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わたしが「男性」であるという、逃れられない事実に対して

September 26, 2019 Yuhei Suzuki
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「男性」であることと「女性」であること。それに伴って生まれる差異を、比較的意識しないで済む生き方や所属をしてきたと思う。お互いが平等で対等な個人としてかかわることを前提とする、比較的「リベラル」な文化・環境に身を置いてきた。

そんな自分も、やはり男性であり、そしてそれが社会的には「マジョリティ」である。そのことを強烈に意識させられた本が、『82年生まれ、キム・ジヨン』(著: チョ・ナムジュ, 訳: 斎藤真理子, 筑摩書房)だ。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本) | チョ・ナムジュ, 斎藤 真理子 |本 | 通販 | Amazon

1982年生まれの33歳、夫と1歳の娘の3人で暮らす女性、キム・ジヨンが、ある日突然母親や同級生が憑依したかのような奇妙な言動を取るようになったことをきっかけに精神科を受診。男性の精神科医による症例報告というフォーマットで、彼女が生まれてから2016年現在に至るまでの人生が語られる。韓国で「社会現象」と呼ばれるまでの大ベストセラーとなったのち、日本でも2018年に翻訳版が発売された。

家や学校での男の子との扱いの差、就職先・給与・仕事の配属等々の男女の待遇差、飲み会でのセクハラ、そしてストーカーや盗撮といった性暴力。キム・ジヨンという一人の女性の人生を通して淡々と描かれるのは、現代社会を生きる女性が直面するさまざまな性差別である。

キム・ジヨン氏の母〜祖母の世代における伝統的な男尊女卑的価値観とその残滓、男性のみに課せられる徴兵制度、IMF危機など、小説の舞台となる韓国特有の文化的・政治的・経済的背景もある。だけど、それらを差し引いてもなお、これを読んだ女性たちが国を超えて「私たちの物語」として受け取り、何かを語りたくなるだけの強さを持った本だと思う。

とある読書会でこの本を題材に語ることになった。参加者の年齢に幅はあったけれど、概ねキム・ジヨン氏(小説内で33歳)のプラスマイナス5歳ぐらいには収まっていたと思う。女性メンバーたちの最初の反応として、『キム・ジヨン』で描かれているようなことは、まぁ多かれ少なかれ「あるある」だよねというトーンで共通していた。

多様だったのは、その「あるある」に対する個々人の感じ方、対処の仕方だ。

明に暗に、女性差別的な対応をされたとき、それをどれだけ鋭敏に感じ取るか。その上で、真っ直ぐ怒るのか、サラリと受け流すのか、静かに距離を空けるのか。学校や就職先、所属コミュニティの文化によって、「女性であること」がどの程度不利になったのか。その上で生存戦略として、自分自身の身の置き方をどのように決めたのか。

自身の経験の語り方、語るときの声のトーンや表情。そこに彼女たちが、僕の経験していない「痛み」をどう受け止めて処理してきたのか(あるいは処理しきれなかったのか)があらわれているように感じた。

その日の読書会は、選書もあってか女性参加者の方がはるかに多かったが、僕も含めて男性参加者もいた。話しやすい雰囲気と関係性が非常によく担保された場なのだが、それでもこのときは、自分から何かを語ることが、とても難しく感じた。

それは、自分が「男性である」ことの潜在的な加害者性を意識せざるを得なかったからだと思う。

本を読んでいてもっとも苦しかったのは、高校時代のキム・ジヨン氏が、予備校からの帰りのバスで味わった恐怖の場面だ。後ろの席の男子生徒が、「いつもニコニコしてプリントを渡してきた」というだけで自分に気があると勘違いし、キム・ジヨン氏の帰り道をずっとつけてきて、ついには降りた停留所で立ちはだかったという場面だ。危うく襲われそうなところで、同じバスに乗っていた女性が駆けつけてきたため、男子生徒は逃げていったが、その一件がきっかけでキム・ジヨン氏は予備校をやめ、しばらく笑えなくなり、身の回りの男性がみんな怖くなった。

読んだとき、普段は意識せずに過ごすことができていた自分のマジョリティ性を突きつけられたようで、しばし頭がクラクラした。

この男子生徒と自分は同じカテゴリーに属している。1対1になったとき、女性を恐怖に陥れ、あまつさえ押さえつけることのできる身体や力の大きさを持った「男」なのだ。

ひどいやつだと思う。同じ男性として許せないとも思う。実際に、全ての男性がそんなことをしているわけではない(”Not all men”)。そりゃ当たり前だ。しかし、いくら言い聞かせたとしても、自分が潜在的に「そうできる」力を持っているという事実は変わらない。

検査や指導と称して、不必要に女子生徒の身体に触れる高校教師。会食の場でキム・ジヨンを隣に座らせ、セクハラ発言を繰り返して下品に笑う取引先の部長。作中では他にも、キム・ジヨン氏や彼女の友人たちが受けてきたさまざまな性差別・セクハラ事案が描かれる。フィクションではない現実で、同じような経験をしてきている女性がたくさんいることも知っている。身近な友人たちから直接に聞いたこともある。読めば読むほど、自分が同じ「男」であることに、暗澹たる気持ちになる。

しかし…我が身を振り返って、これまで自分が一切の性差別や抑圧に加担していなかったと言えるだろうか。多かれ少なかれ自分の中にもある「男の子」性が、無邪気に誰かを傷つけたことはなかったと言えるのか。小学校での隣の席の女子へのいたずら、思春期の男子たちの集まりで語られる「誰がいい」「あいつは無いわ」といった品定め。「悪気はなかった」「ちょっと口が滑っただけ」「幼かった。今はそんなことしない」と言い訳するのはたやすいが、そうした小さな鈍感さの積み重ねが、誰かを傷つけていなかったと言えるだろうか。

「ひどいこと」をする男性たちへの嫌悪感。彼らと同じカテゴリーに属する自分の、潜在的な加害性への恐れ。そして実際に人を傷つけてきたに違いないという現実。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

女性差別の問題に対して、自分が「どの口で」何を語ることができるのか。生まれ持った自分の身体が偶然に男性であるゆえに、逃れ得ない「マジョリティ」性を前に、口ごもるしかなかった。

*

「だけど、私たちも石を投げてきたかもしれない」
参加者の女性のひとりがそう発言した。

「被害者」としての経験を語る一方で 自分自分が女性差別や男性差別をしている可能性はないのか。マイノリティの立場であるからこそ、そのことに対する意識や想像が難しい部分もあるという。

「男性」と「女性」というマクロな切り分け方をしたときに、確かに性別格差・性差別は存在する。しかし、同じ「男性」「女性」集団の中にも世代・教育レベル・経済レベル・地域性などによって支配的な価値観や選択傾向を持ったさまざまなクラスター(小集団)が存在し、当然、個人レベルで言えばもっと多様な価値観と選択パターンが存在する。そして、自分が属するクラスターにおいてマイノリティとなるような選択をした人は、周囲からのプレッシャーを受けたり、自分自身の選択に自信を持ちづらかったりするのだ。

たとえば「男性」会社員が長期の育休を取る、または専業主夫になるという選択は、男女の機会均等を求めるリベラルなクラスターの中では称賛・受容されやすいかもしれないが、社会全体で見れば少数派となる。大半の日本企業では、まだまだ「男性はよく働き、会社で活躍し、出世し、稼いでいく」という暗黙の前提があり、育休を取ることが出世レース上で不利に働いたり、専業主夫になる男性が下に見られるといったことはあるだろう。「女性」の中でも、高学歴でキャリア志向の強い女性が多いクラスターの中では、出産を機に仕事を辞める「寿退社」を選ぶことに躊躇いや劣等感が生じやすいかもしれない。

僕が参加した読書会も男女共に高学歴の参加者が比較的多かったが、出産を機に仕事を辞めたという人が何人かいた。本当は両立したかったが泣く泣く諦めたという人もいれば、もともとそう望んでいたと語る人もいる。産休・育休は可能な限りギリギリまで短くし、すぐに仕事に復帰したという人、もともと仕事も楽しかったけれど、いざ生まれてみると育児が楽しくて、少し考えたけどあまり迷わずに退職を選んだという人、それほど急いではいないけれど、いずれは、また働きたいなぁとは思っている、という人。グラデーションの中には他にもさまざまな選択肢が散らばっている。

男女の機会均等、とりわけ女性の就業機会拡大が、その実態やスピードに課題はあれど、大きな傾向としては進展していく。経済的な理由も相まって「夫婦共働き」がスタンダードになっていく。そうした中でも、個人レベルでは当然、専業主夫/主婦になりたい、あるいはそれを選ぶ人たちはいるはずだ。しかし、高学歴・キャリア志向が強いクラスターであればあるほど、その選択はマイノリティとなり、暗にヒエラルキーの「下」として見られる傾向が強くなる。

