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「今週も"危険な"暑さが続きます」とお天気コーナーで言ってました

July 20, 2018 Yuhei Suzuki

朝、テレビの週間お天気予報で「今週も危険な暑さが続きます」と言っていたのが地味にインパクトあって、「暑さ」に「危険な」という形容がつけられることってなかなかない。

この暑さは私たちの身体に「危険」が及ぶレベルだということである。改めて文字にすると恐ろしいものがある。

学校にエアコン入れるのに住民投票がなされて反対票が3万集まったとか、五輪の暑さ対策には打ち水とか、あまり大きな話をしたくないた思いつつ、さすがに「この国大丈夫か」と心配になる見出しがタイムラインに流れてきている。もうね、たぶん偉い人含めてみんな暑さで頭クラクラして判断力がこうアレな感じになってる可能性もありますが、身体に「危険」が迫ってきている暑さなわけですから、とにかく周りがどうこうじゃなくて銘々に出来うる限りの自衛した方が良いかと思う。

友人が男性用日傘を買って超快適って言ってたので僕も週末買おうかな。問題はすぐ忘れたりなくしたりしそうってことなんだけど。

暑さが本格化する前からのことだけど、通勤ラッシュが嫌すぎるのでなるべく6時台に出勤する超朝型スタイルに変えており、そのことをもって「これは実質的にひとりサマータイムなのでは」って昨日ツマに言ったら「いや夜まで働いてるからそれサマータイムじゃなくて単純に労働時間増加」と返されて「ホンマや!」ってなるみたいな、私も暑さで脳みそやられてんなという感じなのですが、とにかくみなさんくれぐれも安全第一でどうぞひとつ。

これは「危険な」暑さなわけで、我慢は美徳だとか昔はどうだったとかそういうの全力スルーで安全確保ですよ安全確保。

会社着いた。金曜日がんばろ。

In diary Tags diary

「できること」とは

July 18, 2018 Yuhei Suzuki

チームで働くというときに、強みを活かそうとか多様性を活かそうとかそういう話がよく出てくるけれど、これをスキルとか専門性に応じた分業みたいに矮小化するとかえって変な話になるという感覚がある。

一人一人の成長の時間軸とか、現在組織が置かれている制約や期限とか、そういう前提条件の中で全員の持てるリソースをより善く活かし合おうぜという話であって、専門性云々というより、その環境の中でその人に「いまできること」は何か、ということに着目する。

原典不明の(探せばあるかもしれないけど)、使い古された教訓フレーズで
「若者には時間と体力があるがお金がない、壮年はお金と体力があるが時間がない、老人にはお金と時間があるが体力がない」みたいな話あるけれど、これは別に年齢の話だけではない。

スキル的にジュニアであったとしても、シニア(スキルはあるけど時間はない)に目標やその追い方を整えてもらったら、あとはそこに時間とエネルギーを投下することが出来れば立派なチーム貢献なのだから、どっちが偉いっていう話でもない。

「できることにフォーカスする」というのは、「お互いが持てるものを差し出し合う」ということだろう。

でも、だからこそ、誰もが不完全であることを前提に、自分自身の持てるものをちゃんと出し切ることにコミットする、自分のキャパシティに対して誠実である、というのは大事だと思うのだよな。

In diary Tags diary

「良さ」の物差し

July 17, 2018 Yuhei Suzuki
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最近はもっぱら編集者の採用・育成のこと考える日々。正確には、事業と、メディアと、コンテンツの成長ビジョンとセットで、それに追いつき追い越せするような形で、ちゃんとビジョンを実現可能な人材が揃っているという組織状態を維持するためには、今からどんな計画で採用・育成していけば良いのか?という問いであって、うへーって感じ。

ここ2年ぐらいはザ・新規事業って感じで遮二無二走り抜ける日々で、要所要所で幸運にも素敵な人と出会って採用できたり、立ち上げ当初からいたメンバーがチームを支え、成長させてくれたりでなんとかなってきたのだけど、だいぶノウハウも溜まってきて、最初の事業より次の事業、その次の事業と、どんな風にコンテンツ制作やそのためのチームが立ち上がっていくのか、だいぶ再現性を持って見えてくるようになったと思う。

伴って、人材採用・育成においてももう少し再現性・計画性を持って進めないと、ちょっと間に合わんなというスピード感と規模感にはなってきたので、色々と急がねばです。

自分たちがつくってきたコンテンツの良し悪しを構成する要素の因数分解ができる、また良いものをつくるためのチーム・個人としての方法論を言葉で説明することができる、という能力は、職業的編集者・ライターとして、特に事業会社でやっていく上では必須スキルだなと思うけれど、いろんな年齢・経験の方と面接する中で、それが必ずしも多くの方に備わっているものではないということがわかってきた。

このスキルについては、年齢やこなした案件の数はあまり相関しないようて、経験年数が一定程度あっても、「ふわっとした感覚」でやってきちゃっている人が少なくないのが正直なところ。

ただこれは、これまでメディア業界の会社や編集部組織が、編集者・ライターのそういう能力を明確にしたり伸ばしたりすることをしっかりやってこなかったことのツケであるかもしれなくて(僕は昔のことは知らないけど…)、少なくとも事業会社として自分たちで編集部組織を持ってやっていく以上は、ちゃんと人が「育つ」仕組みとエネルギーを内部に溜めていきたいし、私たちが採用時に求める「人物像」というものが、より明確に外部に伝わるように発信していかねばなと思っている(より良いマッチングを目指すという意味でも)。

In diary Tags diary

暮らしの投資

July 16, 2018 Yuhei Suzuki
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「別に今でもそんなに余裕があるわけじゃないけど、毎月の家賃や食費もギリギリだった4,5年前と比べると、少し先々のことを考えられるぐらいにはなってきたね」

