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閒-あわい-

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君が物心つく前から、君は「社会」の網の目の中で生きている

December 30, 2017 Yuhei Suzuki
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ムスメが生まれてから1週間強が過ぎた。

とはいえ僕はというとそのうち半分程度の日数しか一緒に過ごしておらず、なおかつその大半は仕事や用事終わって夜にツマの家に着いて…というタイミングだから、朝から晩、そして翌朝まで一緒に過ごしたのはまだ退院日の1日だけしかない。

それ以外の時間はツマと、ツマのお母様お父様にお任せしているわけだが、ありがたいなという気持ちと少しの申し訳なさを抱えながらとにかく仕事納めに向かってしゃかりき働いたのが今週。

合間に、役所や会社に出す書類やらなんやらを僕の担当タスクとして粛々と進めている。

ムスメが社会の網の目の中にキチンと定位し、生きていくために必要な福祉的・医療的庇護を受けられるようにするための手続きである。

つまり出生届やら子ども手当やら健康保険やらなんやらの申請である。

こと「役所」という存在は、何かと非効率や硬直性の象徴としてやり玉に挙げらがちな存在で、たしかにそういう面もあるかもしれないが、今回僕が経験した出産後の手続きに関しては、特に煩雑でもなくたらい回しにされることもなく、スムーズに進んだ。
(とはいえ、必要書類や手続きの確認とか、色々洗い出すのは、難しくはないけど億劫な作業ではあるので、こういうことはちゃんとオットがキビキビ進めた方が良い)

いくつかの必要書類を用意して窓口に行くだけで、15分か20分ぐらいで完了したと思う。
ツマの母子手帳やまいなんばーを忘れたりしたのだが、それで申請が止まることもなく「後日郵送でOKとのこと」。

窓口の方は僕よりきっと若いであろうお兄ちゃんで「この度は誠におめでとうございます!」と2度3度さわやかにお祝いしてくれたのでいい気持ちになった笑

そんなこんなで恙無く出生届の手続きは完了。会社の方は仕事納めになってしまったので、ムスメを僕の扶養に入れて会社経由で保険証を出してもらったり、ツマの育休申請を出したり、会社が設けている祝金の申請をしたりは年明けになるが、とりあえず一安心。

と、思っていたら、届を出した2日後にはもうムスメの住民票コードの通知票が届いていた!

ムスメよ、君が物心つくまえから君はもう「社会」のなかに生きているのだ。

それを良いとも悪いとも言わない。

支えられることもあれば、誰かを支えることもあるし、すり抜けたりすき間に落っこちることもあるだろう。

これから君が大きくなっていく上で、君自身や、親であるとーちゃんとかーちゃんが受けられる色んなサポートがあるんだけど、それは君より少しだけ先に生まれた人たちがお金やら知恵やらを出し合って成り立っている。

君も働き出したら、その支え手の一員になるのだろう。でも、なにかの理由で働けなくたってそれはそれでいい。大人になって働くことができなくても、これまた生きていくための色んな支えがあるのだから。

君がその恩恵に預かる立場になるかはわからないけど、君か、君ではない誰かがそれを必要とした未来に、そういう仕組みがちゃんと活きている世の中を、とーちゃん守ったり耕したりしようと思っているよ。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

パパ未満がパパになった日のこと

December 26, 2017 Yuhei Suzuki
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予定日の2日前だった。

「うーん、今日はいつもよりけっこうお腹張ってるんだよなぁ。今晩あたりくるかも」

「おお、マジで?そしたらえーと、呼ばれたらすぐ行けるようにはしとくわ。アポ入ってるけど呼ばれたときは行けないからよろしくって同行者に伝えとく」

「まぁ昼間は大丈夫だと思うんだけどねぇ。とりあえず今日検診だから行ってくる。また連絡する」

そんな感じで12/20の朝は始まった。

この日は商談も2件入っていて、その他色々作業も立て込み気味だったのだけど、ツマからの上記の連絡を受けて、もしもに備えてのあれやこれやの手配を職場で行った。

「たぶん大丈夫だと思うけど、もし陣痛起こったらアポは任せることになるから、資料は僕じゃなくてあなたが持ってて。ほんでその時は『編集長子ども産まれるみたいで、すみません』ってトークのネタにしてください笑」

なんて冗談を言ったりしつつ、内心ちょっとそわそわしつつ、まぁでも仕事が手に付かないほどでもないし、みたいな感じで昼過ぎ。検診が終わったツマから「いったん大丈夫だろうと自宅待機になった」と連絡があり、「あぁ、やっぱり明日以降かな」などと安心して夕方の商談を終えたところ、再びのツマからのLINE。

「今から再度病院に行くことになりました」

そこからはもう、早かったような長かったような、そういう一晩でした。

結論から言うと、うちの場合、出産に当ってオットはほとんどやることがなかったです笑

産まれる直前に分娩台に呼ばれた…と思ったら「産まれたー!」ってなもんで。

その間僕は何してたかというと、ほぼツイッターやってましたね…

ツマからの上記LINEの後、ほどなくしてそのまま入院が決まった旨。とはいえオットはすぐには行く必要が無いのだと。必要になったら病院から電話があって呼ばれる流れらしい。

なので、結局オフィスで小1時間面談やら作業をして、ツマとツマのお父様から「まだ呼ばれないけど、遅くなる前に高尾に移動して、うちで待機しといたら?」と言われたので、中目でうどんを食ってから移動。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「とりあえずなんか腹に入れてモバイルバッテリーと歯磨きを買って産婦人科に向かう」 / Twitter 


そのあと、ツマの実家でもまたしばらく待機して、ようやく呼ばれて産婦人科へ。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ツマ実家着。実は明日出す書きかけの原稿を持って来ている(呼び出される前に仕上げるw)」 / Twitter 


(原稿は結局仕上がらなかった。そわそわw)

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「産婦人科に呼ばれたので向かいます。お産の準備始めたそうな。ふわー」 / Twitter 


で、到着後は、よーしイメトレ通りにがんばってツマをサポートするぞぉとか勇んでたわけですけど、上に書いた通りそういうのなかったですw

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「お産時のオットの役割: 汗拭く・励ます・産まれたら写真と動画撮る・ツイートする(←」 / Twitter 

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「まだお産の準備中ってことで廊下待機」 / Twitter 


出番が全然来ない。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ソワのソワ助よ(言うてもまだやることないから真顔でツイートしてる」 / Twitter 

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「他のご家庭の、すでに産まれた赤子たちの泣き声が聞こえる。born to be lovedって感じだ」 / Twitter 


ちょっとまだなんかエモいこと言う余裕がある。

木田修作/とまり木・夫さんはTwitterを使っています 「@YuheiSUZUKI 妻は大変だろうから、見えるものや話したことや、聞こえたもの、できるだけメモしておきました。子どもが生まれた日は、どんな空でどんな気温だったか、とか。後から喜んでもらえました。ご参考までに。」 / Twitter 


かと思えばこんなアドバイスをいただいたり

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「グーグル先生によると現在の八王子は2℃。静かな夜です。赤子たちの泣き声と、自販機の控えめな駆動音だけが響く。 https://t.co/qLPtOyBddy」 / Twitter 


真に受けてグーグル先生に聞いたりしてたんですけど、一向にオットの出番が来ません。

日付が変わる少し前に先生が出てきた。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「先生出てきて「もうちょっとかかりそうですねー」と。ツマ、おつかれ。」 / Twitter 


ちょっと陣痛のペースが遅くなってきているらしい。疲れも出ているとか。お産というのは本当に大変な仕事なのだなぁとしみじみ思ったものだ。

ということで、再び待機…

そして12:09

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「なんか、ご主人様、呼ばれた」 / Twitter 


いよいよか?いよいよ出番なのか!?俺の!

