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「パパにもなるし、そろそろ働き方変えないとね」って、言われるまでもなく考えはするけど

September 27, 2017 Yuhei Suzuki

「もうすぐ30にもなるし、年末に子どもが生まれるんだったらなおさら。そろそろ働き方考え直していく時期かもね。今までは体力で乗り切ってこれたと思うけど」

というようなことを会社のカウンセリングで言われたのが先週のこと。

確かにそうだよなぁ。自分でもその必要性は一番わかっている。最近ちょっと疲労が溜まりに溜まってなっかなか回復しねぇなぁという日が続いていたので、言われるまでもなく、「そろそろだよ」のサインなのだろうと思う。

毎日朝早くから夜遅くまで働いて、家は寝るためだけに帰って、みたいな生活がずっと続けられるとは思っていない。

というか、自分はマネジメントの立場なので、全体のアウトプットを最大化することが役割なわけで、むしろ自分があくせく駆け回って持たせている状況は不健全っつーかマネージャーとしては未熟なのだって話でもあるよね…
(とかいいつつも、まだまだ立ち上げフェーズのプロジェクトが多くあり、すぐに手離れする類のものばかりではないのが辛いところだが、まぁそれも含めて乗り越えるべきというか…)

ただやっぱり、お腹の中に子どもがいない男性の方が、「働こうと思えばなんぼでも働ける」状態であるというのは間違いなく、「なんとかしなきゃなぁ」とぼんやり思うのでなく、相当の意思を持って行動や時間の使い方レベルで変えていかないと、なかなか脱皮はしにくいよなぁと思う。

自分のお腹を痛めてわが子を世に出す母親には、「産休」という不可避の仕事離脱タイミングがある。そして、長さには個人差はあるものの、生まれたあともしばらくは「育休」期間であり、これまでの仕事を離れてわが子と向き合うのだ。

最近では、僕の回りの友人にも育休を取るパパがちらほら。けれども、現時点ではまだまだ少数派と言わざるを得ないし、会社勤めのパパの多くは、仕事を継続しながら育児にどう向き合うか、子どもと向き合うなかで働き方をどうしていくか、という問いのなかで、それぞれになんとかやっていっているのだと思う。

我が家も夫婦共働きである。部署は違うが同じ会社だ。ツマもよく働く人だが、前々から自分にとって育児のプライオリティが一番高いと言っており、育休はフルで取るつもりであること、ツマの実家が都内にあって比較的支援を得やすいこと、等々もあり、ツマは「もちろん育児は関わってほしいけど、仕事続けたいならそれも大事にしてがんばってほしいし、育児はまぁ私がいるから無理ない範囲で」ぐらいのスタンスである。

で、僕の方はどうか。担当事業やチームのフェーズ、年末生まれるけどその後の年度末に予想される繁忙など鑑み、「育休…取れるなら取って子どもと向き合ったほうがいいけど、ちょっとさすがに難しそうだなぁ。でも仕事に裁量はあって、リモートでも対応できることも多いから、働き方工夫して、うまく家庭とのバランスを取っていきたいなぁ」と、そんなことを頭のなかでボヤボヤ考えている、なう。うーん。

少し前に「牛乳石鹸」のCM方面でボヤ騒ぎがあり、まぁあれは企画演出の稚拙さが大半の要因な気がするが、とはいえ、「今時亭主関白でもないし、育児に理解あるつもりだけど、その分仕事との折り合いのつけかたに戸惑う」みたいな、働くパパの現代的戸惑い、というのは正直あると思う。

いずれにしたって、「子どもが生まれたら仕事をセーブしよう」なんて言って急に変えられるはずないんだから、今からじわりじわりと変えていかなきゃならんのだよな。「これは自分でやらないと」と思っていた仕事も、誰かに手渡してみれば意外と回ったり、なんなら自分に出せなかった価値を生み出してくれたりするもんだから。

「やらないこと」を決めたり、「やらないために何をどう整えて、誰にどう立ってもらうか」を考えたりが自分の仕事だよな。ま、いい機会だ。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

「伝わってる」なんて思い込んじゃうと…

September 27, 2017 Yuhei Suzuki
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"ギャグ漫画家が上司の命令で「新人教育マニュアル」を作った"、というベニガシラさんのTwitter投稿漫画がよく拡散されていた。

ベニガシラ/サラリーマン四天王原作さんはTwitterを使っています 「ギャグ漫画家が上司の命令で「新人教育マニュアル」を作った結果がこちらです https://t.co/LnQUJaNyVq」 / Twitter

まず①全体像を説明する、②いきなり難しいことではなく初歩から教える、③自分がやって見せ、相手にやらせ、評価する(口頭説明だけで終わらせない)、④定期的に声かけする、⑤段階を踏んで次の仕事へ…と、5つのポイントがまとめられている。

その中身自体は、新しく入ってきた人に仕事を習得してもらう上での鉄板ステップというか、特段不思議なことはない真っ当な内容なのだけど、「これ、当たり前のはずなんだけど、世の中意外とできてる人少ないし、自分も含めて、同じ人・職場でもできてる時・できてない時の差も出るよな」と考えた。

この漫画に描かれたことは、一つの基本の型というか、当然新人さんも一人ひとり違う人間だから、理解のスピードや方法も、習得のスピードや方法も異なる。なので実際は、上記のようなことを意識しつつも、相手の反応をみて、つど教え方や伝え方をチューニングしていくことが重要だと思う。

