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#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03

March 3, 2018 Yuhei Suzuki

オット「3人暮らしがはじまって最初のひと月がおわりました」

ツマ「おわりましたね」

オット「振り返りをしよう、振り返りを!」

ツマ「お、おう」

オット「KPTがしたい」

ツマ「なにKPTって」

オット「説明しよう!KPTとは、KPTとはKeep/Problem/Tryの略である。チーム運営の振り返りの手法として使われることが多いフレームワークなのだ。 Keepで、『良かったことや、そのまま今後も続けたいこと』を、Problemでは、『うまくいかなかったこと』を、それから TryでProblemの解消のため『今後挑戦したいこと、試してみること』を考えるっていう寸法よ。」

ツマ「なるほど意識たかい」

オット「職場でたまにやるから取り入れてみた」

ツマ「じゃあまぁ、やってみようか」

…というわけで、出来あがったのがこちら。

(以下は振り返りの様子)

Keep

オット「じゃあ最初Keepね。なんかある?」

ツマ「うーんなんだろう。みんな元気でよかった」

オット「うん、それは大事。元気is大事」

ツマ「あなた胃腸悪かったけどね」

オット「それは否めない。ビオフェルミンの効果を期待」

ツマ「あと、なるべく早く帰ってお風呂とご飯一緒にできるようにしてくれたのは今後もKeepしてほしい」

オット「おう。がんばる。あとねー俺はねー。こないだ朝会社行く前にわたわたしてるとき『○○やらなきゃーってなってる時は余裕ないサインだよ』とかそういうあれ、そういうツマ的コメント、ハッと気づく系の言語プロンプト。あれ助かる」

ツマ「そういう系のあれね。わかった」

オット「あとこれ自己評価だけど、抱っこしてるときに『早く寝かしつけなきゃー』って焦らなくなったのよかったと思う。メンタルの成長」

ツマ「いいじゃん」

オット「抱っこ道は奥が深い」

Problem

オット「じゃあ次はProblemだね。なんかある?」

ツマ「うーーーーーん…夕方過ぎると、腰が痛いw」

オット「腰が痛い」

ツマ「抱っこのダメージがだんだん蓄積されてだいたい夕方に来るの、腰に」

オット「そうか…」

ツマ「あとね、テーピングのテープがなんかかぶれてかゆい」

オット「かゆいの悲しい」

ツマ「なんかこういう身体症状ばっかりでいいの?w」

オット「まぁとりあえずどんどん出していこう」

ツマ「あとあれ、ベランダに出ると靴下に葉っぱがついてリビングのベビーマットに落ちちゃう問題」

オット「それな。あとでTで解決しよう」

ツマ「あとは…2人の作業デスクがもはや物置と化してる件」

オット「それな。そろそろ現実に目を向ける必要がある」

ツマ「まぁそれぐらいかなぁ」

オット「そういうのだけでいいの?なんかこう、ほおっておくと後々夫婦の関係に禍根を残す系のイライラの芽とかないの?そういうオットへのダメ出しとかないの?」

ツマ「ダメ出ししてほしいの?wなんか今はこういう物理的なことしか目につかないや」

オット「そうか…まぁなんかあったら言ってください。えー、じゃあ俺あれだよ、一個ある。言っていい?」

ツマ「どうぞどうぞ」

オット「あのね、ムスメの口を借りる系のフィードバックに超凹む問題というのがあって」

ツマ「どゆこと。もうちょい詳しく」

オット「ゆりさんがいっちゃん抱きながら『とーちゃんは働きすぎてるからそうやって忘れ物しちゃうんだよねー』とかなんかそういうこう、ムスメに語りかける体を取ったダメ出しは、2対1構図になって完全に自己肯定感が下がる。ずーんってなっちゃうw」

ツマ「あー、なるほど…それ私やってるとき自覚ないかも。無意識で言ってるんだと思う。どうしようね」

オット「じゃあそれはTで考えますか」

Try

オット「じゃあTryいきましょう。腰はどうするよ」

ツマ「うーん、ひとまずどうしようもない…」

オット「筋トレ?」

ツマ「腰には坂ダッシュがいいらしいんだけど、ハーゲンダッツ5個もらっても絶対やらない」

オット「だよね。テーピングはまだこう、いいテープを買うとか、札束で殴る系で解決できそうだけど。いいやつ買ってもいいよ」

ツマ「うーんありがとう。まぁまだいいやw」

オット「ベランダ問題は簡単だね。室内だけやってたけどベランダも掃除メニューに加えてちゃんとやろう。週イチで」

ツマ「そうしよう」

オット「作業デスク問題は…」

ツマ「うーん…」

オット「やつらがどんな状態になるとハッピーかっていうと、そりゃあ作業デスクとしてのあるべき姿と機能を取り戻すことなので、はい、答えは明白なのですが…3月バタバタするから、いったん見ないことにするというのもひとつというかなんというか…4月でよくね?」

ツマ「そうしよう」

オット「Not Try」

ツマ「で、オット凹む問題どうしようね」

オット「とりあえず悪気がないってことを知ったので、自分なりにダメージを軽減するようにするw」

ツマ「それでいいの?wそれが起こりにくくなるための根本対応を考えたいよね。その状況が起こるのってさ、どちらかが疲れてて余裕ないときで、結果としてなんかミスや漏れが発生したときで、だいだいその時に私は泣いてるいっちゃんを抱いてるわけだから、その流れでしゃべっちゃうんだよね。なにかトリガーがないと対応できないよねぇ。」

オット「うーん。どっちかが『疲れてる』っていうのに、なるべくタイムリーに気付いて、疲れてる方へのケアを意識する、というのができる仕組みがあればいいわけだよね。ホワイトボードとかに『元気ない』欄をつくってそこにチェックするとかシール貼るとか」

ツマ「この2人だと絶対機能しないw」

オット「じゃあ、お互いのコンディションが今日は○○%とか共有するというのを、朝やる。チェックイン的な」

ツマ「うーん。あなた夜明け前に会社行ったり、帰り遅くなったりする日があるから、毎日定時でってのは難しいよねぇ」

オット「ちょっと今の状況だと定形・定例化するの難しそう。いったん『気付いたらなんか声かけする』という運用でやってみて、ダメだったら見直す的な、アジャイルな感じでいこう」

ツマ「OK。気づけなかったらどうしようもないんだけど、いったんそれで。なんて声かけたらいい?仮に気づけたとしてさ、『ゆうへい、今日疲れてるよ、働きすぎだよ、寝た方がいいよ』って私に言われて、それポジティブな反応起こるかなぁ…『はぁ?』ってならない」

オット「別に怒ったりはしないよw」

ツマ「でもさ、『寝た方がいいのはわかってるけどそうは言ってもやらなきゃいけないことはあってさぁ』みたいな、現実とのジレンマであなた自己肯定感下がりそう」

オット「それは大いにある」

ツマ「なんか全然関係ない、特に意味のないナンセンスなフレーズとかのほうがいいんだろうね」

オット「そうだね。じゃああれだ、バーフバリ!」

ツマ「わたしはバーフバリにハマってないから却下」

オット「えー、じゃあ、ラッキーピエロ」

ツマ「ラッキーピエロ」

オット「語感いいじゃん」

ツマ「まぁじゃあとりあえずそれで」

オット「ラッキーピエロ!」

ツマ「ラッキーピエロ!」

ラッキーピエロ:

