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世代の宿題

November 8, 2017 Yuhei Suzuki
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最近は「あ、自分いなくても回るなこれ」と思う場面が増えてきて、それはいいことだと思う。

それはそれでやることはあるので、はたらけどひまにならざりって状況は変わらないのだけど、手足や頭の使いどころは変わってきたし、少し前より遠くを見て考える余裕が生まれてきたのはありがたい。

その分、自分の今後の動きというか、ミッションというと大げさに聞こえるけど、やはりわたくし社会の中でみなさんと共に生きてるわけですから、自分の時間と生命はなるべくダブりのないようにというか、いい感じにすき間を埋められるところはどこかなって考えてます。

「たぶん、"世代の宿題"っていうのがあってさ」

以前執筆を担当した対談で鈴木菜央さんが言っていたこの言葉はとても印象に残っていて、最近、頭の片隅に置いている。
(楽しいけど食えない、食えるけど楽しくない。その向こう側に行くには? グリーンズ鈴木菜央・小野裕之が語る「ソーシャルな会社のつくりかた」)

なんだって僕たちは先達の遺産の上に乗っかって表層を生きてるわけですが、部分部分を見ると先達が成し得なかったことは当然いつもあって、それが現代や次代を生きる人たちの問いであり宿題になる。

なにかの社会課題ひとつ取っても、科学の発展や当事者運動や色々あって今に至るわけだけど、最近はナチュラルに自分が知って学んで、組織もちょっとずつ足腰が立ってきて…って足し算中心のフェーズじゃなくて、歴史の流れを踏まえた自分たちの役割の定義や実践というのを、気持ちや意識の面だけでなく方法論としてもちゃんと組み入れていく必要があるなと感じる。

もっと身近で短期的な話で言うと、"世代の宿題"というのは事業の2-3年とか会社の5-10年とかのスパンでも同じことで、去年出来てたことを繰り返しているようならそこに自分の宿題はないなということを認識した方が良いのだと思う。ちゃっちゃと次世代に譲り渡した方がいいし、仮に彼らが同じようなことに取り組むにしても、自分が以前1年かかってやっと出来たことを半年未満で展開するにはどうすればいいか?を問うて仕掛けていかないとあんまり自分の存在価値はないよなぁと。

まぁ僕自身が飽きっぽい性格なのもあって、「あ、これ出来るな、もうやったな」と思うと興味が薄れがちなので(それはそれで気をつけなきゃいけない場面もあるけれど)、自分が楽しく働き続けるためにも、いつも次の宿題、まだ答えが見えない問いというのを抱えてないといけないのだと思う。

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