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粘土をこねくり回している

October 6, 2017 Yuhei Suzuki

下半期始まって第1週。新しいメンバーが来て新鮮な気持ちと、9月で卒業したメンバーもいてちょっとさみしいねという気持ちと、どうあれ私たちの日常は進んでゆきます。

チームの目標や、コンテンツの作り方、個々人の役割など上半期と大きく変えていこういうところ。メンバーの入れ替わりも相まって、なかなか慌ただしいが、みんなの表情を見ていると、嬉しい。

ミッションを再定義して、それが運用フローまで落ちてくるまでのプロセスでは、そもそも今までの「枠」の延長では議論できないので、一人ひとりが仮説や試案を考えて持ち寄ってはディスカッションする、次の宿題をクリアにして解散してまた集合する、みたいな感じで何度か揉んでいく必要があって、必然コミュニケーションの頻度が上がる。そしてこういう時はそれぞれが率直にどんな問題意識や願いを持っているかが表出しやすかったり、個々人が暗黙知的に積み重ねてきた実はすごいじゃんそれ、的なノウハウの共有・棚卸しがなされたりするから面白い。

粘土をこねくり回している感じ。全くの無ではなく、漠としたイメージは持っているけど、完成設計図があるわけではない、触ってみんとわからんなというね。

あと、「そういうのは私が巻き取るんで悠平さんは悠平さんがやるべきことやってください」とか言ってもらったりして、ひゃーすんませんというのと、うわぁ頼もしいというのと、私も頑張りますはい、みたいな。へへへ。

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この時節の服装の難しさよ

October 5, 2017 Yuhei Suzuki
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学校ではありましたよね、衣替え。この日から夏服でーす、冬服でーすみたいな。一斉切り替え。

よくよく考えると夏服に変えた直後はちょっと寒い日もあるし、冬服に変えた後でもなんかあったかい日もあるし、季節や気温の変化はアナログであってデジタルでないのだから、一律変更というのはいささか"不自然"ではあるものの、僕のような季節感のない人間にはありがたいシステムだった。

気温の数字を見ても暑さ寒さのイメージが湧かないし、ましてや昨日や一昨日と比べてどうなんてこと言われても、昨日の気温なんざ覚えてられないし、もっと言えば天気予報をそもそも意識して見てないもんだから、その日の気温で調整しろというのはかなーり難易度が高い。

なのでこの季節はいつも服装に悩む。うっかり薄着しちゃって風邪を引きそうで危ない。

うん、でもなんか、最近ちょっと変化というか、もうアラサーで10代20代の体力ではなくなったからか、「寒い」環境の方への反応の閾値は下がってきたというか、「あ、これ寒いわ、風邪ひくわ、気をつけよ」みたいな思考が浮かぶようにはなってきたのよ。

はやく人間になりたーい妖怪人間、皮膚感覚レベルアップ、みたいな。

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さわる、参加する、関与する

October 4, 2017 Yuhei Suzuki
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先月の参加した「箱根山学校」の舞台、箱根山テラスの設計者である、長谷川浩己さんの新著『風景にさわる ランドスケープデザインの思考法』が家に届いた。

まだほんの前半しか読めていないのだが、箱根山学校の浩己さんのお話の中でもエッセンスはお聞きしていて、そこでの印象も含めてだが、「風景にさわる」というキーワード、もっと言えば「さわる」という態度、関わり方に非常にしっくり感を覚えていて、ここ最近、仕事をしていても頭の片隅に常に泳いでいる感じがする。

世界は他者で満ちていて、風景はすでにそこにある。ランドスケープ"デザイナー"の仕事は風景をゼロから"クリエイト"することではなくて、そこにある風景の構成要素、人や自然、その関係性や時間的蓄積と向き合いながら、あるいは自ら参加し、関与しながら、その文脈の中で新たな場を設えていく…そのような営みの上での態度を、「さわる」という動詞で表現されたのだと思う(まだしっかりと読んで咀嚼できていないので些か乱暴なサマリーだが)。

