アパートメント 第三話―4人の音

 「いやぁ…食ったな」
 「ほんと、もうお腹いっぱい。おいしかった」
 「おかげで楽しい時間になったわ。ありがとう」
 「こちらこそ楽しかったです。急に思いつきで持ち込んじゃって、すみません」
 
 薄い藍色の布団がかぶさった電気ごたつで温まる8本の足。今夜は少し寒い。机の上には大皿小皿、お椀にお鉢。中身はもう4人の胃袋におさまった後。
 かおりさんの管理人室は1階の一番奥にある。 通常の部屋より1室分広くなっていて、僕らはその居間にお邪魔している。 かおりさんの寝室はふすまで仕切られた隣の部屋。一緒にいるのは、ヤマザキさんとマリさん。ヤマザキさんは写真を撮っている。マリさんは絵を描いている。それが2人のいわゆる専業のお仕事なのかとか、フルネームはどんな漢字を書くのかとかは知らない。会うのは今日が初めて。それより先に、2人の作品をアパートメントのサイトで観た。
 つくったおかずをおすそ分けしようと管理人室に寄ったところ、せっかくだから誰か誘って一緒に食べましょうよと、かおりさんが他の住人に呼びかけて、たまたまつかまったのがこの2人。帰ってすでに料理に取りかかっていたマリさんがサラダを持ち寄り、かおりさんがその場で手早くオニオンスープをつくり、帰宅途中に連絡がついたヤマザキさんは近くのスーパーでビールとつまみをガサッと買ってきて、気づけば4人でこんなに食べられるかなという量になっていたのだけど、これが意外とすんなりたいらげてしまった。

 「メシだけでも大満足だが、せっかく買ってきたしつまみでも開けて、もう少し飲むか」
 ヤマザキさんが近所のスーパーの袋から、半額シールの貼られたタコわさパックやら枝豆パックやら、チーズ鱈やら堅あげポテトやらを取り出していく。
 「いいですね。じゃあ一回テーブル片付けましょう。洗い物しますよ」
 「そんな、気を遣わなくて良いわよ。料理まで持ってきてくれたのに」
 「や、なんか僕、洗い物好きなんですよね」
 
 食器を重ねて、手分けしてキッチンの流し台へ。よく住人が遊びに来るからか、棚には食器がざっと5,6人分揃っている。窓際には小さなサボテン。オレンジ色のスポンジに椰子の実洗剤をかけて何回か握り、泡立てる。
 誰かと一緒の食卓では、洗い物まで楽しいものに変化する。人数が増えた分だけかかる時間は増すけれど、そこで奏でられる音は毎回違っていて、一人の時には出逢えない。束ねたフォークがカチャカチャ言う音、シャーッと流れる蛇口の水、水切りラックにトトンとお皿を重ねる音。それらの合間に挿し込まれてくる少し遠くの会話を、聞くともなしに耳に入れるのが好き。手元の作業の進度、キッチンとリビングの距離、話題の盛り上がり具合、一人ひとりの声の大小、使った食器の材質、蛇口ヘッドの形状、そうしたいくつかの要素の組み合わせとタイミングで、届いてくる言葉が決まるのだけど、会話の全部は聞こえないし、聞こうとしない方が楽しい。みんなと一緒にいるんだなという実感と、自分なんかいなくても世の中は平気のへっちゃらだなという感覚が、両方一緒にやってきて、それはとてもいい感じ。 

 「おーい青年、そんなの後でいいから、お前も早くこっち来て飲め」

 食器を全部洗い終えて、ふきんで調理台を拭いているところ、ヤマザキさんからお呼びがかかった。洗い物の水でひんやりした手を、足と一緒にこたつ布団に突っ込んで座る。見るとすでにビールのロング缶の3本目が空いていた。かおりさんとマリさんはほんの少ししかお酒を飲まないようで、必然、このワカモノがお相伴にあずかることに。
 あ、まずいなぁ、この流れ。お酒、好きなんだけど強くはないから、あんまりハイペースで飲むとよくない。まぁとりあえず一杯、とヤマザキさん。言われるままに飲む。おぉ、いい飲みっぷりだな。あーあ、そんなこと言われちゃって、これ、どんどんいくパターンだ。今日みたいになまじ楽しい席だと、自分、調子乗っちゃうからよくない。よしよしいいぞ、もう一杯いけ。いやいや、やっぱり初対面ですし、あんまりハメ外しすぎるのも、なんかほら。
 
