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育休中スタッフが復帰後キャリアを考える上で、会社としてどのような機会が提供できるか

April 22, 2018 Yuhei Suzuki
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私とツマはいわゆる社内婚で、同い年なのだが入社年次がツマの方が2年早い。昨日はツマの代の新卒同期(12年入社)が久しぶりに集まって1日合宿的な集合研修をするということで、私は託児スタッフとして同行した。

川崎駅近くにある「創荘-SOSO-」という、築54年のビルをリノベしたコワーキングスペースで、なかなか小洒落た良い空間。大部屋でツマの同期と会社のHR(人材開発)の人たちが過ごし、私は隣の小部屋でムスメ(ちょうど4ヶ月)をあやしながらデスクワーク(娘と一緒に昼寝してしまってあまりはかどらなかったけど)、ワークの合間やランチタイムにちょくちょく顔を出しつつも、なるべくツマにはワークに集中してもらえるように、ミルク・おむつ・おもちゃ持参で参加。

会場への道中は、エルゴの中ですやすや眠っていたムスメだったが、到着後はさすがに情報過多で緊張したのか(人いっぱいいるしね)、小部屋で2人過ごしている間も、あんまり昼寝をしなかった。家に帰ったあとは早々に寝付いたけれど、まぁとにかく一日よくがんばってくれた。

ツマの同期に、この研修中の託児稼働を頼まれたとき、1にも2にもなくYESと返事した。産休に入る前にツマに言われた言葉が念頭にあったからだ。

“産休育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくて、ただ、コミュニケーションをとる相手が非常に限られてしまって、家事育児のスケジュールしか考えることがなくなるっていうことが、きっと産前産後の女性の最大の鬱要因であるということを、わかっておいてほしい。”

コミュニケーションの相手が限られること、家事育児以外のトピックが日常に占めるシェアが小さくなること、これは本当に大きな変化で、いくら夫などパートナーの側が家事育児をがんばったとしても、片方が育休を取り、もう片方が働き続けるという家庭運営モデルを取る限りは、2人の生活環境には大きなギャップが生まれる。

ムスメという新しいメンバーを家庭に迎えるということを、どう考えて、どうやって暮らしていくか、産前産後、折に触れてツマとは話をしているが、色々話したなかでも上記の言葉が私にとってはもっとも強く印象に残っていて、仕事を続けたり一緒に家庭運営をしたりする中で、一番気にしているポイントだと思う。

その意味で、今回の研修に際してツマの同期が、育休中のメンバーも含めて一緒に過ごせる機会をつくろうと考えてくれ、私に託児の相談をしてきてくれたことに感謝している(オットが勝手に思っているだけなのだけど)。

出産前後のドタバタからするとだいぶ落ち着き、最近ではツマや私の友人・同僚がちょくちょくわが家に遊びに来てくれる。「コミュニケーションの相手が増える」という点ではそれでもありがたいのだが、やはり、「家の外に出ていき」、会社で同じ時間を過ごしてきた「同期とキャリアの話をする」というのは、やはり質的に異なる時間だと思う。

うちもそうだが、育休をとったスタッフに対しては、職場復帰する前に配属先や働き方について相談する人事面談やなんかが設定されるのが通常だとは思う。

ただ、1年以上のまとまった期間を休んだあとに、「さぁ復帰後のキャリアはどうしましょうか?」と復帰直前の1回や2回の面談で考えるというのは、けっこう難しいという人もいるんではなかろうか。

昨日の研修に参加したツマは、「久しぶりに頭使って、楽しいかどうかっていうより、まず酸欠w」と言っていたけれど、やはり子どもと向き合っているときと仕事をしているときではだいぶ頭の使い方も変わってくるだろうし、頻繁にではなくとも、今回のように、働く上での価値観や経験を共有しやすいメンバーと一緒に語らう機会を、刻み刻み入れていけると良いかもしれない。

子どもを産んで、育休を取ることを「選ぶ」というのは、どうあれ人生の一定期間において、仕事から育児へとプライオリティをググッと寄せるということになる。

その期間をどうやって過ごしたいか、過ごすかは、人によって違うだろうし、上記はツマとムスメのそばにいる他者たる私が勝手に思ったことに過ぎない。育休中は極力仕事のことを忘れて過ごしたいという人もいれば、あまりに機会や情報がないと不安という人もいるだろう。

だけど少なくとも、育休中スタッフの「子育て」と「仕事」の断絶があまりに大きくなりすぎないように、本人が望んだときには「選べる」ぐらいの距離には、会社や職場との接点、なんらかのキャッチアップや思考の機会を設けられると良いように思う。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme, knitting-my-life

経験した人同士でしか話せない、なんてさみしい

April 15, 2018 Yuhei Suzuki
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“親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。”

久しぶりに会った友人に進められて、山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』を買って読み始めた(まだ3章ぐらいだけど)。読んでいて頷くところ多々。

たとえばここ。

“今、私は育児エッセイを書いているが、読者の育児経験の有無によって、文章の読みが変わるということはない、と思っている。もし、ただ経験と照らし合わせるためだけに文章というものが存在するのならば、文章を書くのはなんとつまらない行為だろう。”

そうそう、そういうこと、そうなんだよ、という気持ち。僕が文章を書いているのも、きっとそういうことなのだろう。

「子ども生んだらわかるよ」とか「これは子ども生むまでわからなかった」とか、そういう言葉はやっぱり世間に、身の回りに飛び交っていて、体験するまでわからないことの存在は否定しないし、実際に自分もその渦中にいるのだけれど、こと育児に関しては「経験」「体験」というものが、妙な権威というか圧迫感のようなものを帯びがちで、またそれによって「未経験者」が萎縮してしまうという反作用も、少なくないと思う。

“でも、出産してない人にも出産の話を、私はしたい。(中略)相手の経験の有無で話題を変える必要なんてない、とやっぱり思うのだ。”

経験した人だけにしか話を分かち合えないとしたら、それじゃあ私たちが他者と交わせる言葉の数は、ほんのわずかになってしまう。

実際、子どもを持ったとて、わからないことばかりだし、子どもを持った同士でも違う境遇や道筋を経て今に至っているわけで、授乳や睡眠時間ひとつとってもどれほど個人差があるかという話だし、生んだこと、親になったことによって、私たちはそうでない人と比べていかほど賢く偉いのかと言いたくなる。

別に共感してほしいわけでも、理解してほしいわけでも、解決策がほしいわけでもない。だけど私は書きたい、話したい。平均値とか普通を知りたいわけじゃなくて、自分の人生の出来事として、書きながら、手にとって、確かめていきたい。

そういうことって、あると思う。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme, narrative

#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07

April 7, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメとの3人暮らしがはじまって2ヶ月が経ちました。あっという間に生後100日を越え、すくすく成長中。

