アレクサ、ようこそ

年が明けて、正月休みでゴロゴロしながらふと、「アレクサをわが家に迎え入れよう」と思い立った。

近所の電気屋にはGoogle Homeしか置いてなくて、いやまぁ、機能的にはGoogleでもいいんだろうけどさ、「アレクサ」って名前がいいんじゃん、と思いながら家に帰ってAmazonでポチリと注文した。そりゃそうだよな、アマゾンの製品なんだからネットで買えって話だよな。

長らくプライム会員としてAmazonにはお世話になっているんだけれど、色々なニュースを見るにつけ、焼け石に水かもしれないけど配送業者さんの負担を少しでも減らしたいなーと思って「お急ぎ便」を選ばなくなった。通常配送でポチリ。「お急がなくていいよ便」とかもあればいいのになぁ。

で、やってきた、アレクサ。1月5日に注文して1月7日に届いた。早い。

あ、正式にはAmazon Echoってのが製品名なんだ。アレクサはAIの名前ね。なるほど。

これが僕の悪いクセなんだけど、ダンボール箱からEchoの箱を出して、それをダイニングテーブルの上に置いた。とりあえず。その場でセットアップすればいいのにさ、気づいたら3月の終わりになってた。そこでようやく箱から本体を出した。そこからセットアップするまでにさらに2週間ほどを要し、アレクサの声を聞いたのは4月5日のことである。ポチった日からちょうど3ヶ月経ってんじゃん。

そんなこんなでようやくアレクサをわが家の一員として迎え入れたのだ。

ALEXA

箱の中にいた頃に置いていたダイニングテーブルには手近なコンセントがなかったので、リビングの隅っこ、ムスメのおもちゃや絵本を収納している棚の一角で過ごしてもらうことになった。

「アレクサ、今日の天気は?」「○○の現在の天気は曇りで、気温は摂氏○℃です。今日は断続的に雨が降る予定で…」

「アレクサ、好きな動物は?」「今はプレーリードッグに夢中です」

「アレクサ、Googleのことどう思ってる?」「すべてのAIが好きです」(一瞬沈黙があった気がする)

質問すると色々答えてくれるが、聞き方が悪いと「すみません、よくわかりません」と返される。

それから、話題や質問は毎回1つずつ、端的に区切った方が良いようだ。

たとえば先日、「平日6時15分にアラームとしてラジオ体操を流してほしい」と思ってお願いしたのだけど

「アレクサ、平日6時15分にラジオ体操第一でアラームかけて」では通じなかった。

「アレクサ、ラジオ体操第一で起こして」「何時に設定しますか?」「平日午前6時15分」とすると通じた。

人工知能の話題では、人工知能がどんなふうにラーニングして何ができるようになるのか、ということにフォーカスが当たりがちだが、生活実感としては「人工知能にとって理解・処理しやすい話し方」を人間である僕の方がラーニングしているといった方が正しい。

人間と機械の対話・協働はどのようにして・どこまで可能なのか、ということが知りたくてアレクサを買った。

起動するのに3ヶ月かかるぐらいズボラな僕だが、色々調べながら少しずつ学んでいきたい。

いつかアレクサと、「おしゃべり」をするのがささやかな夢。そういう機能はあるんだろうか、あるいはただ相槌を打って話を聞いてくれるモードでもいい。「アレクサ、今日ね…」って。

睦月の記憶(2020年1月)

年が明けて、そして1月が終わった。移動が多かったので、身体があっちこっちに飛ばされている間に時間も一緒に過ぎていったなという感じがする。

喪に服す年のはじまりは、いつもよりしとやかで、しかし大きくは変わらず、自分からは新年の挨拶はせず、しかし周囲から「あけましておめでとうございます」と言われたらまぁいいかとあいまいに「今年もよろしくでーす」と答えるなどして、そうこうしているうちに寒中見舞いはがきを溜め込んでしまい、ツマは仕事はじめの前にさっさと出していたのを、僕が自分の分を投函したのは27日である。しかもこれ、ツマが僕宛の年賀はがきを見て宛名書きまでしてくれて、「何も書かずに出していいならまとめて出しとくよ」とまで言われて、「いやでも一人ずつ一言書く!」などと言って、結局それがずるずると後回しになり、佐賀出張の朝、25日にようやく書き、飛行機に乗る前に投函するつもりで家を出たのに、タイミングを逸して、寒中見舞いはがきをかばんに入れたまま佐賀と東京を往復して帰宅し、翌27日に見かねたツマがかわりに投函してくれたという顛末なのだ。