文書マニュアルだけでは意味が入ってきにくくて、図やフローチャートなど視覚補助が多い方が理解しやすいという人もいれば、逆に口頭説明(聴覚理解)の方がわかりやすい、という人もいる。1回で相手のいうことをトレースできる人もいれば、何回か繰り返す中で自分にしっくりくるリズムを見つける人もいる。

「学び手は常に正しい」という言葉が僕が携わる教育・発達支援の領域にはあって、伝える・教える側ではなくて学習者自身の側に立つことを重要視した言葉なのだけど、働く現場を見ていると、(自戒もあるが)やっぱりなかなか理想通りにいかないことしばしば。

それは結局、教える側の生存バイアスとか楽したい心性によるのだと思う。

やっぱり「(上司から見て)理解・習得の早い、要領のいいやつ」とか、「(教える側がこれまでやってきたスタイルに対する)適応力が高いやつ」というのは一定数いて、そういう人に対する評価は高くなりがちである。それは自分にとって都合のいい・可愛い存在だからではないか?ということを常に差し引いて考える必要がある。

「俺の若いときはさぁ、見よう見まねで習得したもんよ」

「いやー、もうちょっとできると思うんだよね、期待してるからあえてハードルを高くしててさ」

「彼はやっぱ優秀だよねぇ、すぐキャッチアップするし」

etc.

こういう発言が、学習者自身の反応とか、個々人の多様性とか、教える側である自身の適応力・提示の仕方に対するリフレクションなしに発せられているときにこそ、リスクが隠れているのだと思う。

学習者、新人、部下の立場からは教える側、ベテラン、上司に対するネガティブフィードバックって相当しづらいのだ。我慢することでミスマッチが表出しない、そのうち耐えきれなくなって…という事態も起こり得る。

自分のコピーを作ろうとしてないか?コピーになれないやつの可能性を潰してないか?これはいくら意識してもしすぎることはない…

In diary Tags diary

とめどないあれやこれや

September 25, 2017 Yuhei Suzuki

なかなか「答え」の出ない問題というのはあって、その時に「うちはこうだった」「わたしはああだった」と自分の体験を交換し、とめどなく「雑談」するというのは、一見して解決に向かっていないように見えて実はとても意味があるように思う。そもそも「答え」がないのであるから、誰が「正解」を出すか競い合うことに意味はない。それぞれが好き勝手に表出した意見・体験を、これまたその場に居合わせたそれぞれが、好き勝手に参考にすればいいのだ。

お茶を飲みながらあーだこーだと言って、それぞれのn=1でしかない体験談をほどほどに参考にしながら解散し、身代わりのいない自分の人生に戻っていく。

昨晩の「深夜の保護者会」は、さまざまな立場・心境の保護者の声が交じり合ういい番組だったと思う。番組全体として変に力が入っていなくて

https://togetter.com/li/1154323

テレビ・ネットで見てる人が外からコメントを投げ込むのも含めて、一人ひとりが思い思いに悩んだり考えたりすればいい。

この土日は1.5日分ぐらいはひたすら寝て終わった。そういうつもりではなかったのだけど気付いたらもうこんな時間、という感じで全然目覚めなかったのだ。身体が休息を必要としているのだと思う。

9月は色々あってなかなかに散々なコンディションだが、底をつけば次は浮上、なのは知っている。もう少し辛抱だなぁという感じ。

この日記もリハビリのようなもので、内観のリズムが乱れていると、外に発する仕事の文章にもあまりいい影響がない。ひとまずは細々と続けようと思っている。

In diary Tags diary

ZIP!でアムロスな人たち

September 22, 2017 Yuhei Suzuki
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朝の「ZIP!」で安室奈美恵の引退について触れられている。

引退発表を受けて、ファン歴10何年だというファンの涙のコメントとか、タワレコでは急遽安室奈美恵コーナーを設けられ、CD・DVDが売れていることとか、カラオケで「Can you celebrate?」が熱唱されている様子とかが紹介されていた。

僕が小学生の時とかまさに「国民的歌手」だったもんで、確かになぁ、SMAP解散に並ぶぐらいの衝撃はあるのだろうなぁと思う。

こういう世の中の"どよめき"は、数字としても観察可能で、当然引退発表からここ数日のAmazonやらタワレコやらTSUTAYAやらの安室奈美恵関連商品の売上は有意に上がったであろうし、カラオケでも安室奈美恵曲の再生数は跳ねたことだろう。

とはいえ当然、個人のレベルで見ると熱量の違いはあるわけで、たとえば僕なんかは「あぁ引退かぁそうかぁ」とテレビを見てはいるけど、急に安室メドレーばっかり聞くようになったりCDを買い揃えたりはしていない。

でも一方で、"行動"に移したファンがいるわけで。ZIP!でインタビューを受けていたタワレコのお客さん(50代男性)とか、ファン歴10何年だという女性の表情、語り口を見るに、あぁ本当にこの人の生きた歴史のなかで、安室奈美恵という人が大きな存在感を持っているんだろうなぁ、と思わせる。

歌にかぎらず、なにかをつくって表現する仕事をしている人にとって、"他人事で済まない"レベルで自分のこと、自分の表現を真剣に受け止めてくれている人がいるというのは、本当に得難いことである。

