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#14「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

October 31, 2017 Yuhei Suzuki

そわそわ

そわそわ…

そわそわそわそわ…

ツマ「めっちゃそわそわしてるw」

オット「だってほら、おつるが来てる。我が家に。これは現実?」

ツマ「現実だよ」

オット「よ、ようこそ!」

おつる「苦笑」

*

10月最終日、明日からツマは産休に入って実家に帰るので、お家で一緒にごはんを食べようと、会社で締め作業を必死こいてやって(終わらなかった)から帰ったら、今日は来客ありとのこと。

ツマの会社のお友達、おつる(かわいい)が遊びに来てくれました。

3人でごはん食べました。

オットそわそわして完全に怪しい人。

おもむろにお茶を注ぐなど

ツマ「こいつ普段より気が利く」

あとはなんか、りんごは塩水に通すと保存がきくという、産休前のツマから豆知識インプットを受けたり、NASAが新しい星を発見したという宇宙ニュースで盛り上がったり(おつるは宇宙が好き)、三軒茶屋に住みたいという上京ガールを応援したりしてました。あとケーキを食べるなどしましたまる

(そわそわしてライティング力が小学生の夏の絵日記レベルに下がった) 

明日からツマ産休なので、オットがんばる。

#14 「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

本日の夕げ

・チキンのハニーマスタード焼き

・野菜たっぷりスープ

・アボカドサラダ

・ごはん

(あとデザートにりんごのミルフィーユ)

上がオット作

右下がツマ作

左下がおつる作

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#13「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

October 30, 2017 Guest User
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オット「はい、というわけで、1周年かんぱーい」

ツマ「やっぱねぇ、色々見てきたけど八芳園のスタッフさんたちすごいと思う」

オット「『TEAM FOR WEDDING 〜仕事はソロよりオーケストラ〜』だかんね」

ツマ「オーケストラもそうなんだけど、一人ひとりソロも上手いからねあの人たち。気配りがすごいんだ」

オット「ね。ちょっと働いてみたいかも」

ツマ「ホールはあなた、情報量多すぎて絶対対応できないと思う」

オット「せ、せやな」

*

そんなこんなで今日は白金台にある結婚式場「八芳園」が運営する「アニバーサリーガーデン」にて。結婚式からちょうど1年、無料ディナーご招待というアフターサービスを享受してきたわけ。

形式張ったウェディングが嫌で、色々持ち込み手作りオーダーメイドの無茶な相談をしたんだけどそれもぜーんぶ予算内で完璧に応えてくださって、披露宴当日も超楽しかったしスタッフさんのエスコートが神すぎたので、以来夫婦ともに八芳園ファンになっているのであります。

(とかいいながら1年ぶりに来たけど)

*

ツマ「いやー1年とかあっという間だね」

オット「来年もこのサービスあるのか知らんけど、1年後は赤子連れてきとるぞこれ。驚愕」

ツマ「そういえばなんかさ、一升餅とかお食い初めの鯛とか、日本の赤子向けの記念風習って、やたらとデカイもの出すよね。赤子、絶対食えないし」

オット「あれじゃない、人としての器を大きくするとか、獅子は千尋の谷に突き落とすとか、そういう系のこう、物量で圧倒する子育てスタイルちゃう。そういうの発達心理学的にどうですか奥さん」

ツマ「いやいや発達心理学的には全然ダメよそれ。かのヴィゴツキー大先生は"発達の最近接領域"って言うてまして」

オット「またなんか高度なやつ出てきた。こないだはコルトハーヘン先生だったのに今日また新しい人出てきた」

ツマ「要はあれよ、自分の身の丈よりちょっとだけ難しくって、助けがあればできるっていう経験がその子の出来ることを伸ばすっちゅーこっちゃ。タイなんか大きすぎますわ」

オット「なんで関西弁になってるか知らへんけど、私が最近地道なプレパパトレーニングを受けてるのとおんなじやね」

ツマ「そゆことそゆこと」

#13 「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

今日はお絵かきお休みして写真をホイッとな。美味であった。

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アウフヘーベンよりシャウエッセン

October 30, 2017 Yuhei Suzuki
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そういえば今日は結婚記念日でして。いや正確に言うと「結婚式を挙げて一年経ったよの日」であって入籍の日はまた別だったりするものだから、どっちを記念日としたものか、いやいや二度祝えて嬉しいじゃないかというべきなのか、まぁそんな感じで、1年経ったようです。

