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閒-あわい-

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あたらしいくらし

December 26, 2017 Yuhei Suzuki
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授乳中のツマとムスメに別れを告げつつ会社に向かう。

高尾から中目黒はそれなりの距離があるのでまだ日が昇る前からツマの実家をお暇する。朝は、寒い。

6時高尾駅発の中央特快は、それでも座席が8割ぐらい埋まるほどには人がすでにいる。きっとこの人たちもこれから働きに出るのだろう。あるいは何か別の。

この時間に高尾の電車に乗ること自体は初めてではなく、ツマの産休中などもちょくちょく泊めてもらって会社に行く朝があった。

違いといえば今朝からはその家に新しい住人が現れたことだろう。言わずもがなムスメである。

昨日がツマとムスメの退院日で、ツマの実家に2人を迎え入れての初日だった。11時頃に産院を出て、それからツマの実家に着いて、寝床やら道具やらなんやらを整えたり片付けたり、ツマが乳をやったりして、お昼ご飯を挟んで寝起きに沐浴デビューしたりオムツ替えデビューしたりして、合間に来月のシフト登録をしたり原稿の最終チェックをしたり電話をしたりして、夕方にはミルトンやらなんやら足りないものを買いに行って、帰ってきたら、それまではずーっと眠り姫だったムスメが1時間ぐらいグズってるというのであやすツマの横で様子を見つつ、晩ごはん時が来たので下にいってミルクをつくってあげてみたらすごい勢いで飲んで、そのあとちょっとまどろんで、横に寝かせたらまたグズったので抱っこして、その時僕が抱っこしたら泣き出すのにツマやばぁば(ベテラン保健師)が抱っこしたら一瞬で泣き止むことにショックを受けたり、そのあと肘で頭を支えつつ手のひらでお尻を持つのだというコツを教えてもらったら見事に落ち着いてくれてレベルアップのファンファーレが鳴ったりして、寝てる隙にミルトンデビューしたりシャワー浴びたりなんだりしてるともう23時で、それから「ごめんちょっとだけ仕事するわ」とツマ・ムスメは先に寝かせて作業をし、1時台にムスメは目を覚ましてツマは乳をやり、入れ替わりで私はすまんお先にと眠りにつき、3時台5時台とまたムスメが目覚めてツマが乳をやりつつ、私は寝ぼけ眼をこすりながら(ほんとはもう2本早いバスに乗るつもりだったのを逃しつつ)、産院にもらった育児日記に授乳記録をつけて「じゃあまた明日」と言って出発し、寒空の下でバスを待って高尾駅に行き6時発の中央特快に乗っていまここまで書いたところで立川です。

あ、これはすごい。全く生活リズムが変わるのだなと自覚。

私はひとまず現時点で育休を取っていないので(検討はしている)ムスメと実際に一緒に過ごす時間はツマの1/5〜1/4(それ以下?)ぐらいになるのだろうけど、3時間置きぐらいに授乳が必要で、それは昼も夜も関係ないという赤子の生活リズムに私たち大人は合わせねばならぬ。ムスメの健やかな発達のためにはそれは有無を言わせぬことである。

まずもって母親すげーな大変だなというのを身をもって知らされた初日である(これ毎日続くんだぜ?)。とにかく自分が家にいる間とか、外出時の買い物とか、代替可能なことは出来うる限り、と思うけど、それでも限度があるわけで、ツマのことを思うといたたまれない(どこかでリフレッシュ休暇取れるように私も育休取ろう、春か夏か…いやでもそれまでの期間すげーな大変だなぁいや言ってもしゃあないんだけどさ…的心境)

あとあれ、在宅遠隔でもそこそこ仕事いけるやろと思ってたら甘かった。全然時間ない。1日家でツマとムスメと一緒に過ごす日は、正味作業時間とれて数時間だろう。

まぁなので基本的にはオフィスに出勤して、その間はツマに任せてオットは割り切って働く、というのを我が家は意思決定したわけだけど、それにしたって、距離も時間も今までより制約がかかるので、そんなに夜遅くまで働きっぱなしの毎日というわけにはいかない。

本当に必要なこととそうでないことの見極め、生産性の効率化に向けた工夫を今まで以上にやってかないと回らないねこれはと自覚したわけ。

これは自分自身のことだけじゃなくてチーム全体のことも含めて考えるべきで。僕の仕事を誰かにお願いしてみたいな足し算引き算では総量変わらないので誰かに迷惑かかっちゃうからね。ましてや自分が管理職なわけだから自分が思う以上に意識しないと周りが気を遣って仕事を引き受けてくれる(ほんとはすでに忙しいのに)みたいな歪みが生まれちゃうから…

その辺も含めて工夫のしどころですよね。いやはや。

あたらしいくらしが始まりました。

今までだってそうなんだけど、小さな生命を迎え入れたことで、それによる副次的影響も含めて、今まで以上に周りの人たちに助けてもらって生きている、自分ひとりの人生ではないということの自覚をね。はい。

がんばります。

In diary Tags diary

パパ未満がパパになった日のこと

December 26, 2017 Yuhei Suzuki
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予定日の2日前だった。

「うーん、今日はいつもよりけっこうお腹張ってるんだよなぁ。今晩あたりくるかも」

「おお、マジで?そしたらえーと、呼ばれたらすぐ行けるようにはしとくわ。アポ入ってるけど呼ばれたときは行けないからよろしくって同行者に伝えとく」

「まぁ昼間は大丈夫だと思うんだけどねぇ。とりあえず今日検診だから行ってくる。また連絡する」

そんな感じで12/20の朝は始まった。

この日は商談も2件入っていて、その他色々作業も立て込み気味だったのだけど、ツマからの上記の連絡を受けて、もしもに備えてのあれやこれやの手配を職場で行った。

「たぶん大丈夫だと思うけど、もし陣痛起こったらアポは任せることになるから、資料は僕じゃなくてあなたが持ってて。ほんでその時は『編集長子ども産まれるみたいで、すみません』ってトークのネタにしてください笑」

なんて冗談を言ったりしつつ、内心ちょっとそわそわしつつ、まぁでも仕事が手に付かないほどでもないし、みたいな感じで昼過ぎ。検診が終わったツマから「いったん大丈夫だろうと自宅待機になった」と連絡があり、「あぁ、やっぱり明日以降かな」などと安心して夕方の商談を終えたところ、再びのツマからのLINE。

「今から再度病院に行くことになりました」

そこからはもう、早かったような長かったような、そういう一晩でした。

結論から言うと、うちの場合、出産に当ってオットはほとんどやることがなかったです笑

産まれる直前に分娩台に呼ばれた…と思ったら「産まれたー!」ってなもんで。

その間僕は何してたかというと、ほぼツイッターやってましたね…

ツマからの上記LINEの後、ほどなくしてそのまま入院が決まった旨。とはいえオットはすぐには行く必要が無いのだと。必要になったら病院から電話があって呼ばれる流れらしい。

