レーモン・クノーの『文体練習』より その3 控え目に

わたくしたちは電車で移動しておりました。
まだ若く、落ち着いているとは言い切れないふたりの男女が、壁の掲示物について会話を交わし、それから親密そうに頭をコツンと当てました。
左前方には、熟年の紳士がいくぶんお疲れの様子でまどろんでいるのが見えました。

新宿駅に降り立つと妙齢の淑女が携帯機器を真剣な眼差しで覗きこんでおりました。

レーモン・クノーの『文体練習』より その2 複式記述

12月1日の月の初めの夜、20時過ぎの晩の頃、ぼくは東京都内を渋谷駅からぐるりと一周周回して周る山手線の、公共乗合車両電車に乗り込んで乗車した。満員というほどでもないそこそこ中程度の混み具合の人の密度で、後ろの背後から声がした。「つかまってなさい」と呼びかける声かけだった。一組の男女カップルでアベックの2人が、電車の車内の壁側面広告アドバタイゼーションを見て、バルタン星人がスペース宇宙隠密忍者だという話題で話していた。夫の男は体重が平均より軽いやせ型で平均より少し背の高い長身だった。厚手ウールのダブル前で腰丈の外套ピーコートに毛糸で出来た首巻き防寒具マフラーをしていた。妻の女はブラウンの茶髪で丸みを帯びて重さのあるボブヘアーの髪型をしていた。手にはアメリカ発ファーストフードチェーン店マクドナルドのコーヒーカップ容器を持っていた。女はまぶたを下方に下げて目をつぶり、そしてまぶたを上方に上げてまた目を開けた。男は女に頭の前頭部を三度コツンコツンコツンとぶつけて当てた。渋谷駅から二駅の代々木駅で一度車外の外に出て、すぐまた車両に乗り込み乗車した。左斜め前方の男は、太っているとも痩せているともつかない中肉中背で、四角く尖った角刈りの髪型のヘアースタイルであった。灰色グレーのやわらかい起毛仕上げの繊維素材フリースを着て背中で荷物を運ぶリュックを背負っていた。口元をモゴモゴ上下左右に動かし、直立して立ったまま眠そうにまどろんでいた。

新宿駅に着いて電車の車両から降りて下車した。反対側向かいの発着場ホームで千葉県千葉市中央区の千葉駅から、東京都千代田区の御茶ノ水駅を経由して同都三鷹市の三鷹駅までを各駅停車で結ぶ中央・総武緩行線を待った。40代から50代と思われる若くも年老いてもいない中年の女がタッチパネルで操作しインターネットフルブラウジングが可能な多機能携帯電話スマートフォンを一生懸命真面目に覗きこんで見ている。戦闘バトルが継戦中のようだ。新宿から三鷹を結ぶターミナル駅のひとつ中野で止まる列車に乗ってしまい、途中で車外に降ろされてしまった。

レーモン・クノーの『文体練習』より その1 メモ

山手線の車内、月曜の夜。中程度の混雑度合い。「つかまってなさい」という声。男女が一組。「バルタン星人だ」と女は言う。「宇宙忍者なんだって。知ってた?」男は言う。男はやせ型でやや背が高い。ピーコートにマフラー。女は茶髪のボブヘアー。手にマクドナルドのコーヒーカップ。女が目をつぶる。目を開ける。男が頭を三度当てる。代々木駅で一度外にでる。すぐまた乗り込む。左斜め前方に男。中肉中背の角刈り。グレーのフリースにリュック。口元をモゴモゴさせ、立ったまままどろむ。

新宿駅に着く。向かいのホームで中央線各駅停車を待つ。中年の女がスマートフォンを一生懸命覗きこんでいる。戦闘中。中野止まりの列車に乗ってしまい、途中で降ろされる。

Laugh it out / へらへらとはたらきたい

If you divide the whole system into tiny, tiny pieces, limit the target, it may be easy to run the race. But sometimes what you took away from your scope returns to you from an unexpected side. To see the forest, and make it sustainable as a whole, sometimes “working hard” may be a bad tactic. How difficult to be sincere to your mission and laugh it out at the same time.

現状維持は後退だ、とも言いまして、やはりある程度の張りを持った前進運動というのは必要なわけですが、結果の大小によらずがんばることそれ自体が美徳となったり、それが他者への静かな圧力に転化したり、果ては機能不全を個人に帰責したりようになればそれは本末転倒なわけです。

ため息飲み込む人が一人でも減るように働くのだ。仕事は楽するためにやるもんだ。自分がいなくなっても良いところまで持ってくのが仕事だ。

課題を限定して単線レールを敷けば、走って結果が出るゲームになるのだけど、視界から切り捨てたものの思わぬ逆襲を後から受けることになるのだよ。走りながらやわらかくあるということはいかに難しいか。

そういうわけでなるべくいつでもヘラヘラとはたらきたいとおもっている。

Take a breath under typhoon/ 一週間のあれこれ

Typhoon directly hits Tokyo today, and I stay in safe at home, cos Monday is off for my shift roster. Meetings for individual jobs has been switched to Skype. For me, this summer was rather like a typhoon, especially from August to September. And now, take one breath at last. Working as a teacher/researcher/writer, I realize again, what is important is to design a new context while understanding a complex network within which I and others interact. So I need to keep moderate tempo, not too fast, not too slow.

