努めて冷静に、論理的に話そうとしていても、お互いの気持ちにしこりが残ったままではどこまでいっても決定打には至らないわけで、そういう時は身を投げ出して「告白」するということなしには進まなかったりする。
まったくエレガントではない。むしろみっともない。
口数でもなく理屈の立派さでもなく、吐き出された言葉がどれだけプリミティブなエネルギーを持っているかでしかない。
どもっていても、言葉少なでも、むしろそれがその人の「叫び」だったりする。
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努めて冷静に、論理的に話そうとしていても、お互いの気持ちにしこりが残ったままではどこまでいっても決定打には至らないわけで、そういう時は身を投げ出して「告白」するということなしには進まなかったりする。
まったくエレガントではない。むしろみっともない。
口数でもなく理屈の立派さでもなく、吐き出された言葉がどれだけプリミティブなエネルギーを持っているかでしかない。
どもっていても、言葉少なでも、むしろそれがその人の「叫び」だったりする。
たとえば、どれだけ表向きには「愛されるコミュニティを」と聞こえのいいことを言っていても、裏で「囲い込み」とか「刈り取り」と言ってれば、結局それはユーザーを冨の収奪の対象と見ているということである。
と、言い切ってしまうと「いやいやそれはあくまでマーケティング用語として便宜的に使ってるだけでしょ」という釈明を受けるかもしれないが、用語というのはそれが使われる背景となった世界観が前提にあるわけで、それを無疑問に使い続けることが自身の思想・信条も徐々にその世界観に浸しているのだということには自覚的になった方が良い。
「便宜的に」とエクスキューズを入れるよりは、内部向けと外部向けの言葉遣いに乖離がなく一貫している方が、どの相手とも自己矛盾を起こさず気持ちよくコミュニケーションを取ることができる。
あるボキャブラリーを選択することで、自分がどのような世界観に依って立つことになるのか、あるいはそれを言葉として発することで、相手にどのような印象を与えるのか、「類義語」と言われる言葉が複数あったとして、あえていずれかを選ぶことによる微細な違いは何か。
そういったボキャブラリーの裏側にどれだけ敏感であれるかが、自己理解の解像度や、相手に届ける情報の強度に繋がってくる。
ソーシャルセクターにビジネスの視点、用語、方法論が持ち込まれたことによる功罪。良い部分ももちろんあったのだろうけれど、背景の世界観の違いに鈍感なまま、それを何にでも適用できると思ってマーケティング用語をぶん回してしまうことで、見失うものもあるだろう。
今日の午後はレンタカーを借りて川崎から荒川へ。
わが家より一足先にお子さんが生まれた大学の後輩が、ジャンパルーを譲ってくれるというので、受け取りに行ったのだ(あわせて離乳食とかバンボとか色々いただいてしまった)。
生後7ヶ月を向かえたムスメは、座っての一人遊びや、背ばいと寝返りでの自力移動もずいぶんと上手になったが、しかしズリバイ・ハイハイはまだ、という感じの運動能力発達ステータス、なう。
彼女の家のお子さんは、もう自力で歩けるようになっていて、体重的にもジャンパルーの許容限度に迫ろうかという域らしく、そろそろ使うにも厳しくなってきた様子。
首と腰がすわってから歩けるようになるまでの半年ぐらいに、ピョンピョン跳ねて遊ぶことができ、視界も高くなって楽しくなるようで、子どもの遊び道具に重宝したそうな。
というわけでありがたく頂戴してきました。世間では夏休みも始まったようで、東京の一般道はなかなかの混み具合でしたが、楽しいドライブでした。
家に帰ってさっそくムスメはご機嫌でピョンピョン。しばらく良き相棒になってくれそうな予感。
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それにしても驚くのは、わが家に「子ども」が一人生まれた、というただ一点によって、今まで繋がっていたお友達と、こんな風にしてまた新しいかかわりが生まれるのだということ。
たとえば今日ジャンパルーを譲ってくれた後輩も、同じゼミの所属ではあったけど、実に6,7年ぶりとかそれぐらいのお久しぶりな再会だった。
わが家が普段から暮らしの様子をnoteで半公開にしていたり、僕はなんか困ったことがあったらすぐSNSに「助けてー!」「教えてー!」と頼ってしまう傾向が手伝ってのこととは思うが、他にも折に触れて色々な人からFacebookでコメントやメッセージをもらっている。
助けをくれるのは、必ずしも仕事やなんかで一緒に過ごしている時間が長い友人ばかりでなく、僕の不義理で何年もご無沙汰してしまっている方や、イベントとか懇親会とかで1度お会いしてお話したっきりの方などからご連絡をいただくことも多く、
「うわわわ、どうもどうもお久しぶりです。ご無沙汰してます…え?いいんですか!?ありがとうございます!めっちゃ助かります!」
みたいな感じになるのだけど、
その度に本当に感謝の気持ちでいっぱいになる。
私はいま貰うばかりで何も返せないけど、何かあったらその人や、未来のパパ・ママに自分の持てるものを差し出せるようでありたいなという思いだ。
そして何より、ムスメに伝えたいのが、君は物心つく前から、たくさんの人に祝福され、応援されているのだよということ。
世界は優しいのだと、ニコニコピョンピョン跳ねるムスメを見ながら思うのである。
わが家では毎月、1ヶ月をKPT(Keep, Problem, Try)形式で振り返る家族会議をやっているのですが、ムスメも生後7ヶ月を向かえ、ツマの復職やら保育園やら、今後2人目3人目どうしようとか、お金や住まいどうしようとか、そろそろ考えるべき要素が増えてきて、月々の振り返りじゃなくて、中長期的に一緒に暮らしをどう営んでいこうかという、そういうレベルでの価値観のすり合わせをしたほうが良さそうだなという話になりまして。
通称「幸せ家族会議」を開催することにいたしましたー。わー。
本日が第1回、近所の「シラハト商店」さんで、かき氷珈琲味(めちゃうま)を食べながら、スケッチブックを開いて夫婦でこねこねしました。
第1回の成果がこちら、どどん!
