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#24「ツマと、幸せ家族会議vol.1」2018/07/21

July 21, 2018 Yuhei Suzuki

わが家では毎月、1ヶ月をKPT(Keep, Problem, Try)形式で振り返る家族会議をやっているのですが、ムスメも生後7ヶ月を向かえ、ツマの復職やら保育園やら、今後2人目3人目どうしようとか、お金や住まいどうしようとか、そろそろ考えるべき要素が増えてきて、月々の振り返りじゃなくて、中長期的に一緒に暮らしをどう営んでいこうかという、そういうレベルでの価値観のすり合わせをしたほうが良さそうだなという話になりまして。

#23「ツマと、KPT: 6月の家族会議」2018/07/08 — 閒-あわい- 


通称「幸せ家族会議」を開催することにいたしましたー。わー。

本日が第1回、近所の「シラハト商店」さんで、かき氷珈琲味(めちゃうま)を食べながら、スケッチブックを開いて夫婦でこねこねしました。

第1回の成果がこちら、どどん!

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細かいトピックは短期的にもたくさんあるんだけど、今回はそもそものグランドルールというか、夫婦で、家族で一緒に生きていくうえでのポリシー的なやーつを言語化しましたよ、と。

オットとツマ、それぞれが個人として、どんな価値観で生きていきたいと思うのかというのが、上の吹き出し部分なんですが、それを踏まえて「夫婦ポリシー」を。

夫婦関係とか、親子関係もそうだけど、一緒に仕事する相手とか、友人とか、地域とか、孤立せずに他者とつながりながら、お互い何を大事にしているかを尊重しつつ、楽しいことも困ったこともわけわけしながらいい感じにやっていけるとハッピーだよねーってことで、

「つながる、むきあう、わかちあう」

を夫婦のポリシーとして掲げました。

その下の5つは、多少の重なりはありつつも、生きていくうえではちゃんと考え方の軸を持っていた方が良いなという重要領域を挙げて、それぞれのポリシーを言語化したもの。

①くらし: ムリなくひらく、ほどほどていねい

夫婦ふたりとも、お互いの友人を紹介し合ったり、わが家に遊びにきてもらったり、他の家族と協力したりと、家庭を「外に開いていく」こと自体にはそれほど抵抗がないのだけれど、大前提として、わが家の全員(ツマ・オット・こどもたち)にとってムリのないものであることが大事。開いていくこと自体を目的化するのではなく、家族の安心・安全を大事にしながら、「ムリなく開いていく」ことが、自分たちにとっても、関わってくれる周囲の人にとっても、自然とハッピーが増えていくかかわり方になるのではないかと想う。

あと、「食事は全部オーガニック素材で!」とか、「家は毎日いつでもピカピカに!」とかハイレベルな望みを持つと、体力的にも経済的にも精神的にもしんどくなるので、わが家のようなズボラ小市民としては「ほどほどていねい」なぐらいがちょうどいいねと。市販の離乳食も家事外注サービスもお掃除ロボットも、必要だと思ったらためらいなく使うけど、普段、自分たちでやれることは分担してやる。毎日高級食材にこだわったりなんかしないけど、たまに知り合いのご縁とかで物語のある美味しい食材を取り寄せて「おいしいね」と言って一緒に食べたり、そんな感じ。

②なりわい: もてるものを活かしあう

会社務めでの仕事に限らず、複業としての仕事や、友人たちと行うちょっとしたボランタリーな企画やプロジェクトなどなど…他人とチームをつくって一緒に取り組むなかで、自分たちの持てる力を生かして何か新しい価値を生み出す活動を「なりわい」と呼びました。

自分一人ではない、関係性のなかでこそ生まれるもの、ある種自分も全体のなかの一つの"歯車"であり、お互い様でやっているわけだから、なるべく気持ちよく、自分のエネルギーが活きる場所や役割の中で働きたいし、一緒に何かをするチームメイトに対しても、その人の良い部分を引き出して活かしていけるような、そんな風に働いていきたいですね、と。

そういう働き方に向かっていくことを、夫婦お互いに応援したり支え合ったりしていきたい。

③かぞく: たがいに尊重する、ミカタである

かぞくとそれ以外のつながりは何が違うのだろうか。

もしかしたら明確な境界線というのはないのかもしれない。

家族だって、いざというときには離れることを「選ぶ」ことだってあるだろう。仕事だって、「嫌なら辞める自由がある」といったって、好き嫌いだけで簡単に切ったりできないつながりや責任というもの生まれてくる。

それでもやっぱり、かぞくというのは、「好き嫌い」とか「選ぶ選ばない」の範疇を越えて、相対的に分かち難い絆(きずなとも、ほだしとも読む)でつながってしまうもの。

だからこそ、好き嫌いとか、いい悪いを越えて、互いの存在を尊重すること。そして、いつでも味方であるということ。

家族と言っても別の人間。それぞれの価値観ややりたいことが違ったり、それぞれに試練や困難が起こったりするんだけど、でもとにかく「味方である」、あり続けるというのが、きっと大事。

④こそだて: 人生クエストを、全力応援

かぞくとも繋がるテーマではあるのだけど、やはりわが家に生まれた子どもたちに対して、親としてどんな風に向き合うかというのは、また別個の問題としてちゃんと考えた方がいいよね、という話になったのだけど。

議論の余地なく、パッと出てきた言葉で二人のスタンスはぴったり一致。

自分とは違う人生を歩んでいく子どもたち。これからどうなっていくのか、親であってもわからないけど、何に出会って何に没頭するとしても、その挑戦を「全力応援」したいねと、親である自分たちは、子どもたちの一番の応援団でありたいねと、とにかくそんな気持ちです。

⑤おかね: ここちよさをつくる、つかいかた

もっと若くて独身の頃は、自分の日々の暮らしだけを考えてお金を使っていたけど、30歳になり、ちょっとは稼げるようになり、結婚したり子どもが生まれたり、チームのスタッフやら後輩やらができたり、友人や家族のライフステージも変化したり…と、自分ではない他者のためにお金を使う場面が増えてきた。

金は天下の回りものということわざもある。ケチケチするのではなく、自分や、周囲の人たちが気持ちよく過ごせるようになるためや、困っている人を助けるためにお金が役に立つのなら、惜しみなく使える心持ちでいたい。

一方で、子どもが生まれて、彼らの将来の安心・安全を考えると、目先のことだけを考えて無尽蔵に使うわけにもいかない。かといって、貯金をしたり資産を増やすこと自体を目的化すると、我々夫婦の性格・価値観的にしっくりこないし、たぶんうまくいかないだろうなという感覚がある。

だからたぶん、使うか貯めるかという二択ではなく、貯めたり増やしていくことも含めて、それが自分や関わる人たちの、今と未来の「ここちよさをつくる」ための使い方かどうか?ということが大事なのだろうと思う。

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…という風な感じで、第1回の家族会議は、ツマ・オットそれぞれが大事にしている価値観を共有し、それを一緒に生きていくための「ポリシー」として言語化していく試みとなりました。

次回以降は、これを踏まえて、子育てにまつわるイシューとどういうスタンスで向き合うのか?直近1年での重要トピックが何で、どんな風に対応していくのか…などなどを、ひとつずつ話し合っていこうというところで一区切り。

やってみるとこれ、楽しいですよとっても。

In essay Tags pair

暮らしの投資

July 16, 2018 Yuhei Suzuki
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「別に今でもそんなに余裕があるわけじゃないけど、毎月の家賃や食費もギリギリだった4,5年前と比べると、少し先々のことを考えられるぐらいにはなってきたね」

昨日の夕方は友人の結婚披露宴にお呼ばれしていて、同じテーブルになった4人でそんな話をしていた。新郎含めた彼らとは、出会ったタイミングが微妙に違うものの、だいたい6〜7年ぐらいの付き合いで、田端のとあるシェアハウスの住人だったり(正確には僕だけ住んでないのだけど東京に家がない時期にしょっちゅう泊まっていた)、東日本大震災のあとに一緒に東北に行っていたり、大学にいた期間が通常より長かったり、誰一人一般的な就職活動をしていなかったりと、そういうあたりで共通点があるつながりなのだが、まぁとにかく当時はカネがなかったのだ。