で、安室奈美恵ぐらいの国民的歌手、になると、そういう"他人だと思ってない"ぐらいの熱量のファンがたーくさんいるわけで、これまた化物みたいにすげえことだなぁ、と、思う。

とはいえ規模の問題ではないのだ。いやしくもなにかをつくって発信する以上。

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真に受ける、間を設ける

September 21, 2017 Yuhei Suzuki
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人の話の真に受けやすさというか、話の内容もそうだし、そこに乗っかっている相手の意図や感情も含めて、どの程度、どのように濾過して自分の心に入れるかみたいな能力があったとして、私はたぶんその能力がだいぶ低い人間であり、けっこう言われたことをそのまま受け止めてしまって、それでものすごくどよーんと落ち込んで後を引いたり、かと思えば急に発奮して前向きになったりと、忙しい。

さすがに一応、人類やらせてもらってもうすぐ30年になるので多少なりともマシにはなったのだけど、話の割引・濾過能力が働くのは、ビジネスミーティングとかそこそこ距離感のある場だとか、自分が「相談に乗る」というそれなりに冷静さを求められる役割になった場合などであって、近しい人になればなるほど、言われたことを真剣に受け止めやすいところはある。

ただ、これは悪いことばかりでもなくって、近しい人の気持ちや期待を受け止めた結果、上にも書いたようにプラスのエネルギーが生まれるときもあるのだ。「この人のためなら」という気持ちは、色んなしんどさや矛盾を乗り越える原動力になる。

自分にとっては「誰と働くか」というファクターが大きいのだなと思う。

「みんなそれぞれの役割があったり、色んな期待を持って言ってるところもあるし、全部、真剣に受け止めると身が持たないよ」と言ってもらって少し楽になった。アドバイスを真に受けて楽になる、みたいなね。笑える。

少しすき間が生まれて、いい感じ。

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時には身をかがめたり

September 20, 2017 Yuhei Suzuki
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「問題がないこと」を前提に設計するといざ問題が起こったときのしなやかに対応できない。で、これはたぶん心や身体についても同じで、「健康であること」を前提として強く持ちすぎると、崩れたときの驚きどよめき遠慮自責etc.が大きくなってしんどいことになる。

「健康な人」と「健康でない人」がいて、別の種族として分かれているわけではない。状態像として無数のグラデーションがあり、その立ち位置はいつでも入れ替わり得る。

集中の持続が難しい状態にあることを自覚している。自覚した上での取捨選択をする。部分部分でどうしても必要なときに瞬間最大風速でグイっと気を張る、それ以外のときは緩める、というリズムで波乗りしていこうと思う。

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遠くを眺めて、それから街に還って

September 19, 2017 Yuhei Suzuki
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3泊4日の「箱根山学校」から帰ってきた。

陸前高田にある「箱根山テラス」で過ごすプログラム。石巻で一緒に活動した友廣さん、その友廣さんとのご縁で特別にワークショップをしてくださり、今の僕にとっての聞くこと・インタビューすることの拠り所をくださった西村佳哲さん、箱根山テラスの設計に携わったランドスケープデザイナーの長谷川浩己が主催。これまでも友人から「すごくいい」と何度も聞いていた箱根山テラスにとうとう行くことができた。プログラム自体は今年で4年目、詳細はよくわからないけれど、友廣さんと西村さんに対する勝手な信頼感でもって告知スタートと同時に申し込みをした。

今年は例年より少ない参加者で、僕を入れて11名。

陸前高田と縁の深い"水先案内人"の3名、美味しい料理を振舞ってくださった三原さん、長谷川社長やテラスのスタッフのみなさん、それから地域の方々にお世話になり、遠くを眺め、足元を感じる4日間。

参加する前の週はとにかくエネルギーが減衰していて何もかもネガティブになってしまうような抑うつ状態にあった。行きの電車で(他にも色々遅れ、溜め込んでいるが…)一つだけ必死で原稿を書き上げ、メールで送り、あとはもう、なるようになるさと現地に飛び込んだ。

結論から言うととてもよかった。「あっという間」と表現するほど慌ただしく過密なスケジュールでもなく、かといってテラスを離れるのが名残惜しくなるぐらいには愛着が育ち…というところで終わりを迎えた。

ここで感じたこと、考えたことは少しずつ振り返って文章に残していこうと思うが、いくつか自分にとってのキーワードとしてお腹の底で存在感を持っている言葉を書き記しておく。

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「どこで、だれと、なにを」

「自分が他人事で済まないことを」

「円環する時間」

「内と外の間、あいまいな領域を残すこと」

「世界は他者で満ちている」

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何かを生産する工程にはたくさんの人と素材と土地の交わりがあり、種まきから収穫、加工、販売と時間の巡りがあり、購買者が地域の作り手を訪ね…

ものを作る、ということを軸に循環が生まれ、繰り返されている。

それはとても素敵なことだなぁ、とただただそう思う。

都会で、企業で、メディアをやっていると、どうしても単線的な「追いかける」というモードが強くなってしまう。

それを全否定するつもりはないけれど

一方で、循環する時間、発し手とユーザーが入れ子になる関係、繰り返しのリズム…も生み出し育んでいけたらな

少し違う景色が見えてくると思う。



3日目の夕方ぐらいには、やっぱりなんだかんだとここで感じ学んだことを東京に帰ってからどう活かすか?なんて思考が巡り出したものだから、なんだかんだ今の仕事が好きなんだと思う。

