ツマの実家(八王子)にて年越し。新年の挨拶をし、一緒におせちとお雑煮を食べ、10時〜11時の間に書き物をさせてもらって、近所の神社に行ってささやかな初詣をし、元旦からやっている近所のスタバに行き、書き物や読み物をし、帰ってまた一緒に晩ごはんを食べ、そして寝た。
静かな一日だった。
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ツマの実家(八王子)にて年越し。新年の挨拶をし、一緒におせちとお雑煮を食べ、10時〜11時の間に書き物をさせてもらって、近所の神社に行ってささやかな初詣をし、元旦からやっている近所のスタバに行き、書き物や読み物をし、帰ってまた一緒に晩ごはんを食べ、そして寝た。
静かな一日だった。
🎁NEWS🎁
— ヒグチアイ (@HiguchiAi) December 30, 2020
配信無/有観客にて開催した独演会[一対一]より🕊未発表として披露された最新曲を年末年始の期間限定公開🌎mmm=ハミングの意🌱
[期間限定] ヒグチアイ / mmm (Live at 2020.11.14 渋谷伝承ホール)https://t.co/0ZgsJcSIDb pic.twitter.com/mknNEEX9Vr
もう12月である。元気がない。寒さのせいもあるだろうが。冬眠したいな。
ここしばらくは、日に3-4時間ぐらいしかまともに稼働できない。ムスメを保育園に送って家に帰ってから、ちょっとだけ作業やミーティングをして、エンジンがかからず、横になってお昼過ぎまで寝る、みたいな日がちょくちょくある。毎日お薬もちゃんと飲んで、お酒は一滴も飲んでないのだけど、お腹の調子は悪いし、夜も2回ぐらい途中で目が覚める。
しかしまぁ、あまり動けないなりには、ひとつずつ仕事は進めていってて、年内は新しい予定や仕事を極力入れないようにしているので、溜まったタスクリストはちょっとずつ少なくなっているので、良しとする。えらい。
夜は、「生命論マーケティングⅡ」の第5回(今年の最終回)に参加。
生滅を繰り返す、差異のプロセスが生命だ。そう考えると、自分のこの躁鬱サイクルも、ひとつのリズムだなと捉えられてちょっと楽になる。たまに鬱になるぐらいがちょうど良いんじゃないか、と。
ムスメのクーピーを借りて日記絵
12月に入ったので、「アパートメント」の当番ノートも入れ替わり。
いつもより早起きして朝の支度をちゃちゃっとやったので気分が良い。保育園は8時スタートのフルタイムでの利用契約しているんだけど、なんだかんだと出るのが遅くなってだいたい8:20〜8:30ぐらいに到着して預けることが常態化してしまっていたのだが、この日は8時過ぎに着くことができた。到着する時間によって、タイミングが会う保護者さんたちの顔ぶれが変わる。8時過ぎだとほとんどがパパさんで、パリッとした服装の方が多い。
昨晩出した記事の感想がちらほら。あともう一本書いて、早く書籍の構成・仕上げ行程に進みたい。がんばるぞ。
動物的な意味での「健康」な人間なんてきっといないし、肉体に欠陥をどれだけ抱えていても「楽しく」生きていける力を持っているのが人間というイキモノなのだと思う。健康でなくなってからニンゲンとしての勝負なのかもしれない。 https://t.co/M3jqz0Bsu9
— くらげ@クマレルはじめました (@kurage313book) October 11, 2020
大丈夫かなと思ってイリボー飲むのストップしてみたんだけどやっぱりお腹の調子が悪くなったので、また処方してもらおう。過敏性腸症候群(IBS)というのがあって、それかもねーという話を先生と以前していた。お腹の調子は悪くならないに越したことはないので、お薬飲み続けてちょっとでも安定するならそうしようかなぁと思う。
「日本人は胃腸が弱い」という曲がありましてね。ネプリーグの企画だったかな。
会う人会う人に「トランスレーションズ展」のチラシを渡しています。いい匂いがする紙です。展示用の作品映像があと少しで仕上がります。
やっぱりインプットがないと出がらしになってしまうので。週に1本はなんらかレビューを書く時間と習慣をつくりたいな。
今日はツマが遅くなる&僕はラジオ配信なので、早めのお迎え・ご飯・お風呂で乗り切る作戦。
ムスメが大好きなチョコエッグを買いに東急に行くも、残念ながら売り切れ。声をかけようとしたら「だいじょうぶだよ、チョコエッグなくてもなかないからだい・じょう・ぶ!」ってすごいコーピング発動してた笑。ええんやで、泣いても…(かわりにドラえもんのサクサクチョコ買って結局満足してた)
ラジオ配信までにお風呂まで無事澄ませて、「おとうさんがおはなしおしごとしているあいだ、ちょっとだけYouTube見て待っててね」とムスメにお願いし、配信へ。ムスメ、静かにご機嫌で待っててくれた。ありがとうありがとう。終わった後お礼を行って、二人で一緒にお布団で寝ました。
ラジオはこちら。中村カズノリさんをゲストに、怒りをはじめとする、ネガティブ感情との付き合い方について。いやはや、いい時間でした。「怒り」を良くないもの・抱いちゃいけないものとして押さえつけるのではなくて、それを感じている自分を認めてあげること。怒りの背後にある第一感情にも目を向けること。
とどプロでこちらの記事も監修していただいています。セルフケアの方法や相談機関がまとまっているので、ぜひどうぞ。
