会話のない3時間。ともにいることについて - 出会いを遊ぶ #02

あわいの企画でまた一つ悠平さんに出会いを計らっていただいた。

正直、緊急事態宣言が出た後でどうするか迷ったが、この際いっそ、飛沫の元となる会話や接触を一切しない方向で徹底しましょうとなり、一言も会話をせず3時間ともに過ごした。

会話は全て筆談、筆記用具は別々、マスク外さない、喫茶店では向かい合わず隣に座り、蓋つきのコーヒーを飲む事にした。

想いを伝えるのは確かに言葉が一番わかりやすいが、それ以外の表現が世の中にたくさん存在する。そのうちの一つである写真を今回は選び、お互い気の向くままに撮っていったので、それは最後に載せようと思う。

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〜言葉について〜

言葉は日常に馴染みすぎていて、なんでも言葉にする事に私は少し疲れている。

コロナ禍で気付いたのは、「体感」するのが好きだということ。

日光を浴びること、毎日変わる空の色を見ること、散歩しながら暮らしの風景を浴びること、誰かにコーヒーを淹れてもらうこと、イヤホンで大音量で音楽を聴くこと(言葉を理解したくないので邦楽より洋楽の方が聴く)。映画も家で観るより断然映画館だ。

言葉はどこから生まれてどのように根付いたかは前々から興味のある事だった。

伝えることはなんでも言葉だし、考え事も言葉。脳の中から言葉を取り出したら人は一日にどれだけの言葉を扱っているのだろうか。

最近幸いなことに舞台や短編映画の企画に関わらせていただいて、「演出」という表現方法に向き合う時間が増えた。

役者の発する言葉の他に、視線の外し方や余白の使い方、音やセットや照明、ありとあらゆる伝えるための工夫が練られていて、毎日感動していた。

言葉だけじゃないよなあ、と、もしかして当たり前なのかもしれない事を思った。けど、現実に戻れば言わなきゃ伝わらないことばっかりだ。もちろん、言われなきゃ分からない事も多い。

表現方法を知ることは、新しい言語を知ることだ。
(文目ゆかり)

・・・

言葉には様々な成分が含まれていると僕は思う。意味、感情、感性。そういったいろいろ。僕らは言葉を交わすことによってそれらを交換し合い、互いを知ろうとする。

それが決して理解し合えないことを運命づけられた営みだとしても。

僕は言葉によって受けた傷を言葉によって癒やそうと試みてきた。言葉を持つことが出来なかった自分を、言葉を殺してきた自分を救うために。そして同時に世界と、あるいは社会とつながるために執筆とか編集といったかたちで、言葉を扱う仕事をしている。

けれどそうやって言葉に深入りすればするほど、ある種の虚しさが押し寄せる。

たとえば「つらい」と言うとき、その言葉に乗っかる「つらさ」は本当に100%渡せているのだろうか。「つらさ」のうち、一体どれほどがこぼれ落ちているのだろうか。そもそもわたしの「つらい」とあなたの「つらい」は違うはずなのに、どうして伝わると思ってしまうのか。

それぞれ違う心を持つがゆえの孤独。言葉の持つ「意味」という制約。自分にしかない固有性を言葉によって相手に伝えることは、それらに抗いながらそれでもわかり合いたいと泣き叫ぶような営為。少なくとも僕にとってはそう思える。

一方で言葉がなくともつながることができることも知っている。すれ違った人と交わす会釈。ライブでアーティストに向ける万雷の拍手。声が届かない距離で振り合う手。

僕は言葉を扱う仕事をしている。だからこそ、言葉の外にあるものに惹かれてしまう。
(雨田泰)


 

〜実際会ってから別れるまで〜

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高円寺駅にて、ぎこちない会釈から始まった。初めましてくらいはやっぱり言いたくなるものだ。そこをぐっと我慢し、「寒いですね」と書けば、「そうですね」と書いてくれ、時には相槌や目配せも交えて少しずつ会話が進んだ。

お互い合意の元だと、それ自体にはそこまで障害を感じなかったが、書くという行為には口を動かすより時間がかかる。

口ではサラッと言うだろうなってことも、脳に浮かんだ言葉を書こうとする間にはその先のことを考えていて、思考にペンがついてこなくて、止まってしまうことがしばしばあった。脳と口は直線で繋がっているような感じ。なんとか言葉にまとめてバトンを渡す。

晴れてたけど、だいぶ風が強く、寒い日だった。街並みを一通り楽しみ、ペンを持つ手がかじかんできた頃に、喫茶店へ向かう。

喫茶店では落ち着いてそれぞれの考える時間も増えていった。まあまあ待たせるし、まあまあ待つ。この無言の空間って、気心の知れた友人や恋人と共有するようなものに似た感じがして、初対面で安心して無言でいられる事ってそうない気がする。そして、その空間はやたら心地が良く、相手が同じ空間に存在しているという感覚がいつも以上に強かった。

