさん。フリーランスの言語聴覚士さんです。

ムスメと名前が1文字違いってことで完全にこのタイトル言いたかったありきですが、いつものように食卓トークとお絵描きをどん。

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いつか「こんにちはー」

オット「ほらほら、いっちゃん、お客さんだよー。いちかmeetsいつか」

ムスメ「ふ、ふぅええぇ〜」

いつか「あぁごめんねぇ」

オット「いっちゃん泣くの早い早い。大丈夫だよいつかさんは。名前似てるし、鎌倉住んでるし」

ツマ「なんで鎌倉w」

オット「鎌倉住んでる人に悪い人いない理論」

ツマ「今日は子どもの日だからかしわ餅を買ってきたよ。ちょっといっちゃんにおっぱいあげて寝かせてくるから先に2人で食べといて」

オット&いつか「いただきまーす」

…(ツマ、戻ってくる)

ツマ「さー、私も食べよ。ゆーへー、ピンクと白、どっちが味噌でどっちがあんこだった?」

オット「え?」

ツマ「いやピンク食べてるじゃん。味噌だった?あんこだった?」

オット「えーと…どっちだろ。餡だね、餡」

ツマ「いや、餡ではあるけどもw」

オット「なんか葉っぱが筋っぽいなと思いながら食べてたから味に関心がいかなかった」

いつか「そういえばゆーへーさん葉っぱまで食べてたね」

ツマ「桜餅と違ってかしわ餅は葉っぱ食べないよ、塩漬けしてないし」

オット「そうなのか…学びだ」

いつか「そういえば前回の家族会議読んで、ゆーへーさん片付け苦手なら手伝おっかなと思ってたけど、本棚キレイになってる」

オット「なんとか月末ギリギリ4月30日に移転を完了した」

ツマ「床はとっ散らかってるから、そこの扉の裏覗くとすごいよw」

いつか「…えー、でも十分キレイ十分キレイ。私の家も本がうず高く積み上がってる」

オット「本を読むスピードより買うスピードの方が早い問題。あと書類とか名刺の管理が壊滅的に下手、生きづらい」

いつか「呼んでくれたらいつでも片付けに行くのに。他人の部屋の掃除とか楽しそう」

オット「いや俺もね、片付けなきゃいけない気持ちはあるの。ここをこうすればいいみたいなのもだいたいわかるの。でもねー実行までのエネルギーが残らないんですねだいたいいつも。燃費悪い」

いつか「そう、私も燃費悪いから、最近ほんと、疲れすぎないの大事って思う。いまの週3勤務が限度」

オット「そう、疲れすぎないis大事。『やるぞー!』って高まった瞬間の行動力あるんだけど、なんかこうだんだんガス欠になってくるの。ほんで仕事増えていくペースの方が多いから『あぁ全然終わってない…』って絶望的になる」

ツマ「絶望しなくていいのにw」

いつか「みんなほんと、緩み配分どうしてんのか聞きたい」

オット「長年の謎」

いつか「えーでもゆーへーさん毎日フルタイムでそんなに働き続けてどうしてるんですか」

オット「いやそんなスタミナ続いてなくて、だいたい23時ぐらいになると電池が切れてそこのマットで寝落ちる」

ツマ「ほんとね、電池切れるみたいに動きがストップするの。着替えて布団敷いて寝なよーって言っても全然反応しない」

オット「絶対睡眠の質悪いのはわかってるんだけどもう一回電池切れるとね、そのまま目をつぶっていたい欲求がすげー強固になるの。てこでも動かん感じになる」

ツマ「私も途中で諦めてる」

オット「でも三十路になって如実に体力低下が目立つから睡眠とか食事とかちゃんとしたい。したさ」

いつか「今年は私も身体づくりっていうか虚弱体質脱出、したい」

「ツマと、いちかと、いつか on 5日: かしわ餅の葉っぱは食べない」2018/05/05

本日のおやつ

・かしわ餅

・いつかさんのお土産のクッキー

・いつかさんのお土産のコーヒー

上がいつかさん作

左下がツマ作

右下がオット作

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育休中スタッフが復帰後キャリアを考える上で、会社としてどのような機会が提供できるか

