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産休・育休時にオットがやるべきは「家事をがんばる」とかそういうことではなく

November 13, 2017 Yuhei Suzuki
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「産休・育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくって。それよりも、コミュニケーションの相手がものすごく限定されるのが大きいんだということを、わかっておいてほしい」

産休に入り、高尾の実家に帰ったツマとの「産休はなれ暮らし」が始まって2週間。

子どもが産まれてからは否が応でも慌ただしい生活が始まるのだから、今のうちにお互いが大事にしたいこと、お互いに求めることを整理して言葉にしておこうという提案をツマからもらい、①人としての生活の自立、②ツマ/オットとしての生活、③家族の一員としての生活、④ママ/パパとしての生活の4つの軸で、今出来ているから維持してほしいこと、これから出来るようになってほしいこと・気をつけてほしいことをお互いに書き出して交換した。

その時のやり取りの中でツマから言われたのが冒頭の言葉。

言われてみれば確かにそうだな、という話なのだけど、改めてそれを要望としてまっすぐに伝えられるまで、ことの重大さは自覚し切っていなかったと思う。

ツマの実家ぐらしが始まってから、週に2回はあちらに顔を出すということをしているのだけど、やはり仕事の関係もあり、夜遅くに着いてメシ食って泊まって早朝また出社…みたいな感じになってしまって、わたし自身がツマの「昼間の生活」と交わることはない。

時々、「ヒマー」とLINEが飛んでくるが、日中なかなかタイムリーにお返事をできることもないのが正直なところ。しかし、「ヒマだ」というツマの言葉は、けっこう馬鹿にならないシグナルだったのだ。

ツマが産休に入るとか実家に帰るとかいうのを、「出産に備えた休み」などと素朴に考えていると見落とすのが、これまで会社で働き、都内でさまざまな人と関わっていたツマの「人間関係のチャネルが急に限定される」ということ。

身体のなかの赤子のためにも健康に気をつけながら、犬の散歩をして、買い物やごはんの支度をして、その合間に母親と分担しながら祖母の介護をし…といった生活範囲の中では、基本的にツマの話し相手は家族しかいない。

時折やって来る友人やオット(わたし)は、ツマと外界を結ぶ数少ない"窓口"なのだ。

一方でわたしは、社内外で毎日色んな人と仕事をしたり出会ったりして、その上にプラスオンでツマやツマの実家ご家族との接点がある。前提が真逆なのだ。うっかりするとそれを忘れてしまう。

わたしたち男性は、ともすれば量的・物理的ソリューションというか、「産前産後や育児のあれやこれやのタスクを自分がどれだけ担えるか、それはツマに比して不十分ではないか」みたいな観点で頑張ろうとしたりするんだが、実タスクを何%担っているかなどといった”担当業務”の問題よりも、ツマとの他愛のないコミュニケーションの時間をどれだけ持てているのか?という方がよっぽど大事なのかもしれない。

ツマが産休に入る前は、「週3で顔出すよ!」などと豪語していたのだが、やはりそれなりに移動距離はあり、体力的にも、仕事の時間的にも、週2回で精一杯というのが実態である。でも、「疲れるから」といってこのラインを下回るようなことは絶対にするまい…とは決めている。

そんなに毎日ドラマチックなことばかり起こるわけではありませぬが、限られた時間だからこそ、わたしはツマに毎回いろんなおみやげ話を持って帰れるぐらいには一生懸命に昼間を過ごそうと思うのだ。

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世代の宿題

November 8, 2017 Yuhei Suzuki
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最近は「あ、自分いなくても回るなこれ」と思う場面が増えてきて、それはいいことだと思う。

それはそれでやることはあるので、はたらけどひまにならざりって状況は変わらないのだけど、手足や頭の使いどころは変わってきたし、少し前より遠くを見て考える余裕が生まれてきたのはありがたい。

その分、自分の今後の動きというか、ミッションというと大げさに聞こえるけど、やはりわたくし社会の中でみなさんと共に生きてるわけですから、自分の時間と生命はなるべくダブりのないようにというか、いい感じにすき間を埋められるところはどこかなって考えてます。

「たぶん、"世代の宿題"っていうのがあってさ」

以前執筆を担当した対談で鈴木菜央さんが言っていたこの言葉はとても印象に残っていて、最近、頭の片隅に置いている。
(楽しいけど食えない、食えるけど楽しくない。その向こう側に行くには? グリーンズ鈴木菜央・小野裕之が語る「ソーシャルな会社のつくりかた」)

なんだって僕たちは先達の遺産の上に乗っかって表層を生きてるわけですが、部分部分を見ると先達が成し得なかったことは当然いつもあって、それが現代や次代を生きる人たちの問いであり宿題になる。

なにかの社会課題ひとつ取っても、科学の発展や当事者運動や色々あって今に至るわけだけど、最近はナチュラルに自分が知って学んで、組織もちょっとずつ足腰が立ってきて…って足し算中心のフェーズじゃなくて、歴史の流れを踏まえた自分たちの役割の定義や実践というのを、気持ちや意識の面だけでなく方法論としてもちゃんと組み入れていく必要があるなと感じる。