今日の「アパートメント」は、暁子さんの月イチ連載「スケッチブック」が公開。月に一度、これを読めるのが嬉しい。
中目黒で、友人とランチやお茶の約束があったので、お昼前に家を出て電車に乗り、伊藤亜紗さんの新刊『手の倫理』を読んでいたら、ここ半年ほどの色々が湧き上がってきて、ここ最近積み重なっていた疲労やモヤモヤも相まって、いやぁ参った参った。
そうか、僕も「さみしかった」のだなぁ、と今さらながら自覚する。
出会い頭、あるいは別れ際に、「握手」を交わすということが、ほんとになくなったし、楽しくなった勢いでハグとかハイタッチすることもなくなったし、家族以外の身体に「ふれる」機会が、本当になくなってしまった。
ここ半年、感染対応に関する情報発信が仕事になって、「まぁもどかしいけどなんとか工夫してやっていこう」と、周りに呼びかけケアをして…という「役割」に自分を置いてたのだな。一つひとつの出来事・やり取り・行動、他者との関わりには何の不満もないのだけど、なぜだか最近消耗している感じがしていて、これはまずいなぁと思っていたのだけど、ああなるほど、自分の「さみしい」を自覚・表出する機会を後回しにした反動が出てるのだな。三密が恋しい。
すごい距離感近いみたいなのもそれはそれで苦手なので(体育会系のガッと肩組むみたいなやつ)、ディスタンス取って「ひきこもれる」環境との親和性は高い方だと思っていたのだが、相手に敬意や恐れを持ちながら、ふれる、ケアする、という機会は必要なのだな。「ふれる」と「さわる」の分けて語る『手の倫理』を読み始めて、ストンと腑に落ちた。
3人でランチを食べながら、仕事とお金と組織、それから文体の話をした。戦争と工業のメタファーでビジネスを描き、語るのがかつては有効だったんだろうけど、ちょっとさすがに今はそんなパラダイムじゃないよね、でも未だにその影響力は強いよね、言葉には気をつけたいよね、みたいな。死神じゃないんだからユーザーの「刈り取り」とか言わないでくれよな。
解散して、ちょっと散歩して、別の友人と合流した。コーヒーカップを持ちながら目黒川沿いを散歩。中目黒〜池尻大橋まで、1時間ぐらい歩きながら話したかな。オフラインで会って同期することの圧倒的な密度と速度。
ここ半年で知り合って一緒に仕事をした相手が、どれぐらいの身長で、どんな歩き方をしているか、全然知らないままだ、という話がとても印象に残っている。
会う、歩く、話す。一緒に時間を過ごす。それだけでずいぶんと視界が晴れやかになる。
「やっぱり、根を張る場所が必要なのかもね」
そうか。そうかもしれない。
*
色々とオフラインで話をした勢いで、久しぶりに筆が進んで、書けた。
出版に向けたnoteマガジンも、閒のeditionにどこかのタイミングで引っ越したい。やはりもうなかなかnoteで書こうという気持ちになれない。ありがたいことに、出版用のマガジンを読者登録してくれている人がけっこういるので、その方々にアナウンスは適切にしたいとは思うけど。
*
アパートメント、日曜当番、のんさんの記事もかんばらさんのレビューもとてもとても良かった。今日も明日も、アパートメントがここにある、ということ。大事に大事にこの場所を営んでいきたい。
元々それなりに多かったが、COVID-19の影響でますますリモートワークが加速し、言葉を交わすミーティングもZoom越しの2次元空間がほとんどになり、回線が悪いとかミュートになってるとか画面が見えないとかなんだかんだをケアしながら、なるべく聞き取りやすいようにハキハキ区切ってお話する、みたいな日々にだんだん疲れてくる。
そんな中、3次元の外界と自分を繋げてくれる日々のルーチンとして最低限残っている、朝・夕の保育園送り迎え時間はなかなかに貴重だなと思うようになった。
2歳9ヶ月のムスメは、家から保育園まで自分で歩く体力はとっくに身についているものの、甘えん坊モードでしきりに抱っこをせがんでくるので、片道10分の通園路のほとんどを抱っこしたまま歩いている。ほんの少し前までは、それだけで汗だくになっていたのに、今となってはムスメの体温と肌触りがちょうど心地よい。夏はいつの間にか終わった。
台風が近づいているらしく、東京も雨、雨、雨。今日は寒いから鍋にしよう、と思って東急ストアに行ったら、入ってすぐの陳列も鍋推しの布陣になっていた。最初に目に入ったごま豆乳鍋を手に取り、続いて白菜、ネギ、水菜をかごに突っ込んだ。お肉は豚肉、〆はうどんです。
相変わらず疲れが溜まっているが、鍋で身体をあたためて、お風呂に入ってパジャマに着替えて、電気を消してちゃんと寝たからか、翌朝、すこーし体力が回復した感覚を得た。
色々と予定どおりには進まないのだけど、焦っても仕方ないと自分に言い聞かせる日々。
うそーん、最後にここで日記書いたの8月31日だわ。
いやはや、日々の余白がなくなっている証左であるよ。
まぁまぁ疲れているし、色々終わっていないし、原稿を進まないし、というか原稿執筆にたどり着く前に他の仕事で時間が埋まってしまい、夜はバタンキューみたいな感じである。
着手したらすぐなんだけど、なんとなく億劫になって先送りしてしまうような作業もちょくちょく発生する。なるべく減らす工夫はしているものの、ゼロにはならない。余裕があれば「えいや」で片付けられるのだけど、疲れが溜まると「やりたくない度」がさらに上がり、その結果またどんどん遅延・蓄積していくというつらみ。