細かいトピックは短期的にもたくさんあるんだけど、今回はそもそものグランドルールというか、夫婦で、家族で一緒に生きていくうえでのポリシー的なやーつを言語化しましたよ、と。
オットとツマ、それぞれが個人として、どんな価値観で生きていきたいと思うのかというのが、上の吹き出し部分なんですが、それを踏まえて「夫婦ポリシー」を。
夫婦関係とか、親子関係もそうだけど、一緒に仕事する相手とか、友人とか、地域とか、孤立せずに他者とつながりながら、お互い何を大事にしているかを尊重しつつ、楽しいことも困ったこともわけわけしながらいい感じにやっていけるとハッピーだよねーってことで、
を夫婦のポリシーとして掲げました。
その下の5つは、多少の重なりはありつつも、生きていくうえではちゃんと考え方の軸を持っていた方が良いなという重要領域を挙げて、それぞれのポリシーを言語化したもの。
夫婦ふたりとも、お互いの友人を紹介し合ったり、わが家に遊びにきてもらったり、他の家族と協力したりと、家庭を「外に開いていく」こと自体にはそれほど抵抗がないのだけれど、大前提として、わが家の全員(ツマ・オット・こどもたち)にとってムリのないものであることが大事。開いていくこと自体を目的化するのではなく、家族の安心・安全を大事にしながら、「ムリなく開いていく」ことが、自分たちにとっても、関わってくれる周囲の人にとっても、自然とハッピーが増えていくかかわり方になるのではないかと想う。
あと、「食事は全部オーガニック素材で!」とか、「家は毎日いつでもピカピカに!」とかハイレベルな望みを持つと、体力的にも経済的にも精神的にもしんどくなるので、わが家のようなズボラ小市民としては「ほどほどていねい」なぐらいがちょうどいいねと。市販の離乳食も家事外注サービスもお掃除ロボットも、必要だと思ったらためらいなく使うけど、普段、自分たちでやれることは分担してやる。毎日高級食材にこだわったりなんかしないけど、たまに知り合いのご縁とかで物語のある美味しい食材を取り寄せて「おいしいね」と言って一緒に食べたり、そんな感じ。
会社務めでの仕事に限らず、複業としての仕事や、友人たちと行うちょっとしたボランタリーな企画やプロジェクトなどなど…他人とチームをつくって一緒に取り組むなかで、自分たちの持てる力を生かして何か新しい価値を生み出す活動を「なりわい」と呼びました。
自分一人ではない、関係性のなかでこそ生まれるもの、ある種自分も全体のなかの一つの"歯車"であり、お互い様でやっているわけだから、なるべく気持ちよく、自分のエネルギーが活きる場所や役割の中で働きたいし、一緒に何かをするチームメイトに対しても、その人の良い部分を引き出して活かしていけるような、そんな風に働いていきたいですね、と。
そういう働き方に向かっていくことを、夫婦お互いに応援したり支え合ったりしていきたい。
かぞくとそれ以外のつながりは何が違うのだろうか。
もしかしたら明確な境界線というのはないのかもしれない。
家族だって、いざというときには離れることを「選ぶ」ことだってあるだろう。仕事だって、「嫌なら辞める自由がある」といったって、好き嫌いだけで簡単に切ったりできないつながりや責任というもの生まれてくる。
それでもやっぱり、かぞくというのは、「好き嫌い」とか「選ぶ選ばない」の範疇を越えて、相対的に分かち難い絆(きずなとも、ほだしとも読む)でつながってしまうもの。
だからこそ、好き嫌いとか、いい悪いを越えて、互いの存在を尊重すること。そして、いつでも味方であるということ。
家族と言っても別の人間。それぞれの価値観ややりたいことが違ったり、それぞれに試練や困難が起こったりするんだけど、でもとにかく「味方である」、あり続けるというのが、きっと大事。
かぞくとも繋がるテーマではあるのだけど、やはりわが家に生まれた子どもたちに対して、親としてどんな風に向き合うかというのは、また別個の問題としてちゃんと考えた方がいいよね、という話になったのだけど。
議論の余地なく、パッと出てきた言葉で二人のスタンスはぴったり一致。
自分とは違う人生を歩んでいく子どもたち。これからどうなっていくのか、親であってもわからないけど、何に出会って何に没頭するとしても、その挑戦を「全力応援」したいねと、親である自分たちは、子どもたちの一番の応援団でありたいねと、とにかくそんな気持ちです。
もっと若くて独身の頃は、自分の日々の暮らしだけを考えてお金を使っていたけど、30歳になり、ちょっとは稼げるようになり、結婚したり子どもが生まれたり、チームのスタッフやら後輩やらができたり、友人や家族のライフステージも変化したり…と、自分ではない他者のためにお金を使う場面が増えてきた。
金は天下の回りものということわざもある。ケチケチするのではなく、自分や、周囲の人たちが気持ちよく過ごせるようになるためや、困っている人を助けるためにお金が役に立つのなら、惜しみなく使える心持ちでいたい。
一方で、子どもが生まれて、彼らの将来の安心・安全を考えると、目先のことだけを考えて無尽蔵に使うわけにもいかない。かといって、貯金をしたり資産を増やすこと自体を目的化すると、我々夫婦の性格・価値観的にしっくりこないし、たぶんうまくいかないだろうなという感覚がある。