もっと身近で短期的な話で言うと、"世代の宿題"というのは事業の2-3年とか会社の5-10年とかのスパンでも同じことで、去年出来てたことを繰り返しているようならそこに自分の宿題はないなということを認識した方が良いのだと思う。ちゃっちゃと次世代に譲り渡した方がいいし、仮に彼らが同じようなことに取り組むにしても、自分が以前1年かかってやっと出来たことを半年未満で展開するにはどうすればいいか?を問うて仕掛けていかないとあんまり自分の存在価値はないよなぁと。

まぁ僕自身が飽きっぽい性格なのもあって、「あ、これ出来るな、もうやったな」と思うと興味が薄れがちなので(それはそれで気をつけなきゃいけない場面もあるけれど)、自分が楽しく働き続けるためにも、いつも次の宿題、まだ答えが見えない問いというのを抱えてないといけないのだと思う。

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海の向こうからのエール、「フィンランド・ベイビー・ボックス」とのご対面

November 5, 2017 Yuhei Suzuki

11月。 産休に入ったツマは実家で出産に備え、僕は一人暮らしをしながら、週に2回ほど顔を出すという日々が始まった(まだ1週目だけど)。

案の定、ツマがいなくなってから3日連続床で寝落ちするという極めて幸先の悪いスタート。赤子を迎え入れる前にもう少し人間らしい生活スタイルを身につける必要がある。

それはさておき、少し前に注文して、ツマの実家に届いていた「フィンランド・ベイビー・ボックス」と今日対面することができた。

こちら、フィンランドのパパ3人が起業して始めたサービスで、赤ちゃんが生まれてから1年に必要なグッズをひと箱に詰めたギフトボックスである。

https://www.finnishbabybox.com/ja/

開けてみるとこんな感じにほら。

赤ちゃんの寝間着、部屋着、外出着、スタイやお風呂・衛生用具、哺乳瓶にぬいぐるみetc. 赤ちゃんとの最初の1年を過ごす必需品がたっぷり。
(あとコンドームも入ってたw)

衣類は複数のサイズが入っているほか、注文時に「冬の一番寒い時期に赤ちゃんは何ヶ月ですか?」「冬の一番寒い時期はどのぐらいの寒さですか?」という質問に答えることで、赤ちゃんの発育具合や気候に合わせて、サイズ・暖かさがカスタマイズされて届くという優れもの。

さらに驚くべきは、これがそのままベビーベッドになるということ。

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マットレスに防水カバー、シーツに布団も完備。

あとはおむつやミルクなどの消耗品を中心に書い足す必要はあるけれど、このボックスひとつで、赤ちゃんをお家に迎え入れるための大半のグッズが揃うといっても過言ではない。

少し前に、パパとしての実感を高めようとツマと一緒に西松屋に行ったのだけど、情報量の多さに圧倒されてオロオロしてしまった(笑)

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だっておむつだけでこれだけあるんだよw

もちろん、産まれてくる赤子を思い浮かべながら、ベビー用品をあれこれ物色して選ぶ時間も大切だと思うけど、このフィンランド・ベイビー・ボックスのように、「このひと箱でOK!」ってまとめてくれるととっても心強くて安心だよね…

そもそもこの宅配ボックスサービスがどうして産まれたのかというと、本国フィンランドでは、出産家庭への手当として、国からこのようなボックスがプレゼントされる仕組みになっているそうなのだ。

フィンランドでは、出産が近づくとKELA(フィンランド社会保険庁事務所)から両親に国からのプレゼントが渡される。これは母親支援の手当の一つで、現金支給か育児パッケージのどちらかから選ぶことができる。現金支給だと約140ユーロ、育児パッケージだとその倍以上の価値のある育児グッズがもらえることもあり、赤ちゃんを迎える家庭の3分の2が育児パッケージを選択するという。

もともとこの育児パッケージは、乳児死亡率の高かった1900年代始めに民間の母子支援活動から始まったもの。それは1937年に法制化され、母親手当の現物支給となり、当時あった所得制限も1949年には撤廃されている。今では地域の出産や子育ての支援センター「ネウボラ」や医療機関で妊娠健診を受診していれば、全員もらうことができるようになっている赤ちゃん歓迎の祝福のシンボルだそう。

「フィンランド政府の出産祝い 衣類やオムツ全員に」
日経DUAL, 2014/10/09
http://dual.nikkei.co.jp/article/034/52/

2013年にフィンランドのこの施策がBBCで紹介されると、世界中から購入希望があったという。だけど、フィンランド政府公式のボックスはフィンランドの人たちしか手にすることができないのだ。

そこで、このスターターキットの便利さや、出産・育児を祝い、応援してもらう喜びを世界中の人たちにも共有したいという思いを持つフィンランド人のパパ3人が起業、政府公式のボックスを踏襲したオリジナルパッケージでの「フィンランド・ベイビー・ボックス」を世界各地に販売・配送するサービスを立ち上げたのである。

モノとしての便利さ、かわいさもさることながら、こうやって、未来のパパ・ママを応援しようとしてくれる先輩たちが海外にもいるのだという事実が、出産前の不安な僕たちと勇気づけてくれる。

「苦労は買ってでもしろ」なんてことわざがある。

実際、子育てにしろなんにしろ、自分で汗かき試行錯誤するなかで人は成長するのだろう。

だけど、やっぱり子育ては不安で心配だし、いくら準備しても、どれだけセンスのある人でも、きっと苦労は絶えることがないのだから、ほんの少しの工夫で子育てが「楽」になるなら、それは積極的に使っていったらいいし、そのためのアイデアや取り組みはもっと広がっていけば良いと思う。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

