暑い日に立ち寄ったセブンでアイスコーヒーをラージサイズにしたり、スーパーに食材を買いに行ったついでにハーゲンダッツをカゴに入れたり、ランチにビールやワインをつけちゃったり、披露宴から二次会会場への移動に大した距離ではないけど疲れるからとタクシー捕まえちゃったり、そういう日常のちょっとしたプラスオン出費をするときに、僕は同行者に対して「オトナだから」と、言い訳なのかなんなのかよくわからない定型句を発することがあるのだけど、つまりそういう衣食住の余分な部分において選択権を持つことが出来るようになったのがオトナの楽しさである。我ながらスケールが小さい。
他の家の子とか、現代っ子たちは違うかもしれないけど、子どもの頃は、そういう「日常の些細な贅沢」というのは、なけなしの小遣いを貯めてようやく買えるものであったり(それでも総額所持金は少ないので一個の贅沢のインパクトは大きい)、親に頼んで買ってもらうものであったり(そこにはなんらかの"理由"が要る)、そもそも年齢不相応でオプションとのならないものであったりするから(お酒は飲めないし、タクシーに乗る場面がそもそもほとんどない)、決して日常でも些細なことでもない、ちょっとした非日常の冒険である。
子どもが贅沢を「選べない」のは、そもそも自分でお金を稼いでいなかったり、自己責任のもとお金の使途を判断しマネージする能力が育っていなかったり(ゆえに保護者が代行する)ということなのだと思うが、子どもかオトナかという線引きも、よく考えると極めて曖昧なものなので、もう少しケースバイケースで、子どものうちからでも自律選択可能な事柄については、子どもに任せちゃっていいのではなかろうか。
自分が「オトナ」になってからというもの、未成年でも自分の職能で立派にお金を稼いでいたり、自分でそれぞれの選択肢を吟味して進路を選んでいたり、そういうしっかりした次世代の子たちに出会ってきたが、そこまでのレベルでなくとも、親子でルールを決めて「家庭内通貨」を作ってしまうとか、子どもが自らの責任とアクションで「選択権」を得られる幅は、僕が子どもの頃よりもうちょっと広げてあげたいなと思ったりする(ムスメ、まだハイハイもしないけど)。
もう一個、オトナの権利として、一定働いたら「有給休暇」が付与されるじゃないですか。明日は有給使って休んじゃおっかな、温泉でも行こうかなみたいな。
子どもは、よっぽどの熱が出るとかしないと学校は毎日5-6時間朝から夕方までみっちり参加、みたいなのが前提になっているけど、子どもにだって「有給」があってもいいじゃないのと。1日2日休んでも家庭学習・自主学習でキャッチアップできます、あるいは小テスト・レポート提出で代替します、みたいな条件付きで休んでいいみたいなやつ。
っていう話をツマにしたら、最近は「げんきやすみ」って言って子どもを平日に遊びや旅行に連れていったり、どこかに出かけるわけではないけどちょっと休んで元気チャージするようにしている家族もいるよーって。なんだ、もうあるのか。いいじゃん「げんきやすみ」、響きがいい。子どもが大きくなったらそういうの積極的に導入していきたい。