だからたぶん、使うか貯めるかという二択ではなく、貯めたり増やしていくことも含めて、それが自分や関わる人たちの、今と未来の「ここちよさをつくる」ための使い方かどうか?ということが大事なのだろうと思う。
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…という風な感じで、第1回の家族会議は、ツマ・オットそれぞれが大事にしている価値観を共有し、それを一緒に生きていくための「ポリシー」として言語化していく試みとなりました。
次回以降は、これを踏まえて、子育てにまつわるイシューとどういうスタンスで向き合うのか?直近1年での重要トピックが何で、どんな風に対応していくのか…などなどを、ひとつずつ話し合っていこうというところで一区切り。
やってみるとこれ、楽しいですよとっても。
朝、テレビの週間お天気予報で「今週も危険な暑さが続きます」と言っていたのが地味にインパクトあって、「暑さ」に「危険な」という形容がつけられることってなかなかない。
この暑さは私たちの身体に「危険」が及ぶレベルだということである。改めて文字にすると恐ろしいものがある。
学校にエアコン入れるのに住民投票がなされて反対票が3万集まったとか、五輪の暑さ対策には打ち水とか、あまり大きな話をしたくないた思いつつ、さすがに「この国大丈夫か」と心配になる見出しがタイムラインに流れてきている。もうね、たぶん偉い人含めてみんな暑さで頭クラクラして判断力がこうアレな感じになってる可能性もありますが、身体に「危険」が迫ってきている暑さなわけですから、とにかく周りがどうこうじゃなくて銘々に出来うる限りの自衛した方が良いかと思う。
友人が男性用日傘を買って超快適って言ってたので僕も週末買おうかな。問題はすぐ忘れたりなくしたりしそうってことなんだけど。
暑さが本格化する前からのことだけど、通勤ラッシュが嫌すぎるのでなるべく6時台に出勤する超朝型スタイルに変えており、そのことをもって「これは実質的にひとりサマータイムなのでは」って昨日ツマに言ったら「いや夜まで働いてるからそれサマータイムじゃなくて単純に労働時間増加」と返されて「ホンマや!」ってなるみたいな、私も暑さで脳みそやられてんなという感じなのですが、とにかくみなさんくれぐれも安全第一でどうぞひとつ。
これは「危険な」暑さなわけで、我慢は美徳だとか昔はどうだったとかそういうの全力スルーで安全確保ですよ安全確保。
会社着いた。金曜日がんばろ。
チームで働くというときに、強みを活かそうとか多様性を活かそうとかそういう話がよく出てくるけれど、これをスキルとか専門性に応じた分業みたいに矮小化するとかえって変な話になるという感覚がある。
一人一人の成長の時間軸とか、現在組織が置かれている制約や期限とか、そういう前提条件の中で全員の持てるリソースをより善く活かし合おうぜという話であって、専門性云々というより、その環境の中でその人に「いまできること」は何か、ということに着目する。
原典不明の(探せばあるかもしれないけど)、使い古された教訓フレーズで
「若者には時間と体力があるがお金がない、壮年はお金と体力があるが時間がない、老人にはお金と時間があるが体力がない」みたいな話あるけれど、これは別に年齢の話だけではない。
スキル的にジュニアであったとしても、シニア(スキルはあるけど時間はない)に目標やその追い方を整えてもらったら、あとはそこに時間とエネルギーを投下することが出来れば立派なチーム貢献なのだから、どっちが偉いっていう話でもない。
「できることにフォーカスする」というのは、「お互いが持てるものを差し出し合う」ということだろう。
でも、だからこそ、誰もが不完全であることを前提に、自分自身の持てるものをちゃんと出し切ることにコミットする、自分のキャパシティに対して誠実である、というのは大事だと思うのだよな。
最近はもっぱら編集者の採用・育成のこと考える日々。正確には、事業と、メディアと、コンテンツの成長ビジョンとセットで、それに追いつき追い越せするような形で、ちゃんとビジョンを実現可能な人材が揃っているという組織状態を維持するためには、今からどんな計画で採用・育成していけば良いのか?という問いであって、うへーって感じ。
ここ2年ぐらいはザ・新規事業って感じで遮二無二走り抜ける日々で、要所要所で幸運にも素敵な人と出会って採用できたり、立ち上げ当初からいたメンバーがチームを支え、成長させてくれたりでなんとかなってきたのだけど、だいぶノウハウも溜まってきて、最初の事業より次の事業、その次の事業と、どんな風にコンテンツ制作やそのためのチームが立ち上がっていくのか、だいぶ再現性を持って見えてくるようになったと思う。
伴って、人材採用・育成においてももう少し再現性・計画性を持って進めないと、ちょっと間に合わんなというスピード感と規模感にはなってきたので、色々と急がねばです。
自分たちがつくってきたコンテンツの良し悪しを構成する要素の因数分解ができる、また良いものをつくるためのチーム・個人としての方法論を言葉で説明することができる、という能力は、職業的編集者・ライターとして、特に事業会社でやっていく上では必須スキルだなと思うけれど、いろんな年齢・経験の方と面接する中で、それが必ずしも多くの方に備わっているものではないということがわかってきた。
