29 引っ越し

 引っ越しの前日は雨だった。

 借りていた市民農園を解約し、最後に畑へ行ったら、馬鹿でかく成長したお化けゴーヤが2本なっていた。畑に置いていた移植ごて等を入れるボックスを畑から撤収するとき、蓋を開けると見たことのない多さのアリの群れがいた。無数の黒い点が予想のつかない動きをしてひとときたりとも止まらない。理由もなくぞわぞわと怖気が込み上げる。つい目を背けた。美しいものか醜いものかと二極で問われると、答えることがむずかしい。わたしの感じ方としては、美醜を超えて、「生きているうちに見られてよかった」と思うほど凄まじいものだった。

 結局、ポンプの水を流してアリを追い払い、ボックスをきれいにして撤収した。道具は一式、東京にも持ってきた。

 東京の家は古い集合住宅の1階で、寝室の窓を開けると、土がある。ここを「庭」と呼ぶことにする。ここを耕すのか、はたまたプランター栽培なのか、まだわからないけれど、ここで小さな「畑」を営む予定だ。せっかく家にあるので、できれば毎日、庭仕事をする時間を取りたい。

 書斎からはびわの木が見える。東京は自然が少ないなんて、一面的な見方に過ぎない。たしかに田舎ほど雄大な自然にアクセスするには少々移動が必要だけれど、案外まちの至るところに緑があって、大きな公園も整備されている。わたしの住む地域には、庭に植物を植えた家も多くある。何より、空はどこから見ても美しい。地元の市民農園の側にある農道から見た風景を胸に刻みながら、わたしはこれから東京で土に触れていく。

立岩先生のこと

立岩先生は自分でもたくさん書く人だったが、歴史を遡って書くべきことを書き記していくには到底一人では間に合わないこともよく分かっていたからからこそ、後進の教育と、数多の資料のアーカイブ(それは仕事を引き継ぐ誰かが現れたときの結節点・参照点となる)に力を入れてきたのだろう。

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24 病と畑

  畑はわたしにとって、生活を、わたし自身を、地に足をつける方へと向かわせるよすがであり、営みなのだ。わたしは土とともに生きていく。病に食い殺されないためにも、今年も畑を営んで、暮らしていく。

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絵画教室に行く

先生は大きな画台と二枚の画用紙、鉛筆、カッターナイフを持って私を席に促す。まずは鉛筆を削るところから始めるんですよ、と先生は言う。カッターナイフを使って先生の手で削られていく鉛筆を見つめる。

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