先月に引き続き、KPT形式での家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03 — 閒-あわい- 


「オットが死にそう」というPに対してまったく有効な打ち手を見出だせず「がんばる」という結論に達しましたが、どうにかやっていきたい。

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------以下、家族会議の様子------

オット「さて、やりましょうか今月も、KPTを」

ツマ「もう4月1週目終わったけどね。3月振り返ろう。前回2月分どんなのだっけ?」

オット「これこれ」

ツマ「2月のKeep、みんな元気でよかったね、なんだけど3月はひたすらにゆうへいが死にそうだったからそれが一番のProblem」

オット「それは否めない」

ツマ「お互い疲れてそうなときに『ラッキーピエロ』っていうルール、もうなんか疲れすぎてて、途中から声かけすらはばかられる感じだったよw」

オット「年度末はあれだ、しょうがない。年度末だし、新規リリースもあったから。残り2人は元気だったから良しとしよう」

ツマ「私といちかはすこぶる元気だったよ」

オット「じゃあ今月のKeepは、ツマとムスメが元気ってことで」

ツマ「一人脱落した」

オット「まぁしかし、初節句にお食い初めと、すくすく元気に育ってなにより」

ツマ「毎日お散歩してるし、こないだは電車でお出かけデビューもしたしね」

オット「じゃあ、いちかすくすく成長もKeepで」

ツマ「Keepって言っても私たちがコントロールできるもんでもないがな」

オット「Keepを願う気持ち」

ツマ「気持ちの問題」

オット「あと、俺が死にそう以外のProblem何かない?」

ツマ「うーん」

オット「あれだ、本棚の移転が進まない」

ツマ「机を片付けたかわりに床にモノが広がっている」

オット「どっちも俺マターだ」

ツマ「あと、ずっと『クリーニング出す』って言ってた白のパンツが未だに出されていない」

オット「それ全部今月のTryで」

ツマ「ちゃんと片付けてね。白パンなんかもう、かれこれ3ヶ月ぐらい言ってる。出かけるときにひょいって出すだけじゃん。すぐじゃん」

オット「クリーニングとか宿やチケットの予約とか結婚式の招待はがきお返事出すとか、そういう細かいタスクがこの世で一番苦手」

ツマ「普段やってる仕事よりよほど簡単なのになんでできないのw」

オット「なんか先送りしちゃうんだよねぇ。いやほんとね、三十路になって言うのあれですけど、周りのみんなちゃんと社会生活営んでるのほんとすごいと思う。もうね、生きづらい」

ツマ「生きづらいねw」

オット「あと他ないの、Problem。ほっとくと夫婦の危機になるようなイライラの種とかないの(心配性)」

ツマ「んー…別にないなぁ。割と順調に子育てできてる。あとはほんと、ゆうへいの死にそうモードをどう解消したら良いのか問題だけ」

オット「ちょっとそこはもう『校了までがんばる』の一択です。欅坂ヘビロテしながら白目向いて働く」

ツマ「お、おう…」

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In essay Tags pair

「良さ」の物差しを持つこと

April 3, 2018 Yuhei Suzuki

「これでいいですか?」と決裁者にお伺いを立てるような納品の仕方はあんまりよろしくないなと思う。

大抵の場合、つくる人と見る/決める人の間で基準がすり合ってなくて、結果つくる人に迷いが出ている時だから。

「これでいいですか?」と伺いを立てる背後には「これでいいのかどうか私には分からない」という迷子感がある。

それはつくる側だけの責任ではなくて、依頼側が作業の目的やアウトプットイメージをより明確に伝えることで大半解決するんだけど、つくる側も不明瞭な点があれば追加で確認取りに行くというアクションが取れるわけで、まぁつまりコミュニケーション取ろうねって教訓に収斂しがいなんだけど。

ただ、そうやって仕事のお作法や納品物の「フォーマット化」を進めるだけでは解決しない問題があるなと思う。

それは「良さ」の物差しとでも言うべきもので、デザインやコーディング、ライティングに編集、果てはプレゼンテーションの試合運びに至るまで、「表現」の質の問題が最後に残る。

それは、「です」と「である」と「なのである」だと相手に与える印象全然違うでしょみたいな文末表現の選択問題から、写真の配置や行間の空け方、そもそもの構成・ストーリー展開の組み合わせに至るまで、高低さまざまな抽象度で「なぜこれが良いのか」を問うポイントが、ものづくりのプロセスの中に存在している。

特定の分野に精通した「プロ」と呼ばれる人たちは、長年の研鑽と経験によって、問われれば「なぜこれが良いのか/ダメなのか」を説明できる。

だから「これでいいですか?」と問われてフィードバックを返すこともできるのだけど、こういう表現の質問題は、最終的に一対一対応の場合分けされたマニュアルに落とすことは不可能か、やったとしても膨大で実用性のないものになってしまうだろう。

じゃあ仕事における細部の質については、弟子/部下が師匠/上司にずっと「これでいいですか」とお伺いを立てるしかないのかっていったら、それでは個人としても組織としても非線形な成長は生まれない。

毎回つくる側が「自分としてはこれが良いと思って作りました。なぜなら…」と説明できるぐらいの(現時点で最高値の)思考と理解レベルで出していく(相手のフィードバック任せにしない)ことが出来ると、お互いのオーナーシップも学習の質も上がって良い。

そのためにはつくる側も見る側にも共通の土台、視点やボキャブラリーがある程度あった方が良くて、それが要は「コンセプト」とか「編集ポリシー」「デザインポリシー」といった、抽象的な価値を言語化した何かが必要になる。

そうしないと「良さ」の物差しが誰かうまい人の脳内にだけあるという状態を脱しないから。

しかしながら、ポリシーやコンセプトというのも、とりあえずつくって、額に飾って置いとくだけでは機能しないので、それを基に議論やアウトプットを戦わせるというのを習慣化していくこととセットでやんなきゃいけない。

惰性が一番の敵。南無南無。

In diary Tags diary

憑き物を剥がしていくように

April 1, 2018 Yuhei Suzuki

「そんなにマイルドに自分を編集しなくてもいいんじゃないの」

期末面談で言われたことは、確かにその通りで、それが自分をしんどくしているのだなと思う。


1年間、よく働いたし、成果も出した。子どもが生まれたり、担当するチームやプロジェクトが増えて並走したりと、自分のからだひとつに対して向き合うべき「面」は増えたのだけど、どうにかこうにか色々乗り越えて無事年度末を迎えることが出来た。それはまぁ良かったんだけど、まぁそれだけである。

戦略は間違ってないけど、勝つべくして勝った感じがする。
「やるべき」ことはクリアだけど、「問い」が足りない。
手持ちの知識と経験で対応できることに追われていて、新たな「一次情報」を浴びる機会が減っていっている。

これらが全て自分にとって良くない兆候であることは明らかで。気持ちのよくない状態が続くのならば、大きく環境を変える必要がある。そうでなければじわじわと年老いて萎れていくばかりだ。

そして、変わりたいのなら、誰かに用意してもらうのではなく、自分で環境をつくるところまでが自分の責任なのだ。30を過ぎたというのはそういうことなのだと思う。

今の職場には、組織やチームとしての成果にコミットする一方、個々人の成長・挑戦を賞賛するいい空気が漂っていて、それが良いエネルギーの循環を生み出している。まだまだ歴史が浅いので足りないことや慌ただしいことばかりではあるけれど、芽生えたものが根っこを伸ばして「文化」になっていけば良いと思う。

「あなたはこれからどうしたい?」とチームメンバーに問いかけるくせに、自分のことを抑えているというのは、やはり健全ではない。

お互いがお互いの挑戦と成長を賞賛する、その結果チームとしても最大限に成果を出せる、という状態が成り立つためには、前提として一人ひとりが何を望んでいるかを言葉にして共有することが重要で、誰か一人でも抑えて隠しているとそれは機能しないんだ。そういうチームをつくろうと言っている自分が一番出来ていないというのは笑い話で、それが冒頭言われたことなんだと思う。


年度末の最終金曜日。
締め作業と、事業部の納会と、隙間にその他もろもろの事務連絡と…と相変わらずのドタバタだったのだが、隙間を見つけて先日面談をしたボスにこそっと話しかけに行って、そこでおずおずと宣言をした。