9/29(月)
日中は会社の全体研修であった。上期の取り組みと実績を発表して他拠点と優勝を競う的な。

結果はというと、優勝はできなかった。4位。悔しい。

演出含め、場は完全に持って行ったんだけど、勝てる評価に結びつく伝え方で落ち度。ぐう。

地域へのアプローチやご家庭とのコミュニケーションなど、他拠点から学ぶことが大いにあった。下期で。

夜、渋谷ヒカリエでmy Japan “Creative Summer Camp”の結果発表会見学へ。取材兼ねて。CMってな難しいね。良いものを良いと思ってそのまま伝えても他人にはほとんど刺さらない。

小布施に移住した友達とばったり会場で再会。今回の長野市のアテンドもしていたと、主催の人から聞いていたけど、当日来ているとは思わなんだ。嬉しかったなぁ。

9/30(火)

論文ひと通り書けた。ペン大ダックワース教授が提唱したGrit(https://sites.sas.upenn.edu/duckworth 日本語では「やりぬく力」とか訳される)とパーソナリティや仕事のパフォーマンスの関係を日本人対象に分析した研究。まだ粗いので細かいところ色々整えねば…

向こうの請求額ミス支払額が足りなかった大学院の学費、例のごとくまったく詳細説明なく支払いスケジュールを知らせてきた。散々送った質問や確認メールの返信も遅いし答えないし。もう慣れたが。

留学資金含め各種支払はスケジュールと額を工夫してるし、兼業分のお仕事増やしてどうにか月々のキャッシュフローは回るようになった。が、フリーの請負業だとそろそろ使える時間に限界あるし、自分がうまくチームとお金作ればもっと色々出来るのになというもどかしさもある。

別に贅沢もせんでええし幸せという何やらにも興味はないので、誰かとor誰かのために何かをしたいって時にすぐ動かせるだけの資源が欲しい。つくる。

半年以内には個人の仕事やお金の取ってき方はギアチェンジしてかなならんし、1〜2年以内には、何かしらの業態で自分の看板は立てんとなと思っている。今一緒に仕事している人たちとても好きなので、雇用・労働形態が変わっても、いやむしろより気持ちよくコラボできるように、立ち位置変えていきたい。

はたらけどはたらけどなんとやら

と、思ったら来月再来月追加のお仕事をもらった。助かる。

現代の家内制手工業。

10/1(水)
全体研修明けてのスタッフ全員集合。

気持ち、折れてない。むしろ、うにゅー、発奮。
次は勝つ。

おいしいものを食べたい。
カツオを食べに、ほんの少しだけ北上したい。
いや、そんなことよりはやくお祝いに行きたい。とどのつまり小名浜に行きたい。

10/2(木)
朝、論文の続き

統計処理からテーブルづくり、出来なくはないんだが明らかにムダな作業してるだろー自分って感覚あるときにガチ統計クラスタに聞くとパパっと鮮やかな手順を教えてくれるもんだから頼りになる。時たま「こっち側においで」と言われる。行かない。

とはいえだいぶRとは仲良くなった。

ほんとは夏目漱石とかよしもとばななを愛する文系青年のはずなんだけど、最近なぜだか数字ぶん回して味気ないセンテンス書いてる。

出社、退社、からの、出社

上司と面談。自分の性格や考えをよく理解して色々挑戦させてくれるからありがたい。やりたいことや感じた違和感はひとつひとつ仕事で形に変えていくのだ。

授業。褒めたり、一緒に遊んだり、ちょっと叱ったり。

10/3(金)
よう働いた。

「どもりはあともどりではない、前進だ」(武満徹)って、子どもたちに教えてあげたい。
言葉と伝え方を変えて、伝えたい。

楽しそうにしゃべって帰ってくれたな、今日。

10/4(土)
朝と昼休みに論文の手直しをした。あとちょっと。

出社。

色んな事情、色んな人生、ある。

やれることやるしかないが、やるせない。

阿佐ヶ谷で夜。美味しいと評判の餃子屋「豚八戒」は今日も満席だった。
入ったお店に日高見があったんで呑んだ。

何やってるのか一言では説明しづらいし、そろそろ、「お仕事リスト」をまとめてウェブに上げたほうが良さげ。

10/5(日)
雨の日は、街のテンポが遅くなるから、ちょっとだけさみしい、ちょっとだけやさしい。
ここのところ論文読んでばかりだったので、通勤電車で久しぶりによしもとばななを開いた。
仕事前にテンション下がる。これあかんやつや。

色々ある。
色々あるが、子どもたちの笑顔と優しさに癒やされた。
授業について。迷ったなら基本に立ち返る。目標と手立てを具体的に絞る。仮説を持って色々様子を見てみる。と、端緒が見えてくる。

いつの間にかすっかり、「先生」、やってるなぁ。笑える。

台風近づいてるのでササッと定時退社。明日は休校。

家に帰って論文の直しを上げた。あとは校正にかけて本提出。

iPadのにゃんこ大戦争とFF Record Keeperをだらだらとやった。

Summer is closing / おそろしいこと

While the rest of cicadas crying and buring their life, bell crickets already began singing at night. Gusty rain on Monday cooled down the temperature, saying “Here’s September.” And I got a little (just a little) cold. Without noticing, I had passed by August, and now take a breath, worrying about other things to do. It was a good summer. With my colleagues and kids coming to our class, I ran through the days. That indeed developed my competency, and hopefully, those kids may have made progresses.

