「弱さ」をめぐる旅のはじまり

「適応障害ですかね。」

「そう思います。」

平日の夜、職場から徒歩5分のクリニックで、最近知り合った医師の先生とそう話したのは、今の会社で働きだして5年目の夏のことだった。

「仕事も人も、好きなんですよね。嫌な理由ないんですけど。でもしんどいんですよね。」

風邪をひいているわけでもないのにやたらと咳が出る。オフィスに向かうだけでドッと疲れる。ミーティング前には動悸がする。言葉以上に身体は正直だ。

適応障害というのは、特定のストレス要因に反応して心身の症状が起こる疾患である。受診の場に至ってなお「別に仕事が嫌なわけじゃなくて」と防衛線を張る僕に対して、「あなた、そろそろ限界ですよー」と身体が言っているのだ。

「俺もついにビョーキになったか」という、不思議な安堵と納得。「明日はどういう報告と相談をしようか」という、極めて実務的な対応方針の思案。そういう色々が混ぜこぜに頭を巡りつつも、先生に診断書を出してもらい、処方された抗うつ薬を帰り道の薬局で受け取った。

診断を受けた翌朝、通常通り出社し、パソコンを開いて、上長と人事部長にメールで報告した。直近で入っていた会議はキャンセルし、その他、急ぎでないもの、自分の手元でしばらく寝かせても当座支障がないものなど、いくつかの観点で業務を取捨選択し、緊急避難として減らせる限りの業務負荷とストレッサー回避をした。自分が診断を受けたこと、仕事についてはこんな対応をしていること、直近エネルギーが落ち込んでいて心配をかけるかもしれないが、自分を守りながら回復に向けてやれることをやっていこうと思っていること、などを妻に話した。それから翌週またクリニックに足を運び、職場との相談・対応状況を相談しつつ、業務調整をしながら療養を続けましょうという方針について話した。

家に帰る前にオフィス近くのベンチでパソコンを開き、その場でテキストを打つ。自分が現在「弱っている」ということ、一応のお墨付きとして、医師の診断を受けたこと、会社にも妻にも共有しつつ、業務調整をしながらもひとまずは仕事を続けてもいること、弱った自分のことを自分自身がどう捉えているか、等々を、なるべく淡々と、ジャッジを交えずに、かつ率直に現在地点の記録として書き残した。そしてその記事をSNSに放流した。

ほどなくして、SNSのコメント欄やメッセージボックスにたくさんの声が届いた。僕の心身の状況を気遣い、また支えようとしてくれるようなメッセージももちろん嬉しかったが、少し驚いたのは、それ以上に前のめりな様子で、さまざまな自己開示が寄せられてきたことだ。

「久しぶり。実は俺もいま同じような状態で」
「今、わたしのパートナーが心配なんだけど、どうしたらいいかわからなくて」
「数年前にまったく同じような状態だった。でも当時、そんなふうに職場や周囲に話すなんてできなかった。勇気あるよ」

などなど。

卒業して以来7,8年と会っていない、大学の同級生。
誰からも信頼されていていつも輝いていた先輩。
共通の友人の集まりで1,2度会って、SNSでゆるくつながっていたぐらいの知人。
採用の仕事で一度会ったぐらいの、当時学生だった子。
少し前に会社を辞めた元同僚。

それは「相談」というものではなかった。きっと「ただ、知らせたかった」のだと思う。そして僕に連絡をくれた。僕も、彼らのこえを受け取った。

お互いに何か即効性のある良い解決策を出せるはずもないし、「支え合う」というには滑稽なぐらい、お互いへろへろに弱っている同士のやり取りだ。だけど不思議と、気持ちが楽になった。具体的に何かをしてもらったわけではないが、診断を受けた直後に、自分と同じような経験をしてきた友人たちが幾人いる、という事実が、僕の心の引き出しの中にアーカイブされた。