 
 「いやー、なんか楽しいっすね、今日…」
 「おう、そうだろうそうだろう」
 ものの30分でこれである。いや、自分気持ちよくなっちゃってるけど、ここ管理人室ですし、もう夜も遅いし、かおりさんとマリさん笑ってるし。そろそろ引き揚げ時ですよ、お兄さん。
 「ところで!」
 「おう、どうした」
 おいおい、ところで!じゃないよ。お前はいったい何を話し始めるつもりだ。酔うとすぐ芝居がかった動きを始めるからなぁもう。
 「ヤマザキさんの写真観ましたけど、僕、すごい好きです」
 「えっらい急に褒めてくるなー、お前」
 おっしゃる通り。気持ちが高まっちゃうと自分の好き勝手に話題を切り出すもんだから、不可ない。
 「僕、すごく思考が五月蝿いタイプで、アート作品観る時も色んなことゴチャゴチャ考えちゃってダメなんですけど、ヤマザキさんのあの、モノクロームの写真、目にした時にすうっと言葉が消えて静かになって、なんていうか、すごくいい時間でした」
 「思考が五月蝿い、か。確かに、こないだウェブの文章読んだが、ずいぶん小難しいこと考えてるやつだなと思ってたぞ」
 「あー、あれはほんとその、お恥ずかしい。思考ダダ漏れみたいな」
 「いや、あれはあれで面白いからそのまま続けろ」
 「えー、そんなぁ。とにかくそう、街とか人の、日常の断片を届けてくれるような作品が好きで。なんだか落ち着くんですよね。逆にこう、あんまり壮大過ぎる大河ドラマみたいなの、難しいです、ついてくのが。主人公が革命とか動乱の最中を駆け抜けるわけですけど、あぁこれ俺だったら絶対途中で撃たれて死んでるわーとか考えちゃって、映画館で周りのお客さんが感動してても、僕はちっとも泣けないわけですよ、感情移入できなくて。『ああ、無情』ってか、『俺、非情』みたいな」
 我ながら何を口走っているのか、本当に始末に負えない。かおりさん、すげー笑ってるし。

 「なんだお前、最初ずいぶんおとなしいやつだと思ったが、けっこうしゃべれるじゃないか」
 「ね、ほんとに。私も今日でずいぶん印象変わったわ」
 「いや、ほんとすみません。飲み過ぎると調子に乗るから…」
 「人なつっこくて、私はいいと思うけどな。普段からもうちょっと自分のこと出してきなよ」
 「そうですかねぇ…」

 こういうことは、よく言われる。この歳になって未だに、出したり閉じたりの調整が難しくて、ついつい二の足を踏んでしまう。読み合いなんて意味がない、人と繋がっていくには自分を開いてくしかないとは、経験としてももう分かっているのだけど。
 
 ただひとつ確かなことは、今日のこの場がとても楽しくて、このアパートメントで出会ったこの3人のこと、好きになっていっているなということ。そう思えるのならちょっとは気を抜いて、この夜の空気に委ねてしまっても良いのかもしれない。

アパートメント 第二話―モーニング

「おかえり!」
 扉を開けると、マスターは決まって僕をおかえりで迎える。
 夢も見ずに10時まで寝続けて、目覚めてもまだ頭に蜘蛛の巣がかかったまま。冷蔵庫を開ければ中身は空っぽ。どうしようかな、コンビニでパンでも買うかと考えたとき、ふとマスターの出すモーニング―あっさりふんわりのバタートースト、サラダとバナナ、それから深煎りのブレンドが思い出され、そのまま電車を2本乗り継ぎ、50分かけて東京の東側へ。お店に着いたのは11時。ずいぶん遅い、モーニング。

 「こんなに早くよく来てくれたね。引越しなんかで疲れてるでしょ。ゆっくりしてってよ」
 「今朝起きたら、なんだか急に来たくなっちゃって。身体はもう十分休まったんですけど、お腹ペコペコです」
 「すぐ作るからちょっと待っててね」

 銀色のドリップポットの細い首から注がれるお湯が、珈琲豆を躍らせる。フィルタを越えて、一滴一滴溜まっていく様子を見つめるのは、いつになったって飽きない。それが自分のために注がれたものだと思うと、ますます嬉しい。だけど一番好きなのは、マスターが洗い終わったカップを布巾で拭いていくのを眺めている時。みんな、もといた場所へとちゃんと戻ってく。
 
 国道沿いに位置するお店の表面は、一面大きなガラス窓になっていて、店内には白い光が差し込んでくる。お昼前後になると、テーブル席に地元のデザイナーさんやライターさんがちらほらとやって来て、食事のついでにテーブル席でそのまま仕事をしていく。つられて僕もそっちへ移動し、ノートパソコンを開いてお店の無線に繋ぐ。ご挨拶に行かなきゃならない人たちにメールを送って、それから、気になっていたところいくつかへ、求人の問い合わせやら面接の申し込みをした。いつまでものんびりしてられないもんなぁ。借りたものは返さなくちゃなんないし、これまでいただいた時間に見合うぐらいは、そろそろ社会に還元してかなきゃ。

 「相変わらずがんばるね」
 そう言って差し出されたのは、ここの名物のレアチーズ。黒地のお皿に、真っ白こんもりドーム型。贅沢にかかったクランベリーソース。
 「これ、サービス」
 「わぁ、ありがとうございます!いただきます」
 フォークで側面をくずして口に運ぶ。
 「はぁ、美味しい…」
 カウンターに戻ったマスター、こっち見て微笑んでる。