参加していたとある女性が「私はもともと専業主婦になりたいと思ってそれを選択しただけなのに、どうしてそれを”降りる”とか”ドロップアウト”だとか言われなければいけないのか」と憤りを表明していたのが印象的だった。

本来なら個々人が自由に、フラットに社会的な役割を選択し、また行き来して良いはずだ。しかし男性である、女性であるという生物学的な差異と、歴史的に形成され、また変化していく「男女」にまつわる支配的な価値観や選択の傾向が、一回きりの人生である「わたし」の人生に否応なしに影響を及ぼしてくる。特に結婚・出産・育児というライフステージの節目においては、そもそも別種類であるはずの「あなたとわたし」の問題と「男女」の問題が同一視されやすい。

生まれた性別と時代に紐づく、逃れ得ないマジョリティ性・マイノリティ性に対して、一人ひとりの「わたし」はどう向き合えば良いのだろう。

*

読書会のあと、思い出したことがある。

自分より世代が上で、もっと女性差別が強かった時代に自分の力でキャリアを切り開いてきた、そんな「強い女性」たちに、人生のいくつかのタイミングで、出会い、かかわり、教えを受けるなどした。ほとんどの方とは今はもう会っていないし、連絡を取ることもない。記憶も少しずつ薄れ、混ざり、変容もしているだろう。ぼんやりと、ただぼんやりと、いくつかの表情と言葉を帰り道に思い出した。

「ノーブレス・オブリージュ(高貴なる義務)」ということをよく言われた。恵まれた立場にあるものは、その能力やリソースを、恵まれない立場にあるものも含めた社会全体に奉仕するために使うべきだという考えだ。当時の僕は、「ノーブレス」という形容詞への違和感や、それを語る人たちの「お説教」的物言いへの嫌悪感や、モラトリアム真っ只中で自分が生きるのに必死なのにそんな義務を勝手に課されたくないよという逃避から、その言葉を受け取ることを拒んでいた。

少しは大人になって、自分より若い世代と仕事等で関わることが増えた今も、僕はこの発想には与しない。その考え方が生まれた背景や社会構造に一定の理解はするものの、複雑で多様な人間を、能力や立場の強弱二分することの限界、「強い」側からの視点だけで社会を捉え、変革しようとすることの欺瞞を感じるからだ。

けれども、個人的な主義主張・好き嫌いを脇に置いて、その言葉を僕が受け入れにくかった理由は別のところにあったのだろう。

つまるところそれは、「男性」と「女性」の問題である。この社会で男性として生きること、女性として生きることで背負う構造の問題である。年齢・経験・キャリアの差、そして「教える」「教わる」という師弟関係において、彼女たちの方が僕より「強い」立場にあったからこそ、「男女」の問題が一層際立った。表立ってそこに触れることはほとんどなかったと思う。あくまで「わたし」と「あなた」の会話をしていたはずだ。だけど当時の僕は、無意識下にプレッシャーを感じていた。

女性が働く上で直面するさまざまな見えない障壁の喩えとして「ガラスの天井」という言葉がある。就活や職業選択、業務上のやり取り、配属や昇進等のさまざまな場面において、時に露骨に、時にやんわりと示される「女性であること」による差別。統計的には、従業員や、役員構成や、育休取得率の男女間ギャップといったもので可視化される。現在でもまだまだ残っていると言えるだろう。

僕が思い起こす女性たちはいずれも、ガラスの天井が今よりもっと分厚かった時代に戦ってきた人たちだ。大学入学時も就職時も、まわりはほとんど男性だったと、折に触れてエピソードも聞いた。男性社会で勝ち抜いていくことは事実大変だったと思うし、彼女たちのような先達一人ひとりの戦いが少しずつ女性を取り巻く環境を変えてきた、その歴史と痛みを思うと頭が下がる。

「ノーブレス・オブリージュ」とはきっと、そんな時代を生き抜いてきた彼女たちの矜持を表す言葉だったのだろう。自分たちが身を持ってその過酷さを体験してきたからこそ、下の世代に伝えたいこと、期待することが山程ある。

そんな彼女たちからすると当時の僕は、見ていてイライラする存在だったかもしれない。「あなたは、(男性としても若い世代としても能力としても)恵まれたものを持っているのに、どうしてそんなになよなよしているのか」と。事実、所属コミュニティの中で僕はダントツにこじらせてなよなよしていたし、みんなが着々と就職や進学先を決めていくなか行き当たりばったりでフラフラしていたし、女性メンバーの方がよっぽど優秀でしっかりしていたと思う。

とはいえ当時の僕は僕なりに、フラフラしながらもそれはそれで必死に悩んでいたものから、彼女たちの期待に応えて「力強く」生きていくことはどっちにしろできなかった。若かった、未熟だと言えばそれまでだけれど、別れはある種の必然だったのだろう。

先に言った通り、どれも1対1の、「わたし」と「あなた」の話なのだ。生きる上での価値観とタイミングが合わなかっただけに過ぎない。彼女たちも僕も、同級生たちも、誰も男性全体、女性全体を代表することなどできないはずだ。

それなのにどうして今になって思い出すのか。そこにはやっぱり、時代と世代のギャップによって重み付けされた、女性性・男性性のぶつかりが、「わたし」と「あなた」の関係の”中”に、無視できない重さで内包されていたからだと思う。

時計の針を巻き戻すことはできない。巻き戻したところで、当時の僕が話せたことはないかもしれない。

そうだとしても、無視できない男性性・女性性を自覚した上での「わたし」自身の問題として、彼女たちとの別れをもう一度受け止め直したとしたら、僕はこれからどうあるべきだろう。読書会の帰り道にそんなことを考えた。

「選べない」ことも含めて、自分なりの方法で運命を引き受ける。結局はそれしかないと思う。

自分が「男性」であることそれ自体について回る、潜在的な加害性を自覚すること。不当な差別や性搾取に対しては断固としてNOと言うこと。男性たちの内なるミソジニーを意識し、それが表出する場面に同調しないこと。

また一方で、「あなたは男だから」「男なのに」という逆向きの偏見に対しては、臆することも遠慮することもなく「僕”は”それを選ばない」と表明すること。

性別に伴うさまざまな痛み・苦しみを生み出している「社会構造」。自分がその一部であること、いつでも加害者になりうることからは目を背けない

その上で「今、この場で、わたしとあなたはこれを選ぶ」ということにお互いが納得できるまで向き合うこと。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

そんなことを言えば、罪を犯したことのない、一切手が汚れていない「ノーブレス」な人間なんていないのかもしれない。

「男女」の問題はそれぐらいにこじれやすくて、一筋縄ではいかなくて、しんどい。

でもそのしんどさからは逃げない。ここに留まって生きていくことはできる。

ノーブレスではないかもしれないけれど、少なくともオーネストでありたいと思う。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme, narrative, fragile

#子連れ会議OK の運用実態について、子育て共働き世帯の一人が思うこと

September 3, 2019 Yuhei Suzuki
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土日にムスメが熱を出したので、昨日は朝イチで保育園にお休みの連絡をし、小児科へ連れて行った。

この日はお昼にクライアントMTGが入っていたのだが、休み空け月曜に当日で病児保育はさすがに取れないだろうなぁと思っていたので、前日時点で同行メンバーにチャットで連絡をした。

僕以外のメンバーは現地に行けるし、内容的にも関係値的にも大丈夫そうだから僕はオンラインでつないでくれと依頼、ムスメと一緒に留守番しながら家から会議に参加した(幸いにして午後から病児保育が取れたので、オンラインMTGのあとはムスメを預けて仕事に行けた)。

こういう対応は初めてではなく、今のところ問題なくいっているように思う。

ふと思い出した。#子連れ会議OK ってやつあったな、と。

2017年に熊本の議会で、生後7ヶ月のお子さんを連れての議場入りを試みた議員に対して、議会から厳重注意を受けたという出来事に対して、Twitter上で著名人が #子連れ会議OK ですとハッシュタグをつけて声をあげていた。

「赤ちゃん連れ議会」OK? NG? 熊本市議会での論争の5つのポイント | ハフポスト   

あと、つい最近では、ニュージーランド議会の対象的な対応が話題になった。育休明けの議員がお子さんを連れて議場入りした際、自身にも3人の子どもがいるという議長が、議長席でシッター役を買って出たという。

議会審議中に議長が赤ちゃんを抱っこ、ミルクも与え ニュージーランド - BBCニュース   

個人的にはニュージーランド議会の対応には非常に好感を持てるし、それが議会だろうが、議事進行、つまり仕事に大きく支障がでなければ別にええやんと思うものの、熊本の話も、交渉のプロセスやもともとの会議規則の解釈など各論としては色々あったようなので、ここでは深く立ち入らない。

