• Home
  • About
    • Latest
    • Diary
    • Essay
    • Interview
    • Novel
    • Poem
    • Review
  • Edition
Menu

閒-あわい-

Street Address
City, State, Zip
Phone Number
Yuhei Suzuki Website

Your Custom Text Here

閒-あわい-

  • Home
  • About
  • Article
    • Latest
    • Diary
    • Essay
    • Interview
    • Novel
    • Poem
    • Review
  • Edition

お風呂の水と戯れるムスメ

July 13, 2018 Yuhei Suzuki
rectangle_large_type_2_7feb5c4b43b0f51c92d1c8678c7dbd33.png

ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。

たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。

あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。

赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。

「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」

とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり

「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」

みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか

「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」

みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか

いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。

もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。

遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。

外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme
← オトナの自由を実感するとき仕組みと信頼の話 →

© 2020 YUHEI SUZUKI All Rights Reserved