それが、気がついたら30歳を向かえており、それぞれに結婚をしており、おやまぁなんとって感じ。仕事の方は、会社に務めたり会社を興したりお医者さんになったり変わらずフリーだったりパラレルだったりそれぞれなんだけど、一応は自分の職能でもっておカネをどうやって稼ぐかがわかっていて実践できるようにはなっており、月々の家賃や食費に不安を覚えるようなことはなくなった。むしろ、自分だけで食っていく分には別に困らないんだけど、家族やチームや会社、かかわる人たちと持続的に今後も働いて暮らしていくには今からどうしておけば良いのか?ということが悩みどころになってきていて、つまり僕たちのなかに、ようやくまともな「投資」という物差しが備わってきたと言えるのかもしれない。

この日話題の中心になったのは、家とか土地とか、つまり中長期的に「どこで」住むのかという話。

地元で土地と家を安く買えるかもしれない話とか、ニュージーランドの人はライフステージに応じて家を替えるのだけど、ちゃんと手入れをして購入時より価値を上げて売るから家計収支としては全然ペイするんだという話とか。さすがにそんな金がいま即日キャッシュでポンと出るほどの経済状況ではないのだけれど、それでも短期的に仕事の量を増やして一気に貯蓄をつくるとか、ローンを組むとかといった、ちょっとした「踏ん張り」によってまったく不可能ではないぐらいのオプションにはなってきた。

2年前にこんな記事を書いた。カネがなかった頃の話だ。

この中で、卒業直後のカネがなかった頃に、企業にちゃんと就職した同級生たちは新卒一年目から資産運用の話をしていて、そんなものが基礎リテラシーとしてもう備わっているのかと内心仰天したものである。

いまもまだ、投資信託みたいな、まとまったお金を運用して増やす、みたいなことをしている/できる状態ではないのだけれど、それでも、もう少し広い意味での投資…生まれてきた子どもの将来を考えてお金をどう使ってどう積み立てていくか、どこに住んで家をどうするのか、自分がいまやっている仕事の中長期的な成長に向けて、いまどんな人を採用して、どういう計画で育成していくのか、歳をとって自分自身の体力は衰えていくなかで、いまどこに労力を投下するのか…などといった、ちょっと長い物差しを持てるようにはなった。

振り返ってみても、昨日同席したメンバーそれぞれ、当時はそうせざるを得なかった何かがあったのだろうし、仮にもう一度人生やり直したとしても、そんなに器用に立ち回れなさそうだ。結局キャリアとか暮らしとかおカネというものは、自分にとってしっくりくる付き合い方を、試行錯誤しながらつかんでいくしかないように思うから。

ま、30歳成人説ってことで、ちょーっとだけオトナになりましたか、私たち。

In essay, diary Tags roadside-economics, diary

誰かを動かすために「書く」わけじゃなかった

July 16, 2018 Yuhei Suzuki
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生みの親であるお父さん・お母さんと一緒に暮らしているということが、仮に”標準的な”家庭環境だとして、それに該当しない形態で暮らしている子はたくさんいる。僕たちが小学生・中学生だった頃の同級生にもいたし、そういう子の家族構成は、なんとはなしにクラス内で知られていたりする。本人が自分から話すこともあれば、授業参観で誰が来るか/来ないかという視覚情報から感じ取ったり、聞いてもいないのに自分の親から「○○くんのお家はお母さんがいないから…」というレクを受けたりして、「そういうこと」が暗黙の共通認識となっていたのだと思う。

当然ながら(と、教育を受けた今は言えるのだが)、生まれ育った環境が標準的かそうでないかということと、その子が幸福か不幸かということは、一致しない別の話であるし、ましてや他人が表層からジャッジして良いことではない。

ところが、標準外であることと「かわいそう」が一足飛びに結び付けられて、本人とかかわりもない人たちの間で勝手にその評価が定着する、ということが、世間では割と簡単に起こってしまう。

“おじいちゃん、おばあちゃんと三人で暮らしてるんよ
友達にそう伝えると、その話は小さな田舎町に一瞬にして広がっていきました。気づけば、知らない大人からも「かわいそうな子 だ」と言われるようになったんです。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/
"生きづらさ"もちゃんと見つめたい。だって私の大切なアイデンティティのひとつだから。親との関係に苦悩した子供時代を経て、菊川恵さんが気づいたこと | soar(ソア)

たとえば僕がそういう境遇にあって、周囲の大人からは「かわいそうね」と言われていることも知っていたとして、そんな大人たちに何か言い返すことができただろうか。「自分はかわいそうなんかじゃない!」と叫んでみたならば、かえって意地になっているようだし、冷静に「いえいえみなさん、僕はこの家で幸せに過ごしてるんですよ」と説明してみたところで、自分たちへの興味もかかわりのないところで噂を立てる大人なのだから、発言の中身をまともに聞いてくれそうもなさそうである(そもそも小さい子どもの頃にそんなに器用に立ち回れそうもない)。

他者との対話・接続を期待できないとわかったとき、ことばは空虚で無力だ。

いくら言葉を投げかけても反響が返ってこないなら、最後は自分と対話するしかない。ことばは内に向かう。

他にどうしようもないから「書く」。

体験したことはまったく違えど、「書く」ことに向かった必然性というのは、案外似た経緯だったかもしれない。

上述のコラムを寄せてくれた菊川恵さんとの接点は、僕にも言葉のどもりがあり、「うまくしゃべれない」時期があったことについて書いたエッセイだった。

吃ることが「いいこと」だなんて、思えなかったあの頃 | アパートメント

それを読んでくれた彼女が、「私もです」とTwitterで話しかけてくれて、今度ご飯でも食べながらお話しましょうかということになった。

直接会ったときに、何を話したのかあまり覚えていないが、今に至るまでの生い立ちについてはお互いそれほど語らなかったと思う。「なんらかあったんだろうな」という感覚はしたが、それ自体を掘り下げることをその場で必要と感じなかったので、他愛のない話をしながら過ごした。

“わたしはちょうどその頃から、声が出づらくなったり、どもったりするようになり、日常生活を不自由に感じるようになりました。 授業中に当てられても、答えがわかっているのに、答えられない。友達と話している時に、面白い話が思い浮かんでも、口に出せない。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

吃りの症状を含めて、彼女自身の生い立ち、どんな変遷を経て今に至ったのかの詳細は、soarのコラムを通してはじめて教えてもらったのだけど、食事をしたときに急いで聞いたりしなくて良かったと思う。断片ではなく、ひとつながりの「物語」として、話し言葉ではなく、書かれたテキストで受け取るべきものだったから。そして、「書くこと」が彼女が生きる上でのひとつの柱となっていること、それは僕にとっても同じであるということを、「やっぱりそうだよな」と改めて知らしめてくれるものだったから。

今では紙の日記に書き留めるだけでなく、書いたものを誰でもいつでも、全世界に向けてインターネットで「発信する」ことが出来る。毎年・毎月、たくさんのメディアが生まれ、個人の発信力を高めることの重要性が説かれ、それらをテコにしたビジネスが生まれていく。

いかに他人に「影響を与える(influence)」かが強調される。

「書くこと」は、それ自体が目的なのではなく、発信のツールである、他人や社会に影響を与え、動かすという目的に従属するものである、と言われているかのような気持ちになる。

そうした道具としての側面を否定はしないが、「書くこと」の理由や意味や目的、それから私たちが生きる上で「書くこと」によって与えられるものというのは、果たしてそれだけだろうか。

少なくとも僕や彼女にとっては、「書くこと」というのは、「発信」や「影響」のために始めたものではなかった。

もっとのっぴきならない、自分が生きていく上で、それ以外に突破口がないかのような切実性から始まったことなのだろうと思う。

“そうやって誰にも話せなかったことを、日記に書くようになりました。文字だったら、自由に話せる。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