 3時になって、お店を出た。近くのリサイクルショップで自転車を買って、そのままそれに乗って帰ることにした。変速ギアも何もない、8,800円のママチャリ。隅田川を渡り、浅草を過ぎて上野まで。駅の入口を見やると、靴磨きのおっちゃんが変わらずそこに座っていた。
 冬の日、先輩の結婚式に出席する朝、一度だけ磨いてもらったことがある。おっちゃんが僕の革靴にブラシをかけて、クリームを塗っている間、ぼんやりと街を眺めていた。両のてのひらで貝をつくって耳に当てて、ざわめきを反響させる。海より街の音が好き。
 「にいちゃん、何やってんだ?」
 右足終えて、次、左足だと僕を見上げたおっちゃんに、訝しげな顔をされて少し赤面したのをよく覚えている。

 不忍池をぐるりと一周し、裏門から大学の構内へ。
結局一度も入ることの無かった講堂を横切り、銀杏並木をくぐって正門を出た。少し引き返して春日通りに入り、そのままずーっと坂道を、西へ北へと登っていく。
 
 帰りに近所のスーパーに寄って食材を買う。野菜売り場はもうすっかり春の顔ぶれ。新じゃがに新たまねぎ、春キャベツに菜の花、それからアスパラガス。
 家に着いたのは午後5時頃。スーパーの買い物袋をキッチンのテーブルに置いて、コップ一杯の水道水で喉を潤す。お米を研いで炊飯器にかけてから、新じゃがを洗って皮を剥く。油でしばらく素揚げしたあと、鍋に移して煮込み始める。コンロがひとつ空いたので、菜の花をさっと茹で上げ、水で冷やしてだし汁に浸す。煮汁がじゃがいもに染み渡ったところでおろししょうがを入れ、弱火でじっくりコトコトと。あとは、アスパラベーコンでも作って食べようか。その前に、おかずをあと1,2品作り置きしておけば明日以降が楽だな。それから…
 そこでハッとして、手を止めた。明日の予定、時間の節約、今の自分のどこにそんなことを気にする理由があるというのだろう。冷蔵・冷凍して、毎食ちょっとずつ小分けにして食べる、洗い物や調理の回数は極力減らす、同じメニューが続いてもお腹が膨れればそれで良い、そんな食生活をする必要がどこにあるというのだろう。

 「相変わらずがんばるね」
 マスターがそう声かけたときの僕、どんな顔してパソコンのキーを叩いていたのかな。間違いなくしかめっ面。思い返すと滑稽で、少し笑った。

 流し台を離れて、冷蔵庫にもたれかかる。ほんの少し開きっぱなしだった扉をお尻で閉める。頭蓋骨越しに響くブーンといううなり声を聞きながら見上げる、天井の蛍光灯。そのまま視覚と聴覚以外忘れてゆきそうなところで、鍋からキッチンに漂うしょうがの香りに引き戻された。コンロの火を止めて、赤茶色に照った新じゃがをひとつ、菜箸でつまんで口に入れる。

 「おいしい」

まだほのかに湯気が立っている鍋に蓋をして、タッパーと一緒に抱えて玄関へ。

アパートメント 第一話―春風

 小さいころは、春と言えば4月のことで、桜も4月になれば勝手に咲くものだと思ってた。ランドセルを背負って学校に行くのは4月からだし、月めくりカレンダーに桜の絵が載るのだって4月だったもの。全国一律の暦よりも、季節のバトンはもっとゆるやかになめらかに手渡されてゆくこと、桜の花は3月から5月にかけて、日本列島の南から北まで波打つように目醒めては消えてゆくのだということを、肌で理解したのは案外最近のことかもしれない。
 四半世紀の3分の2は、半径1キロの世界が全てだった。各駅電車と坂道の通学路、グラウンドの砂埃に空色のカーテン、踊り場のひそひそ話、教科書の落書き。4月の春の重大事は、掲示板に貼り出されるクラス割り。桜は単なる背景で、いつ花開いたかなんてどうでもよかった。
 上京してからようやく、街を歩くということを覚えた。代々木公園、外堀通り、目黒川に隅田川、桜の季節に自転車で風を感じるのが好きだった。東京という街の営み、そこでの季節のサイクルに少しずつ呼吸が合ってきて、いとおしさが増してきたところでこの街を出ることになった。東北道を上る深夜バスや、太平洋を渡る飛行機に運ばれて、北へ東へと地図が拡がっていく。前の年とは違う土地でむかえる4月。そこでは桜は遅いのだと知った。待ってるあいだ、ふと手のひらを覗き込めば、電子の海を流れる無数の言葉と写真。時差も緯度差もなんのその、南の都では一足先に満開の宴。あれ、春ってどこだっけ。
 目まぐるしく変わる景色、前後運動を繰り返す時計の針に翻弄され、杭を立てる場所を見失う。途方に暮れて立ち尽くしている僕を、誰かが遠くから呼んでいる。そこで目が覚めた。ずいぶん寝たらしい。もう9時だ。あの声は誰だったのだろう。天井を見上げながら考えたけれど、どうにも思い出せない。
 今日は4月3日。このアパートメントに入居して1週間が経つ。白いレンガ造りの壁に赤い屋根、エンジ色の木製扉。玄関横、高さ5メートルほどの樫の木が寄り添うように立っている。常緑樹はホッとする。ときおり黒猫が庭にやってくるけど、まだなついてはくれない。犬には好かれるんだけどなぁ。4階建てで部屋数は20ぐらい。どれも同じ1Kで、家賃も安く、基本的にはごくごく普通のアパートメント。洗面所で顔を洗い、服を着替えて3階の自室を出る。階段を降り、玄関口に差し掛かったところで声をかけられた。