きっとこれは、メディアやコミュニティにおいても、会社や組織においても、同じことが言えるだろう。

いわゆる"運営者"の立場にある人(自分も含めて)が、メディアや事業を"立ち上げる"という動詞を使う。多大なエネルギーを要する取り組みなので、その側面も一定あるのは間違いないが、一方でやはり、風景はすでにそこに"ある"というか、社会や歴史の文脈、その中で僕たちが今後関わりたいと思う潜在読者となりうる人たちがどのように暮らしてきたかということを無視しては成り立ち得ない。

組織づくりにおいてもそうで、採用や育成といっても、やはりその人がそれまでどう生きてきたかの文脈を無視しては成り立たない。

一方で、「さわる」という動詞が面白いのは、他者に対する畏れを持ちながらも「わたし」がやはり関与する存在であることが織り込まれているからだと思う。

他者がすでに存在しているのと同様に、わたしもすでに存在している。そして影響し合っている。

「相手の主体性を引き出す」とか「黒子に徹する」とか"立ち上げる"という前のめりな動詞とは逆に、自分が引いて相手を立てる、みたいな言い回しがなされることもしばしば。

距離感の取り方という意味で、それがいつも間違っているとは言わないけれど、客観性とか非当事者性の皮を被って、自身がもたらす影響に対して鈍感になることも恐ろしいなと思う。

などと考えているうちに出勤したので続きはまた今度。

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満員電車で消耗しないために

October 3, 2017 Yuhei Suzuki

「ドア閉まりまーす、お身体お荷物お引きください、間も無く発車します、閉まりまーす」

朝も7時を少し過ぎると早くも駅員の呼びかけが窓の外から聞こえてくる。もうすぐ自分もあれに乗るのかーとか思うとげんなりする(ここで「やれやれ」とか書くと村上春樹だ。読んでないけど)。

満員電車に対する抵抗感が増した。都会で働いていて完全に避けることなど不可能なのだが、出来る限り乗りたくないなぁと思ってしまう。中央線沿いに住んでた頃は、若かったのかこじらせてたのかぎゅうぎゅう詰めでくっさい満員電車に乗せられる我らTOKYO民みたいな情感を勝手に抱き「東京で消耗なんてしてないぜ、別に田舎に行かなくたって過ごし方考え方次第だもんね、ふふん」なんて思ってたもんだが、もうなんか最近は体力的なアレと一緒に気力的なアレもアレである。満員電車つらい。

結果、極端な朝型になった。5時台とか6時台とか猛烈早い電車に乗ってオフィスに行くみたいなバカな対策をしている(今日はちょっと遅くなって見事にラッシュに捕まってしまったけど)。

そもそも東京の土地面積に対して人が多すぎるのだみたいな文句を言ってもマクロな状況は個人でひっくり返そうもないので、個人とかチームとか会社とかの単位で可能な限り柔軟な働き方を実現していきながら身を守るしかない。

たとえば、自チームの勤怠に関しては、それぞれのシフトの総量はあれど、出社時間については一律に9時とせず、8時半でも9時半でも10時でも選んでもらうようにしている。

ただ、個人の自由が組織の運営に支障をもたらすと感じさせてしまうと結局お互い窮屈になるので、チームの運用ルールとセットで見ていかないと機能しない。会議は何時以降にしか入れないとか、朝イチに急なチェックや作業依頼を差し込むなとか、仕事の受け方、総量や納期コントロール、優先順位の付け方etc.をうまいこと工夫していく必要がありますね。

あとは、人間、メンタル弱ってると同じ事象でもダメージ変わってくるので、「ちょっと今週来週は出社遅くさせてください」とか「仕事の量少し整理調整しようか」とか、ベースのルール+弱ったときの合理的配慮も重要だし、それを言い出しやすい組織文化つくらないといけませんね。