誰かを動かすとか世界を変えるとかそんな大それたことを考える余裕もなかった。むしろ、誰かに見せようものなら「気のせいだよ」「考えすぎだよ」と突き返される。

動かしがたい現実や、言葉にならない自分の感情、痛みを、どうにか触れられるかたちにして折り合いをつけたい。そういう微かな、抵抗とも祈りともつかない行為だった。

“書く作業は、必然的にひとりになります。ひとりで自分と向き合う期間を長く取れたことが、わたしの心の回復を早めたように思い ます。「生きづらさの中で編み出した工夫」が、同時に自分自身を救ってくれていたのでした。”
— https://soar-world.com/2018/05/31/megumikikukawa/

書くことに対する(不器用な)切実さは、今ではだいぶ失われてしまった。それは、「書くこと」以外の引き出しを得たということでもあるし、「書くこと」がなくても生きていける暮らしの安定を得たということでもあるのかもしれない。

少し寂しくはある。

これから生きていくなかで、「書く以外に道がない」ような困難に、またぶつかることがあるだろうか。
未来のことはわからないけど、もしそうなったならば、「生きづらい自分」のことを、彼女のようにちゃんと大事にしてあげようと思う。

In essay Tags narrative, menherasan-no-sustainability

オトナの自由を実感するとき

July 15, 2018 Yuhei Suzuki
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暑い日に立ち寄ったセブンでアイスコーヒーをラージサイズにしたり、スーパーに食材を買いに行ったついでにハーゲンダッツをカゴに入れたり、ランチにビールやワインをつけちゃったり、披露宴から二次会会場への移動に大した距離ではないけど疲れるからとタクシー捕まえちゃったり、そういう日常のちょっとしたプラスオン出費をするときに、僕は同行者に対して「オトナだから」と、言い訳なのかなんなのかよくわからない定型句を発することがあるのだけど、つまりそういう衣食住の余分な部分において選択権を持つことが出来るようになったのがオトナの楽しさである。我ながらスケールが小さい。

他の家の子とか、現代っ子たちは違うかもしれないけど、子どもの頃は、そういう「日常の些細な贅沢」というのは、なけなしの小遣いを貯めてようやく買えるものであったり(それでも総額所持金は少ないので一個の贅沢のインパクトは大きい)、親に頼んで買ってもらうものであったり(そこにはなんらかの"理由"が要る)、そもそも年齢不相応でオプションとのならないものであったりするから(お酒は飲めないし、タクシーに乗る場面がそもそもほとんどない)、決して日常でも些細なことでもない、ちょっとした非日常の冒険である。

子どもが贅沢を「選べない」のは、そもそも自分でお金を稼いでいなかったり、自己責任のもとお金の使途を判断しマネージする能力が育っていなかったり(ゆえに保護者が代行する)ということなのだと思うが、子どもかオトナかという線引きも、よく考えると極めて曖昧なものなので、もう少しケースバイケースで、子どものうちからでも自律選択可能な事柄については、子どもに任せちゃっていいのではなかろうか。

自分が「オトナ」になってからというもの、未成年でも自分の職能で立派にお金を稼いでいたり、自分でそれぞれの選択肢を吟味して進路を選んでいたり、そういうしっかりした次世代の子たちに出会ってきたが、そこまでのレベルでなくとも、親子でルールを決めて「家庭内通貨」を作ってしまうとか、子どもが自らの責任とアクションで「選択権」を得られる幅は、僕が子どもの頃よりもうちょっと広げてあげたいなと思ったりする(ムスメ、まだハイハイもしないけど)。

もう一個、オトナの権利として、一定働いたら「有給休暇」が付与されるじゃないですか。明日は有給使って休んじゃおっかな、温泉でも行こうかなみたいな。

子どもは、よっぽどの熱が出るとかしないと学校は毎日5-6時間朝から夕方までみっちり参加、みたいなのが前提になっているけど、子どもにだって「有給」があってもいいじゃないのと。1日2日休んでも家庭学習・自主学習でキャッチアップできます、あるいは小テスト・レポート提出で代替します、みたいな条件付きで休んでいいみたいなやつ。

っていう話をツマにしたら、最近は「げんきやすみ」って言って子どもを平日に遊びや旅行に連れていったり、どこかに出かけるわけではないけどちょっと休んで元気チャージするようにしている家族もいるよーって。なんだ、もうあるのか。いいじゃん「げんきやすみ」、響きがいい。子どもが大きくなったらそういうの積極的に導入していきたい。

In essay, diary Tags roadside-economics, diary

お風呂の水と戯れるムスメ

July 13, 2018 Yuhei Suzuki
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ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。

たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。

あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。

赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。

「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」

とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり

「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」

みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか

「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」

みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか

いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。

もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。

遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。

外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

#23「ツマと、KPT: 6月の家族会議」2018/07/08

July 8, 2018 Yuhei Suzuki

KPT形式で一ヶ月を振り返る、スズキとヨシダの家族会議、6月分です。

…もう7月ですけど。暑いですね。

(以下は前回記事)

#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02 — 閒-あわい- 


5月の振り返り結果のKPTがこれで

6月はこちらでござる。

ツマ「6月のよかったこと、Keepしたいことはなんでしょう」

オット「うーん、相変わらず、自分たちでKeepできる話ではないんだけど、まぁよかったこととしては、いちかの離乳食が始まって、特に問題もなく順調ですね」

ツマ「なんの抵抗もなくすんなりもぐもぐ食べる、うちの子」

オット「何よりだ。あと僕は土日割とちゃんと休めるようになってきた感がある。ほぼ寝てるだが。」

ツマ「そうだね、特に6月の後半から」

オット「あとは、3人で外食行っても、ある程度いちかが自分で座って過ごせるようになったり、家でも一人遊びが出来る時間が長くなったり、そういう変化がありましたね」

ツマ「じゃあ次、Problemなんかありますか」

オット「相変わらず胃腸が弱い。ビオフェルミン飲んでるのに。もうこれは一回胃腸のあれやこれやをしかるべき診療科で診てもらった方が良いのではないか」

ツマ「ようやく気づいたかい。行ったほうがいいよそれ。7月のTryで」

オット「消化器内科的なアレを予約するがんばる。ゆりさんどうですか、なんかPありますか。大学院の研究とか」

ツマ「それはね、もう、全然ダメ、進まない」

オット「お、おう…」

ツマ「まぁそれはいいんだけど、他にも色々忘れないようにメモしておいたわけよ。こないだ、ライフプランニングのモニターやったでしょ」

オット「うん」

ツマ「でね、子ども何人産むとかそういう色々これから決めるべき論点があるわけだけど、ゆうへいとチャットしてて、『あ、これ全部わたしの意見通りそうだな』って思って、それがちょっと怖い」

オット「あー、なるほど…」

ツマ「なんかゆうへい、『まぁゆりさんがそういうならそれが良いんだろう』的になってるのかもしれないけど、こうもうちょっと自分の意見出してっていいんだぜ的な」

オット「うーむむ」

ツマ「あともう一個は、保育園のこととか、プロジェクト的に進めていくと動いてはいくんだけど、一家の出来事から離れていっちゃわないかという懸念はある」

オット「そだね。そちらは今月あまり動けなかったのだけど、そもそもが家庭の問題を、周囲とも相談したり助けを求めたりしながら、どうやってしっくりいく選択肢を作ったり選んだりしていけるのかというのがもともとの問題意識だったので。なので、こないだから話してたような、このKPTとは別の『幸せ家族会議』的な、もうちょっと家族運営を全体的にこれからどうしていきたいのかゆっくり話し合う場を設けたいのだ」