「弱さ」を開示すると、似たような「弱さ」が引き寄せられて集まってくる。

巷のメンタルヘルスや生き辛さをめぐる言説では、「共依存」はよくないと、SNSは傷の舐め合いになりやすいと、そういうことがよく言われてきた。

ところが今回は不思議と、共倒れにはならなかった。むしろ、「弱さ」を開示しながら、一定の距離を保ち、弱いままでもつながっている、生きているという事実に、かすかに、しかし確かに支えられながら、それぞれがそれぞれに回復の道を歩んでいく。そんな感覚だったように思う。これはいったい、どういうことだろうか。

「強くある」ためのノウハウは見聞きするに事欠かない。企業研修で、ビジネス書で、ネットの記事で、「強くあれ」というメッセージが繰り返し発信されている。だけど、「弱った」状態でどう生きていくか、弱いままでも生きていける知恵については、教わったことがなかったように思う。

「弱さ」を開くことの可能性。人間関係の網の目の中で与え合うということ。自分の生を肯定する物語が開かれること。「弱さ」を携えて生きていく人たちと著者の対話を通して探求していきたい。

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「弱さ」を巡る旅をしながら綴る一冊の書籍ができあがるまで、晶文社の安藤聡さんとの二人三脚で、また読者や友人たちとの対話のなかで、執筆プロセスを公開しながら進めていきます。

最初から構成を決めて埋めていくというより、旅をして、断片を書き連ねて、何を書くべきかがだんたんと見えてくる、そんな書籍になりそうです。

せっかくなら消費されない受発注を。パラレルワーカーにとって理想的なアシスタント/パートナーをどう考えるか

アシスタントを募集しようかな、と思っている。

ということを、何度かつぶやいてはいるものの、それは「アシスタント」という呼び方が適切なお仕事なのかどうか、またそれが1人なのか、複数なのか、どういう依頼の仕方が良いか、などなどを考えたままぷかぷか浮かしているのが現状である。

このnoteは思考の整理も兼ねたアレです。あわよくばの求人的なアレになるかもしれないけどならないかもしれないアレです(こんな書きぶりで手を上げてくれる人がいればとても嬉しいね)。

僕の仕事が一定の枠組みとリズムで安定しており、「アシスタント」と呼ばれる人に求める業務や待遇が明確であればよいのだけど(たとえば、基本的に漫画一本でやっていってるプロの漫画家さんで、抱えている週間連載を2本回すのにこういうスキルレベルの「アシスタント」が常時何人必要です、みたいな感じ)、いかんせん僕は、業種不定所在不定の浮浪者スタイルで働いているもので、継続反復的に発生する業務も散発的に発生する業務もあり、それをどのタイミングでどういう人に渡していけばみんなハッピーなのか、というのがなかなか難しいのである。

勤務先を含めて複数企業・複数プロジェクトにかかわっていて、溢れたタスクを各社のチーム内で吸収してもらうか、僕が自分の可処分所得の中で更に外部に委託していくか的なラインの判断の難しさ、である(ゆくゆくは、個人プロダクションの延長で、スタジオ的な存在を法人化していったほうが良いのかとか、まぁなんかそういう先々のことも念頭に置きつつ、思案)。

これはつまり、パラレルワーカーにとって理想的な業務アシスタント/パートナーとはどんな人か、あるいはどんな風に業務分解して複数人にお願いするのが良いのか、ということなのかもしれない。そういう問いに換言すれば、僕と同じような悩みを抱えている人は他にもいるように思う。

なので、基本的にはごくごく個人的な思考の整理ノートなのだが、読んでくれた物好きなみなさんにも参考になる一定の普遍性を意識しながら、書く。でもまぁ、僕の仕事に興味がない人は次の章だけ読めば良いと思う。

受発注をどう考えるか。短期的な効率性と、中長期的な持続発展性

まず、受注・発注関係における僕の考え方を棚卸ししておきたい。比較優位の原則、育成・習熟・関係構築による持続発展性、雇用創出、いかしあうつながりetc.がキーワードとなろうか。

結論から言うと、僕が色々やってるお仕事の一部を、「特定多数」の人に、なるべく「継続的に」、「入れ替え可能性」はちょろっと担保しながらお願いして、仕事創出やキャリア開発の機会に出来ると良いなと思っている。僕も助かるし、その人にとっても良い機会となる、という案件・関係がほとんどである、という状態をつくりたい。

