約1年前から、コンサータ(薬名:メチルフェニデート)を処方されて毎朝飲んでいる。発達障害の一つとされる、ADHD(注意欠如・多動性障害)の症状に対して処方される薬で、脳内の神経伝達物質の働きを良くして、集中しやすくするというもの。
日々、ただ生きているだけで色んなものに注意を持っていかれて、脳みそが常に忙しい。幸か不幸か、瞬発力と処理速度はあるので、来たものをどんどん打ち返していく形で、色んなプロジェクトを同時並行で進めることは出来るのだけど、それぞれで発生する重たい案件(主に原稿とか原稿とか原稿とか)は、いつも〆切ギリギリの過集中で乗り切って、終わったらドッと疲れる、みたいなことになる。いや、〆切ギリギリというのは半分ウソで、周囲のみなさんの本当に本当に寛大な便宜によって、それぞれに〆切を延ばしてもらったり待ってもらったりしながらどうにかこうにか、懺悔と謝罪を重ねて、生きている。
薬が効いてちょっとでも楽になるならそりゃあありがたい、ということで、適応障害がきっかけで診てもらっている主治医に相談して、途中からコンサータも処方してもらった。最初は18mgで、なかなか効果の実感がないので途中から36mgに増やした。飲むと、気持ちシャキンとするかな、という感じ。目立った副作用は今のところ出ていないので服薬を続けているけれど、とはいえ色んなものに追われる毎日なのは変わらない。難儀だ。
通院についても服薬についても、自身の特性の凸凹についても、特段隠してはいない。かといって自分からアピールすることもない。日常のコミュニケーションの中で話題になれば話しはする。自分にとってはその程度の要素でしかない。ただ、こんな風に聞かれたときは、言葉の座りの悪さに、もにょもにょしてしまう。
「お薬が出てるってことは、悠平さんも発達障害なんですか?」
「うーん、まぁ、そうねぇ、そういうことになるのかもねぇ」
なぜもにょもにょするのか。それはひとえに、「発達障害」という概念が示すもの、その言葉の用法、「診断」=名付けに込める期待、当事者性・当事者意識といったものが、あまりにも多様だからだ。そして、実際に自分の困り感が、「発達”障害”」とか「ADHD(注意欠如多動性”障害”」とか「ASD(自閉症スペクトラム”障害”)」といった、”障害”と表現することが妥当なのかというと、けっこう微妙なレベル感だからだ。なので、「われ発達障害当事者ぞ」と声高に言うのもなんかこうしっくりこないなぁというか、ちょっと遠慮しちゃうなぁ、という感じなのである。
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そもそも「発達障害」とは何か…という話を厳密に突き詰めていくと手に負えなくなるので、ひとまずの現時点で概ね社会的な合意の取りやすいラインでの記述に留めさせてほしい。
発達障害は、先天的な脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹≒「特性」と、周囲の「環境」とのミスマッチによって、日常生活や社会生活に支障や困難が生まれる障害であると言われている。
日本では「発達障害」というカテゴリーは、その中に大きく「ADHD(注意欠如・多動性障害」、「ASD(自閉症スペクトラム障害)」、「LD(学習障害)」の3つのグループを含んだものという想定で用いられることが多い。ただこれは、海外ではあまり見られない日本特有の整理・用法であり、更には行政上の定義・分類と、医師が診断する際の定義・分類も完全には重ならず、なかなか扱いが難しいことも留意しておきたい。
ともあれひとまずは、先天的な凸凹と環境の相互作用によって生きづらさや障害を感じる人たちがいて、その人たちの特徴や困難さを捉え、名付け、医療や行政で支援するために、あるいは当事者・保護者たちが仲間とつながるために、「発達障害」というカテゴリーが、現在の日本社会で広く共有され、使用されているということは事実だと言っていいだろう(話すと長くなるので詳しく知りたい人はこちらの記事でも入り口にしていただいて各自どうぞ)
自分が、あるいは家族や身近な人が「発達障害かも?」と思ったときにはどうするか。書籍やインターネット上のコンテンツを参考に理解を深めたり、必要そうな対策をとってみて、それで楽になるということも勿論ある。しかし、困り感が強い場合は、自己診断で留めず、医療機関にかかって検査や診断を受けることが推奨される。医師をはじめとする専門家の目を通すことで、自分自身を適切に理解する助けになったり、他の病気や障害の可能性を見極めることができたりするからだ(必ずしも医師の目が100%ということではない)。