「次の一年で絶対これをやるから、応援してほしいっす」
「いいねぇ!全力で応援するよ!」
彼は笑顔でそう返してくれた。

「こないだよりいい顔してんじゃん。言葉に出すと気持ちいいでしょ」
ほんとにその通りで、最後の最後にスッと気持ちが楽になった。
やっぱりこの人、すごいなぁって、思う。

次の一年はもうちょっと正直に、欲張っていこう。

それでもきっとやっていけるという信頼を、いま自分と共に過ごしてくれる人たちに対して、抱いている。なのでたぶんきっと、大丈夫。

In diary Tags diary

#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03

March 3, 2018 Yuhei Suzuki

オット「3人暮らしがはじまって最初のひと月がおわりました」

ツマ「おわりましたね」

オット「振り返りをしよう、振り返りを!」

ツマ「お、おう」

オット「KPTがしたい」

ツマ「なにKPTって」

オット「説明しよう!KPTとは、KPTとはKeep/Problem/Tryの略である。チーム運営の振り返りの手法として使われることが多いフレームワークなのだ。 Keepで、『良かったことや、そのまま今後も続けたいこと』を、Problemでは、『うまくいかなかったこと』を、それから TryでProblemの解消のため『今後挑戦したいこと、試してみること』を考えるっていう寸法よ。」

ツマ「なるほど意識たかい」

オット「職場でたまにやるから取り入れてみた」

ツマ「じゃあまぁ、やってみようか」

…というわけで、出来あがったのがこちら。

(以下は振り返りの様子)

Keep

オット「じゃあ最初Keepね。なんかある?」

ツマ「うーんなんだろう。みんな元気でよかった」

オット「うん、それは大事。元気is大事」

ツマ「あなた胃腸悪かったけどね」

オット「それは否めない。ビオフェルミンの効果を期待」

ツマ「あと、なるべく早く帰ってお風呂とご飯一緒にできるようにしてくれたのは今後もKeepしてほしい」

オット「おう。がんばる。あとねー俺はねー。こないだ朝会社行く前にわたわたしてるとき『○○やらなきゃーってなってる時は余裕ないサインだよ』とかそういうあれ、そういうツマ的コメント、ハッと気づく系の言語プロンプト。あれ助かる」

ツマ「そういう系のあれね。わかった」

オット「あとこれ自己評価だけど、抱っこしてるときに『早く寝かしつけなきゃー』って焦らなくなったのよかったと思う。メンタルの成長」

ツマ「いいじゃん」

オット「抱っこ道は奥が深い」

Problem

オット「じゃあ次はProblemだね。なんかある?」

ツマ「うーーーーーん…夕方過ぎると、腰が痛いw」

オット「腰が痛い」

ツマ「抱っこのダメージがだんだん蓄積されてだいたい夕方に来るの、腰に」

オット「そうか…」

ツマ「あとね、テーピングのテープがなんかかぶれてかゆい」

オット「かゆいの悲しい」

ツマ「なんかこういう身体症状ばっかりでいいの?w」

オット「まぁとりあえずどんどん出していこう」

ツマ「あとあれ、ベランダに出ると靴下に葉っぱがついてリビングのベビーマットに落ちちゃう問題」

オット「それな。あとでTで解決しよう」

ツマ「あとは…2人の作業デスクがもはや物置と化してる件」

オット「それな。そろそろ現実に目を向ける必要がある」

ツマ「まぁそれぐらいかなぁ」

オット「そういうのだけでいいの?なんかこう、ほおっておくと後々夫婦の関係に禍根を残す系のイライラの芽とかないの?そういうオットへのダメ出しとかないの?」

ツマ「ダメ出ししてほしいの?wなんか今はこういう物理的なことしか目につかないや」

オット「そうか…まぁなんかあったら言ってください。えー、じゃあ俺あれだよ、一個ある。言っていい?」

ツマ「どうぞどうぞ」

オット「あのね、ムスメの口を借りる系のフィードバックに超凹む問題というのがあって」

ツマ「どゆこと。もうちょい詳しく」

オット「ゆりさんがいっちゃん抱きながら『とーちゃんは働きすぎてるからそうやって忘れ物しちゃうんだよねー』とかなんかそういうこう、ムスメに語りかける体を取ったダメ出しは、2対1構図になって完全に自己肯定感が下がる。ずーんってなっちゃうw」

ツマ「あー、なるほど…それ私やってるとき自覚ないかも。無意識で言ってるんだと思う。どうしようね」

オット「じゃあそれはTで考えますか」

Try

オット「じゃあTryいきましょう。腰はどうするよ」

ツマ「うーん、ひとまずどうしようもない…」

オット「筋トレ?」

ツマ「腰には坂ダッシュがいいらしいんだけど、ハーゲンダッツ5個もらっても絶対やらない」

オット「だよね。テーピングはまだこう、いいテープを買うとか、札束で殴る系で解決できそうだけど。いいやつ買ってもいいよ」

ツマ「うーんありがとう。まぁまだいいやw」

オット「ベランダ問題は簡単だね。室内だけやってたけどベランダも掃除メニューに加えてちゃんとやろう。週イチで」

ツマ「そうしよう」

オット「作業デスク問題は…」

ツマ「うーん…」

オット「やつらがどんな状態になるとハッピーかっていうと、そりゃあ作業デスクとしてのあるべき姿と機能を取り戻すことなので、はい、答えは明白なのですが…3月バタバタするから、いったん見ないことにするというのもひとつというかなんというか…4月でよくね?」

ツマ「そうしよう」

オット「Not Try」

ツマ「で、オット凹む問題どうしようね」

オット「とりあえず悪気がないってことを知ったので、自分なりにダメージを軽減するようにするw」

ツマ「それでいいの?wそれが起こりにくくなるための根本対応を考えたいよね。その状況が起こるのってさ、どちらかが疲れてて余裕ないときで、結果としてなんかミスや漏れが発生したときで、だいだいその時に私は泣いてるいっちゃんを抱いてるわけだから、その流れでしゃべっちゃうんだよね。なにかトリガーがないと対応できないよねぇ。」

オット「うーん。どっちかが『疲れてる』っていうのに、なるべくタイムリーに気付いて、疲れてる方へのケアを意識する、というのができる仕組みがあればいいわけだよね。ホワイトボードとかに『元気ない』欄をつくってそこにチェックするとかシール貼るとか」

ツマ「この2人だと絶対機能しないw」

オット「じゃあ、お互いのコンディションが今日は○○%とか共有するというのを、朝やる。チェックイン的な」

ツマ「うーん。あなた夜明け前に会社行ったり、帰り遅くなったりする日があるから、毎日定時でってのは難しいよねぇ」

オット「ちょっと今の状況だと定形・定例化するの難しそう。いったん『気付いたらなんか声かけする』という運用でやってみて、ダメだったら見直す的な、アジャイルな感じでいこう」

ツマ「OK。気づけなかったらどうしようもないんだけど、いったんそれで。なんて声かけたらいい?仮に気づけたとしてさ、『ゆうへい、今日疲れてるよ、働きすぎだよ、寝た方がいいよ』って私に言われて、それポジティブな反応起こるかなぁ…『はぁ?』ってならない」