Sometimes I feel awful, finding that I’m trapped by too linear, busy, and rosy ways of thinking.

口が上手くなっていくことにだけは本当に本当に本当に気をつけなきゃならないよ。

Tired off / こまったこまった

I had three days off during the “Bon” period, when the spirits of those who died come back to our society, and we living people come back to their home to cherish and appreciate their old families spirits. This year I haven’t been back to my home Kobe, without any specific reason (maybe I was just tired to do so), and have stayed in Tokyo. Other than meeting a few friends over lunch, coffee or drink, I’ve spent most of these three days by sleeping. Knowing that I have lots to study and write, I open books or my laptop but my tired brain and hands never work well. So at least I just write down my current sate like this diary.

盆休みの3日間はあっという間に過ぎた。特段何もせず、概ね寝て過ごした。まとまった文章を書く体力、書きながら考える体力が、激しく減衰していて困っている。私的な事柄を書き連ねることに関しては、別段止まっても世間様に迷惑がかからないのだが、記事だの書類だのの頼まれ仕事―「わたし」をほとんど介在させなくて良いタイプの書き物すら、書けなくなってしまった。困った。盛り込むべきトピックメモ書きする程度ならすぐ終わるのだが、そこからまとまった文章を編んでいくだけの力がどうにも湧いてこなくて、困った。カレンダーを見ながら、書くための時間を1週間のうちにそれなりに確保はする、そして机に向かう、のだが、筆が進まないまま無為に貴重な数時間が過ぎる。休みの間に済ませようと思っていたことはほとんど全くといって良いほど進まなかった。うーん。さすがに今週まとめないと、スケジュール的にまずいな、というのが。

どうにもこうにも力が出てこないので、こんな内容でもつらつらと書き記せば、他のことを書く滑り出しにでもなるだろうか、と期待して、ブログを開いた。

晩飯は、家の近くのてんやで天丼をかきこんだ。

Summer as usual, as the first / 苦虫と

After a humid rainy season, summer has come to Japan with buzzing cicadas. Though a little bit longer than their average life-length, still summer is short. Between bumps of beer mugs on the ground and bursts of fireworks across our metropolitan sky, thousands of kisses of lovers embrace ephemeral infinitude. Soon after that, arousal from the midsummer night’s dream comes to us. The peak and the end of summer sit next door to each other.

This year, my summer in Tokyo may be a little different one. Now I’m working for a private school which provide tailored curriculum for children with various educational and developmental needs. The beginning of summer vacation of school kids means the beginning of our busiest season, summer sessions with more classes than usual, from the morning to the night. At every one class, they surprise us teachers with unexpected changes and expressions. It’s just started. I’m in a rush time and rarely have time for inner reflection, but anyway I’m enjoying this new summer experience with children.

気がつけば7月が終わろうとしている。知らぬ間に梅雨も明けたらしい。先週の月曜日、もうすぐ海外へ発つ友人と麻布を歩いていて、その日今年初めてのセミのこえを聞いて夏の到来を知ったのだった。その後ほどなくして夏期講習が始まった。僕のような七面倒な人間がお子さんに勉強やらソーシャルスキルやらを教える「先生」をやっているだなどと想像もしながったが、ぐずぐずと内省をするヒマもなく現実は走りだし、気づかぬうちに我が身と心も順応し、なかなかな楽しさと緊張感を持って子どもたちと日々向き合っている。

授業って、ライブだから、難しい。やり直しも効かないし準備と予想が裏切られることもしばしばある。なに、そんなものおおよそ世の中全てのことがそうだろう、と言われそうだが、しかし変化の速さ、激しさという意味ではやはり大人よりも子どもの方が大きい。表面上うまくいっていたりその場その場の目標が達成できていたとしても、わからないことや反省することばかりである。

一週間のうち、残り2日の時間と身体と心の使い方も難しい。色々な機会と繋がりをもらって、挑戦させてもらっているものの、メリハリをつけきれないまま納期に追い回されている感覚もある。借金もあるし、まだ若いし、なんでも選り好みせずに受け取って打ち返していくつもりではいるが、どうもこのペースで個人ワークをやっているだけでは早晩頭打ちだろう。個人技だけでなくて、編集とかディレクションの力と役回りを持っていかないととは思う。そういうのは待っていないで作っていかないといけない。

「シャカイジン」という言葉は、社会の中に生きる人全般ではなくて大概は「給与所得者」だとか「企業務勤め人」の意味で使われる。規模と時間と多様性の面で、そうした立場に身を置いて初めて学ぶことも多くあり、一定の妥当性は認めるが、自分が呼ばれるにしても誰かを呼ぶにしても未だに苦虫の味がして仲良くなれない言葉である。

苦いものは身体に良いと聞くので黙って受け取ることにしている。

Be gritty

At office, our team had a dialogue to think and visualize what our team is pursuing for, children, families, local community, society and for each of ourselves. Though busy days continue, there’s no reason to forget our long term vision.