しんどいことも、モヤモヤすることも、適当では済まないことも、答えの出ないこともたくさんあるけれど、ね。

リトリートして気持ちよかったなぁ、ではなく、自分の持ち場でどんなリズムをつくっていけるかなんだと思う。足元。


台風の影響で、気仙沼・一ノ関間の電車が走らず、タクシーで振替輸送してもらうことに。自然には敵わないな。

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腹八分目

September 19, 2017 Yuhei Suzuki
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物事の判断や、人のことを観る際の解像度を健全に保つには、やはりある程度の余白が必要で、多分それは、自分が「もう少しぐらい頑張れるかな」と思うレベルよりはもう少し大きく見積もっておいた方が良いのだろう。

話を聞いている途中に、相手へのジャッジとか自分の結論が先に心の中でむくむく育っているのに気づいたら危険サインだなぁという気がする。

とはいえそういう時って余裕がないからこそ思考も判断も粗くなるわけだから、そうなってから「気をつけよう」としても無理な話で、そうなる前に…どうするかという話なのだと思う。

仕事を請ける請けないの判断軸をしっかり持つのもそうだけど、自分でやる・抱え込むという方向にいきやすい癖があることは意識してもしすぎることはない。

腹八分目っていい言葉です。

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両親学級に出席するだけで「えらい」とか言われる夫側への期待値の低さって

September 17, 2017 Yuhei Suzuki
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8月、自治体が主催する両親学級に参加してきた。

産前産後の生活や健康に対するレクチャーを受けたり沐浴体験をしたりして出産への準備を進めたり、それから同じ区の近隣地域のプレママ・プレパパで交流をしてコミュニティ形成をする目的で開催される。たぶん、どこの自治体でも開催していると思う。

僕が参加した区の両親学級は全3回。その名の通りプレパパ・プレママどちらも参加できる立て付けである。二人揃って参加しても良いし、どちらか片方でも良い。

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うちの場合は、僕の方が出勤時間や勤務時間に融通がきく立場・職種で、ツマの方が都合がつかなかったので、1回目と2回目は僕だけが参加、3回目で夫婦揃って参加、という形をとった。

ただ、実際には参加世帯のほとんどが女性(妻・プレママ)のみの参加で、男性(夫・プレパパ)は沐浴体験・妊婦体験や男女に分かれてのグループワークがある最終回の3回目のみの参加、というところが多かった。

1回目と2回目に夫婦揃って参加しているのは2,3組だけである。夫側だけの参加はうちだけであった。


「あの、奥様は…?」

そんな状況だから、受付で開口一番、自治体の担当の方に質問される。

「あぁ、ちょっと仕事があって」

事実を答えただけなのに、なんだかちょっと緊張・恐縮してしまう。母子手帳を渡して資料を受け取り、地域ごとに分かれたテーブルで参加者の方々と挨拶をする。

「どうも、おはようございます」

「おひとりですか?」

「ええ、ちょっとツマは仕事が外せなくて、僕の方が融通きくので」

「なんてえらい…うちの旦那にも聞かせてやりたいわ」

別になんのエクスキューズでもないのに、ちょっと恐縮する。

なんだろう、これ。

立て付けとしては別に夫だけが参加しても良いわけだし、初回と2回目のレクチャーは生活上の諸注意が中心だから、あとでツマに共有すれば問題ないし、なんならテキストを読めばだいたいわかる内容だ。単に、夫側が参加するという、うちのパターンが少数派であるというだけで、 ちょっと不思議なムズムズ感がある。


まぁこれが、世間一般の夫に対する出産・育児への期待値の顕れなのだろうと思う。そしてそれは、"両親学級"と言いつつ夫側がほとんど参加してこなかったという実績の積み重ねから生まれた期待値の低さなのだろう。

そのことに対して良い悪いと意見を言うつもりもないし、参加しているからといって自分が別に誇る話でも威張る話でもない。

実際、妻・プレママと比べると夫・プレパパの方が出産に対する当事者意識の芽生えはどうしても遅くなる。ただでさえ夫側の両親学級への参加率が低いのに、妻の側は母親学級とか2週間に1回の検診とか、あれやこれやと出産準備周りの稼働量は単純に多いのだから。

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両親学級の最終回でも、赤子人形の服を脱がせて沐浴シミュレーションをしたりしましたが、やっぱりこう、オットの手つきはおぼつかないわけです。オロオロしちゃう。

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妊婦体験もしましたよ。

「うわ、重っ…寝転ぶと余計に重い!これ今からもっと重くなるの?妊婦すげぇ!」とか言いながらつけてました。実際思うもん、妊婦すげえわって。こういうのは所詮疑似体験、と思いつつも、でもやっぱりやるとやらないとで意識は違うし、こういうことでもやらないとなかなか妻の身体への負担に対する想像力って伸びないし、とにかく夫の側というのは"体験"の絶対量で圧倒的なディスアドバンテージがある。

でもなぁ…事実とはいえ、あんまり夫をお客さん扱いするのが当然の前提、みたいになるのも、それはそれで夫の出産・育児参加への障壁になっているんじゃないかと思う。

建前としては、やっぱり"両親学級"なんだし、実態や実感として「珍しい」と思っても、受付の人とか、プレママの方々も、あんまり大げさに驚いたり褒めたりしないで良いと思うんだ。むしろ、「あ、そうなんですねー」ぐらいにさらっとフツーに受け入れてくれた方が気は楽である。

