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Day 3 お年玉

January 4, 2019 Yuhei Suzuki
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八王子、ツマの実家で目覚め、みんなでお雑煮とおせちを食べる。暴飲暴食の年末シーズンを超え、ちょっと胃を休めたかったのと、さすがにちょっと30を過ぎて身体のゆるみが気になりはじめたので、お餅は一個。腹八分目が2019年のモットー(そのうち忘れそう)。

着替えと荷造りをして、再び病院にお見舞いに行って、午前中はツマの親戚のみなさんへの挨拶まわりに同行する。大人たちはぽち袋に入れたお年玉を用意していて、お互いの子どもたちに渡していく。

1歳になったムスメ、はじめてのお年玉を受け取るの巻。

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お年玉交換の儀というのは、もらう子どもの嬉しさもそうだが、あげる側の大人たちの、ちょっとした楽しみでもあるだろうなぁ、とその様子を眺めながら思った。下手すると年に一回の正月ぐらいしか会わない距離感の甥っ子・姪っ子、孫やひ孫というのは、会うとなんだかんだかわいいもので、大人にとってのちょっとしたコミュニケーションチャネルなのかもしれない。

毎年繰り返し流れていると思うが、道中もTwitterでお年玉という慣習・風習がナンセンスだというような声を見かけてもいて、半分言いたいことはわかる。大人同士で結局お金が行っては戻りしてるだけだったり、とはいえそこに人数・年齢ギャップによる金額負担の不均衡があったり、自分が子どもがいない立場でまわりの親戚に子どもいっぱいだと、毎年お金が出ていくばかりだったり、まぁ色々アンバランスなところはあるよね。あとはなんだ、お年玉をあげる・もらうだと子どもにお金のリテラシーが育たないからもっとこうした方がいいとか、そういう意見も見かけたっけか。

昔ながらの慣習・風習というのは、その背後に一定の理屈はあると思うのだけど、時代が進むにつれて、慣習のTo Do面だけが無疑問に継承されたり、生活習慣や社会環境の変化から、それを行うことの不合理さや非効率さの方が目立ってきたりと、そういうことは当然起こる。

インターネットではだいたいそういうものに対して「不合理じゃね?」「非効率じゃね?」の一言でバッサリ切る言説がウケたりするのだけど、0か100かジャッジするのはいかがなものかなぁ、と正直思う。その慣習が人間社会においてよく機能してきた面、今も一定機能する局面、ちょっとナンセンスだねとなってくる状況、それらを見極めてうまく付き合っていくという態度の方がしなやかではないか。

次の世代は次の世代で自分たちなりにアレンジしたりハックしたり捨てたりしながら、でもその慣習が大事な楽しみとなっている個人や他世代とかかわるときは、いい塩梅で合わせたり合わせなかったりして、そうやってゆるり併存していけばいいのでは、と思う。

お金との付き合い方を我が子にどう学んでいってもらうのかとか、我が家のルールとしてどうするのかとかは、確かに考えなければいけないテーマではある。僕の場合は自分が親元で育つ過程でそこのところがスポーンと抜けていたので、上京してから今に至るまで、お金との付き合い方で迂闊な面は多々あり、我が子に関してはもう少しちゃんとしないとなーと考えている。

ひとまず、ムスメがもう少し大きくなるまでは、お年玉をはじめ、「彼女に向けて」渡されたお金は、しっかりムスメの口座に貯めておこう。

肝心の口座をまだつくってないのだけど。

今日の、まる。

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