大きな会社で働くのは面白い。

目先の現実を直視しなければおまんまが食えない。遠くの理想を追わなければなんのためにやっているのかよく分からなくなる。これは別に会社組織に限ったことではないけれど、抱える人員が多ければ必然、前者が崩れた時に露頭に迷う人が増えるわけで。ごちゃごちゃ言わずに数字取ってきなさいよ、というのは一面正しい。組織が大きければ大きいほどこの締め付けは強くなりやすいから、その上で理想ー遠くの目標をどこまで追いかけられるかというのはけっこうエキサイティングな挑戦だと思う。

一方、短期の目標にとらわれない自由な「遊び」の時間で生まれたイマジネーションや出会いが思わぬ結果に繋がることもある。ただこれは何時間投入すればどれだけ結果が出る、というものでもなく、一見効率性とは対極にあるように見えるため、「遊び」の時間を堂々ととることに躊躇いを覚える人も少なくない。

しかし「遊び」から生まれたイノベーションが結果的に短期中期の業務効率改善やサービスの変革に繋がることもままある。

「腹をくくって」遊ぶ、というと肩に力が入ってて本末転倒だが(笑)、「開き直って」遊ぶ、というのが大事なのだ。

特に僕の場合は、ウロウロフラフラしながら新しいものや場所やアイデアや繋がりを見つけてくることが、他者やチームに貢献する上での重要な張りどころである。月々の個人目標の達成や、きちんとルーチン業務をやるというのは当然として。

One coin for one song. / 7月が来た。

When I was in New York City, I met with street performances everyday, indeed everyday whenever I left my room and went out to the town. Here now in Tokyo, though there are street musicians too, but less frequently I meet. The fewer prevalence, the less likely I meet such a song which I like. But today’s a good one.

When I crossed at the cross walk on a way from an office I worked today to Shibuya station, I met a street duo performing. One is a guy playing the guitar and singing melody lines, and the other guy for rap. Their song were far less noisy, but a comfortable, and somewhat groovy one. Though I don’t know which genre it is in, I felt it fit the mood of this crowded, chaotic but somewhat lovely town Shibuya. So I stopped for a few minutes and listened to their song.

When they finished the song with the rap guy calling for tips grooving on his rhyme, I opened my wallet and put my gratitude. It doesn’t matter whether it’s $1 bill or ¥100 coin I toss for the song I like. The guitar guy who looked like a Japanese said to me “Thank you,” and the other who looked like a man from abroad said “Arigato.”

6月が終わって7月が来た。鬱陶しい湿気と、度々降る豪雨、梅雨はもう少し続きそうだが、時期に夏が来る。じめじめとした東京であくせくした日々を過ごしていると、梅雨の無いNYがいささか懐かしくなることもあるが、とはいえやっぱり東京の夏は好きだ。別に張り切って海に行かなくとも、僕はビールと浴衣が日常の中にあればそれで幸せである。人がごった返す花火大会や縁日にわざわざ行かなくとも、祭りが終わって家路に着く人々を電車や交差点で眺めながら、夜の街を包む少しのさみしさを感じることができればそれで十分である。

6月はあっという間に過ぎた。人と口頭で話す時間、情報処理や事務的なメールの時間が多かったからか、日記を含め、ここで文章を全然書かないままに終わってしまった。仕事柄、話し言葉と身振りと即妙のアイデアを駆使してお子さんと向き合うため、書くこととはまた違ったコミュニケーションの筋肉は鍛えられているのだと思うが、そうは言っても、ずっとそれでは何も書けなくなってしまって、いざというときに困る。現にひとつ原稿を書きあぐねている。あまりうまくやろうとするとよくない。リハビリも兼ねてしばらくはまた日記をこまめにつけていくことにする。

写真をもっとちゃんとやろうと決めて、ランチの後に友人に練習に付き合ってもらった。代々木公園でポートレートを撮った。人物撮りと物撮りがもうちょっとうまくなると、ライター稼業をやる上でも役に立つだろう。週に1度は誰かを誘ってポートレートを撮っていくことにする。

Seeing others, seeing myself / 最近のこと

About two monthe are passing since I started my new job in Tokyo from April. Now I’m working at a private company which aims to expand each individual’s potential and open the door to education and job through their service, especially for those who have had barriers to education and job opportunities because of their disabilities, or developmental characteristics that have not been fit to the ‘standard’ systems in a current society. After a training session, I was placed at a education and learning devision, and now works at one of the private cram schools (‘juku’ in Japanese). Meeting children who comes there, I confirm the simple fact that each child passes different, unique process of development and learning, and any one of them never be ‘wrong’. Still just started, I’m highly motivated to support and boost their learning, and cultivate inclusive environment in society. And… also I look back the past events in my life, and think again my developmental characteristics and process. Though not so severe, I often feel, I’m unfit for a group, community, or society which I belong to, and struggle with that feeling. Sometimes I even feel, I’m a wrong person in society. But gradually, I understand myself better and better, and find ways to tune with the outside world. Seeing others, including children coming to the school, is seeing myself again and again.

