時間を重ねるということ 2020/01/12

3連休はツマ・ムスメと共に神戸の実家へ。僕は今日仕事があるので、先に新幹線で東京へ戻る。7時6分新大阪発のぞみに乗り込んでいまこれを書いている。

出発5-6分前にスタバに行ってラテを注文したのだが、「お出しするのに4分ほどかかりますが、新幹線の時間を教えていただけますか?」といった感じでケアしてくれた。時間も余裕を持って言っているのだろう、実際には2,3分で出たので、そこまでダッシュすることなく順当に着席できた。こういうところに出るんだよなぁホスピタリティって。朝から少しうれしい気分。

ハハと飯食べながらあれやこれや話していると、僕の幼少期の「発達が気になる子」エピソード出てくる出てくる。とてもautisticです。

ハハは、悪気も想像もなく日常の単なる枕詞として「普通は…」ということを言う。押し付けたり無理やりやらせるほどではないので、まあそれはそれとして育っていったけれど、僕とツマが結婚していまの仕事について折に触れて話したり、ここ数年、ハハの近隣の知人友人親類縁者etc.の子どもたちのさまざまなエピソードを聞いて、またそれに対して僕の見解を話したりこんな社会資源があるよこう考えるといいよetc.を伝えたり、そういうことがここ数年あったからなのか、今回実家での雑談の折にもやっぱり「普通は」という言葉がハハから出たりはしたものの、「まぁ普通っていうのもわたしが思ってるだけかもしれんけどなぁ」とひとこと添えたりしていて、そういうところに人の意識や認識の変化って現れるんだなぁと。

なんだかんだで32年生きてきて、このハハとチチの子として神戸で18歳まで生まれ育ち、一方で19歳以降はそれ以外の人たちとのつながり、コミュニティの広がり、歴史と物語の積み重ねがあったわけで、いろんなものがブレンドされていまの僕があるのであり、一つひとつのエピソードや他者の影響力というのは、良くも悪くも相対化され緩和され咀嚼したり手放したりする余裕が出てくるわけで、それはとても、希望だなぁと思う。

発達や精神、その他さまざまな困難さを抱えている人たち。スペクトラムのどこかに定位する自分。自分の経験だけをもって全てに当てはまるとは言わないけれど、やはり、時間と人が薬というか、それも、ひとつのだけに支配されないための「量」が大事だな、と思う。

今回の帰省では、ばあば(ムスメから見た僕のハハ)と一緒に、アンパンマンミュージアムに行こうという計画が立っていて、それはもうみんな楽しみにしていたのだが、主役のムスメが、胃腸炎っぽい感じで日曜の朝から発熱&リバース。お家でのんびり過ごすことになった。

こういうときのムスメはかーちゃんべったりのため、とーちゃんが抱っこを変わろうとしてもイヤイヤされて余計機嫌が悪くなる。嘔吐の際にあれやこれやを拭いたり、なんやかんやを運んだりするぐらいしかできることはないのだが、実家ではばぁばが張り切ってあれやこれやしてくれるので、もうあとはビール飲んでテレビみながら、4人でゴロゴロする、という感じになる。

体調が悪いときは誰だって弱気になるが、幼児の場合は特にそうで、世界が不安でいっぱいなのだろう、理屈とかではなく、本人が意図したところと違う展開があれば「ちがうのー」といつも以上に反応する。コップの置き場所とか。僕が立ち上がろうとしたら「とーちゃんすわっててー!」とか笑

ASD児童の特性を指して「こだわり」などとt大人たちは簡単に言ってしまいがちなのだけど、不安でいっぱいなときは、小さな変化も起こしたくないし、自分がコントロール可能なものを身の回りに少しでも増やして安心したいよねっていう、ごくごく当たり前の反応のスペクトラムなんだよな、とムスメを見て改めて思う。