ツマ「じゃあそれは7月のTとして、やろう」

オット「やるぞー」

ツマ「あとねぇ…これは今のところ解決策が出てこないんだけど」

オット「なになに」

ツマ「やっぱり自分の時間がアンコントローラブルであるということ自体のストレスというか、モヤモヤは時たま感じる。別に日頃からイライラが溜まるような状態でもないし、その瞬間瞬間は平気なの。自分の作業してるときにいちかが目覚めて、作業が中断してってときに『あーもう!』とかなったりしないのよ。『あ、目覚めたの、そうかそうか、じゃあおっぱいあげましょう』的な、その瞬間は平気。でもこういうのって子ども生まれる前の自分にはなかった状況だから、ふとした時にそれを自覚して、モヤーみたいな」

オット「それは、そうだよねぇ。うーん、まぁちょっと、完全にゼロにはできないとしても、もうちょっと思い切って豪快に預かりサービス使っていくとか、札束で殴って解決できる余地があれば惜しみなくやっていけたらと思うけど」

ツマ「なんかね、その申し出はありがたいし、実家に預けるとか、シッター使うとか、やろうと思えばできるし、それでまとまった時間もある程度確保できるんだけど、量の問題じゃないっていうか。その、自分の自由を確保するために、自分の意思ひとつで決められないこと自体のストレスっていうのかな、追加のコストを払ったり、誰かと相談・調整しなければならないっていうこと自体が、産前はなかったわけじゃない?」

オット「あぁ、それは確かに、そうだよなぁ…うーん、どうしよねぇ」

ツマ「まぁでも、ひとつは自由時間を確保できる度合いを極力増やすアプローチ、もうひとつは認知行動療法的に、そういうことにストレスを感じる自分の考え方自体をほぐしていくアプローチか、大きくはその2つしかないわけで。まぁ一時的なものかもしれないし、来月ゆうへいが有給でプチ育休取るから、それで二人がある程度同じ経験をすることで楽になる部分もあるかもしれないし、まぁちょっと様子見かなぁ」

オット「そうだねぇ。まぁちょっと今月も来月も様子見ながら相談しながらだねぇ」

In essay Tags pair

#22「ツマと、KPT: 5月の家族会議」2018/06/02

June 2, 2018 Yuhei Suzuki

本当にちょっと最近多動みが増していて、その分いろんな物がポロポロ溢れるんですが、会社のスタッフにもツマにもほんと生活支援を受けてる感じです。一時期は妖怪人間よろしく「早く人間になりたい」とか言ってましたがだんだん開き直っているんじゃないかっていう。

さておき、KPT形式で一ヶ月を振り返る、恒例の家族会議note、5月分です。

(以下は前回記事)

#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13 — 閒-あわい- 


4月の振り返り結果のKPTがこれで

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今回、5月分がこちら↓

オット「5月は、いちかの託児デビューでしたね。ファミサポとキッズライン。ゆりさんの用事があって僕が在宅ワークできない日が2回あり」

ツマ「ファミサポさん、すごくありがたかったけど超ギャン泣きして、結局わたし早退して迎えに行くことになって、ファミサポさん宅の息子くんも戸惑ってて、ちょっといたたまれない気持ちになった苦笑」

オット「キッズラインのシッターさんのときも、受け渡しのときは人見知り発動してギャン泣きしてたけど、そのあとは割といい感じだったみたい」

ツマ「まぁ結局は人と人なので、大丈夫なこともあれば、4時間泣き続けることもあるのさ」

オット「せやな。まぁ今後も必要に応じて外部の力を借りていこう」

ツマ「さてさて、5月のよかったこと・Keepしたいことはあるかな」

オット「んーとね…読んでる人に心配されるぐらい、毎月『オット疲れてる』とか書いてたけど、5月はちょっとマシになってきた感」

ツマ「よかったじゃん」

オット「忙しいんだけど、チームが立ち上がってきてみんなしっかり者さんだから、苦手な仕事とかまるっとお願いできるようになった。書類とか進行管理とか書類とか進行管理とか…」

ツマ「感謝だねw」

オット「理解ある職場。編集長への合理的配慮」

ツマ「私も大量の名刺をゆーへーのeightに取り込むのやったよ」

オット「もうそれほんとありがとう。うず高く積み上がっていた名刺の山に絶望していたから。今日、そのことを編集部のスタッフに言ったら『最近ゆーへーさんの机から名刺の山なくなったと思ったらそういうことだったんですね』って言われたw理解ある家庭。生活支援受けてる感じ」

ツマ「でも5月は床で寝落ちする頻度増えたね。何回も声かけてるんだけど『うーん…』っつってそのままだよね。私も途中で諦めるw」

オット「先月より退化している…」

ツマ「そして布団をしまわなくなったね」

オット「ひぃ、すみません」

ツマ「あと、ダイエットカレンダーつくったのになかなか○がつかないね」

オット「今日こそやる…このnote書いたらやる…」

ツマ「Amazon Primeで好きなの観ていいってご褒美つけたのにね。強化子として弱いんじゃない?」

オット「睡魔に勝てない、全然勝てない。というかなんかこう、欲が薄いからトークンエコノミー向いてないんだと思う」

ツマ「私はなんかProblemあるかなぁ…大学院の先生に頼まれた本の原稿がほんとに全然進まない…w」

オット「原稿進まないのわかる」

ツマ「ていうか、何も進まないうちに一日が終わる、みたいなのが多すぎて。わたし日々ほんと何して過ごしてんだろw」

オット「何してると言われてもwうーん、なんかとりあえず夫婦で日報でも出し合う?w」

ツマ「日報wじゃあフォーマット決めてくれたらやる」

オット「まぁそもそもいちかを見てもらってるから、手が空くタイミングって一日で限られてると思うけど」

ツマ「まぁ家事とかお散歩は別にいいのよ。困ってないし」

オット「昼間、原稿進められるとしたらまとまってお昼寝してる間だよね。そのチャンス何回ぐらい来るの」

ツマ「一日に2,3回あるんだけど、寝たとしてもその間の時間全部フルに有効活用できるわけじゃないじゃん。いちかが寝たタイミングと、私の原稿やる気スイッチが両方揃うとは限らないじゃん」

オット「1時間2時間あっても実際に書く時間って一部だよね。わかる…w」

ツマ「寝かしつけたあとも、寝たかなーどうかなーって見守るロスタイムがあるのよ。その間はベッドで添い寝した状態でTwitterとかして時間つぶすわけ。で、完全に寝たあとにすぐに執筆が進むかというとそうじゃないし、で、ようやく乗ってきたなというときにまた『ふぇ〜』って目覚めたり、そんな日々よ」

オット「もうあれだ、毎日はさすがにお財布きついけど、週に1回ぐらいキッズライン使う?その間ゆりさんはカフェで原稿書くの。あと俺は、夜いま空いてる日程はブロックして早く帰れるようにする」

ツマ「それはありがたいけど、でもさぁキッズラインで3時間預けたって、さっきも言ったけど3時間進むとは限らないわけじゃん。1時間分も進捗するかどうかわからないみたいな時間に、シッター代をそんなに払って良いのだろうか…」

オット「いやもうあれよ、原稿書きってそんなもん。乗ってこないなーっていう1,2時間も含めて助走期間として必要なわけよ」

ツマ「そんなものかなぁ」

オット「そんなもんだ。…と、自分の筆が重いことの正当化をしてみる」

ツマ「今月はゆーへーも原稿溜まらないといいね」

オット「最近スタッフからのリマインドの頻度が上がって容赦ない感じでお尻叩かれているからちょっと早くなってきている…気がする」

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#21「ツマと、KPT: 4月の家族会議」2018/05/13

May 13, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメは生後4ヶ月を過ぎ、今のところ大きな病気もなくすくすくと育っている…というか標準よりぽっちゃr…いやおデブちゃんと言っても良い、すでに8kgを突破し、むちむちのちぎりパンナちゃんでございます。

3月に引き続き、KPT形式で4月を振り返る、家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07 — 閒-あわい- 