時には顔を上げて

November 1, 2017 Yuhei Suzuki

建物を建てたことはないけど、基礎工事が大事だというのはサービスづくりやメディアづくりも同じで、基礎を怠ると後でガタガタになる。

とはいえ基礎工事は地道なもので、長い工程のうち一個一個のアウトプットに対してすぐに劇的なフィードバックが返ってくるわけではなく、一定の溜めの期間を経てだんだんと成果が跳ね返ってくる類のものだから、長期にわたってモチベーションを保ち続けるにはちょっとした工夫が必要だ。

それは、表に見えにくいアウトプットであってもしっかり価値を認識して賞賛する文化であったり、適切な期間で区切ってマイルストーンを置いたり、全体のアウトカムだけでなく、作業に従事する個々人の行動やスキルレベルでの成長に基づいたフィードバックサイクルを作ったり色々ある。

だけどやはり重要なのは基礎を組み固めた先に自分たちはどれほど高いところ、遠いところに行けるのかというビジョンを描くことであるし、また共有することだろう。

面白いのは、基礎工事をやっているなかでも個々人の習熟に応じて見える景色は変わってくるということだ。最初はおぼろげで、まだ霧がかかっているような風景だったのが、色々やっていくうちにだんだんくっきり見えてくる。その繰り返しでビジョンが鮮明になったり、あるいは微調整の後アップデートされたりする。

だから基礎工事の過程でも、ちょくちょく目線を上げて遠くを見るようにした方がいいし、なるべく定期的に個々人が見ている風景を持ち寄り語らう場を持った方がいいのだ。きっと。

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きっと誰もが、「ヨチヨチ父」

October 31, 2017 Yuhei Suzuki
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「買ってきたよー」とツマに手渡された一冊。

ヨシタケシンスケ著『ヨチヨチ父−とまどう日々−』を読んだ。

ヨシタケシンスケ氏は、『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)をはじめ、子どもの目線で日常の何気ない一コマを描く絵本作家・イラストレーターである。

僕のツマをはじめ、発達心理や児童福祉、教育等々の界隈で働く人にファンが多く、僕も布教されるがままに4, 5冊読んだのだが、ユーモラスなお話づくりがなかなかクセになるのだ。

本作は、そんなヨシタケシンスケ氏自身が父親になって、はじめての育児を体験したとき、つまり"ヨチヨチ父"の日々を振り返って描いた、"父親目線"での育児エッセイだ。

僕を含め、子どもが産まれるまえからオロオロしているプレパパや、今現在ツマにやいのやいのと言われながら奮闘中の現役ヨチヨチ父にとっては、この上なく貴重な「味方」になるだろうと思う笑

「ホラ!ジャーン!母子手帳。」

「…『パパ手帳』はなくていいの…?」

おそらく母子手帳をもらったばかりの(プレ)ママと、それを見せびらかされてうろたえる(プレ)パパの絵が表紙裏のそでに描かれている。

もう、この表情に、世の男性の育児に対する不安が凝縮されているといっても過言ではない笑

教科書とかマニュアルとか手帳とか試験とか資格とか…学習プロセスで「形あるもの」に依拠したがるのはどちらかというと男性に多いように思うけど、育児の場合はそれがほとんどない(両親学級で配られるパンフレットぐらい?)。その上、徐々にお腹が大きくなってそして苦しみながら我が子を産み落とす…という「体験学習」の機会もない。

「え?俺?パパになるの?大丈夫?どうやってなるの?何を終えたらパパ認定なの?」と、所在のなさを抱えたまま出産の日を迎える。

そして、本書冒頭の漫画で戯画的に描かれているような、「頼りないお父さん」が赤ちゃんと一緒に誕生するのである笑

そこから先もヨチヨチ父さんに待ち構えているのは試練の連続である。

赤ちゃんの抱っこ、沐浴、おむつ替え、それから爪切り…日常の赤ちゃんケアあれこれはもちろんのこと、ぎこちない。 そしてそのおぼつかなさを見かねたママに叱られる…w

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と、こんな感じで新人パパが直面するあらゆる試練がコミカルに描かれていて、もうこれは読んでてまったく他人事じゃないw

ただ、この本の素敵なところは、とことん自虐的に描きつつも、ヨチヨチの日常のなかにささやかな幸せが指し示されているところである。

泣き出した赤ちゃんをあやしながらお店の外に出るパパの背中は、"他の誰かをホッとさせ、楽しませ、勇気づけている"のかもしれない、という話とか 親になるということは、「強さ」や「弱さ」でははかることのできない「新しい何か」を手に入れること、だとか

随所にグッとくるエピソードがあって勇気づけられる。

読めば読むほど、ヨチヨチ苦難の日々は避け得ない気がするし、平坦な道のりのはずはないんだけれど、でもなんだか、ちょっとだけ、「その日」が楽しみになってくる。なんとかがんばれそうかな、って気持ちになる。

そんな本です。

*

「いやー読んだけどこれ、ここに書かれているヨチヨチ父エピソード全部そのままなぞる気しかしない。二足歩行出来る気がしない」

読み終わった後、こう言ったら、

「うーん、そうだね。でもね、私この本読んで、あなたがヨチヨチ父なように、きっと私もヨチヨチ母をやるんだと思ったよ」 と、ツマ。

きっとツマも不安なのだろうなと思う(当然だが)。

二人でヨチヨチ、歩いていこう。

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レストランの「無限パンシステム」の最適解を僕はまだ知らない