じゃあ医師は何を基準に私たちが発達障害かどうかを診るかというと、さまざまな研究をもとに作成される「診断基準」というものがあって、それを拠り所にして診る。発達障害に関しては、『DSM(精神障害の診断・統計マニュアル)』または『ICD(国際疾病分類)』というものが使われていて、それぞれ版を重ねるごとに診断カテゴリや診断基準も変わっていく。
たとえばADHD(注意欠如・多動性障害)の、『DSM-5(精神障害の診断・統計マニュアル第5版)』における診断基準は概ね以下の通りだ。
①不注意および/または多動性―衝動性の症状によって、生活に支障が出たり、発達が妨げられたりしている
②12歳までに、不注意または、多動性―衝動性の症状が見られた
③家庭や学校、職場などの2つ以上の環境で、不注意または、多動性―衝動性の症状が見られる
④症状が社会的、学業的、もしくは職業的機能を損ねている明らかな証拠がある
⑤統合失調症や他の精神障害の経過で生じたのではなく、それらで説明することもできない
https://h-navi.jp/column/article/126 より。
さらに詳しい記述はDSM-5そのものをあたってほしい
ここでポイントなのは、代表的な症状に当てはまることと、社会生活に支障をきたすほどの不適応・困難さがあること、その両方が必要だということ。
つまり、ADHDなりASDなり、その特徴として挙げられる典型的な症状やエピソードが見られるだけでは診断基準に満たず、それが「障害」といえるほどの困難さがあってはじめて、診断がくだされることになるのだ。
そもそもの特性の凸凹は誰しもあるのだが、その中でも凸凹の度合いが大きい人たちというのが、先天的に一定割合生まれてくる。僕もその一人だろう。ただ、それが即、障害ー困難や生きづらさに繋がるかというと、そうとは限らない。環境の影響もかなり大きいのだ。
同じような凸凹の強さ・傾向であっても、環境によってはそれが目立たなかったり、逆に強みになることもあったりして、障害を感じないケースは多くある。逆に、凸凹の度合いはそれほどではないとしても、環境とのミスマッチが大きければ不適応を起こすことも十分にある。また、先天的な凸凹が強かったとしても、後天的なスキル獲得や道具の活用によって、生きづらさを軽減することはできる。それゆえ、同じような特性がある人でも、それが発見され、診断や支援を受けられたかどうかや、どんな環境で過ごしたかによって、個々人の予後は大きく異なってくるのだ。
また、バイオマーカー(生理学的指標)がないため、上記の同じ診断基準を参照していても、医師ごとに判断の仕方はどうしても異なってくる。属人性を排除しにくいのも発達障害診断の特徴だ。
これらが、自分が「発達障害なの?」と問われたときに、迷いなくYESと答えることを難しくしている要因だろう。特性の凸凹や、それによる困り感は間違いなくあるんだけど、どうにかこうにか、自分が生きやすい環境や働き方を見出して、社会適応出来ていると言えば出来ている。「障害」の診断基準にハマるかというと、微妙なラインだ。自分の調子が悪いときに受診するか、比較的広めに判断する医師にかかったら、診断書が出ることもある、というぐらいの立ち位置だと思う。
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実際に、「発達障害の診断を取ろう」という目的を持って受診したことが、これまで2回ある。
1度目は、今から4年前のことだ。
子ども〜成人まで、発達障害特性のある色んな人たちと関わる仕事をする会社に入って数年。仕事を通して発達障害のことを知り、学び、理解を深めていくたびに、どんどん「これ、俺やん」という感覚が強まっていく。27,8年生きてきて、色んな失敗、つまづき、しくじりを重ねながらも、どうにかこうにか働いて暮らしているけど、どうにも世界とうまくフィットしていない感覚がある。なんだかずーっと、生きることが「ぎこちない」。自分のこの主観的な経験は、誰しも経験する程度問題なのか、それとも、発達障害というもので説明ができるものなのか。診断が出るかどうかはわからないけれど、少なくともその確認がしたい。自分のことを理解したい。そんな欲求が日増しに強くなった。