ただ、いち働く父親として思うのは、「議会」という、(それを特別視するのも良くないとは思うけど)一般の人からするとちょっと遠い舞台での紛糾と、それに対して著名人が「キャンペーン」的に論を張る、という構図で考えると、あまり子育て勤労世帯の実態に即した話にならないのではないかと思う。

基本的には、働く子育て世帯が、勤務時間中に(つまり建前としては子育てではなく仕事のための時間に)やむを得ない事情で子どもを連れて行きたい、という「イレギュラー対応」をどう適切にこなすかという話だと僕は考える。
(そもそも子どもを保育園に入れられないという「保育園落ちた」問題には本記事では立ち入らない。それはそれで重要な問題だとは思うが、いったん分ける)

現実的にどんな場面で子連れ仕事ニーズが発生して、実際上どう対応しているのか、我が家の事例も紹介しながら、考えるところを記す。

目次

  1. そもそもの前提として

  2. 子どもと仕事がバッティングするのはどんなときか

  3. やってみてどうか

そもそもの前提として

職場は仕事をしにくる場所であって、育児・保育をするのは家庭や保育園の役割である。いや当たり前なんだけど。

基本的には、「子連れ」対応を実行・許容するかどうかは、仕事の遂行に支障が出ない範囲かどうかという観点が必要だし、あくまでイレギュラー対応であって、常態化することを前提に議論することではないということを確認しておきたい。

わざわざそんな当たり前のことを言ったのは、ニュージーランドの子連れ議会の様子や、著名人の「#子連れ会議OK」キャンペーン的なものの印象が強くて「子どもが毎日会社に来ることを許容しろってことか」というような誤解が生まれるとやだなぁ、と思ったからである。

子どもの発熱時などで、他にも預けられなければ、当然親の我々がお仕事お休みして子どもを看病するわけで、「子連れ会議」や「子連れ出社」、「自宅オンライン会議」等の対応を要する事態は、個別具体的に考えると、めちゃくちゃ頻度の高いするものではないと思う。
(重ねて言うが、そもそも保育園に入れないんだぁ!という問題は、それはそれで大変なのだけど、今回は子どもを保育に出している共働き世帯の事情に絞っています。また、フリーランスや土日祝のお仕事が中心の方はまた違った事情になります。ご了承ください)


子どもと仕事がバッティングするのはどんなときか

イレギュラーが発生するのは基本的には以下の2パターンだと思う(他にもあったらコメント歓迎)

A. 子どもが元気 かつ 保育時間外の仕事が発生したとき
・保育園が短縮or休みのとき(行事があって午前で終わり、お盆、年末年始休業など)
・保育終了後の夕〜夜、土日祝に仕事が入ったとき
・集団検診等があり、保育園をお休みするとき、かつ検診後の午後に仕事が入ったとき
→こういう場合に、「子連れ会議」「子連れ出勤」のニーズが発生する

我が家の場合はだいたい以下のようなフローで対応する。

1. 夫婦の仕事予定を共有、どちらかが休み・早退で子ども見られるなら休んで対応

ダメな場合、以下のいずれかのオプションを検討

2-1. どっちも予定外せない/ずらせないなぁというときは、キッズラインのシッター予約を試みる
2-2. ツマ実家が近いので、ばーばに頼めないか相談する(ばーばもまだお仕事あるから休めるとは限らない)
2-3. 予定はあるけど子連れ対応で支障ないなと判断したときは、子連れで会議等に参加(予定の数、時間、場所、性質等で判断)


B. 子どもが発熱・疾患 かつ どうしても預けられない時
・病児保育や、病児対応可能なシッター予約を試みたが空いてなかった
・土日に発熱し、週明け月曜になってから通院・病児予約トライをするため、予定が読めない
→こういう場合は、子連れ出社は不可能なので(というかするべきではない)、自宅看病しつつ「オンライン会議」のニーズが発生する。

子どもの発熱時、我が家の場合はだいたい以下のようなフローで対応する

1. まず、病児保育の予約を試みる。預けられればハッピー

ダメな場合、次に検討するのが以下

2. 夫婦の仕事予定を共有、どちらかが休んで子ども見られるなら休んで対応

それでもダメな場合、以下のいずれかのオプションを検討

3-1. 病児対応可能なキッズラインのシッターを探す
3-2. ツマ実家が近いので、ばーばに頼めないか相談する(ばーばもまだお仕事あるから休めるとは限らない)
3-3. 休んで看病しつつ、オンライン対応可能な会議のみ参加、チャットや作業は子ども見る合間に無理せずできるだけやる

上記の通り、基本的にはどちらかが休んで対応できるならする、その他の社会資源に頼れるなら頼る、それでもダメ、かつ対応できそうなら、子連れ仕事をオプションとして考える、ぐらいの順番でやっている。

僕とツマの場合、休みにくい性質の仕事としては以下のようなものがあるので、これらとバッティングしたときに子連れ検討が発生する。

①研修講師、講演、モデレーター等のイベント登壇仕事
②リスケやおまかせができない重ための会議・打合わせ(マネージャー会議とか、決めにいく商談とか、面談とか査定とか)
③インタビュー、対談、撮影等
④出張

僕は、①③④が多くて②は昨年度より減った、ツマは①②がそこそこ入る、という感じ。
(ちなみに僕がフルタイム&パラレルワーカーでツマが時短)

やってみてどうか

幸いにして、今のところあまり問題なく対応できている。子どもがいるときは「作業」はほとんど進められないので、オンラインなり子連れなりで、半分お休みだけど1件2件会議をこなして指示を出して進められるだけでもだいぶ気持ちが楽になる(お休み明けはたまった作業を片付けることに追われるので)

ただまぁ、親にとっても子どもにとっても周囲にとっても、常態化するとしんどいなと思う。

たまの子連れ出勤は、まわりのみんなも可愛がってくれて、「福利厚生だわー笑」なんて言ってくれるのだが、毎日一緒だと色々不便も出てくるかもしれない。聴覚過敏の人も職場にはいるだろうから、職場にいるときはあまり泣かないでくれよとひそかに願いもするし、どうしても泣いてしまったときは周りのみなさんにちょっと気を遣う。

また、子連れ対応しやすいかどうかは、仕事の性質や、お子さんの様子によっても変わってくるだろう。お子さんの特性やコンディションによっては、オンライン会議でもムリ、ということもあると思う。

ただ、夫婦でできる限りの対応をした上で、部分的にちょろっと「子連れ会議」や「子連れリモート」を織り交ぜられるだけで、だいぶ対応しやすくなるし、気持ちも楽になる。大事なのは、#子連れ会議OK かどうかではなく、事情に応じた柔軟な対応とサポートをすることを、前向きに、いや当たり前にしていくことだと思う。

障害のある人の権利保障に関連して「合理的配慮」という考え方がある。抜本的なルールや環境変化というよりは、個別具体的な困りごとに対して、目的を達成するために柔軟な調整対応をするというものだ。これは、障害のある人に限らず、妊婦や子育て世帯や、家族の介護をしている人、その他さまざまな事情があって、働く場面でのイレギュラー対応を必要とする人にとっても有用な考え方と実践だろう。

合理的配慮とは?障害のある人の権利と事業者の義務、職場における合理的配慮の具体例を紹介します | LITALICO仕事ナビ   
れいわ2議員の介護負担を巡って。社会の側にある障害と「合理的配慮」(鈴木悠平) - 個人 - Yahoo!ニュース   

そして少なくとも僕は、今の所とても「合理的」な仕事環境と仲間たちに恵まれていると思うから、こうやって少しでも広がるように発信していきたいと思っている。

In essay Tags knitting-my-life, male-hus-dad-parent-andme

「子はかすがい」って親子間だけの話じゃないね、きっと

July 22, 2018 Yuhei Suzuki
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今日の午後はレンタカーを借りて川崎から荒川へ。

わが家より一足先にお子さんが生まれた大学の後輩が、ジャンパルーを譲ってくれるというので、受け取りに行ったのだ(あわせて離乳食とかバンボとか色々いただいてしまった)。

生後7ヶ月を向かえたムスメは、座っての一人遊びや、背ばいと寝返りでの自力移動もずいぶんと上手になったが、しかしズリバイ・ハイハイはまだ、という感じの運動能力発達ステータス、なう。

彼女の家のお子さんは、もう自力で歩けるようになっていて、体重的にもジャンパルーの許容限度に迫ろうかという域らしく、そろそろ使うにも厳しくなってきた様子。

首と腰がすわってから歩けるようになるまでの半年ぐらいに、ピョンピョン跳ねて遊ぶことができ、視界も高くなって楽しくなるようで、子どもの遊び道具に重宝したそうな。

というわけでありがたく頂戴してきました。世間では夏休みも始まったようで、東京の一般道はなかなかの混み具合でしたが、楽しいドライブでした。

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家に帰ってさっそくムスメはご機嫌でピョンピョン。しばらく良き相棒になってくれそうな予感。


