昨今のコロナ禍で、オンラインビデオツールを使って人とコミュニケーションをとる機会がとても増えた。ZoomミーティングやGooglemeetsなど様々なツールが用いられるのだが、そのときにハッとするのが「自分の真顔の恐ろしさ」だ。
Read more「困難」よりも、はるかに広いイマジネーションを。歴史創造的存在としての障害者
「困難」を語るということは「困難」のただなかにある人には決してできない、と私は考えます。
Read more眠り方を忘れてしまった
「大丈夫?ちゃんと寝れてる?」「いやそれが、いつでもどこでも寝られるんですよ、僕」
Read more遠浅で
それで、睡眠はどうですか? 寝付きは。 いいです。いつも布団に入るとすぐ眠ってしまいます。 そうですか、それはとてもいいことです。
Read more私が眠ったことのある場所
「眠ったことのある場所」を思い出すことは、私にとって他の場所を思い出すことよりも特別である。幼少期のいつ頃からか、人工呼吸器を付けなければ安全に眠れなくなった。
Read more眠ることとは少しの間…
「さよならを言うことは少しの間死ぬことだ」とはレイモンド・チャンドラーの小説の探偵フィリップ・マーロウの言葉だったか。そんな気もするし、そうでもない気もする。もしそうだとしたら、眠るということも少しの間死ぬことなのかも知れない。そんな気も……、いやそんな気はしない。
Read more眠りについての覚え書き
子どもの頃に繰り返し見た夢がある。
Read more眠りについて
私はずっと昔から、眠りに悩まされてきた。そしてそれは今もそうである。過眠状態と不眠状態を行ったり来たりしながら、どうにか日常生活を送っている。これを書いているのは午前4時で、昨日眠りに入ったのは0時頃だったから、実質3~4時間しか眠っていない。
Read more当事者研究と学術についての一考察
2021年5月29日に、熊谷晋一郎『当事者研究』のオンライン読書会をした。この記事は、本書の背景および読書会での対話を私が大幅に再構成したものである。
Read more哲学的議論と事実について
2021年4月25日に、児玉真美『アシュリー事件』のオンライン読書会をした。この記事は、本書の背景および読書会での対話を私が大幅に再構成したものである。
Read more今度は「幸福」を理論的に考えてみよう
2021年2月28日に、青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』のオンライン読書会をした。この記事は、本書の背景および読書会での対話を私が大幅に再構成したものである。
Read more会話のない3時間。ともにいることについて - 出会いを遊ぶ #02
あわいの企画でまた一つ悠平さんに出会いを計らっていただいた。
正直、緊急事態宣言が出た後でどうするか迷ったが、この際いっそ、飛沫の元となる会話や接触を一切しない方向で徹底しましょうとなり、一言も会話をせず3時間ともに過ごした。
会話は全て筆談、筆記用具は別々、マスク外さない、喫茶店では向かい合わず隣に座り、蓋つきのコーヒーを飲む事にした。
想いを伝えるのは確かに言葉が一番わかりやすいが、それ以外の表現が世の中にたくさん存在する。そのうちの一つである写真を今回は選び、お互い気の向くままに撮っていったので、それは最後に載せようと思う。
〜言葉について〜
言葉は日常に馴染みすぎていて、なんでも言葉にする事に私は少し疲れている。
コロナ禍で気付いたのは、「体感」するのが好きだということ。
日光を浴びること、毎日変わる空の色を見ること、散歩しながら暮らしの風景を浴びること、誰かにコーヒーを淹れてもらうこと、イヤホンで大音量で音楽を聴くこと(言葉を理解したくないので邦楽より洋楽の方が聴く)。映画も家で観るより断然映画館だ。
言葉はどこから生まれてどのように根付いたかは前々から興味のある事だった。
伝えることはなんでも言葉だし、考え事も言葉。脳の中から言葉を取り出したら人は一日にどれだけの言葉を扱っているのだろうか。
最近幸いなことに舞台や短編映画の企画に関わらせていただいて、「演出」という表現方法に向き合う時間が増えた。
役者の発する言葉の他に、視線の外し方や余白の使い方、音やセットや照明、ありとあらゆる伝えるための工夫が練られていて、毎日感動していた。
