ラジオ「作家ってなんだろう」 第7回「心に穴のあいたまま」
大阪・西成の「ココルーム」に泊まって、秋葉忠太郎さんの俳句、言葉、人生に触れて。
『こころのたねとして 2011 釜ヶ崎・飛田・山王』より
”終戦。 何千という日本人の死体を収容し、山に埋めた。 そして命からがら日本へと引き上げてきた。 昭和二十一年十月十日、リバティ型輸送船にて博多港到着。 そのまま大阪の山王町にある妻の実家に身を寄せた。
賑やかな歓楽街、カフェー、スタンド、食堂、玉突き屋とマージャン屋。数えきれないほどの店が立ち並び、昼も夜も多くの人が行き交った。 芸人もたくさん住んでいた。 街全体が熱を帯びていた。 しかし私にはその熱がなかった。 爆撃でぽっかりあいた穴のように、何かが失われていた。
わたしは 歴史から こぼれ落ちた
わたしは 人生を おいてきてしまった””今となってはわたしが何者であったかを知る人はこの世にほとんどいない。 この界隈で私はまともに歩ことすらできないただのオイボレだ。 しかしそれでもかまわない。 今さら名前を売ってどうしたいわけでもなければ、そもそもこれから何十年も生きるわけでもない。 誰に見せるわけでもない絵や日記を書き、それで一日が過ぎる。 それで十分満足している。
それでも、もし誰かが、これからの世の中について相談したいというのならば、わたしはわたしの知っていることを語りたいと思う。 おいてきてしまったわたしの人生について、そしてその時代について。 ”
ラジオ文字起こし
作家の鈴木悠平です。 今日も収録していきたいと思います。
今ですね、大阪の西成にあるココルームというゲストハウスに泊まっていて、もうすぐチェックアウトをするところです。 二泊三日で泊まったんですけれども、今回は出張で、また別の機会にお話ししようと思いますが、私が関わっている刑務所アート展という活動がですね、あの、来月4月27日に奈良監獄という明治の五大監獄の一つをミュージアムとしてリニューアルするというプロジェクトに、我々もちょっとお誘いいただいてですね、作品を展示することになったんですけども、それのあの最終の現場での確認と設営で関西出張がありまして。
で、宿泊したのがこの大阪のココルームという場所です。このココルームがどういう場所かというと、詩人の上田假奈代さんという方がですね、運営していまして。
かなよさんは、私たちの刑務所アート展の運営団体の理事にもなってくださっていて、そのご縁で、せっかくなので、ココルームに前からちょっと行きたかったので泊まっていました。 すごくいいところでですね、
どんな感じかというと、ゲストハウスでもあり、あと、「カフェのふり」と、かなよさん言ってるんですけど、一階がですね、カフェっていうか、いろんな人がですね、お茶飲んだり、ふらっと遊びに来たりする場所になってて。 そして「釜ヶ崎芸術大学」という、街で、地域の人たちと共にですね、いろんなこう表現をする場を開いていて、そういった詩とか言葉の活動、さらに言うと「言葉にならないことも」みたいなこともね、書いてて。 なんというか、こう、すごく不思議な、そして居心地のいい場所で。
昨日、一昨日と夜はスタッフの皆さんと一緒に賄いもいただいて、ほっとするひとときでした。
で、このココルーム、その建物とかカフェとか庭全体にですね、本当にその街の人たちが、あるいはここを訪ねた人たちが書いた言葉とか、詩とか、文字とか、絵とか、いろんなものが貼ってあったり、置いてあったりしてですね。
いま僕が泊まっているあのシングルルームはですね、「俳人の部屋」、俳句を読む人の俳人ですね、と名付けられた部屋です。 その隣は「詩人の部屋」というので、隣は詩人の谷川俊太郎さんの詩が貼ってある部屋みたいで。
で、僕が今泊まってる、もうすぐチェックアウトするんですけど、この「俳人の部屋」は誰の俳句があるかというと、秋葉忠太郎さんという方の作品が飾ってあります。
秋葉さんがどんな方かというと、山王町で暮らした方で、あの、2012年に103歳で亡くなりましたと書いていまして、毎日何枚も俳句とか絵とか書をね、読んだり書いたりしたとのことです。 20代を中国で過ごして、敗戦で仲間の死体を埋めて日本に帰ってきたそうですと、そういうご紹介が書いてました。
それ以来、「体の中に穴がある」と話されますと。 いうことで、うーん、その、戦前戦中、若い時代をですね、そのように過ごされて、帰ってきてから心に穴が開いたまま歌を読み、この山王町で過ごしたと。
その中でかなよさんとも出会って、このココルームと関わられたんだと思います。
壁にあの秋葉さん、秋葉忠太郎さん直筆の、なんか紙にさ、筆でささっと書いたような俳句がいっぱい飾ってて。 目の前にあるのは「平成二十五年五月二十六日の句」と書いてあります。 「どや街を陀びらく渡る朧月」。 他にもいろんな句が貼ってあって、それに囲まれながら二泊三日過ごしました。