各社・各プロジェクトごとの個別最適で考えると、現時点でその業務を依頼できる人のなかから、「より安く・より早く・より品質良く」できる人に発注するのが一番良い、となる。もちろん、この3つは基本的に同時成立し得ないトリレンマであるので、予算や納期とも相談しながら優先順位付けして、「今回は(も)この人に」と、発注の意思決定をするのが通常である。

企業A内のプロジェクトXに一定期間携わる中で発生するタスクは大きく

1)自分がやるべきやつ
2)チーム内の他のメンバーがやるべきやつ
3)自分やチームメンバーでも出来るし、短期的には中にいる自分たちでやったほうが早いけど、数が積み上がってくると大変だし、他の人にお願いできると助かるなー、というやつ
4)最初から外部への発注想定で走らせるやつ

に分けることができる。

もちろん、この1)〜4)の区分けも、ある時点を切り取ったときのものでしかなく、時間の流れの中では流動的である。4)の仕事を依頼していた人たちのうち、○○さんは一番筋が良いし、波長も合うし、他の業務もできそうだし、と社員として採用することもある。2)で活躍していたメンバーが独立したけど、業務委託で引き続きお願いする仕事が一部残る、ということもある。パラレルワークを前提とすると、そういうことが常時各地で起きるということだし、実際に起きている。

ただ、取り急ぎ「受発注関係の最適化」を考えるにあたって、一番悩ましいのは3)に該当するタスクだろう。業務への慣れや習熟だったり、人間関係の近さだったり、社内イントラへのアクセスだったりが参入障壁になって、「いろいろ書類取り交わして外注できるようにするのめんどくさいし、もう俺がやったほうが早いわー」という感じの業務。一個一個の難易度も工数も大したことないけど、放置しているとボディブローみたいに工数を圧迫する系のものだ。

特に、僕を含めパラレルワーカー的に働く人は、複数企業・複数プロジェクトとの関係の中で、ポロポロこぼれている3)的タスクをちょっとずつ地味に善意で拾ったりしていると、「あれー?思ったより自分の時間がないぞー」的状況に陥りやすいと思う。困ったな。

どんなオペレーションも、マニュアル化・仕組み化・自動化を進めることで一定属人性を低減させ、人を選ばず依頼しやすくはなるが、それでも、そのオペレーションを回すこと自体の習熟度の差や、周辺業務との連携やイレギュラー時の報・連・相をスムーズに進めやすい人間関係の構築など、属人性はゼロにならない。

ゆえに、同じタイプの仕事を同じ人が継続的にやった方がお互い効率的だよねという当たり前の現象は、雇用であれ業務委託であれ、本業であれ副業であれ一定発生する。一定規模のある企業体であれば、専門分化した部署をつくり、そこに人を採用し、育成していけば良い。企業や事業が存続し、成長を続けている限りはその分業体制を維持できる。

一方、お互いの自由意思に基づくゆるやかな連携・分業を建前/前提としたギルド的、パラレル的な働き方のネットワークではどうか。どんなふうに業務を融通しあい、個々人に一定のスキル習熟が果たされつつ、いざというときに自由に着脱可能な余白ー入れ替え可能性を残した状態でバランスするのか。メンバーシップ型の企業体よりは難しいパズルだと思う。

少なくとも、「とにかく安いとこに外注すりゃええねん」みたいな発想には立ちたくない。そういう買いたたきを繰り返していると、業界が、経済圏全体がやせ細っていって、いつか自分たちの首を締めることになると考える。

自分が携わる仕事の過程では、かかわる人たちに(お金の適正さはもちろんのこと)スキルや経験、ネットワーク等の資産が積み上がるようなやり方をしたい。消費する/されるのではない健やかな受発注の循環をデザインしたい。なるべくは。