よく、育児に関する言説で「旦那は新人バイトだと思ってマネージしろ」なんて言われますし、実際そうなのかもしれませんけど、そういう「お前には期待してない」メッセージの積み重ねって、微妙にパパ側の育児参加意欲をスポイルするんじゃないかと思うんです。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

中目黒の街頭募金とくたびれた労働者のわたし

September 13, 2017 Yuhei Suzuki
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水曜日の夜、中目黒

ミーティングを終え、もう一仕事かと思ったところで空腹を自覚する。駅前のスープストックでも行くかとエレベーターに乗る。

肩が凝っている。骨盤もなんか歪んでいる気がする。まぁいいや。

駅前の横断歩道に着くと向こう岸から大きな叫び声が聞こえる。

これを聞くのは初めてではない。顔を上げると、案の定、以前も見かけたことのある募金の呼びかけだった。

揃いのピンクTシャツを着た5,6人。それぞれが首紐で募金箱をぶら下げている。

新聞記事を拡大印刷したパネルを掲げて誰よりも大きい声を響き渡らせている人

横断歩道を渡ってきた人に一人ひとり声をかけてビラを渡したり募金のお願いをしたりする人

銘々にがんばってる

がんばってるんだけど

この水曜日の夜の中目黒、しかも蔦屋書店の前という場には彼らはあまりにもアンマッチで、立ち止まる人よりも通り過ぎる人が圧倒的多数という劣勢のなか、くたびれた僕はその一群に溶け込むかのように身をかがめ、蔦谷とスタバの間の高架下で撮影に興じるカップルの横も通り過ぎてスープストックトーキョーに逃げ込むのであった

いったいぜんたい、何かを動かそうとするあらゆる発信行為は、他人のアテンションの奪い合いである。

街頭の募金活動、週刊誌の吊り広告、著名人の感動のスピーチ、健康とお金に関するハウツーと自己啓発、イヌネコ画像…

オンラインもオフラインも、喧しい(そして僕もその加担者の一人だ)。

人々の限られた時間とお財布の一部を頂戴するために、私たちは各々のミッションのもと、日夜プロダクトとマーケティングに磨きをかけるのである。
(“知識と教養と名刺を武器にあなたが支える明日の日本”と歌ったのはミスチルだ)

スープストックトーキョーでカレーをもそもそと食べながら、街頭でがんばる彼らのことを思い出した(といっても徒歩50歩圏内だ)。

街頭の募金活動はしばしばインターネットのインテリトークで揶揄と冷笑の対象となる。

曰く、募金する時間があったらその全員で同じ時間バイトをした方が効率が良いとか、
もうちょっと人を巻き込む戦略とか考えてから動こうよとか、その非効率さ加減を指摘する。

ロジカルな指摘としては正しかろう。語る人らはさぞ賢かろう。

だけれども、賢い人たちが語る”効率的”なソリューションをなぜ彼らが取れないのかを考えてみると、いったい誰がそれを笑うことができるのだろう、と思う。

生まれながらの重度の心疾患。生きるためには心臓移植しかない。それをできるのは米国の限られた病院だけ。渡航と移植手術には3億1千万円ものお金が必要だという事実。

それが高度に発展した現代社会の、少なくとも今日における医療と経済の敗北だろう。
(そして同じような状況にある難病当事者は、この活動で支援を受ける彼女の他にもたくさんいるだろう)

両親と有志の支援者が立ち上がったときに、街頭とネットでとにかく募金を募る、「声をあげる」という行動を取らざるを得ない状況。

それがデジタルとソーシャルで高度に発展し民主化した”はず”の、メディアとマーケティングの敗北だろう。

いやいや、それは敗北ではない、これから変えていくのだ
「そんな社会を変えるためにソーシャルビジネスを…」
「だからこそ、専門性のあるマーケティング人材が、こういう人たちをプロボノとして支援して…」
なんて言いたくもなるかもしれない。

ソーシャルセクターの一隅にいる僕はその矛盾と限界を知っている。
プレイヤーも少ないし、市場も広がっていないし、とにかくまだまだリソースが足りないのだ。
どのような長期のビジョンを掲げていようと、基本的には”今できること”,”よりインパクトがあること”からしか取り組めない。
あらゆるソーシャルビジネスやプロボノ活動は、チェリーピッキングと言われても言い返せない

「社会を変える」運動のスキマにはたくさんの、”非効率”な叫びが、どうあれ存在している。

ピンクのTシャツと大きな新聞パネルを、見ないようにして通り過ぎる私たちの、誰が何を言えよう。

そんな毒にも薬にもならない、誰一人として救わない文字列が頭の中に流しながら、もそもそとカレーライスの最後の一口をかきこみ、僕はスープストックトーキョーを後にした。

さっき通り過ぎてから20分も経っていない横断歩道に戻ってきた。

彼らは変わらず、大きな声を張り上げて募金を呼びかけている。

財布の中の千円札を箱に入れた。
小柄なおばちゃんのかけてる箱。

「今どれぐらい集まってるんですか?」
「前に同じ心臓の病気で、でも亡くなってしまったお子さんがいて…そのご家族が使ってくくださいって今まで集められたお金を寄付してくださって、それを足していまようやく1億円ぐらいです」
「そうですか……がんばってください」
「お話聞いてくださってありがとうございます!」