新しい仕事を初めてもうすぐ2ヶ月になる。研修を終えて、これから本配属というところで、少しずつ新しい配属拠点に慣れているところ。お子さんの学びを応援する仕事である。うちに来るお子さんは、今の日本の学校システムのスタンダードに、あるいはそこで展開される教育手法やプロセスになかなか馴染めなかったりついていけなかったりと、悩みや生きづらさを抱える子が多い。それは狭義の、あるいは分かりやすい「障害」を抱えているといったことに限らない。うちは、一人ひとりの発達特性や、課題・悩みに合わせて、オーダーメイドで授業や教材を設計して指導にあたる。人によって視覚優位だったり聴覚優位だったり、座るのが苦手だったりめちゃめちゃ気分屋だったり、紙よりタブレットが良かったり、まぁとにかく色々なのだが、それでも火がつく瞬間、楽しんで集中できる時間、学びが進展するポイント、というのは一人ひとり、必ずある。

詳しいことを書き始めるとキリがないので、ここらにしておくが、そうしてお子さんと向き合っていると、必然、自分自身の発達特性も振り返ることになる。よくもまぁどうにか社会で暮らせていけてるものだなという思いと、過去の失敗・トラブル振り返っての情けなさと、半々。とはいえ少しずつ、着実に、自分の苦手な相手やコミュニケーション不全のパターンを理解して対応できるようになっている。

色々な人が、色々なことを言う。それぞれの人に、信念があり、その人なりに思いやりを持って言葉をかけてくれていると知っている。生き方とか、キャリアとか含めて、今すぐに応えられないことも多く申し訳ない思いもあるが、あまり外波に揺られすぎると頭が混乱してしまう。

今はたとえば、ちゃんと食べて寝るとか、朝座禅をするとか、トラブルや予想外のことがあったら深呼吸するとか、苦手なパターンや人と出会っても、一回一回分析してパターンを増やすとか、自分の状況をわかりやすく説明するとか、日々小さな結果を出すとか、自分のコンプレックスもちゃんとネタにして笑いに変えていくとか、とにかくそういうことをちゃんやって生きることを第一に考えている。

近づいた、重なったかと思ったらバチンと断絶することも、しばしばある。それは罪の意識なのか恥の意識なのか分からないけど、底の方にそれらの想い出が抜けない杭のように刺さっている。

どうしようもないけど、仕様がないなかでなんだかんだ生活は続く。

ま じ わ ら な い 人生、も、ある、あるいは、あった。たくさん。これからも、ある。それにうなづくことは、ぼくをまたすこしやわらかくする、であろう。

Commencement far away, but… / 100%の休日

“Hi Yuhei! How’s it going there ? I was wondering if you are attending graduation?”
“Working hard but enjoying anyway. Unfortunately I cannot attend the graduation.”
One of my friends at Columbia messaged me and asked. It’s May, graduation season for U.S. schools. I saw lots of photo on Facebook uploaded by friends at Columbia, wearing academic gown. My program was a three semester program and I finished all the course in December 2013. Those students like me who ended the program in winter, can also attend the commencement in May. But I had been back to Japan in March and have already started working.

“When are you coming here next?”
She also asked, cos I told her and friends, “I’ll be back someday” before I leave.
“Haha, it’s too early, I’ve just started my new job, so don’t know the future schedule…but hopefully within one or two year…!”

For now, New York is a little far away than when I was there, and too expensive for me to visit casually. But, though I missed the commencement, and how long days we are apart, I believe we’re still friends, and whenever we see again we can chat and drink together, same as we did last.

「予想がつかないから生活は面白いのですよね。」
3日、土曜日。夏かってぐらいの陽気。
田端の方のシェアハウス(最近はほとんど「実家」である)の友人が、昼からシャンパンを開けたくなるぐらいだとつぶやいていて、それに反応したら、Twitterじゃなくて隣にいたらこのまま樽シャンパンの店に飛び込んでいたねという返事がきて、だったら昨晩はそっちに泊まりにいけば良かったなと返した時に彼女が言った言葉。

確かにそうだと思って、イベントやランドマークに決め打ちで行かないラフさの楽さというものが生活であり、友達であるということなのだと、いやそれはここで文章にわざわざ書き起こすと野暮だし照れくさい気もするが、まぁそういうことだ。樽シャンパンへのダイブが実際に成立しようとしまいとそれはさして問題ではないのである。

その夜はシャンパンではなく日本酒をへべれけ呑んだ。別の友人数名と前から約束していたのだが、新宿のさけくらべという、4000円で日本酒&ビール飲み放題食事持ち込み自由のスペースで過ごした。旨い酒がたくさん揃っていてね。飲み比べをしたのですよ。えぇ、酔っ払いましたね。ちなみに僕は月始めにしてすでに通帳残高が底をつきかけているという高学歴ワーキングプアなので友人のお金を借りました。すまん、月末に初任給が入ったら返す!っつって。あと20日余り、がんばれ俺。

終わってから友人が行きつけのシャレオツなバーに連れて行ってくれて、これまたごちそうになってしまったわけで、色んな話をしたけど、漠然としか覚えてない。

4日、日曜日。この日も良い天気。
足立小台で合流して、会社の先輩の車に便乗していわきへ。まさか会社にいわき出身の人がいて、しかもいわきの友人と共通の知り合いだったとは。入社して1ヶ月が経って、その前のことから色々と話しながら北上。中日を狙ったのに渋滞につかまって、いわき小名浜に着いたのは4時。UDOK.で友達に会社の先輩を紹介してひとしきり話す。そのまま奥さんのご実家の新潟に向かっていった。運転あざっす。

