水曜日の夜、中目黒
ミーティングを終え、もう一仕事かと思ったところで空腹を自覚する。駅前のスープストックでも行くかとエレベーターに乗る。
肩が凝っている。骨盤もなんか歪んでいる気がする。まぁいいや。
駅前の横断歩道に着くと向こう岸から大きな叫び声が聞こえる。
これを聞くのは初めてではない。顔を上げると、案の定、以前も見かけたことのある募金の呼びかけだった。
揃いのピンクTシャツを着た5,6人。それぞれが首紐で募金箱をぶら下げている。
新聞記事を拡大印刷したパネルを掲げて誰よりも大きい声を響き渡らせている人
横断歩道を渡ってきた人に一人ひとり声をかけてビラを渡したり募金のお願いをしたりする人
銘々にがんばってる
がんばってるんだけど
この水曜日の夜の中目黒、しかも蔦屋書店の前という場には彼らはあまりにもアンマッチで、立ち止まる人よりも通り過ぎる人が圧倒的多数という劣勢のなか、くたびれた僕はその一群に溶け込むかのように身をかがめ、蔦谷とスタバの間の高架下で撮影に興じるカップルの横も通り過ぎてスープストックトーキョーに逃げ込むのであった
いったいぜんたい、何かを動かそうとするあらゆる発信行為は、他人のアテンションの奪い合いである。
街頭の募金活動、週刊誌の吊り広告、著名人の感動のスピーチ、健康とお金に関するハウツーと自己啓発、イヌネコ画像…
オンラインもオフラインも、喧しい(そして僕もその加担者の一人だ)。
人々の限られた時間とお財布の一部を頂戴するために、私たちは各々のミッションのもと、日夜プロダクトとマーケティングに磨きをかけるのである。
(“知識と教養と名刺を武器にあなたが支える明日の日本”と歌ったのはミスチルだ)
スープストックトーキョーでカレーをもそもそと食べながら、街頭でがんばる彼らのことを思い出した(といっても徒歩50歩圏内だ)。
街頭の募金活動はしばしばインターネットのインテリトークで揶揄と冷笑の対象となる。
曰く、募金する時間があったらその全員で同じ時間バイトをした方が効率が良いとか、
もうちょっと人を巻き込む戦略とか考えてから動こうよとか、その非効率さ加減を指摘する。
ロジカルな指摘としては正しかろう。語る人らはさぞ賢かろう。
だけれども、賢い人たちが語る”効率的”なソリューションをなぜ彼らが取れないのかを考えてみると、いったい誰がそれを笑うことができるのだろう、と思う。
生まれながらの重度の心疾患。生きるためには心臓移植しかない。それをできるのは米国の限られた病院だけ。渡航と移植手術には3億1千万円ものお金が必要だという事実。
それが高度に発展した現代社会の、少なくとも今日における医療と経済の敗北だろう。
(そして同じような状況にある難病当事者は、この活動で支援を受ける彼女の他にもたくさんいるだろう)
両親と有志の支援者が立ち上がったときに、街頭とネットでとにかく募金を募る、「声をあげる」という行動を取らざるを得ない状況。
それがデジタルとソーシャルで高度に発展し民主化した”はず”の、メディアとマーケティングの敗北だろう。
いやいや、それは敗北ではない、これから変えていくのだ
「そんな社会を変えるためにソーシャルビジネスを…」
「だからこそ、専門性のあるマーケティング人材が、こういう人たちをプロボノとして支援して…」
なんて言いたくもなるかもしれない。
ソーシャルセクターの一隅にいる僕はその矛盾と限界を知っている。
プレイヤーも少ないし、市場も広がっていないし、とにかくまだまだリソースが足りないのだ。
どのような長期のビジョンを掲げていようと、基本的には”今できること”,”よりインパクトがあること”からしか取り組めない。
あらゆるソーシャルビジネスやプロボノ活動は、チェリーピッキングと言われても言い返せない
「社会を変える」運動のスキマにはたくさんの、”非効率”な叫びが、どうあれ存在している。
ピンクのTシャツと大きな新聞パネルを、見ないようにして通り過ぎる私たちの、誰が何を言えよう。
そんな毒にも薬にもならない、誰一人として救わない文字列が頭の中に流しながら、もそもそとカレーライスの最後の一口をかきこみ、僕はスープストックトーキョーを後にした。
さっき通り過ぎてから20分も経っていない横断歩道に戻ってきた。
彼らは変わらず、大きな声を張り上げて募金を呼びかけている。
財布の中の千円札を箱に入れた。
小柄なおばちゃんのかけてる箱。
「今どれぐらい集まってるんですか?」
「前に同じ心臓の病気で、でも亡くなってしまったお子さんがいて…そのご家族が使ってくくださいって今まで集められたお金を寄付してくださって、それを足していまようやく1億円ぐらいです」
「そうですか……がんばってください」
「お話聞いてくださってありがとうございます!」
お礼を言われてしまったがそれをうまく受け取るポケットが今の僕にはない。
とぼとぼと横断歩道を渡ってオフィスに戻った。
仕事を再開する気力が出ず、荷物をしまってまた駅に戻った。