お礼を言われてしまったがそれをうまく受け取るポケットが今の僕にはない。

とぼとぼと横断歩道を渡ってオフィスに戻った。

仕事を再開する気力が出ず、荷物をしまってまた駅に戻った。

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帰り道に、さっき受け取ったチラシを開く。

あと2億か。
声を張り上げるパワーのない僕は家に帰って役に立たないテキストを打っている。

—–
「あやめちゃんを救う会」
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In essay Tags roadside-economics
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亭主関白でもキラキライクメンでもないフツーの男たちはどうやってパパになっていくのでしょう

September 10, 2017 Yuhei Suzuki
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おもむろにツマのお腹をさわってみる。さわさわ。大きい。

「妊婦だ、これ。妊婦然としている」「いや、妊婦だよ」みたいなやりとりを何度したかわからないが、そうこう言ってる間に妊娠7ヶ月、ツマのお腹はどんどん大きくなっている。

年末、父親になる。らしい。

妊娠をし、安定期を迎え、周囲にも公表し、両親学級に参加し…と着々と「その日」に向かって時計の針は進んでいる。知らない間に人生が進捗している。

「名前はもう決めたの?」「男の子?女の子?」「育休はとるの?」「ベビーベッド、あげようか?」などなど、周囲の人たちも色々な声をかけてくれる。

とはいっても、今日とか明日とか今週とか、短いスパンで見たときの生活がそんなに劇的に変わるわけでもなく、相も変わらず朝から晩まであくせく働き、夜寝る前の短い会話で、「名前どうしようかなぁ」「そうだねぇ」とか、「あ、今お腹動いてるよほらほら!」「んー、おー、ほんとだぁ」とか、ツマの言葉に生返事をしながら、特段その場で何かアクションを起こすわけでもなく、疲れて寝落ちする、みたいなそんな毎日である。

「実感、湧く?」と聞かれると「『実感が湧いている』という状態がどんな状態なのかわからない」とかめんどくさいことを答えている。つまり湧いてないってことだ。

徐々に徐々に、自分の内側で生命が大きく育っていく様子を感じる母親と違って、父親は「ある日突然」父親になるのである。「実感湧く?」とか聞かれたってわかんないっすよ、正直。

時は2017年、現在29歳。さすがに世代や時代だ、出産・子育てに対して無関心・非協力的ではないつもりだし、昭和な亭主関白チチになりたいとも思わない(し、たぶんなろうとしてもなれない)。

サボるつもりはないけれど、とはいえ器用な人間じゃないし、仕事も働き盛りだし、絵に描いたようなキラキラパーフェクトな「イクメン」になれる気もしない。

そんな風にして、ポジでもネガでもないけれど、いやどっちかというとポジなんだけど、自分のエネルギーを急に出産・育児に振っていけるほどの余白もなく、どちらかというと受け身で、この「プレパパ」ステータスを持て余しながら日々を過ごしている。

とはいえ時間は過ぎていく。 まだ4ヶ月ある、とか言ってると一寸先は年末である。

僕の実感が湧くかどうかなんてものは、ツマの身体と、生まれてくる赤子にとってはどうだっていい。二人の生存と健康を守ることが重要なわけで、そのために必要な行動をしていくことが自分の役割だ。

たとえばお金。どれぐらい貯金してどう積み立てていく必要があるのか。現実的にその余力をどう作っていくのか、月々の収支構造をどう変えていくのか。

たとえば保育・医療。ただでさえ、赤子の身体はデリケートだが、我が子が先天性の病気や障害と共に生きることになった場合、今の医療には何ができて、親としてどのような情報を収集し、どこと相談・連携する必要があるのか。

それからツマ。しっかりもので私などよりよっぽど生活力もあり、着々と母になる準備を進めているが、マタニティブルーとか産後うつというのは誰がなってもおかしくないものだ。今も元気に働いてはいるが、これから妊娠後期に入って体調がどう変化するかもわからない。「彼女はしっかりしてるから」と安心しているのが一番危険だ。「もしも」の時に自分は何をどう判断するか、そのための価値基準は。ツマとちゃんと話しておく必要がある。

それから自分。子どもが生まれた、父親になったという変化を自分のアイデンティティのなかにどう織り込むのか、その上で働き方暮らし方をどう転換させていくのか、否が応でも考えなければならない。我が家は共働きだが、ツマが以前から「自分にとっては育児が一番大事だから、フルで育休をとる」と明言しており、ひとまずは僕が外で働いて稼いでいくことが家計のメイン収入をつくる。そうはいっても今まで通り朝早くから夜遅くまで働き続けるなんてことはできなくなってくるだろう。「自分ががんばる」のではない形で、チーム全体が回るマネジメントを体得しなければならない。

…真面目なことをつらつらと書いたが、僕は生粋の怠け者で現実逃避癖があるものだから、このまま過ごしていると周囲から強制されない限り、特段なーんにも動かないまま、うっかり「その日」を迎えかねない。

というわけで、自分のケツを叩く意味も込めて、プレパパ学習・奮闘記を記録に残してみることにした。

上記に書いたような産前産後の重要トピックに対して我が家が何をどう考えて、どう行動したかを記録したり、関連する制度やサービスを調べた結果を共有したり、先輩パパママや、出産育児に関わる人や、その他さまざまなパートナーシップ・家族の形をデザインしている人たちにお話を聞いたり、していく予定。