少し太った気がするので最近は行き帰り一駅分歩いていたり、赤子を迎えるその日に向けてツマの身辺自立指導を受けていたりとそんな日々です。

変わったことと言えば…良くも悪くも、自分の楽しさや興味関心よりも義務感や責任感で動く比率の方が大きくなったなという感覚がある。

それは成長なのかはたまた停滞なのか。緑の人が言ってた、あうふへーべんなるものが必要なのかしらん。

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「育休取るの?」の質問に、YESで即答したいところだが、現実なかなか難しい

October 23, 2017 Yuhei Suzuki

夏頃にツマの妊娠も職場等々に公表され、その後日に日にツマの腹が大きくなるにつれ、オットである僕に対しての、ツマから、また周囲からの「育休取るの?」の質問頻度はじわりじわりと上がってくる。

「うーんそうだよねぇ、取れるなら取った方がいいよなぁやっぱり。うーん難しいだろうけど考えてみようかなぁ、取った人はみんな『取って良かった』って言うしなぁ」

こういう煮え切らない返答をしているのは決して「取りたくない」からではない。どっちかっていうとあれだ、「取れるなら取りたいし、取るべきだよなぁ」と思っているからこそ、現実と板挟みになって辛い、みたいなそういうやつです。

いや、僕も今のご時世、「男は仕事、女は家庭」みたいな旧時代的家父長主義が良いなんてさらさら思ってもいないし、「24時間働けますか」みたいなブラック社畜企業戦士になりたいとも思っていないし、どちらかというとリベラルっていうか、男の育児参加とかイクメンとかわざわざ取り上げるでもなく当然夫婦協力してやっていくべきだよねって思っていますけど。

けど、今の仕事の状況と出産のタイミングなどもろもろ具体的な現実として立ち上がった「自分の人生」をベースに考えてみると、これがなかなかどうして難しい。ですよ、ほんとに。

うちの場合、子どもは年末に生まれ予定なのだけど、年末年始はツマの実家にお世話になるので、その後2月ぐらいから夫婦でもともと住んでいる家にツマも赤子も戻ってきて3人で暮らす…みたいなスケジュール感でいる。

育休を取るとしたら、こっちに戻ってきた2-3月の間が一番いいよねぇ、という見通しなのだが、ちょっと今自分が担当している事業部の仕事の状況や自分の役割、年度末の繁忙見通しからすると、とてもじゃないけど自分が2-3月に抜けるのは厳しいなぁというのが正直なところ。

企業に務めていて、20代後半〜30代ぐらいの上にも下にも人がいる、みたいなミドルマネージャーのポジションって、なかなかこう、短期的には業務調整や引き継ぎが難しいところもある。

安定期に入る妊娠5ヶ月頃に公表して、そこから出産まで約半年。とにかく前から固い意思を持っていて、公表直後から半年後目指して会社にも宣言して全力で運用引き継ぎにコミットすればできなくもないだろうけど、僕みたいに、「決めかねている」ステータスの人にとって、いきなり決断して短期決戦で育休移行、というのは相当な綱渡りである。

できる・できないで言えば、「できる」なのは原理原則論としてはわかる。決めの問題というか、権利としては会社も妨げるはずがないので、残された人がざわめこうが負担かぶろうが知ったことがない、と強い意思で育休取れば、そりゃあ取れるにきまっている。

でも…優先順位や可能・不可能で割り切れないことって、ある。

「究極、そりゃ取ろうと強く決意すれば取れなくもないよな。周囲にしわ寄せはいくけど…」

「仕事も今すごく忙しいけどやりがいあるんだよな。でも育児をないがしろにしたいってわけでは決してないんだよ…」

「子どもがどんどん成長していく幼児期の時間は二度と戻ってこない、というのはわかる。でも、誰だって、自分だって同僚だって部下だって、二度と戻ってこない毎日を生きている…」