昨日の夕方は友人の結婚披露宴にお呼ばれしていて、同じテーブルになった4人でそんな話をしていた。新郎含めた彼らとは、出会ったタイミングが微妙に違うものの、だいたい6〜7年ぐらいの付き合いで、田端のとあるシェアハウスの住人だったり(正確には僕だけ住んでないのだけど東京に家がない時期にしょっちゅう泊まっていた)、東日本大震災のあとに一緒に東北に行っていたり、大学にいた期間が通常より長かったり、誰一人一般的な就職活動をしていなかったりと、そういうあたりで共通点があるつながりなのだが、まぁとにかく当時はカネがなかったのだ。

それが、気がついたら30歳を向かえており、それぞれに結婚をしており、おやまぁなんとって感じ。仕事の方は、会社に務めたり会社を興したりお医者さんになったり変わらずフリーだったりパラレルだったりそれぞれなんだけど、一応は自分の職能でもっておカネをどうやって稼ぐかがわかっていて実践できるようにはなっており、月々の家賃や食費に不安を覚えるようなことはなくなった。むしろ、自分だけで食っていく分には別に困らないんだけど、家族やチームや会社、かかわる人たちと持続的に今後も働いて暮らしていくには今からどうしておけば良いのか?ということが悩みどころになってきていて、つまり僕たちのなかに、ようやくまともな「投資」という物差しが備わってきたと言えるのかもしれない。

この日話題の中心になったのは、家とか土地とか、つまり中長期的に「どこで」住むのかという話。

地元で土地と家を安く買えるかもしれない話とか、ニュージーランドの人はライフステージに応じて家を替えるのだけど、ちゃんと手入れをして購入時より価値を上げて売るから家計収支としては全然ペイするんだという話とか。さすがにそんな金がいま即日キャッシュでポンと出るほどの経済状況ではないのだけれど、それでも短期的に仕事の量を増やして一気に貯蓄をつくるとか、ローンを組むとかといった、ちょっとした「踏ん張り」によってまったく不可能ではないぐらいのオプションにはなってきた。

2年前にこんな記事を書いた。カネがなかった頃の話だ。

この中で、卒業直後のカネがなかった頃に、企業にちゃんと就職した同級生たちは新卒一年目から資産運用の話をしていて、そんなものが基礎リテラシーとしてもう備わっているのかと内心仰天したものである。

いまもまだ、投資信託みたいな、まとまったお金を運用して増やす、みたいなことをしている/できる状態ではないのだけれど、それでも、もう少し広い意味での投資…生まれてきた子どもの将来を考えてお金をどう使ってどう積み立てていくか、どこに住んで家をどうするのか、自分がいまやっている仕事の中長期的な成長に向けて、いまどんな人を採用して、どういう計画で育成していくのか、歳をとって自分自身の体力は衰えていくなかで、いまどこに労力を投下するのか…などといった、ちょっと長い物差しを持てるようにはなった。

振り返ってみても、昨日同席したメンバーそれぞれ、当時はそうせざるを得なかった何かがあったのだろうし、仮にもう一度人生やり直したとしても、そんなに器用に立ち回れなさそうだ。結局キャリアとか暮らしとかおカネというものは、自分にとってしっくりくる付き合い方を、試行錯誤しながらつかんでいくしかないように思うから。

ま、30歳成人説ってことで、ちょーっとだけオトナになりましたか、私たち。

In essay, diary Tags roadside-economics, diary

誰かを動かすために「書く」わけじゃなかった

July 16, 2018 Yuhei Suzuki
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生みの親であるお父さん・お母さんと一緒に暮らしているということが、仮に”標準的な”家庭環境だとして、それに該当しない形態で暮らしている子はたくさんいる。僕たちが小学生・中学生だった頃の同級生にもいたし、そういう子の家族構成は、なんとはなしにクラス内で知られていたりする。本人が自分から話すこともあれば、授業参観で誰が来るか/来ないかという視覚情報から感じ取ったり、聞いてもいないのに自分の親から「○○くんのお家はお母さんがいないから…」というレクを受けたりして、「そういうこと」が暗黙の共通認識となっていたのだと思う。

当然ながら(と、教育を受けた今は言えるのだが)、生まれ育った環境が標準的かそうでないかということと、その子が幸福か不幸かということは、一致しない別の話であるし、ましてや他人が表層からジャッジして良いことではない。

ところが、標準外であることと「かわいそう」が一足飛びに結び付けられて、本人とかかわりもない人たちの間で勝手にその評価が定着する、ということが、世間では割と簡単に起こってしまう。

“おじいちゃん、おばあちゃんと三人で暮らしてるんよ
友達にそう伝えると、その話は小さな田舎町に一瞬にして広がっていきました。気づけば、知らない大人からも「かわいそうな子 だ」と言われるようになったんです。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/
"生きづらさ"もちゃんと見つめたい。だって私の大切なアイデンティティのひとつだから。親との関係に苦悩した子供時代を経て、菊川恵さんが気づいたこと | soar(ソア)

たとえば僕がそういう境遇にあって、周囲の大人からは「かわいそうね」と言われていることも知っていたとして、そんな大人たちに何か言い返すことができただろうか。「自分はかわいそうなんかじゃない!」と叫んでみたならば、かえって意地になっているようだし、冷静に「いえいえみなさん、僕はこの家で幸せに過ごしてるんですよ」と説明してみたところで、自分たちへの興味もかかわりのないところで噂を立てる大人なのだから、発言の中身をまともに聞いてくれそうもなさそうである(そもそも小さい子どもの頃にそんなに器用に立ち回れそうもない)。