30年近く生きてきて、自分自身もけっこう揺らぎや浮き沈み大きめの人間であることを自覚しているので、結果自分の身を守るためでもあるんだけど。

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知ってるつもり

October 2, 2017 Yuhei Suzuki
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土日の2日間、府中にて今年最後の学生向けサマーインターン(もはやサマーなのか)にメンターとして参加。

2日間で定められた領域の社会課題を解決する事業・サービスを立案するというやつなのだが、チームごとに議論のプロセスも仕上がりも様々で、またその中での個々人がぶつかる課題や直面するストレス、それに対する反応・変化らもまた様々であり、毎年なかなかに面白い。

などと偉そうに言ってみたりしたが、実はメンター側の自分自身も、やはり同様に自身の課題を突きつけられる場であるのだ。

学生の側は毎年新しい顔ぶれなわけで、彼らはこれまで日常生活でほとんど真剣に考えたことがない社会課題なるものと取っ組み合いをする。

一方でメンター陣は、新たに参加する社員もいるが、複数回、複数年のメンター経験がある者の方が多く、だんだんとノウハウや見通しは蓄積していく。

2日間という全体所要時間の中でどの程度の進捗なのか、ここからどのような変化が予想されるか、チームの様子や関係性を見ながら、全体としても学生個々人としても最大限の成長・進捗ができるように、介入をしたり、任せたり、する。

とはいえメンターも人なので、当然にバイアスはかかる。メンタリングのスタイルも違うし、学生に対する評価の観点も(もちろんすり合わせはするが)属人性はゼロにならない。これまでの事業経験・マネジメント経験から形づくられた信念も異なる。

常に読み違えの怖さはある。そもそも他人というのは予想通り・思い通りにいかないから他人なのであるし、「知らない」ことばかりゆえに(比喩やポエムではなく実際に)可能性に満ち溢れているのが学生なので。
(私たちは歳を取れば取るほど「知っている」世界に引っ張られる)

「知ってるつもり」の予定調和に流されていないかを問われているのはこっちの方なのだ。

そんなこんなで、終わるたびにとっても疲れるけど「あー、仕事もっとがんばろ」ってなるんだよね、毎回w

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未だ来ずの日に備える

September 29, 2017 Yuhei Suzuki
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何か新しい機会や仕事が動き出すときに、以前の仕事を評価してくれてのお声がけであるときはとても嬉しい。もちろん、過去の"当時"に未来への期待や見通しを持って仕事していたわけではないが、後になって評価してもらえる仕事というのは、その当時、その瞬間、関わる相手に対して善く向き合えていたなという仕事である。

きっとそういう仕事は、単に「いい仕事をするぞ」と意識していればできるわけではなく、自分や関わる人たちのエネルギーの使い方、巡り方が心地よいものになるようになっている必要があるのだと思う。

直前になって慌ててみたり、余裕がまったくないときには難しい。個人技だったり関わる人が少ない場合はなんとか乗り切れることもあるが、チームでアウトプットを出す時にはそうはいかない。いざという時にグッとみんなが良い形でエネルギーを出せるように普段から何をしておくか。編集長って組織を編集する仕事なのだと思う。

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都会の余白

September 28, 2017 Yuhei Suzuki
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昨夜の帰り道に知り合いとバス停でばったり。

「いつもは電車なんですけど、たまにバスでゆっくり帰るんです。クールダウンタイム。至福のひととき」

僕はいつも通り電車で帰るつもりで道を歩いていただけだったので彼女とはそこでお別れしたけど、ほんとに至福のひとときなんだろうなぁという、によっとした表情が印象的だった。