April 22, 2018 Yuhei Suzuki
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私とツマはいわゆる社内婚で、同い年なのだが入社年次がツマの方が2年早い。昨日はツマの代の新卒同期(12年入社)が久しぶりに集まって1日合宿的な集合研修をするということで、私は託児スタッフとして同行した。

川崎駅近くにある「創荘-SOSO-」という、築54年のビルをリノベしたコワーキングスペースで、なかなか小洒落た良い空間。大部屋でツマの同期と会社のHR(人材開発)の人たちが過ごし、私は隣の小部屋でムスメ(ちょうど4ヶ月)をあやしながらデスクワーク(娘と一緒に昼寝してしまってあまりはかどらなかったけど)、ワークの合間やランチタイムにちょくちょく顔を出しつつも、なるべくツマにはワークに集中してもらえるように、ミルク・おむつ・おもちゃ持参で参加。

会場への道中は、エルゴの中ですやすや眠っていたムスメだったが、到着後はさすがに情報過多で緊張したのか(人いっぱいいるしね)、小部屋で2人過ごしている間も、あんまり昼寝をしなかった。家に帰ったあとは早々に寝付いたけれど、まぁとにかく一日よくがんばってくれた。

ツマの同期に、この研修中の託児稼働を頼まれたとき、1にも2にもなくYESと返事した。産休に入る前にツマに言われた言葉が念頭にあったからだ。

“産休育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくて、ただ、コミュニケーションをとる相手が非常に限られてしまって、家事育児のスケジュールしか考えることがなくなるっていうことが、きっと産前産後の女性の最大の鬱要因であるということを、わかっておいてほしい。”

コミュニケーションの相手が限られること、家事育児以外のトピックが日常に占めるシェアが小さくなること、これは本当に大きな変化で、いくら夫などパートナーの側が家事育児をがんばったとしても、片方が育休を取り、もう片方が働き続けるという家庭運営モデルを取る限りは、2人の生活環境には大きなギャップが生まれる。

ムスメという新しいメンバーを家庭に迎えるということを、どう考えて、どうやって暮らしていくか、産前産後、折に触れてツマとは話をしているが、色々話したなかでも上記の言葉が私にとってはもっとも強く印象に残っていて、仕事を続けたり一緒に家庭運営をしたりする中で、一番気にしているポイントだと思う。

その意味で、今回の研修に際してツマの同期が、育休中のメンバーも含めて一緒に過ごせる機会をつくろうと考えてくれ、私に託児の相談をしてきてくれたことに感謝している(オットが勝手に思っているだけなのだけど)。

出産前後のドタバタからするとだいぶ落ち着き、最近ではツマや私の友人・同僚がちょくちょくわが家に遊びに来てくれる。「コミュニケーションの相手が増える」という点ではそれでもありがたいのだが、やはり、「家の外に出ていき」、会社で同じ時間を過ごしてきた「同期とキャリアの話をする」というのは、やはり質的に異なる時間だと思う。

うちもそうだが、育休をとったスタッフに対しては、職場復帰する前に配属先や働き方について相談する人事面談やなんかが設定されるのが通常だとは思う。

ただ、1年以上のまとまった期間を休んだあとに、「さぁ復帰後のキャリアはどうしましょうか?」と復帰直前の1回や2回の面談で考えるというのは、けっこう難しいという人もいるんではなかろうか。

昨日の研修に参加したツマは、「久しぶりに頭使って、楽しいかどうかっていうより、まず酸欠w」と言っていたけれど、やはり子どもと向き合っているときと仕事をしているときではだいぶ頭の使い方も変わってくるだろうし、頻繁にではなくとも、今回のように、働く上での価値観や経験を共有しやすいメンバーと一緒に語らう機会を、刻み刻み入れていけると良いかもしれない。