他者との対話・接続を期待できないとわかったとき、ことばは空虚で無力だ。

いくら言葉を投げかけても反響が返ってこないなら、最後は自分と対話するしかない。ことばは内に向かう。

他にどうしようもないから「書く」。

体験したことはまったく違えど、「書く」ことに向かった必然性というのは、案外似た経緯だったかもしれない。

上述のコラムを寄せてくれた菊川恵さんとの接点は、僕にも言葉のどもりがあり、「うまくしゃべれない」時期があったことについて書いたエッセイだった。

吃ることが「いいこと」だなんて、思えなかったあの頃 | アパートメント

それを読んでくれた彼女が、「私もです」とTwitterで話しかけてくれて、今度ご飯でも食べながらお話しましょうかということになった。

直接会ったときに、何を話したのかあまり覚えていないが、今に至るまでの生い立ちについてはお互いそれほど語らなかったと思う。「なんらかあったんだろうな」という感覚はしたが、それ自体を掘り下げることをその場で必要と感じなかったので、他愛のない話をしながら過ごした。

“わたしはちょうどその頃から、声が出づらくなったり、どもったりするようになり、日常生活を不自由に感じるようになりました。 授業中に当てられても、答えがわかっているのに、答えられない。友達と話している時に、面白い話が思い浮かんでも、口に出せない。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

吃りの症状を含めて、彼女自身の生い立ち、どんな変遷を経て今に至ったのかの詳細は、soarのコラムを通してはじめて教えてもらったのだけど、食事をしたときに急いで聞いたりしなくて良かったと思う。断片ではなく、ひとつながりの「物語」として、話し言葉ではなく、書かれたテキストで受け取るべきものだったから。そして、「書くこと」が彼女が生きる上でのひとつの柱となっていること、それは僕にとっても同じであるということを、「やっぱりそうだよな」と改めて知らしめてくれるものだったから。

今では紙の日記に書き留めるだけでなく、書いたものを誰でもいつでも、全世界に向けてインターネットで「発信する」ことが出来る。毎年・毎月、たくさんのメディアが生まれ、個人の発信力を高めることの重要性が説かれ、それらをテコにしたビジネスが生まれていく。

いかに他人に「影響を与える(influence)」かが強調される。

「書くこと」は、それ自体が目的なのではなく、発信のツールである、他人や社会に影響を与え、動かすという目的に従属するものである、と言われているかのような気持ちになる。

そうした道具としての側面を否定はしないが、「書くこと」の理由や意味や目的、それから私たちが生きる上で「書くこと」によって与えられるものというのは、果たしてそれだけだろうか。

少なくとも僕や彼女にとっては、「書くこと」というのは、「発信」や「影響」のために始めたものではなかった。

もっとのっぴきならない、自分が生きていく上で、それ以外に突破口がないかのような切実性から始まったことなのだろうと思う。

“そうやって誰にも話せなかったことを、日記に書くようになりました。文字だったら、自由に話せる。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

誰かを動かすとか世界を変えるとかそんな大それたことを考える余裕もなかった。むしろ、誰かに見せようものなら「気のせいだよ」「考えすぎだよ」と突き返される。

動かしがたい現実や、言葉にならない自分の感情、痛みを、どうにか触れられるかたちにして折り合いをつけたい。そういう微かな、抵抗とも祈りともつかない行為だった。

“書く作業は、必然的にひとりになります。ひとりで自分と向き合う期間を長く取れたことが、わたしの心の回復を早めたように思い ます。「生きづらさの中で編み出した工夫」が、同時に自分自身を救ってくれていたのでした。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

書くことに対する(不器用な)切実さは、今ではだいぶ失われてしまった。それは、「書くこと」以外の引き出しを得たということでもあるし、「書くこと」がなくても生きていける暮らしの安定を得たということでもあるのかもしれない。

少し寂しくはある。

これから生きていくなかで、「書く以外に道がない」ような困難に、またぶつかることがあるだろうか。
未来のことはわからないけど、もしそうなったならば、「生きづらい自分」のことを、彼女のようにちゃんと大事にしてあげようと思う。

In essay Tags narrative, menherasan-no-sustainability

オトナの自由を実感するとき

July 15, 2018 Yuhei Suzuki
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暑い日に立ち寄ったセブンでアイスコーヒーをラージサイズにしたり、スーパーに食材を買いに行ったついでにハーゲンダッツをカゴに入れたり、ランチにビールやワインをつけちゃったり、披露宴から二次会会場への移動に大した距離ではないけど疲れるからとタクシー捕まえちゃったり、そういう日常のちょっとしたプラスオン出費をするときに、僕は同行者に対して「オトナだから」と、言い訳なのかなんなのかよくわからない定型句を発することがあるのだけど、つまりそういう衣食住の余分な部分において選択権を持つことが出来るようになったのがオトナの楽しさである。我ながらスケールが小さい。

他の家の子とか、現代っ子たちは違うかもしれないけど、子どもの頃は、そういう「日常の些細な贅沢」というのは、なけなしの小遣いを貯めてようやく買えるものであったり(それでも総額所持金は少ないので一個の贅沢のインパクトは大きい)、親に頼んで買ってもらうものであったり(そこにはなんらかの"理由"が要る)、そもそも年齢不相応でオプションとのならないものであったりするから(お酒は飲めないし、タクシーに乗る場面がそもそもほとんどない)、決して日常でも些細なことでもない、ちょっとした非日常の冒険である。

子どもが贅沢を「選べない」のは、そもそも自分でお金を稼いでいなかったり、自己責任のもとお金の使途を判断しマネージする能力が育っていなかったり(ゆえに保護者が代行する)ということなのだと思うが、子どもかオトナかという線引きも、よく考えると極めて曖昧なものなので、もう少しケースバイケースで、子どものうちからでも自律選択可能な事柄については、子どもに任せちゃっていいのではなかろうか。