最近、行きか帰りの時間に余裕があるときに、ひと駅分歩くということをしている。「毎日違う道を通って帰る」って言う人もいた。

日常のルーチンに自分がノイズをもたらす感覚の楽しさだったり、帰り道、バスや徒歩で少しばかりひとりの時間を取れる安心感だったり。

デジタルデトックスっつって頑張って連休をとって山奥にリトリートするのももちろん良いのだけど、都会の勤労人、そうそうしょっちゅうやれるもんではないから、日常のなかにこういった余白を作っておけると良いかもね。

仕事は仕事で、みなさんそれぞれやるべきことや色んなお付き合いを踏ん張っているわけで、かといってそれ以外の時間もわたくしたち気づけばソーシャルメディアに包囲されたりしてますから、ほっといてもらえるというか、そもそも私以外誰もいない、みたいなひきこもりタイム&スペースis貴重。

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「伝わってる」なんて思い込んじゃうと…

September 27, 2017 Yuhei Suzuki
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"ギャグ漫画家が上司の命令で「新人教育マニュアル」を作った"、というベニガシラさんのTwitter投稿漫画がよく拡散されていた。

ベニガシラ/サラリーマン四天王原作さんはTwitterを使っています 「ギャグ漫画家が上司の命令で「新人教育マニュアル」を作った結果がこちらです https://t.co/LnQUJaNyVq」 / Twitter

まず①全体像を説明する、②いきなり難しいことではなく初歩から教える、③自分がやって見せ、相手にやらせ、評価する(口頭説明だけで終わらせない)、④定期的に声かけする、⑤段階を踏んで次の仕事へ…と、5つのポイントがまとめられている。

その中身自体は、新しく入ってきた人に仕事を習得してもらう上での鉄板ステップというか、特段不思議なことはない真っ当な内容なのだけど、「これ、当たり前のはずなんだけど、世の中意外とできてる人少ないし、自分も含めて、同じ人・職場でもできてる時・できてない時の差も出るよな」と考えた。

この漫画に描かれたことは、一つの基本の型というか、当然新人さんも一人ひとり違う人間だから、理解のスピードや方法も、習得のスピードや方法も異なる。なので実際は、上記のようなことを意識しつつも、相手の反応をみて、つど教え方や伝え方をチューニングしていくことが重要だと思う。

文書マニュアルだけでは意味が入ってきにくくて、図やフローチャートなど視覚補助が多い方が理解しやすいという人もいれば、逆に口頭説明(聴覚理解)の方がわかりやすい、という人もいる。1回で相手のいうことをトレースできる人もいれば、何回か繰り返す中で自分にしっくりくるリズムを見つける人もいる。

「学び手は常に正しい」という言葉が僕が携わる教育・発達支援の領域にはあって、伝える・教える側ではなくて学習者自身の側に立つことを重要視した言葉なのだけど、働く現場を見ていると、(自戒もあるが)やっぱりなかなか理想通りにいかないことしばしば。

それは結局、教える側の生存バイアスとか楽したい心性によるのだと思う。

やっぱり「(上司から見て)理解・習得の早い、要領のいいやつ」とか、「(教える側がこれまでやってきたスタイルに対する)適応力が高いやつ」というのは一定数いて、そういう人に対する評価は高くなりがちである。それは自分にとって都合のいい・可愛い存在だからではないか?ということを常に差し引いて考える必要がある。

「俺の若いときはさぁ、見よう見まねで習得したもんよ」

「いやー、もうちょっとできると思うんだよね、期待してるからあえてハードルを高くしててさ」

「彼はやっぱ優秀だよねぇ、すぐキャッチアップするし」

etc.

