「もうなんかやっぱり最終的にはフィクションいくしかないんだよね」
売文業をしている同世代の友人たち何人かと、それぞれ違うタイミングで同じような話になった。
本当に切実なことはフィクションを通してしか語りえないのではないかという感覚が強まる。
例の幻冬舎のニュースなどを見ていると、作品を作ることと、作り続けるための環境・基盤を整えていくことと両方やっていかないと、いつ足元が揺るがされるかわかったものじゃないなと思う。
どちらかが終わってからもう片方を、ということはありえず、どちらも「これで完成」ということはないのだから、両面展開でやっていくしかないのだろうけど、脳みその使い方が真逆なものだから、なかなかどうして難しい。
お金というのは、いつでも誰かの物で、それを受け取ることの意味合いや責任が違ってくるから、金額の多寡だけでなく、受け取り方や対価の提供方法、その頻度や分散なども含めて健やかなあり方を考えなければならない。