ツマ「4月の振り返りと言いつつ、もう5月ですね」

オット「そうですね…(白目」

なんかもう多忙でした。4月の記憶あまりない…

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ツマ「まぁ、振り返りますか、4月を…」

オット「まず、良かったこと、Keepしたいことから。まぁあれだね、僕はさておき、ゆりさんといちかは元気だね、良いこと」

ツマ「そうよ、私たちはいつでも元気」

オット「帰り遅くてワンオペDay多くなってすまん…感謝である、あとヤクルト」

ツマ「ヤクルトねw胃腸良くなった?」

オット「うーん、良くなった気も…?」

ツマ「気持ちが大事」

オット「あとはあれだ、帰りは遅いけど、家帰ってから変に悪あがきして夜中仕事しようとしなくなった、諦めて寝るようになった」

ツマ「それは大きな進歩だね。『いや、もうちょっと仕事する!』って言ったあと絶対寝落ちするもん。諦めが大事。あとは、いちかをあやす時の歌のレパートリーが増えたね。なんか変な歌ばっかりだけどw」

オット「センスのない即興ソングwうーん、じゃあProblemは?」

ツマ「特にないなぁ…あんまり問題だと思ってないけど、眉毛描くのをサボるようになったw」

オット「それはまぁ、任せる…」

ツマ「あと、来月の離乳食スタートを考えるとさすがにこの一人暮らし用冷蔵庫では小さい気がしてきているよ」

オット「それは重大な問題。来月のTで解決しよう。俺はあれだな、寝るの早くなったけど、布団敷く前にいちかのマットで寝落ちすることが相変わらず多い」

ツマ「それはもうドンマイとしか」

オット「あとはねぇ…いちかがデブいw」

ツマ「もう8kg超えてるからねぇ。スーパーに買い物に行く度に、その辺のおばちゃんから『まぁポチャポチャでかわいいわねぇ』って言われてぷにぷにの足を触れれているよ」

オット「それはもう、客観的に見てデブってことだなw」

ツマ「まぁ、運動できるようになればシュッとするでしょう…先生も『今は別に大丈夫でしょう』って言ってたし」

オット「せやな…じゃあ最後、Try」

ツマ「先月はゆーへーがんばったね。本棚整理して、クリーニング出して」

オット「どっちもほぼ4月最終日だったけどな…」

ツマ「やりきったことが大事。えらい」

オット「とりあえず、さっきPで出てきた冷蔵庫の買い替えはマストね。あとは、壊れたっきり放置しているけど、新しいデジイチを買いたい。あといちか用の口座もつくろう、そろそろ…」

ツマ「じゃあその辺よろしくw5月はふたりとも用事あって託児利用する日があるし、それも新しいTryだね」

オット「相談したら助けてくれる人たくさん現れて、ありがた限りです。来月も…ていうか今月だけど、がんばりましょう」

ツマ「ほどほどに」

おまけ

オットの胃腸を気遣ったツマがヤクルトを買ってくれたおかげで、大量のヤクルト空き瓶ができまして、それを使ってツマがムスメの遊び相手をつくりました。で、オットが命名。

トミー(左)と

ジミー(右)と

安田(中央)です。

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今後ともヨロシク…

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いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」について

May 12, 2018 Yuhei Suzuki
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パイセン「ゆーへー、子育てどうなの。うんち拭いたりしてんの」
僕「いやそりゃ拭きますよ。あんまり遭遇頻度高くないっすけど」
パイセン「へー、そうなんだ、えらいね。俺は無理だ、うんち出てたら奥さんに『うんち出てるよー』って言うw」
僕「それ完全にTwitterでdisられるパターンのやつじゃないすかw」

…というやり取りを先日したことを思い出しながら、今朝はムスメ(4ヶ月)のうんちを拭いていた。

いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」については、結論としては「拭けよ」の一択だと思うので、別にそこを論じるつもりはないのだけど、そういう僕も、ムスメのうんちと遭遇して拭いたのが実に1ヶ月ぶりだったわけで、オムツをご開帳して久しぶりにあのネチョッとした、赤子特有のうんちと対面すると、やっぱりこう「うぇっ」ってなるというか、まだどうにも非日常感があるというか、気合を入れて向き合わなきゃならん感じがする。

っていう話をツマにしたら、

ツマ「回数重ねるとうんちとかいちいち見ないから。考えずにサササーッと拭いてポイよ。慣れてないと怖いもの見たさ的にまじまじと見つめちゃうから気持ち悪くなるんだよねー」
僕「そうそう、直視しちゃう。で、言う通り毎日やってたら慣れるんだろうけど、慣れるほどの頻度でうんちと遭遇しないと『うぇっ』ってなった記憶だけ残るw」

という会話になり、いわゆる「旦那がうんちを拭かない問題」は、単にそういう接触頻度の問題なのでは?と思った次第。

広告表現的に言うとインプ足りてないよ問題である。

うちのムスメの場合、バラツキがあるものの、日記を遡るとだいたい9-15時ぐらいの間にうんちが出ることが多く、なおかつちょっと便秘気味の子であり、僕も土日にも仕事が入ることがあったりして、普通にしてるとどうしても家にいる時間帯にうんちと接触する頻度はツマより低くなる。もちろん家にいる時にうんちと遭遇したら拭くんだけど、まだちょっとあのネチョっと感には慣れないw

夫…じゃなくても良いんだけどパートナーのうちどちらか片方が長時間働いていてあんまり家にいない場合は、うんち拭きが「非日常」なままで慣れる機会を持ちにくく、「出来ればうんちは拭きたくないなー」と内心思いながら日々を過ごし、ほんでもって珍しく留守番になった日に限ってうんちがぶりっと出るものだから、おろおろしちゃって妻が帰ってくるまでうんち拭かずにオムツそのまま→帰ってきた妻が「マジかよ」って頭を抱える→Twitterでdisられる、みたいな流れになってるとちゃうかなぁ、と。知らんけど。

とはいえ結論は冒頭言った通り「拭けよ」の一択であると思うので、頻度少ないならなおのこと、夜でも休日でも、貴重なうんち遭遇機会をパパ勢は無駄にせず拾っていくのが夫婦円満のコツなのではと思う。私もまだ両手で収まるぐらいしかうんち吹いてないけど。

(サムネのうんち君はツマが描いた)

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#20「ツマと、いちかと、いつか on 5日〜かしわ餅の葉っぱは食べない〜」2018/05/05

May 5, 2018 Yuhei Suzuki

夫婦の食卓日記「ツマと、」記念すべき第20回。

今日の来客は井上いつかさん。フリーランスの言語聴覚士さんです。

ムスメと名前が1文字違いってことで完全にこのタイトル言いたかったありきですが、いつものように食卓トークとお絵描きをどん。

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いつか「こんにちはー」

オット「ほらほら、いっちゃん、お客さんだよー。いちかmeetsいつか」

ムスメ「ふ、ふぅええぇ〜」

いつか「あぁごめんねぇ」

オット「いっちゃん泣くの早い早い。大丈夫だよいつかさんは。名前似てるし、鎌倉住んでるし」

ツマ「なんで鎌倉w」

オット「鎌倉住んでる人に悪い人いない理論」

ツマ「今日は子どもの日だからかしわ餅を買ってきたよ。ちょっといっちゃんにおっぱいあげて寝かせてくるから先に2人で食べといて」

オット&いつか「いただきまーす」

…(ツマ、戻ってくる)

ツマ「さー、私も食べよ。ゆーへー、ピンクと白、どっちが味噌でどっちがあんこだった?」

オット「え?」

ツマ「いやピンク食べてるじゃん。味噌だった?あんこだった?」

オット「えーと…どっちだろ。餡だね、餡」

ツマ「いや、餡ではあるけどもw」

オット「なんか葉っぱが筋っぽいなと思いながら食べてたから味に関心がいかなかった」

いつか「そういえばゆーへーさん葉っぱまで食べてたね」

ツマ「桜餅と違ってかしわ餅は葉っぱ食べないよ、塩漬けしてないし」

オット「そうなのか…学びだ」

いつか「そういえば前回の家族会議読んで、ゆーへーさん片付け苦手なら手伝おっかなと思ってたけど、本棚キレイになってる」

オット「なんとか月末ギリギリ4月30日に移転を完了した」

ツマ「床はとっ散らかってるから、そこの扉の裏覗くとすごいよw」

いつか「…えー、でも十分キレイ十分キレイ。私の家も本がうず高く積み上がってる」

オット「本を読むスピードより買うスピードの方が早い問題。あと書類とか名刺の管理が壊滅的に下手、生きづらい」

いつか「呼んでくれたらいつでも片付けに行くのに。他人の部屋の掃除とか楽しそう」

オット「いや俺もね、片付けなきゃいけない気持ちはあるの。ここをこうすればいいみたいなのもだいたいわかるの。でもねー実行までのエネルギーが残らないんですねだいたいいつも。燃費悪い」