「いやいや、子どもにとって父親に代わりはいないんだ、仕事の時間やお金とかより優先したほうが良いよ、という意見もわかる。自分の決断次第だよな。いやでもその決断で職場にはどんな影響があってそれをどうマネージするのか…」

的な堂々巡りというか、ダブルバインドというか、とにかく毎日そんなことを考えている。

別に超政治意識高いわけでもなく、まぁでも時代の流れとしても世代感覚としても当然だよね…というぐらいにはリベラル的価値観を前提としてしまっているフツーの中道左派、的な働き盛りの男性って、多分僕以外にもそれなりの数がいて、べき論としても、自分の気持ちとしても、育児になるべく多くの時間を割くべき、割きたいと思っている。思っているからこそ苦しむ。

そういうジレンマは、あるんじゃないかな、と思う。

そうはいっても時計の針は進むし、一寸先は年末だ。

僕が意思決定をしようとしまいと、育休を取ろうと取るまいと、ツマはお腹を痛め、赤子は世に生まれいづるのだ。

今のところ、我が家のオプションとしては、①取るなら2-3月、②取らないなら取らないでいいけど早く帰ってくる、という感じで、現状8割方②で頑張るかな、という感じ。

最近は②に加えての追加オプションとして、「育休は生まれた直後じゃなくて、妻の職場復帰前後の2ヶ月で取るのも良いタイミングだよ」という助言ももらっている(なるほどなぁ)。

いずれにしたって、限られた時間、僕がどう逡巡するかというより、具体的にどのような動きを取ってツマと赤子を支えられるかということだけが重要なので、まぁそろそろ決めんとなぁ、と思っている。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

#12「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

October 19, 2017 Yuhei Suzuki
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オット「てか今日寒くない?」

ツマ「だから寒いって言ったじゃん朝w昨日より寒いよって言ったのに昨日より薄着で出るから」

オット「なんか大丈夫な気がしたんだよ朝は…しかしもうだめだ、いよいよもって夏は終わったのだ」

ツマ「とっくに終わってるよ。女子がダッフルコート着る夏なんかないよ」

オット「そして近づくツマの産休里帰り。俺ちゃんと生活できるかな」

ツマ「ちょっともう私はリモートであなたの面倒見る余裕ないんでがんばってくださいw」

オット「いやでも最近は改善の兆しが出てるし大丈夫な気がするのよ。あんまり床で寝なくなったし、電気も消すようになったし」

ツマ「いやそれ私途中で声かけてるからな」

オット「え」

ツマ「え、じゃない」

オット「Pありで○ってとこか…」

※療育等の業界用語で、ターゲット行動に関して、他者の声かけなどの補助(プロンプト: P)ありで実施できたかどうかを示す時に言います

ツマ「いや○でもねーよ、起こしても聞かないことあるから」

オット「Pありで△…」

ツマ「それ出来てないってことね」

オット「はい」

ツマ「まぁ睡眠も大事だけど、心配なのは洗濯ね」

オット「2人暮らしのときより洗濯機のドラムが埋まるスピード遅いから絶対に油断する」

ツマ「気がついたらパンツが無いみたいなことなるよ」

オット「Gカレに定期で予定入れよう」

ツマ「パンツの総量マイナス3ぐらいの日にちでリマインダーかかるようにしとこうな」

オット「賢明」

ツマ「今パンツ何枚あるの」

オット「わからん」

#12 「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

本日の夕げ

・はんぺんと鶏肉のナゲット

・ゴーヤの唐揚げ

・さつまいもと大根の煮物

・雑穀ごはん

・豚汁

上がオット作

下がツマ作

ちょっと俺うまくなったんちゃう?