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それにしても驚くのは、わが家に「子ども」が一人生まれた、というただ一点によって、今まで繋がっていたお友達と、こんな風にしてまた新しいかかわりが生まれるのだということ。

たとえば今日ジャンパルーを譲ってくれた後輩も、同じゼミの所属ではあったけど、実に6,7年ぶりとかそれぐらいのお久しぶりな再会だった。

わが家が普段から暮らしの様子をnoteで半公開にしていたり、僕はなんか困ったことがあったらすぐSNSに「助けてー!」「教えてー!」と頼ってしまう傾向が手伝ってのこととは思うが、他にも折に触れて色々な人からFacebookでコメントやメッセージをもらっている。

助けをくれるのは、必ずしも仕事やなんかで一緒に過ごしている時間が長い友人ばかりでなく、僕の不義理で何年もご無沙汰してしまっている方や、イベントとか懇親会とかで1度お会いしてお話したっきりの方などからご連絡をいただくことも多く、

「うわわわ、どうもどうもお久しぶりです。ご無沙汰してます…え?いいんですか!?ありがとうございます!めっちゃ助かります!」

みたいな感じになるのだけど、

その度に本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。

私はいま貰うばかりで何も返せないけど、何かあったらその人や、未来のパパ・ママに自分の持てるものを差し出せるようでありたいなという思いだ。

そして何より、ムスメに伝えたいのが、君は物心つく前から、たくさんの人に祝福され、応援されているのだよということ。

世界は優しいのだと、ニコニコピョンピョン跳ねるムスメを見ながら思うのである。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

お風呂の水と戯れるムスメ

July 13, 2018 Yuhei Suzuki
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ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。

たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。

あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。

赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。

「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」

とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり

「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」

みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか

「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」

みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか

いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。

もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。

遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。

外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」について

May 12, 2018 Yuhei Suzuki
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パイセン「ゆーへー、子育てどうなの。うんち拭いたりしてんの」
僕「いやそりゃ拭きますよ。あんまり遭遇頻度高くないっすけど」
パイセン「へー、そうなんだ、えらいね。俺は無理だ、うんち出てたら奥さんに『うんち出てるよー』って言うw」
僕「それ完全にTwitterでdisられるパターンのやつじゃないすかw」

…というやり取りを先日したことを思い出しながら、今朝はムスメ(4ヶ月)のうんちを拭いていた。

いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」については、結論としては「拭けよ」の一択だと思うので、別にそこを論じるつもりはないのだけど、そういう僕も、ムスメのうんちと遭遇して拭いたのが実に1ヶ月ぶりだったわけで、オムツをご開帳して久しぶりにあのネチョッとした、赤子特有のうんちと対面すると、やっぱりこう「うぇっ」ってなるというか、まだどうにも非日常感があるというか、気合を入れて向き合わなきゃならん感じがする。

っていう話をツマにしたら、

ツマ「回数重ねるとうんちとかいちいち見ないから。考えずにサササーッと拭いてポイよ。慣れてないと怖いもの見たさ的にまじまじと見つめちゃうから気持ち悪くなるんだよねー」
僕「そうそう、直視しちゃう。で、言う通り毎日やってたら慣れるんだろうけど、慣れるほどの頻度でうんちと遭遇しないと『うぇっ』ってなった記憶だけ残るw」

という会話になり、いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」は、単にそういう接触頻度の問題なのでは?と思った次第。

広告表現的に言うとインプ足りてないよ問題である。

うちのムスメの場合、バラツキがあるものの、日記を遡るとだいたい9-15時ぐらいの間にうんちが出ることが多く、なおかつちょっと便秘気味の子であり、僕も土日にも仕事が入ることがあったりして、普通にしてるとどうしても家にいる時間帯にうんちと接触する頻度はツマより低くなる。もちろん家にいる時にうんちと遭遇したら拭くんだけど、まだちょっとあのネチョっと感には慣れないw

夫…じゃなくても良いんだけどパートナーのうちどちらか片方が長時間働いていてあんまり家にいない場合は、うんち拭きが「非日常」なままで慣れる機会を持ちにくく、「出来ればうんちは拭きたくないなー」と内心思いながら日々を過ごし、ほんでもって珍しく留守番になった日に限ってうんちがぶりっと出るものだから、おろおろしちゃって妻が帰ってくるまでうんち拭かずにオムツそのまま→帰ってきた妻が「マジかよ」って頭を抱える→Twitterでdisられる、みたいな流れになってるとちゃうかなぁ、と。知らんけど。

とはいえ結論は冒頭言った通り「拭けよ」の一択であると思うので、頻度少ないならなおのこと、夜でも休日でも、貴重なうんち遭遇機会をパパ勢は無駄にせず拾っていくのが夫婦円満のコツなのではと思う。私もまだ両手で収まるぐらいしかうんち吹いてないけど。

(サムネのうんち君はツマが描いた)

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育休中スタッフが復帰後キャリアを考える上で、会社としてどのような機会が提供できるか

April 22, 2018 Yuhei Suzuki
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私とツマはいわゆる社内婚で、同い年なのだが入社年次がツマの方が2年早い。昨日はツマの代の新卒同期(12年入社)が久しぶりに集まって1日合宿的な集合研修をするということで、私は託児スタッフとして同行した。

川崎駅近くにある「創荘-SOSO-」という、築54年のビルをリノベしたコワーキングスペースで、なかなか小洒落た良い空間。大部屋でツマの同期と会社のHR(人材開発)の人たちが過ごし、私は隣の小部屋でムスメ(ちょうど4ヶ月)をあやしながらデスクワーク(娘と一緒に昼寝してしまってあまりはかどらなかったけど)、ワークの合間やランチタイムにちょくちょく顔を出しつつも、なるべくツマにはワークに集中してもらえるように、ミルク・おむつ・おもちゃ持参で参加。

会場への道中は、エルゴの中ですやすや眠っていたムスメだったが、到着後はさすがに情報過多で緊張したのか(人いっぱいいるしね)、小部屋で2人過ごしている間も、あんまり昼寝をしなかった。家に帰ったあとは早々に寝付いたけれど、まぁとにかく一日よくがんばってくれた。

ツマの同期に、この研修中の託児稼働を頼まれたとき、1にも2にもなくYESと返事した。産休に入る前にツマに言われた言葉が念頭にあったからだ。

“産休育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくて、ただ、コミュニケーションをとる相手が非常に限られてしまって、家事育児のスケジュールしか考えることがなくなるっていうことが、きっと産前産後の女性の最大の鬱要因であるということを、わかっておいてほしい。”

コミュニケーションの相手が限られること、家事育児以外のトピックが日常に占めるシェアが小さくなること、これは本当に大きな変化で、いくら夫などパートナーの側が家事育児をがんばったとしても、片方が育休を取り、もう片方が働き続けるという家庭運営モデルを取る限りは、2人の生活環境には大きなギャップが生まれる。

ムスメという新しいメンバーを家庭に迎えるということを、どう考えて、どうやって暮らしていくか、産前産後、折に触れてツマとは話をしているが、色々話したなかでも上記の言葉が私にとってはもっとも強く印象に残っていて、仕事を続けたり一緒に家庭運営をしたりする中で、一番気にしているポイントだと思う。

その意味で、今回の研修に際してツマの同期が、育休中のメンバーも含めて一緒に過ごせる機会をつくろうと考えてくれ、私に託児の相談をしてきてくれたことに感謝している(オットが勝手に思っているだけなのだけど)。

出産前後のドタバタからするとだいぶ落ち着き、最近ではツマや私の友人・同僚がちょくちょくわが家に遊びに来てくれる。「コミュニケーションの相手が増える」という点ではそれでもありがたいのだが、やはり、「家の外に出ていき」、会社で同じ時間を過ごしてきた「同期とキャリアの話をする」というのは、やはり質的に異なる時間だと思う。

うちもそうだが、育休をとったスタッフに対しては、職場復帰する前に配属先や働き方について相談する人事面談やなんかが設定されるのが通常だとは思う。

ただ、1年以上のまとまった期間を休んだあとに、「さぁ復帰後のキャリアはどうしましょうか?」と復帰直前の1回や2回の面談で考えるというのは、けっこう難しいという人もいるんではなかろうか。

昨日の研修に参加したツマは、「久しぶりに頭使って、楽しいかどうかっていうより、まず酸欠w」と言っていたけれど、やはり子どもと向き合っているときと仕事をしているときではだいぶ頭の使い方も変わってくるだろうし、頻繁にではなくとも、今回のように、働く上での価値観や経験を共有しやすいメンバーと一緒に語らう機会を、刻み刻み入れていけると良いかもしれない。