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「「産まれる時に入ってもらうんでこちらへ」と言われたけど「まだ入らないで」と言われたのでつまり廊下内を微妙に歩いた」 / Twitter 


と、思ったらまだだった。「あ、あ、はい」ってなったよわたし。そのまま廊下に棒立ち

…と思ったら、今度こそ呼ばれた!

イメトレバッチリ、「がんばれー!」ってツマの背中さすったりして応援するぞー!

って気合入れて入っていったらわずか5秒後ぐらいに「産まれたよ、もう産まれてるよ…」ってツマ

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「うまーれーたーー!!」 / Twitter 


1月21日0時29分、3600gの大きな元気な女の子が産まれました。

鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「ツマも赤子も頑張ったありがとうおめでとうおつかれさま。わたしあまり役に立ってないけど。立ち会いってこう何時間も一緒に寄り添い励ます的なあれを覚悟してたら産まれてから呼ばれる事後立ち会い的なスタイルの産科さんだったのでほんとにわたしツイートぐらいしかしてないけどツマも赤子もおつかれ」 / Twitter 


………わたし、ほんとにツイートしてただけですね。はい。

でもなんというか、断片的に実況している間にTwitterでもFacebookでもたくさんの応援や祝福の声をいただいて、ツマのお父さまもお母さまも夜遅くまでご一緒していただいて(翌日仕事なのに)、みなさんに感謝の念しかないし、産婦人科の先生や看護師さんたちは、こういう夜を年中何回も何回も経験されていると思うと、もう頭が下がる思いだし…

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「しかしこれは奇跡のようなことですほんと。生命よ。生の命よ。viva la vida サンライトイエローオーバードライブ。人間産科、もとい賛歌。」 / Twitter 

(1) 鈴木悠平さんはTwitterを使っています 「みんな生きてる!」 / Twitter 


わたしはもうほんとエモくなってボキャブラリーが無になりましたよ。

…そんな感じで、パパ未満がパパになる日は、なんだかドラマチックなようなあっさりしたような、かっこつかないようないつも通りのような、そんな一日でした。

わたしらしいと言えばわたしらしいけれど、当初「産まれたとき、我が子をかわいいと思えるだろうか、そもそも感動とかするのか俺?」などと懸念していたよりは意外とすんなり素直に、産まれたことを喜べたし、赤子もかわいいなと思ったし、ツマには感謝とねぎらいの気持ちでいっぱいだし、意外とこう、大きなショックや戸惑いなしに、「そして父になる(現在完了形)」って感じでその瞬間を迎えました。

「子どもができるとね、もっともっと良い世界にしたいなって思うよ」とうちの社長が言っていたのをふと思い出した。

夜明け空に向かって宣言するほどの勇ましさも爽やかさもないけれど、でも「確かに、そうだな」って。この子、この子を含め今や未来を生きる小さな生命たちが、安心して生きられる世の中に少しでも近づけたいなという気持ちはじわじわ内側から生まれてきたし、何よりまず第一に、ツマとムスメにとって安心安全な半径5mの暮らしを作ろうという気持ちになった。

というわけで、オロオロこじらせてきた産前パタニティブルーのプレパパ1名は、思った以上に前向きな一歩をここに踏み出したのであります。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

君がどんなふうに生まれてきたとしても

December 19, 2017 Yuhei Suzuki

仕事柄か、わが子について考えるときに、しばしば頭によぎることがある。それを"不安"に思うというよりは、「もしそうだったら、実際どうするか」とIFの"思考"を泳がせている、といった方が近いかもしれない。

生まれたあとのわが子に、先天性の疾患・障害があったら、という仮定について。

ツマと2人で話した結論は当初から変わらず、「生きられるなら産む、育てる」というものだ。

NIPT等々の出生前診断についても、「受けることに抵抗もないし、もし事前にわかったとしたら、産後の受け入れ環境を整える準備ができる」という考えだった。白状すると、ふたりともバタバタとしているうちに、気づいたら適応週数を過ぎてしまっていて、偉そうなこと言っておいて結局受けられなかったのだけど、仮に受けていてなんらかの先天疾患の可能性がわかったとしても、産むという方向に変わりなはなかった。正確に言うと、無脳症など、ほぼ生存できない疾患の場合はさすがに考えるけれど、現代の医療水準で、少なくとも生存が見込まれるのであれば、その後のケアや生活の困難さがどうであっても、私たちは産む、その子を迎え入れるという風に思っていた。

「産む」ことに関するそういう考えは今現時点でも変わらず、ほぼ100%そうだと言えるのだけれど、やはり「産む」ことと「育てる」ことは別ものである。障害が事前にわかった上で産んだとして、その後に苦労や不安や煩悶が起こらないかといったらまったくそうではないだろう。

まず、どうあっても子どもをケアし、育てる上での経済的・肉体的・心理的負担は通常よりも大きくなる。それはもう、この仕事をしていて、色んな保護者の方々、人生の先輩方のお話を聞きながらひしひしと感じている。とにかく見通しが立たない、情報が少ない、支援や仲間に繋がりにくい。進学・進級先の選択は難しいし、それどころか日常生活・身辺自立すらままならない…たぶん、いやきっと確実に「子育て難易度」のレベルはグンと上がるだろう。落ち込んだりくたびれたり世間に憤ったりということは、まぁ、あるだろうよ。

そしてそれは親である私やツマの生活やキャリアにも影響する。時間的・経済的制約が大きいなかで、それでもわが子含めて暮らしを継続していくために私とツマがどう動くか…前提条件が変わった上での生活とキャリアの再設計が求められる。なんだかんだと仕事を楽しんでいる節があるから、この点に関しては私の方が悩むかもしれないな。

…だけど、ここまで書いてまた考える。そうしたあれやこれやの悩みは結局、子ども本人のものではない。親の側の都合だったり、社会の価値観だったり、それらに影響されて親の側に生じる感情であり問題にすぎない。

もちろん、親には親の人生があるし、そうした「親として」の心配や悩みも、子どものことを思うからこそ生まれる部分もあるし、実際に悩み苦しんでいる先輩方と対面していて、そんなにスッパリ割り切れないよということは痛いほど伝わってくるし、無神経にジャッジしたりなんて絶対できないけれど。

