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父親にとって、赤子がいる暮らしはいつから「日常」になるのか

January 14, 2018 Yuhei Suzuki

年末年始はツマの実家にお世話になり、ムスメとははじめて、4,5日単位のまとまった時間を共にすることとなった。沐浴やらお着替えやらおむつ替えやら、ミルクをやったりミルトン取り替えたり寝かしつけたりと一通りの基礎動作はそのあたりで体得した。最初の方はお風呂いれるだけでギャン泣きしていたけど、こちらの緊張が取れてきたのか、いまではご機嫌である。

1/2には黄疸の再検査で産婦人科に。退院時に要再検査となったのだが、その後母乳もミルクもたっぷり飲んですくすく育ったのか、再検査では無事OKの結果。ほっと一息。産婦人科の待ち合いスペースでは同じように黄疸再検査で来院したであろう家族がうちを入れて5,6。そのうち2,3組ずつは、出産タイミングが近くて同じ時期・同じ部屋で入院して顔を合わせた”同期”らしく、「黄疸ですか?うちもなんですー」などとそれぞれに会話を交わしていた(ツマも同じ部屋の”同期”のお母さんと出会ったようだ)

しかし、4日の仕事始めから今日に至るまでは、頻度にして週に1回程度しか顔を出せていない。ちょっと仕事が諸方面色々とバタついてしまい、任せられるものはなるべく他の人にお願いすればいいのだけど、そういう類でないものが同じタイミングにうげげと来てしまったものだから、当初意気込んでいたよりも実家への足が遠のく結果となってしまった。

基礎動作は体得したなどと満足そうに上で書いたが、結局のところまだ父親である私にとって、赤子のームスメのいる生活というものが、まだ完全に”日常”化していないという、中途半端な状態である。

来月頭にはこちらに迎え入れる予定だし、その間も健診とかお宮参りとか、1ヶ月目の諸イベントは発生してゆくし、なんだかんだとツマとムスメと過ごしている時間は楽しく心おだやかだし、実感がないかといったらまったくそんなことはないのだけれど。

それでもやはりツマのと比べるとはるかに短い時間しか一緒に過ごしていないことについては、なんというかこう、焦りという感じでもないし、負い目というとちょっと大げさすぎるし、いたたまれなさというのもちょっと違うし、とにかくなんとも名前のつけがたい感覚を抱えている。

日常と非日常の間というふわっとした状態。

まぁ最後のモラトリアムというか準備期間みたいなものだろうか。割と今月は無理して働いている感があるけど、やっぱり2月に入るとそうもいかないし、働き方は変えていかないといけないよなぁ。って前から言ってるけど。

明日も朝早い。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme
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