ツマは明日から臨月に入る。お腹の中の赤子もいよいよもって大きくなっております(体重、けっこうあるよ)。
「パパになるとか一体どういうことなんだ、わからん」っていう逡巡から始まって、これまで書いてきたのだけれど、最近は気持ちの面では変な不安はなくなってきた気がする。
別に大きく状況が変わったわけではない。
子どもが生まれてから自分や家族や暮らしがどうなっていくのか、相変わらずわからないことだらけであるし、そもそも母子ともに安全な状態で生まれてくる保証なんてどこにもない。
「わからない」ということ自体は何も変わっていないし、特に何か大きな発見や成長イベントがあったわけでもないのだけれど。
「まぁ、どうなったとしても、なんとかなるし、家族で助け合ってなんとかするんだきっと」 と、わからないことを前提に対処していくんだという意識になってきたのか、不思議と気持ちが落ち着いてきている。
相変わらず慌ただしく働きながら、うとうとしながら電車とバスを乗り継ぎ(たまに寝過ごす)、週に2回はツマのいる高尾に顔を出すという日々で、1週間があっという間に過ぎていく。実際の時間で測ったらツマやツマの家族と一緒に過ごして会話を交わす時間はほんのわずかでしかないのだけれど。
心はそこそこ穏やかで、なんだか不思議な、凪のような時間を過ごしている感じだ。
もしかするとこれは束の間の錯覚に過ぎなくて、12月に入れば怒涛のように日々が過ぎていき、振り返る間もなく「その日」を迎え、生まれたと思ったらまた右往左往のオロオロデイズが待ち受けているのかもしれない。
そうだとしても、今のこの鷹揚とした感覚は、なるべく忘れないようにしたい。
前回の記事でも書いたとおり、産休中のツマの方は、やはり不安やストレス、肉体的疲労等が伴ってのアップダウンがある。今後、予定日が近づくにつれてますます大きくなる可能性もあるだろう。
一方で、そういったツマのストレス源や負担を具体的に減らせるかという点では、オットは実戦力としてはほとんど役に立たない(ということがわかってきた)。
そうだとしたらなおさら、僕の役割はとにかく「前向きでいる」ということなのかもしれない。
もともとはどちらかというと僕の方がネガティブでアップダウンが激しい性格をしており、凹んではツマに慰められるというのが常だった。 今はツマが一番不安が大きいのだ。
こういう時には、「根拠のないポジティブさ」というのが大事なのだろうな。