そんなことを思ったり、ツマと話したりしながら、ビールを飲んで過ごした。

小さな会社をつくるぞ宣言をした。
http://awai.jp.net/essay/life_edit/

エディターシップってやつだな。

人生を編集するということ。

小さな会社をつくろうとおもう

小さな会社をつくろうと思う。

とはいっても、まだ法人形態など細かいところは決めていない。その辺は、手を動かしながら考えて決めていこうと思う。

これまでも個人ワークで使ってきたが、屋号はもう決めている。

「閒-あわい-」という。

閒-あわい-を掬う

ひと・もの・ことのあいだー閒(あわい)に横たわるなにかを見つめること

答えではなく問いから、ひとりではなく複数で、
関係の網の目の一員として、ことばの芽生えに立ち会うこと

歴史と風土、組織と文化、強固なものとやわらかなもの、その間隙

構造をときほぐして、新しい経済圏を差し込み、定位させること

奔流の中で生きる個人の生を肯定すること

「わたし」の物語から、「わたしたち」の物語を織りなすこと

大海を横切る小川の一筋としての、倫理を紡ぎ直すこと

鈴木悠平(SUZUKI Yuhei)
文筆家/インターミディエイター®(Writer/Intermediator®)

そういうことをやっていこうと考えている。

・鈴木悠平自身の文筆・研究・表現のマネジメントとプロデュース
・さまざまな個人・団体との協働プロジェクトのマネジメント
・そのあいだを結ぶ、思想と対話の苗床となるウェブサイト&コミュニティの運営

ざっくりいうと、この3つが当初のメインになると思う。

いま現時点でも、副業自由の立場で、LITALICOに正社員として所属しながら(社内でもいろいろ同時並行)、個人の文筆活動、その他さまざまな個人・団体の相談に乗ったり仕事を一緒にしたりしているわけで、今後も、多くはお付き合いが続くだろう。たぶん一般的にイメージするところの「起業」や「独立」とは少し違うかもしれない。

自分がより善くあるため、大切なひとやことにより善く向き合うために、少し軸足を変える、体制を整える、といったイメージだ。

一昨年、体調を崩してからいまに至るまで、単に休んで元気になる、以上に複合的で複雑な回復の「プロセス」を歩んでいる。改めて自覚したこと、新たに発見した自分の特性やパーソナリティ、どんなときにより良い形でエネルギーを出すことができるか、などなど…

日頃、LITALICOで一緒に働く仲間たちとは、障害は「個と環境の相互作用」なのだという前提を、どんな場面でも、常に、繰り返し意識し、言葉にし、対話をしてきた。

これは、自分自身に対しても同じことなのだ。僕がテーマとしている領域では特に、自分自身の状態が、相手にも大きく影響する。

自分が自分らしくあることが 世界との接続・対話を可能にする。

そのためには、問いと思索のための余白が必要だ。
そして、仕事においては、「できる」ことにフォーカスし、「できない」ことを適任者に手渡し、「できるけど疲れる」ことを最小化することが大事だ。特に僕は、がんばって「できるけど疲れる」ことも抱えすぎることで、自分を消耗させてしまうことが多かったと思う。

僕が他者に、世界に提供できることはなんだろう。それはきっとこういうこと。

・問いを立てること
・言葉を紡ぐこと
・場を開くこと
・関係の網の目を構築すること
・新しい物語を編みなおすこと
・循環のための人と組織と文化醸成にかかわること

組織や団体、事業やプロジェクトに関わるにあたっては、立ち上げor変革期or危機のタイミングでグッと出て、安定/拡大期に入った仕事は手放す、ということが大事だ。そのためには、「所属」とその中で「仕事をし続けること」が自己目的化することのないよう、立ち位置と、経済的インセンティブをうまく設計しなおす必要がある。いまでもかなり、自分に合った働き方をさせてもらっていると思うけど、より一層健全に協働していくためにも、ひとつ自分の会社というか、足場をつくっておいた方が良いと考えた。

・生活の中で、思索と文筆があり、そこから「仕事」が立ち上がってくるという順番・比重を大事にすること
・問いからスタートし、コミュニティをつくりながら共同学習を進め、必要なフェーズでファンディングを行い、研究・メディア・プロダクトといった形で知見を公共物にしていくこと
・「仕事」だけでなく、家庭や地域での暮らし、購買、寄付、政治参加etc.あらゆるレイヤーにおいて、小さな社会・経済圏を具体的に変容させていくこと