 「あら、お出かけ?」
 「ええ、ちょっとその辺を散歩に。今日は天気が良いので」  
 「そうね、気持ちのいい青空」
 「管理人さんも、お出かけですか」
 「かおり、でいいわよ。わたしはお庭の掃除と水やりに」
 「じゃあ、かおりさん。お掃除、ご一緒してもいいですか。好きなんです」
 「ありがとう。助かるわ」

 かおりさんは、ここの管理人さん。黒くてしっとりしたショートヘアに、細く締まった身体。昼下がりのティータイムの温度で話す。マンションやアパートの管理人さんって、もっと年配の方のイメージだったけど。
 このアパートメントにはひとつだけ変わったところがあって、自前のウェブサイトを持っている。空き部屋情報を載せる不動産サイトというわけではなくて、その時々の入居者が、文章や絵とか写真—要するに何かしら自分の表現物を掲載することが出来るスペースになっている。ウェブ上の入居者のアカウントは、別に本名や部屋番号と紐付けられているわけでもなく、それぞれが別々の日々を営みながら、ときおり気ままにその断片を開示している。これの発案者もかおりさんらしい。このサイトを偶然見つけて、問い合わせてみたら、ちょうど部屋も空いているということだったので、東京に帰ってきて数日で入居した。

 「どうかしら、新生活にはもう慣れた?」
 「大丈夫です。だいたい落ち着いてきました」

 花に水をやりながら横目でたずねるかおりさんに、掃き掃除しながら背中で返事をする。赤いジョウロからチョロチョロ流れる水や、竹ぼうきが石畳を引っ掻く音にかき消されないよう、心持ち声を張る。変にうわずったりしてないだろうか。
 新生活、と言ったって、もはやたいした苦労も無い。
荷物になるものって本と服ぐらいしかないし、それでも段ボール4箱ぐらい。もともとインテリアに凝る趣味もお金もないし、調理器具や食器も最低限。色んな人からの贈り物で、湯呑みやマグカップやグラスの類だけはやたらと数が多い。それらを全部並べて眺めるのが好きだ。今日の夕方、大学の同級生からお古の冷蔵庫を受け取れば、必要なものは全部揃うはず。彼は結婚して静岡へ。奥さんの実家で二世帯生活らしい。「お茶っ葉送るよ」だってさ。
 まだ若いからだと言われればそれまでだけど、衣食住なんて、いつどこへ行ったって別にどうとでもなる。欠けてるのはそう、もっと別のところ。

 「お掃除手伝ってくれてありがとう。よかったら今度管理人室に遊びに来て。まだ夜が少し肌寒いでしょ。うち、こたつ出しっぱなしなのよ」
 「あ、行きたいです。でも気持ちよくってそのままこたつで寝ちゃうかも」
 「いいのよ別に、眠ったって。ゆっくりしてってちょうだい」
 「じゃあ、お言葉に甘えて、今度ぜひ」
 「楽しみにしてるわ。色んなお話聞かせてね」

 かおりさんに箒を返して散歩に出た。住宅街を抜けた先にあるらしい、高台の公園を目指す。細路地を何本か曲がり、車道沿い、三分葉桜の並木道を歩きながら考える。東京に戻ってきた。それで、これからどうしよう。そもそも、どうして帰ってきたんだっけ。春はどこだ、桜はいつだと分かりやすい季節の節目を探し求める一方で、わが身の帰属先すら持てないまま、フラフラと年度を跨いでいる。仕事はどうする。あまりダラダラとはしていられないが、惰性で動けばろくなことにならない。そうこう考えているうちに、道は公園へと続く登り坂へと差し掛かった。やっぱりもう帰ろうかなと思いつつも足を進め、およそ5分ほどで坂を登り切る。
 瞬間、強風が花びらを散らしながら身体の内側を吹き抜ける。心臓と横隔膜がギュッと縮み上がり、思わず両の腕で自分を抱きかかえて身を捩らせる。風はなかなか止まない。4秒、5秒。ようやくおさまり、伏せ閉じた目をそっと開けば、眼下に住宅街が広がっていた。さっきの強風が散らした桜の花びらがまだわずかに下り坂の中空を漂っていて、視線をそのまま遠くへ移せば、穏やかに笑う山々。

あぁ、春だ。帰ってきたんだ、東京に。たったそれだけのことなのに、なぜだかホッとして、泣きたくなる。

新しい季節、新しい暮らし。大丈夫、きっとうまくいく。

Diary: 03/20/2013 Wed.

Held a meeting with board members of the International Student Organization which I participate in, and discussed schedule of this semester’s activities and each one’s responsibility. Realizing each of classmate is busy with their class or job hunting, I want to do what I can do for them.
Today I had only one class but had a few assignments and readings. Not so difficult, but as I was still sleepy, my work was less productive today. In the evening I went to buy foods, coffee, an extra blanket and dishes for my friend’s convenience. I tend not to care my health and daily diet so much while I live in alone, but when I have guests, I get an energy to work for good diet and comfortable life.

