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適応障害になって2ヶ月。「弱った」自分を前提に仕事と生活を編み直す

September 25, 2018 Yuhei Suzuki
tekiosyogai1.png

7月の終わりに適応障害と抑うつの診断を受けて、気づけば約2ヶ月。

幸いなことに?この2ヶ月、特に大きな破綻もなく、仕事を続けられている。

比較的早く会社を出て、家でツマとムスメと一緒にご飯を食べる日が増えた。それから、一日一回、寝る前にお薬を飲むという行為が「日常」として埋め込まれた(週1ぐらいで忘れるけど)。

この2ヶ月は、自分の心身がどうなっているのか、今の自分にできることできないこと(できなくなったこと/やらなくていいこと)を観察しながら、どうやって最小限のエネルギー消費・分配で適切に仕事・生活を続けられるのかの試行錯誤の日々だったと思う。

自分でも調子がよく感じる日もあり、「あれ、けっこう回復してきたのでは?」という気になったと思えば、次の日にはまたガクンとエネルギーが減退していたりして、淡い期待の心を正直な身体に裏切られる、という経験を何度も繰り返しながら、波乗りの方法を体得しようとしている。

今日はその中でわかってきたことを書き記しておこうと思う。働いていて、同じような症状に悩まされている人、特にマネジメントの一端を担う人の参考になれば幸いである。

「弱った」状態を前提に働き方を組み直す

僕はいま、2つのメディアの編集長と、うち1つのメディアの方の企業アライアンスチームのマネージャーと、組織図上は3グループの管理職を担当している形になる。

診断直後に上長とチームメンバーにはすぐ共有したのだが、おかげで自分も変に気負ったり隠したりしなくてすみ、心理的プレッシャーを比較的軽減できたこと、また非常に頼もしく自律したチームメンバーに支えられたこともあり、うまく業務負荷を調整しながら働き続けられている。

3グループ合わせてのスタッフの人数は10数名なのだが、規模の大小というより、それぞれ別々の事業・業務内容なので、脳みその切り替えがなかなか負担がかかるのは正直なところである。

身体的にも精神的にも、体力の総量というか上限が、発症前よりだいぶ下がってしまったので、今までは同時にさばけていたものが追いつかなくなったり、一個一個の業務負担というより、それが積み重なったときの心理的負担で手や身体が重たくなったりといった困り感がある。

決して何も業務ができないというわけでもなく、また普通に毎日出勤はできるわけだから、日中のオフィスでの僕の様子は「ビョーニン」には見えないだろうと思う。ただ、外からは見えにくくても、内側では不安や焦りでアップアップだったり、体力が残っていなくてへろへろだったりするわけで、やっぱり僕はずいぶんと「弱って」いることは認めざるを得ない。

つまり、「弱った」自分を前提として、なるべく身軽に、負荷低く日々をサバイブしていく、という姿勢と対応が求められるようになった。

何ができて、何ができなくなったのかを鑑別する

先も言ったとおり、適応障害になったからといって、何も仕事ができなくなったわけではない。しかし一方で、「あぁ、これぐらいのことも出来ないのか、今の自分は」と絶望させられることもある。

つまり、できることと、できないこと(できなくなったこと)が今までの自分とは違うパターンで混在しているのだ。これを見極めることが仕事を続けるポイントになるかもしれない。そう思って、自分が日頃行う業務を肌感覚に沿って分類してみることにした。

①「まぁ問題なくいけるなー」という業務
・相談の壁打ち相手
・判断材料が揃った上での意思決定
・企業担当者さんとの商談
・スタッフ面談
・イベント登壇

→
バーバルなコミュニケーションと、その中での意思決定に関してはほとんど問題なくこなせていると思う。むしろ余計な肩の力が抜けて冷静に考えやすくなったような感触である。

これはなぜかというと、もともと自分が聴覚言語での情報処理と出力が得意な方であることと、判断材料や自分の意見が整っていれば、ほとんど準備に時間をかける必要のない「瞬間最大風速」系の業務であることが大きいだろう。求められる場に行って、その場で球を打ち返せばいい。

個別のリサーチや企画・制作はチームメンバーがしっかり進めてくれているので、案外このあたりの業務は心理的・体力的負担が小さい。むしろ人と対面で関わるので、それが良い場になればエネルギーが湧いてくる感覚もする。これはひとつ、救いだったと思う。