そんなふうに動いていきたいと思う。

自分を、この世界において、あるいはあなたとの関わりにおいて、十分に活かしていくためにも、問いと思索のための余白が必要なのだ。

フリーランス的に自分でなんでもやるのではなく、バックアップしてくれるひととチームを組みたいと思ったのは、そうしないと「余白」が作れないから。

・健やかである
・余白を持つ
・本・論文を読む
・芸術作品や現場にふれる
・アウトプットする習慣がある
・アウトプットを次の価値に繋げる経路や文脈がある
・相手のことをよく見る
・自分自身の判断・価値基準を意識してキャスティングができる
・そのための選択肢・ネットワーク・情報源がメンテナンスされている

こういう、「仕事」以前の時間と環境づくり。

桂大介さんに、サイト制作をお願いしている。単なる自分のためだけのプロフィール・ポートフォリオサイトというより、小さな、バズらない、静かなメディア・コミュニティとして、僕もそこで日頃書いたり考えたり、友人たちのことを紹介したり、友人たちにもちょっと書いてもらったり、オンライン・オフラインでそれを起点に対話や探求をはじめたり…そういう思想の苗床として。「仕事」とか「お金」は、あとから気づいたら立ち上がってる、ぐらいで良い。

というわけで、ひとまずのメモ書き、静かな宣言として。
具体的なことは、こんな感じで連載しながら、みんなにもアドバイスもらいつつ、ちょっとずつ整えていこうかなとおもう。
日曜大工、DIY起業的な。トンテンカンテン。あるいは粘土こねこね。

ウルトラマンのカラータイマー 2020/01/08

〆切ドリブンで毎日がんばっている。一日一日を振り返ると俺けっこうがんばってんじゃんえらいじゃんってなるんだけど、追いついているかどうかは別の話。

しかしながら、もうあれだ、家帰ってからはもうなんも仕事できない。21時以降は機能しない。諦めて寝るが吉。ウルトラマンのカラータイマーみたいなもんで、若い頃とか体調崩す前みたいに際限なく働くことはもうできないので、それを前提に生活と仕事を組むのだよ。ちゃんと8時間寝る。朝ごはんや保育園の支度はじめるまえの5-6時台と、日中、外にいる間しか仕事はできない。ってなると執筆や研究の時間作るために他のあれやこれやをどう最小化するかって話なんだよな。ぐぬぬ。

0→1おじさんなので、いろんなプロジェクトの立ち上がりの、コンセプト詰めたり初期のリサーチや議論して、ゴリッと立ち上げる、チーム組成されたら手放す、みたいなそういう役回りが多く、ただ、その立ち上がり前のプロジェクトが同時多発的に来るので、渡せない重ためのボールが行列をなす、みたいなことになる。つらみ。

どうにかこうにかやっていきたい。

あすけんアプリで栄養管理してるので、野菜を意識して取るようにしてるんだけど、コンビニでそれやろうとするとけっこう高くなったりプラスチックごみいっぱい出たりするんだよな。駅前にスープストックがあるんだけど、日中いろんな会議入れられてコンビニ寄る&食べながら話すぐらいしか隙間がない日が多い今日この頃。昼休みちゃんと取れって話だが。

しかしまぁ、一度に全てのことはできない。自分の健康、栄養バランスをまず整えることを最初に。自炊とか節約とかは、落ち着いて余裕が出てきたらで。

外でペットボトル買わないようになった。まったくゼロってことではないけど、だいぶ自分のなかで心理的ハードルが上がっている。買うときはだいたい缶。

水筒を買ったのに、持っていきそびれる日が多いのADHD的問題がある。環境調整が必要。

なんと今年に入ってからまだ一度もハイボールを飲んでいません。えらい。えらいけど、吉高由里子に会えなくなる気がする。

お酒を飲まないと健康になります。

外で飲む予定は週2まで、月合計でも5まで、という上限ルールを自分に課した。

最近のムスメ、積極的に生活支援をしようとしてくれる。コーヒー持ってたら「あついからこぼさないようにねー」とか、お薬出してたら「おくすりだいじにもってねー」とか、あとなぜか「ごっつんしないようにねー」と壁に頭ぶつけないようにしきりに注意喚起してくる。お母さん(2歳)

書いた記事とインタビューしてもらった記事が公開された

「キャリアプラン」とかやめちゃえば?/Dybe!