子どもを産んで、育休を取ることを「選ぶ」というのは、どうあれ人生の一定期間において、仕事から育児へとプライオリティをググッと寄せるということになる。

その期間をどうやって過ごしたいか、過ごすかは、人によって違うだろうし、上記はツマとムスメのそばにいる他者たる私が勝手に思ったことに過ぎない。育休中は極力仕事のことを忘れて過ごしたいという人もいれば、あまりに機会や情報がないと不安という人もいるだろう。

だけど少なくとも、育休中スタッフの「子育て」と「仕事」の断絶があまりに大きくなりすぎないように、本人が望んだときには「選べる」ぐらいの距離には、会社や職場との接点、なんらかのキャッチアップや思考の機会を設けられると良いように思う。

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経験した人同士でしか話せない、なんてさみしい

April 15, 2018 Yuhei Suzuki
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“親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。”

久しぶりに会った友人に進められて、山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』を買って読み始めた(まだ3章ぐらいだけど)。読んでいて頷くところ多々。

たとえばここ。

“今、私は育児エッセイを書いているが、読者の育児経験の有無によって、文章の読みが変わるということはない、と思っている。もし、ただ経験と照らし合わせるためだけに文章というものが存在するのならば、文章を書くのはなんとつまらない行為だろう。”

そうそう、そういうこと、そうなんだよ、という気持ち。僕が文章を書いているのも、きっとそういうことなのだろう。

「子ども生んだらわかるよ」とか「これは子ども生むまでわからなかった」とか、そういう言葉はやっぱり世間に、身の回りに飛び交っていて、体験するまでわからないことの存在は否定しないし、実際に自分もその渦中にいるのだけれど、こと育児に関しては「経験」「体験」というものが、妙な権威というか圧迫感のようなものを帯びがちで、またそれによって「未経験者」が萎縮してしまうという反作用も、少なくないと思う。

“でも、出産してない人にも出産の話を、私はしたい。(中略)相手の経験の有無で話題を変える必要なんてない、とやっぱり思うのだ。”

経験した人だけにしか話を分かち合えないとしたら、それじゃあ私たちが他者と交わせる言葉の数は、ほんのわずかになってしまう。

実際、子どもを持ったとて、わからないことばかりだし、子どもを持った同士でも違う境遇や道筋を経て今に至っているわけで、授乳や睡眠時間ひとつとってもどれほど個人差があるかという話だし、生んだこと、親になったことによって、私たちはそうでない人と比べていかほど賢く偉いのかと言いたくなる。

別に共感してほしいわけでも、理解してほしいわけでも、解決策がほしいわけでもない。だけど私は書きたい、話したい。平均値とか普通を知りたいわけじゃなくて、自分の人生の出来事として、書きながら、手にとって、確かめていきたい。

そういうことって、あると思う。

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わたしを開く、わたしが変わる

February 28, 2018 Yuhei Suzuki
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先日、こんな記事を書いた。

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む|鈴木悠平|note

おっぱいが出ないことを差し引いてもなお残るツマとの「抱っこ力」の差、自分が抱くとムスメがギャン泣きする不甲斐なさ、誰に言い訳できるでもない当たり前のこととは分かってはいても拭えない「失敗」意識と自己肯定感の低下…みたいなことをまぁつらつらゆるりと、少しの自虐をもって書いたわけですが、なんかFacebook上では先輩パパ・ママやいま奮闘中の同士たち、プロの人たちまで、まぁ実に色んなコメントをいただき、思いのほか盛り上がりを見せた(笑)

https://www.facebook.com/yuhei.suzuki/posts/10156132584447208

その後、教えてもらった色んなコツを試してみて、それがうまくいったのかいかないのか、いい感じに寝付くこともあればやっぱりギャン泣きすることもあり、つまり別に大きく現実が変わったりはしないのだけど。

自分の中の焦りやイライラはスーッと消えた。

どうせ自分がコントロールできるものでもないのだから、ギャン泣きするムスメとのやり取りも含めて楽しんでやれ、ぐらいの心持ちでいられるようになっている。

たぶんそれは細かいテクニックとかの問題ではなくって。

自己開示を通してほかの人の物語にも触れられたことが大きかったのだと思う。

コメントの中で印象的だったのは、先輩ママたちが当時の自分の心の内を教えてくれたことで。

“そうなんですよね。
凹むんです。

ある時から、息子はパパが抱っこすると笑顔を見せるようになり、どうも首の角度が良かったらしいまではわかったものの、わたしにはマネ出来ず…。凹みました。”

ご家庭によってはむしろお父さんの方が抱っこの相性がよく、それで凹んだという話とか。

“ごめんなさい。まったく同じ状況で、私が抱っこすると泣き止んでくれるから、心でニンマリしていました・・・なんか嬉しかったんです・・・
夫も凹んでいたみたいですが、めげずに抱っこし続け、娘4歳は超お父さんっ子です。最近は、そんな2人に母はやきもちを焼いています。”

内心、優位に立っているようで「嬉しかった」と、当時の正直な気持ちを吐露してくれたり。

こういう一人ひとりの物語を分けてもらったことで、私のなかの気持ちのこわばりがスーッとほどけていったのね。

そりゃママだってうまくいかなくて凹むことはあるし、人間だから内心優越感に浸ることもあるし、つまりそれは単純に、わたしたち一人ひとり、ちっぽけでバラバラなフツーの人間ですよということでしかないのであって、ママとかパパとか形式的な役割と機能の差異などは、連続する日常のシーンを微分して切り取れば、いつでも取り替え・入れ替え得るのであり、その意味において私たちは分断を越えてつながり得るということでもあり、とかいってまた理屈をこねてみたりなどするのだけど、さ。

それほどまでに「社会」が、いや私たちが、連綿と鍛え上げてきた父親・母親像の呪いというのは強力だということであり、そこから抜け出すにはこうした物語(ナラティブ)の共有と再構築が必要なんだよぅってことを、言いたい。わたしは。

こういうのけっこう勇気いるっていうか、はらわたをちょっとだけ取り出して見せてみるみたいな恥ずかしさがあって、またそれをグロテスクにならない程度に抑えをもって書くというのもまた自制心が必要だったりするんだけど。

でもちょっとこうやって、勇気を出して「わたし」を開いてみると、「わたしも」と声をかけてくれる人が出てくるから、嬉しい。

私はものわかりが悪い上に身体がとってもぎこちなくて、なおかつ言葉だけは変に発達してしまったものだから、こうやっていちいち考えて言葉にして文章として形を与えてあげないと、自分の存在というものが落ち着かない。

昔は本当に難儀な人生で、どうにかしたい、なんとかしたいと思っていた。

最近はこれでもいいかと思っている。

わたしを開くことで、わたしが変わる。

わたしを開くことで、あなたとつながる。

あなたが開いてくれることで、わたしがまた変わる。

そういうことの繰り返しで、輪郭をつかんでいきたい。

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実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む

February 25, 2018 Yuhei Suzuki

朝から「ひよこクラブ」3月号別冊付録、「今日からママも赤ちゃんもイライラしない!専門家からの基本情報と、ママたちのワザたっぷり“寝る力”と“泣きやむ力”を育てる本」を熟読しています、悠平です。

ツマとムスメがわが家にやってきて3人暮らしがスタートしてからもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。

ミルクにおむつ、お風呂に掃除にお洗濯、一通りの家事は、まぁ一個一個は別に問題ないですよ。平日昼間は育休中のツマに任せるしかないので、家にいる時間帯の役割になりますから、あまり偉そうなことは言えませんが(平身低頭)、おっぱいを出す以外の「基礎動作」はね、だいたい習得したつもりです。

ところがです。やはりこう、ツマと私の「抱っこ力」に圧倒的な差を感じる。

世のパパさんたち、ありませんか、ご経験。

子どもがギャン泣きする→抱っこしてあやす→全然泣きやまない→ツマが抱っこするとすぐ泣き止む、みたいなの。

もうね、これ、自分が親として、保護者として、いかにポンコツかというのを実感する瞬間ですよ。圧倒的敗北感。

ミルクなんかね、赤子はみんな大好きなんですからやれば喜びますよ。お風呂もまぁ、お子さんによって好き嫌い個人差あると思うけど、うちの子はご機嫌で入るんですよ。そういうのできたからって特にいばれるもんじゃないです。

抱っこ。そう、抱っこというのは、自分とわが子、生身の一対一の接触活動であり、私自身の身体の挙動が問われているわけですから、他の家事がどれだけつつがなく出来ていようと、抱っこでうまくあやせないというだけで、「てめーはお呼びじゃない」とムスメに全力でダメ出しくらってるような気分になります。

いや別に、毎回そんなひどい状態なわけじゃないですよ。ムスメも人間ですから、機嫌の良い悪いもあるし、私の胸の中ですやすや天使みたいに眠ってくれるときもけっこうありますよ。