このスキルについては、年齢やこなした案件の数はあまり相関しないようて、経験年数が一定程度あっても、「ふわっとした感覚」でやってきちゃっている人が少なくないのが正直なところ。
ただこれは、これまでメディア業界の会社や編集部組織が、編集者・ライターのそういう能力を明確にしたり伸ばしたりすることをしっかりやってこなかったことのツケであるかもしれなくて(僕は昔のことは知らないけど…)、少なくとも事業会社として自分たちで編集部組織を持ってやっていく以上は、ちゃんと人が「育つ」仕組みとエネルギーを内部に溜めていきたいし、私たちが採用時に求める「人物像」というものが、より明確に外部に伝わるように発信していかねばなと思っている(より良いマッチングを目指すという意味でも)。
「別に今でもそんなに余裕があるわけじゃないけど、毎月の家賃や食費もギリギリだった4,5年前と比べると、少し先々のことを考えられるぐらいにはなってきたね」
昨日の夕方は友人の結婚披露宴にお呼ばれしていて、同じテーブルになった4人でそんな話をしていた。新郎含めた彼らとは、出会ったタイミングが微妙に違うものの、だいたい6〜7年ぐらいの付き合いで、田端のとあるシェアハウスの住人だったり(正確には僕だけ住んでないのだけど東京に家がない時期にしょっちゅう泊まっていた)、東日本大震災のあとに一緒に東北に行っていたり、大学にいた期間が通常より長かったり、誰一人一般的な就職活動をしていなかったりと、そういうあたりで共通点があるつながりなのだが、まぁとにかく当時はカネがなかったのだ。
それが、気がついたら30歳を向かえており、それぞれに結婚をしており、おやまぁなんとって感じ。仕事の方は、会社に務めたり会社を興したりお医者さんになったり変わらずフリーだったりパラレルだったりそれぞれなんだけど、一応は自分の職能でもっておカネをどうやって稼ぐかがわかっていて実践できるようにはなっており、月々の家賃や食費に不安を覚えるようなことはなくなった。むしろ、自分だけで食っていく分には別に困らないんだけど、家族やチームや会社、かかわる人たちと持続的に今後も働いて暮らしていくには今からどうしておけば良いのか?ということが悩みどころになってきていて、つまり僕たちのなかに、ようやくまともな「投資」という物差しが備わってきたと言えるのかもしれない。
この日話題の中心になったのは、家とか土地とか、つまり中長期的に「どこで」住むのかという話。
地元で土地と家を安く買えるかもしれない話とか、ニュージーランドの人はライフステージに応じて家を替えるのだけど、ちゃんと手入れをして購入時より価値を上げて売るから家計収支としては全然ペイするんだという話とか。さすがにそんな金がいま即日キャッシュでポンと出るほどの経済状況ではないのだけれど、それでも短期的に仕事の量を増やして一気に貯蓄をつくるとか、ローンを組むとかといった、ちょっとした「踏ん張り」によってまったく不可能ではないぐらいのオプションにはなってきた。
2年前にこんな記事を書いた。カネがなかった頃の話だ。
この中で、卒業直後のカネがなかった頃に、企業にちゃんと就職した同級生たちは新卒一年目から資産運用の話をしていて、そんなものが基礎リテラシーとしてもう備わっているのかと内心仰天したものである。
いまもまだ、投資信託みたいな、まとまったお金を運用して増やす、みたいなことをしている/できる状態ではないのだけれど、それでも、もう少し広い意味での投資…生まれてきた子どもの将来を考えてお金をどう使ってどう積み立てていくか、どこに住んで家をどうするのか、自分がいまやっている仕事の中長期的な成長に向けて、いまどんな人を採用して、どういう計画で育成していくのか、歳をとって自分自身の体力は衰えていくなかで、いまどこに労力を投下するのか…などといった、ちょっと長い物差しを持てるようにはなった。
振り返ってみても、昨日同席したメンバーそれぞれ、当時はそうせざるを得なかった何かがあったのだろうし、仮にもう一度人生やり直したとしても、そんなに器用に立ち回れなさそうだ。結局キャリアとか暮らしとかおカネというものは、自分にとってしっくりくる付き合い方を、試行錯誤しながらつかんでいくしかないように思うから。
ま、30歳成人説ってことで、ちょーっとだけオトナになりましたか、私たち。
生みの親であるお父さん・お母さんと一緒に暮らしているということが、仮に”標準的な”家庭環境だとして、それに該当しない形態で暮らしている子はたくさんいる。僕たちが小学生・中学生だった頃の同級生にもいたし、そういう子の家族構成は、なんとはなしにクラス内で知られていたりする。本人が自分から話すこともあれば、授業参観で誰が来るか/来ないかという視覚情報から感じ取ったり、聞いてもいないのに自分の親から「○○くんのお家はお母さんがいないから…」というレクを受けたりして、「そういうこと」が暗黙の共通認識となっていたのだと思う。
