「弱った自分」に、はなまるをあげること

弱っている。

日頃の様子を身近で見ていたり、Twitter見ていたりする人からすると「もう知ってるよ」という話でもあるし、隠すことでもないと思っているので書くが、まぁ弱っている。今の会社で働き始めて5年目になるけどその中で一番かもしれない弱りっぷり。およよ。

しかしこれはこれで、自分にとってちょうどいいタイミングで、必要な変化の時期なのだろうな、と思う。思う一方で焦る気持ちもまだゼロではないのだけど、そう捉えて言い聞かせることを続けることも含めて、必要な時間だな、と思う。

「あー、これはヤバイな」と思ったタイミングで通院をしたり、周囲のしかるべき人に相談できたことは不幸中の幸いである。やはり知識は人を救う。

適応障害と抑うつ状態、という診断を受けて、寝る前に処方された抗うつ薬を飲むという生活ルーチンが加わった(2回ほど早くも飲み忘れたけど。さっき再診して先生に「コラッ」って言われた)。

自分から症状についてはすぐに上長にも伝えたんだけど、幸いなことにとても理解のあるサポーティブな職場だから、これを機会にちょっと荷物を降ろしてどうフォーカスしていくかという相談に乗ってもらえていて、それでとても楽になった。

僕はいわゆる中間管理職という立ち位置にいるのだけど、チームメンバーの中にはまぁTwitterで僕のつぶやきを先に見ていた人もいたし、自分からも今こういう状況で元気ないっすというのを定例MTGで言ったりもしたのだけど、まぁほんとにありがたいことに日々の定常業務に関しては何も問題ないっていうか、なんなら僕の特性やキャパを踏まえて絶妙に巻き取ってくれたりするので、うわー僕弱ってるけど全然大丈夫やんすげーってな感じの頼もしさで、はい、救われています。

こういうのは、「順番」なのだと思ったよ。

マネージャーだから、とか、若いから、とかではなく、今たまたま僕にそういう「順番」が回ってきた。それを、今たまたま余裕のあるみんなに、支えてもらっている。

だからまた別の人に「順番」が回ってきたときには、今度は僕が、とも思う(今はそんなこと考えなくていいってみんな言ってくれると思うけど)。

妊娠・出産・子育てが大変だという時期もある、心の病気になってエネルギーが落ち込んでしまうということもある、交通事故で手足が不自由になることもある、恋に破れて涙が止まらないってこともある、うっかり季節の変わり目に夏風邪こじらせちゃうこともある、若さと過剰さをこじさせてもやもやモラトリアム袋小路に至ることもある。

その時にたまたま、相対的に弱っている人がいて、相対的に余裕のある人がいて、その中で一緒に長くどう働いていこうか、お互い様でどう乗り越えていこうかって話。

順番交代なのである。




さっき、症状が出てから二度目の通院をしてきて(夜遅くまでやってるのよ)、先生には「そうやって自己分析をして早めに対処できてるのがすごい。もっとひどくなるまで来れない人、休みたくても休めない人もいるから」って言ってもらえた。

「服薬始めたし、業務調整もしているし、大丈夫かなって思ったけど、昨晩はなぜかポロポロ涙が出ちゃって。あー、これはもうちょっと長期戦なんだなぁって、改めて自覚しましたよ」って言ったら、「そうだよ、負荷を減らした状態で3ヶ月ぐらいかけて休んでいって、6ヶ月後ぐらいにまた最高のパフォーマンスが出る、それぐらいの時間軸で考えるぐらいだよ」って教わって、それでまた、自分の中に適切な時間の物差しができたって感じ。




今日、会社に行く前に、ツマに以下のようなメッセを送ったのだけど、

「やっぱり抑うつがあるし、エネルギーの総量も落ちているから、やることも絞って、焦らず無理せず、まずはなによりも自分の心と体を守ることをちゃんと自分の責任としてやっていこうと思います。どうしても「登っていく」プレッシャーに追い立てられるようになるけど、この歩き方が十分立派なスピードなのだと自分に言ってあげたいと思います。」

返ってきたひとことが

「はなまる!」

って。

ああ、これはほんとにそうだね、そのとおりだなって。思った。

現状これが自分の「総量」で、今のスピードが十分立派ではなまるなのだと、自分で自分に言ってあげようと思うよ。

そして他の誰かが、僕と同じように弱ったときに、それでいいよ、はなまる!って言ってあげるんだ。

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はなまる。