それからもちろん、本当にどうしようもないときは、私が抱いてもツマが抱いてもひたすらギャン泣き、みたいなときありますから、最後は必殺、ツマの添い乳で機嫌をとって寝かしつけるみたいな手段をとったりします。

でもねぇやっぱり、おっぱいの有無を言い訳にできないラインがあるというか、私とツマの力量の差をまざまざと見せつけられるのが抱っこというものなんじゃないでしょうか。

ムスメの機嫌の悪さが0〜100まで数値化できたとして、0〜70ぐらいは、まぁ僕でもツマでもあやせるなという領域で、90〜100ぐらいになるとおっぱい飲ませるしかないという感じで、その間の、70〜90ぐらいのライン、機嫌悪いんだけどツマが抱くと泣き止む、みたいな。「純然たる私の落ち度です」と言わんばかりの領域がある。

当然ながら赤子は言葉を発しないので、「腕はもうちょい下」とか「揺らすスピードが早い」とか具体的なフィードバックはくれないわけです。言葉がないところでムスメの様子を見て、感じて、自分の動作にフィードバックしていかないといけない。これはもう言語性に依存して生きてきた&手足の運動機能調節が絶望的に下手くそな私にとっては超難易度高いわけです。

ツマには色々アドバイスももらうし、ひよこクラブも読みながら色々試してみるのだけど、意識すると余計に力が入ってうまくいかない、とかもザラにあるわけでね。

ムスメが泣く→あやしてもうまくいかない→ツマを観察したりひよこクラブの教えに従って新しいことを試そうとする→気負って私の身体は緊張する→緊張が伝わってますますムスメは泣く…みたいな、悪循環。

ほんとにもう、「イクメン」とか最初に言い出したやつは誰だと問い詰めたい。何を貴様らは笑顔で子ども抱いたり、小洒落たキッチンで料理つくったりする写真上げて悦に入ってるんだと。

会社で「PDCA回せ」とか言いながらPもDもCもAもガタガタみたいな、新米パパのポンコツな現実をお届けしろ。


そんな感じで敗北感に打ちひしがれながらも日々やっていってます。

とりあえず寝かしつけの引き出しをもっと増やそうね。

あと、焦らないこと(これが一番大事で、一番苦手)。

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育児コンテンツの夫disネタが実は父親を萎縮させているのかもしれない

February 15, 2018 Yuhei Suzuki
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昨年放映された「コウノドリ」で、「手伝うよ」と(悪気なく)言った夫が「あんたの子供だろ」と四宮先生(星野源)に怒られたシーンが喝采を浴びていたことを、今もときどき思い出します。ちょっとモヤっとした気持ちを抱えながら。

四宮先生の言ったこと、もうそれは100%正論なのだけれども、「手伝うよ」しか言えないぐらいに、意識と知識と経験のギャップを抱えたまま男たちが「父親」になってしまうという、社会構造上の問題もあると思うからです。

わたし、育児や子どもの発達支援、家族支援に関わる会社に務めており、とりわけメディア部門の編集・運営をしております。あと、最近父親になりました。

そんなわけですから、仕事柄色んなご家族のお話を聞いたり、保護者の方々に向けて情報を発信していくことが多いのですけれど、やっぱり現状は圧倒的に「母親」がメインユーザーです。

オンラインでもオフラインでも、父親の姿を見る機会は僅少です。で、お母さんたちの悩み苦しみ不安を聞くに、そりゃ大変だよなとも思うし、「世の父親、もうちょっとで良いから時間と関心を割いてくれ〜」と思うこともあります。どちらかというと、世の男性の中では比較的母親の悩みの側に近い立場にいる人間だと思います。

それでもたまに、思うのです。

世の「育児コンテンツ」、ちょっと男性(父親)に厳しすぎやしないかい?と…

夫に「手伝うよ」と言われたら「手伝うよじゃねーよボケがしばくぞ」と思う妻/母親はきっと少なくなくて、四宮先生は世の女性達の意見をある種代弁したからこそ喝采を浴びたのだろうとは思います。

たぶんそれは、今までの日本社会の数多の男たちが積み上げてきた実績に依るものなのでしょう。

無意識で悪気が無いかもしれないけれど、妻や子どもよりも自分の都合(仕事とか)優先で動いてきた夫/父親が、少なからず妻/母親を苦しめ、傷を残してきたという事実はあると思います。

その意味で、怒られるのは「手伝うよ」とか言っちゃう男性の側に責任があると言えるのかもしれません。

だけど、そうやって男性を、当事者意識の薄い父親たちを責め立てて溜飲を下げるだけでは、本当にその問題は解決しないのではないかと思います。

夫「手伝うよ」妻「手伝うよじゃねーよボケが」みたいなモードになってしまう”前”のフェーズで、そもそも何が出来たのか、という問いこそが必要だと僕は考えます。

実際に父親になってみて分かりましたが、今の日本では、夫の側は自分で相当意識と努力をしないと、外野からおずおずと「手伝うよ」と言うしかない状況に陥りやすいのです。

たとえば、妻が妊娠をしてから子どもが生まれるまで、「受動的」にでも必ず通る必須の産前イベントだけを比べてみても、

母親: 両親学級+母親学級+定期検診&リアルな身体的変化…
父親: 両親学級

と、大きく回数に差があるんですね。

母親になるための事前知識と準備、当事者意識を育む上での機会がたくさんあるのに対し、父親は、両親学級で妊婦体験とか沐浴体験とかするぐらいです。

父親の側が圧倒的にインプレッション不足、インプット不足になりやすい構造があります。

「待ってるんじゃなくて自分で情報取りに行け、そこから当事者意識を持て」と言う方もおられるかもしれませんが、産休による強制的な生活の変化を必須としない夫/父親の側は、これまで通りギリギリまで忙しく仕事をしていくなかで、プライベートな隙間時間だけを使って自ら積極的に情報摂取することは、なかなか簡単ではありません。

じゃあどうすればいいのか。

たぶんそういう時期にこそ、夫婦での「対話」を重ねることが大事だと思います。

本格的な「産前」に入る前に、自分たちがパパとママになる前に、夫と妻、まだ家族が「ふたり」だけでいる間に、とにかく色んなことを話して、ふたりの価値観の交換をしておくことです。

わが家の場合は、ツマが産休に入る前に
・夫/妻として
・父親/母親として
・ひとりの人間として

お互いが何を大事にし、お互いに何を望むのか、書き出して交換するというのをやったのですが、あれはけっこう良かったと思います。

夫に急に「父親」になることを要求するのではなく、また妻の側がたった一人で「母親」としての重責を引き受けることもなく、お互いの中に、父親と母親以外の要素もあることを当たり前の前提として認識する。その上で、新しい家族を迎えるにあたり、どうやって生活上の折り合いをつけていくのか、プライオリティを整理していく。

そこで話し合った通りのことが今100%パーフェクトに出来ているわけではないですが、子どもが生まれてからも変わらず自然と、情報・意見交換のためのコミュニケーションができていると思います(生後2ヶ月弱の今のところ、ね。油断は禁物ですが)。

「手伝うよ」というセリフは、もちろん父親としては褒められたものではありません。

でも、ちょっとズレているとはいえ、「手伝うよ」と自分から言う男性は、少なくとも「何かをしよう」という気持ちは持っているのですよね。たぶん。

ズレをズレのまま放置して叱りつけるのではなくて、その前向きな気持が、空回りせずちゃんと噛み合っていくように対話していくことは、それは夫と妻、どちらかではなく「ふたり」でしかできないことだと思います。

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プチ育休からの社会復帰

February 13, 2018 Yuhei Suzuki
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火曜日朝の燃えるゴミに、オムツのたくさん入った緑の消臭袋が加わった。

まだ日の昇る前、ツマとムスメを起こさぬようにそろりと家を出る(ツマは起きてたかもしれないが)。

なんかちょっと古臭くて嫌だなとか思いながらも「とーちゃん仕事がんばってくるからな」的内心のつぶやきと、1週間の休み明けで、4営業日(今週は全社イベントもあるので実質3営業日)しかない怒涛の日々をうまく社会復帰できるかなというぼやき。まぁとにかく出社である。

先週1週間は有給と週末休を組み合わせて1週間のお休みを取り、しばらくツマの実家にお世話になっていたツマとムスメを迎え入れるためのプチ育休だった。

迎え入れる日に大掃除が全然終わっていないという体たらくだったが、それもなんとか終わり、ムスメの授乳・寝かしつけ・入浴・オムツ替えetc.の諸々を分業でこなしつつ、合間の調理や食事や洗濯や掃除片付けや買い出しやあれやこれやを隙間に済ませつつ、と3人での新生活を進めるにあたってのひとしきりの基礎動作は1スプリント終わったかなという感覚。