仲良くなった同僚の一人が診断を受けたという病院を紹介してもらって、そこに行くことにした。
職場から片道2時間弱。電車に揺られて鎌倉へ。ひょうひょうとしたおじいちゃん先生が院長の、小さなクリニックだった。
院長との診察が1回。訥々と、自分が感じていること、これまでのこと、現在のことを話す。後日、心理士によるWAIS(ウェクスラー式知能検査)を実施。2時間程度、色んな課題をやって帰る。また別の日に、WAISの検査結果と心理士の所見を受け取る。一番高い項目と一番低い項目の差が30ほど開いていた。所見に書かれた状態像、困難例、支援例は、いずれも、まぁそうだよな、という内容だった。終わってからまた院長先生との診察へ。また訥々と、近況を話す。
「どうかな、自分のことが少しわかってきたかな」
「そうですね、まぁだいたい」
そのまま診察は終わった。WAISの検査結果とは別に、この人はADHDですよとかASDですよとか、「診断書」が出るのかとおもったら、特に何も出されなかった。質問して、お願いすればなにか違った展開になったのかもしれないけど、凸凹はわかったし、なにか福祉制度を利用したいわけでもないし、まぁこんなものなのか、と思って通院を終了した。
通院を終えてから1,2ヶ月ぐらいの間、同僚や友人、監修の先生などに、雑談がてら、受診したことを話したりWAISの検査結果を見せたりした時期がある。日頃の僕の様子を知っている人たちなので、「まぁ、そうだろうねぇ笑」とか「言語性たっか!笑」とか「知覚統合が低めなのね。言語理解とこれだけ差があったらしんどいよね」とか、まぁそんな感じでライトに楽しみながらフィードバックをくれた。
「たとえるなら右腕の筋力だけめっちゃ発達してて、そのちからで色々乗り切ってきたんだけど、反動でずっと背中が痛い、みたいな感じだろうなと思って見てたよ」
友人の一人のこの表現がとてもしっくりきて、「ああ、そうそう、そんな感じ!」と、自分のしんどさを説明してもらえて気持ちが楽になったのを覚えている。
そこからしばらくは、「診断がほしい」という気持ちはなくなった。相変わらず色んな場面で困り感は発生するんだけど、色々経験を積んで自分で対処できるようになったり、チームで働くことで補完し合える環境になったり、結婚して日常生活の安心が得られたりと、人生全体が少しずつ進捗するにつれて「自分が発達障害かどうか」ということが重大トピックではなくなっていった、というのが適切だろうか。
傾向があるかないかと言われれば、明らかにあるし、親しい友人間でお互いの凸凹エピソードをネタに笑い合うことはあるけれど、わざわざその一面を強調するほどでもない。まぁまぁ社会適応できるようになった「発達凸凹さん」という認識でそこから数年を過ごした。
「やっぱり、発達障害の診断も取ろうかな」
そう思って再び専門医にかかったのは、今から1年半ほど前。
その少し前に、仕事での無理がたたり、心身の調子を崩して「適応障害」の診断を受けたのがきっかけで、再び「そのこと」を考えるようになった。
うつ病、適応障害、パニック障害etc.などの精神疾患になった成人が、受診・休養をきっかけに、基底にある先天的な発達障害特性に気づき、診断を受けたというパターンはけっこう多い。精神疾患がいわゆる「二次障害」として、自分にシグナルを与えてくれた、というプロセスだ。
身の回りの知人・友人にも、仕事を通して出会い、インタビューをした人にも、そのルートを辿った人は少なくなかった。自分が体調を崩した当時は「あ、これ自分も同じパターンだわ」と、苦笑いしたものである。
企業で働いて、管理職にもなって、色々工夫しながらどうにかこうにか適応できていたはずだったのだけど、やっぱりしんどさはなくならない。「診断」がどうしてもほしいってことじゃないけど、スッキリした方がなんとなく楽な気がする。診断が出たからといって、その結果に振り回されることもないだろうし、自分の中で疑問や不安があるわけではないけれど、答え合わせぐらいのつもりで発達障害の診断ももらっとくか。そんなふうに考えた。
適応障害がきっかけで受診し、今も毎月通っているクリニックの主治医に相談をした。
「先生のお知り合いで、発達障害の専門医がいる精神科、紹介してもらえませんか」
「うん、いいけど、悠平くんぐらい自己理解してて対処も出来ているレベルだったら、診てもらってもあまり変わらないと思うよ?」
