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「こころの病」とのなが〜いお付き合い、あるいはサステナブルメンヘラのすすめ - 適応障害・抑うつを経験した私の場合

June 5, 2019 Yuhei Suzuki
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昨年の7月に適応障害と抑うつ症状との診断を受けた。もうすぐ1年が経つのか。

診断を受ける前は、オフィスに着くと動悸や咳や汗が出て、不安や焦燥感に襲われた。そういった「急性症状」は今は全くない。
 
適応障害は、原因となるストレスから距離をあけ、適切な休息・療養をすれば、通常半年ぐらいで回復すると言われている。

実際、良くなったと思う。

少し状況が変わって身軽になり、過度なプレッシャーやストレスを感じないで済むような働き方・就労環境をつくることができた。自分で時間・場所・内容の裁量をより効かせられるようになったのが大きく、本業・副業問わず、色々工夫しながらうまいこと続けられているとは思う。

だから今が「適応障害」かというと、その字面から受ける印象と、身体感覚にはややギャップがある。

しかしながら、今が「寛解」の絶好調かというと、そうとも言えない。


まず、体力は明確に落ちた。

以前より疲れやすくなっている。

平日、仕事に支障の出ないパフォーマンスを出せてはいるが、土日にはもう体力が残っていない。家事・育児の合間はほとんどボヘーっと寝ている。

ちょっと気が重たい案件があると、堪える。

常時ストレスにさらされているわけではないので、ちょっとヘビーな交渉だったり、人のケアに関することだったりが局所的に発生しても十分に対応可能なレベルなのだが、終わったあとの数日は、反動でどよーんとなる。

ストレスに対する「感度が上がった」、とみなすのか。

無理をして働いて麻痺していた感覚が「正常に戻った」、とみなすのか。

もともとのパーソナリティから来る社会適応上のストレスに対して、心と身体が「より素直に反応するようになった」、とみなすのか。

いずれが適切な表現なのか(あるいはこの全てか)わからないが、とにかくそんな感じであるので、「絶好調!」って感覚はしばらく来ていない。長時間ワークはもう無理で、瞬間最大風速でなんとかやっている感じ。

引き続き、寝る前に一錠の抗うつ薬と、月に一回の通院は継続している。

「お薬、いつ頃まで必要でしょうかね」という話を先生ともする。

「ゆうへいくん自身はどう思う?」と先生。
「うーん、体調とか、疲れやすさとか考えると、まだ回復しきったとは言えないな、もうちょい必要かなって感覚です」と僕。
「うん、そうだろうね」と先生。

自己認識は出来ているし、順調な方だよとも言われるし、そう思う。
(僕の場合は休職しないという選択肢をとったので、もっと早く回復したかもなというifはあるが、それも含めて自分で選んだし、その中でうまくやった方だと思う)


それでも、時おり考えてはちょっと、どよーんとする。

これはいつまで続くんだろう。

「寛解」とはいったい、なんだろう。と。

どよーん。


…と、書いてみるなどするが、とはいえ7-8割はもう「分かって」いて。

「すっかり元通りに元気に」なることをゴールとすると、きっとうまくいかない。

発症以後の、ちょっと疲れやすく繊細になった我が心身と、なが〜い目線でお付き合いしていくということなんだろうな、と思う。


*


自分もこんな体たらくだが、いや、だからこそなのか、20代の、自分より少し若い子たちの相談に乗ることが多い。「メンタルヘルス相談」と「キャリア相談」と「家族・パートナーシップ相談」とが、人によってそれぞれの成分でブレンドされたよもやま人生相談である。

セルフケアの力が弱かったり、それを高める経験が不足していたり、経験を積んでいくための伴走者とつながっていなかったり、という子が多いのが気になっている。

それまでの生育歴も関係して、本人の自己肯定感の低さ、見捨てられ不安などから、無理に「がんばろう」としてしまう。相談ができずに、溜め込んでしまう。

結果、ストレッサーから距離を開けるのが遅くなったり、受診に至るまで足踏みしたりする。

僕に話してくれた段階で、「いや、それは早く病院いこ?」って状態にある場合は、僕の主治医を含めた信頼できる&相談しやすいところを紹介して受診を促すなどしている。 


急性期はとにかく医療とつながっての治療・休養が第一だと思うが、もう一つ気になるのは、休職明け等のセルフケアや生活・業務リズムづくりが難しく、頑張りすぎてまたダウンしてしまう、というケースが少なくないことだ。

私も人のこと言えないのだが、急性期を経たあとは、いかにセルフケアを丁寧にやっていくかが大事だとひしひし感じる。

ただ、メンタルいわしたあとは、心も身体も体力の上限値が減退しているので、ひとりでなんとかしようとするとだいたいうまくいかない。サステイナブルな生活リズムとセルフケア方法を確立するために、急性期を経た「その後」も相談できる相手と繋がり続けることが大切だ。

定期的な通院はもちろんだが、職場においても、上司や同僚との面談をこまめに入れて、相談しやすい時間や関係、あるいは周囲に気づいてもらいやすい機会を意図して組み込んでいくことが必要だと思う(休職前の感覚でタスク詰め込むと絶対詰むので…)。


結局のところ、
・十分な休息と睡眠
・バランスの取れた食事
・適度な運動
・家族や趣味の時間など、リラックスできる時間の確保

などなど…健康になるための「当たり前の要素」を、ないがしろにせず一個一個丁寧に満たしていくのが一番の安定の道なのだと思う。

31歳、そもそも体力が落ち始める年齢に差し掛かっていたという要素もあるだろうが、僕はもう、以前のように朝早くから夜遅くまで働き続けることはできない身体になった。

夜や土日に、はみ出たタスクを無理やり終わらせるという芸当ができなくなったわけだから、「アディショナルタイムは無い」という前提で仕事を組むしかないのである。

逆に、睡眠や食事、運動など、健康維持のために必要な時間は何があろうと最優先でブロックする、という前提で生活設計しないといけない(まだ完璧にはできていないけど)


「総量」が少なくなった稼働時間でどう稼いでいくか、ということが今後の職業生活で必須条件になってしまったようだけど、今の自分なら案外とやれそうな気もしているし、それはそれで試行錯誤を楽しんでいこうかな、と思う。

「その後の不自由」を生きるとは、きっとそういうことなのだろうし、「回復とは、回復し続けること」だと先輩たちも言っている。

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In essay Tags menherasan-no-sustainability, fragile
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