けどやっぱりさ。「価値観」にまみれているのは「大人」であり「親」の側でさ。それは子どもの側の「問題」ではないということは、忘れないようにしたいと思うよ。

間もなく生まれそうなお腹の中のわが子に対して、「どうあったってきっとなんとかなるし、なんとかするから、安心してこの世界に出ておいで」と、ただただ今はそういう気持ちだ。

In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

あなたがあなたを生きているとき、「美しいよ」と言える人であり続けたい

December 11, 2017 Yuhei Suzuki
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こないだ三十路になりました。

今年も色々ありました。

会社では管理職になったり新規事業にも関わったり、友人と一緒にやってるNPOも法人格を取得して昨日も大きなカンファレンスを無事終えてといい感じ、家の方ではツマが妊娠しましてもうすぐ、実にもうすぐ私はパパになるようです。

今年も色々ありました。

そして三十路になりました。

だからどうしたという話ですが、本当にここ2,3年でようやく「人間」になれてきたというか、幼少〜青年期の掴みどころのない生きづらさからスーッと抜けてきて、社会との接地面を見つけられたなという感覚がします。

二十代前半かそこらでは、ろくな希望も展望も持ててやしませんでしたが、「あれ?いつの間にか?おお、そうなのか」って感じで、気がついたら案外と人生が”進捗”していて、特に今年はその感触が強かったなと。

ときおり、「どうして自分はここにいるんだろう」と不思議な気持ちになることがあります。

冗談ではなく、私は「自分は何者でもない」という感覚をずっと抱いて生きてきたものですから、今、自分と一緒に働いてくれる人たちがいて、そのチームの中に自分が存在していること、共に生きることを選んでくれた伴侶がいること、その人とこれから新しい生命を迎え育てていくこと、どれもこれもがちょっとした奇跡体験アンビリーバボーな感じなのです。

インスタジェニックな写真をアップして、「#最高の仲間にマジ感謝」するほどのセンスも度胸も自己肯定感もありませんが(たぶん上のハッシュタグ例も微妙にセンスがズレてると思う)、しかしここまでどうにか生きおおせてきたのは、周りの人たちがくれた機会や期待に対してなんとか応えようとしてきたからかもしれませんし、能力や結果いかんに関わらず私を私として肯定してくれた人たちに恵まれてきたからかもしれませんし、いずれにしても他者の存在なしにはありえませんでした。


いま、会社のメンバーを誘ってアドベントカレンダーをやっているのですが、こないだまでライターインターンをしていた学生がとてもエモい記事を書いてくれて、嬉しいなぁ採用して一緒に働いて良かったなぁと年寄り目線でしみじみすると共に、「あぁ僕の原点もここにあったなぁ」と改めて自覚させてもらうなどということがあり。

どこにでもいる学生が、”まだどこにもない”記事を書くことに本気で情熱を注いでたんだってば。|あべあいり/駆け出しwebディレクター|note

そう、「何者でもない私」が他者とつながり、社会の中で生きる道を見つけようともがいていた頃から、「書くこと」だけが自分にとっての唯一の突破口だったのです。

取るに足らない小さな自分が、言い訳をせずちゃんと他者と向き合うためには、考えて、書いて、また考えて、手触りのある言葉を探して紡いで…と、それを繰り返すしかなかったように思います。

いま、一丁前にプレゼンをしたり営業提案をしたり部下と面談したりとなんだかビジネスパーソン然としたコミュニケーションを取れているように見えるのは結局この「書くこと」、言葉で考えることの応用延長編でしかなく、それ以外はまことにポンコツで凸凹の大きい人間なのです。


ここまで書いてきて、なんの話をしていたんだっけ、そうタイトルの話。

「何者でもない」自分がサバイブするためという極めて利己的な欲求からネットの片隅にブログを書き始めた私ですが、今では物を書くことや、メディアを運営することがお仕事としてもできるようになりました。

「仕事」となるとまぁ色々なことがあるのですけれど、一番嬉しいのはやっぱり、「書くこと」を通して、誰かの人生が動き出す、その人の物語が開かれる瞬間に立ち会えることです。

どんな人にも、その人をその人たらしめる歴史があり、身体があり、それを固有の、美しい物語として紡いでいくこと。それが「書くこと」の力だと思います。

善い物語は、スポットを当てられたインタビュイーだけでなく、その人と時間を共にしたインタビュアーや、その物語を読む読者にとっても善い変化をもたらします。

書くこと、その前段として「あなたの話を聴く」ことを通して、「何者でもない」僕の人生にはたくさんの彩りが加えられ、その度に世界の見え方が変わっていきました。いつしか生きていていいのだとも思えるようになりました。



それと並行して気づいたのは、世の中には逆に、「何者かである」ことに囚われ縛られ、そして苦しんでいる人もたくさんいるということです。

若者だとか年寄りだとか
障害者だとか健常者だとか
親だとか子だとか
上司だとか部下だとか
当事者だとか当事者じゃないとか

生きていると私たちに色んな「ラベル」が付着したり剥がれたりしますね。
そして、望むと望まざるとに関わらずその都度その都度の「ポジション」を取ります。

その状態を、その痛みを否定することはなく、しかしそのひとつひとつに耳を傾け、一緒にさわっていくなかで解きほぐしていくこと、そこから新しい物語を編み直していくことも、「書くこと」に備わっている力なのだと思います。

新しく紡ぎ出された物語は、やはり他ならぬその人自身のもので、私がゼロからつくり出したものではありません。

だけど、自分の物語を自分独りで見出していくことはとても難しいと思います。

何か明快な答えを出せるわけでもなく、「うんうん、そうかそうか」とお話を聞いたり、「それってこういうこと?」と私の理解・解釈を言葉にして返すことぐらいしかできませんが、傍らの壁打ち相手として、私が何かの役に立てるならとてもうれしい。

テーブルを挟んだとめどもない会話の中で、少しずつ少しずつ、あなたの輪郭が浮かび上がります。私はそれをなるべくそのままに掬い取れるよう、大事に大事に言葉を紡いでいきたいと思う。

出来上がったあなたの物語は、書いた私の自己満足だし、主観ですけれど、間違いなく美しいんです。

In essay Tags narrative

臨月を迎えて

December 6, 2017 Yuhei Suzuki

12月。臨月を迎え、いよいよいつ産まれてもおかしくないという時期に入ってきた。

赤子の体重も3,000g近くなり、経過は順調のようで、検診に行って先生にこんなことを言われたとか、髪の毛がふさふさだとか、指をよく舐めてるとかそういった断片情報をツマからのLINEで受け取りながら仕事をする。

ツマのお腹は、この1,2週間は見た目で受け取る印象的にはあまり大きさが変わっていないように見えるが、よくお腹が張るとか、寝る時には腰のこの辺が痛くなるだとかいう話を聞くにつれ、僕が両親学級でヘラヘラと疑似体験したぐらいじゃわからないような、地味ーで持続的な負担がツマの身体にはかかっているんだろうなと思う。

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それはさておき、師走なのかなんなのか、仕事の方がめっぽう忙しくって。