「まぁ、そうですよねー、たぶんそうなんですけど、なんというか、色々あったし、もう一度受けてみたいなぁって」
「わかった。じゃあ連絡しとくから、〇〇クリニックの△△先生で予約して行ってみて」
予約をして、都内某所のクリニックへ。
適応障害になってからの通院歴、これまでの経緯、自覚症状や困りごとをバーっとWordに書き出して印刷し、数年前に受けたWAISの結果と一緒に持参。「うおー俺は今回こそ診断取るぞー!適応障害とADHDとASDのトリプルホルダーじゃーい!」みたいなテンションでツマにチャットを送り、電車に乗りこむ。いま振り返れば妙にやる気満々すぎる患者である。めんどくせえなこいつ。
以前、同僚に教えてもらって行った鎌倉のクリニックよりずっと大規模な場所だった。ロビーで少し待ち、名前を呼ばれて部屋に入る。
「今日はどうされました?」
ガタイも良く、眼光鋭い先生だった。先ほどの強気はどこへやら、ちょっと緊張しながら資料一式をお渡しし、自分が書いた文章に指差しながら、しどろもどろに説明した。
「まぁその…こうこうこういう仕事をしていて、以前も傾向あるかなと思ってWAISも受けた結果がこれなんですけど、最近適応障害になって治療中なんですが、やっぱりベースに発達障害もあるんじゃないかと思って、改めて診ていただきたいというか…いやあの、こうやって自分でエピソード書き出すとバイアスかかって診断基準に寄せちゃうってのはわかってるんですけどね、なので先生には割り引いて聞いていただきつつですけど、でもやっぱり…」あーだこーだあーだこーだ。
振り返るとやっぱり、我ながらめんどくさい患者である。書いていて変な汗が出てきた。
その先生は、主治医の申し送り書やWAISの結果も見ながら、僕の話を黙って聞いていたが、しばらくして口を開いた。
「なるほど、はい、はい、おっしゃることはわかりました。じゃあちょっと改めて質問しますね」
先生は診察用紙にやや大きな字で「ADHD」「ASD」と並べて書き、それぞれマルで囲んだ。
「あなたは自分で、ADHDとASDどっちが強いと思ってますか?」
「ADHDですね。どっちもあると思いますけど、強いのはADHDでしょう」
「そうですか…。僕の見立てはね、明らかにこっち(ASD)」
そう言いながら先生は ADHD < ASD と大きく不等号を書き足した。
「表出する困りごとの背景として、大きく衝動性と常同性どっちが効いてるかといったら、あなたの場合は圧倒的に常同性の方」
えー、マジすか。いや、混合型だろうなぁと思ってはいたけど、そっち(ASD)の方が強いとは思ってなかった…(という話を、帰ってきてツマや同僚、友人に話したら「え、そりゃ絶対そうでしょw」「ADHDもあると思うけどさ、ASD性もめっちゃあるw」「むしろASDの方が強いって自覚なかったのかw」と爆笑された。あ、はい)。
「それから、これもやってごらん」
続けて先生は、A3裏表1枚のチェックリストを差し出した。10セクターに分かれた質問が全部で80問ほどある。該当するものに○をつけていき、集計する。それは、パーソナリティ障害のスクリーニングを行うための簡易質問シートだった。
「どう?」
「はい、集計できました。うわぁ…」
ほとんどのセクターでは0個か1個しか○がつかなかったのだが、演技性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害に該当するセクターの質問だけたくさん○がついた。
「なにか生きていく上での不適応や生きづらさを感じるとき、そこにはストレス、身体特性、精神疾患、発達障害、と色んな要因があるんだけど、一番見落とされがちなのがパーソナリティ。最近はみなさん発達障害かも?って思って来られることが多いんですけどね。理想も高くて、色々周囲に気を遣って、でもギャップが感じてしんどいんでしょう」
演技性…自己愛性…うん、まぁ確かに言われてみれば、そう、そういう傾向は、ある…。パーソナリティ障害、かぁ…それは盲点だった。
自分でつけた○の数と集計結果を眺めながら、頭の中がぐるぐる回転していた。
「ただあなたはね、話していても好印象ですし、ここまで色々工夫して知性で補正されてこられたんでしょう。発達障害にせよパーソナリティ障害にせよ、その傾向はあっても、決して『障害』ってほどの状態ではないと思いますよ」
「はぁ…」