朝にISO(International Student Organization) のミーティングをして、今学期の運営について話し合った。一緒に活動している友達もなかなか忙しそうだ。一回一回のミーティングで物事をささっと整理して分担して…そういった面で少しでも全体の負担を減らすことが出来ればと思う。それにしても、みんな個々人、色々大変なことを抱えているだろうに、明るく生を営んでいて、立派だなぁと思う。授業は一つしかなかったから時間に余裕はあるなと思っていたのだけど、どうにも眠くて宿題や予習を進めるのに予想以上の時間がかかってしまった。

夕方、リンカーンセンターまで出かけて、Bed & Bath Beyondで追加の毛布とお皿を買った。それからスーパーで、いつもより多めに野菜などを。帰って具だくさんのミネストローネを煮込む。今滞在している彼も、東京でシェアハウスをやっていて、今はまた別のシェアハウスに引っ越したのだけど、その前のところによく泊めてもらってお世話になっていた。彼はいつどこにいても、マイペースで軽やかだから、一緒にいると気が楽になる。

夜、日本の病院で働く友達とSkype。今年、Public Healthの大学院を受けることを考えていて、来月NYにも来るとのことだったから、キャンパスで教授を紹介したりすることになって、その相談。と、それ以外の、とりとめのない、おしゃべり。夜勤も多く仕事も忙しいなか、なんとか1週間弱休みをとって、お母さんを連れての旅行らしい。親孝行しなきゃって。前会った時、芯が強くてしっかりした印象があったのだけど、今日は意外とお茶目な一面も発見したり。なんだりかんだり。

ほんとに変な夢を見て。詳細覚えてないけど、なんかの組織のエージェントにおそわれてて、しきりに尻の穴を攻撃してくるの。座薬みたいなの突っ込まれてさ。痛ぇってなって2時ぐらいに目が覚めた。目が覚めたんだけど、夢のなかの痛みがそのまま、その、お尻にかなり明瞭な感覚として残っていてですね、とにかく、変な夢でした。

買い物の帰りに、ふと名案(別に珍しいものでもないけど、僕にとっては)が思い浮かんだから、それでずいぶんと幸せな気持ちになった。

Diary: 03/12/2013 Tue.

In the class morning, suddenly I choked on my spit and had a coughing fit a while. It’s not by cold, just what anyone can do sometimes. So I didn’t care itself, but at the same time I remembered one of my favorite songs “ANSWER” by a Japanese pop singer Noriyuki Makihara. The song describes a similar event at a subway station, and the man in the song, following the cough, cannot stop tears rising from his eyes (this time I didn’t cry, by the way).
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=enQMaS6WQvE&w=420&h=315]
というわけで槇原敬之の「ANSWER」がふと浮かんだわけなんだけど、好きです、この曲。改札で咳き込む最初のシーンも良いのだけど、最後の”春の強い風も夏の暑さも秋のさみしさも冬の寒さも”ってとこ。シンプルな歌詞なんだけど、メロディーの盛り上がりと相まってじんとくる。そういえば今日は雨も風も強い日だったよ。

Diary: 03/10/2013 Sun.

Attended the symposium, “The Great East Japan Earthquake: Creative Responses & Social Imagination.” It was wonderful day to know how many people in NY have strong interest and compassion in Tohoku Japan. Various speakers told us their own experience and story. Especially, I was impressed from Jake Price. I could not only listen to his speech but also talk in person at the reception, and dinner after the symposium. Jake told me, in response to my question “how did you balance your professionalism or journalism and your emotional feeling?”, that it was impossible to keep distance as a journalist and he didn’t regard his project in Tohoku as journalism. I saw many photographers who had complexity in taking photos in that area. His honesty made me feel that he is a really respectable person. As a final speaker, I made a speech on my projects in Oshia Peninsula. I told our micro, but specific experience and story with individuals. But, though I spoke as an individual, I felt some expansion of connection and compassion with many more people in Japan and NY.

I really thank organizers CJR members for their great dedication and sophisticated operations. I hope I could play as a speaker because that would be the best thing I can do to express my gratitude to organizers.

シンポジウム”The Great East Japan Earthquake: Creative Responses & Social Imagination.”に参加。あっという間だったけど、本当に良い一日だったな…自分の役目を、果たせたと思う。海を越えて、橋はきっと架かっている。

運営の方々と、残られた一部のスピーカーの方々と大学近くのレストランで食事をして帰った。アパートがある168thの駅に降り立ってちょうど数分後に、日本時間で2:46pmを迎えるタイミングになった(時差は13時間)。家に向かう途中、立ち止まって少しだけ黙祷した。

Diary: 03/01/2013 Friday

It’s almost March. My friends in class and I was surprised to know we’ve finished already 6 weeks of our second semester. This week was a little tough with two papers due on Friday and Saturday, but anyway I’ve done. Now I’m looking forward to scent of spring brought by plum and cherry blossoms (I hear I can meet with them even in NY here).