予定日の週は極力何も予定を入れないようにして、予定入れる際も「空いてるから仮で入れるけど、陣痛起こったらリスケってことでよろしくね」と相手に伝えたり、忘年会の類は「欠席カウントにしておいて、当日何もなかったら行く」というような感じでバッファを持たせておいている。

その前の週までは、遠方出張とかイベント登壇とか、営業先との割りと大事な回とか、なかなかこう急に代打というわけにはいかない予定が目白押しなのだが、予定日の週に期待した通りに産まれるという保証はどこにもないわけで…夫婦揃ってお腹に向かって「君の誕生日は22日だよー」なんて語りかけたりしている笑

話は変わるが、先日、医師の先生と仕事のミーティングをしているときに、「実家出産の場合のオットの所在のなさ」について話題になった。その先生も実家出産で、僕よりも遠方ながら週に一回は顔を出していたということだが、たまに顔を出しても実は大してオットにはやることがないのだ。特に産休中は。

ましてやツマの実家なので、微妙に気を遣う(笑)夜遅くに到着して、ご飯やお風呂までお世話になって、でも別にやることもないし…と、なかなか恐縮してしまうのだ。

仕事でもなんでもそうだが、やはり一定の時間、ある程度の反復継続性のある作業を積み重ねてみないとなかなか一単位時間あたりの仕事の生産性というのは上がりにくいもので、どうしてもオットの戦力値というのは低く留まりがちだ。しかも、ツマの側には、ツマの母上という、「すでに経験した人」がいるわけで。

でも、やることが少ない、役に立たないからといって顔を出す頻度を下げればますます子育てへの関与度・戦力値は下がっていく一方だし、コミットメントしていないことへの負い目はより大きくなる…

こういう、オットの側の悩みというのは、なかなかメディアには出てこないし、基本的にはやり玉に上げられdisられる側だから、自分たちからも声を上げにくい…そんな話を先生とした。

ところで、他人との付き合いであれば、こういう問題はほとんど発生しない。

友人関係であっても、お互い付き合い続けるのが負担だなとか、かけた時間に見合わないなと思えば自然と付き合いは遠のいていくし、サークルとかボランティア活動とかだって、「まぁお互い無理のない範囲で楽しくやろうや」というゆるさでもって運営されることが多いから、他が忙しい、かつ優先順位が低いなと思った人は顔を出さなくなるし、残っている側も無理に追ったりはしない。

仕事の場合だとそうはいかない場合もあるが、それでもリソースには限りがあるし、費用対効果の概念もあるわけだから、アウトプットを出すのにあまりにも時間がかかりそうな相手とのプロジェクトは、そもそも立ち上がらなかったり、いつの間にか立ち消えになったりするのが常だろう。

だけど、子育てはそうはいかない。「しんどいから」「忙しいから」で投げ出してしまえば生きていけない存在がすぐそこにいるのだから。

結婚とか家族とか家庭とか、好き嫌いや損得だけで簡単にフェードアウトできない縛りを設けることは、実は思った以上に重要なのかもしれない。

絆-きずなは、'ほだし'とも読む。歓びや幸せは、面倒臭さの裏側にあるのだろう。

眠気まなこをこすり、早く切り上げようと思いつつ残ってしまった仕事を抱えながら、今週もツマの実家に顔を出している。

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#15「ツマと、夕食: オットの三十路祝いでケーキ」2017/12/3

December 3, 2017 Yuhei Suzuki

ツマは高尾のご実家で産休中。オットは週2ぐらいでお邪魔してご家族と一緒にご飯いただくという生活を始めて1ヶ月ぐらい経ちましたが、仕事終わりに夜遅くなりがちで、この夫婦お絵かき日記も更新途絶えておりました。

今日はオットの方が誕生日でして、三十路を迎えまして、ケーキでお祝いしてもらいました。ほんで久しぶりにお絵かきしましょうかと。

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ツマ「ケーキはどれぐらい食べる?」

オット「んー、このぐらい…」

ツマ「イチゴひとつ分の幅ね」

オット「ちょっと太ったから…サーティーをアラウンドするたびに人間の代謝は落ちていくのだな。毎日一駅歩いてるけど忘年会シーズンで飲んで食ってしてたら焼け石に水だわ」

ツマ「でも、ケーキはさておき、今日は鍋だったからあんまりカロリー摂ってないよ。ヘルシー」

オット「そう、それで思ったんだけど、俺も家で一人鍋を食事の主軸に据えようかなと。料理簡単だし野菜取れるし腹膨れるしカロリー少ないし」

ツマ「白菜、ネギ、豆腐、水菜、キノコあたりは安いし、切ってぶち込めばいいだけだから調理簡単だし、続くんじゃない?」

オット「ちょっとがんばってみる」

ツマ「私も体重増えすぎてお医者さんに怒られてるから気をつけるwこないだも『ちょっと〜、増えたねぇ…ギリギリ〜』って言われた」

オット「ドンマイだ。ところであれ、もう臨月じゃないですか」

ツマ「はい」

オット「陣痛、10分間隔で続いたら電話して入院、みたいな両親学級で教わったフローチャート的なのあったじゃん。でも今後、予定日以前も本陣痛ではないけどお腹いたーいみたいなの発生するよね」

ツマ「そう、ニセの陣痛ってやつが起こるんですよ。正式には前駆陣痛と言います」

オット「陣痛来て入院したら俺連絡受けて会社から高尾に向かうじゃん。ニセの陣痛の時はどうすんの?何したらいいの?戦力になる?」

ツマ「何したらって、いやぁ〜、『だ、大丈夫か?』って気遣うとか?」

オット「大丈夫か?って言う。でもさー、『おなかいたーい』ってニセの陣痛のときLINEもらった時に、なんか僕忘年会とか出てたらすごいいたたまれない気持ちになりそう」

ツマ「別にやることないし、いいんじゃないの?w」

#15 「ツマと、夕食: オットの三十路祝いでケーキ」2017/10/31

本日の夕げ

・鍋(かに、ふぐ、牡蠣、などなど)

・お刺身(車海老、関アジ、貝、などなど)

・バースデーケーキ

上がオット作

下がツマ作

In essay Tags pair

オットは結局あまり戦力にならんのだからせめてポジティブでいようと思った話

November 23, 2017 Yuhei Suzuki

ツマは明日から臨月に入る。お腹の中の赤子もいよいよもって大きくなっております(体重、けっこうあるよ)。

「パパになるとか一体どういうことなんだ、わからん」っていう逡巡から始まって、これまで書いてきたのだけれど、最近は気持ちの面では変な不安はなくなってきた気がする。

別に大きく状況が変わったわけではない。

子どもが生まれてから自分や家族や暮らしがどうなっていくのか、相変わらずわからないことだらけであるし、そもそも母子ともに安全な状態で生まれてくる保証なんてどこにもない。