October 31, 2017 Yuhei Suzuki
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「無限パンシステム」、あれ難問だと思いませんか。

いやあれ、レストランとか行くとバスケットに入れられたパンが無制限に補充されてくるやつ。あれの最適解がわからない。

「いや、食べたくなかったら断ればいいじゃんw」とツマは言うのだが、ことはそう簡単ではないのだよ奥さん。

「パンのおかわりいかがですか?」と紳士的な笑顔で聞いてくるスタッフさんに対して、「あ、大丈夫でーす。ありがとうございます」とハキハキ即答するというのは、私みたいな人見知りにとって、けっこうな高等スキルなのである。

ちょっとタイミングがずれようものなら、相手はもうあのカチカチバサミでパンを挟み、バスケットから出すモーションになってるものだから、「あ、はい、ありがとうございます、じゃあ、同じの2つ…」みたいな感じでなし崩し的に受け入れるしかないのだ。総受け。

なので、いかにホールスタッフに「あ、あの人パン足りてへんな」と思われることなく、自然なペースで、パンを食べつつ残しつつしながらコース料理をたいらげるかという戦いになる。

ところがこれも、なかなかどうして難しい。私の胃袋は鈍感野郎なので、ちょうどいいペースとか満腹感の見極めが苦手なのだ。

なおかつ出てきたものは衝動的にパクパク食べてしまう節操無しなものだから、まず間違いなく小皿パンの第一陣(小皿に最初に盛られる2つぐらい)は、開始早々、最初の料理が終わるぐらいに戦場から姿を消すのである。

で、次は第二陣の受け入れキャパ見極めになるわけだが、ここで「一つでいいです」と言うか「あ、じゃあ二つください」と言うかでその後の試合運びが変わってくるのだ。

第三陣が来たら間違いなく我が城はキャパオーバーなので、スタッフにいかに「補充したろ」と思われないかが勝負なわけだが、この第二陣パンの消費スピードが最大の難問。

だってさ、せっかくもらったんならそのパンも美味しく食べたいじゃん。

でも第三陣の襲来を防ぐ必要があるから、すぐ食べ尽くすわけにもいかないじゃん。

とはいえ、あんまりチマチマ食べてるとパンが冷めて固くなって美味しくなくなるじゃん。

だからコース料理本体の配膳スピードを見極めながら、美味しさキープできて第三陣と防げる絶妙なペースでパンをもぐもぐする必要があるわけ。

これね、むずい。なーかなか勝てない。いっつもどっちか中途半端な感じになっちゃう。

誰かこの悩み共感してくれる人いない?いないか…

P.S.
伏兵に注意。
油断してるとあいつら、「新しい味のパン」を出してくるぞ!目にしたら気になって頼んじゃうから気をつけろ!

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#14「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

October 31, 2017 Yuhei Suzuki

そわそわ

そわそわ…

そわそわそわそわ…

ツマ「めっちゃそわそわしてるw」

オット「だってほら、おつるが来てる。我が家に。これは現実?」

ツマ「現実だよ」

オット「よ、ようこそ!」

おつる「苦笑」

*

10月最終日、明日からツマは産休に入って実家に帰るので、お家で一緒にごはんを食べようと、会社で締め作業を必死こいてやって(終わらなかった)から帰ったら、今日は来客ありとのこと。

ツマの会社のお友達、おつる(かわいい)が遊びに来てくれました。

3人でごはん食べました。

オットそわそわして完全に怪しい人。

おもむろにお茶を注ぐなど

ツマ「こいつ普段より気が利く」

あとはなんか、りんごは塩水に通すと保存がきくという、産休前のツマから豆知識インプットを受けたり、NASAが新しい星を発見したという宇宙ニュースで盛り上がったり(おつるは宇宙が好き)、三軒茶屋に住みたいという上京ガールを応援したりしてました。あとケーキを食べるなどしましたまる

(そわそわしてライティング力が小学生の夏の絵日記レベルに下がった) 

明日からツマ産休なので、オットがんばる。

#14 「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

本日の夕げ

・チキンのハニーマスタード焼き

・野菜たっぷりスープ

・アボカドサラダ

・ごはん

(あとデザートにりんごのミルフィーユ)

上がオット作

右下がツマ作

左下がおつる作

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#13「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

October 30, 2017 Guest User
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オット「はい、というわけで、1周年かんぱーい」

ツマ「やっぱねぇ、色々見てきたけど八芳園のスタッフさんたちすごいと思う」

オット「『TEAM FOR WEDDING 〜仕事はソロよりオーケストラ〜』だかんね」

ツマ「オーケストラもそうなんだけど、一人ひとりソロも上手いからねあの人たち。気配りがすごいんだ」

オット「ね。ちょっと働いてみたいかも」

ツマ「ホールはあなた、情報量多すぎて絶対対応できないと思う」

オット「せ、せやな」

*

そんなこんなで今日は白金台にある結婚式場「八芳園」が運営する「アニバーサリーガーデン」にて。結婚式からちょうど1年、無料ディナーご招待というアフターサービスを享受してきたわけ。