いつか「そう、私も燃費悪いから、最近ほんと、疲れすぎないの大事って思う。いまの週3勤務が限度」

オット「そう、疲れすぎないis大事。『やるぞー!』って高まった瞬間の行動力あるんだけど、なんかこうだんだんガス欠になってくるの。ほんで仕事増えていくペースの方が多いから『あぁ全然終わってない…』って絶望的になる」

ツマ「絶望しなくていいのにw」

いつか「みんなほんと、緩み配分どうしてんのか聞きたい」

オット「長年の謎」

いつか「えーでもゆーへーさん毎日フルタイムでそんなに働き続けてどうしてるんですか」

オット「いやそんなスタミナ続いてなくて、だいたい23時ぐらいになると電池が切れてそこのマットで寝落ちる」

ツマ「ほんとね、電池切れるみたいに動きがストップするの。着替えて布団敷いて寝なよーって言っても全然反応しない」

オット「絶対睡眠の質悪いのはわかってるんだけどもう一回電池切れるとね、そのまま目をつぶっていたい欲求がすげー強固になるの。てこでも動かん感じになる」

ツマ「私も途中で諦めてる」

オット「でも三十路になって如実に体力低下が目立つから睡眠とか食事とかちゃんとしたい。したさ」

いつか「今年は私も身体づくりっていうか虚弱体質脱出、したい」

「ツマと、いちかと、いつか on 5日: かしわ餅の葉っぱは食べない」2018/05/05

本日のおやつ

・かしわ餅

・いつかさんのお土産のクッキー

・いつかさんのお土産のコーヒー

上がいつかさん作

左下がツマ作

右下がオット作

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育休中スタッフが復帰後キャリアを考える上で、会社としてどのような機会が提供できるか

April 22, 2018 Yuhei Suzuki
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私とツマはいわゆる社内婚で、同い年なのだが入社年次がツマの方が2年早い。昨日はツマの代の新卒同期(12年入社)が久しぶりに集まって1日合宿的な集合研修をするということで、私は託児スタッフとして同行した。

川崎駅近くにある「創荘-SOSO-」という、築54年のビルをリノベしたコワーキングスペースで、なかなか小洒落た良い空間。大部屋でツマの同期と会社のHR(人材開発)の人たちが過ごし、私は隣の小部屋でムスメ(ちょうど4ヶ月)をあやしながらデスクワーク(娘と一緒に昼寝してしまってあまりはかどらなかったけど)、ワークの合間やランチタイムにちょくちょく顔を出しつつも、なるべくツマにはワークに集中してもらえるように、ミルク・おむつ・おもちゃ持参で参加。

会場への道中は、エルゴの中ですやすや眠っていたムスメだったが、到着後はさすがに情報過多で緊張したのか(人いっぱいいるしね)、小部屋で2人過ごしている間も、あんまり昼寝をしなかった。家に帰ったあとは早々に寝付いたけれど、まぁとにかく一日よくがんばってくれた。

ツマの同期に、この研修中の託児稼働を頼まれたとき、1にも2にもなくYESと返事した。産休に入る前にツマに言われた言葉が念頭にあったからだ。

“産休育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくて、ただ、コミュニケーションをとる相手が非常に限られてしまって、家事育児のスケジュールしか考えることがなくなるっていうことが、きっと産前産後の女性の最大の鬱要因であるということを、わかっておいてほしい。”

コミュニケーションの相手が限られること、家事育児以外のトピックが日常に占めるシェアが小さくなること、これは本当に大きな変化で、いくら夫などパートナーの側が家事育児をがんばったとしても、片方が育休を取り、もう片方が働き続けるという家庭運営モデルを取る限りは、2人の生活環境には大きなギャップが生まれる。

ムスメという新しいメンバーを家庭に迎えるということを、どう考えて、どうやって暮らしていくか、産前産後、折に触れてツマとは話をしているが、色々話したなかでも上記の言葉が私にとってはもっとも強く印象に残っていて、仕事を続けたり一緒に家庭運営をしたりする中で、一番気にしているポイントだと思う。

その意味で、今回の研修に際してツマの同期が、育休中のメンバーも含めて一緒に過ごせる機会をつくろうと考えてくれ、私に託児の相談をしてきてくれたことに感謝している(オットが勝手に思っているだけなのだけど)。

出産前後のドタバタからするとだいぶ落ち着き、最近ではツマや私の友人・同僚がちょくちょくわが家に遊びに来てくれる。「コミュニケーションの相手が増える」という点ではそれでもありがたいのだが、やはり、「家の外に出ていき」、会社で同じ時間を過ごしてきた「同期とキャリアの話をする」というのは、やはり質的に異なる時間だと思う。

うちもそうだが、育休をとったスタッフに対しては、職場復帰する前に配属先や働き方について相談する人事面談やなんかが設定されるのが通常だとは思う。

ただ、1年以上のまとまった期間を休んだあとに、「さぁ復帰後のキャリアはどうしましょうか?」と復帰直前の1回や2回の面談で考えるというのは、けっこう難しいという人もいるんではなかろうか。

昨日の研修に参加したツマは、「久しぶりに頭使って、楽しいかどうかっていうより、まず酸欠w」と言っていたけれど、やはり子どもと向き合っているときと仕事をしているときではだいぶ頭の使い方も変わってくるだろうし、頻繁にではなくとも、今回のように、働く上での価値観や経験を共有しやすいメンバーと一緒に語らう機会を、刻み刻み入れていけると良いかもしれない。

子どもを産んで、育休を取ることを「選ぶ」というのは、どうあれ人生の一定期間において、仕事から育児へとプライオリティをググッと寄せるということになる。

その期間をどうやって過ごしたいか、過ごすかは、人によって違うだろうし、上記はツマとムスメのそばにいる他者たる私が勝手に思ったことに過ぎない。育休中は極力仕事のことを忘れて過ごしたいという人もいれば、あまりに機会や情報がないと不安という人もいるだろう。

だけど少なくとも、育休中スタッフの「子育て」と「仕事」の断絶があまりに大きくなりすぎないように、本人が望んだときには「選べる」ぐらいの距離には、会社や職場との接点、なんらかのキャッチアップや思考の機会を設けられると良いように思う。

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経験した人同士でしか話せない、なんてさみしい

April 15, 2018 Yuhei Suzuki
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“親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。”

久しぶりに会った友人に進められて、山崎ナオコーラ『母ではなくて、親になる』を買って読み始めた(まだ3章ぐらいだけど)。読んでいて頷くところ多々。

たとえばここ。

“今、私は育児エッセイを書いているが、読者の育児経験の有無によって、文章の読みが変わるということはない、と思っている。もし、ただ経験と照らし合わせるためだけに文章というものが存在するのならば、文章を書くのはなんとつまらない行為だろう。”

そうそう、そういうこと、そうなんだよ、という気持ち。僕が文章を書いているのも、きっとそういうことなのだろう。

「子ども生んだらわかるよ」とか「これは子ども生むまでわからなかった」とか、そういう言葉はやっぱり世間に、身の回りに飛び交っていて、体験するまでわからないことの存在は否定しないし、実際に自分もその渦中にいるのだけれど、こと育児に関しては「経験」「体験」というものが、妙な権威というか圧迫感のようなものを帯びがちで、またそれによって「未経験者」が萎縮してしまうという反作用も、少なくないと思う。