「わからない」ということ自体は何も変わっていないし、特に何か大きな発見や成長イベントがあったわけでもないのだけれど。

「まぁ、どうなったとしても、なんとかなるし、家族で助け合ってなんとかするんだきっと」 と、わからないことを前提に対処していくんだという意識になってきたのか、不思議と気持ちが落ち着いてきている。

相変わらず慌ただしく働きながら、うとうとしながら電車とバスを乗り継ぎ(たまに寝過ごす)、週に2回はツマのいる高尾に顔を出すという日々で、1週間があっという間に過ぎていく。実際の時間で測ったらツマやツマの家族と一緒に過ごして会話を交わす時間はほんのわずかでしかないのだけれど。

心はそこそこ穏やかで、なんだか不思議な、凪のような時間を過ごしている感じだ。

もしかするとこれは束の間の錯覚に過ぎなくて、12月に入れば怒涛のように日々が過ぎていき、振り返る間もなく「その日」を迎え、生まれたと思ったらまた右往左往のオロオロデイズが待ち受けているのかもしれない。

そうだとしても、今のこの鷹揚とした感覚は、なるべく忘れないようにしたい。

前回の記事でも書いたとおり、産休中のツマの方は、やはり不安やストレス、肉体的疲労等が伴ってのアップダウンがある。今後、予定日が近づくにつれてますます大きくなる可能性もあるだろう。

一方で、そういったツマのストレス源や負担を具体的に減らせるかという点では、オットは実戦力としてはほとんど役に立たない(ということがわかってきた)。

そうだとしたらなおさら、僕の役割はとにかく「前向きでいる」ということなのかもしれない。

もともとはどちらかというと僕の方がネガティブでアップダウンが激しい性格をしており、凹んではツマに慰められるというのが常だった。 今はツマが一番不安が大きいのだ。

こういう時には、「根拠のないポジティブさ」というのが大事なのだろうな。

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In essay Tags male-hus-dad-parent-andme

産休・育休時にオットがやるべきは「家事をがんばる」とかそういうことではなく

November 13, 2017 Yuhei Suzuki
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「産休・育休のひとつひとつのタスク自体はたぶん大したことなくって。それよりも、コミュニケーションの相手がものすごく限定されるのが大きいんだということを、わかっておいてほしい」

産休に入り、高尾の実家に帰ったツマとの「産休はなれ暮らし」が始まって2週間。

子どもが産まれてからは否が応でも慌ただしい生活が始まるのだから、今のうちにお互いが大事にしたいこと、お互いに求めることを整理して言葉にしておこうという提案をツマからもらい、①人としての生活の自立、②ツマ/オットとしての生活、③家族の一員としての生活、④ママ/パパとしての生活の4つの軸で、今出来ているから維持してほしいこと、これから出来るようになってほしいこと・気をつけてほしいことをお互いに書き出して交換した。

その時のやり取りの中でツマから言われたのが冒頭の言葉。

言われてみれば確かにそうだな、という話なのだけど、改めてそれを要望としてまっすぐに伝えられるまで、ことの重大さは自覚し切っていなかったと思う。

ツマの実家ぐらしが始まってから、週に2回はあちらに顔を出すということをしているのだけど、やはり仕事の関係もあり、夜遅くに着いてメシ食って泊まって早朝また出社…みたいな感じになってしまって、わたし自身がツマの「昼間の生活」と交わることはない。

時々、「ヒマー」とLINEが飛んでくるが、日中なかなかタイムリーにお返事をできることもないのが正直なところ。しかし、「ヒマだ」というツマの言葉は、けっこう馬鹿にならないシグナルだったのだ。

ツマが産休に入るとか実家に帰るとかいうのを、「出産に備えた休み」などと素朴に考えていると見落とすのが、これまで会社で働き、都内でさまざまな人と関わっていたツマの「人間関係のチャネルが急に限定される」ということ。

身体のなかの赤子のためにも健康に気をつけながら、犬の散歩をして、買い物やごはんの支度をして、その合間に母親と分担しながら祖母の介護をし…といった生活範囲の中では、基本的にツマの話し相手は家族しかいない。

時折やって来る友人やオット(わたし)は、ツマと外界を結ぶ数少ない"窓口"なのだ。

一方でわたしは、社内外で毎日色んな人と仕事をしたり出会ったりして、その上にプラスオンでツマやツマの実家ご家族との接点がある。前提が真逆なのだ。うっかりするとそれを忘れてしまう。

わたしたち男性は、ともすれば量的・物理的ソリューションというか、「産前産後や育児のあれやこれやのタスクを自分がどれだけ担えるか、それはツマに比して不十分ではないか」みたいな観点で頑張ろうとしたりするんだが、実タスクを何%担っているかなどといった”担当業務”の問題よりも、ツマとの他愛のないコミュニケーションの時間をどれだけ持てているのか?という方がよっぽど大事なのかもしれない。

ツマが産休に入る前は、「週3で顔出すよ!」などと豪語していたのだが、やはりそれなりに移動距離はあり、体力的にも、仕事の時間的にも、週2回で精一杯というのが実態である。でも、「疲れるから」といってこのラインを下回るようなことは絶対にするまい…とは決めている。

そんなに毎日ドラマチックなことばかり起こるわけではありませぬが、限られた時間だからこそ、わたしはツマに毎回いろんなおみやげ話を持って帰れるぐらいには一生懸命に昼間を過ごそうと思うのだ。

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海の向こうからのエール、「フィンランド・ベイビー・ボックス」とのご対面

November 5, 2017 Yuhei Suzuki

11月。 産休に入ったツマは実家で出産に備え、僕は一人暮らしをしながら、週に2回ほど顔を出すという日々が始まった(まだ1週目だけど)。

案の定、ツマがいなくなってから3日連続床で寝落ちするという極めて幸先の悪いスタート。赤子を迎え入れる前にもう少し人間らしい生活スタイルを身につける必要がある。

それはさておき、少し前に注文して、ツマの実家に届いていた「フィンランド・ベイビー・ボックス」と今日対面することができた。

こちら、フィンランドのパパ3人が起業して始めたサービスで、赤ちゃんが生まれてから1年に必要なグッズをひと箱に詰めたギフトボックスである。

https://www.finnishbabybox.com/ja/

開けてみるとこんな感じにほら。

赤ちゃんの寝間着、部屋着、外出着、スタイやお風呂・衛生用具、哺乳瓶にぬいぐるみetc. 赤ちゃんとの最初の1年を過ごす必需品がたっぷり。
(あとコンドームも入ってたw)

衣類は複数のサイズが入っているほか、注文時に「冬の一番寒い時期に赤ちゃんは何ヶ月ですか?」「冬の一番寒い時期はどのぐらいの寒さですか?」という質問に答えることで、赤ちゃんの発育具合や気候に合わせて、サイズ・暖かさがカスタマイズされて届くという優れもの。

さらに驚くべきは、これがそのままベビーベッドになるということ。

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マットレスに防水カバー、シーツに布団も完備。

あとはおむつやミルクなどの消耗品を中心に書い足す必要はあるけれど、このボックスひとつで、赤ちゃんをお家に迎え入れるための大半のグッズが揃うといっても過言ではない。