なので、結局オフィスで小1時間面談やら作業をして、ツマとツマのお父様から「まだ呼ばれないけど、遅くなる前に高尾に移動して、うちで待機しといたら?」と言われたので、中目でうどんを食ってから移動。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「とりあえずなんか腹に入れてモバイルバッテリーと歯磨きを買って産婦人科に向かう」 / Twitter 


そのあと、ツマの実家でもまたしばらく待機して、ようやく呼ばれて産婦人科へ。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ツマ実家着。実は明日出す書きかけの原稿を持って来ている(呼び出される前に仕上げるw)」 / Twitter 


(原稿は結局仕上がらなかった。そわそわw)

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「産婦人科に呼ばれたので向かいます。お産の準備始めたそうな。ふわー」 / Twitter 


で、到着後は、よーしイメトレ通りにがんばってツマをサポートするぞぉとか勇んでたわけですけど、上に書いた通りそういうのなかったですw

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「お産時のオットの役割: 汗拭く・励ます・産まれたら写真と動画撮る・ツイートする(←」 / Twitter 

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「まだお産の準備中ってことで廊下待機」 / Twitter 


出番が全然来ない。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ソワのソワ助よ(言うてもまだやることないから真顔でツイートしてる」 / Twitter 

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「他のご家庭の、すでに産まれた赤子たちの泣き声が聞こえる。born to be lovedって感じだ」 / Twitter 


ちょっとまだなんかエモいこと言う余裕がある。

木田修作/とまり木・夫さんはTwitterを使っています 「@YuheiSUZUKI 妻は大変だろうから、見えるものや話したことや、聞こえたもの、できるだけメモしておきました。子どもが生まれた日は、どんな空でどんな気温だったか、とか。後から喜んでもらえました。ご参考までに。」 / Twitter 


かと思えばこんなアドバイスをいただいたり

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「グーグル先生によると現在の八王子は2℃。静かな夜です。赤子たちの泣き声と、自販機の控えめな駆動音だけが響く。 https://t.co/qLPtOyBddy」 / Twitter 


真に受けてグーグル先生に聞いたりしてたんですけど、一向にオットの出番が来ません。

日付が変わる少し前に先生が出てきた。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「先生出てきて「もうちょっとかかりそうですねー」と。ツマ、おつかれ。」 / Twitter 


ちょっと陣痛のペースが遅くなってきているらしい。疲れも出ているとか。お産というのは本当に大変な仕事なのだなぁとしみじみ思ったものだ。

ということで、再び待機…

そして12:09

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「なんか、ご主人様、呼ばれた」 / Twitter 


いよいよか?いよいよ出番なのか!?俺の!

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「「産まれる時に入ってもらうんでこちらへ」と言われたけど「まだ入らないで」と言われたのでつまり廊下内を微妙に歩いた」 / Twitter 


と、思ったらまだだった。「あ、あ、はい」ってなったよわたし。そのまま廊下に棒立ち

…と思ったら、今度こそ呼ばれた!

イメトレバッチリ、「がんばれー!」ってツマの背中さすったりして応援するぞー!

って気合入れて入っていったらわずか5秒後ぐらいに「産まれたよ、もう産まれてるよ…」ってツマ

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「うまーれーたーー!!」 / Twitter 


1月21日0時29分、3600gの大きな元気な女の子が産まれました。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ツマも赤子も頑張ったありがとうおめでとうおつかれさま。わたしあまり役に立ってないけど。立ち会いってこう何時間も一緒に寄り添い励ます的なあれを覚悟してたら産まれてから呼ばれる事後立ち会い的なスタイルの産科さんだったのでほんとにわたしツイートぐらいしかしてないけどツマも赤子もおつかれ」 / Twitter 


………わたし、ほんとにツイートしてただけですね。はい。

でもなんというか、断片的に実況している間にTwitterでもFacebookでもたくさんの応援や祝福の声をいただいて、ツマのお父さまもお母さまも夜遅くまでご一緒していただいて(翌日仕事なのに)、みなさんに感謝の念しかないし、産婦人科の先生や看護師さんたちは、こういう夜を年中何回も何回も経験されていると思うと、もう頭が下がる思いだし…

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「しかしこれは奇跡のようなことですほんと。生命よ。生の命よ。viva la vida サンライトイエローオーバードライブ。人間産科、もとい賛歌。」 / Twitter 

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「みんな生きてる!」 / Twitter 


わたしはもうほんとエモくなってボキャブラリーが無になりましたよ。

…そんな感じで、パパ未満がパパになる日は、なんだかドラマチックなようなあっさりしたような、かっこつかないようないつも通りのような、そんな一日でした。

わたしらしいと言えばわたしらしいけれど、当初「産まれたとき、我が子をかわいいと思えるだろうか、そもそも感動とかするのか俺?」などと懸念していたよりは意外とすんなり素直に、産まれたことを喜べたし、赤子もかわいいなと思ったし、ツマには感謝とねぎらいの気持ちでいっぱいだし、意外とこう、大きなショックや戸惑いなしに、「そして父になる(現在完了形)」って感じでその瞬間を迎えました。

「子どもができるとね、もっともっと良い世界にしたいなって思うよ」とうちの社長が言っていたのをふと思い出した。

夜明け空に向かって宣言するほどの勇ましさも爽やかさもないけれど、でも「確かに、そうだな」って。この子、この子を含め今や未来を生きる小さな生命たちが、安心して生きられる世の中に少しでも近づけたいなという気持ちはじわじわ内側から生まれてきたし、何よりまず第一に、ツマとムスメにとって安心安全な半径5mの暮らしを作ろうという気持ちになった。

というわけで、オロオロこじらせてきた産前パタニティブルーのプレパパ1名は、思った以上に前向きな一歩をここに踏み出したのであります。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

君がどんなふうに生まれてきたとしても

December 19, 2017 Yuhei Suzuki

仕事柄か、わが子について考えるときに、しばしば頭によぎることがある。それを"不安"に思うというよりは、「もしそうだったら、実際どうするか」とIFの"思考"を泳がせている、といった方が近いかもしれない。