自分が「オトナ」になってからというもの、未成年でも自分の職能で立派にお金を稼いでいたり、自分でそれぞれの選択肢を吟味して進路を選んでいたり、そういうしっかりした次世代の子たちに出会ってきたが、そこまでのレベルでなくとも、親子でルールを決めて「家庭内通貨」を作ってしまうとか、子どもが自らの責任とアクションで「選択権」を得られる幅は、僕が子どもの頃よりもうちょっと広げてあげたいなと思ったりする(ムスメ、まだハイハイもしないけど)。

もう一個、オトナの権利として、一定働いたら「有給休暇」が付与されるじゃないですか。明日は有給使って休んじゃおっかな、温泉でも行こうかなみたいな。

子どもは、よっぽどの熱が出るとかしないと学校は毎日5-6時間朝から夕方までみっちり参加、みたいなのが前提になっているけど、子どもにだって「有給」があってもいいじゃないのと。1日2日休んでも家庭学習・自主学習でキャッチアップできます、あるいは小テスト・レポート提出で代替します、みたいな条件付きで休んでいいみたいなやつ。

っていう話をツマにしたら、最近は「げんきやすみ」って言って子どもを平日に遊びや旅行に連れていったり、どこかに出かけるわけではないけどちょっと休んで元気チャージするようにしている家族もいるよーって。なんだ、もうあるのか。いいじゃん「げんきやすみ」、響きがいい。子どもが大きくなったらそういうの積極的に導入していきたい。

In essay, diary Tags roadside-economics, diary

お風呂の水と戯れるムスメ

July 13, 2018 Yuhei Suzuki
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ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。

たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。

あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。

赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。

「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」

とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり

「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」

みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか

「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」

みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか

いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。

もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。

遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。

外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

仕組みと信頼の話

July 12, 2018 Yuhei Suzuki

「仕組み」とか「ルール」というのは、それ自体が目的だったり偉かったりするのではなくて、チームで同じ目標に向かって最大限に力を発揮するために、継続反復的な業務の効率を上げたり、その分生まれた余剰時間・エネルギーをよりクリエイティブな仕事に向けたりするところにその意義がある。

もちろん、仕事をしていると、状況は刻一刻と変わっていくし、やっていくなかで新しい論点が見つかったり、前提条件が変わったりすることも珍しくない。また、仕組みやルール自体が至上命題になって硬直化することも望ましくない。

とはいえ、一度チームで「決めた」ことに対しては、まず全員がその型でやり切る、ということは最低限の礼儀であり責任であり、信頼である、と思う。

それが永久不変のものではないにしても、その時運用している仕組みやルールは、今現在の見通しから、これは揃えて運用していくのが重要だよね、効率的だよねという判断のもとつくったものだから、一定の耐用性・妥当性はあって然るべきであるし、その意義を検証するためにも、しばらくの時間はきちんと決めた通りに、全員が運用しないと話にならない。

「現状の仕組みでは、○○な点に対応できないのでは?」といったイシュー提起は誰もがすれば良いし、その結果より仕組みが洗練されていくと良い。ただ、イシュー提起がされた後には、再度検討して、ちゃんと意思決定をしてからフォーマットを変える必要があって、合意を取らないままに個人で勝手に運用を変えるみたいなのをごっちゃにするとみんなが困ったことになる(バラバラな入力をする、やると決めたことをやらない)。

本質的には、より良い方法で目的に向かって進むことができればそれでいいのだけど、方法そのものを疑う・柔軟に議論するみたいなものと、決めたことをちゃんとやり切る、みたいなものを、ふわっとぐにゃっとごっちゃにすると、よくない。とてもよくない。これは信頼の問題だから。

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その海は凪か嵐か

July 11, 2018 Yuhei Suzuki

なんにせよ、物事を「スイスイ進められない」時期というのはあるのだけれど、「なかなか進まない」ということの背景や実態はさまざまだ。

①一見停滞気味だけど、次の追い風に向けた凪の期間と捉えて、試行錯誤の手は止めず、やれることを愚直にやり続ける、という状況

②自分にコントロールできない外部要因としての雨・風・嵐が来ていて、とにかく振り落とされないように、沈まないようにと、自分たちの身を守ることに技術とエネルギーを尽くしながら、いつか来る晴れ間を信じて耐えている、という状況

③もう船底に穴は空いていて、無駄な抵抗と感じつつ、少しでも船やみんなの命を引き延ばすために、必死で水をかき出しながら、来るかどうかわからない救助船に一縷の望みをかけている、という状況

未来をどれだけ前向きに信じられる状況か、ということと、状況がどの程度アンコントローラブルかによって、ずいぶんとかかってくるストレス、精神的疲労度は違ってくる。

人間がしんどくなるのは、体力的なしんどさだけではなくて、セルフコントロール感が持てないことによる精神的なしんどさも多分にあるので、そういう場面でのお互いのケアやサポートをどれだけ出来るのかというのが、組織のレジリエンスとして重要なのだろうな。

もちろん上記は単なるメタファーだし、実態としての状況と自分たちの認識にギャップがあることだって少なくないので、詰んだと思ってもまだまだやれることが残っていたりもするんだけど。

もっと言うと、同じ困難な状況下でも高い精神性を保つことが出来るかは、(それまでの生育歴込みで)やはり個人の差というのは出てくるわけで、それはフランクルの『夜と霧』で教わったことでもあるなぁ。

そもそもそんな状況にしないために平時から手は尽くすのだけれど。

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「とりあえずの名付け」に逃げない

July 10, 2018 Yuhei Suzuki

既存の概念で自分たちの活動をしっくり説明し切れないなと思ったら、「とりあえずの名付け」に逃げないで、しっくりくる言葉や概念を見つけたり作ったりできるまで、そこに留まらないといけない。