お互いの仕事のことや、コロナ禍での「会う」ことの変化などを筆談した。最後まで雨田さんの会話のテンポはわからなかったが、それでもじゅうぶんどんな方かより興味を持てたし、なんかいい時間を過ごしたなあという充実感があった。

どうせコロナ禍のなかでやるしかないなら、楽しいと思えることをたくさんやりたい。
(文目ゆかり)

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冷たい風のなか、吹き飛びそうな紙を押さえながらペンを走らせてあいさつをした。

駅の近くでインスタントカメラを買い、高円寺の雑多な町並みの中で、目についたものをおのおの写真に撮った。写真を撮っては時折筆談で話す。体が冷えてくれば喫茶店に入り、隣同士座ってまた筆談で話す。

普段PCやスマホでデジタルな言語表現しかしない人間にとって、筆談という手段はひどく不自由に感じた。書き間違い、誤読。あるいは漢字を思い出せないからひらがなで書く。デジタルな世界では排除されがちな、そういうエラーが可視化される。

情報学者であるドミニク・チェンさんは、タイプミスはある種の吃音と言えるかもしれないと言っていた。僕は書き間違えた自分の文章をボールペンで塗りつぶしながらその言葉を思い出していた。通常の会話において吃音のない人であっても、フォーマットが変わるだけで途端に吃音者となる。テクノロジーが究極まで削ぎ落としてきた人間の身体性というものがあらわになるのだろうか。

逆に筆談のほうが声を出さない分のやりさすさもある。そういう話もした。文目さんとはお互いに声が通りにくいという悩みを共有したが、紙の上のやり取りならそんなことは関係ない。

言葉はないが言葉に満ちた時間。1月の冷たい風と深煎りのコーヒーの香り。後はただペンを走らせる音。言葉はないが言葉に満ちた時間。僕らは確かに時間と空間を共有していた。

一切の声を出さないコミュニケーション。傍から見れば寂しいのかもしれない。味気ないのかもしれない。だがそこには豊かな余白が満ち溢れていた。曖昧でいい。曖昧なくらいがちょうどいい。暴力的とも言えるカテゴライズに疲れ果ててしまった人間としては、むしろ今日のような世界の方が心地よかった。グラデーションであり、スペクトラムであり、曖昧である今日のような世界が。

文目さんと手を振り合って別れ、駅のホームに向かいながら、僕はそんなことを考えていた。
(雨田泰)

〜その日の記録(撮影:文目)〜

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〜その日の記録(撮影:雨田)〜

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|| プロフィール ||

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文目ゆかり(あやめゆかり)
調理師を経てモデル、俳優として活動中。うさぎととかげを飼っている。服が好き。最近のマイブームはアジフライ。(Instagram Twitter youtubenote

 
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雨田泰(あまだ ゆたか)
ライター、コーディネーター。社会福祉・精神医療・地域の文脈で活動。人と社会、人と人、そしてそれらをつなぐものを探求。(TwitterSite

けむりと演劇- 出会いを遊ぶ #01

「シーシャ屋さんにいくためにワンピースを買うというエピソードを聞いて、一緒にシーシャに行きたいと思ってました」と表れたのは、小柄な身からこぼれそうな大きく黒い目が印象的な文目ゆかりさん。

経堂はクレイドル(https://cradle-shisha.studio.site) という私が推しに推しているシーシャ屋さんで、はじめましての二人会。


▼コミュニティ内企画『出会いを遊ぶ』とは?

出会う、話す、同じ時間を共にする。せっかくなら、「出会い」の前後も2人で企てて遊んでみる。そんな企画です。

・毎月1回、誰か2人、場所や日にち、活動などを相談して一緒に過ごしてお話してみる
・その様子を、一枚写真+感想メモぐらいの短いブログ記事にして閒にアップする

ルールはシンプルに、閒の中の人たちが思い思いにお互いの出会いを遊びます。


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元々人と話すのが苦手で、他人に興味を持つという事を具体的にどうやったらいいのかずっと分からなかった。

今まできっと、人と時間を共有しても、自分の人生と交わっている目の前の時間にしか興味がなかったのだと思う。

その人がどういった経験をしてきて、それをどう考え、どう行動し、なぜ今目の前にいるのか、気になりだしたのはお恥ずかしながら本当にここ数年の最近の話だ。

SNS経由でご紹介頂いたあわいとどう繋がっていけるか迷っているところに、嬉しいことにしほさんの方からアプローチ頂き、お会いさせて頂いた。

しほさんはあわいのzoomミーティングの自己紹介での、シーシャに合わせたワンピースを着て行くという素敵な感性のお話が印象的で、ようやくあわい繋がりで何かできる事がとても嬉しい。