ラッキーピエロは、ラッキーピエログループが北海道函館市を中心とした道南地区で展開するハンバーガーショップチェーンである。 愛称は「ラッピ」。

Wikepediaより

In essay Tags pair

わたしを開く、わたしが変わる

February 28, 2018 Yuhei Suzuki
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先日、こんな記事を書いた。

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む|鈴木悠平|note

おっぱいが出ないことを差し引いてもなお残るツマとの「抱っこ力」の差、自分が抱くとムスメがギャン泣きする不甲斐なさ、誰に言い訳できるでもない当たり前のこととは分かってはいても拭えない「失敗」意識と自己肯定感の低下…みたいなことをまぁつらつらゆるりと、少しの自虐をもって書いたわけですが、なんかFacebook上では先輩パパ・ママやいま奮闘中の同士たち、プロの人たちまで、まぁ実に色んなコメントをいただき、思いのほか盛り上がりを見せた(笑)

https://www.facebook.com/yuhei.suzuki/posts/10156132584447208

その後、教えてもらった色んなコツを試してみて、それがうまくいったのかいかないのか、いい感じに寝付くこともあればやっぱりギャン泣きすることもあり、つまり別に大きく現実が変わったりはしないのだけど。

自分の中の焦りやイライラはスーッと消えた。

どうせ自分がコントロールできるものでもないのだから、ギャン泣きするムスメとのやり取りも含めて楽しんでやれ、ぐらいの心持ちでいられるようになっている。

たぶんそれは細かいテクニックとかの問題ではなくって。

自己開示を通してほかの人の物語にも触れられたことが大きかったのだと思う。

コメントの中で印象的だったのは、先輩ママたちが当時の自分の心の内を教えてくれたことで。

“そうなんですよね。
凹むんです。

ある時から、息子はパパが抱っこすると笑顔を見せるようになり、どうも首の角度が良かったらしいまではわかったものの、わたしにはマネ出来ず…。凹みました。”

ご家庭によってはむしろお父さんの方が抱っこの相性がよく、それで凹んだという話とか。

“ごめんなさい。まったく同じ状況で、私が抱っこすると泣き止んでくれるから、心でニンマリしていました・・・なんか嬉しかったんです・・・
夫も凹んでいたみたいですが、めげずに抱っこし続け、娘4歳は超お父さんっ子です。最近は、そんな2人に母はやきもちを焼いています。”

内心、優位に立っているようで「嬉しかった」と、当時の正直な気持ちを吐露してくれたり。

こういう一人ひとりの物語を分けてもらったことで、私のなかの気持ちのこわばりがスーッとほどけていったのね。

そりゃママだってうまくいかなくて凹むことはあるし、人間だから内心優越感に浸ることもあるし、つまりそれは単純に、わたしたち一人ひとり、ちっぽけでバラバラなフツーの人間ですよということでしかないのであって、ママとかパパとか形式的な役割と機能の差異などは、連続する日常のシーンを微分して切り取れば、いつでも取り替え・入れ替え得るのであり、その意味において私たちは分断を越えてつながり得るということでもあり、とかいってまた理屈をこねてみたりなどするのだけど、さ。

それほどまでに「社会」が、いや私たちが、連綿と鍛え上げてきた父親・母親像の呪いというのは強力だということであり、そこから抜け出すにはこうした物語(ナラティブ)の共有と再構築が必要なんだよぅってことを、言いたい。わたしは。

こういうのけっこう勇気いるっていうか、はらわたをちょっとだけ取り出して見せてみるみたいな恥ずかしさがあって、またそれをグロテスクにならない程度に抑えをもって書くというのもまた自制心が必要だったりするんだけど。

でもちょっとこうやって、勇気を出して「わたし」を開いてみると、「わたしも」と声をかけてくれる人が出てくるから、嬉しい。

私はものわかりが悪い上に身体がとってもぎこちなくて、なおかつ言葉だけは変に発達してしまったものだから、こうやっていちいち考えて言葉にして文章として形を与えてあげないと、自分の存在というものが落ち着かない。

昔は本当に難儀な人生で、どうにかしたい、なんとかしたいと思っていた。

最近はこれでもいいかと思っている。

わたしを開くことで、わたしが変わる。

わたしを開くことで、あなたとつながる。

あなたが開いてくれることで、わたしがまた変わる。

そういうことの繰り返しで、輪郭をつかんでいきたい。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む

February 25, 2018 Yuhei Suzuki

朝から「ひよこクラブ」3月号別冊付録、「今日からママも赤ちゃんもイライラしない!専門家からの基本情報と、ママたちのワザたっぷり“寝る力”と“泣きやむ力”を育てる本」を熟読しています、悠平です。

ツマとムスメがわが家にやってきて3人暮らしがスタートしてからもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。

ミルクにおむつ、お風呂に掃除にお洗濯、一通りの家事は、まぁ一個一個は別に問題ないですよ。平日昼間は育休中のツマに任せるしかないので、家にいる時間帯の役割になりますから、あまり偉そうなことは言えませんが(平身低頭)、おっぱいを出す以外の「基礎動作」はね、だいたい習得したつもりです。

ところがです。やはりこう、ツマと私の「抱っこ力」に圧倒的な差を感じる。

世のパパさんたち、ありませんか、ご経験。

子どもがギャン泣きする→抱っこしてあやす→全然泣きやまない→ツマが抱っこするとすぐ泣き止む、みたいなの。

もうね、これ、自分が親として、保護者として、いかにポンコツかというのを実感する瞬間ですよ。圧倒的敗北感。

ミルクなんかね、赤子はみんな大好きなんですからやれば喜びますよ。お風呂もまぁ、お子さんによって好き嫌い個人差あると思うけど、うちの子はご機嫌で入るんですよ。そういうのできたからって特にいばれるもんじゃないです。

抱っこ。そう、抱っこというのは、自分とわが子、生身の一対一の接触活動であり、私自身の身体の挙動が問われているわけですから、他の家事がどれだけつつがなく出来ていようと、抱っこでうまくあやせないというだけで、「てめーはお呼びじゃない」とムスメに全力でダメ出しくらってるような気分になります。

いや別に、毎回そんなひどい状態なわけじゃないですよ。ムスメも人間ですから、機嫌の良い悪いもあるし、私の胸の中ですやすや天使みたいに眠ってくれるときもけっこうありますよ。

それからもちろん、本当にどうしようもないときは、私が抱いてもツマが抱いてもひたすらギャン泣き、みたいなときありますから、最後は必殺、ツマの添い乳で機嫌をとって寝かしつけるみたいな手段をとったりします。