言葉だけじゃないよなあ、と、もしかして当たり前なのかもしれない事を思った。けど、現実に戻れば言わなきゃ伝わらないことばっかりだ。もちろん、言われなきゃ分からない事も多い。
表現方法を知ることは、新しい言語を知ることだ。
(文目ゆかり)
・・・
言葉には様々な成分が含まれていると僕は思う。意味、感情、感性。そういったいろいろ。僕らは言葉を交わすことによってそれらを交換し合い、互いを知ろうとする。
それが決して理解し合えないことを運命づけられた営みだとしても。
僕は言葉によって受けた傷を言葉によって癒やそうと試みてきた。言葉を持つことが出来なかった自分を、言葉を殺してきた自分を救うために。そして同時に世界と、あるいは社会とつながるために執筆とか編集といったかたちで、言葉を扱う仕事をしている。
けれどそうやって言葉に深入りすればするほど、ある種の虚しさが押し寄せる。
たとえば「つらい」と言うとき、その言葉に乗っかる「つらさ」は本当に100%渡せているのだろうか。「つらさ」のうち、一体どれほどがこぼれ落ちているのだろうか。そもそもわたしの「つらい」とあなたの「つらい」は違うはずなのに、どうして伝わると思ってしまうのか。
それぞれ違う心を持つがゆえの孤独。言葉の持つ「意味」という制約。自分にしかない固有性を言葉によって相手に伝えることは、それらに抗いながらそれでもわかり合いたいと泣き叫ぶような営為。少なくとも僕にとってはそう思える。
一方で言葉がなくともつながることができることも知っている。すれ違った人と交わす会釈。ライブでアーティストに向ける万雷の拍手。声が届かない距離で振り合う手。
僕は言葉を扱う仕事をしている。だからこそ、言葉の外にあるものに惹かれてしまう。
(雨田泰)
〜実際会ってから別れるまで〜
高円寺駅にて、ぎこちない会釈から始まった。初めましてくらいはやっぱり言いたくなるものだ。そこをぐっと我慢し、「寒いですね」と書けば、「そうですね」と書いてくれ、時には相槌や目配せも交えて少しずつ会話が進んだ。
お互い合意の元だと、それ自体にはそこまで障害を感じなかったが、書くという行為には口を動かすより時間がかかる。
口ではサラッと言うだろうなってことも、脳に浮かんだ言葉を書こうとする間にはその先のことを考えていて、思考にペンがついてこなくて、止まってしまうことがしばしばあった。脳と口は直線で繋がっているような感じ。なんとか言葉にまとめてバトンを渡す。
晴れてたけど、だいぶ風が強く、寒い日だった。街並みを一通り楽しみ、ペンを持つ手がかじかんできた頃に、喫茶店へ向かう。
喫茶店では落ち着いてそれぞれの考える時間も増えていった。まあまあ待たせるし、まあまあ待つ。この無言の空間って、気心の知れた友人や恋人と共有するようなものに似た感じがして、初対面で安心して無言でいられる事ってそうない気がする。そして、その空間はやたら心地が良く、相手が同じ空間に存在しているという感覚がいつも以上に強かった。
お互いの仕事のことや、コロナ禍での「会う」ことの変化などを筆談した。最後まで雨田さんの会話のテンポはわからなかったが、それでもじゅうぶんどんな方かより興味を持てたし、なんかいい時間を過ごしたなあという充実感があった。
どうせコロナ禍のなかでやるしかないなら、楽しいと思えることをたくさんやりたい。
(文目ゆかり)
冷たい風のなか、吹き飛びそうな紙を押さえながらペンを走らせてあいさつをした。
駅の近くでインスタントカメラを買い、高円寺の雑多な町並みの中で、目についたものをおのおの写真に撮った。写真を撮っては時折筆談で話す。体が冷えてくれば喫茶店に入り、隣同士座ってまた筆談で話す。
普段PCやスマホでデジタルな言語表現しかしない人間にとって、筆談という手段はひどく不自由に感じた。書き間違い、誤読。あるいは漢字を思い出せないからひらがなで書く。デジタルな世界では排除されがちな、そういうエラーが可視化される。
情報学者であるドミニク・チェンさんは、タイプミスはある種の吃音と言えるかもしれないと言っていた。僕は書き間違えた自分の文章をボールペンで塗りつぶしながらその言葉を思い出していた。通常の会話において吃音のない人であっても、フォーマットが変わるだけで途端に吃音者となる。テクノロジーが究極まで削ぎ落としてきた人間の身体性というものがあらわになるのだろうか。
逆に筆談のほうが声を出さない分のやりさすさもある。そういう話もした。文目さんとはお互いに声が通りにくいという悩みを共有したが、紙の上のやり取りならそんなことは関係ない。