少し前に、パパとしての実感を高めようとツマと一緒に西松屋に行ったのだけど、情報量の多さに圧倒されてオロオロしてしまった(笑)

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だっておむつだけでこれだけあるんだよw

もちろん、産まれてくる赤子を思い浮かべながら、ベビー用品をあれこれ物色して選ぶ時間も大切だと思うけど、このフィンランド・ベイビー・ボックスのように、「このひと箱でOK!」ってまとめてくれるととっても心強くて安心だよね…

そもそもこの宅配ボックスサービスがどうして産まれたのかというと、本国フィンランドでは、出産家庭への手当として、国からこのようなボックスがプレゼントされる仕組みになっているそうなのだ。

フィンランドでは、出産が近づくとKELA(フィンランド社会保険庁事務所)から両親に国からのプレゼントが渡される。これは母親支援の手当の一つで、現金支給か育児パッケージのどちらかから選ぶことができる。現金支給だと約140ユーロ、育児パッケージだとその倍以上の価値のある育児グッズがもらえることもあり、赤ちゃんを迎える家庭の3分の2が育児パッケージを選択するという。

もともとこの育児パッケージは、乳児死亡率の高かった1900年代始めに民間の母子支援活動から始まったもの。それは1937年に法制化され、母親手当の現物支給となり、当時あった所得制限も1949年には撤廃されている。今では地域の出産や子育ての支援センター「ネウボラ」や医療機関で妊娠健診を受診していれば、全員もらうことができるようになっている赤ちゃん歓迎の祝福のシンボルだそう。

「フィンランド政府の出産祝い 衣類やオムツ全員に」
日経DUAL, 2014/10/09
http://dual.nikkei.co.jp/article/034/52/

2013年にフィンランドのこの施策がBBCで紹介されると、世界中から購入希望があったという。だけど、フィンランド政府公式のボックスはフィンランドの人たちしか手にすることができないのだ。

そこで、このスターターキットの便利さや、出産・育児を祝い、応援してもらう喜びを世界中の人たちにも共有したいという思いを持つフィンランド人のパパ3人が起業、政府公式のボックスを踏襲したオリジナルパッケージでの「フィンランド・ベイビー・ボックス」を世界各地に販売・配送するサービスを立ち上げたのである。

モノとしての便利さ、かわいさもさることながら、こうやって、未来のパパ・ママを応援しようとしてくれる先輩たちが海外にもいるのだという事実が、出産前の不安な僕たちと勇気づけてくれる。

「苦労は買ってでもしろ」なんてことわざがある。

実際、子育てにしろなんにしろ、自分で汗かき試行錯誤するなかで人は成長するのだろう。

だけど、やっぱり子育ては不安で心配だし、いくら準備しても、どれだけセンスのある人でも、きっと苦労は絶えることがないのだから、ほんの少しの工夫で子育てが「楽」になるなら、それは積極的に使っていったらいいし、そのためのアイデアや取り組みはもっと広がっていけば良いと思う。

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きっと誰もが、「ヨチヨチ父」

October 31, 2017 Yuhei Suzuki
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「買ってきたよー」とツマに手渡された一冊。

ヨシタケシンスケ著『ヨチヨチ父−とまどう日々−』を読んだ。

ヨシタケシンスケ氏は、『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)をはじめ、子どもの目線で日常の何気ない一コマを描く絵本作家・イラストレーターである。

僕のツマをはじめ、発達心理や児童福祉、教育等々の界隈で働く人にファンが多く、僕も布教されるがままに4, 5冊読んだのだが、ユーモラスなお話づくりがなかなかクセになるのだ。

本作は、そんなヨシタケシンスケ氏自身が父親になって、はじめての育児を体験したとき、つまり"ヨチヨチ父"の日々を振り返って描いた、"父親目線"での育児エッセイだ。

僕を含め、子どもが産まれるまえからオロオロしているプレパパや、今現在ツマにやいのやいのと言われながら奮闘中の現役ヨチヨチ父にとっては、この上なく貴重な「味方」になるだろうと思う笑

「ホラ!ジャーン!母子手帳。」

「…『パパ手帳』はなくていいの…?」

おそらく母子手帳をもらったばかりの(プレ)ママと、それを見せびらかされてうろたえる(プレ)パパの絵が表紙裏のそでに描かれている。

もう、この表情に、世の男性の育児に対する不安が凝縮されているといっても過言ではない笑

教科書とかマニュアルとか手帳とか試験とか資格とか…学習プロセスで「形あるもの」に依拠したがるのはどちらかというと男性に多いように思うけど、育児の場合はそれがほとんどない(両親学級で配られるパンフレットぐらい?)。その上、徐々にお腹が大きくなってそして苦しみながら我が子を産み落とす…という「体験学習」の機会もない。

「え?俺?パパになるの?大丈夫?どうやってなるの?何を終えたらパパ認定なの?」と、所在のなさを抱えたまま出産の日を迎える。

そして、本書冒頭の漫画で戯画的に描かれているような、「頼りないお父さん」が赤ちゃんと一緒に誕生するのである笑

そこから先もヨチヨチ父さんに待ち構えているのは試練の連続である。

赤ちゃんの抱っこ、沐浴、おむつ替え、それから爪切り…日常の赤ちゃんケアあれこれはもちろんのこと、ぎこちない。 そしてそのおぼつかなさを見かねたママに叱られる…w

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と、こんな感じで新人パパが直面するあらゆる試練がコミカルに描かれていて、もうこれは読んでてまったく他人事じゃないw

ただ、この本の素敵なところは、とことん自虐的に描きつつも、ヨチヨチの日常のなかにささやかな幸せが指し示されているところである。

泣き出した赤ちゃんをあやしながらお店の外に出るパパの背中は、"他の誰かをホッとさせ、楽しませ、勇気づけている"のかもしれない、という話とか 親になるということは、「強さ」や「弱さ」でははかることのできない「新しい何か」を手に入れること、だとか

随所にグッとくるエピソードがあって勇気づけられる。

読めば読むほど、ヨチヨチ苦難の日々は避け得ない気がするし、平坦な道のりのはずはないんだけれど、でもなんだか、ちょっとだけ、「その日」が楽しみになってくる。なんとかがんばれそうかな、って気持ちになる。

そんな本です。

*

「いやー読んだけどこれ、ここに書かれているヨチヨチ父エピソード全部そのままなぞる気しかしない。二足歩行出来る気がしない」

読み終わった後、こう言ったら、

「うーん、そうだね。でもね、私この本読んで、あなたがヨチヨチ父なように、きっと私もヨチヨチ母をやるんだと思ったよ」 と、ツマ。

きっとツマも不安なのだろうなと思う(当然だが)。

二人でヨチヨチ、歩いていこう。

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#14「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