こんなことをいつもぼやぼや考えているから、「時給xxxx円で、週○時間でアシスタントを1人、募集しまーす!」みたいな明快な求人をいつまでも出せない。困ったな。

フォーカスすべきことにフォーカスするために

書いている当の本人はどんなふうに働いているか。企業での社員として雇用、その他複数企業・NPOに業務委託でかかわり、それらの案件以外でも個人プロジェクトとして執筆活動、というパラレルワーカー。

それぞれ異なりながらも近しい領域であるので、自分の持っているスキルや、人的ネットワークが掛け算で良い作用に働きやすく、また時間と場所もかなり自由がきく立場でやらせてもらっている方だ。

企画・対話・問い立て・執筆・言語化を強みとして領域・職能のあいだをつなぐような役回り。

処理速度は早いほうだが、興味のないことは極端に腰が重くなる。好きな仕事であっても、完璧主義気味なところがこだわり・溜め込みグセとなり、まあまあに遅筆である。ギリギリにガッと企画書とか講演資料つくるみたいな、いつもお手玉してる感じ。

自由に自分で決められるとはいえ、当然ながらそれぞれのお仕事で決めた目標や役割や納期はあるので、常に複数ラインがダーッと走っているわけで、繁忙が重なって、ガッとつくらなきゃいけない重ためのタスクが列をなすことがしばしば。そういうときに細かいタスクがあると、思考と作業の邪魔をするので、そういうのをあまり溜め込まないためにも、そろそろアシスタント的な人と一緒に働いたほうが良いのではないかと感じている。一個一個は小さいのだけど、重なると時間を取られる、という類のものをもう少しなんとかできないかと思う。

全体通して見ても、本当はもう少し早期からまるっと渡せたであろうタスクとか、請けないほうが良かったかもしれないものもあり、そのあたりの見極め、脳みそのメモリの有効活用を、自分ひとりではなく、パートナーとして支えてくれる人がいると助かる。

もっと自分のやるべきことにフォーカスしたいし、そのために可能な限りそれ以外のものを渡していきたいという感覚が強くなっているし、怠惰な自分がフォーカスすべきことにフォーカスするためのケツたたきも含めて、環境調整が必要だと思う。

渡せるものをほぼ全部渡せたとしたら、僕の手元には定常・定型の事務作業はほとんどゼロになるはずだ。じゃあ何にフォーカスすべきかというと、非定形・非線形の企画・執筆・制作活動となるのだが、それとセット、平時からの豊富なインプットを可能にする「ヒマ」を持て余すことが許されなければならない。

ときにはテーマと狙いをもって、時にはランダムに、読書・調べ物・旅・インタビューetc.のインプットをして、それらが、コンテンツとして単発のアウトプットに使われることもあれば、継続的なプロジェクトの中で、研究・執筆・企画・出版etc.の素材となることもある。傍から見ると遊んでるっぽく見えるかもしれないが、それが創作のための余白なのだと割り切って、それ以外の真面目な仕事っぽく見える作業を、全部思い切って堂々と他の人に渡していく、という勇気を出す時期なのだと思う。まぁそれが他者から見てもわかりやすいようにする必要はあるが。

短期的には、主宰しているOPEN LABと、なかなか進んでいないけどちゃんと進めねばならない単著出版の企画が、かなりの度合いインプット勝負かつ、マイプロジェクトとしても代表作になり得るので、これを形にすることが第一。並行して、ちょっとずつ、個人サイトのリニューアルも準備中。noteやSNSだとなかなか伝わりにくい、仕事の全体像と、日常的なインプット・アウトプットサイクルのための場、思想の苗床として、そこに集約していく。

中長期的には、日常的なインプットとアウトプットが、その都度なんらかのプロジェクト&パブリッシングに繋がる体制が作れると良いのだと思う。アシスタント、ないしパートナー的に必要としているのはコーディネーターと編集者。そして、さまざまな分野での表現者・研究者とのネットワークだ。

どんな人とチームを組みたいか

具体的にはどんな業務が想定されるか どういう人なら合いそうか。

①コーディネーター:
各方面との事務手続きやコミュニケーションを滞りなく、僕の手元作業を極小化しつつ進めてくれるような人。

メール、イベント告知、企画書etc.各種テキストドキュメントのたたき作成、一部はアシスタントとしてそのまま直接対応・処理したり、スケジュール管理、請求書、領収書、宿泊予約や精算、イベントやプロジェクトで誰かとさらに連携する際の業務依頼…などなど。あとは音源の文字起こしもちょくちょく(これは単発で切り出しやすいが)