生まれたあとのわが子に、先天性の疾患・障害があったら、という仮定について。

ツマと2人で話した結論は当初から変わらず、「生きられるなら産む、育てる」というものだ。

NIPT等々の出生前診断についても、「受けることに抵抗もないし、もし事前にわかったとしたら、産後の受け入れ環境を整える準備ができる」という考えだった。白状すると、ふたりともバタバタとしているうちに、気づいたら適応週数を過ぎてしまっていて、偉そうなこと言っておいて結局受けられなかったのだけど、仮に受けていてなんらかの先天疾患の可能性がわかったとしても、産むという方向に変わりなはなかった。正確に言うと、無脳症など、ほぼ生存できない疾患の場合はさすがに考えるけれど、現代の医療水準で、少なくとも生存が見込まれるのであれば、その後のケアや生活の困難さがどうであっても、私たちは産む、その子を迎え入れるという風に思っていた。

「産む」ことに関するそういう考えは今現時点でも変わらず、ほぼ100%そうだと言えるのだけれど、やはり「産む」ことと「育てる」ことは別ものである。障害が事前にわかった上で産んだとして、その後に苦労や不安や煩悶が起こらないかといったらまったくそうではないだろう。

まず、どうあっても子どもをケアし、育てる上での経済的・肉体的・心理的負担は通常よりも大きくなる。それはもう、この仕事をしていて、色んな保護者の方々、人生の先輩方のお話を聞きながらひしひしと感じている。とにかく見通しが立たない、情報が少ない、支援や仲間に繋がりにくい。進学・進級先の選択は難しいし、それどころか日常生活・身辺自立すらままならない…たぶん、いやきっと確実に「子育て難易度」のレベルはグンと上がるだろう。落ち込んだりくたびれたり世間に憤ったりということは、まぁ、あるだろうよ。

そしてそれは親である私やツマの生活やキャリアにも影響する。時間的・経済的制約が大きいなかで、それでもわが子含めて暮らしを継続していくために私とツマがどう動くか…前提条件が変わった上での生活とキャリアの再設計が求められる。なんだかんだと仕事を楽しんでいる節があるから、この点に関しては私の方が悩むかもしれないな。

…だけど、ここまで書いてまた考える。そうしたあれやこれやの悩みは結局、子ども本人のものではない。親の側の都合だったり、社会の価値観だったり、それらに影響されて親の側に生じる感情であり問題にすぎない。

もちろん、親には親の人生があるし、そうした「親として」の心配や悩みも、子どものことを思うからこそ生まれる部分もあるし、実際に悩み苦しんでいる先輩方と対面していて、そんなにスッパリ割り切れないよということは痛いほど伝わってくるし、無神経にジャッジしたりなんて絶対できないけれど。

けどやっぱりさ。「価値観」にまみれているのは「大人」であり「親」の側でさ。それは子どもの側の「問題」ではないということは、忘れないようにしたいと思うよ。

間もなく生まれそうなお腹の中のわが子に対して、「どうあったってきっとなんとかなるし、なんとかするから、安心してこの世界に出ておいで」と、ただただ今はそういう気持ちだ。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

あなたがあなたを生きているとき、「美しいよ」と言える人であり続けたい

December 11, 2017 Yuhei Suzuki
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こないだ三十路になりました。

今年も色々ありました。

会社では管理職になったり新規事業にも関わったり、友人と一緒にやってるNPOも法人格を取得して昨日も大きなカンファレンスを無事終えてといい感じ、家の方ではツマが妊娠しましてもうすぐ、実にもうすぐ私はパパになるようです。

今年も色々ありました。

そして三十路になりました。

だからどうしたという話ですが、本当にここ2,3年でようやく「人間」になれてきたというか、幼少〜青年期の掴みどころのない生きづらさからスーッと抜けてきて、社会との接地面を見つけられたなという感覚がします。

二十代前半かそこらでは、ろくな希望も展望も持ててやしませんでしたが、「あれ?いつの間にか?おお、そうなのか」って感じで、気がついたら案外と人生が”進捗”していて、特に今年はその感触が強かったなと。

ときおり、「どうして自分はここにいるんだろう」と不思議な気持ちになることがあります。

冗談ではなく、私は「自分は何者でもない」という感覚をずっと抱いて生きてきたものですから、今、自分と一緒に働いてくれる人たちがいて、そのチームの中に自分が存在していること、共に生きることを選んでくれた伴侶がいること、その人とこれから新しい生命を迎え育てていくこと、どれもこれもがちょっとした奇跡体験アンビリーバボーな感じなのです。

インスタジェニックな写真をアップして、「#最高の仲間にマジ感謝」するほどのセンスも度胸も自己肯定感もありませんが(たぶん上のハッシュタグ例も微妙にセンスがズレてると思う)、しかしここまでどうにか生きおおせてきたのは、周りの人たちがくれた機会や期待に対してなんとか応えようとしてきたからかもしれませんし、能力や結果いかんに関わらず私を私として肯定してくれた人たちに恵まれてきたからかもしれませんし、いずれにしても他者の存在なしにはありえませんでした。


いま、会社のメンバーを誘ってアドベントカレンダーをやっているのですが、こないだまでライターインターンをしていた学生がとてもエモい記事を書いてくれて、嬉しいなぁ採用して一緒に働いて良かったなぁと年寄り目線でしみじみすると共に、「あぁ僕の原点もここにあったなぁ」と改めて自覚させてもらうなどということがあり。

どこにでもいる学生が、”まだどこにもない”記事を書くことに本気で情熱を注いでたんだってば。|あべあいり/駆け出しwebディレクター|note

そう、「何者でもない私」が他者とつながり、社会の中で生きる道を見つけようともがいていた頃から、「書くこと」だけが自分にとっての唯一の突破口だったのです。

取るに足らない小さな自分が、言い訳をせずちゃんと他者と向き合うためには、考えて、書いて、また考えて、手触りのある言葉を探して紡いで…と、それを繰り返すしかなかったように思います。

いま、一丁前にプレゼンをしたり営業提案をしたり部下と面談したりとなんだかビジネスパーソン然としたコミュニケーションを取れているように見えるのは結局この「書くこと」、言葉で考えることの応用延長編でしかなく、それ以外はまことにポンコツで凸凹の大きい人間なのです。


ここまで書いてきて、なんの話をしていたんだっけ、そうタイトルの話。

「何者でもない」自分がサバイブするためという極めて利己的な欲求からネットの片隅にブログを書き始めた私ですが、今では物を書くことや、メディアを運営することがお仕事としてもできるようになりました。

「仕事」となるとまぁ色々なことがあるのですけれど、一番嬉しいのはやっぱり、「書くこと」を通して、誰かの人生が動き出す、その人の物語が開かれる瞬間に立ち会えることです。