でもねぇやっぱり、おっぱいの有無を言い訳にできないラインがあるというか、私とツマの力量の差をまざまざと見せつけられるのが抱っこというものなんじゃないでしょうか。

ムスメの機嫌の悪さが0〜100まで数値化できたとして、0〜70ぐらいは、まぁ僕でもツマでもあやせるなという領域で、90〜100ぐらいになるとおっぱい飲ませるしかないという感じで、その間の、70〜90ぐらいのライン、機嫌悪いんだけどツマが抱くと泣き止む、みたいな。「純然たる私の落ち度です」と言わんばかりの領域がある。

当然ながら赤子は言葉を発しないので、「腕はもうちょい下」とか「揺らすスピードが早い」とか具体的なフィードバックはくれないわけです。言葉がないところでムスメの様子を見て、感じて、自分の動作にフィードバックしていかないといけない。これはもう言語性に依存して生きてきた&手足の運動機能調節が絶望的に下手くそな私にとっては超難易度高いわけです。

ツマには色々アドバイスももらうし、ひよこクラブも読みながら色々試してみるのだけど、意識すると余計に力が入ってうまくいかない、とかもザラにあるわけでね。

ムスメが泣く→あやしてもうまくいかない→ツマを観察したりひよこクラブの教えに従って新しいことを試そうとする→気負って私の身体は緊張する→緊張が伝わってますますムスメは泣く…みたいな、悪循環。

ほんとにもう、「イクメン」とか最初に言い出したやつは誰だと問い詰めたい。何を貴様らは笑顔で子ども抱いたり、小洒落たキッチンで料理つくったりする写真上げて悦に入ってるんだと。

会社で「PDCA回せ」とか言いながらPもDもCもAもガタガタみたいな、新米パパのポンコツな現実をお届けしろ。


そんな感じで敗北感に打ちひしがれながらも日々やっていってます。

とりあえず寝かしつけの引き出しをもっと増やそうね。

あと、焦らないこと(これが一番大事で、一番苦手)。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

育児コンテンツの夫disネタが実は父親を萎縮させているのかもしれない

February 15, 2018 Yuhei Suzuki
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昨年放映された「コウノドリ」で、「手伝うよ」と(悪気なく)言った夫が「あんたの子供だろ」と四宮先生(星野源)に怒られたシーンが喝采を浴びていたことを、今もときどき思い出します。ちょっとモヤっとした気持ちを抱えながら。

四宮先生の言ったこと、もうそれは100%正論なのだけれども、「手伝うよ」しか言えないぐらいに、意識と知識と経験のギャップを抱えたまま男たちが「父親」になってしまうという、社会構造上の問題もあると思うからです。

わたし、育児や子どもの発達支援、家族支援に関わる会社に務めており、とりわけメディア部門の編集・運営をしております。あと、最近父親になりました。

そんなわけですから、仕事柄色んなご家族のお話を聞いたり、保護者の方々に向けて情報を発信していくことが多いのですけれど、やっぱり現状は圧倒的に「母親」がメインユーザーです。

オンラインでもオフラインでも、父親の姿を見る機会は僅少です。で、お母さんたちの悩み苦しみ不安を聞くに、そりゃ大変だよなとも思うし、「世の父親、もうちょっとで良いから時間と関心を割いてくれ〜」と思うこともあります。どちらかというと、世の男性の中では比較的母親の悩みの側に近い立場にいる人間だと思います。

それでもたまに、思うのです。

世の「育児コンテンツ」、ちょっと男性(父親)に厳しすぎやしないかい?と…

夫に「手伝うよ」と言われたら「手伝うよじゃねーよボケがしばくぞ」と思う妻/母親はきっと少なくなくて、四宮先生は世の女性達の意見をある種代弁したからこそ喝采を浴びたのだろうとは思います。

たぶんそれは、今までの日本社会の数多の男たちが積み上げてきた実績に依るものなのでしょう。

無意識で悪気が無いかもしれないけれど、妻や子どもよりも自分の都合(仕事とか)優先で動いてきた夫/父親が、少なからず妻/母親を苦しめ、傷を残してきたという事実はあると思います。

その意味で、怒られるのは「手伝うよ」とか言っちゃう男性の側に責任があると言えるのかもしれません。

だけど、そうやって男性を、当事者意識の薄い父親たちを責め立てて溜飲を下げるだけでは、本当にその問題は解決しないのではないかと思います。

夫「手伝うよ」妻「手伝うよじゃねーよボケが」みたいなモードになってしまう”前”のフェーズで、そもそも何が出来たのか、という問いこそが必要だと僕は考えます。

実際に父親になってみて分かりましたが、今の日本では、夫の側は自分で相当意識と努力をしないと、外野からおずおずと「手伝うよ」と言うしかない状況に陥りやすいのです。

たとえば、妻が妊娠をしてから子どもが生まれるまで、「受動的」にでも必ず通る必須の産前イベントだけを比べてみても、

母親: 両親学級+母親学級+定期検診&リアルな身体的変化…
父親: 両親学級

と、大きく回数に差があるんですね。

母親になるための事前知識と準備、当事者意識を育む上での機会がたくさんあるのに対し、父親は、両親学級で妊婦体験とか沐浴体験とかするぐらいです。

父親の側が圧倒的にインプレッション不足、インプット不足になりやすい構造があります。

「待ってるんじゃなくて自分で情報取りに行け、そこから当事者意識を持て」と言う方もおられるかもしれませんが、産休による強制的な生活の変化を必須としない夫/父親の側は、これまで通りギリギリまで忙しく仕事をしていくなかで、プライベートな隙間時間だけを使って自ら積極的に情報摂取することは、なかなか簡単ではありません。

じゃあどうすればいいのか。

たぶんそういう時期にこそ、夫婦での「対話」を重ねることが大事だと思います。

本格的な「産前」に入る前に、自分たちがパパとママになる前に、夫と妻、まだ家族が「ふたり」だけでいる間に、とにかく色んなことを話して、ふたりの価値観の交換をしておくことです。

わが家の場合は、ツマが産休に入る前に
・夫/妻として
・父親/母親として
・ひとりの人間として

お互いが何を大事にし、お互いに何を望むのか、書き出して交換するというのをやったのですが、あれはけっこう良かったと思います。

夫に急に「父親」になることを要求するのではなく、また妻の側がたった一人で「母親」としての重責を引き受けることもなく、お互いの中に、父親と母親以外の要素もあることを当たり前の前提として認識する。その上で、新しい家族を迎えるにあたり、どうやって生活上の折り合いをつけていくのか、プライオリティを整理していく。

そこで話し合った通りのことが今100%パーフェクトに出来ているわけではないですが、子どもが生まれてからも変わらず自然と、情報・意見交換のためのコミュニケーションができていると思います(生後2ヶ月弱の今のところ、ね。油断は禁物ですが)。

「手伝うよ」というセリフは、もちろん父親としては褒められたものではありません。

でも、ちょっとズレているとはいえ、「手伝うよ」と自分から言う男性は、少なくとも「何かをしよう」という気持ちは持っているのですよね。たぶん。

ズレをズレのまま放置して叱りつけるのではなくて、その前向きな気持が、空回りせずちゃんと噛み合っていくように対話していくことは、それは夫と妻、どちらかではなく「ふたり」でしかできないことだと思います。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