こういうときに、「今夜頑張って追いつかせよう」とか「週末まとめて片付けよう」とか考えて馬力で解決しようとしてもだいたいうまくいかない。若い頃や病気になる前はある程度どうにかなる部分があったけど、今はもう無理、全然無理のすけ。ご飯食べてから「よーし、やるぞー」と往生際悪いことやろうとしても、電気をつけたまま・パジャマに着替えず寝落ちして睡眠の質が下がるとか、お風呂入りそこねて翌朝の準備がバタバタするとか、だいたい悪いことにしかならない。
諦めて寝る。一日にできることには限りがある。一個一個焦らずやっていくしかないのだ。
適切な取捨選択をするためにも、一日の終わりに日記を書いて振り返るとか、作業に逃げずに本を読むとか、改めてリズムを作り直さないとなぁ。
月曜日に日付が変わると同時に公開される『キン肉マン』の最新話を読んで、ウオーッってなって、Twitterで検索してみんなの感想みてまたウオーッてなるまでがUXです。
レオパルドーン!!!
朝ごはんを食べながら、キン肉マンのことがまったくわからないツマに今週のレオパルドンのことを5分ぐらい熱く語るなど。生暖かい目で微笑みながら聞いてくれた。やさしい。
ムスメが「おもしろくない!おもしろくない!」と割り込んでくるのを「おとうさんにはおもしろいんだよ、いま聞く番。」と冷静に場を仲裁するツマ。やさしい。
俺もレオパルドンみたいにがんばろう。まずは原稿を書こう。
キン肉マン、旧シリーズの連載(王位争奪戦)終わったの1987年なんだな…俺生まれた年だわ、そら同世代の友人でキン肉マン語らえる人に出会えんわ。俺も実家で文庫版読んだ口だもん。
*
銀行と年金事務所に行って、保険料の引き落とし登録を済ませる。
業務委託で閒に関わってくれているメンバーの7月分の振込を済ませる。
来月からはアレか、会社から自分宛に給与を振り込むのか。保険料を天引きして。不思議な感覚。
*
年金事務所から帰ってから、近所のタリーズでメールやらなんやら色々とダーッと済ませる。
お昼はおうちでそうめん。
楽天モバイルが広告費すごい投下してるんだろうけど、YouTube開くたびに米倉涼子がすげー怒ってる。
*
桑原かなえさんのセッションを久しぶりに受ける。
ここ数日の懸案事項、トンネルは抜けかけていたのだけど、その上で色々と具体的な対処方法などを教えてもらった。
相談役になることが多いのだが、自分が「渦中」の当事者になると、なかなか普段他人に言っているアドバイスのようなことを、落ち着いて自分でやることって難しい。ついつい溜め込んでします。
自分の中に複数の自分の声・考えがあって葛藤しているときは、ひとつずつ分解して、それを紙に書き出したり、一人でいるときに声に出したりして、とにかく一人ずつ「言い切らせる」といい、と教わって、さっそくやってみたらだいぶスッキリした。
*
サンマルクでゆず茶を飲んでひといきつく。
暑いからといってアイスコーヒーばかり飲んでいたな。
WITH ALSの武藤さんと久しぶりにあって、ゆっくりといろんなことを話した。COVID-19による状況の変化、事業のこと、武藤さんのこと、現在とこれから。僕も一緒にその道を歩みたいと思って、考えていることを伝えて、これからのプロジェクトの話をした。
武藤さんと初めて会って話したのは、もう3年前になる。
当時は肉声で、いまは視線入力と合成音声で。コミュニケーションの「方法」は変わったけれど、根底にある武藤さんの思い、ビジョンは変わらない。その理想を、一緒に形にしたい。
「アレクサ、今日も暑いね」って話しかけたら「ええ、本当に。怖い話をして涼しい気持ちになりますか?アレクサ、怖い話をして、と言ってみてください」という提案をもらった。言ってみたらほんとに怖い話をしてくれた。
とにかく毎日暑い。みんな熱中症には気をつけてね。この記事参考にしてくれよな。
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ツマの仕事がもうなんか「乱世」とのことなので、ひとまず9月末までは送り迎え両方担当する布陣に。曖昧な自営の強みであ
僕は僕で、とにかく本の原稿を進めなければやばいので、Googleカレンダーの予定を強制ブロック&ミーティングや事務連絡等の時間の週上限を決めるなどした。
かなりはかどった。あとちょっとで安藤さんに原稿を渡せる。
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お昼はとろろそば。「熱いのでお気をつけください」って渡されたそば湯を秒で手にかけて「あっつ!」ってなった。
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夕方、お迎えに行く頃にはさすがにちょっと涼しくなったけど、それでも暑い。
保育園から帰って、クーラーをつけて、ムスメとおやつパーティー。
ムスメがジュースをこぼしたのでティッシュで拭こうとすると、「これはじぶんのだから!」と父の手を遮り一生懸命ふきふき。先回りしちゃいかんなと思いつつ、拭き漏れもあるので笑「ありがとう、じゃあお父さんも手伝うよ」と一緒に拭いた。
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半年前ぐらいの俺、けっこういいこと書いてた。
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夜は「とどけるラジオ」