どんな人にも、その人をその人たらしめる歴史があり、身体があり、それを固有の、美しい物語として紡いでいくこと。それが「書くこと」の力だと思います。

善い物語は、スポットを当てられたインタビュイーだけでなく、その人と時間を共にしたインタビュアーや、その物語を読む読者にとっても善い変化をもたらします。

書くこと、その前段として「あなたの話を聴く」ことを通して、「何者でもない」僕の人生にはたくさんの彩りが加えられ、その度に世界の見え方が変わっていきました。いつしか生きていていいのだとも思えるようになりました。



それと並行して気づいたのは、世の中には逆に、「何者かである」ことに囚われ縛られ、そして苦しんでいる人もたくさんいるということです。

若者だとか年寄りだとか
障害者だとか健常者だとか
親だとか子だとか
上司だとか部下だとか
当事者だとか当事者じゃないとか

生きていると私たちに色んな「ラベル」が付着したり剥がれたりしますね。
そして、望むと望まざるとに関わらずその都度その都度の「ポジション」を取ります。

その状態を、その痛みを否定することはなく、しかしそのひとつひとつに耳を傾け、一緒にさわっていくなかで解きほぐしていくこと、そこから新しい物語を編み直していくことも、「書くこと」に備わっている力なのだと思います。

新しく紡ぎ出された物語は、やはり他ならぬその人自身のもので、私がゼロからつくり出したものではありません。

だけど、自分の物語を自分独りで見出していくことはとても難しいと思います。

何か明快な答えを出せるわけでもなく、「うんうん、そうかそうか」とお話を聞いたり、「それってこういうこと?」と私の理解・解釈を言葉にして返すことぐらいしかできませんが、傍らの壁打ち相手として、私が何かの役に立てるならとてもうれしい。

テーブルを挟んだとめどもない会話の中で、少しずつ少しずつ、あなたの輪郭が浮かび上がります。私はそれをなるべくそのままに掬い取れるよう、大事に大事に言葉を紡いでいきたいと思う。

出来上がったあなたの物語は、書いた私の自己満足だし、主観ですけれど、間違いなく美しいんです。

In essay Tags narrative

臨月を迎えて

December 6, 2017 Yuhei Suzuki

12月。臨月を迎え、いよいよいつ産まれてもおかしくないという時期に入ってきた。

赤子の体重も3,000g近くなり、経過は順調のようで、検診に行って先生にこんなことを言われたとか、髪の毛がふさふさだとか、指をよく舐めてるとかそういった断片情報をツマからのLINEで受け取りながら仕事をする。

ツマのお腹は、この1,2週間は見た目で受け取る印象的にはあまり大きさが変わっていないように見えるが、よくお腹が張るとか、寝る時には腰のこの辺が痛くなるだとかいう話を聞くにつれ、僕が両親学級でヘラヘラと疑似体験したぐらいじゃわからないような、地味ーで持続的な負担がツマの身体にはかかっているんだろうなと思う。

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それはさておき、師走なのかなんなのか、仕事の方がめっぽう忙しくって。

予定日の週は極力何も予定を入れないようにして、予定入れる際も「空いてるから仮で入れるけど、陣痛起こったらリスケってことでよろしくね」と相手に伝えたり、忘年会の類は「欠席カウントにしておいて、当日何もなかったら行く」というような感じでバッファを持たせておいている。

その前の週までは、遠方出張とかイベント登壇とか、営業先との割りと大事な回とか、なかなかこう急に代打というわけにはいかない予定が目白押しなのだが、予定日の週に期待した通りに産まれるという保証はどこにもないわけで…夫婦揃ってお腹に向かって「君の誕生日は22日だよー」なんて語りかけたりしている笑

話は変わるが、先日、医師の先生と仕事のミーティングをしているときに、「実家出産の場合のオットの所在のなさ」について話題になった。その先生も実家出産で、僕よりも遠方ながら週に一回は顔を出していたということだが、たまに顔を出しても実は大してオットにはやることがないのだ。特に産休中は。

ましてやツマの実家なので、微妙に気を遣う(笑)夜遅くに到着して、ご飯やお風呂までお世話になって、でも別にやることもないし…と、なかなか恐縮してしまうのだ。

仕事でもなんでもそうだが、やはり一定の時間、ある程度の反復継続性のある作業を積み重ねてみないとなかなか一単位時間あたりの仕事の生産性というのは上がりにくいもので、どうしてもオットの戦力値というのは低く留まりがちだ。しかも、ツマの側には、ツマの母上という、「すでに経験した人」がいるわけで。

でも、やることが少ない、役に立たないからといって顔を出す頻度を下げればますます子育てへの関与度・戦力値は下がっていく一方だし、コミットメントしていないことへの負い目はより大きくなる…

こういう、オットの側の悩みというのは、なかなかメディアには出てこないし、基本的にはやり玉に上げられdisられる側だから、自分たちからも声を上げにくい…そんな話を先生とした。

ところで、他人との付き合いであれば、こういう問題はほとんど発生しない。

友人関係であっても、お互い付き合い続けるのが負担だなとか、かけた時間に見合わないなと思えば自然と付き合いは遠のいていくし、サークルとかボランティア活動とかだって、「まぁお互い無理のない範囲で楽しくやろうや」というゆるさでもって運営されることが多いから、他が忙しい、かつ優先順位が低いなと思った人は顔を出さなくなるし、残っている側も無理に追ったりはしない。

仕事の場合だとそうはいかない場合もあるが、それでもリソースには限りがあるし、費用対効果の概念もあるわけだから、アウトプットを出すのにあまりにも時間がかかりそうな相手とのプロジェクトは、そもそも立ち上がらなかったり、いつの間にか立ち消えになったりするのが常だろう。

だけど、子育てはそうはいかない。「しんどいから」「忙しいから」で投げ出してしまえば生きていけない存在がすぐそこにいるのだから。

結婚とか家族とか家庭とか、好き嫌いや損得だけで簡単にフェードアウトできない縛りを設けることは、実は思った以上に重要なのかもしれない。

絆-きずなは、'ほだし'とも読む。歓びや幸せは、面倒臭さの裏側にあるのだろう。

眠気まなこをこすり、早く切り上げようと思いつつ残ってしまった仕事を抱えながら、今週もツマの実家に顔を出している。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

#15「ツマと、夕食: オットの三十路祝いでケーキ」2017/12/3

December 3, 2017 Yuhei Suzuki

ツマは高尾のご実家で産休中。オットは週2ぐらいでお邪魔してご家族と一緒にご飯いただくという生活を始めて1ヶ月ぐらい経ちましたが、仕事終わりに夜遅くなりがちで、この夫婦お絵かき日記も更新途絶えておりました。