言葉はないが言葉に満ちた時間。1月の冷たい風と深煎りのコーヒーの香り。後はただペンを走らせる音。言葉はないが言葉に満ちた時間。僕らは確かに時間と空間を共有していた。
一切の声を出さないコミュニケーション。傍から見れば寂しいのかもしれない。味気ないのかもしれない。だがそこには豊かな余白が満ち溢れていた。曖昧でいい。曖昧なくらいがちょうどいい。暴力的とも言えるカテゴライズに疲れ果ててしまった人間としては、むしろ今日のような世界の方が心地よかった。グラデーションであり、スペクトラムであり、曖昧である今日のような世界が。
文目さんと手を振り合って別れ、駅のホームに向かいながら、僕はそんなことを考えていた。
(雨田泰)
〜その日の記録(撮影:文目)〜
〜その日の記録(撮影:雨田)〜
|| プロフィール ||
閒の日々 睦月号
株式会社閒(代表取締役: 鈴木悠平)が行う事業報告や会社づくりのプロセス、閒に集う人たちの語り・営みをご紹介する、「閒の日々 睦月号」をお届けします−−。
▼これからの閒を考える
一月の月例会は「閒の今とこれからを考える」をテーマに、みんなが何を求めているのか、閒でやってみたいことは何か、ダイアログを通して眺めてみる機会となりました。
毎回、同じメンバーが集うわけではないので、お久しぶりな方からも、ぜひやってみたいと思う取り組みが提案されました。
「気になる人の本棚をのぞく企画」「自身の当事者経験(クレプトマニア)について、当事者会や自助グループではない場所で対話してみたい」「図書館の機能や役割を学び、アーカイブすることについて考える」など、各々の経験や気になることから、たくさんの企画が今後も生まれてゆきそうな予感です。
この月報を書いている私は、いろんな人の本棚(棚にのっていなくてもOK)をのぞいて、いろいろお話を聞いてみたいなと目論んでいます。もしも、これを読んでいる方で、本棚をのぞいてほしいという方がいれば、ぜひお声がけください。自薦他薦は問いません。
▼デボラ・ヘルマン『差別はいつ悪質になるのか』読書会&レポート
12月・1月と2回に分けて行ったデボラ・ヘルマン『差別はいつ悪質になるのか』読書会。閒の研究員である石田柊さんが、書籍に書かれたヘルマンの主張と、読書会での対話で挙げられた事例や意見をもとに、記事を書いてくださいました。
「差別をなぜ理論的に考えるのか」
https://awai.jp.net/blog/lab-shuishida-discrimination1
「差別はなぜ悪いのか?その悪さは差別に特有か?」
https://awai.jp.net/blog/lab-shuishida-discrimination2
▼「動く障害者(仮)」連載スタートのお知らせ
車を買って変化したくらげさんの日常を取り上げた企画を2月にスタートします。
車を買うこと、おとなになること、愛する人を運ぶことなどといった視点から出版も見据えて記事が執筆されていく予定ですので、是非、お楽しみに。
[ くらげさんからのコメント ]
閒の皆様、こんにちは。聴覚障害と発達障害(ADHD)の当事者で、会社員をやりつつ物書きをしているくらげと申します。
この度、閒で「動く障害者(仮)」というエッセイを連載することになりました。
障害者のイメージは「動かない・動けない」というイメージが強いと思うのですが、車を購入し「動く障害者」になった私が、運転を通して見えてきた「障害」や「世の中」のことついてつらつらと綴っていく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
閒では、Slackというコミュニケーションツールを使用して、コミュニティ活動を行っています。今年も、少しずつ様々な活動が醸成されていく予定です。気になる方は、コンタクトフォームからお問い合わせください。
▼2月の閒、イベントカレンダー
2月26日(金)21:00-22:30
ふたりのふむふむ#3 YORIKO×鈴木悠平
https://awai.jp.net/blog/fumufumu-03
2月28日(日)17:00-18:30
青山拓央『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』読書会
差別はなぜ悪いのか? その悪さは差別に特有か?