社会と「わたし」をつなぎなおすための試み、あるいは出版に向けた口上書き

February 14, 2018 Yuhei Suzuki
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昨年の12月に30歳を迎え、また同じ月にムスメが生まれた。学生の頃からほそぼそと文章を書いていた根暗な青年だったはずが、なんだかんだと書くことが「仕事」になり、今では会社で立ち上げたメディアの編集長をやったりなんかして、とにかくなんだか家庭も仕事も、いつの間にか進捗している。

30歳成人説とは本当だったのか。

得も言われぬ生きづらさ、社会とのズレを感じながらも、さしたるわかりやすいマイノリティレーベルが付与されているわけでもなく、何か一つ特定の社会問題に対する強い強い当事者性や義憤・怒りを持つほどでもなく、ただただ自分のために、小さな違和感から出発して他者との接点を探す、という風にして書いてきたように思う。特に20代前半の頃は。

20代後半から30歳にかけて、少しずつ「生きていていいのだ」という実感を持てるようになっていった。色々な土地に行き、色々な仕事をし、色々な年代・特性の人と交わり、そして共に生きる人と出会い…ぎこちない中でも少しずつ社会との接点が増えていく。世界の網の目の中に自分を定位し、他者とのちがいを前提に、かかわり合いの中でわたしという存在を確かめ、編み直していけるようになった。

伴って、わたしが書く文章も変わっていったし、またそれがいくつかの記事で、自分にとっても、インタビュイーに対しても、読み手に対しても、良いものを贈ることができたなという手応えを得ることもできた。


「出版」という言葉に対して、実現性と必然性の両方を持って向き合うことができるようになったのは、そうしたここ最近の変化を受けてのことだろう。

一方で、仕事に育児にといった日常に追われるなかで、どんどんと時間が過ぎていくことに対する切迫感も増してきている。

世界の驚くことができるだけの感性の瑞々しさと、対象とほどよい距離を保って書けるだけの節度と畏れ。この両方を持って書けるのは今このタイミングなのではないかと、根拠のない直感。

それが思い込みであろうとなんであろうと、火が消えないうちに書き切ることが必要である。


「書こうと思えばお風呂でだって書ける」と発破をかけられたり、「抱え込むと筆が重くなるタイプだから途中経過もどんどん出して人を巻き込んだ方が良い」と助言されたり、ここ数日の友人からの薦めに従って、とにかく筆は止めないようにしようとだけ決めた。まぁ要は覚悟の問題なのだろう。企画書に取材に原稿に…とやるべきことは色々あるのだが、固まるのを待たずに「過程」から先にオープンにしていこうと思う。


わたしが書く文章のアプローチをあえて説明するとすれば、個的な体験と関わり合いから出発して、社会的な事柄を覗き、理解し、個人の選択と物語の中に編み込んでいくということなのだと思う。

結論ではなく問いから、平均化された全体像ではなく個人の独自な体験から掘り下げていく(でも実はそれがある種の普遍につながることがある)。

最初から「社会問題」を取り上げようという熱意を持っていないから、わたしにとっては、ただただ自分の大切な人・好きな人について描いてきただけなのだけど、でもそれが良かったのかもしれない。

自分自身の心が動く方へ動く方へと、ある種のジャーニーのようにして書いていくような感覚だ。

前置きが長くなった。わたしは、いま、何を描いていくのか。

冒頭述べた通り、わたしは先日父になった。

自分が父親になっていく過程を通して、子どもが生まれ育つこと、「わたし」の中に「父親」や「母親」というアイデンティティが生まれ育っていくこと、その中で家庭をつくっていくということ、一人ひとりの選択と、それを取り巻く社会のこと…を考えていきたい。

それを、これまでやってきたように、「わたし」の違和感や疑問から出発しながらも、似たような、しかし違う経験をして「親」になってきた「あなた」たちのお話を聞きながら、描いていきたい。



軽々しく「奇跡」と言うつもりは毛頭ないが、やはり子どもが生まれるというのは「偶然」の産物だと思う。

私はいま仕事で、主に発達障害がある子どもやその保護者に対するサポートをしているが、もちろんそれ以外にもたくさんの新生児・小児疾患・障害というものはあって、改めてネットで調べてみたりすると、発生率が1000人に1人とか2人とか、そんなに少なくないものが1つや2つでなく、けっこうな数としてあるのだ。

たとえば私がいた大学は1学年3000人、今いる会社はスタッフ総勢2000人弱なのだけど、つまりそれぐらいの規模の人口に対して1人や2人は該当する、という類の疾患・障害が、発生するかどうかわからない「リスク」として、産前産後の母子を取り巻いている/いた、のだ。

実際、同世代の友人・知人も次々と出産していくなかで、わたしがこの分野で仕事をしていることもあってか、生まれたお子さんの障害・疾患についての報告や相談を受けることがあった。実際問題、それぐらいの頻度で発生するのだ。

ところがわが家の場合、それらのリスクをなぜだか(今のところは)スルーっとすり抜けることができたのか、「母子ともに健康」であるようなのである。

「わたしたち」どの家庭の境遇が入れ替わったとしてもおかしくはない。それなのに、どういうわけか今、「ちがう」人生を生きている。

これはいったいどういうことだろう。

お互いに責任なんて取れっこないし、実際に「入れ替わる」ことなんてたぶん出来ないんだけど。“あり得たかもしれない“という事実に対して、ただ祈るような気持ちになることがある。

祈ったところで何も変わらないのだけど、でもどうあれ、「わたし」も「あなた」も、それぞれの人生をどう生きるかということを考えていかなきゃならない。

「親」になった一人ひとりが、また共に家庭を営み子どもを育てる「パートナー」が、そしてまだ言葉を発さぬ新しい生命が、それぞれにどんな選択をして、どんな物語を編んでいくのか。

そういうことをこれから見て、聞いて、考えて、書いていきたいと思う。

In essay Tags fragile

プチ育休からの社会復帰

February 13, 2018 Yuhei Suzuki
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火曜日朝の燃えるゴミに、オムツのたくさん入った緑の消臭袋が加わった。

まだ日の昇る前、ツマとムスメを起こさぬようにそろりと家を出る(ツマは起きてたかもしれないが)。

なんかちょっと古臭くて嫌だなとか思いながらも「とーちゃん仕事がんばってくるからな」的内心のつぶやきと、1週間の休み明けで、4営業日(今週は全社イベントもあるので実質3営業日)しかない怒涛の日々をうまく社会復帰できるかなというぼやき。まぁとにかく出社である。

先週1週間は有給と週末休を組み合わせて1週間のお休みを取り、しばらくツマの実家にお世話になっていたツマとムスメを迎え入れるためのプチ育休だった。

迎え入れる日に大掃除が全然終わっていないという体たらくだったが、それもなんとか終わり、ムスメの授乳・寝かしつけ・入浴・オムツ替えetc.の諸々を分業でこなしつつ、合間の調理や食事や洗濯や掃除片付けや買い出しやあれやこれやを隙間に済ませつつ、と3人での新生活を進めるにあたってのひとしきりの基礎動作は1スプリント終わったかなという感覚。