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人生の主導権の話、あるいは「好き」を「仕事」にということについて

October 18, 2017 Yuhei Suzuki
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「好きを仕事にする」というのは、もうけっこう手垢にまみれた言葉になってしまったけれど、これを高次元で達成できている人というのは多くはないように思う。それはつまり、関係性のデザインなのだろう。

物事の好き・嫌いというのは、個々人の自由なのだから、「好き」を追求することが他人にとって価値を生むかどうかというのは別に必須条件ではない。別に好きな分野に対して上達や卓越の義務が課されることもない。寝転びながら漫画を読んでいたっていいわけだ。

一方「仕事」というのは他者に向かっての贈り物だから、自分ではなくて相手がどう思うかというのが第一に重要であって、極端に言えば、相手が価値を感じてお金を払ってくれる限りにおいては、自分がその仕事を大嫌いであったってなんの問題もないわけである。

そもそも逆のベクトルを持っているのだから、「好き」と「仕事」が重なるなんてことは当たり前でもなんでもない。

「好き」を「仕事」にできたと思ったら、気がつけば仕事としての要求値がどんどん上がっていき、自分の好きを大事にすることよりも相手の期待値に寄せていくための骨折り汗かきで日々が覆い尽くされる…なんてこともなくはない。

でも「仕事」を通して他者の目にさらされたり、共通言語で語れる人と出会えるというのも確かであって、それは個人の趣味や内的世界の中で「好き」に耽溺しているだけではなかなか開かれないポテンシャルなのだと思う。

あとは一度、「仕事」とか「世間」に思いっきり揉まれて振り回されることで、ほんとに自分の「好き」の中で譲れない大事な要素とそうでないものが見極められるようになることもあるから面白い。

まぁ、無理しすぎて潰れたら元も子もないんですが、緊張と弛緩、開放と内省、振り子を何度か振る中で、みんなそれぞれに、自分にとってちょうどいい振り幅を見つけていけると良いよね。

自分の「好き」に没頭できて、なおかつ他者との接点を持ち、経済性を持てるという環境のデザイン。

そのためには人生の主導権を誰かに渡さないことが重要で、引っ張られたり相手に寄せたりしながらも、最後の最後で自分が決める余地を守ること。

じゃないと「こっちだな」「こうだな」が見えてきた時に、自分の身体を動かせないから。

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ダッフルコート女子による「夏は終わった」宣告 あと弱さに開き直ることについて

October 17, 2017 Yuhei Suzuki
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いよいよもって「夏は終わったのだ」ということを認めざるを得ない感じの気候である。えーでもだって先週ちょっと暑い日があったし、お、これはまだ大丈夫かな?みたいな何に対しての大丈夫かわからないけどそんな感じで油断してたらいつの間にか道行く女の子はダッフルコートとか着ちゃうし(かわいい)自分はうっかりサンダルで出かけちゃって後悔するしでなんだったんだこないだの夏日は変な希望を持たせないでくれ今週なんか毎日雨だし寒いしこれはもう一縷の希望もなく夏は終わったのだ認めざるを得ない。

ここ数週間はなかなか苦しい時期が続いていて、今もまぁ忙しいには忙しいのだけど、先週末から今週にかけてちょっとずつ気持ちは上向いてきた。

昨日のイベントでは、弱さとか有限性こそ資源なのだという話をした。(もっと色々話したんだけどそれはまた別の機会に)

ひとつの物差しだけで見ると量的競争の相対評価になるのだけど、関係性や相互作用のなかでみると色んな強弱を持った人間同士が交わり合うことで結果足し算だけではつくれないダイナミズムを生み出せるのが面白い。

ここ最近のしんどいなーつらいなー弱ったなー期間はまぁそれは私は死んだ顔をしていたと思うんですけど、一方で、実はそうやってエネルギーが減衰していくことが次の活路になっていたんじゃないかなって今は都合よくそう解釈してます。

弱っていること、今自分はけっこう苦手なことをして踏ん張ってることを、開示するというか開き直るというか、まぁ回りも察してくれたのもあるし自分からけっこうSOSを出したりして、そしたらばまぁ皆さん助けてくれるわけですね。気付いたらチームもとっても頼もしい感じになってきて、ほんでよくよく考えたら僕の手元で抱えてるボールとかよっこいしょと背負ってる荷物とか、もっとフィットしてる人に手渡せそうだなーみたいな、いや僕が甘えてて皆さんにお世話になってるだけかもしんないですけど、まぁそんな感じでさ。

弱ったなーうーん弱ったなぁの極みのタイミングでGカレ飛ばした1on1メンタリングが今日あったわけですが、まぁ会うまでに8割方解決していたりしたんだけど、なんだかんだといつもエンパワーしてもらってますよ。