子どもを産んで、育休を取ることを「選ぶ」というのは、どうあれ人生の一定期間において、仕事から育児へとプライオリティをググッと寄せるということになる。

その期間をどうやって過ごしたいか、過ごすかは、人によって違うだろうし、上記はツマとムスメのそばにいる他者たる私が勝手に思ったことに過ぎない。育休中は極力仕事のことを忘れて過ごしたいという人もいれば、あまりに機会や情報がないと不安という人もいるだろう。

だけど少なくとも、育休中スタッフの「子育て」と「仕事」の断絶があまりに大きくなりすぎないように、本人が望んだときには「選べる」ぐらいの距離には、会社や職場との接点、なんらかのキャッチアップや思考の機会を設けられると良いように思う。

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経験した人同士でしか話せない、なんてさみしい

April 15, 2018 Yuhei Suzuki
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“親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。”

久しぶりに会った友人に進められて、山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』を買って読み始めた(まだ3章ぐらいだけど)。読んでいて頷くところ多々。

たとえばここ。

“今、私は育児エッセイを書いているが、読者の育児経験の有無によって、文章の読みが変わるということはない、と思っている。もし、ただ経験と照らし合わせるためだけに文章というものが存在するのならば、文章を書くのはなんとつまらない行為だろう。”

そうそう、そういうこと、そうなんだよ、という気持ち。僕が文章を書いているのも、きっとそういうことなのだろう。

「子ども生んだらわかるよ」とか「これは子ども生むまでわからなかった」とか、そういう言葉はやっぱり世間に、身の回りに飛び交っていて、体験するまでわからないことの存在は否定しないし、実際に自分もその渦中にいるのだけれど、こと育児に関しては「経験」「体験」というものが、妙な権威というか圧迫感のようなものを帯びがちで、またそれによって「未経験者」が萎縮してしまうという反作用も、少なくないと思う。

“でも、出産してない人にも出産の話を、私はしたい。(中略)相手の経験の有無で話題を変える必要なんてない、とやっぱり思うのだ。”

経験した人だけにしか話を分かち合えないとしたら、それじゃあ私たちが他者と交わせる言葉の数は、ほんのわずかになってしまう。

実際、子どもを持ったとて、わからないことばかりだし、子どもを持った同士でも違う境遇や道筋を経て今に至っているわけで、授乳や睡眠時間ひとつとってもどれほど個人差があるかという話だし、生んだこと、親になったことによって、私たちはそうでない人と比べていかほど賢く偉いのかと言いたくなる。

別に共感してほしいわけでも、理解してほしいわけでも、解決策がほしいわけでもない。だけど私は書きたい、話したい。平均値とか普通を知りたいわけじゃなくて、自分の人生の出来事として、書きながら、手にとって、確かめていきたい。

そういうことって、あると思う。

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#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07

April 7, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメとの3人暮らしがはじまって2ヶ月が経ちました。あっという間に生後100日を越え、すくすく成長中。