合間にちょろちょろとデスクワークをしたり、なんだかんだ1,2回諸用で出社したのだけどwお留守の間もチームのみんな銘々に進めてくれている様子をslackやメールで確認しながらも、比較的穏やかな時間を過ごさせてもらった。

さて今日からまた本格復帰というか、まぁ1週間程度なのだけど、基本的には今まで通り私はフルタイム勤務なわけで、しかし一方で今までのように夜遅くまでオフィスに残るのではなく、食事・入浴のために早めに帰社するみたいな時間の使い方にシフトせねばならんわけで(それもあってここ半年は朝型にシフトしていったのだが)、これから新しい「日常」のリズムがだんだんと刻まれていくのだなという感覚。

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連休の最終日。

「OTON GLASS」の島影さんたちのオフィスを訪問。

父親の失読症をきっかけに島影さんが企画・開発を始めたスマートグラスで、内臓カメラが文字情報を読み取り、日本語・英語で読み上げてくれるプロダクトだ。

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noteには動画ファイルをアップできないので画像のみになるが、これがかなりの精度で驚いた。僕が持ってきた発達ナビの媒体資料だが、フォントの文字だけでなく、ロゴに含まれる文字情報もちゃんと読み取ってくれた。英語翻訳も相当なものだ。

当初想定していた失読症やディスレクシアの人だけでなく、全盲・視覚障害の人がヘルパー無しでも手元の物が読み取れたり自動販売機で商品を選べたり、外国人観光客が日本語の標識情報を翻訳で読み取れたりと…さまざまな人の「読む」体験を拡張し、ひいては生活の質を向上させるポテンシャルのあるプロダクトだった。

全盲の人が自動販売機で一人で買い物が出来る、ということにも象徴されるが、人間の身体能力をテクノロジーが拡張することは、単に生活機能を補完するだけでなく、今まで諦めていた社会的・文化的活動を自分でできる・選べるということなのだ。

島影さんはじめOTONチームの皆さんはどなたもお話していてとっても気持ちがよく、あぁこの人たちは「未来」を作ろうとしているんだなぁという、そういう気というかムードというか前向きなエネルギーをもらった気分。

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ほんとは昨日飲む予定だったけどインフルでダウンした東藤さんとチャット。

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「鈴木 悠平 - ”うつ界のアイドル(非公認)の引退宣言に寄せて” https://t.co/7jO21aY2uJ 1年前の記事がFacebookで上がってきて、「けっこういいこと書いてたね」と東藤さんとじゃれ合うなど。 "世の中にもっと「クッション」を増やしていきたいなと思う。" これはほんとにそうよ。」 / Twitter

「子育てしながらでなかなかまとまった時間取れないけど出版に向けてじわじわ書き出してる」という話をしたら、「ナボコフは売れる前お風呂で小説書いてたらしいよ。書く自由はどんな環境でもあるはずだー」と励まされた。

うん頑張ろう。とにかく小出しでも良いから断片を毎日隙間に書いては出すというのは、ベースとしてちゃんと確保・継続しよう。最初から完璧を目指すと手が止まってしまうので。

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夜は友人たちと燻製アパートメントで食事。出産祝いにお花をもらった。

父親になって見る目の解像度が上がった事象があること(新生児系の疾患・障害とか、保育園問題とか)、一方で巷の育児家事系の止むことない炎上案件はどこか手触り感がないこと、個々人の小さな物語、0か100かでない選択の網の目を掬う必要があることなどひとしきり最近自分のなかで高まってるトピックを聞いてもらって、それをちゃんと書こうってなった。「一人で抱え込まないでみんなにどんどん共有してケツを叩いてもらうのが一番良い」という結論だった。


そんな感じの連休最終日。からの火曜日朝。

働くぞー。

In diary Tags diary, male-hus-dad-parent-andme

#17「ツマの、休息。オットの、留守番」2018/02/08

February 8, 2018 Yuhei Suzuki

ツマ「温泉気持ちよかった!母ちゃんからひとりの人間に生まれ変わったよ!感謝カンゲキ雨嵐!!」

オット「おー、それはよかった。マッサージもしてきたのかい?」

ツマ「うん。『妊娠中の方は受けられません』って書いてたけど、私はもう産んだしセーフだと思って突入した」

オット「セーフセーフ」

ツマ「担当の人がね。『お辛いところはありますか?』って言われて『育児でボロボロです…』って言ったら『じゃあ、全部ですね…!』キリッって感じで、あとは全てを察してくれたかのように、施術中ひとことも話しかけないでいてくれたよ…」

オット「いい人や…」

ツマ「いっちゃんと二人で大丈夫だった?」

オット「うん、夕方に2回ほどギャン泣きの波がきたけど、どうにかこうにか。でもあれだね、これを毎日やってるって、ゆりさんと、世のすべての子育て中の人へのリスペクト度が更に50ポイントアップしたよね」

ツマ「笑」

オット「オシメも替えて、ミルクもあげて、抱っこして揺らしてそれでもなおギャン泣きって時はもう、自分の無力さに途方にくれるよね…」

ツマ「あるある」

オット「俺おっぱい出ないし、もうこれ以上引き出しないぞ的な」

ツマ「それがね、おっぱいあげても途中で『ふぅええぇ〜!』ってなって全然ダメなときもあるんだよ」

オット「そうなのか…。今までも一日一緒に過ごしたことはあったけど、ゆりさんと一緒で2人だったし、たった一人でいる時にぎゃん泣きモードが来たときの絶望感たるや」

ツマ「そうだね…今日はどうやって乗り切ったの」

オット「もうどうしようもないからとりあえず抱っこしながらスクワットしたらね、おさまった」

ツマ「スクワットw」

オット「ちょっと上半身で揺するぐらいじゃ全然だめで、全力のスクワットしたらなんかご機嫌になった」

ツマ「Gがかかってる感が心地よかったのかもしれない」

オット「おかげで太ももがパンパン」

ツマ「よかったじゃん、ダイエットダイエット」

#17 「ツマの、休息。オットの、留守番」2017/02/08

本日の夕げ

・チーズタッカルビ

・ごはん

・わかめスープ

昼間にNHKの料理番組で紹介されたチーズタッカルビがうまそうだったので作ることにした。これがね、激ウマ

人気の味を家庭で! チーズタッカルビ レシピ

上がツマ作

下がオット作

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#16「ツマと、ムスメ: 3人の生活がいよいよスタート」2018/02/07

February 7, 2018 Yuhei Suzuki
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我が家に新しい家族が増え、そして昨日から3人での新しい生活が始まりました。

ムスメが生まれたのは12月21日、産前産後の3ヶ月ほどはツマの実家にお世話になり(ありがとうございました)、オットは週に1,2回通いながら年末年始の繁忙をしゃかりきサバイブする的怒涛の日々を乗り越え、昨日2月6日に夫婦でもともと暮らしていたアパートに、ツマとムスメを迎え入れたというわけ。