D×Pの今井さんをゲストに、10代の若者を取り巻く状況について。
親を頼れず、バイトでなんとか生活していた子が、飲食店等の休業によって収入を失い、日々を過ごすお金がない、という状況に陥ってしまったなど、ここ半年での状況の変化と、緊急支援活動についてお話をお聞きした。
D×Pが運営する無料LINE相談「ユキサキチャット」では、新型コロナウイルス感染拡大後、相談が急増したとのこと。
NPO法人D×Pのウェブサイトはこちら。 個人・法人のサポーターとして寄付で活動を支える、若者たちの就職先や仕事づくりに参加する、などなど…D×Pの活動を応援したい、一緒に何かやりたいという方はぜひサイトを覗いてみてほしい。
お盆で保育園休みなので、仕事やらなんやらにムスメを連れ回している。いろんな大人たちと出会うムスメ。最初はドキドキだけど、帰る頃にはニコニコ。そんな日々。
この日は2人で電車に乗って藤沢へ。結ライフコミュニケーション研究所の高橋さんに会いに行った。こちらの「五十音の呪縛」をテーマにした学会発表を友人に教えてもらい、日頃の問題意識と強く重なる内容だったので思わず連絡を取り、それでお会いすることになったのだ。
高橋さんは、「指伝話」というアプリも開発・提供されている。
コミュニケーションツールは現在では本当に多種多様なものがつくられているが、「機能」に着目しすぎると、それを使うことが目的になってしまい、使う人本来のニーズと乖離する、ということは往々にしてある。高橋さんはご自身のサイトで、ICTは「機械」ではなく「機会」であると語られているが、僕も同感だ。ICTをはじめとするツールに対する捉え方や関心も人によってさまざまだし、持っている心身機能や生活環境によってニーズも変わってくる。ツールをまさに「機会」として活かすことができるかどうかは、それをきっかけや媒介としながらも、本人や周囲の人がどんなコミュニケーションを取るかにかかっていると思う(ツールだけ用意してぶん投げるのか、それを使うことの楽しさや可能性を感じられるような導入体験を創出するのか)。
高橋さんがこれまで出会い関わってきた人たちとのエピソードをお聞きしながら、お寿司をご馳走になったり、ムスメと一緒に遊んでいただいたり、とても愉しい時間を過ごさせていただいた。
今回のご縁をもたらしてくれた友人のあすかさんと途中でFacetime通話をつなぐ。ノルウェーに着いたばかり。一時滞在先の窓から空や街並みを見せてもらい、あぁ、本当にノルウェーに行ったのだなぁと実感が湧く。
マスクや感染症に対する人々の感覚も日本とはだいぶ異なるようで、その辺の雰囲気も聞いた。自分が今いる場所とは違った「世界」がいくつもあるということを、直接的にでも間接的にでも知っておくこと、それを心の片隅に置いておくことは、日々を穏やかに生きていく上でとても大切なことだと思う。
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帰りの電車、ムスメを抱っこしながらWITH ALSの武藤さんにメッセを送った(あすかさんは彼が運営する重度訪問介護事業WITH YOUのヘルパーとして、出国直前まで武藤さんのもとで働いていたりと、色々と偶然の繋がりが多い)。久しぶりにゆっくり話そうということで、今から楽しみだ。現在のこと、未来のこと、色々と。
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岡田育さんに久しぶりに連絡して、先月末に退社したことを報告した。留学中か、帰国して入社前かにお会いした時に、「実際いつ辞めるかはさておき、少なくともそこにいるうちは10年働くつもりで過ごした方が、結果的に得られるものが大きくなるよ」といった言葉を贈っていただいたことがあり、これは本当に僕が勤め人を続ける上で一番の支えとなった言葉なのである。
結果、6年勤めて独立した。こんなに長く続くとは想像していなかったけど、それは育さんにもらったこの言葉の影響がきっと大きい。
以前、媒体からご依頼いただいてキャリアについてこんな記事を書いたが、「○○以内にこうなる!」といった未来からの「逆算」型の計画ではなく、未来への意思や願いを持って「現在」にコミットする、ということなのだと思う。
鎌倉武士の言葉に「一所懸命」というのがありましたっけ。きっとそういう感覚。
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夜に会議を1件。
考えることは山程あるけど、一つ一つ誠実に重ねていくしかないな。
つかれたー。
じんせい。
なんとはなしに様子は知っていながら、でも今は本人にとって大事な時間なんだろうなと思って、そして最近ちょっと風が吹いたような気がしたから、「お茶でもどうだい」と、友人に連絡をした。
二子玉川駅からちょろっと歩いて、川沿いのカフェでお茶兼ランチ。直接会うのは2年ぶりぐらいかな。ムスメもつれて、ゆるゆると。
「苦しむ自由を奪わない」という言葉が印象的だった。
家に帰ったらちょうど『違国日記』の6巻が出ていたことに気づいて、Kindleでポチッとして読んだら、タイムリーにも、「せっかくなら苦しんで生きたいでしょ」という台詞が。それから、「孤独に水をやる」ということも。
*