時代や世代共通の価値観やムードというものがあって、なんとなく共通する、大きく向いている方向は同じ/似ているよねというような感覚を抱かれたり、そのような確認や語りかけをされることはあると思う。

そういうふわっとした「世代感覚」とか「界隈感」みたいなものもまた、それを先んじて予見し捉えていた人がいて、すでにその概念に名前が与えられていて、みんなもその言葉をとりあえず使用して、自分たちや自分たちの活動をdescribeする、ということがある。

だけど「すでにある」概念で自分たちの活動の本質を捉えられている感覚を持てないのであれば、惰性でその概念を使い続けるのは、かえってリスクがあるように思う。

ダイバーシティとかコミュニティってとりあえず言っちゃうのは容易いのだけど。ほんとにそれが目的や価値だと思ってやってる?という問いかけ。

新しい概念をつくるということに、サボらずちゃんと向き合った方が良い。

私たちが向き合っているのはどんな人で、その一人の人生が、私たちのサービスや、私たちとのかかわりを通して、どんな風に変わっていくのか、「物語」としてまず描いてみる。

それを、一番手触り感のある動詞や形容詞で表現してみる。

既存の概念と違う感覚を覚えたなら、そこが新しい概念を開いていく契機なのかもしれない。


カタログを並べられて、「そのどれでもない」と言えることをする。

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#23「ツマと、KPT: 6月の家族会議」2018/07/08

July 8, 2018 Yuhei Suzuki

KPT形式で一ヶ月を振り返る、スズキとヨシダの家族会議、6月分です。

…もう7月ですけど。暑いですね。

(以下は前回記事)

#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02 — 閒-あわい- 


5月の振り返り結果のKPTがこれで

6月はこちらでござる。

ツマ「6月のよかったこと、Keepしたいことはなんでしょう」

オット「うーん、相変わらず、自分たちでKeepできる話ではないんだけど、まぁよかったこととしては、いちかの離乳食が始まって、特に問題もなく順調ですね」

ツマ「なんの抵抗もなくすんなりもぐもぐ食べる、うちの子」

オット「何よりだ。あと僕は土日割とちゃんと休めるようになってきた感がある。ほぼ寝てるだが。」

ツマ「そうだね、特に6月の後半から」

オット「あとは、3人で外食行っても、ある程度いちかが自分で座って過ごせるようになったり、家でも一人遊びが出来る時間が長くなったり、そういう変化がありましたね」

ツマ「じゃあ次、Problemなんかありますか」

オット「相変わらず胃腸が弱い。ビオフェルミン飲んでるのに。もうこれは一回胃腸のあれやこれやをしかるべき診療科で診てもらった方が良いのではないか」

ツマ「ようやく気づいたかい。行ったほうがいいよそれ。7月のTryで」

オット「消化器内科的なアレを予約するがんばる。ゆりさんどうですか、なんかPありますか。大学院の研究とか」

ツマ「それはね、もう、全然ダメ、進まない」

オット「お、おう…」

ツマ「まぁそれはいいんだけど、他にも色々忘れないようにメモしておいたわけよ。こないだ、ライフプランニングのモニターやったでしょ」

オット「うん」

ツマ「でね、子ども何人産むとかそういう色々これから決めるべき論点があるわけだけど、ゆうへいとチャットしてて、『あ、これ全部わたしの意見通りそうだな』って思って、それがちょっと怖い」

オット「あー、なるほど…」

ツマ「なんかゆうへい、『まぁゆりさんがそういうならそれが良いんだろう』的になってるのかもしれないけど、こうもうちょっと自分の意見出してっていいんだぜ的な」

オット「うーむむ」

ツマ「あともう一個は、保育園のこととか、プロジェクト的に進めていくと動いてはいくんだけど、一家の出来事から離れていっちゃわないかという懸念はある」

オット「そだね。そちらは今月あまり動けなかったのだけど、そもそもが家庭の問題を、周囲とも相談したり助けを求めたりしながら、どうやってしっくりいく選択肢を作ったり選んだりしていけるのかというのがもともとの問題意識だったので。なので、こないだから話してたような、このKPTとは別の『幸せ家族会議』的な、もうちょっと家族運営を全体的にこれからどうしていきたいのかゆっくり話し合う場を設けたいのだ」

ツマ「じゃあそれは7月のTとして、やろう」

オット「やるぞー」

ツマ「あとねぇ…これは今のところ解決策が出てこないんだけど」

オット「なになに」

ツマ「やっぱり自分の時間がアンコントローラブルであるということ自体のストレスというか、モヤモヤは時たま感じる。別に日頃からイライラが溜まるような状態でもないし、その瞬間瞬間は平気なの。自分の作業してるときにいちかが目覚めて、作業が中断してってときに『あーもう!』とかなったりしないのよ。『あ、目覚めたの、そうかそうか、じゃあおっぱいあげましょう』的な、その瞬間は平気。でもこういうのって子ども生まれる前の自分にはなかった状況だから、ふとした時にそれを自覚して、モヤーみたいな」

オット「それは、そうだよねぇ。うーん、まぁちょっと、完全にゼロにはできないとしても、もうちょっと思い切って豪快に預かりサービス使っていくとか、札束で殴って解決できる余地があれば惜しみなくやっていけたらと思うけど」

ツマ「なんかね、その申し出はありがたいし、実家に預けるとか、シッター使うとか、やろうと思えばできるし、それでまとまった時間もある程度確保できるんだけど、量の問題じゃないっていうか。その、自分の自由を確保するために、自分の意思ひとつで決められないこと自体のストレスっていうのかな、追加のコストを払ったり、誰かと相談・調整しなければならないっていうこと自体が、産前はなかったわけじゃない?」