これからツマとムスメを迎えにゆく(大掃除は終わっていない) — 閒-あわい- 


当日までに終わらせるとオットが豪語していた大掃除は終わらず、かろうじて寝室だけを綺麗にして、そこにツマとムスメを避難させながら現在進行系で突貫大掃除進行中。

オットは、二人を迎え入れるこの1週間、有給&週末休を利用して1週間ほどのプチ育休期間としたのだけど、はいこちらも相変わらず、前日までにスパッと仕事が終わるかというとなかなかそうはいかず、すき間を見てはメールを打つみたいな感じのあれやこれやでいつもギリギリで生きてる。

「今日のご飯は三食俺が作る!」とか意気込んでビーフシチューを作り出したんだけど、炊飯器のスイッチを押し忘れたり、その間にムスメがグズりだしたり、あれやこれやでようやくさっき食べたところ。

この夫婦note恒例のお絵かきものんびりできるはずはなく、ムスメを交互に抱きながらサササーっと描きましたとさ。

そんな感じで今回は、いつものようにのらりくらりと食卓トークをお届けする余裕がなかったのですが、それも含めて親子3人の新生活!って感じで、あわあわしているけどなんだか楽しみでもあります。

明日は、ツマには近くの銭湯やマッサージ屋にでも行ってリフレッシュしてもらうつもり。留守を守れるのかー。がんばる。

(Text: オット)

#16 「ツマと、ムスメ: 3人の生活がいよいよスタート」2017/02/07

本日の夕げ

・ビーフシチュー

・ごはん

・にんじん・ピーマン・玉ねぎのサラダ

・海ぶどう(いただきもの)

上がツマ作

下がオット作

もうこれも眠くてぐずるムスメを交互にあやしながら大急ぎで描いたもんだから、画力に定評あるツマもこれよ。

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これからツマとムスメを迎えにゆく(大掃除は終わっていない)

February 6, 2018 Yuhei Suzuki

立川行きの南武線に乗りながらこのnoteを書いている。

今日は、高尾の方にあるツマの実家に行って、ツマとムスメを迎えにゆく日である。

ムスメはすくすくと育ち、今のところ大きな病気もなく、というか体重が早くも5kgに迫るというビッグドーターであり、先日無事お宮参りや家族写真、1ヶ月健診など、雪が残る高尾の地にてつづかなく終えたところで、産休中から出産直後のおおよそ3ヶ月強とお世話になったツマのご実家を離れ、今日から家族3人での暮らしが始まるわけである。

だけども、問題は、今日の朝、掃除が終わっていないということだ。

ツマを迎えるにあたって、生活を整える意味でも、ツマにわずかばかりのリフレッシュの時間をつくるためにも(銭湯とかマッサージとか)、わたしもムスメとゆっくりふれあう時間をつくるためにも、今日から来週月曜にかけての1週間、まぁ有給と週末連休を組み合わせただけの簡素なものなのだけれど、プチ育休を取ろうということで、昨日2/5(月)までに急ぎの案件はもろもろ駆け込みでぶち込んでガシガシ猛烈に進めていき(終わらなかったけど)、ツマとムスメを迎えるまでに、タスクを一覧化した上で家の掃除・片付けをちょっとずつ終わらせて、そして一週間休むぞー休むんだーというつもりでおりました。

はい。大掃除がまだ終わっておりません。

やっぱり小分けにしてとかはほとんど無理だったので(前日までに40%ぐらいは進んだ。ごめんちょっと盛った25%ぐらいだ。いや20%だ)、もうこれは前日の夜が勝負だ、決戦は月曜日!2/5の夜に全部やる、夜なべして家を超きれいにしてそしてツマとムスメを迎えにゆくのだーという作戦でおりました。

月曜最後の打ち合わせを終えて、渋谷で丸亀製麺を食べ、10時ぐらいに家について、よしやるぞーってなったはずなの。はずなのよ。

でもね、起きたら7時。

どうしてこうなった。


いや私もね、30歳にもなりましたので、自分のことはよくわかっているつもりで、だいたい〆切直前にならないと火がつかないタイプというか、前日前夜が一番パフォーマンス出るというか、なのでほんと、一個一個の案件をギリギリ全開パワー火事場のクソ力を納期直前にグイッと半ば意図的に出してそれで乗り切ってきたタイプというか(合間に〆切を調整するという寝技も使いこなしながら)、まぁでもやるときはやるっていうか、なんだかんだで当日の朝には間に合わせるタイプなんですよ。先日も「悠平さんの〆切ドリブン運用やばいっすね」って後輩に褒められたとこ(褒めてんのかな)。割といい記事書いたと思う、その日。

という矢先にこれよ。

油断、慢心。お腹のたるみ。

なぜベストを尽くさないのか。

オット猛省、ツマ呆れ顔。


とりあえず、ツマに電話で平謝りして、「寝室に避難できる状態にだけしてくれたら、あとは午後やればいいから」というリカバリープランを提示され(よかった!シーツと布団干すという時間かかる系タスクだけ先にやってたのよ。威張ることじゃないけど)、鬼の勢いで寝室にでけクイックルワイパーウェットタイプをかけ、シャワーを浴びてわが家を飛び出しました。

お休み前に色々みんなにメールしたり原稿チェックしたりしながら南武線が進んでおります、なう。noteを書いている場合かと。

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お宮参りと家族写真

January 31, 2018 Yuhei Suzuki
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28日の朝にまた高尾に行き、ツマとムスメ、じいじとばあば、ひいばあと合流、家の近くの神社にお宮参りへ。
(例のごとく寝坊しそうになってギリギリの到着だった。どうでもいいけど、子どもが生まれた瞬間、みんな自分や周囲の人への呼称が1段階上がるというか、ツマにとって変わらず父・母である人がじいじとばあばになる。本人もそう自認するし振る舞ったりする。不思議だ)

まだまだ高尾には先日の雪がたくさん残っており、とにかく寒い。お宮参りでも足を震わせながら祝詞奏上を聞いていたりしたのだが、ムスメの方は至って落ち着いた様子。太鼓の音にも動じず、祝詞が終わった瞬間に「ふぇっ」とか絶妙なタイミングで合いの手を入れてくれたりした(笑)

お宮参り自体は特段困難もなく、あっさりと終了。お昼を挟んでから某ショッピングモール内の写真スタジオに行き、家族写真の撮影に

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行ってみるとスタジオ内には大量の衣装。すでにこの日予約していた何家族かが撮影を進めており、3歳か4歳ぐらいの女の子が肩出しのドレスでポーズを決めて写真を撮られたりなんかしていて、「すげー、こんなに子ども用の衣装あるんか!」と社会勉強気分で驚いてしまった。

身体を丸めてぐっすり眠っているムスメを抱きながら、フォトスタジオのスタッフさんと段取りを確認し、前の組が終わるまで待ち合いスペースで待つ。そこから、ムスメに祝い着を着せ、撮影に(ちなみにこの撮影直前にウンチが出てスタジオ内でのおしめ替えイベントが発生。赤子はTPOから自由である。お店側も慣れたものだ)。

撮影自体は大きなトラブルもなく、つつがなく終わったが、ムスメはよく頑張ってくれたと思う(がんばるという自覚はないだろうが)。

フォトスタジオのフォトグラファーさん、鈴を鳴らしてムスメの関心を引いた瞬間にパシャってやったり、小道具の枝葉を片手で持ちながらいい感じにぼかした構図でパシャってやったり、泣き出したら歌いながらあやしたり、子どもと相対する際のコミュニケーションの引き出しも、運動量も多く、その仕事ぶりには感心した。

