夫と私のよもやま話Vol.10

我ら夫婦には、独特なコミュニティ言語がある。コミュニティ言語とは、少数民族やとあるコミュニティ内で話される独自言語だ。我ら家族にはそれがある。

「ちぃこう」と「まるけ」が代表的なものだ。

ある朝夫が起き抜け直後、唐突に、「なんかね、さっき夢をみたんだけど、『かっぷちぃこう』なるものをおれとさとみんで売って歩く夢だったの!」と話しかけてきて、『かっぷちぃこう』とはどのようなものなのかについて夫婦で議論になり、甘いのかなぁ、どんな形をしているのかなぁ、いくらで売っているのかなぁとワアワア話した(子どもか)。それからしばらくかっぷちぃこうかっぷちぃこう言っていたものだが、それがいつのまにか語尾だけ取れた「ちぃこう」という語を我々は多用するようになった。「まるけ」に関して言えばもう自然発生的に生まれた語で、その語源を我々さえも知らない。

よもやまシリーズVol.1で「おはよう」を「おはち」と呼ぶと紹介したように、通常の意味とは少し語尾に変化を加えて会話をしがちだったのだが、「ちぃこう」の登場によりその熱はますます加速した。夫はただしという名前で、たーちゃんと基本的に呼ぶし、対外的にも「夫」ではなく「たーちゃん」と紹介することがままあるのだが、我々は実は家庭内で「たーちゃんちぃこう」と呼んだり(長い。笑)、略して「たちこ」と呼んだりしている。夫は語尾変化ナイズドされた会話に慣れているので、LINEの文面は「たちこおしごとおわち?」「わち!もちょい」とかで通じ合っている。「わち!」というのも最近の流行語で、夫が主に使う。私が「たちゃちこなにしてる?」とLINEすると、「わち!」という言葉がまず返ってくる。「わち!」に関しては昔は「わ!」だったのだが、いつのまにか夫がアレンジを加えて「わち!」になっているし、私もそれを自然に受け止めている。(ちなみに我々はリモートワーク・家作業をしているので同じ家の中にいるのだが、私の自室と夫の自室が遠いので、家でもLINEをする)。

「まるけ」に関して言えば、「ちぃこう」と併用されることが多い。「たーちゃんちぃこうまるけ」を略して「たちゃちこまるけ」と呼んだり(長い…笑)、「まるけ!まるけちぃこう!」と言いながら二人ではしゃいだりする。普段のコミュニケーションはこんな感じで(もっと発展的・応用的なものもある)普通の言語体系とは少し、いや結構ズレた言語体系を軸にしており、それが二人にとってとても居心地がいい。何より、子ども同士の戯れのようで楽しい。

側から見ると痛々しいバカップルのようだが、家庭内で使われる言語体系など人目を気にする必要がないので、好き勝手にやっている。とにかく、お互いが心地いいコミュニケーションを取れるのが一番いい。「ちぃこう」や「まるけ」のいいところは「何だかかわいい」ところにあると私は考える。私たち夫婦は何だかかわいいコミュニケーションが何より好きだし、それを注意する人もいない。普段がこんなコミュニケーションだからか、「ソト」「ヨソ」を意識して二人でコミュニケーションをしないといけないとき、我々は少し、というかかなりぎこちなくなる。

先日私の父が久々に私の家に遊びにきたときも、私が夫の実家に帰省して義実家で過ごしたときも、私たちは二人きりの時間のとき以外「ヨソイキ」の顔をしていた。夫も私もなんだかよそよそしい態度を取り、黙りがちだったり、「ヨソイキ」の顔をして、「普通の」コミュニケーションをとったりする。でも、私はそれが夫の「素の顔」ではないことを知っている。もちろん私も。多分私の父には、本当に仲良くやっているのかと多少心配されているのではないかとすら思う。それくらい、「ヨソイキ」の我らは普段二人きりのときの我々より距離がある。でも、本来の我々は「たちゃちこおしごとおつかれちぃこ!きょうもがんばちこね!」「わい!」「ごはんちぃこどする?」「まるけ!」とか、こっそり絶妙な仲良し共犯関係をやっているのだ。さすがにそんな言葉遣いで親や友人と接することはできない。

コミュニティ言語が導入されたのはごく自然な流れからだった。導入しよう!と提案して導入されたわけではない。いつのまにか「おはよう」が「おはち」になり習慣化したように、いつの間にか「そういうことになっていた」。でも、この独自言語体系が我々にもたらしてくれた恩恵は非常に大きい。我々は特に意味のない「ちぃこう」や「まるけ」を多用するが、その語に特に意味がない、という効果は実はとても大きいのだ。この「何だかかわいい」ことばたちが、我々のコミュニケーションを柔らかく円滑なものにしていることは言うまでもない。何だかかわいい言葉ばかり使っていると、些細なことで喧嘩するのが馬鹿馬鹿しくなってくるものだ。

お互いいい年をして本当に何を言っているんだかとこの文章を書きながら思ったが、それでも、夫婦関係を円滑にしてくれる、我々だけの「ちぃこう」や「まるけ」やその他様々の独自言語は、我々にとって、宝物なのだ。その記録を、二人だけの秘密にしていたが、せっかくなので閒にも残しておこうと思う。宝物とは普段は宝箱に隠しておきたいものだろうが、たまには人に見せびらかしたくなるときもあるのだろう。インターネットの小さな潮流の中に、こっそりと流しておくことにする。