当然ながら(と、教育を受けた今は言えるのだが)、生まれ育った環境が標準的かそうでないかということと、その子が幸福か不幸かということは、一致しない別の話であるし、ましてや他人が表層からジャッジして良いことではない。
ところが、標準外であることと「かわいそう」が一足飛びに結び付けられて、本人とかかわりもない人たちの間で勝手にその評価が定着する、ということが、世間では割と簡単に起こってしまう。
“おじいちゃん、おばあちゃんと三人で暮らしてるんよ
友達にそう伝えると、その話は小さな田舎町に一瞬にして広がっていきました。気づけば、知らない大人からも「かわいそうな子 だ」と言われるようになったんです。”
たとえば僕がそういう境遇にあって、周囲の大人からは「かわいそうね」と言われていることも知っていたとして、そんな大人たちに何か言い返すことができただろうか。「自分はかわいそうなんかじゃない!」と叫んでみたならば、かえって意地になっているようだし、冷静に「いえいえみなさん、僕はこの家で幸せに過ごしてるんですよ」と説明してみたところで、自分たちへの興味もかかわりのないところで噂を立てる大人なのだから、発言の中身をまともに聞いてくれそうもなさそうである(そもそも小さい子どもの頃にそんなに器用に立ち回れそうもない)。
他者との対話・接続を期待できないとわかったとき、ことばは空虚で無力だ。
いくら言葉を投げかけても反響が返ってこないなら、最後は自分と対話するしかない。ことばは内に向かう。
他にどうしようもないから「書く」。
体験したことはまったく違えど、「書く」ことに向かった必然性というのは、案外似た経緯だったかもしれない。
上述のコラムを寄せてくれた菊川恵さんとの接点は、僕にも言葉のどもりがあり、「うまくしゃべれない」時期があったことについて書いたエッセイだった。
それを読んでくれた彼女が、「私もです」とTwitterで話しかけてくれて、今度ご飯でも食べながらお話しましょうかということになった。
直接会ったときに、何を話したのかあまり覚えていないが、今に至るまでの生い立ちについてはお互いそれほど語らなかったと思う。「なんらかあったんだろうな」という感覚はしたが、それ自体を掘り下げることをその場で必要と感じなかったので、他愛のない話をしながら過ごした。
“わたしはちょうどその頃から、声が出づらくなったり、どもったりするようになり、日常生活を不自由に感じるようになりました。 授業中に当てられても、答えがわかっているのに、答えられない。友達と話している時に、面白い話が思い浮かんでも、口に出せない。”
吃りの症状を含めて、彼女自身の生い立ち、どんな変遷を経て今に至ったのかの詳細は、soarのコラムを通してはじめて教えてもらったのだけど、食事をしたときに急いで聞いたりしなくて良かったと思う。断片ではなく、ひとつながりの「物語」として、話し言葉ではなく、書かれたテキストで受け取るべきものだったから。そして、「書くこと」が彼女が生きる上でのひとつの柱となっていること、それは僕にとっても同じであるということを、「やっぱりそうだよな」と改めて知らしめてくれるものだったから。
今では紙の日記に書き留めるだけでなく、書いたものを誰でもいつでも、全世界に向けてインターネットで「発信する」ことが出来る。毎年・毎月、たくさんのメディアが生まれ、個人の発信力を高めることの重要性が説かれ、それらをテコにしたビジネスが生まれていく。
いかに他人に「影響を与える(influence)」かが強調される。
「書くこと」は、それ自体が目的なのではなく、発信のツールである、他人や社会に影響を与え、動かすという目的に従属するものである、と言われているかのような気持ちになる。
そうした道具としての側面を否定はしないが、「書くこと」の理由や意味や目的、それから私たちが生きる上で「書くこと」によって与えられるものというのは、果たしてそれだけだろうか。
少なくとも僕や彼女にとっては、「書くこと」というのは、「発信」や「影響」のために始めたものではなかった。
もっとのっぴきならない、自分が生きていく上で、それ以外に突破口がないかのような切実性から始まったことなのだろうと思う。
“そうやって誰にも話せなかったことを、日記に書くようになりました。文字だったら、自由に話せる。”
誰かを動かすとか世界を変えるとかそんな大それたことを考える余裕もなかった。むしろ、誰かに見せようものなら「気のせいだよ」「考えすぎだよ」と突き返される。
動かしがたい現実や、言葉にならない自分の感情、痛みを、どうにか触れられるかたちにして折り合いをつけたい。そういう微かな、抵抗とも祈りともつかない行為だった。
“書く作業は、必然的にひとりになります。ひとりで自分と向き合う期間を長く取れたことが、わたしの心の回復を早めたように思い ます。「生きづらさの中で編み出した工夫」が、同時に自分自身を救ってくれていたのでした。”
書くことに対する(不器用な)切実さは、今ではだいぶ失われてしまった。それは、「書くこと」以外の引き出しを得たということでもあるし、「書くこと」がなくても生きていける暮らしの安定を得たということでもあるのかもしれない。
少し寂しくはある。