友達夫婦の新居が完成したというので、そのお祝いをしたかったのもあって小名浜にまたふらりと遊びに来た。引っ越しを軽く手伝って、TOHOKの南部鉄器をお祝いに渡して、一緒に買物に行って、他の友人も順次合流し、みんなで宅飲み。友達夫婦の旦那さんの方が腕を振るってくれた。東北食べる通信で届いた小石浜のホタテがどえらい美味しくて、感動。これで毎月1980円なら安い。スーパーで買ったスズキやイカの刺し身も旨かった。

「乾杯は発泡酒で良いですか。うちはお金がないので」「右に同じく!」「左に同じく!」
僕を含めてお互い稼ぎが少ねぇ身分だけど、こんな毎度のやりとりがなんとも心地良い(この日はお祝いだったので、良い日本酒とワインも開けてもらったけど)。お金がなくとも旨くて楽しい食卓を僕たちは知っている。

友達夫婦の奥さんのお腹が少しずつ大きくなっているのを見ると、感慨深い。子どもを産むって、すごいなぁ。彼女、酒飲みなのだけど、しばらくノンアルコールしか飲めない。出産と授乳期が終わってお酒が呑めるようになったら、盛大にお祝いするぞぉ。

昔の恥ずかしい話やらなんやらひとしきり話しながらだんだんと酔っぱらい、眠くなり、そのままコテンと寝た。新居宿泊客第一号。

5日、月曜日。少し肌寒い朝。
東京で少し大きめの地震があったというので、居間でテレビをつけて観ていた。ずいぶん長い尺をとって特集しているなと思った。大事には至らなかったようだが、東京だからだろう。交代でシャワーを浴びながらだらだらと教育テレビやBSのドキュメンタリー番組を観ていた。僕と1日違いで新たに2人来客があるというので、友達の車に乗って一緒に迎えに行く。渋滞でバスがずいぶん遅れているという連絡で、その間にふたりで立ち食いそば屋に行った。ごちそうになった。旨い。余計なものが何一つない、小さな立ち食いそば屋。上海やNYの話を交えて、海外での文化適応とそのがんばりの話をした。仕事の話もした。

2人をピックアップして、少し一緒にドライブしながら自己紹介、僕は途中で降ろしてもらって別の友人宅へ。実家のガレージでBBQ。途中からすんごい土砂降り。昼過ぎから始めて、ちらほらと人が増えつつも、まったりしっぽりダラダラと、結局夜10時まで続き、9時間ぶっ通しで食って呑んでいた。完全にその場のノリなんだけど、フリースタイルを練習して次回小名浜に来た時に披露することになった。ヒップホップとかほとんど聞いたことなかったのだけど、うん、やってみよう。

友達の一人、別のお家に止まってこれまたコテンと寝た。古民家、猫が一匹いる。だいぶなついた。

6日、月曜日。この日も寒い。
起きたら服がものすごくBBQ臭いのが分かる。シャワーを浴びて、港まで歩いてさすいちで朝食を取る。赤鯛の煮付けが旨かった。そのまま平のいわき駅まで送ってもらって、夜明け市場で友達に挨拶をして、コーヒー一杯いただいてバスに乗り込んだ。帰りは渋滞もそこまでひどくなく、4時間弱で着いた。普段は3時間で着くが、まぁマシな方だろう。

先日結婚した、大学の同級生友達カップルから連絡。ふたりはそれぞれ浜松と山形勤務なのだけど、ちょうど東京にいるから、もしいるなら晩ごはん食べないか、と。二つ返事で「行く!」寒いのでちゃんこを食べよう、と、中野の角力へ。ちゃんこも串揚げも牛すじ煮込みも全部旨かった。大満足。山形の美味しいジュースを貰った。結婚祝い、また今度するから期待しててね。

この二人もそうだし、小名浜の二人もそうだし、夫婦という単位で一緒にいる「ふたり」と過ごす時間が好きだ。痴話喧嘩でもなんでもそのやり取りをみて、ふたりの空気を肌で感じている瞬間はなんとも言えない幸せな気持ちになる。

そういえば典型的な「観光旅行」というのをしたことがない。地図とガイドブックを調べて、行き先を白紙のゼロから自分で調べて検討して、航空券から宿から行程までしっかりプランニングしてっていうような類の。元来出不精のインドア派なのでガイドブックを入手する時点で越えられないハードルなのである。の割にはずいぶんと色んなところに出かけて行っているな、と最近自覚して、それはなぜかというと、会いたい人に会うためだ。

僕にとっては、田端だろうと小名浜だろうと、友達と遊びに行く時に距離は関係なくて。それはNYだろうとロンドンだろうと同じ気持ちだし、まだ行ったことないけど、カイロとかウガンダとか、土地のことは知らないけど人の顔が浮かぶなら、きっと僕はどこにだって行ける。思いたった時に地球の裏側にだって行けるぐらいのお金と時間の余裕を早く手に入れたいものだけど、そのために日々がんばって働くのだよ。

Surely I need… / 夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ

“Maintenance” doesn’t mean no-change. Keep changing, that only can balance your life.