「悠平もそれぐらい悩むときあるんだね。けっこう自己解決するタイプだもんね」

「アーティストはだいたいアップダウンが激しいもんだけどお前は珍しいよね。そんなに周囲に合わせる必要ないよ、合わせたままでよくつくれるね」

とかとか。

踏ん張りが必要な時期なのは変わらずなのだけど、何に一番エネルギーと時間を注ぐかはより明確になったので、気持ちだいぶ楽になったかな、みたいな。

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働く妖怪人間

October 15, 2017 Yuhei Suzuki
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正直、けっこう苦手なことをしているなという自覚はある。

心身いろんなところの神経接続がずいぶんとぎこちない感覚があり、妖怪人間ベムじゃあないけど、「はやく人間になりたぁい」といっつも思いながら、どうにかこうにか日々を乗り切っている。

仕事が早そうに見えるのはごまかし効いてるだけで、私のパラメータ配分は言語処理能力だけに異様にポイントが振られたような感じなので、数的処理とか空間認知とかあるいは人の感情を読んでその場の流れに乗ったり作ったりみたいなものはかなりの苦手意識があり、そういうものはいつも脳内だったり手元のメモ帳だったりを駆使して、一度言語情報に落とすというステップを踏んで、つまり言語で補助線を引きながら理解して対応している、という回り道なのだ。うまくやれてるように見えてても相当疲労する。

しんどいことが多くてもなんだかんだと仕事が続けられているのにはたぶんいくつか理由があって。

1つめはそれがまさに「仕事だから」だ。仕事なんだから、自分の内的葛藤や逡巡や苦手意識なんかよりも、ユーザーが必要としている価値を生み出して届けることのほうが当然に重要なのであり、そのためなら苦手なことだってなんだってやるのだ。やっていくうちに苦手でもできることは多少は増えるし、自分たちのやっていることを必要としている人がいると信じられる限りは勇気だってエネルギーだって湧いてくるってものなのだ。たぶん僕は仕事じゃなかったら、仕事というものがなかったら、何事も続かないし、なおのこと人間になれない。

2つめに、仕事を「働く」という観点で、つまり仕事をする自分自身の側とか、自分と一緒に仕事をするチームの側から捉えたときに、自分のような凸凹が大きい人間でもどこかピースとしてはまるところがあるだろうと信じられるし、そう信じていられるうちは見つかるまでがんばろうと思えるのだ。1つめの話に続けて言えば、仕事というのは「成果」で判断されるものだから、成果を出すための手段は1つに固執しなくて良いわけである。もしたった一人だけで成果を出せ、なんて言われたら、得意も苦手もなく1から100まで血反吐を吐いてがんばる、みたいな選択肢しかないわけであるが、チームでやるならば、自分が苦手なことは自分より得意な人に任せ、その人が苦手なことはこれまた別の得意な人に任せ、という組み合わせでもってトータルの成果を出せればいいわけだから、それぞれが自分の得意に専念できる環境をつくる、というのが最適解になる。妖怪人間でも妖怪人間らしく輝ける場所があったりする。

ところがしかし現実はなかなか理想通りにはいかないわけで、常にあらゆるリソースがベストな組み合わせで揃っていることなんかあり得ないので、なるべくチームとしての最適解を目指しつつも、やはり段階的には、それぞれがちょっとずつ苦手な部分も引き受けて踏ん張って乗り切る、みたいなことは避けられない。

その「踏ん張り」の必要度合いというのは時期によってまちまちだけれど、最近はどうしても大きな踏ん張りが必要な時期であることを自覚していて、そういう時に何が支えになるかっていうと、結局は自分にとって大事な人たちの「信頼」に他ならないのだと思う。僕の場合は特に。

「今は成長痛だね」という言葉と、「お前はお前にしかできないことをやれ」という言葉の両方を僕にくれたのは前の上司なのだけど、その一見矛盾した言葉が意味を成す、両立し得るということを僕は知っているし、どういう思いでそれを投げかけてくれたかを僕は勝手に想像して自分の勇気としている。

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いくら「経過は順調ですね」と言われたからとて、私たち、何に安心できるというのか

