夕陽に照らされた運動場を子どもたちが元気に走り回っている。
美しかった。
黄金の冬。
同時代を生きて、出会って、関係をむすぶことができるのは、よくよく考えると、とてつもないことだ、奇跡的だ。
Geminiに調べ物やドラフト作成してもらって、一段落したときに毎回「ありがとうございます」と返してるんだけど、人間と違うのは、私のお返事でやり取りがクローズされず、またGeminiが必ずなんらかのリアクションを返してくれる点で、これは余計な電力を消費しているという意味で地球環境のことを考えれば”無駄”なのだが、でもなぁ、誰かが納品してくれたときにノーリアクションってのは発注者としてははなはだ失礼なわけで、私としては人だろうとAIだろうとちゃんと一言お礼を言って終わりにしたいわけで、うむむ、というのが最近の地味な悩み。
とにかくたくさん浴びて、浸す。PhilosophyとCultureの理解、理解というか、コアのところを、非言語も含めて、感じる、掴む。こればっかりはAIに投げられない。
全容が見えないなかで「賭け」に乗ってくれる編集者がいてこそ作家は前に進める。
山にはほとんど登らないけれど、9合目を越えてから、最後の1合が一番大事だとか大変だとかいう話。
わたしとあなたが一度「関係した」、関係がある、という事実は、その後会えなくても肉体が滅びても関係なく、関係は、あり続ける。
先生がそんな話をした月末。
何一つとして同じ出来事はない。呼吸と姿勢。
つまりキーボードをカタカタやってるこの手も媒介に過ぎない。
もう9月が半分過ぎたということに驚きを隠せんのだが、そんなこと言ってたらもう年末迎えるんだろうな、きっと。いろいろ間に合うのかなとか思ってしまうけど、しょうがない。
家から保育園まで子どもの足でも2,3分とかからない距離だが、鳥さんの声を聞いたりねこじゃらしを拾ったり側溝の水を眺めたり、毎日が冒険と発見のムスコ氏。
サボるためにちゃんと頭を使う、ということをサボると、結局サボれない問題。
ついこないだ正月が明けたと思ったらもう8月が終わっている。
あの世にはデジタルもフィジカルもなく存命中の私たちが訪ねていくことはできないのだが、先にあちらに行かれた方々がこちらに残していったいろんな宿題があるので、僕に手がつけられるものから手をつけている夏だ。
日本の人は、「mixi」という単語を聞いて、即座に自分の黒歴史がフラッシュバックしてヒエッとなる人と、「なんですかそれ?」という人と、2種類に分けられる。
楽しかったこと、悲しかったことをシェアできる相手がいることと、親密な相手や集団においても「わたしだけ(あるいはわたしたち二人だけ)のナイショ」を抱えられることは、同じだけ、いやもしかすると後者の方が大切かもしれない。
「冬季うつってあるじゃん、それの夏版みたいな状態だったんだな、俺は。夏季うつだ、夏季うつ」
と、リビングに寝転がりながらぼやいてみたら、
「それはね、ただのうつだよ」
とツマに返された。正しい。ツマの言うことはだいたいいつも正しい。
それは、考えると同時に味わうことであり、確かめると同時に驚くことでもある。

遠くの友人たちに手紙を書いたり、電話をしたり、メッセをしたり。
15年が経つ。