祝着で撮られたりドレスで撮られたり、われわれ大人の夢と願望を一身に背負って何も分からぬままにカメラ目線とかしてくれたし(これもカメラ目線という自覚はないだろうけど)、後半だんだん疲れてきてグズりかけたのだけど、スタッフさんたちにあやされながらなんとか乗り切り…まぁほんとよく頑張ってくれた。

終わったあとは、パソコンで写真のセレクトをして、アルバムのレイアウトを選んでいくのだが、その間、店内あちこちに飾られている見本写真を興味深く眺めていた。

この子たちは、いわゆる「赤ちゃんモデル」である。よくよく考えてみると世の赤ちゃんモデルたちは、自ら望んだり、せめて同意をするという機会もなく、自分のあずかり知らぬところで赤ちゃんモデルになっているのである。もっというと、「赤ちゃんモデル」界というのにも、やはり市場があり、我が子を赤ちゃんモデルに!と願う親たちによるたくさんのエントリーと、誰がどうやってるのか知らないけど、それらの写真を”評価”する人たちがいて、採用されたりされなかったりするのである。いやはや、「社会」だ。

お宮参りにしろ、家族写真にしろ、「赤ちゃん」という、自我の芽生え以前の過程にある生命は、すでに「社会」の慣習・文化・経済に組み込まれながら存在しているのだ。この時期の我々親や周囲の大人によるかかわりが、赤ちゃんの生育にどのような影響を与えるのか…ゼロってことはないし、でも大人が気を揉みまくるほどには大きくないのかもしれないし、とにかくそれは結局のところ「わからない」のである。なるべく良さそうな写りの写真を選んだりとか、そういうことしかできないのだけど、せめて悪いようにはすまい、と願う。

そんなことを思いながら、ムスメにあれやこれやと話しかける毎日である。

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生後1ヶ月が経って。余白のつくり方について

January 22, 2018 Yuhei Suzuki
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早いもので昨日でムスメが生まれて1ヶ月が経つ。

ツマから写真が送られてきたのだけど、たしかに1ヶ月経つだけでずいぶん成長したなぁ、なんとなーくだんだんと、少しずつ、なんかこう「人間らしく」なっていくなぁという感あり。

そんな1ヶ月記念日当日だが、私は会社の方でイベント稼働があったので出勤しており、撮影現場には居合わせていない。

年末年始はゆっくりツマの実家で過ごせたのだけど、仕事始め以降は、なっかなかに忙しくて(来期の予算編成やら今期の追い込みやら新規事業のリリース前の追い込みやらなにかと重なった)、週に一回顔を出すのがせいぜいのペースとなっている。

体力や時間、その他有限のリソースの中で、一緒にどう育児を乗り切るかということを日々考える。 何もかもが劇的に変えられるわけではないのだけれど、個人として、オットとして、ツマとして、働く人として、アイデンティティを占めるそれぞれのペルソナに対して、子どもが生まれたという変数によって微妙な変化が起こり、またそれが相互にじんわり影響し合っているという感じだ。

たとえば仕事。上記の通り1月はなかなかきっついのだけれど、2月からはツマとムスメを実家からこちらに迎え入れるので、お風呂や食事や寝かしつけやツマの休養や考えると、仕事で自分のキャパを埋め尽くしては到底足りない。朝から晩まで働かなくて済むように、チームの編成や分担、そもそもの目標設定などなどを、自分だけでなくみんながサステイナブルな形にどうしていくかということを、以前よりも積極的に考え、またみんなとも相談している。

短期措置ではあるが、2月に迎え入れる最初の週は、まるっと1週間休むことにした。ムスメもそうだけど、ずっと実家にいたツマのリフレッシュも必要だろう。

今月も、実家に顔を出すのを週末だけではなく、たまに平日を織り交ぜるようにしたり。ツマの両親は共働きなので、平日の日中はムスメとおばあさまをツマが一人で見なければならない。これはやっぱりなかなかに慌ただしいらしく、毎日とはいかないけど、土日に働いて平日日中休む、みたいな感じで顔を出すことにした。そうはいっても部分的なサポートにしかならないので、内心少しもどかしさはあったのだけど、「一人いるだけでだいぶ楽。隙間に寝る余裕できるもん」と言っていたので、まぁなにかの足しにはなっただろう。

逆方面からの影響としては、ムスメを抱いていると、あらゆることのやる気がなくなるぐらいの幸せホルモンが出てしまうので、「あれ、俺そもそもそこまで働きすぎなくてよくね?」という冷静な判断・見つめ直しが出来たりする笑

それからツマに関しても。彼女は同じ会社で子どもの発達支援に携わり、産休前は並行して大学院の博士課程にも所属していた。本人は付き合っていた当初から「私は育児のプライオリティが一番高いから、育休はフルで取るし、悠平は働きたいなら働いていいよ」と宣言していたのだが、そうはいってもそれ以外の要素がゼロになるということでもないだろうし、やはり四六時中ムスメにつきっきりでいるのではなく、時にはリフレッシュも必要だろうから、ツマの人生にとっての「母親」以外の要素が顔を出そうとしたとき、それが"育児によって"常に諦めなければならない、ということがないように、私自身は備えというか、いつでもバトンタッチするフットワークの軽さを持っておきたいと思う。

つらつらと書いたが、つまり換言すると「そんなに働きすぎなくてもええんちゃうか」ということになってしまうのだけれど…育児か仕事か、とか、オットかツマか、とか二者択一ではなくて、役割分担の重みづけはありつつも、必要に応じて柔軟に入れ替われる・サポートに入れるというだけの「余白」を持つことが、きっと家族運営には大事なのだろうと思う。

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父親にとって、赤子がいる暮らしはいつから「日常」になるのか

January 14, 2018 Yuhei Suzuki

年末年始はツマの実家にお世話になり、ムスメとははじめて、4,5日単位のまとまった時間を共にすることとなった。沐浴やらお着替えやらおむつ替えやら、ミルクをやったりミルトン取り替えたり寝かしつけたりと一通りの基礎動作はそのあたりで体得した。最初の方はお風呂いれるだけでギャン泣きしていたけど、こちらの緊張が取れてきたのか、いまではご機嫌である。

1/2には黄疸の再検査で産婦人科に。退院時に要再検査となったのだが、その後母乳もミルクもたっぷり飲んですくすく育ったのか、再検査では無事OKの結果。ほっと一息。産婦人科の待ち合いスペースでは同じように黄疸再検査で来院したであろう家族がうちを入れて5,6。そのうち2,3組ずつは、出産タイミングが近くて同じ時期・同じ部屋で入院して顔を合わせた”同期”らしく、「黄疸ですか?うちもなんですー」などとそれぞれに会話を交わしていた(ツマも同じ部屋の”同期”のお母さんと出会ったようだ)

