なかなか「答え」の出ない問題というのはあって、その時に「うちはこうだった」「わたしはああだった」と自分の体験を交換し、とめどなく「雑談」するというのは、一見して解決に向かっていないように見えて実はとても意味があるように思う。そもそも「答え」がないのであるから、誰が「正解」を出すか競い合うことに意味はない。それぞれが好き勝手に表出した意見・体験を、これまたその場に居合わせたそれぞれが、好き勝手に参考にすればいいのだ。
お茶を飲みながらあーだこーだと言って、それぞれのn=1でしかない体験談をほどほどに参考にしながら解散し、身代わりのいない自分の人生に戻っていく。
昨晩の「深夜の保護者会」は、さまざまな立場・心境の保護者の声が交じり合ういい番組だったと思う。番組全体として変に力が入っていなくて
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テレビ・ネットで見てる人が外からコメントを投げ込むのも含めて、一人ひとりが思い思いに悩んだり考えたりすればいい。
この土日は1.5日分ぐらいはひたすら寝て終わった。そういうつもりではなかったのだけど気付いたらもうこんな時間、という感じで全然目覚めなかったのだ。身体が休息を必要としているのだと思う。
9月は色々あってなかなかに散々なコンディションだが、底をつけば次は浮上、なのは知っている。もう少し辛抱だなぁという感じ。
この日記もリハビリのようなもので、内観のリズムが乱れていると、外に発する仕事の文章にもあまりいい影響がない。ひとまずは細々と続けようと思っている。