午後、チケットを買っていた「ALS患者さんに聞こう! ON-LINE」Second StageのYouTube配信を観る。発表者1人1人の日常生活においても、発表方法においても、そのコミュニケーション方法の多様性が印象に残った。
・口文字
・透明文字盤
・スイッチ類
・介助者による代読
・メールやチャット
・打ち込んだ文章の機械音声による再生
・「コエステーション」(AIによる合成音声、前者よりかなり本人の肉声に近い)
などなど…
本人の症状進行と身体機能、介助者(ヘルパーや家族)との関係性、コミュニケーションを必要とする場面ごとの環境(同期か非同期か、道具を使える環境か、介助者の手が空いているかetc.)、パターン化しやすいものかどうか、突発的か準備をできるものか、そしてそれぞれの文化や価値観。さまざまな要素が影響しながら、さまざまな選択肢の中から、いずれかを、または複数を、使い分けたり切り替えたりしながら、なのだろう。
「コエステーション」による発話は、WITH ALSの武藤さんが使っているのを何度か聞いたことがあるが、今回の発表者の中でも1名使用している人がいた。本当に、なかなかの精度というか、本人たちも自分の肉声に近いと評するぐらいの品質で、技術の進歩を改めて感じる。これによって希望を抱ける人も多くいるのだろう。
ただ、どんなツールも万人にとって最良で万能、というわけではない。「肉声」または「自分の声でしゃべる」ということに対しての感じ方、考え方も人それぞれだろう。コエステーションでの音声に対しても、「かなり近い」〜「やっぱ違う」まで、個々人・また同じ人の中でもさまざまな感じ方があるだろう。先天的に言語障害がある人(声は出せるけど言葉や文章はしゃべれない)と、ALSのように中途障害で徐々に声を失っていく人でも違うだろう。使う中で少しずつ馴染んでくる面もあるだろう。
「吃音」の当事者の中でも、色々工夫してほとんどどもらなないようになっていくことを、「本当の自分を出せていない」と捉えるか「それもまた自分」と捉えるか、人によって違うという話を思い出した。
コミュニケーションは、意味情報の伝達だけで成り立っているわけではない。音、声、言葉、受信と発信についての考え方・感じ方、文化や身体的要素も影響してくる。
関係性の中で、(変化の可能性も含みながら)そのつど本人にとって心地よい方法を「選んでいく」こと。一度で終わりではなく、チューニングを重ねていくこと。
*
夕方4時を過ぎてもまだまだ暑い。ムスメとツマと3人で近所の公園へ。砂遊び、ブランコ、からのかくれんぼ。4歳ぐらいのおにいちゃんが、途中からかくれんぼに参戦。ムスメも打ち解けて楽しそうに遊んでいた。一緒に遊んでくれてありがとね。
*
沖縄から立派なパイナップルが3つ届く。沖縄の人と結婚した姉と、夫の人からの贈り物。めっちゃ甘い。めっちゃうまい。
8月6日。よく晴れた暑い日。
蚊に刺されたところにバッテンつけるのは人類のDNAに刻まれた行動なのだろうか。
*
Slackでそばの話になって、その流れで久しぶりに読んだけどやはり名文である。「富士そば」をはじめとする駅そばを俺たちが愛する理由がここにある。
*
推しの新刊・新譜、速攻予約ポチするくせに、届いてからドキドキそわそわしてなかなか開けられない、みたいなことありませんか。推しの新記事・新MV、見つけたらすぐクリックするくせに、ドキドキそわそわしてタブで置いたまま、みたいなことありませんか。ありませんか、そうですか。
ヒグチアイ「東京」のMVが公開。去年行ったライブで歌ってくれて、そのときはCOVID-19で世の中がこうなるなんて想像もしていなかったけれど、当時も今も、また違った意味合いを帯びながら、変わらずいい曲です。いい曲です、と言いながら、まだどきどきしてMVはタブで置いたまま未再生です。週末ゆっくり聴く・観る。
*
鹿さんと渋谷でランチ。先日オープンしたらしいミヤシタパーク?を通り過ぎた。
プレートにサラダ・デリ入れ放題というヘルシーなやつを食べた。ダイエット中だから。でもドリンクはビールにしちゃった。
とどプロと閒のことをよもやま語りつつ、梅雨があけてよかったねーということ、鹿さんは山に登りまくってることなど話す。
*
先日退職したところですが、LITALICO研究所内で行っている「ゼミ」に参加。僕が進めようとしているアクセシビリティに関する研究の進捗共有&ディスカッションをさせてもらった。
イベント主催者に向けて、事前準備〜当日運営にかけて、どのような点に配慮し、関係各位とどのようにコミュニケーションして準備・告知を進めていけばよいか、構造的に整理しつつ、チェックリストなどもあって、よくできているなぁと。日本でもこういうものをつくりたい。
気になる人はPDFを直接見てもらうとして、僕のすげーラフなメモはここに貼っちゃう。
Section 1: Organising accessible events and meetings
■Venue
・トイレ
・入り口の広さや段差
・ベッドルーム(休憩室)
・駐車場から会場までの距離
・その会場&スタッフのアクセシビリティについての認識や姿勢、trainされているか
■Event planning and administration
・予算
・十分な準備期間
・タイムテーブルやスタッフの柔軟性
・スピーカーやファシリテーターとの事前の打ち合わせや準備・対応依頼
・スピーカーやファシリテーター自身のニーズ
■Pre-event information