“でも、出産してない人にも出産の話を、私はしたい。(中略)相手の経験の有無で話題を変える必要なんてない、とやっぱり思うのだ。”

経験した人だけにしか話を分かち合えないとしたら、それじゃあ私たちが他者と交わせる言葉の数は、ほんのわずかになってしまう。

実際、子どもを持ったとて、わからないことばかりだし、子どもを持った同士でも違う境遇や道筋を経て今に至っているわけで、授乳や睡眠時間ひとつとってもどれほど個人差があるかという話だし、生んだこと、親になったことによって、私たちはそうでない人と比べていかほど賢く偉いのかと言いたくなる。

別に共感してほしいわけでも、理解してほしいわけでも、解決策がほしいわけでもない。だけど私は書きたい、話したい。平均値とか普通を知りたいわけじゃなくて、自分の人生の出来事として、書きながら、手にとって、確かめていきたい。

そういうことって、あると思う。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme, narrative

#19「ツマと、KPT: 3月の家族会議」2018/04/07

April 7, 2018 Yuhei Suzuki

ムスメとの3人暮らしがはじまって2ヶ月が経ちました。あっという間に生後100日を越え、すくすく成長中。

先月に引き続き、KPT形式での家族会議の様子です。

(以下は前回記事)

#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03 — 閒-あわい- 


「オットが死にそう」というPに対してまったく有効な打ち手を見出だせず「がんばる」という結論に達しましたが、どうにかやっていきたい。

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------以下、家族会議の様子------

オット「さて、やりましょうか今月も、KPTを」

ツマ「もう4月1週目終わったけどね。3月振り返ろう。前回2月分どんなのだっけ?」

オット「これこれ」

ツマ「2月のKeep、みんな元気でよかったね、なんだけど3月はひたすらにゆうへいが死にそうだったからそれが一番のProblem」

オット「それは否めない」

ツマ「お互い疲れてそうなときに『ラッキーピエロ』っていうルール、もうなんか疲れすぎてて、途中から声かけすらはばかられる感じだったよw」

オット「年度末はあれだ、しょうがない。年度末だし、新規リリースもあったから。残り2人は元気だったから良しとしよう」

ツマ「私といちかはすこぶる元気だったよ」

オット「じゃあ今月のKeepは、ツマとムスメが元気ってことで」

ツマ「一人脱落した」

オット「まぁしかし、初節句にお食い初めと、すくすく元気に育ってなにより」

ツマ「毎日お散歩してるし、こないだは電車でお出かけデビューもしたしね」

オット「じゃあ、いちかすくすく成長もKeepで」

ツマ「Keepって言っても私たちがコントロールできるもんでもないがな」

オット「Keepを願う気持ち」

ツマ「気持ちの問題」

オット「あと、俺が死にそう以外のProblem何かない?」

ツマ「うーん」

オット「あれだ、本棚の移転が進まない」

ツマ「机を片付けたかわりに床にモノが広がっている」

オット「どっちも俺マターだ」

ツマ「あと、ずっと『クリーニング出す』って言ってた白のパンツが未だに出されていない」

オット「それ全部今月のTryで」

ツマ「ちゃんと片付けてね。白パンなんかもう、かれこれ3ヶ月ぐらい言ってる。出かけるときにひょいって出すだけじゃん。すぐじゃん」

オット「クリーニングとか宿やチケットの予約とか結婚式の招待はがきお返事出すとか、そういう細かいタスクがこの世で一番苦手」

ツマ「普段やってる仕事よりよほど簡単なのになんでできないのw」

オット「なんか先送りしちゃうんだよねぇ。いやほんとね、三十路になって言うのあれですけど、周りのみんなちゃんと社会生活営んでるのほんとすごいと思う。もうね、生きづらい」

ツマ「生きづらいねw」

オット「あと他ないの、Problem。ほっとくと夫婦の危機になるようなイライラの種とかないの(心配性)」

ツマ「んー…別にないなぁ。割と順調に子育てできてる。あとはほんと、ゆうへいの死にそうモードをどう解消したら良いのか問題だけ」

オット「ちょっとそこはもう『校了までがんばる』の一択です。欅坂ヘビロテしながら白目向いて働く」

ツマ「お、おう…」

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#18「ツマと、KPT: 2月の家族会議」2018/03/03

March 3, 2018 Yuhei Suzuki

オット「3人暮らしがはじまって最初のひと月がおわりました」

ツマ「おわりましたね」

オット「振り返りをしよう、振り返りを!」

ツマ「お、おう」

オット「KPTがしたい」

ツマ「なにKPTって」

オット「説明しよう!KPTとは、KPTとはKeep/Problem/Tryの略である。チーム運営の振り返りの手法として使われることが多いフレームワークなのだ。 Keepで、『良かったことや、そのまま今後も続けたいこと』を、Problemでは、『うまくいかなかったこと』を、それから TryでProblemの解消のため『今後挑戦したいこと、試してみること』を考えるっていう寸法よ。」

ツマ「なるほど意識たかい」

オット「職場でたまにやるから取り入れてみた」

ツマ「じゃあまぁ、やってみようか」

…というわけで、出来あがったのがこちら。

(以下は振り返りの様子)

Keep

オット「じゃあ最初Keepね。なんかある?」

ツマ「うーんなんだろう。みんな元気でよかった」

オット「うん、それは大事。元気is大事」

ツマ「あなた胃腸悪かったけどね」

オット「それは否めない。ビオフェルミンの効果を期待」

ツマ「あと、なるべく早く帰ってお風呂とご飯一緒にできるようにしてくれたのは今後もKeepしてほしい」

オット「おう。がんばる。あとねー俺はねー。こないだ朝会社行く前にわたわたしてるとき『○○やらなきゃーってなってる時は余裕ないサインだよ』とかそういうあれ、そういうツマ的コメント、ハッと気づく系の言語プロンプト。あれ助かる」

ツマ「そういう系のあれね。わかった」

オット「あとこれ自己評価だけど、抱っこしてるときに『早く寝かしつけなきゃー』って焦らなくなったのよかったと思う。メンタルの成長」

ツマ「いいじゃん」

オット「抱っこ道は奥が深い」

Problem

オット「じゃあ次はProblemだね。なんかある?」

ツマ「うーーーーーん…夕方過ぎると、腰が痛いw」

オット「腰が痛い」

ツマ「抱っこのダメージがだんだん蓄積されてだいたい夕方に来るの、腰に」

オット「そうか…」

ツマ「あとね、テーピングのテープがなんかかぶれてかゆい」

オット「かゆいの悲しい」

ツマ「なんかこういう身体症状ばっかりでいいの?w」

オット「まぁとりあえずどんどん出していこう」

ツマ「あとあれ、ベランダに出ると靴下に葉っぱがついてリビングのベビーマットに落ちちゃう問題」

オット「それな。あとでTで解決しよう」

ツマ「あとは…2人の作業デスクがもはや物置と化してる件」

オット「それな。そろそろ現実に目を向ける必要がある」

ツマ「まぁそれぐらいかなぁ」

オット「そういうのだけでいいの?なんかこう、ほおっておくと後々夫婦の関係に禍根を残す系のイライラの芽とかないの?そういうオットへのダメ出しとかないの?」

ツマ「ダメ出ししてほしいの?wなんか今はこういう物理的なことしか目につかないや」

オット「そうか…まぁなんかあったら言ってください。えー、じゃあ俺あれだよ、一個ある。言っていい?」

ツマ「どうぞどうぞ」

オット「あのね、ムスメの口を借りる系のフィードバックに超凹む問題というのがあって」

ツマ「どゆこと。もうちょい詳しく」

オット「ゆりさんがいっちゃん抱きながら『とーちゃんは働きすぎてるからそうやって忘れ物しちゃうんだよねー』とかなんかそういうこう、ムスメに語りかける体を取ったダメ出しは、2対1構図になって完全に自己肯定感が下がる。ずーんってなっちゃうw」