同じように第一子の出産を控え、どうしたもんかなぁと思っているプレパパや、ミレニアル世代の子育て事情に興味がある先輩方なんかが、戯れに読んでいただければこれ幸い。

ボーっとしていたってたぶん「実感」なんてものは都合よくやってこない。こういうことを書いている時点ですでに、頭から入っているのは明らかなのだが、とにかく頭と身体を動かしていれば、いつの間にかパパになっている、そうしたもんだろうと思う、ことにしている。

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Diary: 2017/08/14

August 14, 2017 Yuhei Suzuki
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いつだってお金もヒトも時間も、資源は有限なので、やらないことを決めたりとか、明確な目標と指標を持ってそこに向かって資源を投下していくという判断は必要なのだけど、それはそれとして、人とかサービスの非線形な進化は既知の視野と前提の延長からはなかなか生まれないもので、それらはやっぱり聴くことー普段の会議とは別でスタッフと1on1するとか、dailyの数値報告ばっか読んでないで生身のユーザーに会いにいくとか、人が集まる場を観察するとか、そういう機会を意識的に作っておく必要がある。そのためにはやっぱり一定の余裕が必要だ。

関わる一人ひとりが何を望み願っているのか向き合えるだけの感受性と余裕を持っておきたいし、一人ひとりの本気の「やりたい」とか、それが偶然出会ったときのセレンディピティを、「できたらいいね」で終わらせずにちゃんとサービス・コミュニティの進化に結びつくかたちで企画にできるキャパを持ちたいし、そのためにはまぁ直近もうちょっと稼いで余剰を作る必要はやっぱりあるし、そう考えると短期的にはまだまだしゃかりきやらんとなぁというところでもあるけど、まぁでも倒れたり感性パサパサになったら元も子もないので(はじめに戻る)、踏ん張ったり折り合いつけたり短期で目に見える成果を出したりまぁそこら辺はうまいことやりつつ乗り切っていくのだ。

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Diary: 2017/08/08

August 8, 2017 Yuhei Suzuki
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「うまくやろう」という内圧は恐ろしいもので、それは他人に「見られている」ということを意識すればするほどそうだ。

「予定調和は嫌なんだよね」と言いつつ、ちょっと油断したり、慣れたりすると、考えずにこなれた結論や対応に寄せていってしまうもの。

小さなミスやほころびは指摘もしやすいしそれ単独の手当も容易い。

ほころびを許さずスキマのない時間・空間・振る舞いでがんじがらめにすることで、減点はなくせるかもしれない。そこで失われた学びの機会に目を背けて良いのなら。

「守るべきもの」と思っていることが、実は自分で勝手に大きくしてしまった幻想であったり、鎧を脱いだ先に得られるものの大きさを考えると些末なものであったりすることはきっと少なくない。
  
 
 
少し乱暴に書いたきらいはある。

現実はもう少し複雑で、簡単ではなく、多くの善意と頑張りと漸進的改善のなか、しかしどこかで不調和が起こっている、というようなものなのかもしれない。

そうだとしても、そうであるならばなおさら、今、ここにいる当事者である「わたし」が本当にすべきことはなにか、を考えるべきだ。
  
 
留まることより変わり続けることの方がよほど難しく、だけどきっと楽しい
 
 
昨日はひさしぶりにconfort zoneの外側に踏み出すような経験だった

心拍は上がり、終わったあとにどっと疲れた。ただ、少しの心地よさと、いつもとちがう「感触」を手にしている

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#9「ツマと、ユージン: 爆弾娘、襲来」2017/08/06

August 6, 2017 Yuhei Suzuki
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夫婦の食卓での会話をゆるゆるお送りする本マガジン「ツマと、」ですが、今日はゲストが来てます。

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職場の編集部インターン、キム・ユージン。

ユージン「ちょっともうやだー、ケーキ買って来たんだけど電車に忘れちゃってーガン萎えー」

オット「お、おう。買ってくれたのな、ありがとう」

駅まで迎えに行って開口一番これです。

ハタチ。溢れ出る若さ。爆弾娘。

もうなんか話すたびにパワーワード出てくるんだけどパンチが強すぎて会話全体の脈絡作れなくて困るけどとりあえず本日の食卓の様子をお届けします。

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オット「というわけで、我が編集部インターンのユージンです」

ユージン「お邪魔しまーす」

ツマ「うん、本社で目立ってるから認識してる」

オット「こいつ来てからなんか職場の空気変わったわけですよ。やたらとネアカなんですよ」

ユージン「なんかー編集部インターンのティーンたちはいろいろこじらせてるんでー。『キムさんは週イチ会うぐらいで十分』とか言われてますよ」

ツマ「まぁ私の部署で見てた某男子とかね」

オット「まぁたしかにね、ちょっとその辺個別のエピソードは書面では自粛しつつ」

ユージン「でもまぁなんていうか、闇があるからこそ優しさを持てるっていうか?いいんじゃないですかね」

ツマ「いいこと言うねー」

オット「ハタチにしてその達観はなんだ」

ユージン「中野のロータリーで人間模様を見てきたんで。不倫カップルが名残惜しそうに別れる場面とか」

オット「なんだそれ」

ユージン「中野駅は不倫カップルのクロスポイントですから。家族持ちの男性は立川方面のマイホームに帰って、不倫相手の独身OLは東西線に乗って落合とかに帰るんですよ。それか新宿経由で経堂とか」