October 31, 2017 Yuhei Suzuki

そわそわ

そわそわ…

そわそわそわそわ…

ツマ「めっちゃそわそわしてるw」

オット「だってほら、おつるが来てる。我が家に。これは現実?」

ツマ「現実だよ」

オット「よ、ようこそ!」

おつる「苦笑」

*

10月最終日、明日からツマは産休に入って実家に帰るので、お家で一緒にごはんを食べようと、会社で締め作業を必死こいてやって(終わらなかった)から帰ったら、今日は来客ありとのこと。

ツマの会社のお友達、おつる(かわいい)が遊びに来てくれました。

3人でごはん食べました。

オットそわそわして完全に怪しい人。

おもむろにお茶を注ぐなど

ツマ「こいつ普段より気が利く」

あとはなんか、りんごは塩水に通すと保存がきくという、産休前のツマから豆知識インプットを受けたり、NASAが新しい星を発見したという宇宙ニュースで盛り上がったり(おつるは宇宙が好き)、三軒茶屋に住みたいという上京ガールを応援したりしてました。あとケーキを食べるなどしましたまる

(そわそわしてライティング力が小学生の夏の絵日記レベルに下がった) 

明日からツマ産休なので、オットがんばる。

#14 「ツマと、おつる: 産休前夜のサプライズゲストでオットそわそわ」2017/10/31

本日の夕げ

・チキンのハニーマスタード焼き

・野菜たっぷりスープ

・アボカドサラダ

・ごはん

(あとデザートにりんごのミルフィーユ)

上がオット作

右下がツマ作

左下がおつる作

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#13「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

October 30, 2017 Guest User
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オット「はい、というわけで、1周年かんぱーい」

ツマ「やっぱねぇ、色々見てきたけど八芳園のスタッフさんたちすごいと思う」

オット「『TEAM FOR WEDDING 〜仕事はソロよりオーケストラ〜』だかんね」

ツマ「オーケストラもそうなんだけど、一人ひとりソロも上手いからねあの人たち。気配りがすごいんだ」

オット「ね。ちょっと働いてみたいかも」

ツマ「ホールはあなた、情報量多すぎて絶対対応できないと思う」

オット「せ、せやな」

*

そんなこんなで今日は白金台にある結婚式場「八芳園」が運営する「アニバーサリーガーデン」にて。結婚式からちょうど1年、無料ディナーご招待というアフターサービスを享受してきたわけ。

形式張ったウェディングが嫌で、色々持ち込み手作りオーダーメイドの無茶な相談をしたんだけどそれもぜーんぶ予算内で完璧に応えてくださって、披露宴当日も超楽しかったしスタッフさんのエスコートが神すぎたので、以来夫婦ともに八芳園ファンになっているのであります。

(とかいいながら1年ぶりに来たけど)

*

ツマ「いやー1年とかあっという間だね」

オット「来年もこのサービスあるのか知らんけど、1年後は赤子連れてきとるぞこれ。驚愕」

ツマ「そういえばなんかさ、一升餅とかお食い初めの鯛とか、日本の赤子向けの記念風習って、やたらとデカイもの出すよね。赤子、絶対食えないし」

オット「あれじゃない、人としての器を大きくするとか、獅子は千尋の谷に突き落とすとか、そういう系のこう、物量で圧倒する子育てスタイルちゃう。そういうの発達心理学的にどうですか奥さん」

ツマ「いやいや発達心理学的には全然ダメよそれ。かのヴィゴツキー大先生は"発達の最近接領域"って言うてまして」

オット「またなんか高度なやつ出てきた。こないだはコルトハーヘン先生だったのに今日また新しい人出てきた」

ツマ「要はあれよ、自分の身の丈よりちょっとだけ難しくって、助けがあればできるっていう経験がその子の出来ることを伸ばすっちゅーこっちゃ。タイなんか大きすぎますわ」

オット「なんで関西弁になってるか知らへんけど、私が最近地道なプレパパトレーニングを受けてるのとおんなじやね」

ツマ「そゆことそゆこと」

#13 「ツマと、一周年: 八芳園は素敵な式場ですよ」2017/10/30

今日はお絵かきお休みして写真をホイッとな。美味であった。

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「育休取るの?」の質問に、YESで即答したいところだが、現実なかなか難しい

October 23, 2017 Yuhei Suzuki

夏頃にツマの妊娠も職場等々に公表され、その後日に日にツマの腹が大きくなるにつれ、オットである僕に対しての、ツマから、また周囲からの「育休取るの?」の質問頻度はじわりじわりと上がってくる。

「うーんそうだよねぇ、取れるなら取った方がいいよなぁやっぱり。うーん難しいだろうけど考えてみようかなぁ、取った人はみんな『取って良かった』って言うしなぁ」

こういう煮え切らない返答をしているのは決して「取りたくない」からではない。どっちかっていうとあれだ、「取れるなら取りたいし、取るべきだよなぁ」と思っているからこそ、現実と板挟みになって辛い、みたいなそういうやつです。

いや、僕も今のご時世、「男は仕事、女は家庭」みたいな旧時代的家父長主義が良いなんてさらさら思ってもいないし、「24時間働けますか」みたいなブラック社畜企業戦士になりたいとも思っていないし、どちらかというとリベラルっていうか、男の育児参加とかイクメンとかわざわざ取り上げるでもなく当然夫婦協力してやっていくべきだよねって思っていますけど。

けど、今の仕事の状況と出産のタイミングなどもろもろ具体的な現実として立ち上がった「自分の人生」をベースに考えてみると、これがなかなかどうして難しい。ですよ、ほんとに。

うちの場合、子どもは年末に生まれ予定なのだけど、年末年始はツマの実家にお世話になるので、その後2月ぐらいから夫婦でもともと住んでいる家にツマも赤子も戻ってきて3人で暮らす…みたいなスケジュール感でいる。

育休を取るとしたら、こっちに戻ってきた2-3月の間が一番いいよねぇ、という見通しなのだが、ちょっと今自分が担当している事業部の仕事の状況や自分の役割、年度末の繁忙見通しからすると、とてもじゃないけど自分が2-3月に抜けるのは厳しいなぁというのが正直なところ。

企業に務めていて、20代後半〜30代ぐらいの上にも下にも人がいる、みたいなミドルマネージャーのポジションって、なかなかこう、短期的には業務調整や引き継ぎが難しいところもある。

安定期に入る妊娠5ヶ月頃に公表して、そこから出産まで約半年。とにかく前から固い意思を持っていて、公表直後から半年後目指して会社にも宣言して全力で運用引き継ぎにコミットすればできなくもないだろうけど、僕みたいに、「決めかねている」ステータスの人にとって、いきなり決断して短期決戦で育休移行、というのは相当な綱渡りである。

できる・できないで言えば、「できる」なのは原理原則論としてはわかる。決めの問題というか、権利としては会社も妨げるはずがないので、残された人がざわめこうが負担かぶろうが知ったことがない、と強い意思で育休取れば、そりゃあ取れるにきまっている。