形式張ったウェディングが嫌で、色々持ち込み手作りオーダーメイドの無茶な相談をしたんだけどそれもぜーんぶ予算内で完璧に応えてくださって、披露宴当日も超楽しかったしスタッフさんのエスコートが神すぎたので、以来夫婦ともに八芳園ファンになっているのであります。

(とかいいながら1年ぶりに来たけど)

*

ツマ「いやー1年とかあっという間だね」

オット「来年もこのサービスあるのか知らんけど、1年後は赤子連れてきとるぞこれ。驚愕」

ツマ「そういえばなんかさ、一升餅とかお食い初めの鯛とか、日本の赤子向けの記念風習って、やたらとデカイもの出すよね。赤子、絶対食えないし」

オット「あれじゃない、人としての器を大きくするとか、獅子は千尋の谷に突き落とすとか、そういう系のこう、物量で圧倒する子育てスタイルちゃう。そういうの発達心理学的にどうですか奥さん」

ツマ「いやいや発達心理学的には全然ダメよそれ。かのヴィゴツキー大先生は"発達の最近接領域"って言うてまして」

オット「またなんか高度なやつ出てきた。こないだはコルトハーヘン先生だったのに今日また新しい人出てきた」

ツマ「要はあれよ、自分の身の丈よりちょっとだけ難しくって、助けがあればできるっていう経験がその子の出来ることを伸ばすっちゅーこっちゃ。タイなんか大きすぎますわ」

オット「なんで関西弁になってるか知らへんけど、私が最近地道なプレパパトレーニングを受けてるのとおんなじやね」

ツマ「そゆことそゆこと」

#13 「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

今日はお絵かきお休みして写真をホイッとな。美味であった。

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アウフヘーベンよりシャウエッセン

October 30, 2017 Yuhei Suzuki
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そういえば今日は結婚記念日でして。いや正確に言うと「結婚式を挙げて一年経ったよの日」であって入籍の日はまた別だったりするものだから、どっちを記念日としたものか、いやいや二度祝えて嬉しいじゃないかというべきなのか、まぁそんな感じで、1年経ったようです。

少し太った気がするので最近は行き帰り一駅分歩いていたり、赤子を迎えるその日に向けてツマの身辺自立指導を受けていたりとそんな日々です。

変わったことと言えば…良くも悪くも、自分の楽しさや興味関心よりも義務感や責任感で動く比率の方が大きくなったなという感覚がある。

それは成長なのかはたまた停滞なのか。緑の人が言ってた、あうふへーべんなるものが必要なのかしらん。

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「育休取るの?」の質問に、YESで即答したいところだが、現実なかなか難しい

October 23, 2017 Yuhei Suzuki

夏頃にツマの妊娠も職場等々に公表され、その後日に日にツマの腹が大きくなるにつれ、オットである僕に対しての、ツマから、また周囲からの「育休取るの?」の質問頻度はじわりじわりと上がってくる。

「うーんそうだよねぇ、取れるなら取った方がいいよなぁやっぱり。うーん難しいだろうけど考えてみようかなぁ、取った人はみんな『取って良かった』って言うしなぁ」

こういう煮え切らない返答をしているのは決して「取りたくない」からではない。どっちかっていうとあれだ、「取れるなら取りたいし、取るべきだよなぁ」と思っているからこそ、現実と板挟みになって辛い、みたいなそういうやつです。

いや、僕も今のご時世、「男は仕事、女は家庭」みたいな旧時代的家父長主義が良いなんてさらさら思ってもいないし、「24時間働けますか」みたいなブラック社畜企業戦士になりたいとも思っていないし、どちらかというとリベラルっていうか、男の育児参加とかイクメンとかわざわざ取り上げるでもなく当然夫婦協力してやっていくべきだよねって思っていますけど。

けど、今の仕事の状況と出産のタイミングなどもろもろ具体的な現実として立ち上がった「自分の人生」をベースに考えてみると、これがなかなかどうして難しい。ですよ、ほんとに。

うちの場合、子どもは年末に生まれ予定なのだけど、年末年始はツマの実家にお世話になるので、その後2月ぐらいから夫婦でもともと住んでいる家にツマも赤子も戻ってきて3人で暮らす…みたいなスケジュール感でいる。

育休を取るとしたら、こっちに戻ってきた2-3月の間が一番いいよねぇ、という見通しなのだが、ちょっと今自分が担当している事業部の仕事の状況や自分の役割、年度末の繁忙見通しからすると、とてもじゃないけど自分が2-3月に抜けるのは厳しいなぁというのが正直なところ。

企業に務めていて、20代後半〜30代ぐらいの上にも下にも人がいる、みたいなミドルマネージャーのポジションって、なかなかこう、短期的には業務調整や引き継ぎが難しいところもある。

安定期に入る妊娠5ヶ月頃に公表して、そこから出産まで約半年。とにかく前から固い意思を持っていて、公表直後から半年後目指して会社にも宣言して全力で運用引き継ぎにコミットすればできなくもないだろうけど、僕みたいに、「決めかねている」ステータスの人にとって、いきなり決断して短期決戦で育休移行、というのは相当な綱渡りである。

できる・できないで言えば、「できる」なのは原理原則論としてはわかる。決めの問題というか、権利としては会社も妨げるはずがないので、残された人がざわめこうが負担かぶろうが知ったことがない、と強い意思で育休取れば、そりゃあ取れるにきまっている。