After coming back to Japan, I’m still living on busy days, and have not yet completed preparation for a new life from 1st April, nor haven’t finished a few works I’m involved in. Yes, I know, life doesn’t change so easily, nor in a so simple way. Every transition is gradual process, so I need to manage my time by myself. While starting new job and life in new town (Asagaya), I need to meet finished writing and reporting, and meeting friends who welcome me back. Yes, it’s my fortunate, so many person take care of me, and give opportunities. It’s my responsibility to reply to them, and I hope to do so. Surely I need a little change.

Only one simple fact is, this is Spring. Cherry blossom and warm weather makes me happy.

午前は健康診断。中央線各停に乗って阿佐ヶ谷から大久保、新宿検診プラザへ。今日も人身事故があり、電車に遅れが出ているらしい。僕は、駅に着いた際にその遅れてきた電車に乗ったから、別に影響は受けていないのだけど。車内アナウンスを聞きながら、考えた。中央線はよく停まるが、その発生頻度と原因はどのように分布しているのだろう。つまり、電車が停まるようなアクシデントが起こるのはどの駅が多いのか、またその原因のうち、悲しいことに飛び込み自殺や転落事故による死亡・負傷がどれぐらいを占めるのか、線路上にちょっと人が入ってきたとかゴミが飛んできたとかいう、大事に至らないトラブルと比べてどれぐらい死傷事故が多いのか、それぞれのケースにおいて復旧に要する時間はどんなものなのか。そのオペレーションは。気になった。JR車内にはもちろんデータが蓄積されていることだろうと思うが、それは対外的に公表されているのか、インタビューすれば教えてもらえるものなのか。学問的にどのような調査研究があるか(実態調査か、予防・減少のための介入研究か)。都内のどこかで電車が停まるたび、その情報は瞬時にtwitterで流れてくるような時代にあって、なんなら乗客の立場としては「こんなときに人身事故かよ、急いでるのにふざけんなよ」と、余裕がなければそんな気持ちにもなる世の中に生きて、だけれどもその内実は何も知らない。亡くなった人の個人としての物語はおろか、それよりマクロな、統計上の数値、概観すら、実は知らないのだ。

もちろん日常生活でいちいち事故の詳細、たとえば死体が、どんな壊れ方をしたかなどという情報を全員に知らせていては、それはそれで社会がどんよりしたものになる。そんな懲罰的に耐えられる精神を持った人はほとんどいないだろう。だから日々の平板な「人身事故により運行に遅れが生じております」アナウンスも、社会のひとつの優しさである。

午後に田口ランディさんと村上光照師の対談イベントに行った。座禅とかみさまとほとけさま、というタイトル。ランディさんの新刊刊行記念とのこと。ランディさんを生で見るのは初めてだ。本がとても好きなのだ。想像していた以上に小さかった。それからランディさんと村上先生の笑顔はびっくりするほどかわいかった。

身の回りにスピリチアルだったりリリジャスなものに従事している人が多く、それ以外でもなんというか震災後のご縁は地方指向とかロハス・エコとか、狩猟と屠殺とか、食文化とか、ものづくりとか、舞踊とか、身体性重視な感じの人が多くて、自分もまぁなんだそっちの方向に向かっている気がしないでもないしとはいえ霊感はからきし無いしなんだけど、難しいのが僕はまだ「一抜けた」できないというか、やっぱり向上心とか反骨心とか悔しさとか寂しさとか欲とかそういう負の感情が自分を奮い立たせドライブしてくれている部分も非常に大きく、なんだ、若いんだ。要は。

だからこういう場にいて、時間を過ごすというのはいつも難しい。自分で選んで赴いているのだけど、どうも場違いな気がするし、自分にとってこういう類のものが必要なのかもまだ必要でないのかも微妙なところだ。

白金でちょっとだけ会って、桜のポストカードを渡した。
夕暮れどきの空の、白んだ光が好きだ。


うとうとしながら丸の内線で阿佐ヶ谷南駅に降りてそこから北上して帰宅する過程で横浜家系ラーメンの店があって以前から一度入ってみようかなという気になっていたのでこの際いいかと思い入って食べてみたら案の定もう僕の身体はとんこつラーメンがそんなに好きでないようでもちろん確かに美味しいのだけど単純にしんどくて最後までスープを飲みきれず「お残しは許しまへんで」の日本人的美徳を守ることもできずあーあとなって帰宅した。いつもより早い時間に帰宅した。色々やることがあるから進めようと思ったけど結局そのまま電気も消さずに朝まで寝てしまった。

それにしたって部屋が散らかっていて不可ない。家具もまだ揃っていないから本が床に平積みなのだ。

ちゃんとごはんをつくろう

Different scenery / ふたり、祝い、それからおうち

To attend my close friend’s wedding, I went to Yokohama, and on the way I looked over buildings in Tokyo from the train window. When I go through Nakameguro and Jiyuugaoka stations, I remembered that I had explained to those Japanese friends who traveled to NYC while I lived in Park Slope, Brooklyn, that Park Slope in NYC corresponds to or Jiyuugaoka or Nakameguro in Tokyo since they shared similar characteristics (quiet neighborhood, good café and restaurant, relatively higher-income residents). But, I’ve realized they are different cities. Though similar functions in the two metropolitan cities, everything is different: building, street, train, people, color in the sky… and then I again realized, I had left NYC and came back to Tokyo. Of course I don’t miss the past days. I don’t miss NYC. I don’t regret to come back to Japan. It’s not a question of which city I like better. In my life I’ve never ‘chosen’ places to live and work, I had just moved, stayed and enjoyed each time, and then moved again when I got the time. Well… so this description is nothing to do with my emotion. I just understand I’m back now, and I’ve found how I loved NYC.