October 14, 2017 Yuhei Suzuki

「別に何もなくたって妊婦は自然に涙が出たりするんだから」

寝床でほろりと涙を流したツマに、「どうしたの」と聞いたらそう答えた。

「見通しが立たないもの」

ポツリとつぶやくツマを見てハッとした。

そりゃあそうだ。買い物だの健診だの仕事や生活の話し合いだの貯金のことだの、なんやかんやと「準備」を進めたからとて、我が子がこのまま無事に産まれてくる100%の保証なんて、ない。

「経過は順調ですね」なんて言われながら、ツマのお腹は順調に大きくなっていく。安定期に入ってから特段体調を崩す様子もなく、来月産休に入るとは思えない感じで今まで通りにバリバリ働いている(もちろん業務整理は進めているようだが)。

だからといって、それはイコール、このまま順調に、子どもが産まれてくることに確証を与えない。

ツマの身体に異変が起こって、母子の健康に危機が迫る事態がいつ起こるとも知れない。12月22日が予定日と言われて、まぁ前後しても1週間ぐらいかななんて安心していたら、11月のうちに超未熟児で早産…なんてことが起こらないとも限らない。

「見通しが立たないもの」

そりゃあそうだ。産前産後の暮らしやお金のことについて、いくら万全の予測と準備をしたところで、それは生命が産まれるということの、周辺も周辺、外堀に過ぎないのであって、「準備」の足し算が100%を作ることなんて決してない。

僕はというと、両親学級に参加したり、赤ちゃんの名前事典を買ってみたり、西松屋でベビー商品のラインナップに圧倒されたり、ツマに陣痛が来たときにどう動くかを打ち合わせてみたりしながら、なんとなくツマと子どものことを考えている気になりつつも、とはいえ大して実際的に役に立てることもなく、そんな浮き足立った日々をこうしてnoteで開陳しながら、なんとなく人生が進捗していき、「年末には産まれるのかぁ、パパになるのかぁ」などとお気楽ぼんやりにつぶやいているばかりだった。

やるべき「準備」をto doにして洗い出して、それを「期日」=出産予定日までにこなしておけば、あとは分娩台でいきむツマを応援していれば自動的に子どもが産まれるだなんて思ってはいなかったか。お気楽の極みである。

気丈でしっかりもののツマは、僕がいくらオロオロしようといつも通りの落ち着きぶりで、むしろ産休中に実家に帰ってからの僕の生活を心配するぐらいの余裕を見せていた。 (加えて言うと、最近仕事の方でなかなか苦しい状況が続いていて、どちらかというと僕の方が悩み鬱々とする体たらくで、むしろここ1ヶ月ぐらいは、ツマの方が僕をずいぶんと気にかけてサポートしてくれていたように思う)

起きているとき、ツマはいつだって明るい。それは彼女の胸のうちに不安が無いということを決して意味しない。

当たり前のことである。

そして僕は、そんな「当たり前」のことについて、偶然彼女の涙を目にするまで気がつきはしなかったのだ。

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調整と意思決定は違うんだなぁ

October 13, 2017 Yuhei Suzuki
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一度に何もかも出来ないというのは当たり前のことで、やらないことを決めようというのもよく言われることではあるけれど、ちゃんと"やめる"というのは意外と難しい。

そりゃあなんでも一度に出来たら格好いいけど、中途半端に安請け合いするのが一番良くない。

こういうのは「調整」とかじゃなくて「意思決定」の問題であって、ズルズルじわじわ無理ない範囲で…というのはだいたいうまくいかない。入り口のところでの意思決定がいかに大事かというのを最近痛感する。

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回送電車

October 11, 2017 Yuhei Suzuki
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目の前で回送電車がミュイーギャンミュイーギャンと奇妙な音を立てて待機している

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と思ったら出発した

回送電車の運転手というのは、どんな気分なのだろうな。お客さんや荷物を乗せて運搬するという役割を担っているわけでもなく、しかし回送電車がある、というのは鉄道網の運営上の必要があってそうなのだろうから、次の稼働エリアまでの移動とか、あるいは車庫に入れるとか、回送電車にもなんらかの目的地があって運転手もそのための役割を担っているのだろう。