今日はオットの方が誕生日でして、三十路を迎えまして、ケーキでお祝いしてもらいました。ほんで久しぶりにお絵かきしましょうかと。

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ツマ「ケーキはどれぐらい食べる?」

オット「んー、このぐらい…」

ツマ「イチゴひとつ分の幅ね」

オット「ちょっと太ったから…サーティーをアラウンドするたびに人間の代謝は落ちていくのだな。毎日一駅歩いてるけど忘年会シーズンで飲んで食ってしてたら焼け石に水だわ」

ツマ「でも、ケーキはさておき、今日は鍋だったからあんまりカロリー摂ってないよ。ヘルシー」

オット「そう、それで思ったんだけど、俺も家で一人鍋を食事の主軸に据えようかなと。料理簡単だし野菜取れるし腹膨れるしカロリー少ないし」

ツマ「白菜、ネギ、豆腐、水菜、キノコあたりは安いし、切ってぶち込めばいいだけだから調理簡単だし、続くんじゃない?」

オット「ちょっとがんばってみる」

ツマ「私も体重増えすぎてお医者さんに怒られてるから気をつけるwこないだも『ちょっと〜、増えたねぇ…ギリギリ〜』って言われた」

オット「ドンマイだ。ところであれ、もう臨月じゃないですか」

ツマ「はい」

オット「陣痛、10分間隔で続いたら電話して入院、みたいな両親学級で教わったフローチャート的なのあったじゃん。でも今後、予定日以前も本陣痛ではないけどお腹いたーいみたいなの発生するよね」

ツマ「そう、ニセの陣痛ってやつが起こるんですよ。正式には前駆陣痛と言います」

オット「陣痛来て入院したら俺連絡受けて会社から高尾に向かうじゃん。ニセの陣痛の時はどうすんの?何したらいいの?戦力になる?」

ツマ「何したらって、いやぁ〜、『だ、大丈夫か?』って気遣うとか?」

オット「大丈夫か?って言う。でもさー、『おなかいたーい』ってニセの陣痛のときLINEもらった時に、なんか僕忘年会とか出てたらすごいいたたまれない気持ちになりそう」

ツマ「別にやることないし、いいんじゃないの?w」

#15 「ツマと、夕食: オットの三十路祝いでケーキ」2017/10/31

本日の夕げ

・鍋(かに、ふぐ、牡蠣、などなど)

・お刺身(車海老、関アジ、貝、などなど)

・バースデーケーキ

上がオット作

下がツマ作

In essay Tags pair

高尾から中目黒に移動しながら書いたやーつ

November 30, 2017 Yuhei Suzuki
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朝起きて定点観測的に写真を撮って会社行くまでの東急線に揉まれながらスマホでパパっと思いついたこと書くというこの試みは、慌ただしさにかまけてすっかり自分で書く機会が減った自分のリハビリというかいやそんな本格的ではないけどまぁ習慣付くといいなという期待で初めてみたが、どっこい11月は輪をかけて忙しくって、どうにも毎日とはいかない。

産休に入ったツマの実家、高尾に週2で顔を出す生活も1ヶ月が経ちまして、昨晩も仕事終わってから高尾に行って晩御飯をごちそうになって泊めていただくという、ツマにもご家族にも感謝感謝の夜だったのですが、今日は3件外回りが入っておりましてその資料ができてないものだから早朝始発バスに乗り込んでそしていま中央線でこれを現実逃避気味にカタカタ書いております。なので今日の写真はいつもの朝のベランダじゃなくて夜明け前の高尾のバス停なのだ。あ、新宿着いた。

山手線に乗り込みまして、スマホに持ち替えて続きを書いとるわけですが、この時間で山手線はもう、満員とは言いませんが十二分な人が乗り込んでおり、上京して10年経ちますが、やっぱり東京すごい、人類がいっぱいいるね。

昨日はお仕事で企画ご一緒する方と打ち合わせしてたのですが、僕のこのnoteとかTwitterとか記事とか読まれていると知り、うへぇこんなおっぱいとか眠いとかしか言ってないアカウント(しかも所属明記してる)ですみませんって感じですが、昼間のお仕事では最近もっぱら管理・企画・営業が中心の人なもので「お忙しいなかさらっと書いてるブログでもあれだけ書けるのは、やっぱり書く人なんだなって思いましたよ」と言っていただいたりなんかして、へっへっへ。嬉し恥ずかし、もっとちゃんと、書く時間取らんとなぁとか思ったりなんだり。

もう11月がおしまいとか驚愕なんだけど色々がんばる、今日も。

In diary Tags diary

オットは結局あまり戦力にならんのだからせめてポジティブでいようと思った話

November 23, 2017 Yuhei Suzuki

ツマは明日から臨月に入る。お腹の中の赤子もいよいよもって大きくなっております(体重、けっこうあるよ)。

「パパになるとか一体どういうことなんだ、わからん」っていう逡巡から始まって、これまで書いてきたのだけれど、最近は気持ちの面では変な不安はなくなってきた気がする。

別に大きく状況が変わったわけではない。

子どもが生まれてから自分や家族や暮らしがどうなっていくのか、相変わらずわからないことだらけであるし、そもそも母子ともに安全な状態で生まれてくる保証なんてどこにもない。

「わからない」ということ自体は何も変わっていないし、特に何か大きな発見や成長イベントがあったわけでもないのだけれど。

「まぁ、どうなったとしても、なんとかなるし、家族で助け合ってなんとかするんだきっと」 と、わからないことを前提に対処していくんだという意識になってきたのか、不思議と気持ちが落ち着いてきている。

相変わらず慌ただしく働きながら、うとうとしながら電車とバスを乗り継ぎ(たまに寝過ごす)、週に2回はツマのいる高尾に顔を出すという日々で、1週間があっという間に過ぎていく。実際の時間で測ったらツマやツマの家族と一緒に過ごして会話を交わす時間はほんのわずかでしかないのだけれど。

心はそこそこ穏やかで、なんだか不思議な、凪のような時間を過ごしている感じだ。

もしかするとこれは束の間の錯覚に過ぎなくて、12月に入れば怒涛のように日々が過ぎていき、振り返る間もなく「その日」を迎え、生まれたと思ったらまた右往左往のオロオロデイズが待ち受けているのかもしれない。

そうだとしても、今のこの鷹揚とした感覚は、なるべく忘れないようにしたい。

前回の記事でも書いたとおり、産休中のツマの方は、やはり不安やストレス、肉体的疲労等が伴ってのアップダウンがある。今後、予定日が近づくにつれてますます大きくなる可能性もあるだろう。