ツマ「あー、なるほど…それ私やってるとき自覚ないかも。無意識で言ってるんだと思う。どうしようね」

オット「じゃあそれはTで考えますか」

Try

オット「じゃあTryいきましょう。腰はどうするよ」

ツマ「うーん、ひとまずどうしようもない…」

オット「筋トレ?」

ツマ「腰には坂ダッシュがいいらしいんだけど、ハーゲンダッツ5個もらっても絶対やらない」

オット「だよね。テーピングはまだこう、いいテープを買うとか、札束で殴る系で解決できそうだけど。いいやつ買ってもいいよ」

ツマ「うーんありがとう。まぁまだいいやw」

オット「ベランダ問題は簡単だね。室内だけやってたけどベランダも掃除メニューに加えてちゃんとやろう。週イチで」

ツマ「そうしよう」

オット「作業デスク問題は…」

ツマ「うーん…」

オット「やつらがどんな状態になるとハッピーかっていうと、そりゃあ作業デスクとしてのあるべき姿と機能を取り戻すことなので、はい、答えは明白なのですが…3月バタバタするから、いったん見ないことにするというのもひとつというかなんというか…4月でよくね?」

ツマ「そうしよう」

オット「Not Try」

ツマ「で、オット凹む問題どうしようね」

オット「とりあえず悪気がないってことを知ったので、自分なりにダメージを軽減するようにするw」

ツマ「それでいいの?wそれが起こりにくくなるための根本対応を考えたいよね。その状況が起こるのってさ、どちらかが疲れてて余裕ないときで、結果としてなんかミスや漏れが発生したときで、だいだいその時に私は泣いてるいっちゃんを抱いてるわけだから、その流れでしゃべっちゃうんだよね。なにかトリガーがないと対応できないよねぇ。」

オット「うーん。どっちかが『疲れてる』っていうのに、なるべくタイムリーに気付いて、疲れてる方へのケアを意識する、というのができる仕組みがあればいいわけだよね。ホワイトボードとかに『元気ない』欄をつくってそこにチェックするとかシール貼るとか」

ツマ「この2人だと絶対機能しないw」

オット「じゃあ、お互いのコンディションが今日は○○%とか共有するというのを、朝やる。チェックイン的な」

ツマ「うーん。あなた夜明け前に会社行ったり、帰り遅くなったりする日があるから、毎日定時でってのは難しいよねぇ」

オット「ちょっと今の状況だと定形・定例化するの難しそう。いったん『気付いたらなんか声かけする』という運用でやってみて、ダメだったら見直す的な、アジャイルな感じでいこう」

ツマ「OK。気づけなかったらどうしようもないんだけど、いったんそれで。なんて声かけたらいい?仮に気づけたとしてさ、『ゆうへい、今日疲れてるよ、働きすぎだよ、寝た方がいいよ』って私に言われて、それポジティブな反応起こるかなぁ…『はぁ?』ってならない」

オット「別に怒ったりはしないよw」

ツマ「でもさ、『寝た方がいいのはわかってるけどそうは言ってもやらなきゃいけないことはあってさぁ』みたいな、現実とのジレンマであなた自己肯定感下がりそう」

オット「それは大いにある」

ツマ「なんか全然関係ない、特に意味のないナンセンスなフレーズとかのほうがいいんだろうね」

オット「そうだね。じゃああれだ、バーフバリ!」

ツマ「わたしはバーフバリにハマってないから却下」

オット「えー、じゃあ、ラッキーピエロ」

ツマ「ラッキーピエロ」

オット「語感いいじゃん」

ツマ「まぁじゃあとりあえずそれで」

オット「ラッキーピエロ!」

ツマ「ラッキーピエロ!」

ラッキーピエロ:

ラッキーピエロは、ラッキーピエログループが北海道函館市を中心とした道南地区で展開するハンバーガーショップチェーンである。 愛称は「ラッピ」。

Wikepediaより

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わたしを開く、わたしが変わる

February 28, 2018 Yuhei Suzuki
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先日、こんな記事を書いた。

実際問題、ムスメのギャン泣きが止まないと凹む|鈴木悠平|note

おっぱいが出ないことを差し引いてもなお残るツマとの「抱っこ力」の差、自分が抱くとムスメがギャン泣きする不甲斐なさ、誰に言い訳できるでもない当たり前のこととは分かってはいても拭えない「失敗」意識と自己肯定感の低下…みたいなことをまぁつらつらゆるりと、少しの自虐をもって書いたわけですが、なんかFacebook上では先輩パパ・ママやいま奮闘中の同士たち、プロの人たちまで、まぁ実に色んなコメントをいただき、思いのほか盛り上がりを見せた(笑)

https://www.facebook.com/yuhei.suzuki/posts/10156132584447208

その後、教えてもらった色んなコツを試してみて、それがうまくいったのかいかないのか、いい感じに寝付くこともあればやっぱりギャン泣きすることもあり、つまり別に大きく現実が変わったりはしないのだけど。

自分の中の焦りやイライラはスーッと消えた。

どうせ自分がコントロールできるものでもないのだから、ギャン泣きするムスメとのやり取りも含めて楽しんでやれ、ぐらいの心持ちでいられるようになっている。

たぶんそれは細かいテクニックとかの問題ではなくって。

自己開示を通してほかの人の物語にも触れられたことが大きかったのだと思う。

コメントの中で印象的だったのは、先輩ママたちが当時の自分の心の内を教えてくれたことで。

“そうなんですよね。
凹むんです。

ある時から、息子はパパが抱っこすると笑顔を見せるようになり、どうも首の角度が良かったらしいまではわかったものの、わたしにはマネ出来ず…。凹みました。”

ご家庭によってはむしろお父さんの方が抱っこの相性がよく、それで凹んだという話とか。

“ごめんなさい。まったく同じ状況で、私が抱っこすると泣き止んでくれるから、心でニンマリしていました・・・なんか嬉しかったんです・・・
夫も凹んでいたみたいですが、めげずに抱っこし続け、娘4歳は超お父さんっ子です。最近は、そんな2人に母はやきもちを焼いています。”

内心、優位に立っているようで「嬉しかった」と、当時の正直な気持ちを吐露してくれたり。

こういう一人ひとりの物語を分けてもらったことで、私のなかの気持ちのこわばりがスーッとほどけていったのね。

そりゃママだってうまくいかなくて凹むことはあるし、人間だから内心優越感に浸ることもあるし、つまりそれは単純に、わたしたち一人ひとり、ちっぽけでバラバラなフツーの人間ですよということでしかないのであって、ママとかパパとか形式的な役割と機能の差異などは、連続する日常のシーンを微分して切り取れば、いつでも取り替え・入れ替え得るのであり、その意味において私たちは分断を越えてつながり得るということでもあり、とかいってまた理屈をこねてみたりなどするのだけど、さ。

それほどまでに「社会」が、いや私たちが、連綿と鍛え上げてきた父親・母親像の呪いというのは強力だということであり、そこから抜け出すにはこうした物語(ナラティブ)の共有と再構築が必要なんだよぅってことを、言いたい。わたしは。

こういうのけっこう勇気いるっていうか、はらわたをちょっとだけ取り出して見せてみるみたいな恥ずかしさがあって、またそれをグロテスクにならない程度に抑えをもって書くというのもまた自制心が必要だったりするんだけど。

でもちょっとこうやって、勇気を出して「わたし」を開いてみると、「わたしも」と声をかけてくれる人が出てくるから、嬉しい。

私はものわかりが悪い上に身体がとってもぎこちなくて、なおかつ言葉だけは変に発達してしまったものだから、こうやっていちいち考えて言葉にして文章として形を与えてあげないと、自分の存在というものが落ち着かない。

昔は本当に難儀な人生で、どうにかしたい、なんとかしたいと思っていた。

最近はこれでもいいかと思っている。

わたしを開くことで、わたしが変わる。

わたしを開くことで、あなたとつながる。

あなたが開いてくれることで、わたしがまた変わる。

そういうことの繰り返しで、輪郭をつかんでいきたい。

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