Day 13 つくり手の顔

ツマは学会で発表、わたしはムスメとお留守番。


夜は中目黒のBar SAWAへ。オーナーがお誕生日なのでお祝いにお花を持って。

ここのオーナーの新谷さんはほんとにすごい方で。元タカラジェンヌ、34歳で一念発起してバーを始められたのだけど、毎年世界中の蒸溜所を回って素晴らしいお酒を買い付けたり、日本の作り手をゲストにウイスキーセミナーを開かれていたり、ほんとにお酒とつくり手を愛していて、その良さを伝えようと精力的に活動されていてね。最近では「70歳までにラムの蒸溜所つくるんや」って。

「ものづくりはウソがないからね。つくり手が出ますよ、ほんとに」

はい。肝に銘じます。

今日の、まる。

Day 12 新宝島に夢中のムスメ

Youtubeの音楽自動再生で新宝島にたどり着く確率は異常。


3連休初日ですが、家の掃除をして、整体行って、あとはご飯たべる以外はほぼ寝てました。アホほど寝た。なんてことだ。


中村佳穂さんというアーティストのことを知った。

声がとても好き。


今日の、まる。

Day 11 控えめな中本デビュー(北極ではない)

終日、事業部の総会。

普段は西日本を飛び回ってる新卒1年目の好青年と久しぶりに会って話したのだけど、い〜い表情してたなぁ。

すごく今の自分の感覚に素直になってて、これまで野心で自分でドライブしてきたけど、そうじゃないんじゃないかという感覚が生まれ、時間の使い方とか人との関わり方とか変わってきていて、「でも、じゃあ次は何を働く原動力にしていくのか、まだわかんないんすよねー悩んでるんすよねー」って、答えがまだ出てないこと含めて素直に開示できてて、いいねえいいねえ順調だねえっておじさん嬉しくなってた。勝手に。

「答えが出ていない」ということに素直であれる、というのはいいこと。

お昼に中本デビューした。北極ではなく、5辛の蒙古タンメン。割といけるやん。

今日の、まる。

Day 10 お腹弱いのに天下一品に吸い込まれた

今日も寒いね。

観測範囲だけでも知人友人がだいたい同じタイミングで続々と寝込んだりしており、本当に冬季うつというのは甘く見てはいけないのである。

人類も冬眠を実装してはいかがか。

「会いに行けるメンヘラ」をやってる私の方ですが、年末年始ぼへーっと休めたのが良かったのか、最近割と元気アルよ。

日中は商談やら打ち合わせやらであっという間に過ぎていって、まぁ働いているわけなんですけど、あれです、執筆も編集も担当原稿が溜まっていて優しくリマインドしてくださる各位ごめんなさいサボってるわけじゃないんです今週末三連休で予定何も入ってないし進まないわけないんですがんばります。

今日の、まる。

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Day 9 寒くない?

風が強くてえらい寒かった。

今日もまぁ、朝起きて、保育園にムスメ連れてって、会社行って働いて、夜は理事会行って、美味しいご飯いただいて、帰って寝る、みたいな、平和、日常。

バブルの絶頂期に学生だった方が、当時見たバブリーな大人たちと、いま時代は変わったけど同じようなムーブをしている人たちは、すごく顔つきが似てるねって話をしてて、なるほどなーみたいな。

顔つきとか話し方とかって、一人一人の個別性はありつつも、社会的・後天的に形成される部分大きいよなやっぱり。

今日の、まる。

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Day 8 ムスメの寝息には勝てない

1月は営業日少なくてドッタンバッタンだけどまぁみんなの楽しみながらどうにか乗り切っていきましょう、まる。って感じのあれよ。

ライターなり編集者なり、コンテンツをつくる人たち、個々人は一生懸命作って出して、をしていても、それが全体として、どう位置づけられているのか、あるいは、色んなコンテンツがあるなかで、自分の制作に伴う諸スキルー企画、インタビュー、構成、執筆、編集etc.が職業人として、あるいは所属するメディアや事業のお仕事を遂行する上で、どの程度の水準にいるのか、一人でやってるとなかなか客観的に評価する機会や視点って持ちにくいので、目標設定と評価のサイクルをうまく回していけるようにしたい。人数もだいぶ増えてきたのでね。

夕方に通院。経過は順調ですねって感じで、先生とよもやま雑談をして帰る。

うーん、色々と個人作業溜まってるしムスメ寝かしつけたらちょっとがんばろうと思ってたんだけど、添い寝してる間に一緒に朝まですやすやすぴー。

今日の、まる。

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Day 5 後ろ100年、前100年

ムスメの顔を見せに、一家で神戸の実家。年末からはじまっての双方ご家族ご親族イベントはこれで一段落。そして長い連休ももうすぐ終わりである。ふう。

新幹線のお供はハイボールロング缶。こうやっておじさんの階段を着実に登っていく。

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二村ヒトシ、千葉雅也、柴田英里『欲望会議: 「超」ポリコレ宣言』を車内で読み終える。ジェンダー・フェミニズムの領域で語られてきたことや問題は、障害福祉の領域でも相似形で見られるところが多々あると感じる。時間をとって書き残したい。

新幹線を降りて、ランチを食べてから実家へ。

「わしは95歳やから、あんたの95倍じゃの」と、ひ孫にニコニコしながら話しかける祖父。昨年、父・母は還暦を迎えたが祖父母ときたらもうそんな年齢である。

子はかすがいというのは本当で、孫・ひ孫という時代の最先端をめがけて、双方のイエの父・母、祖父母、その他親類の糸がまたスーッと結び直される感覚がする。それと共に僕の時間のものさしも引き直される。

ムスメが今の自分の年齢になったとき、という30年後への想像力

ムスメが今の父母の年齢になったとき、という60年後への想像力

ムスメが今の祖父母の年齢になったとき、という90年、100年後への想像力

そういう未来に向けた社会や生活への想像と責任というのはもちろんなのだが、同時に反対側への意識が伸びていく感覚。

後ろの100年、つまり祖父母に関しては、二人とも年齢相応に認知症状は進んでいる。物理的距離もあり、まぁそれは都合のいい言い訳なのだが、僕自身は祖父母に対して結局大したことはできずに母が介護を担っている。

それでいいというわけではないが、自分にとってより現実のものとして訪れてくるのは、今から30年後、父と母がそれぐらいの年齢になったとき。親の介護というものをどう考えて、自分で、または社会資源を使ってどのようにやっていくのか。誰しも進んでいく老いというものに対して、本人の意思や願いというものをどう感じ取り受け取り尊重するか。

終まで我が家で過ごしたいと言えばそれで良いと思うし、どこかに移るとなれば、その行き先はどのように選ぶのか。銀木犀のような場所はいまの日本にどれだけあるだろうか。


今日の、まる。

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