・多様なフォーマット(紙、ウェブ、メールなど)
・障害のある人たちに参加してほしいのなら、その人たちに告知を見てもらえるようなアプローチを
・equality statementをイベントページ等に明示する
・予約時に相談やニーズを記入できるように
・予約の方法にもaltanativeを用意(フォームだけでなく、メールや電話等でも受け付けられるようにするなど)
・会場の詳細情報を伝える
・予約後に、新たなニーズが発生・認識された際に、それを相談できる機会を設けること
■Supply of additional support requirements
・翻訳、ノートテイカー、介助者などの支援担当者
・介助犬のための環境(トイレやお水の用意)
・配布資料の電子コピーなど代替フォーマットの提供
・必要な機材の手配(スロープ、難聴者向けのloop systemなど)
・各種機材が正しく動くかの事前チェック
・本人が自分が使い慣れた機材を持っているなら、それを持参・使用してもらえるようにする
■Planning support during the event
・サイネージなどの、色やフォントなどをアクセシブルに
・スタッフへの事前インプットやトレーニング
・座席
・メディカルサポート
・休憩スペース
・取りやすいサイズの食事や使いやすい食器・食具
・非常時の避難経路
Section 2: Producing accessible event information
■Printed material
・テキストスタイル・フォント
・カラー・コントラスト
・レイアウト
・文章の長さや構成
・プリント資料にハイパーリンクを貼らない(下線引いてるみたいに見えるから)
・平易、一貫した用語法
■Alternative formats
・資料の電子版を用意できるように十分な準備時間を
・配布・紙以外のフォーマットで提供可能なことを参加者に伝えること
■Using web technologies to support an event
・ウェブアクセシビリティガイドラインを踏まえたステートメントの明記
・事前に当事者にテストしてもらう
・コンタクト方法がわかりやすいように
Discussion topics memo
・イベントの「対象」設定と広報手段
・内容×特性で、本人にとって最も良いフォーマットをいかに選ぶか
・予算と時間
・「わかる」「アクセスできる」とは、そもそも という問い
参考1) https://www.facebook.com/100002087320563/posts/3016979141714967/?d=n
参考2) https://note.com/yoshi_yui/n/n7fb694f882f2
・チェックリスト&当事者レビューは、サービス化できそう
イベントレビュー
wikiみたいに共同編集できるようにできると良さそう
つくったあとの普及インセンティブ設計をどうするかが大事だな
アクセシビリティ対応した方が得だなと思ってもらえるような
・つくるまでの研究 の次に つくったものを使った効果検証の研究 もやれるといい
などなど。あー、ちゃんとレビューして研究進めないとだ。労働している場合じゃない。
*
淳子さんとオンラインMTGで、トランスレーションズ展の出展作品についての打ち合わせ。映像編集・空間づくり、いよいよ、という感じです。
私は文章の人なので、ちがった表現方法を得意とする人と、こうやって「作品」を一緒につくるというプロセスは、とても愉しい。
*
ムスメのお迎えに行って、そのあとツマが帰ってきて、ごはんの前にちょっとだけ「アパートメント」の管理人会議。8月になって新たに3名の住人さんをお迎えしての当番ノート52期。
それから、「マルシェ」も8月10日までと、のこりわずか。どの作品も素敵素敵。お見逃しなく。
7月末で会社員を辞めたので、年金事務所に行って、自分の会社(閒)の厚生年金加入手続きを行った。社員はいなくて、僕(役員)1名。会社が加入して、対象者が僕と、扶養に入るムスメ。書類に不備もなく手続きはすぐ終わった。
窓口の方が、保険料の早見表みたいな紙を見せてくれて、僕が設定した自分の月額給与が該当する行にマーカーを引いて、国民健康保険の保険料と、厚生年金の保険料と、それぞれいくらですね、と説明してくれた(あと、子ども・子育て拠出金がちょっとかかる)。
額面を見て「保険料たっけーなw」と思ってしまった。いや、まぁ金額としてはこんなもんなのは会社員の額面と手取り見て知ってたけど、零細企業の経営者になって、全額払う立場になったのと、いまの会社の収支全体における存在感とで、ね。
会社員でよく言われる「営業は給料の3倍売上立てろ」みたいな話あるじゃん、知識としては手取りの裏側にあれこれこんなコストかかってんねやでーってのは知ってたけど、ある程度規模が大きいとさ、保険料とか、地代家賃とかそういうコストは全体にまぶされるから「肌感」としてピンとこないよね。これぐらいの零細企業立ち上げると、「保険料こんなにするのか」って実感値としてのインパクト大きい。
しかしこれが社会を支える原資なのだ…。善き市民でありたい。がんばるぞ。ほどほどに。
*
7月もバタバタと過ぎていったけど、無事に会社としてはじめての支払いも終え、会社員生活も終え、ということで、「ととのえ会」で振り返りをしました。
改めて、ここをどんな場所にしていきたいのか?