でも…優先順位や可能・不可能で割り切れないことって、ある。

「究極、そりゃ取ろうと強く決意すれば取れなくもないよな。周囲にしわ寄せはいくけど…」

「仕事も今すごく忙しいけどやりがいあるんだよな。でも育児をないがしろにしたいってわけでは決してないんだよ…」

「子どもがどんどん成長していく幼児期の時間は二度と戻ってこない、というのはわかる。でも、誰だって、自分だって同僚だって部下だって、二度と戻ってこない毎日を生きている…」

「いやいや、子どもにとって父親に代わりはいないんだ、仕事の時間やお金とかより優先したほうが良いよ、という意見もわかる。自分の決断次第だよな。いやでもその決断で職場にはどんな影響があってそれをどうマネージするのか…」

的な堂々巡りというか、ダブルバインドというか、とにかく毎日そんなことを考えている。

別に超政治意識高いわけでもなく、まぁでも時代の流れとしても世代感覚としても当然だよね…というぐらいにはリベラル的価値観を前提としてしまっているフツーの中道左派、的な働き盛りの男性って、多分僕以外にもそれなりの数がいて、べき論としても、自分の気持ちとしても、育児になるべく多くの時間を割くべき、割きたいと思っている。思っているからこそ苦しむ。

そういうジレンマは、あるんじゃないかな、と思う。

そうはいっても時計の針は進むし、一寸先は年末だ。

僕が意思決定をしようとしまいと、育休を取ろうと取るまいと、ツマはお腹を痛め、赤子は世に生まれいづるのだ。

今のところ、我が家のオプションとしては、①取るなら2-3月、②取らないなら取らないでいいけど早く帰ってくる、という感じで、現状8割方②で頑張るかな、という感じ。

最近は②に加えての追加オプションとして、「育休は生まれた直後じゃなくて、妻の職場復帰前後の2ヶ月で取るのも良いタイミングだよ」という助言ももらっている(なるほどなぁ)。

いずれにしたって、限られた時間、僕がどう逡巡するかというより、具体的にどのような動きを取ってツマと赤子を支えられるかということだけが重要なので、まぁそろそろ決めんとなぁ、と思っている。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

#12「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

October 19, 2017 Yuhei Suzuki
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オット「てか今日寒くない?」

ツマ「だから寒いって言ったじゃん朝w昨日より寒いよって言ったのに昨日より薄着で出るから」

オット「なんか大丈夫な気がしたんだよ朝は…しかしもうだめだ、いよいよもって夏は終わったのだ」

ツマ「とっくに終わってるよ。女子がダッフルコート着る夏なんかないよ」

オット「そして近づくツマの産休里帰り。俺ちゃんと生活できるかな」

ツマ「ちょっともう私はリモートであなたの面倒見る余裕ないんでがんばってくださいw」

オット「いやでも最近は改善の兆しが出てるし大丈夫な気がするのよ。あんまり床で寝なくなったし、電気も消すようになったし」

ツマ「いやそれ私途中で声かけてるからな」

オット「え」

ツマ「え、じゃない」

オット「Pありで○ってとこか…」

※療育等の業界用語で、ターゲット行動に関して、他者の声かけなどの補助(プロンプト: P)ありで実施できたかどうかを示す時に言います

ツマ「いや○でもねーよ、起こしても聞かないことあるから」

オット「Pありで△…」

ツマ「それ出来てないってことね」

オット「はい」

ツマ「まぁ睡眠も大事だけど、心配なのは洗濯ね」

オット「2人暮らしのときより洗濯機のドラムが埋まるスピード遅いから絶対に油断する」

ツマ「気がついたらパンツが無いみたいなことなるよ」

オット「Gカレに定期で予定入れよう」

ツマ「パンツの総量マイナス3ぐらいの日にちでリマインダーかかるようにしとこうな」

オット「賢明」

ツマ「今パンツ何枚あるの」

オット「わからん」

#12 「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

本日の夕げ

・はんぺんと鶏肉のナゲット

・ゴーヤの唐揚げ

・さつまいもと大根の煮物

・雑穀ごはん

・豚汁

上がオット作

下がツマ作

ちょっと俺うまくなったんちゃう?

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人生の主導権の話、あるいは「好き」を「仕事」にということについて

October 18, 2017 Yuhei Suzuki
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「好きを仕事にする」というのは、もうけっこう手垢にまみれた言葉になってしまったけれど、これを高次元で達成できている人というのは多くはないように思う。それはつまり、関係性のデザインなのだろう。

物事の好き・嫌いというのは、個々人の自由なのだから、「好き」を追求することが他人にとって価値を生むかどうかというのは別に必須条件ではない。別に好きな分野に対して上達や卓越の義務が課されることもない。寝転びながら漫画を読んでいたっていいわけだ。

一方「仕事」というのは他者に向かっての贈り物だから、自分ではなくて相手がどう思うかというのが第一に重要であって、極端に言えば、相手が価値を感じてお金を払ってくれる限りにおいては、自分がその仕事を大嫌いであったってなんの問題もないわけである。

そもそも逆のベクトルを持っているのだから、「好き」と「仕事」が重なるなんてことは当たり前でもなんでもない。

「好き」を「仕事」にできたと思ったら、気がつけば仕事としての要求値がどんどん上がっていき、自分の好きを大事にすることよりも相手の期待値に寄せていくための骨折り汗かきで日々が覆い尽くされる…なんてこともなくはない。