しかし、4日の仕事始めから今日に至るまでは、頻度にして週に1回程度しか顔を出せていない。ちょっと仕事が諸方面色々とバタついてしまい、任せられるものはなるべく他の人にお願いすればいいのだけど、そういう類でないものが同じタイミングにうげげと来てしまったものだから、当初意気込んでいたよりも実家への足が遠のく結果となってしまった。

基礎動作は体得したなどと満足そうに上で書いたが、結局のところまだ父親である私にとって、赤子のームスメのいる生活というものが、まだ完全に”日常”化していないという、中途半端な状態である。

来月頭にはこちらに迎え入れる予定だし、その間も健診とかお宮参りとか、1ヶ月目の諸イベントは発生してゆくし、なんだかんだとツマとムスメと過ごしている時間は楽しく心おだやかだし、実感がないかといったらまったくそんなことはないのだけれど。

それでもやはりツマのと比べるとはるかに短い時間しか一緒に過ごしていないことについては、なんというかこう、焦りという感じでもないし、負い目というとちょっと大げさすぎるし、いたたまれなさというのもちょっと違うし、とにかくなんとも名前のつけがたい感覚を抱えている。

日常と非日常の間というふわっとした状態。

まぁ最後のモラトリアムというか準備期間みたいなものだろうか。割と今月は無理して働いている感があるけど、やっぱり2月に入るとそうもいかないし、働き方は変えていかないといけないよなぁ。って前から言ってるけど。

明日も朝早い。

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「自分らしさ」なんて仮説でいいんだってば

January 12, 2018 Yuhei Suzuki
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昨日はとある大学の先生を訪ねる用事があったのだけど、本題の前に先生のゼミにちょこっとだけ顔を出すことになった。

少人数のゼミだったのと、こちらの仕事の分野とも近く、また彼女たちが就活を控えていることもあり、どんなことを考えているのか質問したり、会社や仕事の内容を少し紹介したりした。

そこで先生から「学生のどんなところを見ているのか、どんな学生を採用したいと思っているのか教えてほしい」とのリクエスト。

色々言ったけれど、要約するに「世界と自分はどう関わっていきたいのかという、課題意識やビジョン」と、「自分が変わっていくことに対する勇気、あるいは素直さ」と、その両方が大事ですかね、みたいな話をした。

で、先生的には普段学生に対して感じている印象や心配事に刺さるものがあったらしく、なんだか盛り上がって。

曰く、ここ最近ふれあう学生の中には、「自分らしさ」なるものにとらわれていてなかなか柔軟に自分を変えていくことが難しい子が多いとのことだ。

何か確固たる「自分」というのがあって、それを確立することが大事で、一度決めたならあまり変えない方がいいんだ的な。

ちょっとメディアの責任もあるかもしれない。「オレ流」とか「自分なりに」とか「私らしい生き方」とかそういう言説が、表層的に受容されがちなのかも。

「自分」というのは無から生まれるものではないから、他者との関わり合いや比較からしか見えてこないし、また長い人生で他者と関わり合うなかでダイナミックに変化していくものだと思う。

当然、長い長い線としてみた場合、誰一人同じ人生を送っている人はいないし、あなたという人は替わりの効かないかけがえのない存在であることは大前提として。

しかしそれは「今」だけ切り取って簡単に見えてくるものでもなく、簡単に箇条書きして「定義」づけられるものでもない。「今」に固執しすぎると未来に変わっていく可能性が損なわれることもある。

ましてや21,22歳の大学生だ。飛び込んで働いてみて変わっていくことなんていくらでもあると思っていた方がいい。

あと、意外と他人の方が自分のことよく分かってくれてたりしてね。就職活動でも、実際に働きだしてからからでも、面接官とか上司とか同僚とかお客さんとか、他人からフィードバックをもらってはじめて気づくこともたくさんある。

「自分らしさ」なんてものはいつ定義したってただの「仮説」に過ぎず、また実際の「自分」というものも定義して捉える間もなく絶えずアップデートされていくものだぐらいに思ってた方が楽だと思う。
(新卒に限った話ではないけど)

日本のシューカツシステムに問題がないとは言わないし、僕はその流れに乗ることができずにフラフラしながらどうにか仕事にありついた口だから、あれなんだけど、色んな可能性に目を向ける機会としては、楽しみながらうまく使うと良いのではないかな。


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HUNTER×HUNTERの強化系能力者が放出系もそこそこ得意になるみたいなあれ

January 9, 2018 Yuhei Suzuki
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昨日はツマの実家でムスメをあやしたり沐浴させたりミルク飲ませたりの合間に同じ会社の子育てメディアの編集長とあれやこれやとチャットしていた。

メディアというのは生き物であるし、特に事業としてやっていくなら、「ここまで行ったら安泰」というラインは存在しないわけである。

そこで「次の一年どうすんだ」と、事業だったりメディア全体の企画を練るわけだが、それを実現するにしても、それが立ちいかなかった場合にどう対応するかにしても、結局「やる」のは人間なので。

変化に耐えうる人材をいかに厚い層で育てていくかというのを、常に意識しておかねばならんなぁと、当たり前なんだけど。

新規事業・メディアの立ち上がり・成長と共に、スタッフそれぞれの業務の専門分化が進む。それ自体は良いことなんだけど、もうちょっと会社全体とか、メディアや編集部機能を横断で見たときに、個別の事業状況の変化に応じて、個々人も新しい役割を持って成長・活躍していけるだけのリダンダンシーが備わっていた方が安全なのだ。

「遠くはないけど今とちょっと違う」業務や視点を持ち合わせている人同士でペアを組むとか、その人の強みを活かしつつも、レーダーチャートの近い項目もニョキニョキと育っていくような環境刺激が必要だ。

HUNTER×HUNTERの念能力のあれよ。一番得意な能力系統と、隣接するそこそこ伸びやすい能力系統と、相性最悪の能力系統がある、みたいなね。

ピアで学び合える組織って大事だなと。今年はそこらへんを意識して自分のはたらきかけを変えていけるといいなと。

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ブランディングしなきゃ生けてけないかってーと別にそんなことない

January 8, 2018 Yuhei Suzuki
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誰もがごく私的な体験や思い出や意見を発信できて、それが時たまこの大海原で思わぬ波紋とかうねりとか波とかを起こしてホームランドカーンみたいなインターネットの世界には希望があるなと総じて思うし、僕もどこぞのレガシーな団体で職業的訓練を受けることなく文字通りインターネットに育てられながらいつのまにか物を書いたり編集したりが生業になってきた口ですし、人が集まり裾野が広がればそこから「産業」が生まれるのは当然と言えば当然なのですが、昨今あまりに「個人DEブランディング」的な言説が多すぎやしませんか。

いいんだ。それも含めてドリームなんだ。挑戦したい人が挑戦できる「機会」があるというのは良いことだと思うんだけど、機会は機会なのであって、やはりそれを選ばない自由というのも当然あるわけだから、バガボンドの「戦いの螺旋から降りる」じゃないけど、産業に絡め取られない余白というか、なんの役にも立たないし儲かりもしないことを愛でる余裕をですね、しぶとくいじらしく持っておこうぜと、そう思うわけです。

今日は友だちと鍋をつついて美味しかったですまる

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