「ブルックリンのパークスロープって、まぁ東京で例えれば中目黒とか自由が丘みたいなエリアでさ」なんて日本から遊びに来た友人に説明していたところの中目黒が、だけどやっぱり似ても似つかない街並みだということを見せつけられ、僕は電車に揺られそのまま横浜へ。午後からは友人カップルの結婚式、披露宴、二次会。かれこれもう7年ぐらいの付き合いになるのか、ふたりとは。

別に結婚でなくとも良いのだけど、2人の人間がパートナー関係にあって、そのどちらか一方とだけ友人なのは誰でも普通にあることだけど、カップルの両方とも知っていて、仲良しだというのはそんなに多くない。今回の2人はその数少ない友人カップルの1つで、なおかつ、2人のためなら自分にできることはなんでもしたいと思えるぐらい慕っていて大好きな、もっと数少ない2人組の1つである。

とても良い式だったのさ。

2人が添い遂げて、婚姻関係、家族関係に入るというのはとてもすごいことで、久しくそれがうまくいかないでいる僕には奇跡のように思える。とかいって、自分に引きつけて比べて考えるとどんどん自分のことばかり考えだしてしまうのは僕の悪いくせで、そうなるともう相手の話じゃなくなってしまうのだけど、今回は上述の通り数少ない僕の大好きな2人、2人として慕っている友人達の祝いの席なものだから、そんな小賢しいことを考える余地もないぐらい素直に嬉しく楽しく幸せな気持ちになった。

帰国が間に合って本当に良かった。

お祝いの品は何にしようか。

ところで2人が住んでいて、僕もしょっちゅう遊びに行き、しまいには昨年の夏、仕事での一時帰国中は居候させてもらっていた阿佐ヶ谷のシェアハウスがある。で、2人が結婚に伴い退去したので、僕が入居した。お客さんと居候を経て本住人である。このシェアハウスも、かれこれ6,7年続いているんじゃなかろうか。披露宴の席には、歴代住人とオーナーさん家族が集まっており、なんというかこう、会社や高校、大学、ご家族など他の枠でご出席の方々と並ぶぐらいの一大勢力をなしており、ここまでくると一族郎党と言って良いぐらいである。

2人が出て行って僕がちょこんと入ったわけだ。歴代住人とにもともと付き合いがあった人も多いけれど、なんだか今日は今までとちょっと違う心持ちになった。相変わらず未来は不透明の浮浪者気質で、阿佐ヶ谷にもいつまで住むか分からない。けれど、ともかくも、僕はこの町の市民として、この家の一員として、暮らすのだ。NYから帰ってきて、ここが次のホームなのだ。

そういえば僕は今まで住む場所や働く場所を、複数の選択肢の中から自ら「選んだ」ということがない。来たご縁を受け止めて、の繰り返しである(その意味では自ら意思決定しているけれど)。そうしたもんかな、とも思うが。

風は吹いたり止んだりする。

Any day, any time

“You’ve not been here long time.”
At Cafe Martin, beginning of March, He said to me.
“I’ve been crazy busy these days. I’ll leave NY next Monday.”
“Back to home?”
“Yes, Japan.”
“How do you like NYC?”
“I love it, I really enjoyed. I also like here.”
He never smiles as always, and pass me a cup of latte.

Yes, actually, I had been crazy busy during the last a few weeks of February and March before I went back to Japan. I had already finished my MPH course in December last year, but had stayed for 3 month more in NYC still. Working remotely for a research project on home care in Europe, I dedicated myself for the two events in early March to spread stories of my loving people in Tohoku. The first one was on 1st and 2nd March at J-LABO Brooklyn by J-COLLABO, “Kaleidoscoping Tohoku – 3 years after the disaster in 2011 –”. Second one was a symposium by Consortium for Japan Relief (CJR) “”

Cafe to cafe, meeting friend to friend, filled with love and caffein (and beer and wine at night).


Before opening the CJR symposium. After 3 years since the Tohoku disaster, now I have more and more precious friends working together for Tohoku, across generation, language, nationality, ethnicity, place, and profession. I didn’t expect that when I came to NY in Fall 2012. I was empowered and raised up by NYC and you, friends here.


The last jazz at subway station before my flight.


My friends held a farewell party at my apartment for me. Much of love, food, drink and live painting. Thanks.

At Cafe Martin, on 10th March, in the morning.
“What time is your flight today?”
He asked me, without smile, as always.
“1 pm from JFK”
I answered, though I didn’t expect he remembered the exact day of my flight, and even asked me the time.
“Thank you so much.”
I received a cup of latte and said.
“See you next time.”
He replied.

「なんだぁ、帰っちゃうんだ。悠平くんそのままNYいるもんだと思ってた」
「いやぁ、次の仕事が日本であって」
「NY離れるの寂しいんじゃないの?」
「や、大丈夫っす、またすぐ帰ってくるんで!」
「お、言ったなー」

この街はいつでも誰でも受け入れてくれるから、だからいいんだ。