また当然、回送電車の運転手さんも一日中、一年中ずーーーっと回送電車の運転手さんなわけでもなかろうから、たぶんなんらかの法則に基づいて運転手さんたちのシフトに回送電車担当の回が割り当てられるんだろう。

「正解」はググったり鉄道会社に勤める友人に聞いたりすればわかるのだろうけどそれはまぁどっちでもいいんだ。

鉄道システム全体がうまーく回っていくためになんらかの理由で、回送電車が「ある」、というのが大事。

ないとたぶん回らないんだ。

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#11「ツマと、でかくなった腹と、弱ったオット」2017/10/09

October 9, 2017 Yuhei Suzuki
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夫婦揃って忙殺されnoteの更新どころか二人で家メシする頻度もめっきり減っていた夏。気づけは9月も終わって10月、前回の更新が8/20というのに驚き。

ツマのお腹もますます大きくなる今日この頃。三連休の最終日、久しぶりに家でお絵かきしましょうかという食卓、なのだがオットはなんか今日憂鬱みが高まっている。

オット「ゆりさんさ、あれだよ、あれ、マタニティブルーとかなんないの」

ツマ「ならないっつーか、なってるヒマがないって感じ」

オット「そ、そうなのか…ツレが鬱になっとる場合じゃない…」

ツマ「いや、それはしょうがない、それとこれとは別。あ、そうそう、マタニティブルーに対応してパタニティブルーってのがあるんだって。造語じゃなくてpaternityっていう英語がある」

オット「それはあるでしょ。paternalism(父権主義)とか使うじゃん、政策的介入とかするとき」

ツマ「ちょっと日常生活で使わない言葉わかんない…」

オット「でも俺のはパタニティブルーとかじゃないところでヘロヘロに弱ってるからプレパパとして甲斐性なさすぎるしあれだわ」

ツマ「いやわかんないよ、隠れてプレッシャーとか感じてるのかもよ」

オット「そうかなぁ」 

ツマ「あ、そうそう、さっきフィンランドベビーボックス注文したよ。まるっとセットになってるやつ。ベビー服もこないだ買ったし、タオルはいっぱいあるし、あとは生まれてからでも間に合うやつがほとんどだから、買い物系はだいたい完了」https://www.finnishbabybox.com/ja/

オット「えー、マジで。あとなんか俺やれることあるっけ…」

ツマ「いや別にやることないのはいいじゃん笑 まぁ、あとは健康的で文化的な暮らしをしてくれたまえ。赤子を元気に迎えるために」

オット「早くこの抑うつ傾向を治そう(会話反芻してテキスト打っててテンションの低さに引いた)」

ツマ「いやそれは焦ったからってすぐ治るもんじゃないからwちゃんと休みをとろうぜ」

#11 「ツマと、でかくなった腹と、弱ったオット」2017/10/09

本日の夕げ

・ゴーヤチャンプルー(この絵日記でたぶん二度目の登板)

・むかごごはん

・お味噌汁(キャベツその他)

上がオット作

下がツマ作

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粘土をこねくり回している

October 6, 2017 Yuhei Suzuki

下半期始まって第1週。新しいメンバーが来て新鮮な気持ちと、9月で卒業したメンバーもいてちょっとさみしいねという気持ちと、どうあれ私たちの日常は進んでゆきます。

チームの目標や、コンテンツの作り方、個々人の役割など上半期と大きく変えていこういうところ。メンバーの入れ替わりも相まって、なかなか慌ただしいが、みんなの表情を見ていると、嬉しい。

ミッションを再定義して、それが運用フローまで落ちてくるまでのプロセスでは、そもそも今までの「枠」の延長では議論できないので、一人ひとりが仮説や試案を考えて持ち寄ってはディスカッションする、次の宿題をクリアにして解散してまた集合する、みたいな感じで何度か揉んでいく必要があって、必然コミュニケーションの頻度が上がる。そしてこういう時はそれぞれが率直にどんな問題意識や願いを持っているかが表出しやすかったり、個々人が暗黙知的に積み重ねてきた実はすごいじゃんそれ、的なノウハウの共有・棚卸しがなされたりするから面白い。