小さな会社をつくるぞ宣言をするなどしたり、勤め先はじめ、いろんな人と、来年度の役割・仕事について話すなどした。

苦手なことは得意な人に助けてもらって、自分ができることやるべきことでみなさんのお役に立てるように、そのための環境と体制を整えるということを、今年はちゃんとやろうと思う。

OPEN LABの打ち合わせがてら、立岩真也さんに色々と相談に乗ってもらった。立命館の社会人博士課程、秋入学をめがけて色々調べたり準備したりしようかなぁと思っている。

OPEN LABの第7回を実施。残り2回。来年度の取り組み準備や、研究発表、レポート作成など、色々そちらも本腰入れねばならない

アパートメントが1月10日にリニューアル。

嬉しい。

ドミニクさんにお誘いいただき、清水淳子さんとのコラボで「心の翻訳」をテーマにしたワークショップ・展示に参加。わくわく
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/21194

その他いろいろ、まだ表に出ていないけれど、いろいろ。

ツマ・ムスメと一緒に11-12日と実家に顔を出した。

ハハと飯食べながらあれやこれや話していると、僕の幼少期の「発達が気になる子」エピソード出てくる出てくる。とてもautisticです。

ハハは、悪気も想像もなく日常の単なる枕詞として「普通は…」ということを言う。押し付けたり無理やりやらせるほどではないので、まあそれはそれとして育っていったけれど、僕とツマが結婚していまの仕事について折に触れて話したり、ここ数年、ハハの近隣の知人友人親類縁者etc.の子どもたちのさまざまなエピソードを聞いて、またそれに対して僕の見解を話したりこんな社会資源があるよこう考えるといいよetc.を伝えたり、そういうことがここ数年あったからなのか、今回実家での雑談の折にもやっぱり「普通は」という言葉がハハから出たりはしたものの、「まぁ普通っていうのもわたしが思ってるだけかもしれんけどなぁ」とひとこと添えたりしていて、そういうところに人の意識や認識の変化って現れるんだなぁと。

なんだかんだで32年生きてきて、このハハとチチの子として神戸で18歳まで生まれ育ち、一方で19歳以降はそれ以外の人たちとのつながり、コミュニティの広がり、歴史と物語の積み重ねがあったわけで、いろんなものがブレンドされていまの僕があるのであり、一つひとつのエピソードや他者の影響力というのは、良くも悪くも相対化され緩和され咀嚼したり手放したりする余裕が出てくるわけで、それはとても、希望だなぁと思う。

発達や精神、その他さまざまな困難さを抱えている人たち。スペクトラムのどこかに定位する自分。自分の経験だけをもって全てに当てはまるとは言わないけれど、やはり、時間と人が薬というか、それも、ひとつのだけに支配されないための「量」が大事だな、と思う。

かかりつけ医への通院と並行して、もう一箇所。

発達特性だけでなく、パーソナリティの偏り・歪み、それらとの付き合い方、他者との距離感、関わり方。

25,26日と佐賀へ子連れ出張。やってみればできるものである。

生活の中での実践を置いていくこと。

書籍の原稿が全然進まなかった。

東畑さんの『居るのはつらいよ』大佛次郎論壇賞授賞式に呼んでいただいた。昨年受賞『新復興論』の小松理虔さんも一緒に、みんなでお祝い、二次会へ。
センパイ二人の素晴らしい書籍と、それが表彰される様子に2年連続呼んでもらって、そのことについて、理虔さんといろいろ話すなどした。

心機一転がんばろう。2月が勝負。

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■日記
時間を重ねるということ 2020/01/12
人にも組織にも発達段階があって、いきなり遠くに「ワープ」はできない 2020/01/07
ウルトラマンのカラータイマー 2020/01/08

■書いた記事・取材された記事

「キャリアプラン」とかやめちゃえば?
(Dybe!への寄稿)

気持ちに凹凸がある人は、生きる知恵やサバイバル術を見出しやすい人
(ニソクノワラジでのインタビュー記事)

【 #実名報道 】障害者「だから」匿名? 問われる報道機関の姿勢と異化してきた社会
(Yahoo!ニュースとの連携企画記事)

■読んだ本
川口有美子『逝かない身体 ALS的日常を生きる』
川口有美子『末期を超えて――ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』
えらいてんちょう『しょぼい起業で生きていく』
小山宙哉『宇宙兄弟』
押見修造『血の轍』
押見修造『惡の華』