閒(あわい)―つまり、○○と○○の間、簡単に「答え」が出ないけど、でも気になる、きっと大事なんだと個人が、集団が、時代が感じている「問い」を大事にできる。そういう場所であると嬉しいな。
・この閒という言葉に惹かれて集まってきた一人ひとりが、誰に「やれ」と言われるでもなく、自ずから、探求することができる場所。
・大事にしたい問いがあっても、たったひとりで突き進むのは難しい。時間や知識、お金や資料、日常のさまざまなノイズ、不安や焦りetc.ひとりではなく複数で、求めればお互いが無理のない心地よい範囲で、対話・交流したり、協働・共創することができる場所。
そのためにはどういうものがあると良いだろう…?(あくまで例 ブレスト的に)
・「閒」ってどういう場所?が入り口で伝わるような言葉や映像やしおりetc.
・強制的ではなく、あまりうるさく頻繁でもなく、でも、望めばゆるやかに、「どうもはじめまして」ができる、お互いを知ることができる機会
- 月次交流会、読書会、それ以外にも色々。Slackチャンネルでも、質問リレーとか、分報、週報とか?
・思考のアーカイブ。メディアのeditionへのオーサーとしての参加
- いきなり「自由に」では難しいと思うので、いくつかいまの延長でテーマを設けて、参加したい人が参加できる切り口・企画を考えたい。生活者としての日常の問いや困りごとを起点に、文章や研究が生まれていくような、そういう発想が良いよね。公開編集会議的なことをやってみる?
・あとは、人によってSlackやnotionへの馴染み度合いが違うと思うので、デフォルトのチャンネル・通知設定は都度見直したり、設定方法のチュートリアルを用意したり?
とかとか。
ゆるやかに、会社をつくるプロセスそのものを楽しんでいきたいと思う。
儲からないことするために会社つくったみたいなところあるし。
*
こないだの対談で、「グローバル資本主義の中ではいつまでも可塑性のある"青年"であることを求められる」といったことを、東畑さんが話していたのが印象に残っている。いつまでも「若者しぐさ」してキャッチアップし続けないといけないなんて大変な時代だなぁ、と思う。安心して「老いる」環境と経済が必要。
「さよなら、おっさん」とか勇ましいこと言ったりしないで、慎ましく、人畜無害で、ほどよく次世代に再分配しながら枯れていく、善き市民としてのおじいちゃんになっていきたい。
*
エッセイと批評が高次に融合したような、素晴らしいテキストに出会った。
佳い批評は作品の奥行きを広げてくれるなぁ。尊いなぁ。
*
SHIDARA & ARCHIPELAGOs -設樂剛事務所-主宰の「生命論マーケティングⅡ(全5回)」の初回に参加。
増殖の原理である資本主義という「制度」と、成長=量的変化を目指すビジネス論という「思考」。その2つに挟まれて苦しみ続けた先には死と病がある。機械論的世界観、戦争論、社会進化論、古典派・新古典派経済学等を拠り所に発展してきた現代ビジネス論に対して、発生的・形成的な生命論マーケティングへ。
日頃自分が意識的に・無意識的に実践していること、その中で選んでいる言葉やかかわりかた。そこにバックボーンとして概念や理論を沿えていくような感覚を得られる。昨年に続いて、今年の全5回の講座も楽しみだ。
「概念」をつくるということの意味、大切さを改めて。そしてそれを、誰かに任せて待つのではなく、自分ごととして引き受けていかなければと思う。
いまやっている「とどけるプロジェクト」は、まさに生命論的に形成・変化し続けながら、共同創造・共同学習・共進化をしていく営みだと思う。そうしていけるという手応えをつかんでいる。
memo
・人間の持つ「欲望」を肯定する、ということ。
・「存在」(Being)から「形成」(Becoming)へ、「予測可能性」から「創発性」へ、など、生命論マーケティングの諸特徴。
・概念、言葉、名前の持つ力。名前が出現しているものは、すでに人間の欲望の対象であるということ(例: 宇宙政策)。逆に、生命を絶滅から守るためには名を与えないこと。
・西田幾多郎の「思惟」について知る必要がある。『善の研究』を注文する。
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帰り際、先生に会社設立のお祝いをいただく。感謝。
気づいたら7月が終わっていた。うへえまじかよ。
月末は、にゅるっとLITALICOを退社したり、弊社初のお振込をドキドキで行ったり、そんな感じで過ぎていきました。劇的な変化はないけれど、小さな変化をこうやって積み重ねていくことで、生活は、仕事は、続いていくのだ(そうそう、社会保険の手続きにいかないと)。
問い合わせフォームにお便りが来ていた。この閒のサイトを見つけてくれたようで、嬉しいメッセージをいただいた。また、彼がやっている「癒新聞」というところで紹介もしてもらった。新聞という形式が、いいね。
「一人称の荷を降ろし」という言葉に心が軽くなったと語ってくれて、実はこれはサイト制作をしてくれた桂さんが、制作中の仮置きテキストとしていつの間にかさらりと置いてくれていたものなのだけど、気に入ったのでそのまま使わせてもらっている。