でも「仕事」を通して他者の目にさらされたり、共通言語で語れる人と出会えるというのも確かであって、それは個人の趣味や内的世界の中で「好き」に耽溺しているだけではなかなか開かれないポテンシャルなのだと思う。

あとは一度、「仕事」とか「世間」に思いっきり揉まれて振り回されることで、ほんとに自分の「好き」の中で譲れない大事な要素とそうでないものが見極められるようになることもあるから面白い。

まぁ、無理しすぎて潰れたら元も子もないんですが、緊張と弛緩、開放と内省、振り子を何度か振る中で、みんなそれぞれに、自分にとってちょうどいい振り幅を見つけていけると良いよね。

自分の「好き」に没頭できて、なおかつ他者との接点を持ち、経済性を持てるという環境のデザイン。

そのためには人生の主導権を誰かに渡さないことが重要で、引っ張られたり相手に寄せたりしながらも、最後の最後で自分が決める余地を守ること。

じゃないと「こっちだな」「こうだな」が見えてきた時に、自分の身体を動かせないから。

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ダッフルコート女子による「夏は終わった」宣告 あと弱さに開き直ることについて

October 17, 2017 Yuhei Suzuki
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いよいよもって「夏は終わったのだ」ということを認めざるを得ない感じの気候である。えーでもだって先週ちょっと暑い日があったし、お、これはまだ大丈夫かな?みたいな何に対しての大丈夫かわからないけどそんな感じで油断してたらいつの間にか道行く女の子はダッフルコートとか着ちゃうし(かわいい)自分はうっかりサンダルで出かけちゃって後悔するしでなんだったんだこないだの夏日は変な希望を持たせないでくれ今週なんか毎日雨だし寒いしこれはもう一縷の希望もなく夏は終わったのだ認めざるを得ない。

ここ数週間はなかなか苦しい時期が続いていて、今もまぁ忙しいには忙しいのだけど、先週末から今週にかけてちょっとずつ気持ちは上向いてきた。

昨日のイベントでは、弱さとか有限性こそ資源なのだという話をした。(もっと色々話したんだけどそれはまた別の機会に)

ひとつの物差しだけで見ると量的競争の相対評価になるのだけど、関係性や相互作用のなかでみると色んな強弱を持った人間同士が交わり合うことで結果足し算だけではつくれないダイナミズムを生み出せるのが面白い。

ここ最近のしんどいなーつらいなー弱ったなー期間はまぁそれは私は死んだ顔をしていたと思うんですけど、一方で、実はそうやってエネルギーが減衰していくことが次の活路になっていたんじゃないかなって今は都合よくそう解釈してます。

弱っていること、今自分はけっこう苦手なことをして踏ん張ってることを、開示するというか開き直るというか、まぁ回りも察してくれたのもあるし自分からけっこうSOSを出したりして、そしたらばまぁ皆さん助けてくれるわけですね。気付いたらチームもとっても頼もしい感じになってきて、ほんでよくよく考えたら僕の手元で抱えてるボールとかよっこいしょと背負ってる荷物とか、もっとフィットしてる人に手渡せそうだなーみたいな、いや僕が甘えてて皆さんにお世話になってるだけかもしんないですけど、まぁそんな感じでさ。

弱ったなーうーん弱ったなぁの極みのタイミングでGカレ飛ばした1on1メンタリングが今日あったわけですが、まぁ会うまでに8割方解決していたりしたんだけど、なんだかんだといつもエンパワーしてもらってますよ。

「悠平もそれぐらい悩むときあるんだね。けっこう自己解決するタイプだもんね」

「アーティストはだいたいアップダウンが激しいもんだけどお前は珍しいよね。そんなに周囲に合わせる必要ないよ、合わせたままでよくつくれるね」

とかとか。

踏ん張りが必要な時期なのは変わらずなのだけど、何に一番エネルギーと時間を注ぐかはより明確になったので、気持ちだいぶ楽になったかな、みたいな。

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働く妖怪人間

October 15, 2017 Yuhei Suzuki
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正直、けっこう苦手なことをしているなという自覚はある。

心身いろんなところの神経接続がずいぶんとぎこちない感覚があり、妖怪人間ベムじゃあないけど、「はやく人間になりたぁい」といっつも思いながら、どうにかこうにか日々を乗り切っている。

仕事が早そうに見えるのはごまかし効いてるだけで、私のパラメータ配分は言語処理能力だけに異様にポイントが振られたような感じなので、数的処理とか空間認知とかあるいは人の感情を読んでその場の流れに乗ったり作ったりみたいなものはかなりの苦手意識があり、そういうものはいつも脳内だったり手元のメモ帳だったりを駆使して、一度言語情報に落とすというステップを踏んで、つまり言語で補助線を引きながら理解して対応している、という回り道なのだ。うまくやれてるように見えてても相当疲労する。

しんどいことが多くてもなんだかんだと仕事が続けられているのにはたぶんいくつか理由があって。

1つめはそれがまさに「仕事だから」だ。仕事なんだから、自分の内的葛藤や逡巡や苦手意識なんかよりも、ユーザーが必要としている価値を生み出して届けることのほうが当然に重要なのであり、そのためなら苦手なことだってなんだってやるのだ。やっていくうちに苦手でもできることは多少は増えるし、自分たちのやっていることを必要としている人がいると信じられる限りは勇気だってエネルギーだって湧いてくるってものなのだ。たぶん僕は仕事じゃなかったら、仕事というものがなかったら、何事も続かないし、なおのこと人間になれない。

