道チャイルドシートに乗ったムスメは、機嫌が悪くなって泣いたり、かと思えば泣きつかれて寝たりしていたが、だんだんと熱は下がってきたようで、一安心。
「1歳からのかっぱえびせん」という、幼児が食べられるタイプ(成分が違うのだろう)のかっぱえびせんをツマが開け、ムスメに渡したならばこれが大ハマリ。もっとくれーもっとくれーとばかりに貪り食っていた。今日は君のかっぱえびせん記念日。
うたた寝と目覚めを何度か繰り返しながら後部座席で過ごす。何か読むかなと思ってiPhoneでKindleを開いたら、昨年なにかの拍子にポチっていた漫画のうち、まだ読んでいないものがあったのに気づいたので、それを読む。
はるな檸檬『ダルちゃん』(全2巻)。普通のOLに"擬態"していたダルちゃんこと丸山成美の物語。
擬態して、周囲に求められる振る舞いをしていれば大丈夫なはずだった。会社の男。詩を教えてくれたサトウさん。経理のヒロセくん。そしてダルちゃん。
言葉は とめどなく溢れる
書いて、書いて、詩を書いて。恋をして。そしてやっぱり詩を書いて。
だけどね 私 書くことに決めたの私は 私のために 書くことに決めたの
読み終わったあとに目に浮かんだ涙は、幸いにして隣のツマもムスメも眠っていたのできっと僕だけが知っている。
なぜだか去年の秋のことを思い出した。もう冬のはじまりだったかもしれない。
「生きるのって難しいですね」
「そうだね。まぁでも、器用だったら悠平くんじゃないよね、きっと」
いよいよもって会社を辞めようという話をして、それでも色んなお話をしてもらって、やっぱりもう少しここに残ってがんばりたいなという気持ちが再び育ってきたころに、それでもどうして、やっぱりどうして、うまく表現できなくて気持ちが決壊して、三十路にもなって、本郷さんの前でさめざめと泣いた日のこと。
それが擬態なのかなんなのか、なにが本当でなにが誤魔化しなのかはわからないけれど、どうにか人の世の中で、人間として接地点を見つけたいと思って30年と、1年。
言葉が、詩がとめどなく溢れてくるなんて状態には、今の僕はまだなっていないのだけれど、書くことがどうあれ、続いている、続けられる、続けたいと思っているうちは、もう少しこの危ういバランスのなかで、家族がいて、会社があって、働いて、そして書いて…そういうことを続けていこうと思う。
東京に戻ってきて、そのまま病院へお見舞いに。
待ち合いスペースで待っている間、そこにやってきたおばあさんと、車椅子を押す看護スタッフの話を聞いていた。
「この季節は鮮やかな色の花が多いですね」
「元気だった頃は、ガーデニングしたり、花の絵を描いたり、色々やってたのよ」
「お家に戻ったら楽しみなことがいっぱいですね」
外の植え込みでまばらに咲いていたのは(たぶん)ツバキの花。二人の会話に横で聞きながら外を眺めていると、ほどなくしておばあちゃんがやってきて、新年のご挨拶。80以上も年の離れたムスメと、二人でニコニコしながら手を触れ合ったり、「ちょーだい」「どうぞ」を繰り返す。僕らも一緒に、ニコニコ笑う。
帰り道に神社で初詣。1年の無事を祈る。茅の輪くぐりもしたので、きっと穢れもとれたんじゃないかな。