これから生きていくなかで、「書く以外に道がない」ような困難に、またぶつかることがあるだろうか。
未来のことはわからないけど、もしそうなったならば、「生きづらい自分」のことを、彼女のようにちゃんと大事にしてあげようと思う。
暑い日に立ち寄ったセブンでアイスコーヒーをラージサイズにしたり、スーパーに食材を買いに行ったついでにハーゲンダッツをカゴに入れたり、ランチにビールやワインをつけちゃったり、披露宴から二次会会場への移動に大した距離ではないけど疲れるからとタクシー捕まえちゃったり、そういう日常のちょっとしたプラスオン出費をするときに、僕は同行者に対して「オトナだから」と、言い訳なのかなんなのかよくわからない定型句を発することがあるのだけど、つまりそういう衣食住の余分な部分において選択権を持つことが出来るようになったのがオトナの楽しさである。我ながらスケールが小さい。
他の家の子とか、現代っ子たちは違うかもしれないけど、子どもの頃は、そういう「日常の些細な贅沢」というのは、なけなしの小遣いを貯めてようやく買えるものであったり(それでも総額所持金は少ないので一個の贅沢のインパクトは大きい)、親に頼んで買ってもらうものであったり(そこにはなんらかの"理由"が要る)、そもそも年齢不相応でオプションとのならないものであったりするから(お酒は飲めないし、タクシーに乗る場面がそもそもほとんどない)、決して日常でも些細なことでもない、ちょっとした非日常の冒険である。
子どもが贅沢を「選べない」のは、そもそも自分でお金を稼いでいなかったり、自己責任のもとお金の使途を判断しマネージする能力が育っていなかったり(ゆえに保護者が代行する)ということなのだと思うが、子どもかオトナかという線引きも、よく考えると極めて曖昧なものなので、もう少しケースバイケースで、子どものうちからでも自律選択可能な事柄については、子どもに任せちゃっていいのではなかろうか。
自分が「オトナ」になってからというもの、未成年でも自分の職能で立派にお金を稼いでいたり、自分でそれぞれの選択肢を吟味して進路を選んでいたり、そういうしっかりした次世代の子たちに出会ってきたが、そこまでのレベルでなくとも、親子でルールを決めて「家庭内通貨」を作ってしまうとか、子どもが自らの責任とアクションで「選択権」を得られる幅は、僕が子どもの頃よりもうちょっと広げてあげたいなと思ったりする(ムスメ、まだハイハイもしないけど)。
もう一個、オトナの権利として、一定働いたら「有給休暇」が付与されるじゃないですか。明日は有給使って休んじゃおっかな、温泉でも行こうかなみたいな。
子どもは、よっぽどの熱が出るとかしないと学校は毎日5-6時間朝から夕方までみっちり参加、みたいなのが前提になっているけど、子どもにだって「有給」があってもいいじゃないのと。1日2日休んでも家庭学習・自主学習でキャッチアップできます、あるいは小テスト・レポート提出で代替します、みたいな条件付きで休んでいいみたいなやつ。
っていう話をツマにしたら、最近は「げんきやすみ」って言って子どもを平日に遊びや旅行に連れていったり、どこかに出かけるわけではないけどちょっと休んで元気チャージするようにしている家族もいるよーって。なんだ、もうあるのか。いいじゃん「げんきやすみ」、響きがいい。子どもが大きくなったらそういうの積極的に導入していきたい。
ムスメ(現在生後6ヶ月半)とふれあっていると、「あ、こんなことできるようになってる」という微細な変化に気づかされる。
たとえば昨日お風呂に入れていて、ちょっと前までは僕が体を支えながらプカプカさせて、ムスメは手足をバタバタさせる…みたいな感じだったのだけど、今ではもう少し意思?を持ってというか、僕のお腹の上で水面をバシャンバシャンと叩いたり、なでるようにして水面で手を行ったり来たりさせたりと、自分の動きに対するお風呂のお湯の「反応」を楽しんでいる様子を見せていた(ように僕は思った)。
あと、僕の乳首を指先のすごい微細運動でつまんできた。痛い。粗大運動の練習もうちょっとやったほうがええんちゃうの。
赤ん坊という生き物の変化のスピードとか、そもそも赤ん坊はできないことだらけなので、一個一個の「できること」が増えたときのこちらの印象が大きくなりやすいとか、そういう影響があるのかもしれないけど、大人の場合だと、そんな風に、本人の「変化」自体を素直に喜ぶということが、どうして難しくなりやすいのか。
「できることは増えたけど、まだまだ本来の期待値からは遠い」
とかって、本人内部の変化量だけでなく、組織や個人に対して置かれた「目標」と比べてどうかみたいな外部指標が入ってきたり
「それができるようになったなら、次はそれに挑戦しようか」
みたいな、できたことを褒めるのはそこそこに、どんどん次のハードルがやってきたりとか
「いやー、自分、先輩に比べるとまだまだっす!」
みたいな、本人も周囲の規範を内面化して変に卑屈になっちゃったりとか
いやまぁ、目標も目標で大事なんだろうけど。
もうちょっと足元の成長実感というか、何よりもまず「できること」「できたこと」にフォーカスする、それを称賛するということを忘れないようにしないと、あんまりにも「目標」の存在感が大きくなって終わりのないラットレースみたいになるおそれがありそうで。