オット「あぁ、それは確かに、そうだよなぁ…うーん、どうしよねぇ」

ツマ「まぁでも、ひとつは自由時間を確保できる度合いを極力増やすアプローチ、もうひとつは認知行動療法的に、そういうことにストレスを感じる自分の考え方自体をほぐしていくアプローチか、大きくはその2つしかないわけで。まぁ一時的なものかもしれないし、来月ゆうへいが有給でプチ育休取るから、それで二人がある程度同じ経験をすることで楽になる部分もあるかもしれないし、まぁちょっと様子見かなぁ」

オット「そうだねぇ。まぁちょっと今月も来月も様子見ながら相談しながらだねぇ」

In essay Tags pair

#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02

June 2, 2018 Yuhei Suzuki

本当にちょっと最近多動みが増していて、その分いろんな物がポロポロ溢れるんですが、会社のスタッフにもツマにもほんと生活支援を受けてる感じです。一時期は妖怪人間よろしく「早く人間になりたい」とか言ってましたがだんだん開き直っているんじゃないかっていう。

さておき、KPT形式で一ヶ月を振り返る、恒例の家族会議note、5月分です。

(以下は前回記事)

#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13 — 閒-あわい- 


4月の振り返り結果のKPTがこれで

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今回、5月分がこちら↓

オット「5月は、いちかの託児デビューでしたね。ファミサポとキッズライン。ゆりさんの用事があって僕が在宅ワークできない日が2回あり」

ツマ「ファミサポさん、すごくありがたかったけど超ギャン泣きして、結局わたし早退して迎えに行くことになって、ファミサポさん宅の息子くんも戸惑ってて、ちょっといたたまれない気持ちになった苦笑」

オット「キッズラインのシッターさんのときも、受け渡しのときは人見知り発動してギャン泣きしてたけど、そのあとは割といい感じだったみたい」

ツマ「まぁ結局は人と人なので、大丈夫なこともあれば、4時間泣き続けることもあるのさ」

オット「せやな。まぁ今後も必要に応じて外部の力を借りていこう」

ツマ「さてさて、5月のよかったこと・Keepしたいことはあるかな」

オット「んーとね…読んでる人に心配されるぐらい、毎月『オット疲れてる』とか書いてたけど、5月はちょっとマシになってきた感」

ツマ「よかったじゃん」

オット「忙しいんだけど、チームが立ち上がってきてみんなしっかり者さんだから、苦手な仕事とかまるっとお願いできるようになった。書類とか進行管理とか書類とか進行管理とか…」

ツマ「感謝だねw」

オット「理解ある職場。編集長への合理的配慮」

ツマ「私も大量の名刺をゆーへーのeightに取り込むのやったよ」

オット「もうそれほんとありがとう。うず高く積み上がっていた名刺の山に絶望していたから。今日、そのことを編集部のスタッフに言ったら『最近ゆーへーさんの机から名刺の山なくなったと思ったらそういうことだったんですね』って言われたw理解ある家庭。生活支援受けてる感じ」

ツマ「でも5月は床で寝落ちする頻度増えたね。何回も声かけてるんだけど『うーん…』っつってそのままだよね。私も途中で諦めるw」

オット「先月より退化している…」

ツマ「そして布団をしまわなくなったね」

オット「ひぃ、すみません」

ツマ「あと、ダイエットカレンダーつくったのになかなか○がつかないね」

オット「今日こそやる…このnote書いたらやる…」

ツマ「Amazon Primeで好きなの観ていいってご褒美つけたのにね。強化子として弱いんじゃない?」

オット「睡魔に勝てない、全然勝てない。というかなんかこう、欲が薄いからトークンエコノミー向いてないんだと思う」

ツマ「私はなんかProblemあるかなぁ…大学院の先生に頼まれた本の原稿がほんとに全然進まない…w」

オット「原稿進まないのわかる」

ツマ「ていうか、何も進まないうちに一日が終わる、みたいなのが多すぎて。わたし日々ほんと何して過ごしてんだろw」

オット「何してると言われてもwうーん、なんかとりあえず夫婦で日報でも出し合う?w」

ツマ「日報wじゃあフォーマット決めてくれたらやる」

オット「まぁそもそもいちかを見てもらってるから、手が空くタイミングって一日で限られてると思うけど」

ツマ「まぁ家事とかお散歩は別にいいのよ。困ってないし」

オット「昼間、原稿進められるとしたらまとまってお昼寝してる間だよね。そのチャンス何回ぐらい来るの」

ツマ「一日に2,3回あるんだけど、寝たとしてもその間の時間全部フルに有効活用できるわけじゃないじゃん。いちかが寝たタイミングと、私の原稿やる気スイッチが両方揃うとは限らないじゃん」

オット「1時間2時間あっても実際に書く時間って一部だよね。わかる…w」

ツマ「寝かしつけたあとも、寝たかなーどうかなーって見守るロスタイムがあるのよ。その間はベッドで添い寝した状態でTwitterとかして時間つぶすわけ。で、完全に寝たあとにすぐに執筆が進むかというとそうじゃないし、で、ようやく乗ってきたなというときにまた『ふぇ〜』って目覚めたり、そんな日々よ」

オット「もうあれだ、毎日はさすがにお財布きついけど、週に1回ぐらいキッズライン使う?その間ゆりさんはカフェで原稿書くの。あと俺は、夜いま空いてる日程はブロックして早く帰れるようにする」

ツマ「それはありがたいけど、でもさぁキッズラインで3時間預けたって、さっきも言ったけど3時間進むとは限らないわけじゃん。1時間分も進捗するかどうかわからないみたいな時間に、シッター代をそんなに払って良いのだろうか…」