粘土をこねくり回している感じ。全くの無ではなく、漠としたイメージは持っているけど、完成設計図があるわけではない、触ってみんとわからんなというね。

あと、「そういうのは私が巻き取るんで悠平さんは悠平さんがやるべきことやってください」とか言ってもらったりして、ひゃーすんませんというのと、うわぁ頼もしいというのと、私も頑張りますはい、みたいな。へへへ。

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この時節の服装の難しさよ

October 5, 2017 Yuhei Suzuki
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学校ではありましたよね、衣替え。この日から夏服でーす、冬服でーすみたいな。一斉切り替え。

よくよく考えると夏服に変えた直後はちょっと寒い日もあるし、冬服に変えた後でもなんかあったかい日もあるし、季節や気温の変化はアナログであってデジタルでないのだから、一律変更というのはいささか"不自然"ではあるものの、僕のような季節感のない人間にはありがたいシステムだった。

気温の数字を見ても暑さ寒さのイメージが湧かないし、ましてや昨日や一昨日と比べてどうなんてこと言われても、昨日の気温なんざ覚えてられないし、もっと言えば天気予報をそもそも意識して見てないもんだから、その日の気温で調整しろというのはかなーり難易度が高い。

なのでこの季節はいつも服装に悩む。うっかり薄着しちゃって風邪を引きそうで危ない。

うん、でもなんか、最近ちょっと変化というか、もうアラサーで10代20代の体力ではなくなったからか、「寒い」環境の方への反応の閾値は下がってきたというか、「あ、これ寒いわ、風邪ひくわ、気をつけよ」みたいな思考が浮かぶようにはなってきたのよ。

はやく人間になりたーい妖怪人間、皮膚感覚レベルアップ、みたいな。

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さわる、参加する、関与する

October 4, 2017 Yuhei Suzuki
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先月の参加した「箱根山学校」の舞台、箱根山テラスの設計者である、長谷川浩己さんの新著『風景にさわる ランドスケープデザインの思考法』が家に届いた。

まだほんの前半しか読めていないのだが、箱根山学校の浩己さんのお話の中でもエッセンスはお聞きしていて、そこでの印象も含めてだが、「風景にさわる」というキーワード、もっと言えば「さわる」という態度、関わり方に非常にしっくり感を覚えていて、ここ最近、仕事をしていても頭の片隅に常に泳いでいる感じがする。

世界は他者で満ちていて、風景はすでにそこにある。ランドスケープ"デザイナー"の仕事は風景をゼロから"クリエイト"することではなくて、そこにある風景の構成要素、人や自然、その関係性や時間的蓄積と向き合いながら、あるいは自ら参加し、関与しながら、その文脈の中で新たな場を設えていく…そのような営みの上での態度を、「さわる」という動詞で表現されたのだと思う(まだしっかりと読んで咀嚼できていないので些か乱暴なサマリーだが)。

きっとこれは、メディアやコミュニティにおいても、会社や組織においても、同じことが言えるだろう。

いわゆる"運営者"の立場にある人(自分も含めて)が、メディアや事業を"立ち上げる"という動詞を使う。多大なエネルギーを要する取り組みなので、その側面も一定あるのは間違いないが、一方でやはり、風景はすでにそこに"ある"というか、社会や歴史の文脈、その中で僕たちが今後関わりたいと思う潜在読者となりうる人たちがどのように暮らしてきたかということを無視しては成り立ち得ない。

組織づくりにおいてもそうで、採用や育成といっても、やはりその人がそれまでどう生きてきたかの文脈を無視しては成り立たない。

一方で、「さわる」という動詞が面白いのは、他者に対する畏れを持ちながらも「わたし」がやはり関与する存在であることが織り込まれているからだと思う。

他者がすでに存在しているのと同様に、わたしもすでに存在している。そして影響し合っている。

「相手の主体性を引き出す」とか「黒子に徹する」とか"立ち上げる"という前のめりな動詞とは逆に、自分が引いて相手を立てる、みたいな言い回しがなされることもしばしば。

距離感の取り方という意味で、それがいつも間違っているとは言わないけれど、客観性とか非当事者性の皮を被って、自身がもたらす影響に対して鈍感になることも恐ろしいなと思う。

などと考えているうちに出勤したので続きはまた今度。

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