こういう発言が、学習者自身の反応とか、個々人の多様性とか、教える側である自身の適応力・提示の仕方に対するリフレクションなしに発せられているときにこそ、リスクが隠れているのだと思う。

学習者、新人、部下の立場からは教える側、ベテラン、上司に対するネガティブフィードバックって相当しづらいのだ。我慢することでミスマッチが表出しない、そのうち耐えきれなくなって…という事態も起こり得る。

自分のコピーを作ろうとしてないか?コピーになれないやつの可能性を潰してないか?これはいくら意識してもしすぎることはない…

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とめどないあれやこれや

September 25, 2017 Yuhei Suzuki

なかなか「答え」の出ない問題というのはあって、その時に「うちはこうだった」「わたしはああだった」と自分の体験を交換し、とめどなく「雑談」するというのは、一見して解決に向かっていないように見えて実はとても意味があるように思う。そもそも「答え」がないのであるから、誰が「正解」を出すか競い合うことに意味はない。それぞれが好き勝手に表出した意見・体験を、これまたその場に居合わせたそれぞれが、好き勝手に参考にすればいいのだ。

お茶を飲みながらあーだこーだと言って、それぞれのn=1でしかない体験談をほどほどに参考にしながら解散し、身代わりのいない自分の人生に戻っていく。

昨晩の「深夜の保護者会」は、さまざまな立場・心境の保護者の声が交じり合ういい番組だったと思う。番組全体として変に力が入っていなくて

https://togetter.com/li/1154323

テレビ・ネットで見てる人が外からコメントを投げ込むのも含めて、一人ひとりが思い思いに悩んだり考えたりすればいい。

この土日は1.5日分ぐらいはひたすら寝て終わった。そういうつもりではなかったのだけど気付いたらもうこんな時間、という感じで全然目覚めなかったのだ。身体が休息を必要としているのだと思う。

9月は色々あってなかなかに散々なコンディションだが、底をつけば次は浮上、なのは知っている。もう少し辛抱だなぁという感じ。

この日記もリハビリのようなもので、内観のリズムが乱れていると、外に発する仕事の文章にもあまりいい影響がない。ひとまずは細々と続けようと思っている。

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ZIP!でアムロスな人たち

September 22, 2017 Yuhei Suzuki
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朝の「ZIP!」で安室奈美恵の引退について触れられている。

引退発表を受けて、ファン歴10何年だというファンの涙のコメントとか、タワレコでは急遽安室奈美恵コーナーを設けられ、CD・DVDが売れていることとか、カラオケで「Can you celebrate?」が熱唱されている様子とかが紹介されていた。

僕が小学生の時とかまさに「国民的歌手」だったもんで、確かになぁ、SMAP解散に並ぶぐらいの衝撃はあるのだろうなぁと思う。

こういう世の中の"どよめき"は、数字としても観察可能で、当然引退発表からここ数日のAmazonやらタワレコやらTSUTAYAやらの安室奈美恵関連商品の売上は有意に上がったであろうし、カラオケでも安室奈美恵曲の再生数は跳ねたことだろう。

とはいえ当然、個人のレベルで見ると熱量の違いはあるわけで、たとえば僕なんかは「あぁ引退かぁそうかぁ」とテレビを見てはいるけど、急に安室メドレーばっかり聞くようになったりCDを買い揃えたりはしていない。

でも一方で、"行動"に移したファンがいるわけで。ZIP!でインタビューを受けていたタワレコのお客さん(50代男性)とか、ファン歴10何年だという女性の表情、語り口を見るに、あぁ本当にこの人の生きた歴史のなかで、安室奈美恵という人が大きな存在感を持っているんだろうなぁ、と思わせる。

歌にかぎらず、なにかをつくって表現する仕事をしている人にとって、"他人事で済まない"レベルで自分のこと、自分の表現を真剣に受け止めてくれている人がいるというのは、本当に得難いことである。

で、安室奈美恵ぐらいの国民的歌手、になると、そういう"他人だと思ってない"ぐらいの熱量のファンがたーくさんいるわけで、これまた化物みたいにすげえことだなぁ、と、思う。