オット「いやもうあれよ、原稿書きってそんなもん。乗ってこないなーっていう1,2時間も含めて助走期間として必要なわけよ」

ツマ「そんなものかなぁ」

オット「そんなもんだ。…と、自分の筆が重いことの正当化をしてみる」

ツマ「今月はゆーへーも原稿溜まらないといいね」

オット「最近スタッフからのリマインドの頻度が上がって容赦ない感じでお尻叩かれているからちょっと早くなってきている…気がする」

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#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13

May 13, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメは生後4ヶ月を過ぎ、今のところ大きな病気もなくすくすくと育っている…というか標準よりぽっちゃr…いやおデブちゃんと言っても良い、すでに8kgを突破し、むちむちのちぎりパンナちゃんでございます。

3月に引き続き、KPT形式で4月を振り返る、家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07 — 閒-あわい- 


ツマ「4月の振り返りと言いつつ、もう5月ですね」

オット「そうですね…(白目」

なんかもう多忙でした。4月の記憶あまりない…

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ツマ「まぁ、振り返りますか、4月を…」

オット「まず、良かったこと、Keepしたいことから。まぁあれだね、僕はさておき、ゆりさんといちかは元気だね、良いこと」

ツマ「そうよ、私たちはいつでも元気」

オット「帰り遅くてワンオペDay多くなってすまん…感謝である、あとヤクルト」

ツマ「ヤクルトねw胃腸良くなった?」

オット「うーん、良くなった気も…?」

ツマ「気持ちが大事」

オット「あとはあれだ、帰りは遅いけど、家帰ってから変に悪あがきして夜中仕事しようとしなくなった、諦めて寝るようになった」

ツマ「それは大きな進歩だね。『いや、もうちょっと仕事する!』って言ったあと絶対寝落ちするもん。諦めが大事。あとは、いちかをあやす時の歌のレパートリーが増えたね。なんか変な歌ばっかりだけどw」

オット「センスのない即興ソングwうーん、じゃあProblemは?」

ツマ「特にないなぁ…あんまり問題だと思ってないけど、眉毛描くのをサボるようになったw」

オット「それはまぁ、任せる…」

ツマ「あと、来月の離乳食スタートを考えるとさすがにこの一人暮らし用冷蔵庫では小さい気がしてきているよ」

オット「それは重大な問題。来月のTで解決しよう。俺はあれだな、寝るの早くなったけど、布団敷く前にいちかのマットで寝落ちすることが相変わらず多い」

ツマ「それはもうドンマイとしか」

オット「あとはねぇ…いちかがデブいw」

ツマ「もう8kg超えてるからねぇ。スーパーに買い物に行く度に、その辺のおばちゃんから『まぁポチャポチャでかわいいわねぇ』って言われてぷにぷにの足を触れれているよ」

オット「それはもう、客観的に見てデブってことだなw」

ツマ「まぁ、運動できるようになればシュッとするでしょう…先生も『今は別に大丈夫でしょう』って言ってたし」

オット「せやな…じゃあ最後、Try」

ツマ「先月はゆーへーがんばったね。本棚整理して、クリーニング出して」

オット「どっちもほぼ4月最終日だったけどな…」

ツマ「やりきったことが大事。えらい」

オット「とりあえず、さっきPで出てきた冷蔵庫の買い替えはマストね。あとは、壊れたっきり放置しているけど、新しいデジイチを買いたい。あといちか用の口座もつくろう、そろそろ…」

ツマ「じゃあその辺よろしくw5月はふたりとも用事あって託児利用する日があるし、それも新しいTryだね」

オット「相談したら助けてくれる人たくさん現れて、ありがた限りです。来月も…ていうか今月だけど、がんばりましょう」

ツマ「ほどほどに」

おまけ

オットの胃腸を気遣ったツマがヤクルトを買ってくれたおかげで、大量のヤクルト空き瓶ができまして、それを使ってツマがムスメの遊び相手をつくりました。で、オットが命名。

トミー(左)と

ジミー(右)と

安田(中央)です。

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今後ともヨロシク…

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いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」について

May 12, 2018 Yuhei Suzuki
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パイセン「ゆーへー、子育てどうなの。うんち拭いたりしてんの」
僕「いやそりゃ拭きますよ。あんまり遭遇頻度高くないっすけど」
パイセン「へー、そうなんだ、えらいね。俺は無理だ、うんち出てたら奥さんに『うんち出てるよー』って言うw」
僕「それ完全にTwitterでdisられるパターンのやつじゃないすかw」

…というやり取りを先日したことを思い出しながら、今朝はムスメ(4ヶ月)のうんちを拭いていた。

いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」については、結論としては「拭けよ」の一択だと思うので、別にそこを論じるつもりはないのだけど、そういう僕も、ムスメのうんちと遭遇して拭いたのが実に1ヶ月ぶりだったわけで、オムツをご開帳して久しぶりにあのネチョッとした、赤子特有のうんちと対面すると、やっぱりこう「うぇっ」ってなるというか、まだどうにも非日常感があるというか、気合を入れて向き合わなきゃならん感じがする。

っていう話をツマにしたら、

ツマ「回数重ねるとうんちとかいちいち見ないから。考えずにサササーッと拭いてポイよ。慣れてないと怖いもの見たさ的にまじまじと見つめちゃうから気持ち悪くなるんだよねー」
僕「そうそう、直視しちゃう。で、言う通り毎日やってたら慣れるんだろうけど、慣れるほどの頻度でうんちと遭遇しないと『うぇっ』ってなった記憶だけ残るw」

という会話になり、いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」は、単にそういう接触頻度の問題なのでは?と思った次第。