で、部屋の中にですね、『こころのたねとして 2011 釜ヶ崎・飛田・山王』という題の冊子が置いてありまして、これはかなよさんたちココルームの皆さんが2009年から2011年に地域でたくさんのワークショップをして。 詩をみんなでね、書いたり読んだりした、その記録が、綴じられた冊子です。 で、その中に秋葉忠太郎さんのお話も書いてありまして、岩渕卓郎さんという人が聞き手となり、文章をまとめた『穴』という、聞き書きですかね。 秋葉さんがお話したものを、その岩渕さんが文章にした、秋葉忠太郎さんの人生が語られてる文章があります。 これを読んで、うん、それがすごく良かったんで、チェックアウト前に少しだけ朗読、ご紹介できたらと思って収録しています。
”生まれは北海道の旭川。絵を描くのが好きな子供だった。 学校にはずっと自分の絵が飾られていたし、郡の代表として絵も描いたこともあった。 だから将来は絵描きになりたいと考えていたけれど、結果的にそれは叶わなかった。 私の家は小作農で、画塾はおろか、学校の月謝を払うことすらままならなかった。 中学に入り、加藤勘十の「農民の旗」と出会って「読書会」という名の研究会を作った。 小作人に混じって運動に加わることもあった。 三年になっていよいよ貧乏で学校を辞めなければいけなくなったとき、美術の教員からの申し出で、二年間その先生の家で世話になりながら絵の勉強をした。 それでも美術学校の受験には失敗した。 私が受験したのは日本画科だったが、私のまわりには日本画をまともに教えられる人はいなかった。 その後、東京の大学に入学し、のちの人生で「東京のお父さん・お母さん」と呼ぶ夫婦と出会った。いたく気に入られ正式に養子にならないかとも言われたが、旭川の父と兄が反対した。 在学中、今で言う「反戦運動」のようなこともしていた。 演説中に立ち会いの警察官と口論になり留置場に放り込まれたりもした。 その時は知人の偉い弁護士に口を利いてもらって事なきを得たが、おかげで卒業後の仕事はまるでなかった。 治安維持法。知り合いをたどって、結婚したばかりの妻と満州へ渡った。 満州での処遇は極めて良かった。 私は協和会の職員となり、やがて青少年団の誇り高き北満代表となった。 財布などなくともどこでだって飲み食いできた。 特務機関長が迎えに来ることさえあった。 二十六歳の時、関東軍参謀会議の特別客員に任命された。 どうしてそんな大役を任されたのかはわからないが、とにかく人望だけは厚かったと思う。 わけもわからないまま都市対抗野球に出て大恥をかいたこともあった。 しかし、突然のソ連参戦によって状況は一変した。 終戦。 何千という日本人の死体を収容し、山に埋めた。 そして命からがら日本へと引き上げてきた。 昭和二十一年十月十日、リバティ型輸送船にて博多港到着。 そのまま大阪の山王町にある妻の実家に身を寄せた。 賑やかな歓楽街、カフェー、スタンド、食堂、玉突き屋とマージャン屋。数えきれないほどの店が立ち並び、昼も夜も多くの人が行き交った。 芸人もたくさん住んでいた。 街全体が熱を帯びていた。 しかし私にはその熱がなかった。 爆撃でぽっかりあいた穴のように、何かが失われていた。
わたしは 歴史から こぼれ落ちた
わたしは 人生を おいてきてしまった”
と、今あの、その聞き書きの文章の一部を読みました。 この、爆撃でぽっかりあいた穴のようにという、忠太郎さんにあいた穴というのがすごく印象的でというか、うん。 そう、だから満州で仲間の死体を埋めて日本帰ってきて、戦後の復興の熱狂に忠太郎さんは、うん、みんなと同じようにこう、乗っかっていくというか、その熱狂に乗れなかったんですよね。 それはそうだろうなと。 うん。
あまりにもギャップが大きく。 で、まあさっき紹介した通り、忠太郎さんは2012年に103歳で亡くなったということで、直接僕は会ったことありませんから、想像でしかないんですけども、穴が空いたまま戦後の山王を、うん、七十年ぐらい、ですかね、二十代が戦中でしたから、七十年ぐらいその戦後の日本を生きてきて、穴が空いたまま。 それが埋まることはなかったんだろうけど、でも... うん。 それを埋めるようになのか、埋まらないからこそなのか、俳句を読んだり、詩を読んだり、絵を描いたりという表現することが、忠太郎さんの人生とともにあったんだろうなと思います。
そしてそれが、かなよさんたちココルームの活動でね、まあ忠太郎さんだけでなく、たくさんの、それこそ、うん、世間的には無名のというか、在野の、素人の、市民の作品、言葉が、あの、たくさんココルームにあるんですけど、表現が一人ぼっちにならずに、このココルームを通してですね、出会ってつながることができたんだろうなと思います。 それが、うん、この場所の... 活動というか、なんだろうと思いますけども。
僕は、そう、かなよさんたちがココルームをやって、僕がここに泊まったことで、忠太郎さんと忠太郎さんの歌と、出会う、人生と、出会う、触れることができた。 読者の一人になることができたんですよね。
