After a humid rainy season, summer has come to Japan with buzzing cicadas. Though a little bit longer than their average life-length, still summer is short. Between bumps of beer mugs on the ground and bursts of fireworks across our metropolitan sky, thousands of kisses of lovers embrace ephemeral infinitude. Soon after that, arousal from the midsummer night’s dream comes to us. The peak and the end of summer sit next door to each other.
This year, my summer in Tokyo may be a little different one. Now I’m working for a private school which provide tailored curriculum for children with various educational and developmental needs. The beginning of summer vacation of school kids means the beginning of our busiest season, summer sessions with more classes than usual, from the morning to the night. At every one class, they surprise us teachers with unexpected changes and expressions. It’s just started. I’m in a rush time and rarely have time for inner reflection, but anyway I’m enjoying this new summer experience with children.
気がつけば7月が終わろうとしている。知らぬ間に梅雨も明けたらしい。先週の月曜日、もうすぐ海外へ発つ友人と麻布を歩いていて、その日今年初めてのセミのこえを聞いて夏の到来を知ったのだった。その後ほどなくして夏期講習が始まった。僕のような七面倒な人間がお子さんに勉強やらソーシャルスキルやらを教える「先生」をやっているだなどと想像もしながったが、ぐずぐずと内省をするヒマもなく現実は走りだし、気づかぬうちに我が身と心も順応し、なかなかな楽しさと緊張感を持って子どもたちと日々向き合っている。
授業って、ライブだから、難しい。やり直しも効かないし準備と予想が裏切られることもしばしばある。なに、そんなものおおよそ世の中全てのことがそうだろう、と言われそうだが、しかし変化の速さ、激しさという意味ではやはり大人よりも子どもの方が大きい。表面上うまくいっていたりその場その場の目標が達成できていたとしても、わからないことや反省することばかりである。
一週間のうち、残り2日の時間と身体と心の使い方も難しい。色々な機会と繋がりをもらって、挑戦させてもらっているものの、メリハリをつけきれないまま納期に追い回されている感覚もある。借金もあるし、まだ若いし、なんでも選り好みせずに受け取って打ち返していくつもりではいるが、どうもこのペースで個人ワークをやっているだけでは早晩頭打ちだろう。個人技だけでなくて、編集とかディレクションの力と役回りを持っていかないととは思う。そういうのは待っていないで作っていかないといけない。
「シャカイジン」という言葉は、社会の中に生きる人全般ではなくて大概は「給与所得者」だとか「企業務勤め人」の意味で使われる。規模と時間と多様性の面で、そうした立場に身を置いて初めて学ぶことも多くあり、一定の妥当性は認めるが、自分が呼ばれるにしても誰かを呼ぶにしても未だに苦虫の味がして仲良くなれない言葉である。
苦いものは身体に良いと聞くので黙って受け取ることにしている。