遊ぶように学ぶ、「もっとやりたい」という内発的動機づけから自然と本人の目線や目標、挑戦レベルが上がっていく、みたいなサイクルの方が健全だと思うのだよな、子どもを見ていると。
外発的動機づけは、自転車の補助輪ぐらいの過渡的存在なら良いのだろうけど、一歩間違えると支配のロジックだもんな。
「仕組み」とか「ルール」というのは、それ自体が目的だったり偉かったりするのではなくて、チームで同じ目標に向かって最大限に力を発揮するために、継続反復的な業務の効率を上げたり、その分生まれた余剰時間・エネルギーをよりクリエイティブな仕事に向けたりするところにその意義がある。
もちろん、仕事をしていると、状況は刻一刻と変わっていくし、やっていくなかで新しい論点が見つかったり、前提条件が変わったりすることも珍しくない。また、仕組みやルール自体が至上命題になって硬直化することも望ましくない。
とはいえ、一度チームで「決めた」ことに対しては、まず全員がその型でやり切る、ということは最低限の礼儀であり責任であり、信頼である、と思う。
それが永久不変のものではないにしても、その時運用している仕組みやルールは、今現在の見通しから、これは揃えて運用していくのが重要だよね、効率的だよねという判断のもとつくったものだから、一定の耐用性・妥当性はあって然るべきであるし、その意義を検証するためにも、しばらくの時間はきちんと決めた通りに、全員が運用しないと話にならない。
「現状の仕組みでは、○○な点に対応できないのでは?」といったイシュー提起は誰もがすれば良いし、その結果より仕組みが洗練されていくと良い。ただ、イシュー提起がされた後には、再度検討して、ちゃんと意思決定をしてからフォーマットを変える必要があって、合意を取らないままに個人で勝手に運用を変えるみたいなのをごっちゃにするとみんなが困ったことになる(バラバラな入力をする、やると決めたことをやらない)。
本質的には、より良い方法で目的に向かって進むことができればそれでいいのだけど、方法そのものを疑う・柔軟に議論するみたいなものと、決めたことをちゃんとやり切る、みたいなものを、ふわっとぐにゃっとごっちゃにすると、よくない。とてもよくない。これは信頼の問題だから。
なんにせよ、物事を「スイスイ進められない」時期というのはあるのだけれど、「なかなか進まない」ということの背景や実態はさまざまだ。
①一見停滞気味だけど、次の追い風に向けた凪の期間と捉えて、試行錯誤の手は止めず、やれることを愚直にやり続ける、という状況
②自分にコントロールできない外部要因としての雨・風・嵐が来ていて、とにかく振り落とされないように、沈まないようにと、自分たちの身を守ることに技術とエネルギーを尽くしながら、いつか来る晴れ間を信じて耐えている、という状況
③もう船底に穴は空いていて、無駄な抵抗と感じつつ、少しでも船やみんなの命を引き延ばすために、必死で水をかき出しながら、来るかどうかわからない救助船に一縷の望みをかけている、という状況
未来をどれだけ前向きに信じられる状況か、ということと、状況がどの程度アンコントローラブルかによって、ずいぶんとかかってくるストレス、精神的疲労度は違ってくる。
人間がしんどくなるのは、体力的なしんどさだけではなくて、セルフコントロール感が持てないことによる精神的なしんどさも多分にあるので、そういう場面でのお互いのケアやサポートをどれだけ出来るのかというのが、組織のレジリエンスとして重要なのだろうな。
もちろん上記は単なるメタファーだし、実態としての状況と自分たちの認識にギャップがあることだって少なくないので、詰んだと思ってもまだまだやれることが残っていたりもするんだけど。
もっと言うと、同じ困難な状況下でも高い精神性を保つことが出来るかは、(それまでの生育歴込みで)やはり個人の差というのは出てくるわけで、それはフランクルの『夜と霧』で教わったことでもあるなぁ。
そもそもそんな状況にしないために平時から手は尽くすのだけれど。
既存の概念で自分たちの活動をしっくり説明し切れないなと思ったら、「とりあえずの名付け」に逃げないで、しっくりくる言葉や概念を見つけたり作ったりできるまで、そこに留まらないといけない。
時代や世代共通の価値観やムードというものがあって、なんとなく共通する、大きく向いている方向は同じ/似ているよねというような感覚を抱かれたり、そのような確認や語りかけをされることはあると思う。
そういうふわっとした「世代感覚」とか「界隈感」みたいなものもまた、それを先んじて予見し捉えていた人がいて、すでにその概念に名前が与えられていて、みんなもその言葉をとりあえず使用して、自分たちや自分たちの活動をdescribeする、ということがある。
だけど「すでにある」概念で自分たちの活動の本質を捉えられている感覚を持てないのであれば、惰性でその概念を使い続けるのは、かえってリスクがあるように思う。
ダイバーシティとかコミュニティってとりあえず言っちゃうのは容易いのだけど。ほんとにそれが目的や価値だと思ってやってる?という問いかけ。
新しい概念をつくるということに、サボらずちゃんと向き合った方が良い。