早くも3月。今週はエッセイとレポートの課題があってなかなか大変だったが、ともあれ提出し終えた。梅と桜が運んでくれる、春の香りが楽しみだ。ここニューヨークでも、梅や桜と出会える場所が、あるらしい。

お墓の中に私はいませんなんて歌がありましたが、死人はおろか、生きてる人間だって、過ぎ去った日々の中になんかいませんから。遠くで今を生きてるヒトたちと、出会ったならばいつでも「はじめまして」と言える、ワタクシ、そういうヒトでありたいです。

とはいえ、積み重なった想い出が、今を刷新し続ける活力だったり、信じ続ける強さをもたらすのでもあって、不思議なもんです。

信じてくれていること、知っているよ、届いているよ、こちらも信じているよと、そういう気持ちが、届けば良いなと思う。切手を貼らない手紙。

Diary: 02/27/2013 Wed.

Struggled almost all day long with an essay assignment of policy analysis class, due on this Friday. It is often the case, we only start working at the last minute. Today I held a study session with friends and most of them were also struggling how to make an appropriate framework to analyse cases. Well, anyway, almost halfway done. Hopefully I will finish it by Friday evening.

Policy Analysisのエッセイの課題と格闘。金曜締め切り。早めに始めて、コツコツ進めて余裕もって完成させようと、2週間前には思っていたのですけど、あらま、もう2日前。間に合いはしますけど、なかなかこういう課題は億劫でござる。書き始めたらそれなりに早いのに、始めるまでが問題。

Diary: 02/24/2013 Sun.

Off to Brooklyn with my friend. Honestly this is the second time to visit Brooklyn even though I’ve been NY for more than a half year. I don’t have strong motivation to go sight seeing, I tend to stay my room and just read books in weekend. But every time visitors like him bring me chances to find new things. Flea market, delicious bagel with salmon and cream cheese and hamburger, unique store alongside Atlantic Avenue and Bedford Avenue. I felt Brooklyn is good place to live, though it’s really far from my school.

元来出不精で、本があればどこでも楽しめる質だから、観光に対するモチベーションが著しく低い。滞在中の友人に「お前ホントにニューヨーク住んでんの?」と言われる始末。そんな彼に連れられてブルックリンへ。行ってみればどこだって楽しめる性格でもあるので、きっかけには乗っかることにしている。結果はやはり、行ってみて大正解。マンハッタンとはまた違った、東京で言えば中目黒あたりか、あるいは中央線沿いの荻窪・高円寺あたりの、そういう面白さがある。

「あんまり悩みすぎても意味ないし、ニューヨークにいる期間があと1年もないってことをもうちょっと自覚しろ(笑)」

ま、そうだよねぇ。
見えない何かに遠慮したところでどうにもならんからなぁ。

Diary: 02/23/2013 Sat.

Drunk with my friend who are staying here this week at night. These days, I felt a little gloomy but that made me rather refreshed.

授業直前に水筒に紅茶を入れて持っていったんだけど、教室に着く前に鞄の中でこぼれて大惨事。アップルストアに行ってMacを見てもらったりなんだり大変でしたよ…で、修理費用も購入費用と同じぐらいかかるもんだから、もうなんか半分やけくそ、半分開き直りで、8GBの新しいAriを購入!今までの2GBのやつ重かったし、もうあれだ、バージョンアップだ!その後、家に帰ってきて滞在中の友人とビールを煽る。昼間アホほど凹んだけどその後はむしろ振り切って楽しくなったの巻。

Diary: 02/22/2013 Fri.

What is the most difficult to answer is the question “what do you wanna write?”

大阪での浪人時代の友達と3人で晩ご飯。一人は南米への旅から日本へ帰るトランジットで。もう一人は、夏までの短期プログラムでNYUに通うため最近こちらにやってきた。

「なんかNYやのにここだけ大阪の気分やわ」

「あれ読んだで。鬼の、募金の、山手線の」
「あぁ、ありがとう(笑)」
「あれなん、もう走ることがお仕事になるん」
「いや4月から普通に就職で。走るサラリーマンかな。戦う広告マンみたいな。」

「河合おったのってもう7年も前か」
「今から7年後ってあたしら何歳?32か。うわー、絶対まだ結婚できてなさそう」

とかとか

Diary: 02/21/2013 Thu.

Talked with a director of practicum about my summer internship (all the MPH students are required to do internship related to health care or public health field during vacation). I will work for one Japanese company that focuses on social marketing of public health in Japan such as promoting cancer scanning, and make some research during the summer vacation. Though I’m enjoying classes in this semester, most of the contents focus on U.S. cases, and as health systems in U.S. are very different from that in Japan, I feel I need to learn more about Japanese current conditions and issues so that I can make advantage of my study from fall semester. The director said, working in that company would be approved, and I think my summer internship there must be exciting and fruitful experience.

I teach Japanese as a language tutor to one student at main campus every Thursday evening. He’s second generation of Korean-American, and had one year experience of studying at college in Tokyo. He will work at Japanese law firm this summer as internship and seek jobs in Japan. I hope this tutoring will be helpful for his future. Also for me, teaching mother language to others is very interesting learning.

Around 6pm, before the sun completely goes down, I like blue of the sky these time. This blue is pretty different from that of Japan in similar times. Reminded me Chagall.