うん。 でね、いや、これを読むとさ、まあ自分の38年の、ね、経験なんて、まあまだまだこう、ひよっこのようなもんなんだけど、この「穴があいた」っていうのは、うん。 僕もそうだなと思って。 僕も文章を書いていて、そして、そうね、えーと、少し前のラジオでも、去年一年ちょっと、それを本にするべく書いていてという話して、年明けに、まぁ一応まとまって、今頃、出せてたかもしれないですけど、まあちょっとね、色々あって、なかなか、うん、もう少し時間がかかるのか、ちょっとうまくいかないのか、まあ、という状況で。
つまり、うん、作品をこうやってね、発表して、誰かに見てもらうという機会がなかなかこううまく作れないときもあるんだけど。 しかし、まあそれでも、うん。 まあそれがどうなるかわかんなくても、結局死ぬまで書いてくんだろうなと思ったんですよ。
穴があって、僕にも。 それが多分埋まらないままの穴も、埋まらないままだろうな。 うん。 その穴を抱えたまま書いてくんだろうなと思いますけど。
うん。 でもまあどこかでね、誰かとこうやって出会えるんだろうということを知れたのは良かったですね。
さて、ちょっともうすぐチェックアウトですけど、先ほど一部読みましたが、うん、この聞き書きの、最後のところをもう一度読んで終わりにしたいと思います。
”こんな私だけれど、かつては昔のよしみで何かと世話をしてくれる人や、興味を持ってわざわざ訪ねてくる人もいた。 しかし今となってはわたしが何者であったかを知る人はこの世にほとんどいない。
この界隈で私はまともに歩ことすらできないただのオイボレだ。 しかしそれでもかまわない。 今さら名前を売ってどうしたいわけでもなければ、そもそもこれから何十年も生きるわけでもない。 誰に見せるわけでもない絵や日記を書き、それで一日が過ぎる。 それで十分満足している。
それでも、もし誰かが、これからの世の中について相談したいというのならば、わたしはわたしの知っていることを語りたいと思う。 おいてきてしまったわたしの人生について、そしてその時代について。
秋葉忠太郎。九十八歳。もうすぐ九十九になる。 持病は金欠病。おかげで財布はキューキューと鳴いとるよ。 ああ、なんとも阿呆らしい。”
という、うん、聞き書きの最後のところを読みました。「わたしはわたしの知っていることを語りたいと思う。おいてきてしまったわたしの人生について、その時代について」うん。
はい、ありがとうございます。そうやってね、語って、書き記していただいたことに感謝です。
さて、間もなく十時になり、チェックアウトの時間ですので、収録を終えたいと思います。これを聞いてくださっている方にも、あの、感謝です。ありがとうございます。またお話ししたいと思います。
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ラジオ「作家ってなんだろう」
・作家という生き方、生業について、つくることについて
・これまでの作品、プロジェクトについて、作家としてどんなことを考えて、誰と、何を、どんなふうにつくってきたのか、の振り返り。
・いま、これから、つくろうとしていることについて
などを語ります。
当番組のホスト:
鈴木悠平 作家/インターミディエイター®(Author/Intermediator®)
閒-あわい-
https://awai.jp.net
https://awai.jp.net/about
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「コトナル」というメールマガジンを配信しています。
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番組一覧: 「作家ってなんだろう」 https://stand.fm/channels/68e3af5e036795923c4d6467
つくること、つくったこと、つくるプロセスについてあれこれ語る
「閒(あわい)日記」 https://stand.fm/channels/68ad6602f60500ab28d00fd2
作家の日記
「寝るまえ本棚」
https://stand.fm/channels/66d07e0106dbc95aee6252af
寝る前に15分から30分ぐらい、いま読んでいる本から一冊選んで、印象に残ったところを引きながら話します。
回復する未来へ PAC(Prison Arts Connections)チャンネル https://stand.fm/channels/69841aed4144beda36932ff3
「刑務所アート展」の企画・運営を中心に、アートを通して刑務所内外を結び、対話と創造を生み出す非営利団体「一般社団法人Prison Arts Connections」共同代表 風間勇助と鈴木悠平によるダイアログです。