まずは案件単価でいくつかお願いしつつ、慣れてきたら僕の日常的な動きや各種アカウントとの連携度合いを高めてもろもろ柔軟に拾ってもらいながら時給でのお仕事に切り替えていくのが良いか、というイメージ。

大前提、そういう事務局的動きが好きだったり苦にならない人。加えて、僕が仕事をしている領域への関心が高かったり、事務処理をする過程での僕や関係者とのコミュニケーションを通して自然とインプットをしていけるような人だと良いと思う。

時間には比較的融通が効くとが、オンライン・チャットコミュニケーションがなるべくスムーズな方が良い。

リモート可能。上記の前提条件が先にはなるが、せっかくなら、家庭や心身の事情で、外出してのオフィスワークが難しい方のお仕事にしていけると良いなと思っている。


②編集者:
個人付きの担当編集者的な人。

日頃のインプットを踏まえての、各種チャネルでの発信やコンテンツの提案、対話、その他いろいろ雑談刺激。やると決まったことのケツたたき、個人サイトやSNSなど、ゆるゆるやっているものをwebマーケ的にかわりに数字追っていったり、過去記事等の運用をしたり、そもそも個人メディアをどうしていくかみたいなことを一緒に考えたり、みたいな。

自分がパラレルで関わっている企業やプロジェクト、それぞれにも編集者的な人はいるのだけど、そうではなくて、総体としての僕の仕事や個人メディアをどうやってつくり、育てていくかを一緒に考えてくれるような、そういう人と出会いたいと思う。

世代が近く、分野が違いながらも問題意識が合って、ディスカッションも楽しいなという知己は多いるのだが、それぞれにまぁ多忙である。優秀な編集者というのは、一箇所だけで囲い込むのは難しいし、そうでないほうが良いのではないかという話にもなる。

ただ、このさき、自分の本を出したり、プロジェクトが増えたりして、もう少し僕個人の仕事が立ってくれば、ライフキャリアにおけるそれなりの時間を僕と一緒に過ごして伴走してくれる人が現れるかもしれないし、そういう人を自信を持って、また適切な待遇で迎えられるようにしたいとは考えている(シニアな人と駆け出しアシスタント的にやりたい人と、複数人の組み合わせ分担でやったほうが個々人にとってちょうど良いご依頼ができるかもしれない)。


③表現者・研究者:
これは、本記事の「アシスタント」的な話からはそれるので短くするが、上記①②の人に助けてもらいながら、今後ますますパラレルに、色んなプロジェクトをやっていくぞ、となったときに、さまざまな分野での信頼できる表現者・研究者とのつながりが非常に大事になっていくと思う。一定の相互理解と信頼のもと、それぞれに仕事をしているんだけど、たまに一緒に作品制作やプロジェクト参画ができる、そういう仲間を増やしていきたい。

短期的には、①のコーディネーター的な人と、まずは1人2人、業務委託でお仕事をお願いして、余白時間を少しでもつくる。ほんで、いい加減にちゃんと執筆を進めて本を出したり個人サイトのリニューアルをしたりする。それをPRしつつ、先行投資で編集者を募集する、みたいなことを考えている。個人サイトに仕事のポートフォリオや日々の思索の足跡を集約して残しておき、有機的につながるべき人とつながっていけるような循環をつくりたい。

企業の社長ともなれば「意思決定が一番大事だから、それ以外はほとんど秘書や部下に任せる」とかできるし、したら良いのだと思う。僕はそこまで偉くないのと、意思決定に至る前後の道筋も含めて関わり方が多様なので、そのなかでの良いやり方を考えなければいけないと思う。自分という企業を経営すると考えたときに、何にフォーカスして、どういうリソース配分をするかという話でもあるので、本質は同じことなのかもしれない。みんなはどうだろう?