広告表現的に言うとインプ足りてないよ問題である。

うちのムスメの場合、バラツキがあるものの、日記を遡るとだいたい9-15時ぐらいの間にうんちが出ることが多く、なおかつちょっと便秘気味の子であり、僕も土日にも仕事が入ることがあったりして、普通にしてるとどうしても家にいる時間帯にうんちと接触する頻度はツマより低くなる。もちろん家にいる時にうんちと遭遇したら拭くんだけど、まだちょっとあのネチョっと感には慣れないw

夫…じゃなくても良いんだけどパートナーのうちどちらか片方が長時間働いていてあんまり家にいない場合は、うんち拭きが「非日常」なままで慣れる機会を持ちにくく、「出来ればうんちは拭きたくないなー」と内心思いながら日々を過ごし、ほんでもって珍しく留守番になった日に限ってうんちがぶりっと出るものだから、おろおろしちゃって妻が帰ってくるまでうんち拭かずにオムツそのまま→帰ってきた妻が「マジかよ」って頭を抱える→Twitterでdisられる、みたいな流れになってるとちゃうかなぁ、と。知らんけど。

とはいえ結論は冒頭言った通り「拭けよ」の一択であると思うので、頻度少ないならなおのこと、夜でも休日でも、貴重なうんち遭遇機会をパパ勢は無駄にせず拾っていくのが夫婦円満のコツなのではと思う。私もまだ両手で収まるぐらいしかうんち吹いてないけど。

(サムネのうんち君はツマが描いた)

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#20「ツマと、いちかと、いつか on 5日〜かしわ餅の葉っぱは食べない〜」2018/05/05

May 5, 2018 Yuhei Suzuki

夫婦の食卓日記「ツマと、」記念すべき第20回。

今日の来客は井上いつかさん。フリーランスの言語聴覚士さんです。

ムスメと名前が1文字違いってことで完全にこのタイトル言いたかったありきですが、いつものように食卓トークとお絵描きをどん。

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いつか「こんにちはー」

オット「ほらほら、いっちゃん、お客さんだよー。いちかmeetsいつか」

ムスメ「ふ、ふぅええぇ〜」

いつか「あぁごめんねぇ」

オット「いっちゃん泣くの早い早い。大丈夫だよいつかさんは。名前似てるし、鎌倉住んでるし」

ツマ「なんで鎌倉w」

オット「鎌倉住んでる人に悪い人いない理論」

ツマ「今日は子どもの日だからかしわ餅を買ってきたよ。ちょっといっちゃんにおっぱいあげて寝かせてくるから先に2人で食べといて」

オット&いつか「いただきまーす」

…(ツマ、戻ってくる)

ツマ「さー、私も食べよ。ゆーへー、ピンクと白、どっちが味噌でどっちがあんこだった?」

オット「え?」

ツマ「いやピンク食べてるじゃん。味噌だった?あんこだった?」

オット「えーと…どっちだろ。餡だね、餡」

ツマ「いや、餡ではあるけどもw」

オット「なんか葉っぱが筋っぽいなと思いながら食べてたから味に関心がいかなかった」

いつか「そういえばゆーへーさん葉っぱまで食べてたね」

ツマ「桜餅と違ってかしわ餅は葉っぱ食べないよ、塩漬けしてないし」

オット「そうなのか…学びだ」

いつか「そういえば前回の家族会議読んで、ゆーへーさん片付け苦手なら手伝おっかなと思ってたけど、本棚キレイになってる」

オット「なんとか月末ギリギリ4月30日に移転を完了した」

ツマ「床はとっ散らかってるから、そこの扉の裏覗くとすごいよw」

いつか「…えー、でも十分キレイ十分キレイ。私の家も本がうず高く積み上がってる」

オット「本を読むスピードより買うスピードの方が早い問題。あと書類とか名刺の管理が壊滅的に下手、生きづらい」

いつか「呼んでくれたらいつでも片付けに行くのに。他人の部屋の掃除とか楽しそう」

オット「いや俺もね、片付けなきゃいけない気持ちはあるの。ここをこうすればいいみたいなのもだいたいわかるの。でもねー実行までのエネルギーが残らないんですねだいたいいつも。燃費悪い」

いつか「そう、私も燃費悪いから、最近ほんと、疲れすぎないの大事って思う。いまの週3勤務が限度」

オット「そう、疲れすぎないis大事。『やるぞー!』って高まった瞬間の行動力あるんだけど、なんかこうだんだんガス欠になってくるの。ほんで仕事増えていくペースの方が多いから『あぁ全然終わってない…』って絶望的になる」

ツマ「絶望しなくていいのにw」

いつか「みんなほんと、緩み配分どうしてんのか聞きたい」

オット「長年の謎」

いつか「えーでもゆーへーさん毎日フルタイムでそんなに働き続けてどうしてるんですか」

オット「いやそんなスタミナ続いてなくて、だいたい23時ぐらいになると電池が切れてそこのマットで寝落ちる」

ツマ「ほんとね、電池切れるみたいに動きがストップするの。着替えて布団敷いて寝なよーって言っても全然反応しない」

オット「絶対睡眠の質悪いのはわかってるんだけどもう一回電池切れるとね、そのまま目をつぶっていたい欲求がすげー強固になるの。てこでも動かん感じになる」

ツマ「私も途中で諦めてる」

オット「でも三十路になって如実に体力低下が目立つから睡眠とか食事とかちゃんとしたい。したさ」

いつか「今年は私も身体づくりっていうか虚弱体質脱出、したい」

「ツマと、いちかと、いつか on 5日: かしわ餅の葉っぱは食べない」2018/05/05

本日のおやつ

・かしわ餅

・いつかさんのお土産のクッキー

・いつかさんのお土産のコーヒー

上がいつかさん作

左下がツマ作

右下がオット作

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