2つめに、仕事を「働く」という観点で、つまり仕事をする自分自身の側とか、自分と一緒に仕事をするチームの側から捉えたときに、自分のような凸凹が大きい人間でもどこかピースとしてはまるところがあるだろうと信じられるし、そう信じていられるうちは見つかるまでがんばろうと思えるのだ。1つめの話に続けて言えば、仕事というのは「成果」で判断されるものだから、成果を出すための手段は1つに固執しなくて良いわけである。もしたった一人だけで成果を出せ、なんて言われたら、得意も苦手もなく1から100まで血反吐を吐いてがんばる、みたいな選択肢しかないわけであるが、チームでやるならば、自分が苦手なことは自分より得意な人に任せ、その人が苦手なことはこれまた別の得意な人に任せ、という組み合わせでもってトータルの成果を出せればいいわけだから、それぞれが自分の得意に専念できる環境をつくる、というのが最適解になる。妖怪人間でも妖怪人間らしく輝ける場所があったりする。

ところがしかし現実はなかなか理想通りにはいかないわけで、常にあらゆるリソースがベストな組み合わせで揃っていることなんかあり得ないので、なるべくチームとしての最適解を目指しつつも、やはり段階的には、それぞれがちょっとずつ苦手な部分も引き受けて踏ん張って乗り切る、みたいなことは避けられない。

その「踏ん張り」の必要度合いというのは時期によってまちまちだけれど、最近はどうしても大きな踏ん張りが必要な時期であることを自覚していて、そういう時に何が支えになるかっていうと、結局は自分にとって大事な人たちの「信頼」に他ならないのだと思う。僕の場合は特に。

「今は成長痛だね」という言葉と、「お前はお前にしかできないことをやれ」という言葉の両方を僕にくれたのは前の上司なのだけど、その一見矛盾した言葉が意味を成す、両立し得るということを僕は知っているし、どういう思いでそれを投げかけてくれたかを僕は勝手に想像して自分の勇気としている。

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いくら「経過は順調ですね」と言われたからとて、私たち、何に安心できるというのか

October 14, 2017 Yuhei Suzuki

「別に何もなくたって妊婦は自然に涙が出たりするんだから」

寝床でほろりと涙を流したツマに、「どうしたの」と聞いたらそう答えた。

「見通しが立たないもの」

ポツリとつぶやくツマを見てハッとした。

そりゃあそうだ。買い物だの健診だの仕事や生活の話し合いだの貯金のことだの、なんやかんやと「準備」を進めたからとて、我が子がこのまま無事に産まれてくる100%の保証なんて、ない。

「経過は順調ですね」なんて言われながら、ツマのお腹は順調に大きくなっていく。安定期に入ってから特段体調を崩す様子もなく、来月産休に入るとは思えない感じで今まで通りにバリバリ働いている(もちろん業務整理は進めているようだが)。

だからといって、それはイコール、このまま順調に、子どもが産まれてくることに確証を与えない。

ツマの身体に異変が起こって、母子の健康に危機が迫る事態がいつ起こるとも知れない。12月22日が予定日と言われて、まぁ前後しても1週間ぐらいかななんて安心していたら、11月のうちに超未熟児で早産…なんてことが起こらないとも限らない。

「見通しが立たないもの」

そりゃあそうだ。産前産後の暮らしやお金のことについて、いくら万全の予測と準備をしたところで、それは生命が産まれるということの、周辺も周辺、外堀に過ぎないのであって、「準備」の足し算が100%を作ることなんて決してない。

僕はというと、両親学級に参加したり、赤ちゃんの名前事典を買ってみたり、西松屋でベビー商品のラインナップに圧倒されたり、ツマに陣痛が来たときにどう動くかを打ち合わせてみたりしながら、なんとなくツマと子どものことを考えている気になりつつも、とはいえ大して実際的に役に立てることもなく、そんな浮き足立った日々をこうしてnoteで開陳しながら、なんとなく人生が進捗していき、「年末には産まれるのかぁ、パパになるのかぁ」などとお気楽ぼんやりにつぶやいているばかりだった。

やるべき「準備」をto doにして洗い出して、それを「期日」=出産予定日までにこなしておけば、あとは分娩台でいきむツマを応援していれば自動的に子どもが産まれるだなんて思ってはいなかったか。お気楽の極みである。

気丈でしっかりもののツマは、僕がいくらオロオロしようといつも通りの落ち着きぶりで、むしろ産休中に実家に帰ってからの僕の生活を心配するぐらいの余裕を見せていた。 (加えて言うと、最近仕事の方でなかなか苦しい状況が続いていて、どちらかというと僕の方が悩み鬱々とする体たらくで、むしろここ1ヶ月ぐらいは、ツマの方が僕をずいぶんと気にかけてサポートしてくれていたように思う)

起きているとき、ツマはいつだって明るい。それは彼女の胸のうちに不安が無いということを決して意味しない。

当たり前のことである。

そして僕は、そんな「当たり前」のことについて、偶然彼女の涙を目にするまで気がつきはしなかったのだ。

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