オット「別に怒ったりはしないよw」

ツマ「でもさ、『寝た方がいいのはわかってるけどそうは言ってもやらなきゃいけないことはあってさぁ』みたいな、現実とのジレンマであなた自己肯定感下がりそう」

オット「それは大いにある」

ツマ「なんか全然関係ない、特に意味のないナンセンスなフレーズとかのほうがいいんだろうね」

オット「そうだね。じゃああれだ、バーフバリ!」

ツマ「わたしはバーフバリにハマってないから却下」

オット「えー、じゃあ、ラッキーピエロ」

ツマ「ラッキーピエロ」

オット「語感いいじゃん」

ツマ「まぁじゃあとりあえずそれで」

オット「ラッキーピエロ!」

ツマ「ラッキーピエロ!」

ラッキーピエロ:

ラッキーピエロは、ラッキーピエログループが北海道函館市を中心とした道南地区で展開するハンバーガーショップチェーンである。 愛称は「ラッピ」。

Wikepediaより

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わたしを開く、わたしが変わる

February 28, 2018 Yuhei Suzuki
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先日、こんな記事を書いた。

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む|鈴木悠平|note

おっぱいが出ないことを差し引いてもなお残るツマとの「抱っこ力」の差、自分が抱くとムスメがギャン泣きする不甲斐なさ、誰に言い訳できるでもない当たり前のこととは分かってはいても拭えない「失敗」意識と自己肯定感の低下…みたいなことをまぁつらつらゆるりと、少しの自虐をもって書いたわけですが、なんかFacebook上では先輩パパ・ママやいま奮闘中の同士たち、プロの人たちまで、まぁ実に色んなコメントをいただき、思いのほか盛り上がりを見せた(笑)

https://www.facebook.com/yuhei.suzuki/posts/10156132584447208

その後、教えてもらった色んなコツを試してみて、それがうまくいったのかいかないのか、いい感じに寝付くこともあればやっぱりギャン泣きすることもあり、つまり別に大きく現実が変わったりはしないのだけど。

自分の中の焦りやイライラはスーッと消えた。

どうせ自分がコントロールできるものでもないのだから、ギャン泣きするムスメとのやり取りも含めて楽しんでやれ、ぐらいの心持ちでいられるようになっている。

たぶんそれは細かいテクニックとかの問題ではなくって。

自己開示を通してほかの人の物語にも触れられたことが大きかったのだと思う。

コメントの中で印象的だったのは、先輩ママたちが当時の自分の心の内を教えてくれたことで。

“そうなんですよね。
凹むんです。

ある時から、息子はパパが抱っこすると笑顔を見せるようになり、どうも首の角度が良かったらしいまではわかったものの、わたしにはマネ出来ず…。凹みました。”

ご家庭によってはむしろお父さんの方が抱っこの相性がよく、それで凹んだという話とか。

“ごめんなさい。まったく同じ状況で、私が抱っこすると泣き止んでくれるから、心でニンマリしていました・・・なんか嬉しかったんです・・・
夫も凹んでいたみたいですが、めげずに抱っこし続け、娘4歳は超お父さんっ子です。最近は、そんな2人に母はやきもちを焼いています。”

内心、優位に立っているようで「嬉しかった」と、当時の正直な気持ちを吐露してくれたり。

こういう一人ひとりの物語を分けてもらったことで、私のなかの気持ちのこわばりがスーッとほどけていったのね。

そりゃママだってうまくいかなくて凹むことはあるし、人間だから内心優越感に浸ることもあるし、つまりそれは単純に、わたしたち一人ひとり、ちっぽけでバラバラなフツーの人間ですよということでしかないのであって、ママとかパパとか形式的な役割と機能の差異などは、連続する日常のシーンを微分して切り取れば、いつでも取り替え・入れ替え得るのであり、その意味において私たちは分断を越えてつながり得るということでもあり、とかいってまた理屈をこねてみたりなどするのだけど、さ。

それほどまでに「社会」が、いや私たちが、連綿と鍛え上げてきた父親・母親像の呪いというのは強力だということであり、そこから抜け出すにはこうした物語(ナラティブ)の共有と再構築が必要なんだよぅってことを、言いたい。わたしは。

こういうのけっこう勇気いるっていうか、はらわたをちょっとだけ取り出して見せてみるみたいな恥ずかしさがあって、またそれをグロテスクにならない程度に抑えをもって書くというのもまた自制心が必要だったりするんだけど。

でもちょっとこうやって、勇気を出して「わたし」を開いてみると、「わたしも」と声をかけてくれる人が出てくるから、嬉しい。

私はものわかりが悪い上に身体がとってもぎこちなくて、なおかつ言葉だけは変に発達してしまったものだから、こうやっていちいち考えて言葉にして文章として形を与えてあげないと、自分の存在というものが落ち着かない。

昔は本当に難儀な人生で、どうにかしたい、なんとかしたいと思っていた。

最近はこれでもいいかと思っている。

わたしを開くことで、わたしが変わる。

わたしを開くことで、あなたとつながる。

あなたが開いてくれることで、わたしがまた変わる。

そういうことの繰り返しで、輪郭をつかんでいきたい。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む

February 25, 2018 Yuhei Suzuki

朝から「ひよこクラブ」3月号別冊付録、「今日からママも赤ちゃんもイライラしない!専門家からの基本情報と、ママたちのワザたっぷり“寝る力”と“泣きやむ力”を育てる本」を熟読しています、悠平です。

ツマとムスメがわが家にやってきて3人暮らしがスタートしてからもうすぐ1ヶ月が経とうとしております。

ミルクにおむつ、お風呂に掃除にお洗濯、一通りの家事は、まぁ一個一個は別に問題ないですよ。平日昼間は育休中のツマに任せるしかないので、家にいる時間帯の役割になりますから、あまり偉そうなことは言えませんが(平身低頭)、おっぱいを出す以外の「基礎動作」はね、だいたい習得したつもりです。

ところがです。やはりこう、ツマと私の「抱っこ力」に圧倒的な差を感じる。

世のパパさんたち、ありませんか、ご経験。

子どもがギャン泣きする→抱っこしてあやす→全然泣きやまない→ツマが抱っこするとすぐ泣き止む、みたいなの。

もうね、これ、自分が親として、保護者として、いかにポンコツかというのを実感する瞬間ですよ。圧倒的敗北感。

ミルクなんかね、赤子はみんな大好きなんですからやれば喜びますよ。お風呂もまぁ、お子さんによって好き嫌い個人差あると思うけど、うちの子はご機嫌で入るんですよ。そういうのできたからって特にいばれるもんじゃないです。

抱っこ。そう、抱っこというのは、自分とわが子、生身の一対一の接触活動であり、私自身の身体の挙動が問われているわけですから、他の家事がどれだけつつがなく出来ていようと、抱っこでうまくあやせないというだけで、「てめーはお呼びじゃない」とムスメに全力でダメ出しくらってるような気分になります。

いや別に、毎回そんなひどい状態なわけじゃないですよ。ムスメも人間ですから、機嫌の良い悪いもあるし、私の胸の中ですやすや天使みたいに眠ってくれるときもけっこうありますよ。

それからもちろん、本当にどうしようもないときは、私が抱いてもツマが抱いてもひたすらギャン泣き、みたいなときありますから、最後は必殺、ツマの添い乳で機嫌をとって寝かしつけるみたいな手段をとったりします。

でもねぇやっぱり、おっぱいの有無を言い訳にできないラインがあるというか、私とツマの力量の差をまざまざと見せつけられるのが抱っこというものなんじゃないでしょうか。

ムスメの機嫌の悪さが0〜100まで数値化できたとして、0〜70ぐらいは、まぁ僕でもツマでもあやせるなという領域で、90〜100ぐらいになるとおっぱい飲ませるしかないという感じで、その間の、70〜90ぐらいのライン、機嫌悪いんだけどツマが抱くと泣き止む、みたいな。「純然たる私の落ち度です」と言わんばかりの領域がある。