ツマ「帰る駅の例示が妙にリアル」

ユージン「ゆーへーたんもう遊んじゃダメですよ」

オット「大丈夫、ツマのメシが美味いから。胃袋抑えられてる」

ツマ「ゆーへー何食べても美味いっていうけどね」

ユージン「やだー、ちゃんと味わって食べなきゃダメだよー」

ツマ「味どころか栄養にも無頓着だからね」

オット「納豆と牛乳摂取しておけばだいたいリセットされると思ってる。ラーメン食ったら納豆食え的な。イソフラボンへの信頼」

ツマ「それリセットできてないできない」

ユージン「そうだぞ、万能食材なんてないんだよ。今日の料理は豚肉と緑黄色野菜とネバネバで夏バテ防止メニューだね。ゆりさんに感謝しなよー」

オット「ユージン案外しっかりしてるよなそういうとこ」

というわけで今日のお絵かきにはユージンも参戦。

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ユージン「はー、やっと描けた!」

ツマ「お、上手じゃん」

ユージン「うーん、いやでももうちょっと描き直そうかな」

ツマ「お、こだわるねぇ」

ユージン「ゆーへーたんに編集部で教わったんで。『ギリギリまでクオリティにこだわれ』って」

ツマ「あれあれ?言った本人の今日の絵は…」

オット「ちょっともう今日は無理」

#9 「ツマと、ユージン: 爆弾娘、襲来」2017/08/06

本日の夕げ

・野菜の豚肉巻き

・ポテトサラダ

・ピクルス

左上がオット作(投げやり)、右上がユージン作、下がツマ作。

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#8「ツマと、5ヶ月目の赤子: オットは果たして無事パパになれるのか問題」2017/07/23

July 23, 2017 Yuhei Suzuki

オット「もうダメだ、料理つくるだけで満身創痍だ。シングルタスク人類」

ツマ「こんなんでへこたれてたら赤子が生まれたあとやってけないよー」

オット「ほんとに、慌てふためく未来しか見えない。あー、そうそう、来月の両親学級の時間いつだっけ」

ツマ「これこれ(スマホを見せる)」

オット「火曜の午前に区役所ね。えーと、内容はと。

" 1日目

妊娠中からの健康づくり

赤ちゃんと健康リビング"

なるほどね。あれだろ、お母さんの健康に気をつけましょうってやつでしょ。ほんで『赤ちゃんと健康リビング』は赤ちゃんが怪我しないように机とか椅子とかにクッションつけましょうってやつだろ」

ツマ「いや、違う違う。リビングってそっちのリビングじゃない」

オット「え、違うの?」

ツマ「赤ちゃんの健康考えてこういう日常生活を送りましょうねって注意点を教えてもらうやつだよ」

オット「あー、動名詞の方ね…汗」

ツマ「リビング違いな」

オット「お恥ずかしい…

うわ、3日目あれじゃん、マネキンで沐浴とかやるやつじゃん

"赤ちゃんを健やかに育てるために(2人で子育て)体験コーナー"

体験コーナーですでに慌てふためく自信がある」

ツマ「溺れさせたり首脱臼させたりしないでくださいよ」

オット「はぁー、心配だ。昨日もさ、長野で友達に会ったときに話したんだけど、『実感湧く?』って聞かれて」

ツマ「実感湧きますか?」

オット「実感湧くというのがどういう状態かわからんって答えたよね」

ツマ「それはつまり湧いてないってことだねw」

オット「頭では考えるよ色々。でもやっぱりさー、お父さんは生まれたときに突然お父さんになるわけですよ。お母さんは身体の中で徐々に大きくなっていくのを感じ取っていくけれども」

ツマ「そうだねぇ」

オット「でもね、実感とか自信とかそういう感情をこねくり回してもしょうがない行動アプローチで頑張ろうと思います。頭から入ってはいるけどとにかくプレパパ・ママ関連の行動量増やしていこう的な。両親学級受けたあとブログ書いたりとかする。めっちゃリフレクションする」

ツマ「教師教育学のコルトハーヘンさんによると、リフレクションには4段階ありまして、両親学級行くのは第1段階の"経験"、ブログを書くのは第2段階の"言語化"に当たります。まだあと3段階目と4段階目があるんだな」

オット「その先は」

ツマ「第3段階は"本質に気づく"、第4段階は"行動の選択肢をつくる"」

オット「なにそれレベル高い。獲得できる気がしない」

ツマ「まぁがんばりたまえ」

オット「赤子が生まれてからもなにかと空回る予感しかしない」

ツマ「大丈夫だよ、空回りしてるうちに歯車は噛み合っていくんだよ。あ、いま私いいこと言った」

オット「なんか名言出た。これ今日のnoteでいただこう」

ツマ「名言とか言っときながら、あなた書いてるうちに絶対忘れて聞き直すじゃん」

オット「それはまぁ許せ」

#8 「ツマと、5ヶ月目の赤子: オットは果たして無事パパになれるのか問題」2017/07/23

本日の夕げ

・信州そば(オットのみやげ)

・ササミと蒸し野菜

上がオット作、下がツマ作。

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