合間にちょろちょろとデスクワークをしたり、なんだかんだ1,2回諸用で出社したのだけどwお留守の間もチームのみんな銘々に進めてくれている様子をslackやメールで確認しながらも、比較的穏やかな時間を過ごさせてもらった。

さて今日からまた本格復帰というか、まぁ1週間程度なのだけど、基本的には今まで通り私はフルタイム勤務なわけで、しかし一方で今までのように夜遅くまでオフィスに残るのではなく、食事・入浴のために早めに帰社するみたいな時間の使い方にシフトせねばならんわけで(それもあってここ半年は朝型にシフトしていったのだが)、これから新しい「日常」のリズムがだんだんと刻まれていくのだなという感覚。

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連休の最終日。

「OTON GLASS」の島影さんたちのオフィスを訪問。

父親の失読症をきっかけに島影さんが企画・開発を始めたスマートグラスで、内臓カメラが文字情報を読み取り、日本語・英語で読み上げてくれるプロダクトだ。

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noteには動画ファイルをアップできないので画像のみになるが、これがかなりの精度で驚いた。僕が持ってきた発達ナビの媒体資料だが、フォントの文字だけでなく、ロゴに含まれる文字情報もちゃんと読み取ってくれた。英語翻訳も相当なものだ。

当初想定していた失読症やディスレクシアの人だけでなく、全盲・視覚障害の人がヘルパー無しでも手元の物が読み取れたり自動販売機で商品を選べたり、外国人観光客が日本語の標識情報を翻訳で読み取れたりと…さまざまな人の「読む」体験を拡張し、ひいては生活の質を向上させるポテンシャルのあるプロダクトだった。

全盲の人が自動販売機で一人で買い物が出来る、ということにも象徴されるが、人間の身体能力をテクノロジーが拡張することは、単に生活機能を補完するだけでなく、今まで諦めていた社会的・文化的活動を自分でできる・選べるということなのだ。

島影さんはじめOTONチームの皆さんはどなたもお話していてとっても気持ちがよく、あぁこの人たちは「未来」を作ろうとしているんだなぁという、そういう気というかムードというか前向きなエネルギーをもらった気分。

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ほんとは昨日飲む予定だったけどインフルでダウンした東藤さんとチャット。

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「鈴木 悠平 - ”うつ界のアイドル(非公認)の引退宣言に寄せて” https://t.co/7jO21aY2uJ 1年前の記事がFacebookで上がってきて、「けっこういいこと書いてたね」と東藤さんとじゃれ合うなど。 "世の中にもっと「クッション」を増やしていきたいなと思う。" これはほんとにそうよ。」 / Twitter

「子育てしながらでなかなかまとまった時間取れないけど出版に向けてじわじわ書き出してる」という話をしたら、「ナボコフは売れる前お風呂で小説書いてたらしいよ。書く自由はどんな環境でもあるはずだー」と励まされた。

うん頑張ろう。とにかく小出しでも良いから断片を毎日隙間に書いては出すというのは、ベースとしてちゃんと確保・継続しよう。最初から完璧を目指すと手が止まってしまうので。

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夜は友人たちと燻製アパートメントで食事。出産祝いにお花をもらった。

父親になって見る目の解像度が上がった事象があること(新生児系の疾患・障害とか、保育園問題とか)、一方で巷の育児家事系の止むことない炎上案件はどこか手触り感がないこと、個々人の小さな物語、0か100かでない選択の網の目を掬う必要があることなどひとしきり最近自分のなかで高まってるトピックを聞いてもらって、それをちゃんと書こうってなった。「一人で抱え込まないでみんなにどんどん共有してケツを叩いてもらうのが一番良い」という結論だった。


そんな感じの連休最終日。からの火曜日朝。

働くぞー。

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これからツマとムスメを迎えにゆく(大掃除は終わっていない)

February 6, 2018 Yuhei Suzuki

立川行きの南武線に乗りながらこのnoteを書いている。

今日は、高尾の方にあるツマの実家に行って、ツマとムスメを迎えにゆく日である。

ムスメはすくすくと育ち、今のところ大きな病気もなく、というか体重が早くも5kgに迫るというビッグドーターであり、先日無事お宮参りや家族写真、1ヶ月健診など、雪が残る高尾の地にてつづかなく終えたところで、産休中から出産直後のおおよそ3ヶ月強とお世話になったツマのご実家を離れ、今日から家族3人での暮らしが始まるわけである。

だけども、問題は、今日の朝、掃除が終わっていないということだ。

ツマを迎えるにあたって、生活を整える意味でも、ツマにわずかばかりのリフレッシュの時間をつくるためにも(銭湯とかマッサージとか)、わたしもムスメとゆっくりふれあう時間をつくるためにも、今日から来週月曜にかけての1週間、まぁ有給と週末連休を組み合わせただけの簡素なものなのだけれど、プチ育休を取ろうということで、昨日2/5(月)までに急ぎの案件はもろもろ駆け込みでぶち込んでガシガシ猛烈に進めていき(終わらなかったけど)、ツマとムスメを迎えるまでに、タスクを一覧化した上で家の掃除・片付けをちょっとずつ終わらせて、そして一週間休むぞー休むんだーというつもりでおりました。

はい。大掃除がまだ終わっておりません。

やっぱり小分けにしてとかはほとんど無理だったので(前日までに40%ぐらいは進んだ。ごめんちょっと盛った25%ぐらいだ。いや20%だ)、もうこれは前日の夜が勝負だ、決戦は月曜日!2/5の夜に全部やる、夜なべして家を超きれいにしてそしてツマとムスメを迎えにゆくのだーという作戦でおりました。

月曜最後の打ち合わせを終えて、渋谷で丸亀製麺を食べ、10時ぐらいに家について、よしやるぞーってなったはずなの。はずなのよ。

でもね、起きたら7時。

どうしてこうなった。


いや私もね、30歳にもなりましたので、自分のことはよくわかっているつもりで、だいたい〆切直前にならないと火がつかないタイプというか、前日前夜が一番パフォーマンス出るというか、なのでほんと、一個一個の案件をギリギリ全開パワー火事場のクソ力を納期直前にグイッと半ば意図的に出してそれで乗り切ってきたタイプというか(合間に〆切を調整するという寝技も使いこなしながら)、まぁでもやるときはやるっていうか、なんだかんだで当日の朝には間に合わせるタイプなんですよ。先日も「悠平さんの〆切ドリブン運用やばいっすね」って後輩に褒められたとこ(褒めてんのかな)。割といい記事書いたと思う、その日。

という矢先にこれよ。

油断、慢心。お腹のたるみ。

なぜベストを尽くさないのか。

オット猛省、ツマ呆れ顔。


とりあえず、ツマに電話で平謝りして、「寝室に避難できる状態にだけしてくれたら、あとは午後やればいいから」というリカバリープランを提示され(よかった!シーツと布団干すという時間かかる系タスクだけ先にやってたのよ。威張ることじゃないけど)、鬼の勢いで寝室にでけクイックルワイパーウェットタイプをかけ、シャワーを浴びてわが家を飛び出しました。

お休み前に色々みんなにメールしたり原稿チェックしたりしながら南武線が進んでおります、なう。noteを書いている場合かと。

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お宮参りと家族写真

January 31, 2018 Yuhei Suzuki
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28日の朝にまた高尾に行き、ツマとムスメ、じいじとばあば、ひいばあと合流、家の近くの神社にお宮参りへ。
(例のごとく寝坊しそうになってギリギリの到着だった。どうでもいいけど、子どもが生まれた瞬間、みんな自分や周囲の人への呼称が1段階上がるというか、ツマにとって変わらず父・母である人がじいじとばあばになる。本人もそう自認するし振る舞ったりする。不思議だ)

まだまだ高尾には先日の雪がたくさん残っており、とにかく寒い。お宮参りでも足を震わせながら祝詞奏上を聞いていたりしたのだが、ムスメの方は至って落ち着いた様子。太鼓の音にも動じず、祝詞が終わった瞬間に「ふぇっ」とか絶妙なタイミングで合いの手を入れてくれたりした(笑)

お宮参り自体は特段困難もなく、あっさりと終了。お昼を挟んでから某ショッピングモール内の写真スタジオに行き、家族写真の撮影に

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行ってみるとスタジオ内には大量の衣装。すでにこの日予約していた何家族かが撮影を進めており、3歳か4歳ぐらいの女の子が肩出しのドレスでポーズを決めて写真を撮られたりなんかしていて、「すげー、こんなに子ども用の衣装あるんか!」と社会勉強気分で驚いてしまった。

身体を丸めてぐっすり眠っているムスメを抱きながら、フォトスタジオのスタッフさんと段取りを確認し、前の組が終わるまで待ち合いスペースで待つ。そこから、ムスメに祝い着を着せ、撮影に(ちなみにこの撮影直前にウンチが出てスタジオ内でのおしめ替えイベントが発生。赤子はTPOから自由である。お店側も慣れたものだ)。