当然ながら赤子は言葉を発しないので、「腕はもうちょい下」とか「揺らすスピードが早い」とか具体的なフィードバックはくれないわけです。言葉がないところでムスメの様子を見て、感じて、自分の動作にフィードバックしていかないといけない。これはもう言語性に依存して生きてきた&手足の運動機能調節が絶望的に下手くそな私にとっては超難易度高いわけです。

ツマには色々アドバイスももらうし、ひよこクラブも読みながら色々試してみるのだけど、意識すると余計に力が入ってうまくいかない、とかもザラにあるわけでね。

ムスメが泣く→あやしてもうまくいかない→ツマを観察したりひよこクラブの教えに従って新しいことを試そうとする→気負って私の身体は緊張する→緊張が伝わってますますムスメは泣く…みたいな、悪循環。

ほんとにもう、「イクメン」とか最初に言い出したやつは誰だと問い詰めたい。何を貴様らは笑顔で子ども抱いたり、小洒落たキッチンで料理つくったりする写真上げて悦に入ってるんだと。

会社で「PDCA回せ」とか言いながらPもDもCもAもガタガタみたいな、新米パパのポンコツな現実をお届けしろ。


そんな感じで敗北感に打ちひしがれながらも日々やっていってます。

とりあえず寝かしつけの引き出しをもっと増やそうね。

あと、焦らないこと(これが一番大事で、一番苦手)。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

育児コンテンツの夫disネタが実は父親を萎縮させているのかもしれない

February 15, 2018 Yuhei Suzuki
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昨年放映された「コウノドリ」で、「手伝うよ」と(悪気なく)言った夫が「あんたの子供だろ」と四宮先生(星野源)に怒られたシーンが喝采を浴びていたことを、今もときどき思い出します。ちょっとモヤっとした気持ちを抱えながら。

四宮先生の言ったこと、もうそれは100%正論なのだけれども、「手伝うよ」しか言えないぐらいに、意識と知識と経験のギャップを抱えたまま男たちが「父親」になってしまうという、社会構造上の問題もあると思うからです。

わたし、育児や子どもの発達支援、家族支援に関わる会社に務めており、とりわけメディア部門の編集・運営をしております。あと、最近父親になりました。

そんなわけですから、仕事柄色んなご家族のお話を聞いたり、保護者の方々に向けて情報を発信していくことが多いのですけれど、やっぱり現状は圧倒的に「母親」がメインユーザーです。

オンラインでもオフラインでも、父親の姿を見る機会は僅少です。で、お母さんたちの悩み苦しみ不安を聞くに、そりゃ大変だよなとも思うし、「世の父親、もうちょっとで良いから時間と関心を割いてくれ〜」と思うこともあります。どちらかというと、世の男性の中では比較的母親の悩みの側に近い立場にいる人間だと思います。

それでもたまに、思うのです。

世の「育児コンテンツ」、ちょっと男性(父親)に厳しすぎやしないかい?と…

夫に「手伝うよ」と言われたら「手伝うよじゃねーよボケがしばくぞ」と思う妻/母親はきっと少なくなくて、四宮先生は世の女性達の意見をある種代弁したからこそ喝采を浴びたのだろうとは思います。

たぶんそれは、今までの日本社会の数多の男たちが積み上げてきた実績に依るものなのでしょう。

無意識で悪気が無いかもしれないけれど、妻や子どもよりも自分の都合(仕事とか)優先で動いてきた夫/父親が、少なからず妻/母親を苦しめ、傷を残してきたという事実はあると思います。

その意味で、怒られるのは「手伝うよ」とか言っちゃう男性の側に責任があると言えるのかもしれません。

だけど、そうやって男性を、当事者意識の薄い父親たちを責め立てて溜飲を下げるだけでは、本当にその問題は解決しないのではないかと思います。

夫「手伝うよ」妻「手伝うよじゃねーよボケが」みたいなモードになってしまう”前”のフェーズで、そもそも何が出来たのか、という問いこそが必要だと僕は考えます。

実際に父親になってみて分かりましたが、今の日本では、夫の側は自分で相当意識と努力をしないと、外野からおずおずと「手伝うよ」と言うしかない状況に陥りやすいのです。

たとえば、妻が妊娠をしてから子どもが生まれるまで、「受動的」にでも必ず通る必須の産前イベントだけを比べてみても、

母親: 両親学級+母親学級+定期検診&リアルな身体的変化…
父親: 両親学級

と、大きく回数に差があるんですね。

母親になるための事前知識と準備、当事者意識を育む上での機会がたくさんあるのに対し、父親は、両親学級で妊婦体験とか沐浴体験とかするぐらいです。

父親の側が圧倒的にインプレッション不足、インプット不足になりやすい構造があります。

「待ってるんじゃなくて自分で情報取りに行け、そこから当事者意識を持て」と言う方もおられるかもしれませんが、産休による強制的な生活の変化を必須としない夫/父親の側は、これまで通りギリギリまで忙しく仕事をしていくなかで、プライベートな隙間時間だけを使って自ら積極的に情報摂取することは、なかなか簡単ではありません。

じゃあどうすればいいのか。

たぶんそういう時期にこそ、夫婦での「対話」を重ねることが大事だと思います。

本格的な「産前」に入る前に、自分たちがパパとママになる前に、夫と妻、まだ家族が「ふたり」だけでいる間に、とにかく色んなことを話して、ふたりの価値観の交換をしておくことです。

わが家の場合は、ツマが産休に入る前に
・夫/妻として
・父親/母親として
・ひとりの人間として

お互いが何を大事にし、お互いに何を望むのか、書き出して交換するというのをやったのですが、あれはけっこう良かったと思います。

夫に急に「父親」になることを要求するのではなく、また妻の側がたった一人で「母親」としての重責を引き受けることもなく、お互いの中に、父親と母親以外の要素もあることを当たり前の前提として認識する。その上で、新しい家族を迎えるにあたり、どうやって生活上の折り合いをつけていくのか、プライオリティを整理していく。

そこで話し合った通りのことが今100%パーフェクトに出来ているわけではないですが、子どもが生まれてからも変わらず自然と、情報・意見交換のためのコミュニケーションができていると思います(生後2ヶ月弱の今のところ、ね。油断は禁物ですが)。

「手伝うよ」というセリフは、もちろん父親としては褒められたものではありません。

でも、ちょっとズレているとはいえ、「手伝うよ」と自分から言う男性は、少なくとも「何かをしよう」という気持ちは持っているのですよね。たぶん。

ズレをズレのまま放置して叱りつけるのではなくて、その前向きな気持が、空回りせずちゃんと噛み合っていくように対話していくことは、それは夫と妻、どちらかではなく「ふたり」でしかできないことだと思います。

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社会と「わたし」をつなぎなおすための試み、あるいは出版に向けた口上書き

February 14, 2018 Yuhei Suzuki
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昨年の12月に30歳を迎え、また同じ月にムスメが生まれた。学生の頃からほそぼそと文章を書いていた根暗な青年だったはずが、なんだかんだと書くことが「仕事」になり、今では会社で立ち上げたメディアの編集長をやったりなんかして、とにかくなんだか家庭も仕事も、いつの間にか進捗している。

30歳成人説とは本当だったのか。

得も言われぬ生きづらさ、社会とのズレを感じながらも、さしたるわかりやすいマイノリティレーベルが付与されているわけでもなく、何か一つ特定の社会問題に対する強い強い当事者性や義憤・怒りを持つほどでもなく、ただただ自分のために、小さな違和感から出発して他者との接点を探す、という風にして書いてきたように思う。特に20代前半の頃は。