とはいえ規模の問題ではないのだ。いやしくもなにかをつくって発信する以上。

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真に受ける、間を設ける

September 21, 2017 Yuhei Suzuki
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人の話の真に受けやすさというか、話の内容もそうだし、そこに乗っかっている相手の意図や感情も含めて、どの程度、どのように濾過して自分の心に入れるかみたいな能力があったとして、私はたぶんその能力がだいぶ低い人間であり、けっこう言われたことをそのまま受け止めてしまって、それでものすごくどよーんと落ち込んで後を引いたり、かと思えば急に発奮して前向きになったりと、忙しい。

さすがに一応、人類やらせてもらってもうすぐ30年になるので多少なりともマシにはなったのだけど、話の割引・濾過能力が働くのは、ビジネスミーティングとかそこそこ距離感のある場だとか、自分が「相談に乗る」というそれなりに冷静さを求められる役割になった場合などであって、近しい人になればなるほど、言われたことを真剣に受け止めやすいところはある。

ただ、これは悪いことばかりでもなくって、近しい人の気持ちや期待を受け止めた結果、上にも書いたようにプラスのエネルギーが生まれるときもあるのだ。「この人のためなら」という気持ちは、色んなしんどさや矛盾を乗り越える原動力になる。

自分にとっては「誰と働くか」というファクターが大きいのだなと思う。

「みんなそれぞれの役割があったり、色んな期待を持って言ってるところもあるし、全部、真剣に受け止めると身が持たないよ」と言ってもらって少し楽になった。アドバイスを真に受けて楽になる、みたいなね。笑える。

少しすき間が生まれて、いい感じ。

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時には身をかがめたり

September 20, 2017 Yuhei Suzuki
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「問題がないこと」を前提に設計するといざ問題が起こったときのしなやかに対応できない。で、これはたぶん心や身体についても同じで、「健康であること」を前提として強く持ちすぎると、崩れたときの驚きどよめき遠慮自責etc.が大きくなってしんどいことになる。

「健康な人」と「健康でない人」がいて、別の種族として分かれているわけではない。状態像として無数のグラデーションがあり、その立ち位置はいつでも入れ替わり得る。

集中の持続が難しい状態にあることを自覚している。自覚した上での取捨選択をする。部分部分でどうしても必要なときに瞬間最大風速でグイっと気を張る、それ以外のときは緩める、というリズムで波乗りしていこうと思う。

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遠くを眺めて、それから街に還って

September 19, 2017 Yuhei Suzuki
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3泊4日の「箱根山学校」から帰ってきた。

陸前高田にある「箱根山テラス」で過ごすプログラム。石巻で一緒に活動した友廣さん、その友廣さんとのご縁で特別にワークショップをしてくださり、今の僕にとっての聞くこと・インタビューすることの拠り所をくださった西村佳哲さん、箱根山テラスの設計に携わったランドスケープデザイナーの長谷川浩己が主催。これまでも友人から「すごくいい」と何度も聞いていた箱根山テラスにとうとう行くことができた。プログラム自体は今年で4年目、詳細はよくわからないけれど、友廣さんと西村さんに対する勝手な信頼感でもって告知スタートと同時に申し込みをした。

今年は例年より少ない参加者で、僕を入れて11名。

陸前高田と縁の深い"水先案内人"の3名、美味しい料理を振舞ってくださった三原さん、長谷川社長やテラスのスタッフのみなさん、それから地域の方々にお世話になり、遠くを眺め、足元を感じる4日間。

参加する前の週はとにかくエネルギーが減衰していて何もかもネガティブになってしまうような抑うつ状態にあった。行きの電車で(他にも色々遅れ、溜め込んでいるが…)一つだけ必死で原稿を書き上げ、メールで送り、あとはもう、なるようになるさと現地に飛び込んだ。

結論から言うととてもよかった。「あっという間」と表現するほど慌ただしく過密なスケジュールでもなく、かといってテラスを離れるのが名残惜しくなるぐらいには愛着が育ち…というところで終わりを迎えた。