②実際はさほどの分量・難易度でもないのにものすごく重たく感じる業務
・マネージャー会議の前の議事・報告事項入力
・自分の中で答えはあるんだけど、書き方・伝え方をけっこう丁寧にしたい/すべき話題でのテキストコミュニケーション
・他の人の業務設計・整理をイチからやること

→
このあたりの業務が自分の中で一番ストレスやプレッシャーがかかるなぁという感じ。別に出来ない仕事じゃないはずなのに、ものすごく腰が重くなる。なかなか着手できない。とはいえ期限と責任のある類の仕事が多いので、放棄するわけにもいかない。当日の朝ギリギリになって「ふんぬー!」って感じで気合を入れて乗り切る、みたいなことになる。

ただ、①との合わせ技で、「イメージをすり合わせればあとは勝手に進めてくれる」というスタッフと、短めの対面ミーティングをやって、作業の7割8割をお願いして、最後の仕上げを自分がやる、という形で負担を軽減できる場合もある。この辺、自分であまり溜め込まないほうが良いのだろう。

③一個一個はほぼ負担ないけど、時間と体力の制限から溜まりがちの業務
・原稿や企画書など、スタッフのアウトプットの最終チェック
・細かい事務タスク(書類とかメールとか宿や新幹線の予約とか)
・メイン業務以外の突発的な”業務外業務”(たとえば他部署からの質問・相談への応答 あまり待たせちゃいけないのだけど…)

→
こういう類の作業は、今の自分の状態でも一個一個はほとんど負担がかからない。ただ、「溜めるな危険」である。たくさん溜まってくると一気に気持ちが重くなる。

こういうのは「即レス」系で、来た瞬間に打ち返してマインドシェアを奪わないようにするというのが、タスク処理上の鉄則なのだろうが、いかんせん今の僕は「総量規制」がかかっている。

エネルギーの総量という意味でも、時間の総量という意味でも、以前より小さくなっているので、①②のような重要度の高いものを優先して対応していると、もうそれだけでエネルギーも時間も使い切ってしまう。

ちょっと「ロスタイム」を取ってあとでまとめて片付けたり、いろんな業務があるなかマルチタスク気味に打ち返したりすることができなくなっているので、こういう類のものが後回しになって溜まっていくのである…

でも、相手がいるので待たせるのもよくない。今のところ有効な打ち手はない。なるべく周囲の人たちには理解して待ってもらいつつ、とはいえ間に合うギリギリのタイミングでは催促をしてもらう、という〆切ドリブン腕力解決になる。「遠慮なく何度もリマインドかけてくれ。それでもダメそうだったら巻き取ってくれw」と伝えている。

④「ちょっと今はなかなかエネルギーが割けないです」という業務
・書き下ろしでのまとまった分量の原稿執筆
・まったくの新規案件の立ち上げで、実働稼働を取られるもの

→
これはもうちょっと脳みそと体力の余剰がない…残念ながら。

とはいえ原稿は、1つ2つ以前から抱えているものもあり、「これ以上増やさない」ということを守りながら、ちょっとずつちょっとずつ進めるしかなさそう。

今は本当に、「増やさない」ことだ。

…元来、多動・衝動性が高く、楽しそうな依頼や相談が来ると「やりたい!やるやる!」ってなっちゃう性分だったので、これを抑えるのはなかなかフラストレーションなのだけどw

「諦めること」は、停滞ではない(と、思いたい)

こうやって自分の状況を書き出してみると、「けっこうがんばってんじゃん自分」と、少しだけ自分を褒めたくなってくる。

できないこと、できなくなったことはやっぱりあるのだけど、それを諦めることは決して停滞ではないはずで、自分の限られたエネルギーを一番有効に振り向けるためのプロセスなのだと思う。

…とか言いながら、やっぱりどこか言いようのない無力感に苛まれもする。

週5日どうにか働いて、土日はほとんど死んだようにぐでーんと眠る。最低限の家事、ムスメと遊んだり散歩したり、それから少し本でも読もうかと開いたらすぐに眠気がやってくる。そんな日々。

幸いなことに、父親がビョーキになろうと、ムスメは順調にすくすくと育っている。今月半ばから保育園が始まり、明日にはツマも復職する。

へろへろになりながらも人生は続くのだ。

In essay Tags menherasan-no-sustainability, fragile
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