私たちが向き合っているのはどんな人で、その一人の人生が、私たちのサービスや、私たちとのかかわりを通して、どんな風に変わっていくのか、「物語」としてまず描いてみる。
それを、一番手触り感のある動詞や形容詞で表現してみる。
既存の概念と違う感覚を覚えたなら、そこが新しい概念を開いていく契機なのかもしれない。
カタログを並べられて、「そのどれでもない」と言えることをする。
KPT形式で一ヶ月を振り返る、スズキとヨシダの家族会議、6月分です。
…もう7月ですけど。暑いですね。
(以下は前回記事)
5月の振り返り結果のKPTがこれで
6月はこちらでござる。
ツマ「6月のよかったこと、Keepしたいことはなんでしょう」
オット「うーん、相変わらず、自分たちでKeepできる話ではないんだけど、まぁよかったこととしては、いちかの離乳食が始まって、特に問題もなく順調ですね」
ツマ「なんの抵抗もなくすんなりもぐもぐ食べる、うちの子」
オット「何よりだ。あと僕は土日割とちゃんと休めるようになってきた感がある。ほぼ寝てるだが。」
ツマ「そうだね、特に6月の後半から」
オット「あとは、3人で外食行っても、ある程度いちかが自分で座って過ごせるようになったり、家でも一人遊びが出来る時間が長くなったり、そういう変化がありましたね」
ツマ「じゃあ次、Problemなんかありますか」
オット「相変わらず胃腸が弱い。ビオフェルミン飲んでるのに。もうこれは一回胃腸のあれやこれやをしかるべき診療科で診てもらった方が良いのではないか」
ツマ「ようやく気づいたかい。行ったほうがいいよそれ。7月のTryで」
オット「消化器内科的なアレを予約するがんばる。ゆりさんどうですか、なんかPありますか。大学院の研究とか」
ツマ「それはね、もう、全然ダメ、進まない」
オット「お、おう…」
ツマ「まぁそれはいいんだけど、他にも色々忘れないようにメモしておいたわけよ。こないだ、ライフプランニングのモニターやったでしょ」
オット「うん」
ツマ「でね、子ども何人産むとかそういう色々これから決めるべき論点があるわけだけど、ゆうへいとチャットしてて、『あ、これ全部わたしの意見通りそうだな』って思って、それがちょっと怖い」
オット「あー、なるほど…」
ツマ「なんかゆうへい、『まぁゆりさんがそういうならそれが良いんだろう』的になってるのかもしれないけど、こうもうちょっと自分の意見出してっていいんだぜ的な」
オット「うーむむ」
ツマ「あともう一個は、保育園のこととか、プロジェクト的に進めていくと動いてはいくんだけど、一家の出来事から離れていっちゃわないかという懸念はある」
オット「そだね。そちらは今月あまり動けなかったのだけど、そもそもが家庭の問題を、周囲とも相談したり助けを求めたりしながら、どうやってしっくりいく選択肢を作ったり選んだりしていけるのかというのがもともとの問題意識だったので。なので、こないだから話してたような、このKPTとは別の『幸せ家族会議』的な、もうちょっと家族運営を全体的にこれからどうしていきたいのかゆっくり話し合う場を設けたいのだ」
ツマ「じゃあそれは7月のTとして、やろう」
オット「やるぞー」
ツマ「あとねぇ…これは今のところ解決策が出てこないんだけど」
オット「なになに」
ツマ「やっぱり自分の時間がアンコントローラブルであるということ自体のストレスというか、モヤモヤは時たま感じる。別に日頃からイライラが溜まるような状態でもないし、その瞬間瞬間は平気なの。自分の作業してるときにいちかが目覚めて、作業が中断してってときに『あーもう!』とかなったりしないのよ。『あ、目覚めたの、そうかそうか、じゃあおっぱいあげましょう』的な、その瞬間は平気。でもこういうのって子ども生まれる前の自分にはなかった状況だから、ふとした時にそれを自覚して、モヤーみたいな」
オット「それは、そうだよねぇ。うーん、まぁちょっと、完全にゼロにはできないとしても、もうちょっと思い切って豪快に預かりサービス使っていくとか、札束で殴って解決できる余地があれば惜しみなくやっていけたらと思うけど」
ツマ「なんかね、その申し出はありがたいし、実家に預けるとか、シッター使うとか、やろうと思えばできるし、それでまとまった時間もある程度確保できるんだけど、量の問題じゃないっていうか。その、自分の自由を確保するために、自分の意思ひとつで決められないこと自体のストレスっていうのかな、追加のコストを払ったり、誰かと相談・調整しなければならないっていうこと自体が、産前はなかったわけじゃない?」
オット「あぁ、それは確かに、そうだよなぁ…うーん、どうしよねぇ」
ツマ「まぁでも、ひとつは自由時間を確保できる度合いを極力増やすアプローチ、もうひとつは認知行動療法的に、そういうことにストレスを感じる自分の考え方自体をほぐしていくアプローチか、大きくはその2つしかないわけで。まぁ一時的なものかもしれないし、来月ゆうへいが有給でプチ育休取るから、それで二人がある程度同じ経験をすることで楽になる部分もあるかもしれないし、まぁちょっと様子見かなぁ」
オット「そうだねぇ。まぁちょっと今月も来月も様子見ながら相談しながらだねぇ」