シーシャは知り合いの自宅で2回ほど体験はしていたが、お店に行くというのは初めて。そして、ちゃんとしほさんとお話しするのも初めて。仕事柄いろんな方とお会いする機会は多いが、あわいというコミュニティを介していたからか、今思えば友人に会いに行く感覚で現場に向かえた。お店は看板だけでは正直分かりづらくはあるが、入った瞬間に甘いかおりに包まれ、それだけで嬉しくなった。

聞くとしほさんは本当にたくさんのシーシャ屋さんをご存知で、週5通った時期もあったとか。都内でおすすめのお店も教えて頂いたが、今回ご紹介頂いたお店が数ある東京で一番美味しいとのこと。入り口も分からない私がいきなりディープなゾーンに踏み込めたのは、ご縁としか言いようがない。

好きなものを積極的に追求していく方は本当に魅力的。好きに理由はないんだと思う。好きは本能。しほさんは興味が広く、写真や文章もできちゃう。たぶん一回では開けきれない引き出しをお持ちの方だと思う。しほさんの話し方は無理がない心地よい明るさで、すぐに打ち解けテンポよく会話が進んだ。きっと人が好きなんだなと思った。

シーシャは素人の私でも美味しいことがよく分かった。時間が経つうちに味はより濃厚になっていき、シーシャのかおりと含まれる成分の効果ももちろん、普段気づくと浅く呼吸しているため、ずっと深呼吸している状態はまさにチルで、コーヒーでもお酒でも味わえないゾーンに入っていき、ゆっくりになっていく会話も心地良かった。誰かとお話しするときはシーシャのお店はぜひ活用していきたいし、とてもお勧めしたい。シーシャで打ち合わせとか、絶対最高。お世辞抜きにすっかり虜になってしまった。多分家に買う。その時はしほさんにお買い物手伝ってもらおう。

私は誰かと何かに夢中になることが好き。大人になった今、それが遊びでもあり仕事でもあって、それこそが共通言語となる。話せる言語の多さと語彙力が人生を豊かにする。今回あたらしい言語に触れて、またひとつ扉が開いた。生きているうちにどれだけの扉を見つけられるか。これからが楽しみで仕方ない。(文目ゆかり)

・・・

感想を言葉にして伝えるのが苦手だ。
「この映画観た?どうだった?」「何がおもしろかった?」「どこが好き?」

そう言われても、自分の中にあるもの、感じたものは、そんなに簡単に言葉にできるものでもないし、慌てて話すと純度がぐんと下がってしまうから、あまり、こういう類の質問をされることには慣れていないし、あまり好きになれない。

けれど、シーシャのある空間にいると、ゆったりと全てが受け入れられたような気がして、少しくらいうまく伝えられなくても、互いの話を、違う経験を、違う目で見たものを、少しずつ、シャボン玉が弾け合うように、時に混じり合ってしまうように、言葉や温度を交わしてしまう。

ここで時を共にした人とは、ゆっくりと時間をかけて、ずっと大切な人になるという勝手なジンクスがあるくらいだ。

まずは、ゆかりさんから、「シーシャって何時間くらいできるの?吸ってるときは何したらいいの?」と質問。

シーシャを吸っている時は、確かに何をすればよかったんだろう。生産と消費に追われる毎日の間に落ちた、ただ、呼吸をするだけの2時間。はじめましての人とただ呼吸をする会を催しているのは、かなり滑稽だと思う。

ゆかりさんは、初めてお会いしたのに、ネイティブな感覚を持って生きている、心地よい人だなと思いながら、ゆらりとシーシャを燻らせる。間がつながる感覚を得られるシーシャは、コーヒーやお酒を飲みにいくよりも、緊張感が和らぐ。本日のフレーバーは、ドバイ緑茶。店長のひささんオリジナルブレンドで、グリーンアップルっぽさのある、生の緑茶の甘さを生かした濃厚な風味。

お互いの自己紹介をするより前に、シーシャをきっかけに、お酒、古着、写真、香水、そんな話をしばらくしたあとに、「そういえば、なんで閒にいるんですか?」「お仕事は?」みたいな話をした。その頃には、もはや、表面的なプロフィールはどうでもよくなっていた。

ゆかりさんの出演する「泊まれる演劇」に招待してもらい、早速、後日講演を観にいくことが決まった。

あっという間に2時間が経って、名残惜しくも、「また会いたいです」と残り香を纏いながら、空中階にあるシーシャ屋さんをあとにした。(東詩歩)

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|| プロフィール ||

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文目ゆかり(あやめゆかり)
調理師を経てモデル、俳優として活動中。うさぎととかげを飼っている。服が好き。最近のマイブームはアジフライ。(Instagram Twitter youtubenote

 
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東詩歩(あずましほ)
観光学を専攻する大学生をしながら、WEBメディアの運営や執筆業、写真撮影を手掛けるgin’enを運営。積読をしすぎる。だいたいシーシャ屋にいる。(InstagramTwitternote