まだ完全に日が沈んで黒が覆う前の、夕方5時や6時の空が好きです。この時間帯のNYの空は、日本とは違った碧を見せてくれます。いつだか上野やパリで観た、シャガールを思い出します。

Loss aversionだとかRisk aversionという経済学用語があります。人間は損失やリスクを避けるのだということです。差し引きした金勘定で言えば損得が同じ額であっても、表現の仕方によって反応が変わるもので、何かを失うことを強調される/意識すると、その選択肢は好まれません。オバマの健康保険改革を通すためのプロセスでも、そういう人間の性質を意識して、法案の内容、キャンペーンやスピーチの文面・言い回しを入念に作りまれています。Affordable Care Actではアメリカ国民全員が何かしらの健康保険に入ることが義務付けられ、今まで無保険だった人が保険に入れるよう様々な方策が講じられるのですが、そのことで、すでに健康保険に加入している人達の、自分たちの保険プランも変更させられるのではないか、負担が増えるのではないか、生活が変容するのではないかといった不安も招きます。そこで、既存のプランに満足している人は何の変更も迫られないということを、記者会見やスピーチ等で何度も強調し、国民の抵抗感を緩和しようとしたそうです。アメリカは健康保険改革が非常に難しい、現状維持的な性質を持っていて、上記のような細かな努力や工夫だけでそうしたマクロな構造や傾向を変えることはできないのですが、それでもそうした積み重ねが法案通過に貢献したことは確かだろうという分析がされています。

話は変わって、来月のシンポジウムのこと。友達が来月のシンポジウムのことをすごく楽しみにして、応援してくれているのですが、メインキャンパスで日本語の授業があるからそこで宣伝したい、と言ってチラシを持っていってくれました(一昨日のランチイベントで、みんなに僕のことを紹介してくれたのと同じ子です)。彼女は日系アメリカ人2世で、アメリカで生まれ育ったのでもちろん英語の方が上手というかネイティブなのですが、夏のインターンや卒業後に日本で働くことにも興味があって、語学の授業で日本語を勉強しています。語学に限らず、普段の授業でもとても活発で一生懸命な子で、きっと今日の日本語クラスの教室でも、同じく日本語を学ぶクラスメイトたちに、いつもの様子で一生懸命宣伝してくれたのだろうと想像すると、とても嬉しくなります。それから、昨年お会いした、宮城県の自治体からこちらに駐在で来られている方が、お仕事の繋がりもあってか、公的機関や日本・宮城に縁のある色々な団体へとシンポジウムのことをご紹介してくださっています。直接お会いしたのは一度だけで、あとはメールでのご挨拶しか出来ていないのに、これだけたくさんの方々に働きかけてくださって、あまつさえこのようなお言葉をいただきました。「3月10日は、鈴木さんにしかできない、素晴らしいことだと思います。応援していますので、よろしくお願い致します。宮城県民の一人として心から感謝しています。」僕の方こそ、宮城、とりわけ石巻・牡鹿の人々からかけがえのないものをいただいたのであって、むしろ感謝すべきはこちらの方なのですが。ともかく、想像以上にたくさんの方のご厚意に助けられており、シンポジウムも思った以上に大きな出来事になりそうですが、そこでしっかりと、丁寧に、物語をお届けすることが自分に出来る最大の恩返しなのでしょう。

「大きなこと」というのはきっと日々の小さなことの積み重ねのなかでしか生まれないのだと思います。上記の授業で扱ったような、一つ一つの言葉遣いや身振り、発信方法や頻度といった、日々の地道なコミュニケーションの工夫であったり、上の二人のように、自分と想いを共にしてメッセージを代弁し、情報を広めてくれる周りの人々の支えであったり。3月10日へと、少しずつ日が近づいています。何を伝えるか、メッセージの掘り下げ・練り込み、伝えるための工夫や練習…自分の務めを果たします。

Diary: 02/19/2013 Tue.

Printed flyers of the symposium on 10th March which I will attend as a speaker, and invited several friends between class breaks. Every time I do some advertisement, I hesitate to distributing flyers or posting info on medias to general public. So I prefer to talk with small number of persons and explain about the event face to face. I do understand the necessity and importance of somewhat mass publication if I really am confident with the content and really want others to come, but it’s a little hard for my feeling. Today, one of my friends, she knows well about my shyness, introduced me to others at a lunch event at which I didn’t originally intend to advertise about the event, and kindly created mood and opportunity to introduce the event to them. Once I made a presentation, most of them in the room approved and looked interested in. Many classmates told me they will come. I really thank her. I should be more brave and confident ( but not too much) with myself.

One of my friends has arrived at NY today. He quit his previous job and now is taking off before starting the next job, and will stay in NY for a week. I really hope this trip will be good refreshment for him.

Sleepy, so sleepy. I don’t know why.