2021年1月31日に、デボラ・ヘルマン『差別はいつ悪質になるのか?』のオンライン読書会をした。前回はこの本の4–6章を読み、差別というのが実は一筋縄でいかない理論的問題を伴うということをみた。今回は1–2章を読み、ヘルマン自身の立場を追う。この記事は、読書会での対話を私が大幅に再構成したものである。
Read moreふたりのふむふむ #3 YORIKO×鈴木悠平 2021/02/26 Fri. 21:00-22:30
毎月一回、閒(あわい)の主宰者・鈴木悠平が、お話したいなーと思った人をお呼びして、ふむふむします。その様子をついでに配信するので、よかったらどうぞ、というゆるい会です。
第3回は、YORIKOさんをお招きします。10年以上前、学生時代に友人のシェアハウスで会ったのがはじめましてかな。その後、彼女の展示を観に行ったり、こたつに入ってお茶したり、「宇宙CAMP」に参加したり、「アパートメント」に入居してもらったり、はたまた海を越えた異国の地で再会したり、僕が前職で働いていた教室で子どもたちと一緒に草木染めワークショップをやってもらったり、「としまおやこ小学校2019」の国語の先生で呼んでもらったり、折に触れてやんややんやと一緒に楽しい体験をさせてもらいました。
テキストよりも、彼女のサイトで写真をぜひ見てほしい。素敵なの、とっても。
千葉県の廃校で宇宙への想いを馳せる、一夜限りのキャンプイベント「宇宙CAMP」
親子、ときどき同級生。というコンセプトの「おやこ小学校」。僕が国語の先生担当で参加させてもらったのは「としまおやこ小学校2019」
ウェブマガジン「アパートメント」にも入居してもらいました。
それから、僕がいま一番気になってて、話をきいてみたいなと思っているのはこちら。
想造楽工(そうぞうがっこう)とは、
障害のある方々にイラストレーター(商業美術家)として絵を描いてもらい、
デザインと組み合わせて商業に展開させる事業です。
のびのびとした豊かな世界観を身の回りの風景に落とし込み、
新たな価値創造に向けてたくさんの楽しい作品を生み出していきます。
一人ひとりと自然体でかかわりあって、それでいていつも全力の一生懸命で、気づいたらにぎわいと喜びあふれる場が生まれている。そして、彼女と関わったみんながちょっぴりほっこり幸せな気持ちになる。僕にとってのYORIKOさんはそんな人。
ふむふむするのが楽しみです。
参加方法
①閒のSlackコミュニティに参加している人は、Slack内でURLシェアしますのでそこからどうぞ。
②YORIKOさん・鈴木悠平の知人・友人は「聴きたい!」って本人にコンタクトすると、URL送ってもらえると思います。もしくは本人から「聴いて聴いてー!」ってお誘いが来るかもしれません。
③Peatixのチケット(500円)を購入、フォームに情報入力していただければ、そちら宛に配信URLお送りします。
録画アーカイブもあるので、リアルタイムで参加できない人も気軽に連絡orチケット購入してくださいませ。
決済したのにメールが届かないぞーって人は、迷惑メールフォルダとかも見ていただきつつ、Peatixのメッセージボックスか、閒のコンタクトフォームから主催者の鈴木悠平にご連絡ください。 ①②の方も、カンパしたくなったらチケット購入大歓迎です。
売上は手数料を引いて二人で折半。
ふむふむするひと
■YORIKO
株式会社ニューモア代表。「多世代・多業種の協働」をモットーに各地でデザイン・アートプロジェクトを展開。2020年9月、障害を持つ人々をイラストレーターとして迎え商業に展開するデザインチーム「想造楽工(そうぞうがっこう)」を立ち上げる。
■鈴木悠平
文筆家/インターミディエイター®
ひと・もの・ことの閒-あわい-に横たわるなにかを見つめて、掬って、かたちにしたり、しなかったり、誰かに贈ったり、分かち合ったりしています。
Something One
毎回、お声がけした人に「いま、このタイミングで直感的に、シェアしたい本とか映画とか、ものとか場所とか、あったら教えてー」と事前にお願いしてみることにしました。
YORIKOさんのSomething Oneは、こちらの本。
写真もYORIKOさん提供。僕もこれから注文して読みます。
たまたま写真を見て惹かれて知った、幡野 広志さんという写真家さん。三年前に血液ガンを患ったことを公表し、大勢の人々からSNS上で人生のお悩み相談を受けるようになってその返答をまとめた本なのですが、ひとつ読んで文章にぐいっと引き込まれて購入しました。嘘をつかない、正直で厳しく、でもユーモアと深い優しさが滲んでいるというか。こういう言葉を贈れる人がいるんだ、すごいなあと心底びっくりしました。八王子にお住まいだそうで、ばったりお会いできないかといつもソワソワしてます。
僕もこれから読みます。当日の配信で、話題に出るかもしれないし、出ないかもしれない。
みなさんもよかったらどうぞ。