撮影自体は大きなトラブルもなく、つつがなく終わったが、ムスメはよく頑張ってくれたと思う(がんばるという自覚はないだろうが)。

フォトスタジオのフォトグラファーさん、鈴を鳴らしてムスメの関心を引いた瞬間にパシャってやったり、小道具の枝葉を片手で持ちながらいい感じにぼかした構図でパシャってやったり、泣き出したら歌いながらあやしたり、子どもと相対する際のコミュニケーションの引き出しも、運動量も多く、その仕事ぶりには感心した。

祝着で撮られたりドレスで撮られたり、われわれ大人の夢と願望を一身に背負って何も分からぬままにカメラ目線とかしてくれたし(これもカメラ目線という自覚はないだろうけど)、後半だんだん疲れてきてグズりかけたのだけど、スタッフさんたちにあやされながらなんとか乗り切り…まぁほんとよく頑張ってくれた。

終わったあとは、パソコンで写真のセレクトをして、アルバムのレイアウトを選んでいくのだが、その間、店内あちこちに飾られている見本写真を興味深く眺めていた。

この子たちは、いわゆる「赤ちゃんモデル」である。よくよく考えてみると世の赤ちゃんモデルたちは、自ら望んだり、せめて同意をするという機会もなく、自分のあずかり知らぬところで赤ちゃんモデルになっているのである。もっというと、「赤ちゃんモデル」界というのにも、やはり市場があり、我が子を赤ちゃんモデルに!と願う親たちによるたくさんのエントリーと、誰がどうやってるのか知らないけど、それらの写真を”評価”する人たちがいて、採用されたりされなかったりするのである。いやはや、「社会」だ。

お宮参りにしろ、家族写真にしろ、「赤ちゃん」という、自我の芽生え以前の過程にある生命は、すでに「社会」の慣習・文化・経済に組み込まれながら存在しているのだ。この時期の我々親や周囲の大人によるかかわりが、赤ちゃんの生育にどのような影響を与えるのか…ゼロってことはないし、でも大人が気を揉みまくるほどには大きくないのかもしれないし、とにかくそれは結局のところ「わからない」のである。なるべく良さそうな写りの写真を選んだりとか、そういうことしかできないのだけど、せめて悪いようにはすまい、と願う。

そんなことを思いながら、ムスメにあれやこれやと話しかける毎日である。

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生後1ヶ月が経って。余白のつくり方について

January 22, 2018 Yuhei Suzuki
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早いもので昨日でムスメが生まれて1ヶ月が経つ。

ツマから写真が送られてきたのだけど、たしかに1ヶ月経つだけでずいぶん成長したなぁ、なんとなーくだんだんと、少しずつ、なんかこう「人間らしく」なっていくなぁという感あり。

そんな1ヶ月記念日当日だが、私は会社の方でイベント稼働があったので出勤しており、撮影現場には居合わせていない。

年末年始はゆっくりツマの実家で過ごせたのだけど、仕事始め以降は、なっかなかに忙しくて(来期の予算編成やら今期の追い込みやら新規事業のリリース前の追い込みやらなにかと重なった)、週に一回顔を出すのがせいぜいのペースとなっている。

体力や時間、その他有限のリソースの中で、一緒にどう育児を乗り切るかということを日々考える。 何もかもが劇的に変えられるわけではないのだけれど、個人として、オットとして、ツマとして、働く人として、アイデンティティを占めるそれぞれのペルソナに対して、子どもが生まれたという変数によって微妙な変化が起こり、またそれが相互にじんわり影響し合っているという感じだ。

たとえば仕事。上記の通り1月はなかなかきっついのだけれど、2月からはツマとムスメを実家からこちらに迎え入れるので、お風呂や食事や寝かしつけやツマの休養や考えると、仕事で自分のキャパを埋め尽くしては到底足りない。朝から晩まで働かなくて済むように、チームの編成や分担、そもそもの目標設定などなどを、自分だけでなくみんながサステイナブルな形にどうしていくかということを、以前よりも積極的に考え、またみんなとも相談している。

短期措置ではあるが、2月に迎え入れる最初の週は、まるっと1週間休むことにした。ムスメもそうだけど、ずっと実家にいたツマのリフレッシュも必要だろう。

今月も、実家に顔を出すのを週末だけではなく、たまに平日を織り交ぜるようにしたり。ツマの両親は共働きなので、平日の日中はムスメとおばあさまをツマが一人で見なければならない。これはやっぱりなかなかに慌ただしいらしく、毎日とはいかないけど、土日に働いて平日日中休む、みたいな感じで顔を出すことにした。そうはいっても部分的なサポートにしかならないので、内心少しもどかしさはあったのだけど、「一人いるだけでだいぶ楽。隙間に寝る余裕できるもん」と言っていたので、まぁなにかの足しにはなっただろう。

逆方面からの影響としては、ムスメを抱いていると、あらゆることのやる気がなくなるぐらいの幸せホルモンが出てしまうので、「あれ、俺そもそもそこまで働きすぎなくてよくね?」という冷静な判断・見つめ直しが出来たりする笑

それからツマに関しても。彼女は同じ会社で子どもの発達支援に携わり、産休前は並行して大学院の博士課程にも所属していた。本人は付き合っていた当初から「私は育児のプライオリティが一番高いから、育休はフルで取るし、悠平は働きたいなら働いていいよ」と宣言していたのだが、そうはいってもそれ以外の要素がゼロになるということでもないだろうし、やはり四六時中ムスメにつきっきりでいるのではなく、時にはリフレッシュも必要だろうから、ツマの人生にとっての「母親」以外の要素が顔を出そうとしたとき、それが"育児によって"常に諦めなければならない、ということがないように、私自身は備えというか、いつでもバトンタッチするフットワークの軽さを持っておきたいと思う。

つらつらと書いたが、つまり換言すると「そんなに働きすぎなくてもええんちゃうか」ということになってしまうのだけれど…育児か仕事か、とか、オットかツマか、とか二者択一ではなくて、役割分担の重みづけはありつつも、必要に応じて柔軟に入れ替われる・サポートに入れるというだけの「余白」を持つことが、きっと家族運営には大事なのだろうと思う。

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父親にとって、赤子がいる暮らしはいつから「日常」になるのか

January 14, 2018 Yuhei Suzuki

年末年始はツマの実家にお世話になり、ムスメとははじめて、4,5日単位のまとまった時間を共にすることとなった。沐浴やらお着替えやらおむつ替えやら、ミルクをやったりミルトン取り替えたり寝かしつけたりと一通りの基礎動作はそのあたりで体得した。最初の方はお風呂いれるだけでギャン泣きしていたけど、こちらの緊張が取れてきたのか、いまではご機嫌である。

1/2には黄疸の再検査で産婦人科に。退院時に要再検査となったのだが、その後母乳もミルクもたっぷり飲んですくすく育ったのか、再検査では無事OKの結果。ほっと一息。産婦人科の待ち合いスペースでは同じように黄疸再検査で来院したであろう家族がうちを入れて5,6。そのうち2,3組ずつは、出産タイミングが近くて同じ時期・同じ部屋で入院して顔を合わせた”同期”らしく、「黄疸ですか?うちもなんですー」などとそれぞれに会話を交わしていた(ツマも同じ部屋の”同期”のお母さんと出会ったようだ)

しかし、4日の仕事始めから今日に至るまでは、頻度にして週に1回程度しか顔を出せていない。ちょっと仕事が諸方面色々とバタついてしまい、任せられるものはなるべく他の人にお願いすればいいのだけど、そういう類でないものが同じタイミングにうげげと来てしまったものだから、当初意気込んでいたよりも実家への足が遠のく結果となってしまった。

基礎動作は体得したなどと満足そうに上で書いたが、結局のところまだ父親である私にとって、赤子のームスメのいる生活というものが、まだ完全に”日常”化していないという、中途半端な状態である。

来月頭にはこちらに迎え入れる予定だし、その間も健診とかお宮参りとか、1ヶ月目の諸イベントは発生してゆくし、なんだかんだとツマとムスメと過ごしている時間は楽しく心おだやかだし、実感がないかといったらまったくそんなことはないのだけれど。

それでもやはりツマのと比べるとはるかに短い時間しか一緒に過ごしていないことについては、なんというかこう、焦りという感じでもないし、負い目というとちょっと大げさすぎるし、いたたまれなさというのもちょっと違うし、とにかくなんとも名前のつけがたい感覚を抱えている。

日常と非日常の間というふわっとした状態。

まぁ最後のモラトリアムというか準備期間みたいなものだろうか。割と今月は無理して働いている感があるけど、やっぱり2月に入るとそうもいかないし、働き方は変えていかないといけないよなぁ。って前から言ってるけど。

明日も朝早い。

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