20代後半から30歳にかけて、少しずつ「生きていていいのだ」という実感を持てるようになっていった。色々な土地に行き、色々な仕事をし、色々な年代・特性の人と交わり、そして共に生きる人と出会い…ぎこちない中でも少しずつ社会との接点が増えていく。世界の網の目の中に自分を定位し、他者とのちがいを前提に、かかわり合いの中でわたしという存在を確かめ、編み直していけるようになった。

伴って、わたしが書く文章も変わっていったし、またそれがいくつかの記事で、自分にとっても、インタビュイーに対しても、読み手に対しても、良いものを贈ることができたなという手応えを得ることもできた。


「出版」という言葉に対して、実現性と必然性の両方を持って向き合うことができるようになったのは、そうしたここ最近の変化を受けてのことだろう。

一方で、仕事に育児にといった日常に追われるなかで、どんどんと時間が過ぎていくことに対する切迫感も増してきている。

世界の驚くことができるだけの感性の瑞々しさと、対象とほどよい距離を保って書けるだけの節度と畏れ。この両方を持って書けるのは今このタイミングなのではないかと、根拠のない直感。

それが思い込みであろうとなんであろうと、火が消えないうちに書き切ることが必要である。


「書こうと思えばお風呂でだって書ける」と発破をかけられたり、「抱え込むと筆が重くなるタイプだから途中経過もどんどん出して人を巻き込んだ方が良い」と助言されたり、ここ数日の友人からの薦めに従って、とにかく筆は止めないようにしようとだけ決めた。まぁ要は覚悟の問題なのだろう。企画書に取材に原稿に…とやるべきことは色々あるのだが、固まるのを待たずに「過程」から先にオープンにしていこうと思う。


わたしが書く文章のアプローチをあえて説明するとすれば、個的な体験と関わり合いから出発して、社会的な事柄を覗き、理解し、個人の選択と物語の中に編み込んでいくということなのだと思う。

結論ではなく問いから、平均化された全体像ではなく個人の独自な体験から掘り下げていく(でも実はそれがある種の普遍につながることがある)。

最初から「社会問題」を取り上げようという熱意を持っていないから、わたしにとっては、ただただ自分の大切な人・好きな人について描いてきただけなのだけど、でもそれが良かったのかもしれない。

自分自身の心が動く方へ動く方へと、ある種のジャーニーのようにして書いていくような感覚だ。

前置きが長くなった。わたしは、いま、何を描いていくのか。

冒頭述べた通り、わたしは先日父になった。

自分が父親になっていく過程を通して、子どもが生まれ育つこと、「わたし」の中に「父親」や「母親」というアイデンティティが生まれ育っていくこと、その中で家庭をつくっていくということ、一人ひとりの選択と、それを取り巻く社会のこと…を考えていきたい。

それを、これまでやってきたように、「わたし」の違和感や疑問から出発しながらも、似たような、しかし違う経験をして「親」になってきた「あなた」たちのお話を聞きながら、描いていきたい。



軽々しく「奇跡」と言うつもりは毛頭ないが、やはり子どもが生まれるというのは「偶然」の産物だと思う。

私はいま仕事で、主に発達障害がある子どもやその保護者に対するサポートをしているが、もちろんそれ以外にもたくさんの新生児・小児疾患・障害というものはあって、改めてネットで調べてみたりすると、発生率が1000人に1人とか2人とか、そんなに少なくないものが1つや2つでなく、けっこうな数としてあるのだ。

たとえば私がいた大学は1学年3000人、今いる会社はスタッフ総勢2000人弱なのだけど、つまりそれぐらいの規模の人口に対して1人や2人は該当する、という類の疾患・障害が、発生するかどうかわからない「リスク」として、産前産後の母子を取り巻いている/いた、のだ。

実際、同世代の友人・知人も次々と出産していくなかで、わたしがこの分野で仕事をしていることもあってか、生まれたお子さんの障害・疾患についての報告や相談を受けることがあった。実際問題、それぐらいの頻度で発生するのだ。

ところがわが家の場合、それらのリスクをなぜだか(今のところは)スルーっとすり抜けることができたのか、「母子ともに健康」であるようなのである。

「わたしたち」どの家庭の境遇が入れ替わったとしてもおかしくはない。それなのに、どういうわけか今、「ちがう」人生を生きている。

これはいったいどういうことだろう。

お互いに責任なんて取れっこないし、実際に「入れ替わる」ことなんてたぶん出来ないんだけど。“あり得たかもしれない“という事実に対して、ただ祈るような気持ちになることがある。

祈ったところで何も変わらないのだけど、でもどうあれ、「わたし」も「あなた」も、それぞれの人生をどう生きるかということを考えていかなきゃならない。

「親」になった一人ひとりが、また共に家庭を営み子どもを育てる「パートナー」が、そしてまだ言葉を発さぬ新しい生命が、それぞれにどんな選択をして、どんな物語を編んでいくのか。

そういうことをこれから見て、聞いて、考えて、書いていきたいと思う。

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プチ育休からの社会復帰

February 13, 2018 Yuhei Suzuki
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火曜日朝の燃えるゴミに、オムツのたくさん入った緑の消臭袋が加わった。

まだ日の昇る前、ツマとムスメを起こさぬようにそろりと家を出る(ツマは起きてたかもしれないが)。

なんかちょっと古臭くて嫌だなとか思いながらも「とーちゃん仕事がんばってくるからな」的内心のつぶやきと、1週間の休み明けで、4営業日(今週は全社イベントもあるので実質3営業日)しかない怒涛の日々をうまく社会復帰できるかなというぼやき。まぁとにかく出社である。

先週1週間は有給と週末休を組み合わせて1週間のお休みを取り、しばらくツマの実家にお世話になっていたツマとムスメを迎え入れるためのプチ育休だった。

迎え入れる日に大掃除が全然終わっていないという体たらくだったが、それもなんとか終わり、ムスメの授乳・寝かしつけ・入浴・オムツ替えetc.の諸々を分業でこなしつつ、合間の調理や食事や洗濯や掃除片付けや買い出しやあれやこれやを隙間に済ませつつ、と3人での新生活を進めるにあたってのひとしきりの基礎動作は1スプリント終わったかなという感覚。

合間にちょろちょろとデスクワークをしたり、なんだかんだ1,2回諸用で出社したのだけどwお留守の間もチームのみんな銘々に進めてくれている様子をslackやメールで確認しながらも、比較的穏やかな時間を過ごさせてもらった。

さて今日からまた本格復帰というか、まぁ1週間程度なのだけど、基本的には今まで通り私はフルタイム勤務なわけで、しかし一方で今までのように夜遅くまでオフィスに残るのではなく、食事・入浴のために早めに帰社するみたいな時間の使い方にシフトせねばならんわけで(それもあってここ半年は朝型にシフトしていったのだが)、これから新しい「日常」のリズムがだんだんと刻まれていくのだなという感覚。

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連休の最終日。

「OTON GLASS」の島影さんたちのオフィスを訪問。

父親の失読症をきっかけに島影さんが企画・開発を始めたスマートグラスで、内臓カメラが文字情報を読み取り、日本語・英語で読み上げてくれるプロダクトだ。

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noteには動画ファイルをアップできないので画像のみになるが、これがかなりの精度で驚いた。僕が持ってきた発達ナビの媒体資料だが、フォントの文字だけでなく、ロゴに含まれる文字情報もちゃんと読み取ってくれた。英語翻訳も相当なものだ。