一方で、そういったツマのストレス源や負担を具体的に減らせるかという点では、オットは実戦力としてはほとんど役に立たない(ということがわかってきた)。

そうだとしたらなおさら、僕の役割はとにかく「前向きでいる」ということなのかもしれない。

もともとはどちらかというと僕の方がネガティブでアップダウンが激しい性格をしており、凹んではツマに慰められるというのが常だった。 今はツマが一番不安が大きいのだ。

こういう時には、「根拠のないポジティブさ」というのが大事なのだろうな。

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ちょろちょろぱっぱ

November 20, 2017 Yuhei Suzuki

自分は何が、どんな人が好きかというのは、ちょこちょこ小出しに発信していくと、「こんなのどう?」という機会をいただきやすくなるのでやっておくといい。

だけどこういうのは、あまりに大声で全方位共感を求めて叫ぶ必要はなくって、というかそういうテンションでやると「そんな都合のいい話はないよ」とか善意なのかしらんけどでも誰も得しないみたいなよくわからないアドバイスが飛んできたりして自分もぐぬぅってなると思うので、野望の表出はあくまで控えめに、限定された信頼できる相手に留めておいた方がいい。

ウェブで発信する場合もあまりお返事を気にせず、しかしひそかな確信だけは持って、虚空にひとりごとを放流するのが良い。と思うな。

関係ないけど、はじめちょろちょろなかぱっぱっていうフレーズのリズムと響きが好き。

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産休・育休時にオットがやるべきは「家事をがんばる」とかそういうことではなく

November 13, 2017 Yuhei Suzuki
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「産休・育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくって。それよりも、コミュニケーションの相手がものすごく限定されるのが大きいんだということを、わかっておいてほしい」

産休に入り、高尾の実家に帰ったツマとの「産休はなれ暮らし」が始まって2週間。

子どもが産まれてからは否が応でも慌ただしい生活が始まるのだから、今のうちにお互いが大事にしたいこと、お互いに求めることを整理して言葉にしておこうという提案をツマからもらい、①人としての生活の自立、②ツマ/オットとしての生活、③家族の一員としての生活、④ママ/パパとしての生活の4つの軸で、今出来ているから維持してほしいこと、これから出来るようになってほしいこと・気をつけてほしいことをお互いに書き出して交換した。

その時のやり取りの中でツマから言われたのが冒頭の言葉。

言われてみれば確かにそうだな、という話なのだけど、改めてそれを要望としてまっすぐに伝えられるまで、ことの重大さは自覚し切っていなかったと思う。

ツマの実家ぐらしが始まってから、週に2回はあちらに顔を出すということをしているのだけど、やはり仕事の関係もあり、夜遅くに着いてメシ食って泊まって早朝また出社…みたいな感じになってしまって、わたし自身がツマの「昼間の生活」と交わることはない。

時々、「ヒマー」とLINEが飛んでくるが、日中なかなかタイムリーにお返事をできることもないのが正直なところ。しかし、「ヒマだ」というツマの言葉は、けっこう馬鹿にならないシグナルだったのだ。

ツマが産休に入るとか実家に帰るとかいうのを、「出産に備えた休み」などと素朴に考えていると見落とすのが、これまで会社で働き、都内でさまざまな人と関わっていたツマの「人間関係のチャネルが急に限定される」ということ。

身体のなかの赤子のためにも健康に気をつけながら、犬の散歩をして、買い物やごはんの支度をして、その合間に母親と分担しながら祖母の介護をし…といった生活範囲の中では、基本的にツマの話し相手は家族しかいない。

時折やって来る友人やオット(わたし)は、ツマと外界を結ぶ数少ない"窓口"なのだ。

一方でわたしは、社内外で毎日色んな人と仕事をしたり出会ったりして、その上にプラスオンでツマやツマの実家ご家族との接点がある。前提が真逆なのだ。うっかりするとそれを忘れてしまう。

わたしたち男性は、ともすれば量的・物理的ソリューションというか、「産前産後や育児のあれやこれやのタスクを自分がどれだけ担えるか、それはツマに比して不十分ではないか」みたいな観点で頑張ろうとしたりするんだが、実タスクを何%担っているかなどといった”担当業務”の問題よりも、ツマとの他愛のないコミュニケーションの時間をどれだけ持てているのか?という方がよっぽど大事なのかもしれない。

ツマが産休に入る前は、「週3で顔出すよ!」などと豪語していたのだが、やはりそれなりに移動距離はあり、体力的にも、仕事の時間的にも、週2回で精一杯というのが実態である。でも、「疲れるから」といってこのラインを下回るようなことは絶対にするまい…とは決めている。

そんなに毎日ドラマチックなことばかり起こるわけではありませぬが、限られた時間だからこそ、わたしはツマに毎回いろんなおみやげ話を持って帰れるぐらいには一生懸命に昼間を過ごそうと思うのだ。

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世代の宿題

November 8, 2017 Yuhei Suzuki
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最近は「あ、自分いなくても回るなこれ」と思う場面が増えてきて、それはいいことだと思う。

それはそれでやることはあるので、はたらけどひまにならざりって状況は変わらないのだけど、手足や頭の使いどころは変わってきたし、少し前より遠くを見て考える余裕が生まれてきたのはありがたい。

その分、自分の今後の動きというか、ミッションというと大げさに聞こえるけど、やはりわたくし社会の中でみなさんと共に生きてるわけですから、自分の時間と生命はなるべくダブりのないようにというか、いい感じにすき間を埋められるところはどこかなって考えてます。

「たぶん、"世代の宿題"っていうのがあってさ」

以前執筆を担当した対談で鈴木菜央さんが言っていたこの言葉はとても印象に残っていて、最近、頭の片隅に置いている。
(楽しいけど食えない、食えるけど楽しくない。その向こう側に行くには? グリーンズ鈴木菜央・小野裕之が語る「ソーシャルな会社のつくりかた」)

なんだって僕たちは先達の遺産の上に乗っかって表層を生きてるわけですが、部分部分を見ると先達が成し得なかったことは当然いつもあって、それが現代や次代を生きる人たちの問いであり宿題になる。

なにかの社会課題ひとつ取っても、科学の発展や当事者運動や色々あって今に至るわけだけど、最近はナチュラルに自分が知って学んで、組織もちょっとずつ足腰が立ってきて…って足し算中心のフェーズじゃなくて、歴史の流れを踏まえた自分たちの役割の定義や実践というのを、気持ちや意識の面だけでなく方法論としてもちゃんと組み入れていく必要があるなと感じる。

もっと身近で短期的な話で言うと、"世代の宿題"というのは事業の2-3年とか会社の5-10年とかのスパンでも同じことで、去年出来てたことを繰り返しているようならそこに自分の宿題はないなということを認識した方が良いのだと思う。ちゃっちゃと次世代に譲り渡した方がいいし、仮に彼らが同じようなことに取り組むにしても、自分が以前1年かかってやっと出来たことを半年未満で展開するにはどうすればいいか?を問うて仕掛けていかないとあんまり自分の存在価値はないよなぁと。