気持ちに凹凸がある人は、生きる知恵やサバイバル術を見出しやすい人/ニソクノワラジ

人にも組織にも発達段階があって、いきなり遠くに「ワープ」はできない 2020/01/07

年末サボってしまったが、年が明けたので気を取り直して「あすけん」で栄養と運動量管理を再開。減量と健康がんばる。

家族で暮らしているのだ。自分の健康状態は、自分だけでなく家族にも影響を及ぼすのだから、自分でコントロールしうることには責任をもっと持たないとな。

月曜に続いて日中は慌ただしかったが、まぁまぁいい感じに過ごせたのではなかろうか、今日は。

日々の動きを振り返って、「やらなくてよかった/受けない方が良かったリスト」「手放せてえらかったことリスト」を書き溜めている。同じことを繰り返さないように…人それぞれ、特性によって①「できる」②「できない」③「できるけどすごく疲れる」仕事があるんや!③を最小化していきたい…

一人ひとりのライフミッションや発達段階があって、さまざまな企業や組織、案件との付き合い方は、それぞれが自分にとって最適な形で適宜「編集」していくのが良いなと思っている。

職業人生は長いので、一度離れたり、道が分かれたとしても、どこかでまた道が交わるかもしれないし。

どんな形態であれ、働くということは、限られたリソースをなんらかの形で各方面に切り売りするということなのだから、自分が一番なすべきことに一番向き合える環境を作っていくことだよね、という話をした。同じ組織で仕事をしながら、フラットに各々の「これから」の選択肢について語れる相手がいるというのは得難いことだと改めて思う。

人にも組織にも発達段階があって、いきなり遠くに「ワープ」はできない。長期的な目標や理想に向かって最短距離を探り歩んでいく工夫はできても、突飛なスケールでのワープはできないのだ。

日々の生活を組み立てる、身の回りの小さな経済、社会に関わり続ける。その一方で、どれだけ自由に、遠くに、思考と想像を飛ばせるか。

執筆日誌 2019/09/09

一日のこと

・台風で午前〜昼のアポ2件順延に
・講義の準備や告知等進める
・採用面接1件
・保育園お迎え後、妻と合流して一家3人で回転寿司
・断片を1本書く

メモ

暑い。真夏のピークはまだ去っていなかった。フジファブリックもう一回歌える

職業ライターの生存戦略について、つらつらと書いた。これはこれで別途記事にでも。

安藤さんからコメントをいただく。がんばるぞ。やはり年内に出したい。

9月はとにかく断片をとにかく書き続けて、それから全体の流れを、と思う。さて、あと何を書けるのか、書くべきか。

・自分自身のリカバリーの過程について。これは過去noteやsoarのべてるの家訪問記の再構成として書ける。
・伴って、その前後に連絡をくれた同世代の友人2名のインタビュー。文字起こしはしてもらったので今週来週で書き進めて本人や安藤さんに見せられるようにしたい。
・soarでインタビュー&記事化済みのもの。熊谷先生、べてるの家、しょうぶ学園、大介さん、武藤さん。どう再録していくか安藤さんと相談が必要。
・soar新規: カプカプ光が丘。インタビュー済み。今週中に執筆したい。
・soar新規: かとてつさん、家入さん。インタビューそれぞれ9月10月に実施。タイトだがどうにか。
・「どもり」について。アパートメントの過去記事や伊藤亜紗さんとの対話から断片をひとつ書けそう。
・親密性について。東畑さんsoar対談をもとに。
・女性性と男性性。過去の自分の体験と、キム・ジヨンを読んで。脳内アウトプット系として、早めに安藤さんに見せられると良い。

完全にド新規書き下ろしというのがまだいくつか控えてはいるが、がんばればいける気がしてきた。

こないだのこれが8000字ぐらいだし、soarインタビューは1万字超えるのざらだからな。時間確保さえして筆が乗れば書けるんだ。がんばれ俺。できる子。