障害ってほどではない。うん、うん、まぁ、そうだろう。発達障害の診断基準は知っているし、今やったばかりのパーソナリティ障害チェックリストも、単なるスクリーニング用の簡易テストだ。「障害」と医学的に診断されるほどの不適応は来たしていないと言われれば、確かにまぁ、その程度なのかもしれない。
もともと「答え合わせ」ぐらいのつもりで来た。診断が出ようと出まいと、自分の傾向と対策は特に変わらない。それはわかっていたはずなんだけど、なんだか足場を踏み外したような感覚がする。ADHDとASDの強弱の見立てが外れていたからなのか、「パーソナリティ障害」カテゴリからの不意打ちを食らったからなのか、理由はよくわからない。
「ここに来るってことは、苦労はされてきたんでしょう。困ってるからここに来たんだと思いますよ。でもね、あなたはすでに自分の知性で十分に補正されてますから、『障害』って思わなくても良いんじゃないですかね」
「そうですかぁ。なるほど…。それでえっと、僕の診断名はどうなるんでしょうか。診断書に書かれる名前というか」
「診断書って、あなた、障害者手帳がほしいとか、休職したいとか、職場でこんな配慮がほしいとか、目的があればそれに応じて書きますけど、何に使います?」
「いや、なにか別に支援を受けたいとかそういうわけじゃないんですけど、発達障害ってグレーゾーンだの確定診断だの巷ではややこしいので、なんというか、自己紹介的に…」
「みなさんね、発達障害の確定診断がほしいって来られるんですけど、あなたもご存知の通りスペクトラムですから、確定診断なんてものはないんですよ。支援が必要なら書きますけど、必要あります?」
「いやー、そうですね、ないっすね…。たしかにスペクトラム、そうですよねぇ。いや、はい、大丈夫です。ええとまぁでも、パーソナリティの傾向とか、新しい発見があって面白かったです。ありがとうございました」
それこそ知性で補正しながら、ポジティブな収穫の確認と、感謝の意を言葉にして部屋を出た。
2回目の「発達障害診断チャレンジ」も、そんな感じで、わかりやすい「名付け」はもらえないまま終了した。
後日、いつものクリニックの通院日に、苦笑いしながら事の顛末を主治医の先生に報告した。
「うん、まぁ事前に言った通りの結果だったね(笑)」
「いやー、自分も仕事柄スペクトラムだっていつも言ってましたしね、そりゃそうだって感じなんですけど。自分のこととなると、名付けがほしいって思うことがあるんですよね。専門医の先生に言ってもらって諦めがついた感じがします。色んな凸凹があるけどどれもグレーゾーン、みたいな曖昧な立ち位置で自分はこれからも生きていくんだろうなって。まさかパーソナリティ傾向もあるとは思ってませんでしたよ(笑)」
「まぁまた自分の新しい一面が見えたのはよかったんじゃない。あと、僕もコンサータ出す資格は持ってるから、不注意・衝動性が自分で気になるなら、試しに少量から出すことできるけど?」
「え、先生も出せるんすか!」
…という感じで現在に至る。
自分の心身の不調や凸凹については、これまで別の記事でも色々と書いてきたが、改めて列挙してみるとこんな感じだ。
適応障害: 診断書が出たのち、療養・回復し、現在は診断域外、レクサプロ(SSRI)服薬継続
ADHD: 傾向あり、診断域外、コンサータ(メチルフェニデート)服薬継続
ASD: 傾向あり、診断域外
パーソナリティ障害: 演技性・自己愛性パーソナリティの傾向あり、診断域外
その他: 隠れ吃音(普段は目立たないが、たまに出る)
薬は飲んでいる。障害者手帳は持っていない。一般枠の雇用で就労していたが、現在は自営業で曖昧に食っている。
「障害」というほどではないにせよ、上記の凸凹もあって心身の波はやや大きく、「疲れやすい」身体と共に生きている。
「医療」のメガネでも「福祉」のメガネでも、どの障害にも当たらない。「診断基準」の少し外側、ふわふわした名前のない場所が僕の立ち位置になるのだろう。
「ここに来るってことは、苦労はされてきたんでしょう。困ってるからここに来たんだと思いますよ」
精神科の先生に言われた言葉をしばしば思い出す。
名付けがあろうとなかろうと、自分の凸凹自体は変わらない。取れる対策も大きくは変わらない。
じゃあどうして、2度も受診をしたのか。
それはやっぱり、「名前がない」ことの生きづらさがあったんだろう。
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医師による診断が出るかどうか。障害者手帳(精神保健福祉手帳)を取得するどうか。障害者雇用枠での就職をするかどうか。