当初想定していた失読症やディスレクシアの人だけでなく、全盲・視覚障害の人がヘルパー無しでも手元の物が読み取れたり自動販売機で商品を選べたり、外国人観光客が日本語の標識情報を翻訳で読み取れたりと…さまざまな人の「読む」体験を拡張し、ひいては生活の質を向上させるポテンシャルのあるプロダクトだった。

全盲の人が自動販売機で一人で買い物が出来る、ということにも象徴されるが、人間の身体能力をテクノロジーが拡張することは、単に生活機能を補完するだけでなく、今まで諦めていた社会的・文化的活動を自分でできる・選べるということなのだ。

島影さんはじめOTONチームの皆さんはどなたもお話していてとっても気持ちがよく、あぁこの人たちは「未来」を作ろうとしているんだなぁという、そういう気というかムードというか前向きなエネルギーをもらった気分。

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ほんとは昨日飲む予定だったけどインフルでダウンした東藤さんとチャット。

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「鈴木 悠平 - ”うつ界のアイドル(非公認)の引退宣言に寄せて” https://t.co/7jO21aY2uJ 1年前の記事がFacebookで上がってきて、「けっこういいこと書いてたね」と東藤さんとじゃれ合うなど。 "世の中にもっと「クッション」を増やしていきたいなと思う。" これはほんとにそうよ。」 / Twitter

「子育てしながらでなかなかまとまった時間取れないけど出版に向けてじわじわ書き出してる」という話をしたら、「ナボコフは売れる前お風呂で小説書いてたらしいよ。書く自由はどんな環境でもあるはずだー」と励まされた。

うん頑張ろう。とにかく小出しでも良いから断片を毎日隙間に書いては出すというのは、ベースとしてちゃんと確保・継続しよう。最初から完璧を目指すと手が止まってしまうので。

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夜は友人たちと燻製アパートメントで食事。出産祝いにお花をもらった。

父親になって見る目の解像度が上がった事象があること(新生児系の疾患・障害とか、保育園問題とか)、一方で巷の育児家事系の止むことない炎上案件はどこか手触り感がないこと、個々人の小さな物語、0か100かでない選択の網の目を掬う必要があることなどひとしきり最近自分のなかで高まってるトピックを聞いてもらって、それをちゃんと書こうってなった。「一人で抱え込まないでみんなにどんどん共有してケツを叩いてもらうのが一番良い」という結論だった。


そんな感じの連休最終日。からの火曜日朝。

働くぞー。

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#17「ツマの、休息。オットの、留守番」2018/02/08

February 8, 2018 Yuhei Suzuki

ツマ「温泉気持ちよかった!母ちゃんからひとりの人間に生まれ変わったよ!感謝カンゲキ雨嵐!!」

オット「おー、それはよかった。マッサージもしてきたのかい?」

ツマ「うん。『妊娠中の方は受けられません』って書いてたけど、私はもう産んだしセーフだと思って突入した」

オット「セーフセーフ」

ツマ「担当の人がね。『お辛いところはありますか?』って言われて『育児でボロボロです…』って言ったら『じゃあ、全部ですね…!』キリッって感じで、あとは全てを察してくれたかのように、施術中ひとことも話しかけないでいてくれたよ…」

オット「いい人や…」

ツマ「いっちゃんと二人で大丈夫だった?」

オット「うん、夕方に2回ほどギャン泣きの波がきたけど、どうにかこうにか。でもあれだね、これを毎日やってるって、ゆりさんと、世のすべての子育て中の人へのリスペクト度が更に50ポイントアップしたよね」

ツマ「笑」

オット「オシメも替えて、ミルクもあげて、抱っこして揺らしてそれでもなおギャン泣きって時はもう、自分の無力さに途方にくれるよね…」

ツマ「あるある」

オット「俺おっぱい出ないし、もうこれ以上引き出しないぞ的な」

ツマ「それがね、おっぱいあげても途中で『ふぅええぇ〜!』ってなって全然ダメなときもあるんだよ」

オット「そうなのか…。今までも一日一緒に過ごしたことはあったけど、ゆりさんと一緒で2人だったし、たった一人でいる時にぎゃん泣きモードが来たときの絶望感たるや」

ツマ「そうだね…今日はどうやって乗り切ったの」

オット「もうどうしようもないからとりあえず抱っこしながらスクワットしたらね、おさまった」

ツマ「スクワットw」

オット「ちょっと上半身で揺するぐらいじゃ全然だめで、全力のスクワットしたらなんかご機嫌になった」

ツマ「Gがかかってる感が心地よかったのかもしれない」

オット「おかげで太ももがパンパン」

ツマ「よかったじゃん、ダイエットダイエット」

#17 「ツマの、休息。オットの、留守番」2017/02/08

本日の夕げ

・チーズタッカルビ

・ごはん

・わかめスープ

昼間にNHKの料理番組で紹介されたチーズタッカルビがうまそうだったので作ることにした。これがね、激ウマ

人気の味を家庭で! チーズタッカルビ レシピ

上がツマ作

下がオット作

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#16「ツマと、ムスメ: 3人の生活がいよいよスタート」2018/02/07

February 7, 2018 Yuhei Suzuki
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我が家に新しい家族が増え、そして昨日から3人での新しい生活が始まりました。

ムスメが生まれたのは12月21日、産前産後の3ヶ月ほどはツマの実家にお世話になり(ありがとうございました)、オットは週に1,2回通いながら年末年始の繁忙をしゃかりきサバイブする的怒涛の日々を乗り越え、昨日2月6日に夫婦でもともと暮らしていたアパートに、ツマとムスメを迎え入れたというわけ。

これからツマとムスメを迎えにゆく(大掃除は終わっていない) — 閒-あわい- 


当日までに終わらせるとオットが豪語していた大掃除は終わらず、かろうじて寝室だけを綺麗にして、そこにツマとムスメを避難させながら現在進行系で突貫大掃除進行中。

オットは、二人を迎え入れるこの1週間、有給&週末休を利用して1週間ほどのプチ育休期間としたのだけど、はいこちらも相変わらず、前日までにスパッと仕事が終わるかというとなかなかそうはいかず、すき間を見てはメールを打つみたいな感じのあれやこれやでいつもギリギリで生きてる。

「今日のご飯は三食俺が作る!」とか意気込んでビーフシチューを作り出したんだけど、炊飯器のスイッチを押し忘れたり、その間にムスメがグズりだしたり、あれやこれやでようやくさっき食べたところ。

この夫婦note恒例のお絵かきものんびりできるはずはなく、ムスメを交互に抱きながらサササーっと描きましたとさ。

そんな感じで今回は、いつものようにのらりくらりと食卓トークをお届けする余裕がなかったのですが、それも含めて親子3人の新生活!って感じで、あわあわしているけどなんだか楽しみでもあります。

明日は、ツマには近くの銭湯やマッサージ屋にでも行ってリフレッシュしてもらうつもり。留守を守れるのかー。がんばる。

(Text: オット)

#16 「ツマと、ムスメ: 3人の生活がいよいよスタート」2017/02/07

本日の夕げ

・ビーフシチュー

・ごはん

・にんじん・ピーマン・玉ねぎのサラダ

・海ぶどう(いただきもの)

上がツマ作

下がオット作

もうこれも眠くてぐずるムスメを交互にあやしながら大急ぎで描いたもんだから、画力に定評あるツマもこれよ。

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これからツマとムスメを迎えにゆく(大掃除は終わっていない)