単著の原稿、7月は思うように進まなかったのだけど、昨日はけっこう進めることができて、ようやく筆が乗ってきたかなという感じ。8月前半でなんとか遅れを取り戻したい。
儲からないことばかりやっているのだけど、というか、そのための会社をつくったのだけど、それはそれとして、どうにかこうにか、なんだか曖昧に食えている。収益性高く、お互いに気持ちよく関われる形でご一緒させてもらっているプロジェクトがいくつかあって、ありがたい。執筆や研究を生活の中心に添えられるように、一週間のリズムとか、日々の時間の使い方とか、整えていきたい。
ツマ、博士学位論文の公開発表会&最終試験が終わったようです。お疲れの金麦。
テーブルに貼ってあるコイル3匹(実質レアコイル)はムスメが大好きなポケモンパンについているシールです。
「役割」で繋がることと、「人」として繋がること。決して二者択一でもないし、どちらかから入ってもう片方も生まれていくということもあるし、オンラインでも色々やりようがないわけではないのだけれど、やはり、日常生活で「オンラインMTG」や「チャットコミュニケーション」の比率が大きく上がったということの影響は大きくて、ある程度意識して場や機会をつくらないと、前者の繋がり・コミュニケーションに寄りやすいなぁと改めて思う。それは結局、「ノイズ」が少なくなってしまうということなんだろうな。テキストとオンライン通話の顔という、「正面」の情報に印象や思考が引っ張られる、五感の一部しか使えていないというか。オフラインで場を共にするときの、音、匂い、空気、表情、顔以外の手足・身体の動き、目線の揺れetc. そういうたくさんのノイズを共有すること。「目的」や「結論」を必要としない時間を過ごすこと。お互いの揺れや余白を知った上で「役割」の繋がりに戻って仕事をすると、よりなめらかな協働が可能になるのだろう。
夕方、猪口さんと閒の会計あれこれについて相談。帳簿つけて決算やるみたいな、カチっとした「やるべきこと」はもちろんだけど、その背後にある「会計」という営みについて、考え方やその理路、実践を、会社を運営するなかで一つひとつ学んで考えて決めて報告して…というそのサイクル自体に伴走していただきたいというようなお願いをした。先日読んだ『会計の世界史』も非常に面白かったけれど、会社・事業というものをどうやって数字で捉えるか、そしてそれをどのように企業経営に活用するか、ということが本旨なのであり、「法律で決まっているから」と無思考に記帳することが会計ではないわけで、というか、法律でカチッと決められていることばかりではなく、曖昧な領域をどのように「決め」て、そして何かあったときに「説明」できることが大事なのだから、向き合い方によっては「会計」というのはとてもクリエイティブな営みになるのだと思う。Accountabilityっていい言葉だなと。
夜に、閒のコミュニティ・メディアをこれからどうしようねと3人であれやこれやと雑談。中央集権的にするつもりはなくて、だんだんと、僕が知らないところで小さな交友圏とか部活的なグループが生まれていて、そうした営みがメディアでも徐々に記録されていき、ここに集っている人たちが、それぞれに自分にとって大切なこと、目には見えないけれど気になる…という閒を掬っていけるような場にしたいねという話をした。僕が話す月例報告会を2回やったけど、今度からは僕が聞き手になって毎回誰かのお話を聞くとか、こないだやった読書会みたいに、共通の本とか映画とかを見て語らうとか、たまにはオフラインでごはんを食べるとか、そういうことをやっていこうかなと思う。
ムスメと公園に遊びに行こうと思った矢先に雨が降り出したので、タリーズで絵本読むタイムに変更。『ぼくはがまんしている』という絵本がムスメのお気に入りで、何度も繰り返し読む。タリーズがやってる絵本コンテスト的なのがあって、それで選ばれたものが絵本になって、店内に置いてあるのです(買うこともできるみたいだ)。こういうのいいよね。一人で過ごすときはドトール派なのですが。
午後に閒の月例報告会。今回はSpatial Chatというのを使ってみた。画面上に参加者のアイコンが表示されて、それをドラッグすることで空間内を移動することができる。近い人の声は大きくなり、遠くに行けば行くほど小さくなる。画面の真ん中には焚き火のイラストがあるんだけど、キャンプファイヤー中にコソコソっと声をかけあって「二人で抜け出しちゃおうぜ」ということができるわけだ。そんな青春は俺にはなかった。
寝る前に『キン肉マン』連載最新話を読む。毎週越えてくる感じ、本当にすごい。僕にとって「親の世代」の漫画だったキン肉マンは、実家にいた頃に文庫版で旧シリーズ全巻を読んだのが出合いだったのだけど、完結したかと思ったら、長い年月を空けて2011年に「続きもの」として連載を再開。どこかの雑誌のインタビューで、キン肉マンは「今」が一番おもしろいといつだって言われるようにと思って描いている、というようなゆでたまご先生が語っていたのだけど、本当に「今」が最高潮、と思わせ続けてくれる。