でも…優先順位や可能・不可能で割り切れないことって、ある。

「究極、そりゃ取ろうと強く決意すれば取れなくもないよな。周囲にしわ寄せはいくけど…」

「仕事も今すごく忙しいけどやりがいあるんだよな。でも育児をないがしろにしたいってわけでは決してないんだよ…」

「子どもがどんどん成長していく幼児期の時間は二度と戻ってこない、というのはわかる。でも、誰だって、自分だって同僚だって部下だって、二度と戻ってこない毎日を生きている…」

「いやいや、子どもにとって父親に代わりはいないんだ、仕事の時間やお金とかより優先したほうが良いよ、という意見もわかる。自分の決断次第だよな。いやでもその決断で職場にはどんな影響があってそれをどうマネージするのか…」

的な堂々巡りというか、ダブルバインドというか、とにかく毎日そんなことを考えている。

別に超政治意識高いわけでもなく、まぁでも時代の流れとしても世代感覚としても当然だよね…というぐらいにはリベラル的価値観を前提としてしまっているフツーの中道左派、的な働き盛りの男性って、多分僕以外にもそれなりの数がいて、べき論としても、自分の気持ちとしても、育児になるべく多くの時間を割くべき、割きたいと思っている。思っているからこそ苦しむ。

そういうジレンマは、あるんじゃないかな、と思う。

そうはいっても時計の針は進むし、一寸先は年末だ。

僕が意思決定をしようとしまいと、育休を取ろうと取るまいと、ツマはお腹を痛め、赤子は世に生まれいづるのだ。

今のところ、我が家のオプションとしては、①取るなら2-3月、②取らないなら取らないでいいけど早く帰ってくる、という感じで、現状8割方②で頑張るかな、という感じ。

最近は②に加えての追加オプションとして、「育休は生まれた直後じゃなくて、妻の職場復帰前後の2ヶ月で取るのも良いタイミングだよ」という助言ももらっている(なるほどなぁ)。

いずれにしたって、限られた時間、僕がどう逡巡するかというより、具体的にどのような動きを取ってツマと赤子を支えられるかということだけが重要なので、まぁそろそろ決めんとなぁ、と思っている。

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#12「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

October 19, 2017 Yuhei Suzuki
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オット「てか今日寒くない?」

ツマ「だから寒いって言ったじゃん朝w昨日より寒いよって言ったのに昨日より薄着で出るから」

オット「なんか大丈夫な気がしたんだよ朝は…しかしもうだめだ、いよいよもって夏は終わったのだ」

ツマ「とっくに終わってるよ。女子がダッフルコート着る夏なんかないよ」

オット「そして近づくツマの産休里帰り。俺ちゃんと生活できるかな」

ツマ「ちょっともう私はリモートであなたの面倒見る余裕ないんでがんばってくださいw」

オット「いやでも最近は改善の兆しが出てるし大丈夫な気がするのよ。あんまり床で寝なくなったし、電気も消すようになったし」

ツマ「いやそれ私途中で声かけてるからな」

オット「え」

ツマ「え、じゃない」

オット「Pありで○ってとこか…」

※療育等の業界用語で、ターゲット行動に関して、他者の声かけなどの補助(プロンプト: P)ありで実施できたかどうかを示す時に言います

ツマ「いや○でもねーよ、起こしても聞かないことあるから」

オット「Pありで△…」

ツマ「それ出来てないってことね」

オット「はい」

ツマ「まぁ睡眠も大事だけど、心配なのは洗濯ね」

オット「2人暮らしのときより洗濯機のドラムが埋まるスピード遅いから絶対に油断する」

ツマ「気がついたらパンツが無いみたいなことなるよ」

オット「Gカレに定期で予定入れよう」

ツマ「パンツの総量マイナス3ぐらいの日にちでリマインダーかかるようにしとこうな」

オット「賢明」

ツマ「今パンツ何枚あるの」

オット「わからん」

#12 「ツマと、夕食: 一寸先は産休」2017/10/19

本日の夕げ

・はんぺんと鶏肉のナゲット

・ゴーヤの唐揚げ

・さつまいもと大根の煮物

・雑穀ごはん

・豚汁

上がオット作

下がツマ作

ちょっと俺うまくなったんちゃう?

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いくら「経過は順調ですね」と言われたからとて、私たち、何に安心できるというのか

October 14, 2017 Yuhei Suzuki

「別に何もなくたって妊婦は自然に涙が出たりするんだから」

寝床でほろりと涙を流したツマに、「どうしたの」と聞いたらそう答えた。

「見通しが立たないもの」

ポツリとつぶやくツマを見てハッとした。

そりゃあそうだ。買い物だの健診だの仕事や生活の話し合いだの貯金のことだの、なんやかんやと「準備」を進めたからとて、我が子がこのまま無事に産まれてくる100%の保証なんて、ない。

「経過は順調ですね」なんて言われながら、ツマのお腹は順調に大きくなっていく。安定期に入ってから特段体調を崩す様子もなく、来月産休に入るとは思えない感じで今まで通りにバリバリ働いている(もちろん業務整理は進めているようだが)。

だからといって、それはイコール、このまま順調に、子どもが産まれてくることに確証を与えない。

ツマの身体に異変が起こって、母子の健康に危機が迫る事態がいつ起こるとも知れない。12月22日が予定日と言われて、まぁ前後しても1週間ぐらいかななんて安心していたら、11月のうちに超未熟児で早産…なんてことが起こらないとも限らない。

「見通しが立たないもの」

そりゃあそうだ。産前産後の暮らしやお金のことについて、いくら万全の予測と準備をしたところで、それは生命が産まれるということの、周辺も周辺、外堀に過ぎないのであって、「準備」の足し算が100%を作ることなんて決してない。

僕はというと、両親学級に参加したり、赤ちゃんの名前事典を買ってみたり、西松屋でベビー商品のラインナップに圧倒されたり、ツマに陣痛が来たときにどう動くかを打ち合わせてみたりしながら、なんとなくツマと子どものことを考えている気になりつつも、とはいえ大して実際的に役に立てることもなく、そんな浮き足立った日々をこうしてnoteで開陳しながら、なんとなく人生が進捗していき、「年末には産まれるのかぁ、パパになるのかぁ」などとお気楽ぼんやりにつぶやいているばかりだった。

やるべき「準備」をto doにして洗い出して、それを「期日」=出産予定日までにこなしておけば、あとは分娩台でいきむツマを応援していれば自動的に子どもが産まれるだなんて思ってはいなかったか。お気楽の極みである。

気丈でしっかりもののツマは、僕がいくらオロオロしようといつも通りの落ち着きぶりで、むしろ産休中に実家に帰ってからの僕の生活を心配するぐらいの余裕を見せていた。 (加えて言うと、最近仕事の方でなかなか苦しい状況が続いていて、どちらかというと僕の方が悩み鬱々とする体たらくで、むしろここ1ヶ月ぐらいは、ツマの方が僕をずいぶんと気にかけてサポートしてくれていたように思う)

起きているとき、ツマはいつだって明るい。それは彼女の胸のうちに不安が無いということを決して意味しない。

当たり前のことである。

そして僕は、そんな「当たり前」のことについて、偶然彼女の涙を目にするまで気がつきはしなかったのだ。

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