まぁ僕自身が飽きっぽい性格なのもあって、「あ、これ出来るな、もうやったな」と思うと興味が薄れがちなので(それはそれで気をつけなきゃいけない場面もあるけれど)、自分が楽しく働き続けるためにも、いつも次の宿題、まだ答えが見えない問いというのを抱えてないといけないのだと思う。

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海の向こうからのエール、「フィンランド・ベイビー・ボックス」とのご対面

November 5, 2017 Yuhei Suzuki

11月。 産休に入ったツマは実家で出産に備え、僕は一人暮らしをしながら、週に2回ほど顔を出すという日々が始まった(まだ1週目だけど)。

案の定、ツマがいなくなってから3日連続床で寝落ちするという極めて幸先の悪いスタート。赤子を迎え入れる前にもう少し人間らしい生活スタイルを身につける必要がある。

それはさておき、少し前に注文して、ツマの実家に届いていた「フィンランド・ベイビー・ボックス」と今日対面することができた。

こちら、フィンランドのパパ3人が起業して始めたサービスで、赤ちゃんが生まれてから1年に必要なグッズをひと箱に詰めたギフトボックスである。

https://www.finnishbabybox.com/ja/

開けてみるとこんな感じにほら。

赤ちゃんの寝間着、部屋着、外出着、スタイやお風呂・衛生用具、哺乳瓶にぬいぐるみetc. 赤ちゃんとの最初の1年を過ごす必需品がたっぷり。
(あとコンドームも入ってたw)

衣類は複数のサイズが入っているほか、注文時に「冬の一番寒い時期に赤ちゃんは何ヶ月ですか?」「冬の一番寒い時期はどのぐらいの寒さですか?」という質問に答えることで、赤ちゃんの発育具合や気候に合わせて、サイズ・暖かさがカスタマイズされて届くという優れもの。

さらに驚くべきは、これがそのままベビーベッドになるということ。

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マットレスに防水カバー、シーツに布団も完備。

あとはおむつやミルクなどの消耗品を中心に書い足す必要はあるけれど、このボックスひとつで、赤ちゃんをお家に迎え入れるための大半のグッズが揃うといっても過言ではない。

少し前に、パパとしての実感を高めようとツマと一緒に西松屋に行ったのだけど、情報量の多さに圧倒されてオロオロしてしまった(笑)

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だっておむつだけでこれだけあるんだよw

もちろん、産まれてくる赤子を思い浮かべながら、ベビー用品をあれこれ物色して選ぶ時間も大切だと思うけど、このフィンランド・ベイビー・ボックスのように、「このひと箱でOK!」ってまとめてくれるととっても心強くて安心だよね…

そもそもこの宅配ボックスサービスがどうして産まれたのかというと、本国フィンランドでは、出産家庭への手当として、国からこのようなボックスがプレゼントされる仕組みになっているそうなのだ。

フィンランドでは、出産が近づくとKELA(フィンランド社会保険庁事務所)から両親に国からのプレゼントが渡される。これは母親支援の手当の一つで、現金支給か育児パッケージのどちらかから選ぶことができる。現金支給だと約140ユーロ、育児パッケージだとその倍以上の価値のある育児グッズがもらえることもあり、赤ちゃんを迎える家庭の3分の2が育児パッケージを選択するという。

もともとこの育児パッケージは、乳児死亡率の高かった1900年代始めに民間の母子支援活動から始まったもの。それは1937年に法制化され、母親手当の現物支給となり、当時あった所得制限も1949年には撤廃されている。今では地域の出産や子育ての支援センター「ネウボラ」や医療機関で妊娠健診を受診していれば、全員もらうことができるようになっている赤ちゃん歓迎の祝福のシンボルだそう。

「フィンランド政府の出産祝い 衣類やオムツ全員に」
日経DUAL, 2014/10/09
http://dual.nikkei.co.jp/article/034/52/

2013年にフィンランドのこの施策がBBCで紹介されると、世界中から購入希望があったという。だけど、フィンランド政府公式のボックスはフィンランドの人たちしか手にすることができないのだ。

そこで、このスターターキットの便利さや、出産・育児を祝い、応援してもらう喜びを世界中の人たちにも共有したいという思いを持つフィンランド人のパパ3人が起業、政府公式のボックスを踏襲したオリジナルパッケージでの「フィンランド・ベイビー・ボックス」を世界各地に販売・配送するサービスを立ち上げたのである。

モノとしての便利さ、かわいさもさることながら、こうやって、未来のパパ・ママを応援しようとしてくれる先輩たちが海外にもいるのだという事実が、出産前の不安な僕たちと勇気づけてくれる。

「苦労は買ってでもしろ」なんてことわざがある。

実際、子育てにしろなんにしろ、自分で汗かき試行錯誤するなかで人は成長するのだろう。

だけど、やっぱり子育ては不安で心配だし、いくら準備しても、どれだけセンスのある人でも、きっと苦労は絶えることがないのだから、ほんの少しの工夫で子育てが「楽」になるなら、それは積極的に使っていったらいいし、そのためのアイデアや取り組みはもっと広がっていけば良いと思う。

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時には顔を上げて

November 1, 2017 Yuhei Suzuki

建物を建てたことはないけど、基礎工事が大事だというのはサービスづくりやメディアづくりも同じで、基礎を怠ると後でガタガタになる。

とはいえ基礎工事は地道なもので、長い工程のうち一個一個のアウトプットに対してすぐに劇的なフィードバックが返ってくるわけではなく、一定の溜めの期間を経てだんだんと成果が跳ね返ってくる類のものだから、長期にわたってモチベーションを保ち続けるにはちょっとした工夫が必要だ。

それは、表に見えにくいアウトプットであってもしっかり価値を認識して賞賛する文化であったり、適切な期間で区切ってマイルストーンを置いたり、全体のアウトカムだけでなく、作業に従事する個々人の行動やスキルレベルでの成長に基づいたフィードバックサイクルを作ったり色々ある。

だけどやはり重要なのは基礎を組み固めた先に自分たちはどれほど高いところ、遠いところに行けるのかというビジョンを描くことであるし、また共有することだろう。

面白いのは、基礎工事をやっているなかでも個々人の習熟に応じて見える景色は変わってくるということだ。最初はおぼろげで、まだ霧がかかっているような風景だったのが、色々やっていくうちにだんだんくっきり見えてくる。その繰り返しでビジョンが鮮明になったり、あるいは微調整の後アップデートされたりする。

だから基礎工事の過程でも、ちょくちょく目線を上げて遠くを見るようにした方がいいし、なるべく定期的に個々人が見ている風景を持ち寄り語らう場を持った方がいいのだ。きっと。