友達が到着した。今日から1週間ほど滞在。晩御飯を食べてからアパートへ連れて行く。今日は時差ボケでお疲れみたいでぐっすり眠っている。

来月のシンポジウムのフライヤーを印刷して友達を誘った。ランチイベントがあって、その場とはあまり関係がないから、そこで前に出て全員に対してアナウンスするということは考えていなかったのだけど、同じく参加していた学部の友達の一人が手を上げて僕のことを紹介してくれて、それで前に出てアナウンスをすることになった。そうすると、本当にたくさんの人が興味を持ってくれて、参加すると言ってくれた。終わった後、その友だちに御礼を言った。シャイだから助かるよって。「知ってる」って返事。あぁ、ありがたいなぁ、本当に。想いがあれば伝わるのだ。人前に出て、不特定多数に向けて発信することにどうにも躊躇いがちだけど、いざやってみるとほとんどの場合、それが杞憂だと言えるぐらい、良い反応が返ってきた。もっと自信と勇気を持たなきゃだめだよね。

なぜだか眠い。本当に眠い。

Diary: 02/18/2013 Mon.

Had lunch with a friend at K town. Maybe it’s 3 or 4 more years since we met last. So long time. Talked several things, study, work, social life on campus or in NYC, money, future jobs, unfitness within a streamed line etc.

After meeting with her, I went back to campus and did readings and a homework assignment for tomorrow classes. I feel a little difficult to change my mode and go into texts after meeting with such persons with whom I open my feelings. After lunch till getting a sheet at library, my vision was a little bury and felt being somewhere between dream and reality. I need to find better ways for me to switch myself smoothly and quickly from one side to another so that I can deal with my study at school or work in company (in the near future) as my public or social duty and my expressive work activity such as writing as my personal way at the same time.

From one of the reading articles, I’ve learned an interesting phrase. “Give me chastity and continence but not yet” by Saint Augustine. Though I know about him, I have’t read his book in English.

I don’t know about foreign music very much, but sometimes I happen to meet with a famous song through wired radio at cafe. This time it was Bon Jovi, “Living on a Prayer.”
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=lDK9QqIzhwk]

We’re half way there
Livin’ on a prayer
Take my hand and we’ll make it – I swear
Livin’ on a prayer

外国の音楽にはあまり、というかほとんど詳しくないのだけど、時折有線で往年の名曲というか、そんな僕でも知っているような曲が流れる。今日はBon Joviの “Living on a Prayer.”

俺たちまだまだこれからさ
そう祈って生きてる
手を取って きっとうまくいくから
祈りながら毎日生きてる

人と会ったり本を読んだり文章を書いたりすると感情の弁が開くのだけど、それをうまく折りたたんで、宿題やら予習に集中するまでの、モードの移行を、もっとスムーズに出来るようになりたい。狭間の時間、たとえば図書館を歩きまわって座席を探している時とかは、視界が少しぼやけて夢と現実の狭間を歩いているような感覚がする。歩いている自分から魂がほんの少し斜め後ろに抜け出ていて、微妙な距離感で後追い観察している。大学院での勉強とか、それから卒業してからの職場とか、社会の中で義務や役割を果たす時間と、自分のパーソナリティを見つめたり開示したりする時間と、バランスよく両立出来るようにならないと、どっちもうまくいかないもんなぁ。

明日は東京から友達が来る。一週間ほど自室に泊まっていく(友達泊めるの初めてだなそういえば)から、日曜日に掃除をしたのだけど、バスタブの配管が詰まってしまった(しばしば起こる)。修理をHousing Officeに依頼しようと思ったら今日は祝日で空いていなかった。明日の朝一にお願いすれば、うまくいけばその日のうちに直してもらえるのだけど、オーダーからどれぐらい時間がかかるかはまちまち。こういうのはもっと早くから動いておくべきなんだよね。快適に過ごしてもらいたいのなら。ホスピタリティーとか気遣いの類って、相手に気づかれないぐらいに速やかかつひっそりとなされていなければならないと思うのだけど、まだまだ色々と甘いなぁ。先学期、NYに来てから余裕がなかった時期に本当に色々と助けてもらった友達がいて、今年から隣の州に行ってしまったのだけど、彼は本当にそういうところが立派で。色々な調べ物とか、チケットの手配とか、その人のことを思っての本や人の紹介とか。それらをなんでも、さらりと、やってのけるんだ。他者に対して、「好きだよ」とか「大事だよ」とか「大切に思っているよ」とか、そういう月並みや友情や愛情の言葉を直接言うことなしに、それを行動で伝えてしまえるやつなんだ。話がそれたけど、とにかく、せっかく来てくれる友達だ。一週間、楽しんでいって欲しい。

改革を望む世論が定期的に高まりつつも、結局は政策が現状維持 status quoに陥りやすいことを取り上げた記事を読んで、そこで目についた表現があった。アウグスティヌスからの引用とのこと。”Give me chastity and continence, but not yet.” こういう、古典からのこなれた比喩というのはノンネイティブにはなかなか難しい。引き出しを増やしていきたい。

また髪が伸びてきたな。美容師さんにはいつも驚かれる。伸びるの早いですねぇ、って。

Diary: 02/14/2013 Thu.

Couldn’t concentrate on classes and homework well. I’m not sure why, but I was in a weird mood.

今日はあまり集中出来なかったな。なんだか気分が少し下がっている。こういう日もあるかと思うが。せつないゆめをみた。