先月に引き続き、KPT形式での家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03 — 閒-あわい- 


「オットが死にそう」というPに対してまったく有効な打ち手を見出だせず「がんばる」という結論に達しましたが、どうにかやっていきたい。

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------以下、家族会議の様子------

オット「さて、やりましょうか今月も、KPTを」

ツマ「もう4月1週目終わったけどね。3月振り返ろう。前回2月分どんなのだっけ?」

オット「これこれ」

ツマ「2月のKeep、みんな元気でよかったね、なんだけど3月はひたすらにゆうへいが死にそうだったからそれが一番のProblem」

オット「それは否めない」

ツマ「お互い疲れてそうなときに『ラッキーピエロ』っていうルール、もうなんか疲れすぎてて、途中から声かけすらはばかられる感じだったよw」

オット「年度末はあれだ、しょうがない。年度末だし、新規リリースもあったから。残り2人は元気だったから良しとしよう」

ツマ「私といちかはすこぶる元気だったよ」

オット「じゃあ今月のKeepは、ツマとムスメが元気ってことで」

ツマ「一人脱落した」

オット「まぁしかし、初節句にお食い初めと、すくすく元気に育ってなにより」

ツマ「毎日お散歩してるし、こないだは電車でお出かけデビューもしたしね」

オット「じゃあ、いちかすくすく成長もKeepで」

ツマ「Keepって言っても私たちがコントロールできるもんでもないがな」

オット「Keepを願う気持ち」

ツマ「気持ちの問題」

オット「あと、俺が死にそう以外のProblem何かない?」

ツマ「うーん」

オット「あれだ、本棚の移転が進まない」

ツマ「机を片付けたかわりに床にモノが広がっている」

オット「どっちも俺マターだ」

ツマ「あと、ずっと『クリーニング出す』って言ってた白のパンツが未だに出されていない」

オット「それ全部今月のTryで」

ツマ「ちゃんと片付けてね。白パンなんかもう、かれこれ3ヶ月ぐらい言ってる。出かけるときにひょいって出すだけじゃん。すぐじゃん」

オット「クリーニングとか宿やチケットの予約とか結婚式の招待はがきお返事出すとか、そういう細かいタスクがこの世で一番苦手」

ツマ「普段やってる仕事よりよほど簡単なのになんでできないのw」

オット「なんか先送りしちゃうんだよねぇ。いやほんとね、三十路になって言うのあれですけど、周りのみんなちゃんと社会生活営んでるのほんとすごいと思う。もうね、生きづらい」

ツマ「生きづらいねw」

オット「あと他ないの、Problem。ほっとくと夫婦の危機になるようなイライラの種とかないの(心配性)」

ツマ「んー…別にないなぁ。割と順調に子育てできてる。あとはほんと、ゆうへいの死にそうモードをどう解消したら良いのか問題だけ」

オット「ちょっとそこはもう『校了までがんばる』の一択です。欅坂ヘビロテしながら白目向いて働く」

ツマ「お、おう…」

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「良さ」の物差しを持つこと

April 3, 2018 Yuhei Suzuki

「これでいいですか?」と決裁者にお伺いを立てるような納品の仕方はあんまりよろしくないなと思う。

大抵の場合、つくる人と見る/決める人の間で基準がすり合ってなくて、結果つくる人に迷いが出ている時だから。

「これでいいですか?」と伺いを立てる背後には「これでいいのかどうか私には分からない」という迷子感がある。

それはつくる側だけの責任ではなくて、依頼側が作業の目的やアウトプットイメージをより明確に伝えることで大半解決するんだけど、つくる側も不明瞭な点があれば追加で確認取りに行くというアクションが取れるわけで、まぁつまりコミュニケーション取ろうねって教訓に収斂しがいなんだけど。

ただ、そうやって仕事のお作法や納品物の「フォーマット化」を進めるだけでは解決しない問題があるなと思う。

それは「良さ」の物差しとでも言うべきもので、デザインやコーディング、ライティングに編集、果てはプレゼンテーションの試合運びに至るまで、「表現」の質の問題が最後に残る。

それは、「です」と「である」と「なのである」だと相手に与える印象全然違うでしょみたいな文末表現の選択問題から、写真の配置や行間の空け方、そもそもの構成・ストーリー展開の組み合わせに至るまで、高低さまざまな抽象度で「なぜこれが良いのか」を問うポイントが、ものづくりのプロセスの中に存在している。

特定の分野に精通した「プロ」と呼ばれる人たちは、長年の研鑽と経験によって、問われれば「なぜこれが良いのか/ダメなのか」を説明できる。

だから「これでいいですか?」と問われてフィードバックを返すこともできるのだけど、こういう表現の質問題は、最終的に一対一対応の場合分けされたマニュアルに落とすことは不可能か、やったとしても膨大で実用性のないものになってしまうだろう。

じゃあ仕事における細部の質については、弟子/部下が師匠/上司にずっと「これでいいですか」とお伺いを立てるしかないのかっていったら、それでは個人としても組織としても非線形な成長は生まれない。