発達障害の「名付け」に付随する、医療・行政・労働市場におけるそれぞれの選択肢。もちろんこれらは必ずしも全て選ばなくても良い。また、診断と手帳に関しては望んだからといって取れるとは限らない。当然、発達障害の「当事者」一人ひとりがどんな「名前」を社会的に付与されているかはさまざまであるし、名付けに対する思い入れも人それぞれ違う。同じ人間でも、年月を重ねる中で距離感が変わっていく。
「大人になってから診断を受けて、ようやくバラバラのパーツがつながりはじめた。そんな感覚」
「やっぱり診断が、『名前』がほしい。スペクトラムだとかグレーゾーンだとか、そんなこと職場の人にはとても理解してもらえない」
「診断を受けてからしばらくは、なんでも特性に紐付けて自分を説明しようとしてたけど、今はもう、飽きちゃった。自分の一部でしかないなって」
「最初は障害者雇用枠で入ったんですけど、手帳の更新忘れちゃって(笑)そのまま一般枠になりましたが、職場はもうわかってくれてるんで」
「実はこないだ、手帳返納したんですよ。そのまま使ってても良いんだろうけど、なんとなく、自分の区切りとして」
身の回りの知人・友人たちの、「発達障害とわたし」にまつわる、色々なエピソードを聞かせてもらってきた。それぞれがそれぞれに苦労してきて、どうにかこうにか生き延びている。彼らと出会い、部分的に経験を共有し、ときに「あるあるネタ」で笑いながら、ときに愚痴を言いながら、同じ時代を生きていることを有り難く思う。と同時に、あいかわらず「名付け」が定まらない自分のふわふわした立ち位置をめんどくさく思う。
別にめちゃくちゃこだわってるわけでも、困ってるわけでもないんだけど、さ。
医師の診断も出て「当事者として」の語りを出来る友人がうらやましいという気持ちと
「自分はまぁ、診断なくて困ってるほどでもないからなぁ」と、周囲の理解が得られなくて悩んでいるグレーゾーン当事者への妙な遠慮と
(あまり好きな言葉ではないが)「支援者」側に片足突っ込んでいるゆえの、職業倫理的な自己抑制と
医師や行政の名付けがない中で「適当」に自己診断で名乗ることに抵抗する、自分のASD的特性と(これは皮肉)
そういういろんな立場や思考がないまぜになって、ずっと「足場がない」感じでふわふわと生きている。
…ここまで書いてきたが、特にスッキリする結論は出そうにない。ただ、この文章を書き始めるまでの4,5年で、またこの文章を逡巡しながらちょびちょびと書き進める中で、少しずつ、少しずつ、「まぁそんなもんだよな、仕方ないよな」という諦念が分厚くなってきていて、それはきっと悪いことではないのだろう。
そもそもがスペクトラムで、環境によって凸凹は強みとも弱みともなるのだから、結局、当事者も医師も、誰も「名乗る」ことへの許可・お墨付きを与えることなんてできないのが、「発達障害」というものだ。診断名や、典型例では説明できない多面的な自分の姿がたくさんあることに目を向けてからがむしろ本番で、「名付け」はスタート地点でしかない。
名前を見つけて、説明できる要素が増えていくこと。
説明しきれない部分が残るのを許容できるようになること。
原因がどうであれ、対策を取って楽になる場面が増えていくこと。
凸凹をならして平らにしようとするのではなく、凸凹のままでも生きていく方法や環境を見つけていくこと。
そういうことをこの4,5年の間に、いや、「発達障害」という概念に出合う前も含めたこの32年間の人生で、色々と身につけて頑張ってきたのが今の自分だ。どうにかこうにか生き延びてきた。そのことだけは、自分で肯定してやりたいと思う。
アラサーになって、これから段々と老いていく。それもまた、悪いことではない。
体力も落ちるから、無理せず過ごせる、自分に合った居場所だけが自ずと残っていくだろう。
「年取ったら定型発達も発達障害も一緒くたに、みんなポンコツになっていくから、発達凸凹なんか目立たなくなるよ!」と笑いながら励ましてくれた先輩もいた。
ここ数年は特にしんどかったが、振り返ってみればそもそも、「健康」であるという感覚を持てていた記憶がほとんどない。
しかし、歳を重ねるごとに、しんどいながらもしぶとく生き延びていくゾンビ的なレジリエンスは高まっているように思う。
きっとこれからも、名前のつかないマイルドな生きづらさはずっと抱えて生きていくのだろうけれど、これだけ予行演習を重ねたならば、さして恐れることでもないのかもしれない。