ここで感じたこと、考えたことは少しずつ振り返って文章に残していこうと思うが、いくつか自分にとってのキーワードとしてお腹の底で存在感を持っている言葉を書き記しておく。

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「どこで、だれと、なにを」

「自分が他人事で済まないことを」

「円環する時間」

「内と外の間、あいまいな領域を残すこと」

「世界は他者で満ちている」

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何かを生産する工程にはたくさんの人と素材と土地の交わりがあり、種まきから収穫、加工、販売と時間の巡りがあり、購買者が地域の作り手を訪ね…

ものを作る、ということを軸に循環が生まれ、繰り返されている。

それはとても素敵なことだなぁ、とただただそう思う。

都会で、企業で、メディアをやっていると、どうしても単線的な「追いかける」というモードが強くなってしまう。

それを全否定するつもりはないけれど

一方で、循環する時間、発し手とユーザーが入れ子になる関係、繰り返しのリズム…も生み出し育んでいけたらな

少し違う景色が見えてくると思う。



3日目の夕方ぐらいには、やっぱりなんだかんだとここで感じ学んだことを東京に帰ってからどう活かすか?なんて思考が巡り出したものだから、なんだかんだ今の仕事が好きなんだと思う。

しんどいことも、モヤモヤすることも、適当では済まないことも、答えの出ないこともたくさんあるけれど、ね。

リトリートして気持ちよかったなぁ、ではなく、自分の持ち場でどんなリズムをつくっていけるかなんだと思う。足元。


台風の影響で、気仙沼・一ノ関間の電車が走らず、タクシーで振替輸送してもらうことに。自然には敵わないな。

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腹八分目

September 19, 2017 Yuhei Suzuki
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物事の判断や、人のことを観る際の解像度を健全に保つには、やはりある程度の余白が必要で、多分それは、自分が「もう少しぐらい頑張れるかな」と思うレベルよりはもう少し大きく見積もっておいた方が良いのだろう。

話を聞いている途中に、相手へのジャッジとか自分の結論が先に心の中でむくむく育っているのに気づいたら危険サインだなぁという気がする。

とはいえそういう時って余裕がないからこそ思考も判断も粗くなるわけだから、そうなってから「気をつけよう」としても無理な話で、そうなる前に…どうするかという話なのだと思う。

仕事を請ける請けないの判断軸をしっかり持つのもそうだけど、自分でやる・抱え込むという方向にいきやすい癖があることは意識してもしすぎることはない。

腹八分目っていい言葉です。

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Diary: 2017/08/14

August 14, 2017 Yuhei Suzuki
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いつだってお金もヒトも時間も、資源は有限なので、やらないことを決めたりとか、明確な目標と指標を持ってそこに向かって資源を投下していくという判断は必要なのだけど、それはそれとして、人とかサービスの非線形な進化は既知の視野と前提の延長からはなかなか生まれないもので、それらはやっぱり聴くことー普段の会議とは別でスタッフと1on1するとか、dailyの数値報告ばっか読んでないで生身のユーザーに会いにいくとか、人が集まる場を観察するとか、そういう機会を意識的に作っておく必要がある。そのためにはやっぱり一定の余裕が必要だ。

関わる一人ひとりが何を望み願っているのか向き合えるだけの感受性と余裕を持っておきたいし、一人ひとりの本気の「やりたい」とか、それが偶然出会ったときのセレンディピティを、「できたらいいね」で終わらせずにちゃんとサービス・コミュニティの進化に結びつくかたちで企画にできるキャパを持ちたいし、そのためにはまぁ直近もうちょっと稼いで余剰を作る必要はやっぱりあるし、そう考えると短期的にはまだまだしゃかりきやらんとなぁというところでもあるけど、まぁでも倒れたり感性パサパサになったら元も子もないので(はじめに戻る)、踏ん張ったり折り合いつけたり短期で目に見える成果を出したりまぁそこら辺はうまいことやりつつ乗り切っていくのだ。

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