毎回つくる側が「自分としてはこれが良いと思って作りました。なぜなら…」と説明できるぐらいの(現時点で最高値の)思考と理解レベルで出していく(相手のフィードバック任せにしない)ことが出来ると、お互いのオーナーシップも学習の質も上がって良い。

そのためにはつくる側も見る側にも共通の土台、視点やボキャブラリーがある程度あった方が良くて、それが要は「コンセプト」とか「編集ポリシー」「デザインポリシー」といった、抽象的な価値を言語化した何かが必要になる。

そうしないと「良さ」の物差しが誰かうまい人の脳内にだけあるという状態を脱しないから。

しかしながら、ポリシーやコンセプトというのも、とりあえずつくって、額に飾って置いとくだけでは機能しないので、それを基に議論やアウトプットを戦わせるというのを習慣化していくこととセットでやんなきゃいけない。

惰性が一番の敵。南無南無。

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憑き物を剥がしていくように

April 1, 2018 Yuhei Suzuki

「そんなにマイルドに自分を編集しなくてもいいんじゃないの」

期末面談で言われたことは、確かにその通りで、それが自分をしんどくしているのだなと思う。


1年間、よく働いたし、成果も出した。子どもが生まれたり、担当するチームやプロジェクトが増えて並走したりと、自分のからだひとつに対して向き合うべき「面」は増えたのだけど、どうにかこうにか色々乗り越えて無事年度末を迎えることが出来た。それはまぁ良かったんだけど、まぁそれだけである。

戦略は間違ってないけど、勝つべくして勝った感じがする。
「やるべき」ことはクリアだけど、「問い」が足りない。
手持ちの知識と経験で対応できることに追われていて、新たな「一次情報」を浴びる機会が減っていっている。

これらが全て自分にとって良くない兆候であることは明らかで。気持ちのよくない状態が続くのならば、大きく環境を変える必要がある。そうでなければじわじわと年老いて萎れていくばかりだ。

そして、変わりたいのなら、誰かに用意してもらうのではなく、自分で環境をつくるところまでが自分の責任なのだ。30を過ぎたというのはそういうことなのだと思う。

今の職場には、組織やチームとしての成果にコミットする一方、個々人の成長・挑戦を賞賛するいい空気が漂っていて、それが良いエネルギーの循環を生み出している。まだまだ歴史が浅いので足りないことや慌ただしいことばかりではあるけれど、芽生えたものが根っこを伸ばして「文化」になっていけば良いと思う。

「あなたはこれからどうしたい?」とチームメンバーに問いかけるくせに、自分のことを抑えているというのは、やはり健全ではない。

お互いがお互いの挑戦と成長を賞賛する、その結果チームとしても最大限に成果を出せる、という状態が成り立つためには、前提として一人ひとりが何を望んでいるかを言葉にして共有することが重要で、誰か一人でも抑えて隠しているとそれは機能しないんだ。そういうチームをつくろうと言っている自分が一番出来ていないというのは笑い話で、それが冒頭言われたことなんだと思う。


年度末の最終金曜日。
締め作業と、事業部の納会と、隙間にその他もろもろの事務連絡と…と相変わらずのドタバタだったのだが、隙間を見つけて先日面談をしたボスにこそっと話しかけに行って、そこでおずおずと宣言をした。

「次の一年で絶対これをやるから、応援してほしいっす」
「いいねぇ!全力で応援するよ!」
彼は笑顔でそう返してくれた。

「こないだよりいい顔してんじゃん。言葉に出すと気持ちいいでしょ」
ほんとにその通りで、最後の最後にスッと気持ちが楽になった。
やっぱりこの人、すごいなぁって、思う。

次の一年はもうちょっと正直に、欲張っていこう。

それでもきっとやっていけるという信頼を、いま自分と共に過ごしてくれる人たちに対して、抱いている。なのでたぶんきっと、大丈夫。

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