28日の朝にまた高尾に行き、ツマとムスメ、じいじとばあば、ひいばあと合流、家の近くの神社にお宮参りへ。
(例のごとく寝坊しそうになってギリギリの到着だった。どうでもいいけど、子どもが生まれた瞬間、みんな自分や周囲の人への呼称が1段階上がるというか、ツマにとって変わらず父・母である人がじいじとばあばになる。本人もそう自認するし振る舞ったりする。不思議だ)
まだまだ高尾には先日の雪がたくさん残っており、とにかく寒い。お宮参りでも足を震わせながら祝詞奏上を聞いていたりしたのだが、ムスメの方は至って落ち着いた様子。太鼓の音にも動じず、祝詞が終わった瞬間に「ふぇっ」とか絶妙なタイミングで合いの手を入れてくれたりした(笑)
お宮参り自体は特段困難もなく、あっさりと終了。お昼を挟んでから某ショッピングモール内の写真スタジオに行き、家族写真の撮影に
行ってみるとスタジオ内には大量の衣装。すでにこの日予約していた何家族かが撮影を進めており、3歳か4歳ぐらいの女の子が肩出しのドレスでポーズを決めて写真を撮られたりなんかしていて、「すげー、こんなに子ども用の衣装あるんか!」と社会勉強気分で驚いてしまった。
身体を丸めてぐっすり眠っているムスメを抱きながら、フォトスタジオのスタッフさんと段取りを確認し、前の組が終わるまで待ち合いスペースで待つ。そこから、ムスメに祝い着を着せ、撮影に(ちなみにこの撮影直前にウンチが出てスタジオ内でのおしめ替えイベントが発生。赤子はTPOから自由である。お店側も慣れたものだ)。
撮影自体は大きなトラブルもなく、つつがなく終わったが、ムスメはよく頑張ってくれたと思う(がんばるという自覚はないだろうが)。
フォトスタジオのフォトグラファーさん、鈴を鳴らしてムスメの関心を引いた瞬間にパシャってやったり、小道具の枝葉を片手で持ちながらいい感じにぼかした構図でパシャってやったり、泣き出したら歌いながらあやしたり、子どもと相対する際のコミュニケーションの引き出しも、運動量も多く、その仕事ぶりには感心した。
祝着で撮られたりドレスで撮られたり、われわれ大人の夢と願望を一身に背負って何も分からぬままにカメラ目線とかしてくれたし(これもカメラ目線という自覚はないだろうけど)、後半だんだん疲れてきてグズりかけたのだけど、スタッフさんたちにあやされながらなんとか乗り切り…まぁほんとよく頑張ってくれた。
終わったあとは、パソコンで写真のセレクトをして、アルバムのレイアウトを選んでいくのだが、その間、店内あちこちに飾られている見本写真を興味深く眺めていた。
この子たちは、いわゆる「赤ちゃんモデル」である。よくよく考えてみると世の赤ちゃんモデルたちは、自ら望んだり、せめて同意をするという機会もなく、自分のあずかり知らぬところで赤ちゃんモデルになっているのである。もっというと、「赤ちゃんモデル」界というのにも、やはり市場があり、我が子を赤ちゃんモデルに!と願う親たちによるたくさんのエントリーと、誰がどうやってるのか知らないけど、それらの写真を”評価”する人たちがいて、採用されたりされなかったりするのである。いやはや、「社会」だ。
お宮参りにしろ、家族写真にしろ、「赤ちゃん」という、自我の芽生え以前の過程にある生命は、すでに「社会」の慣習・文化・経済に組み込まれながら存在しているのだ。この時期の我々親や周囲の大人によるかかわりが、赤ちゃんの生育にどのような影響を与えるのか…ゼロってことはないし、でも大人が気を揉みまくるほどには大きくないのかもしれないし、とにかくそれは結局のところ「わからない」のである。なるべく良さそうな写りの写真を選んだりとか、そういうことしかできないのだけど、せめて悪いようにはすまい、と願う。
そんなことを思いながら、ムスメにあれやこれやと話しかける毎日である。