February 6, 2018 Yuhei Suzuki

立川行きの南武線に乗りながらこのnoteを書いている。

今日は、高尾の方にあるツマの実家に行って、ツマとムスメを迎えにゆく日である。

ムスメはすくすくと育ち、今のところ大きな病気もなく、というか体重が早くも5kgに迫るというビッグドーターであり、先日無事お宮参りや家族写真、1ヶ月健診など、雪が残る高尾の地にてつづかなく終えたところで、産休中から出産直後のおおよそ3ヶ月強とお世話になったツマのご実家を離れ、今日から家族3人での暮らしが始まるわけである。

だけども、問題は、今日の朝、掃除が終わっていないということだ。

ツマを迎えるにあたって、生活を整える意味でも、ツマにわずかばかりのリフレッシュの時間をつくるためにも(銭湯とかマッサージとか)、わたしもムスメとゆっくりふれあう時間をつくるためにも、今日から来週月曜にかけての1週間、まぁ有給と週末連休を組み合わせただけの簡素なものなのだけれど、プチ育休を取ろうということで、昨日2/5(月)までに急ぎの案件はもろもろ駆け込みでぶち込んでガシガシ猛烈に進めていき(終わらなかったけど)、ツマとムスメを迎えるまでに、タスクを一覧化した上で家の掃除・片付けをちょっとずつ終わらせて、そして一週間休むぞー休むんだーというつもりでおりました。

はい。大掃除がまだ終わっておりません。

やっぱり小分けにしてとかはほとんど無理だったので(前日までに40%ぐらいは進んだ。ごめんちょっと盛った25%ぐらいだ。いや20%だ)、もうこれは前日の夜が勝負だ、決戦は月曜日!2/5の夜に全部やる、夜なべして家を超きれいにしてそしてツマとムスメを迎えにゆくのだーという作戦でおりました。

月曜最後の打ち合わせを終えて、渋谷で丸亀製麺を食べ、10時ぐらいに家について、よしやるぞーってなったはずなの。はずなのよ。

でもね、起きたら7時。

どうしてこうなった。


いや私もね、30歳にもなりましたので、自分のことはよくわかっているつもりで、だいたい〆切直前にならないと火がつかないタイプというか、前日前夜が一番パフォーマンス出るというか、なのでほんと、一個一個の案件をギリギリ全開パワー火事場のクソ力を納期直前にグイッと半ば意図的に出してそれで乗り切ってきたタイプというか(合間に〆切を調整するという寝技も使いこなしながら)、まぁでもやるときはやるっていうか、なんだかんだで当日の朝には間に合わせるタイプなんですよ。先日も「悠平さんの〆切ドリブン運用やばいっすね」って後輩に褒められたとこ(褒めてんのかな)。割といい記事書いたと思う、その日。

という矢先にこれよ。

油断、慢心。お腹のたるみ。

なぜベストを尽くさないのか。

オット猛省、ツマ呆れ顔。


とりあえず、ツマに電話で平謝りして、「寝室に避難できる状態にだけしてくれたら、あとは午後やればいいから」というリカバリープランを提示され(よかった!シーツと布団干すという時間かかる系タスクだけ先にやってたのよ。威張ることじゃないけど)、鬼の勢いで寝室にでけクイックルワイパーウェットタイプをかけ、シャワーを浴びてわが家を飛び出しました。

お休み前に色々みんなにメールしたり原稿チェックしたりしながら南武線が進んでおります、なう。noteを書いている場合かと。

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お宮参りと家族写真

January 31, 2018 Yuhei Suzuki
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28日の朝にまた高尾に行き、ツマとムスメ、じいじとばあば、ひいばあと合流、家の近くの神社にお宮参りへ。
(例のごとく寝坊しそうになってギリギリの到着だった。どうでもいいけど、子どもが生まれた瞬間、みんな自分や周囲の人への呼称が1段階上がるというか、ツマにとって変わらず父・母である人がじいじとばあばになる。本人もそう自認するし振る舞ったりする。不思議だ)

まだまだ高尾には先日の雪がたくさん残っており、とにかく寒い。お宮参りでも足を震わせながら祝詞奏上を聞いていたりしたのだが、ムスメの方は至って落ち着いた様子。太鼓の音にも動じず、祝詞が終わった瞬間に「ふぇっ」とか絶妙なタイミングで合いの手を入れてくれたりした(笑)

お宮参り自体は特段困難もなく、あっさりと終了。お昼を挟んでから某ショッピングモール内の写真スタジオに行き、家族写真の撮影に

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行ってみるとスタジオ内には大量の衣装。すでにこの日予約していた何家族かが撮影を進めており、3歳か4歳ぐらいの女の子が肩出しのドレスでポーズを決めて写真を撮られたりなんかしていて、「すげー、こんなに子ども用の衣装あるんか!」と社会勉強気分で驚いてしまった。

身体を丸めてぐっすり眠っているムスメを抱きながら、フォトスタジオのスタッフさんと段取りを確認し、前の組が終わるまで待ち合いスペースで待つ。そこから、ムスメに祝い着を着せ、撮影に(ちなみにこの撮影直前にウンチが出てスタジオ内でのおしめ替えイベントが発生。赤子はTPOから自由である。お店側も慣れたものだ)。

撮影自体は大きなトラブルもなく、つつがなく終わったが、ムスメはよく頑張ってくれたと思う(がんばるという自覚はないだろうが)。

フォトスタジオのフォトグラファーさん、鈴を鳴らしてムスメの関心を引いた瞬間にパシャってやったり、小道具の枝葉を片手で持ちながらいい感じにぼかした構図でパシャってやったり、泣き出したら歌いながらあやしたり、子どもと相対する際のコミュニケーションの引き出しも、運動量も多く、その仕事ぶりには感心した。

祝着で撮られたりドレスで撮られたり、われわれ大人の夢と願望を一身に背負って何も分からぬままにカメラ目線とかしてくれたし(これもカメラ目線という自覚はないだろうけど)、後半だんだん疲れてきてグズりかけたのだけど、スタッフさんたちにあやされながらなんとか乗り切り…まぁほんとよく頑張ってくれた。

終わったあとは、パソコンで写真のセレクトをして、アルバムのレイアウトを選んでいくのだが、その間、店内あちこちに飾られている見本写真を興味深く眺めていた。

この子たちは、いわゆる「赤ちゃんモデル」である。よくよく考えてみると世の赤ちゃんモデルたちは、自ら望んだり、せめて同意をするという機会もなく、自分のあずかり知らぬところで赤ちゃんモデルになっているのである。もっというと、「赤ちゃんモデル」界というのにも、やはり市場があり、我が子を赤ちゃんモデルに!と願う親たちによるたくさんのエントリーと、誰がどうやってるのか知らないけど、それらの写真を”評価”する人たちがいて、採用されたりされなかったりするのである。いやはや、「社会」だ。

お宮参りにしろ、家族写真にしろ、「赤ちゃん」という、自我の芽生え以前の過程にある生命は、すでに「社会」の慣習・文化・経済に組み込まれながら存在しているのだ。この時期の我々親や周囲の大人によるかかわりが、赤ちゃんの生育にどのような影響を与えるのか…ゼロってことはないし、でも大人が気を揉みまくるほどには大きくないのかもしれないし、とにかくそれは結局のところ「わからない」のである。なるべく良さそうな写りの写真を選んだりとか、そういうことしかできないのだけど、せめて悪いようにはすまい、と願う。

そんなことを思いながら、ムスメにあれやこれやと話しかける毎日である。

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