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きっと誰もが、「ヨチヨチ父」

October 31, 2017 Yuhei Suzuki
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「買ってきたよー」とツマに手渡された一冊。

ヨシタケシンスケ著『ヨチヨチ父−とまどう日々−』を読んだ。

ヨシタケシンスケ氏は、『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)をはじめ、子どもの目線で日常の何気ない一コマを描く絵本作家・イラストレーターである。

僕のツマをはじめ、発達心理や児童福祉、教育等々の界隈で働く人にファンが多く、僕も布教されるがままに4, 5冊読んだのだが、ユーモラスなお話づくりがなかなかクセになるのだ。

本作は、そんなヨシタケシンスケ氏自身が父親になって、はじめての育児を体験したとき、つまり"ヨチヨチ父"の日々を振り返って描いた、"父親目線"での育児エッセイだ。

僕を含め、子どもが産まれるまえからオロオロしているプレパパや、今現在ツマにやいのやいのと言われながら奮闘中の現役ヨチヨチ父にとっては、この上なく貴重な「味方」になるだろうと思う笑

「ホラ!ジャーン!母子手帳。」

「…『パパ手帳』はなくていいの…?」

おそらく母子手帳をもらったばかりの(プレ)ママと、それを見せびらかされてうろたえる(プレ)パパの絵が表紙裏のそでに描かれている。

もう、この表情に、世の男性の育児に対する不安が凝縮されているといっても過言ではない笑

教科書とかマニュアルとか手帳とか試験とか資格とか…学習プロセスで「形あるもの」に依拠したがるのはどちらかというと男性に多いように思うけど、育児の場合はそれがほとんどない(両親学級で配られるパンフレットぐらい?)。その上、徐々にお腹が大きくなってそして苦しみながら我が子を産み落とす…という「体験学習」の機会もない。

「え?俺?パパになるの?大丈夫?どうやってなるの?何を終えたらパパ認定なの?」と、所在のなさを抱えたまま出産の日を迎える。

そして、本書冒頭の漫画で戯画的に描かれているような、「頼りないお父さん」が赤ちゃんと一緒に誕生するのである笑

そこから先もヨチヨチ父さんに待ち構えているのは試練の連続である。

赤ちゃんの抱っこ、沐浴、おむつ替え、それから爪切り…日常の赤ちゃんケアあれこれはもちろんのこと、ぎこちない。 そしてそのおぼつかなさを見かねたママに叱られる…w

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と、こんな感じで新人パパが直面するあらゆる試練がコミカルに描かれていて、もうこれは読んでてまったく他人事じゃないw

ただ、この本の素敵なところは、とことん自虐的に描きつつも、ヨチヨチの日常のなかにささやかな幸せが指し示されているところである。

泣き出した赤ちゃんをあやしながらお店の外に出るパパの背中は、"他の誰かをホッとさせ、楽しませ、勇気づけている"のかもしれない、という話とか 親になるということは、「強さ」や「弱さ」でははかることのできない「新しい何か」を手に入れること、だとか

随所にグッとくるエピソードがあって勇気づけられる。

読めば読むほど、ヨチヨチ苦難の日々は避け得ない気がするし、平坦な道のりのはずはないんだけれど、でもなんだか、ちょっとだけ、「その日」が楽しみになってくる。なんとかがんばれそうかな、って気持ちになる。

そんな本です。

*

「いやー読んだけどこれ、ここに書かれているヨチヨチ父エピソード全部そのままなぞる気しかしない。二足歩行出来る気がしない」

読み終わった後、こう言ったら、

「うーん、そうだね。でもね、私この本読んで、あなたがヨチヨチ父なように、きっと私もヨチヨチ母をやるんだと思ったよ」 と、ツマ。

きっとツマも不安なのだろうなと思う(当然だが)。

二人でヨチヨチ、歩いていこう。

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レストランの「無限パンシステム」の最適解を僕はまだ知らない

October 31, 2017 Yuhei Suzuki
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「無限パンシステム」、あれ難問だと思いませんか。

いやあれ、レストランとか行くとバスケットに入れられたパンが無制限に補充されてくるやつ。あれの最適解がわからない。

「いや、食べたくなかったら断ればいいじゃんw」とツマは言うのだが、ことはそう簡単ではないのだよ奥さん。

「パンのおかわりいかがですか?」と紳士的な笑顔で聞いてくるスタッフさんに対して、「あ、大丈夫でーす。ありがとうございます」とハキハキ即答するというのは、私みたいな人見知りにとって、けっこうな高等スキルなのである。

ちょっとタイミングがずれようものなら、相手はもうあのカチカチバサミでパンを挟み、バスケットから出すモーションになってるものだから、「あ、はい、ありがとうございます、じゃあ、同じの2つ…」みたいな感じでなし崩し的に受け入れるしかないのだ。総受け。

なので、いかにホールスタッフに「あ、あの人パン足りてへんな」と思われることなく、自然なペースで、パンを食べつつ残しつつしながらコース料理をたいらげるかという戦いになる。

ところがこれも、なかなかどうして難しい。私の胃袋は鈍感野郎なので、ちょうどいいペースとか満腹感の見極めが苦手なのだ。

なおかつ出てきたものは衝動的にパクパク食べてしまう節操無しなものだから、まず間違いなく小皿パンの第一陣(小皿に最初に盛られる2つぐらい)は、開始早々、最初の料理が終わるぐらいに戦場から姿を消すのである。

で、次は第二陣の受け入れキャパ見極めになるわけだが、ここで「一つでいいです」と言うか「あ、じゃあ二つください」と言うかでその後の試合運びが変わってくるのだ。

第三陣が来たら間違いなく我が城はキャパオーバーなので、スタッフにいかに「補充したろ」と思われないかが勝負なわけだが、この第二陣パンの消費スピードが最大の難問。

だってさ、せっかくもらったんならそのパンも美味しく食べたいじゃん。

でも第三陣の襲来を防ぐ必要があるから、すぐ食べ尽くすわけにもいかないじゃん。

とはいえ、あんまりチマチマ食べてるとパンが冷めて固くなって美味しくなくなるじゃん。

だからコース料理本体の配膳スピードを見極めながら、美味しさキープできて第三陣と防げる絶妙なペースでパンをもぐもぐする必要があるわけ。

これね、むずい。なーかなか勝てない。いっつもどっちか中途半端な感じになっちゃう。

誰かこの悩み共感してくれる人いない?いないか…

P.S.
伏兵に注意。
油断してるとあいつら、「新しい味のパン」を出してくるぞ!目にしたら気になって頼んじゃうから気をつけろ!

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